ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

東京オリンピックで期待したい美女アスリート(4)(オリガ・サラドゥハ)

2019-12-09 00:00:00 | 美女探求

こんにちは。では今日もはりきって美女をご紹介。今日は三段跳のウクライナのオリガ・ザラドゥハ(Olha Saladuha)です。1983年生まれで年増ですが、美女であることは確かです。さすが、ウクライナの女性はレベルが高い。旧ソ連、ロシア、あるいはロシア系××人の美女も、実はウクライナ系であるという事例も目だちます。たとえばナタリー・ウッドなど。彼女の本名は、Natalia Nikolaevna Zakharrenkoというバリバリのウクライナ人の名前です。彼女の母親は、ロシア系のようですね。映画「メテオ」でソ連の通訳をやったり(吹替なしだったとのこと)、娘に「ナターシャ」というロシア系の名前を付けたりと、自分の親の故郷への思い入れは強かったようです。1938年生まれの彼女の世代は、ロシア系である出自はあまり公然とは言われなかった時代だったので、彼女の責任ではないですが、やや気が咎めるところもあったのでしょう。

ナタリー・ウッドの話はともかく、2011年の大邱での世界選手権で優勝、ロンドン五輪では3位でした。

右目の上の額にあるほくろが特徴的です。

 

うーん、美人ですねえ。

最後は、競技の時でない写真を。

たぶんですが、ウクライナのアスリートでもベテランなので、いろいろアスリート以外の部分でも彼女は活躍をしているのではないかと思います。

うーん、やっぱりきれいですね。さすがの美しさです。これ、スカートでなくてキュロットなんですかね。金髪に染めていると、やはり女性の顔は引き立ちますね。つねづね私は、男性と比べて女性の金髪って多いなあと思っています。

今年の世界選手権では5位でした。大ベテランですが、ここは東京オリンピックでもがんばってほしいものです。

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バンコク紀行(2018年8~9月)(8)(Day2-5)

2019-12-08 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

それにしてもほんとどこにも屋台があります。

余談ですが、ベトナムのホーチミン市(旧サイゴン)の中華街であるチョロンというところも、実にこのような金属加工業のような業者が密集していました。なにか共通点でもあるんですかね?

ホーチミン、プノンペン、ソウル紀行(2013~2014)(24)

今にしてみればここで何か食べてもよかったな。

写真を撮っている女性がいました。その人の写真を撮っちゃう私。

ようやく大きめの通りに出ました。

子どもはやはり絵になります。

このあたりは、喧噪のない地区ですね。

こういう店があるのも、やはりやや文化的な雰囲気があるってことなんですかね。

奥の建物は、なかなかいい建物です。

そんなふうに適当に歩いていると、川がありました。

ようやく、これで駅へ行けそうです。

何の動物ですかね?

白人の観光客も大勢います。

(つづく)

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バンコク紀行(2018年8~9月)(7)(Day2-4)

2019-12-07 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

それでだんだん奥を歩いていると、なんだか金属加工関係の地区(?)に入ります。

このあたりは中華街らしいという印象があります。

ね、なぜかそういう金属関係を扱っている作業所みたいなものが固まっているでしょう。

子どもを抱いている女性もいます。

青い建物の色が鮮やかです。

子どもをかわいがる光景は、世界中変わりません。

 

緑のシャッターが鮮やかです。

 

さらに奥まで歩いてみます。別になにか目標があるわけではなく、わざと目的なく歩いているのですが、やはりこういうところに紛れ込むのも旅の楽しみです。

犬にちょっとぎょっとしました。

うーん、すごいガラクタの山です・・・。

(つづく)

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勝新太郎の息子は、俳優稼業を続けていなければ、まだ死なないで済んだと思う 

2019-12-06 00:00:00 | 映画

勝新太郎の息子で、「鴈龍」あるいは「鴈龍太郎」などの芸名で活動していた奥村雄大が亡くなっていたということが報じられました。記事を。

>勝新太郎、中村玉緒の長男・鴈龍さんが55歳で急死していた

「週刊文春」編集部2019/12/03
source : 週刊文春 2019年12月12日号

 勝新太郎の長男で女優の中村玉緒(80)を母にもつ俳優の鴈龍(がん・りゅう)さんが、11月1日、急性心不全で急死していたことが「週刊文春」の取材で分かった。享年55。

 故若山富三郎の長男で、鴈さんの従兄弟にあたる俳優の若山騎一郎氏が明かす。

「報せを聞いた時は絶句しました。まだ若いし、大きな病気もなかったのに……。悲しいという以前に心の整理がつかず、状況を飲み込めずにいます」

 滞在先の名古屋で急逝し、遺体が発見されるまでに数日間を要した。いわゆる孤独死だったが、事件性はないと見られる。11月29日に近親者だけで葬儀を行い、すでに納骨も済ませているという。

 鴈龍さんが役者の道を志したのは18歳のときだ。勝は「お前は俺の一番弟子だ。息子じゃない」と言って厳しく指導したが、デビュー作「座頭市」(1989年)の撮影中に大惨事を起こしてしまう。

「鴈さんが真剣をあやまって使用したため、殺陣師の俳優が亡くなったのです。勝さんは責任を追及され、鴈さんは謹慎生活を強いられた。追い討ちをかけるように90年に勝さんがコカインをハワイに持ち込んで逮捕されてしまいます」(芸能デスク)

 下咽頭癌を患った勝が壮絶な闘病の末に亡くなったのは1997年6月のこと。告別式で司会を務めた鴈さんは「父の名を辱めないよう、精一杯やらせていただきます」と宣言したが、その後も俳優活動は苦戦。玉緒がテレビ局に頭を下げて回ったが、単発の仕事ばかりだった。

「2017年の舞台を最後に鴈さんは公の場から姿を消し、一時は宝石デザイナーを目指したこともあったが、近頃は何の仕事をしているのか、近しい人も知らなかった」(芸能関係者)

 近年は、母の中村玉緒とも距離をとっていたという。

「玉緒さんを安心させるために、自立の道を模索していた。一方、玉緒さんは常に息子の身を案じ、陰で支援を続けていました」(親族)

 最愛の息子に先立たれた中村玉緒は、ショックのあまりコメントできる状態にないという。

 12月5日(木)発売の「週刊文春」では、父であり師匠の勝新太郎、母・中村玉緒との関係性や、従兄弟である若山騎一郎氏のインタビューなどを詳報している。

この記事では、彼のことを「鴈龍」と表記していますが、たとえば「日刊スポーツ」では、

鴈龍太郎さん死去 勝新太郎さん中村玉緒夫妻の長男

で、「鴈龍太郎」とあるし、また

>名古屋市内の自宅で死去

とあります。上の記事では、名古屋は「滞在先」です。事実上名古屋に自宅を構えていた、っていうことなんですかね? それで「スポーツニッポン」は「鴈龍」で、名古屋は「滞在先」、「デイリースポーツ」は、見出しが

鴈龍太郎さん 死去していた 名古屋の自宅で…勝新太郎さん長男 母・玉緒ショック

となっています。記事によると、

>関係者によると、鴈さんは名古屋で一人暮らしをしていた。

とのことです。

「週刊文春」の記事にもあるように、昨今どうも彼は、あまり周囲と関係を持っていなかったようですね。彼のWikipediaは「鴈龍」であり、

>その後、端役で復帰していたが、1994年3月に勝が演出と主演を務める舞台『不知火検校』(しらぬいけんぎょう)で本格的に復帰する。その際、母方の祖父である二代目中村鴈治郎から1字を貰い受けて姓を「鴈」、辰年生まれ・長男であることから名を「龍太郎」とし、芸名を「鴈龍太郎」に改名した。後に「鴈龍」に改名した。

>芸名を鴈龍太郎に戻して2017年まで舞台で活動していたが

とあります。このあたり、つまりマスコミですら、彼の芸名をどう表記するかといった基本的な問題も定まっていなかったわけで、いかに彼が、これといった活躍ができなかったかがうかがえるというものです。

それで、彼を語るうえでやはり外せないのが、上の記事でも紹介されている『座頭市』(1989年)での過失致死事件でしょう。映画のWikipediaによれば、

>殺陣のリハーサル中、五右衛門役の奥村雄大の持っていた日本刀(真剣)が子分役の俳優の首に刺さり死亡する事故が起きてしまう。奥村に真剣を持たせたのは助監督で、時代劇経験のない、急遽集められたスタッフの一人だった。「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にもかかわらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、一大スキャンダルとして報道された。なお、奥村は勝の長男で、本作が映画デビュー作であった。

とのことで、それが事実なら彼は気の毒ですが、しかし正直、この時で俳優をやめて違う人生を送ったほうが、たぶん彼にとってはよかったような気がしますね。芸能一家で、母親といい、芸名をもらった母型の祖父である中村鴈次郎といい、すごい役者がそろっている家の出身ではあっても、彼自身はやはり芸能界で生きていけるだけの能力がなかったのでしょう。そして一応不問に付されたとはいえ、「座頭市」の事件は、彼の役者人生にきわめて暗い影を落としたし、そしてそれを払しょくすることは全くできませんでした。あるいは、父親の勝が亡くなった時点でやはり芸能界からフェイドアウトするのがよかったのでしょうが、いまさら他の世界に転身はできないと考えたのでしょうか。そのあたりはご当人でなければうかがえない世界ではありますが、おそらく彼は、俳優稼業をやめて違うことで生計を立てていれば、たぶん今年の11月1日ごろに名古屋で孤独死をする運命にはならなかったのだろうなと思います。そういうことを言うと身もふたもないというレベルですが、ほぼ間違いなくそうでしょう。気の毒ですが。

市川雷蔵(彼も、亡くなって今年で50年です)の息子は、長きにわたって銀座でカフェを営業していたそうですが(すでに閉店)、雷蔵が長生きしたとして子どもに役者の道を進ませたかはもちろんわかりませんが、理由はともかく勝新太郎の息子は、役者に進んだのが文字通り致命的にまずかったと思います。いや、その道から転身すればよかったのですが、それを彼はこれも理由はともかくできませんでした。彼にも、親、伯父(若山富三郎)、祖父その他への思いがあり、そうおいそれと役者の道をあきらめるわけにもいかないところもあったのでしょうが、彼からすればあまりに過酷で、しかも将来が見通せないものだったのだろうなと思います。とても気の毒です。

奥村雄大さんのご冥福を祈って、この記事を終えます。

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裁判員裁判の判決を、重罰(死刑)の正当化に利用しないでほしい

2019-12-05 00:00:00 | 社会時評

いつものことですが、産経新聞の記事を。

>【主張】死刑判決の破棄 裁判員の意義を問い直せ

2019.12.4 05:00コラム主張

 大阪・心斎橋の通り魔事件で父親を亡くした中学2年の長女は最高裁の判決を受けて「頑張って決めてくれた裁判員の人たちの気持ちが無駄になってしまった」「裁判員裁判の意味をもう一度考えてほしい」と話した。同感である。

 平成24年6月、心斎橋の路上で通行人の男女2人を無差別に刺殺したとして、殺人罪に問われた被告の上告審判決で、最高裁は1審裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした2審大阪高裁の判断を支持した。裁判員裁判による死刑判決が2審で破棄された5件全てが無期懲役で確定することになる。

 最高裁は「死刑適用の慎重性、公平性確保の観点を踏まえると、2審判決の量刑が甚だしく不当とはいえない」と判断した。

 「公平性」とは過去の判例とのバランスを指し、その基となっているのは昭和58年に最高裁が示した「永山基準」である。連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚に対する最高裁判決は死刑選択が許されるとする9項目を示した。中でも殺害された被害者数と犯行の計画性の有無が重視されてきた。

 心斎橋事件の被告は2人を殺害したが、犯行は「場当たり的」で計画性の低さが死刑回避の理由の一つとされた。

 だが遺族にとっては犯行に計画性があろうがなかろうが、理不尽に肉親の命を奪われた被害感情には全く関係がない。

 裁判員制度は国民の常識を刑事裁判に反映させることを目的に導入された。そこには従来の量刑傾向と国民の常識との間に乖離(かいり)があるとの反省があったはずだ。

 制度導入以前の判例との公平性を重視すれば、これが埋まることはない。36年前の「永山基準」がものさしであり続けている現状こそがおかしい。最高裁は、裁判員制度の意義を踏まえた新たな判断基準を明示すべきである。

 死刑判断だけではない。今年10月、東京都目黒区の虐待死事件で保護責任者遺棄致死などの罪に問われた父親の裁判員裁判で、検察側は懲役18年を求刑したが、東京地裁は「従来の量刑傾向から踏み出した重い求刑」としてこれを減じ、懲役13年を言い渡した。

 裁判員の一人は判決後に「自分が思ったところ(量刑)とのギャップが大きかった」と述べた。裁判員制度の趣旨は揺らいではいないか。問い直すときである。

何の義理があって、高等裁判所が裁判員裁判の判決に従わねばならないのかよくわかりませんが、つまりだねえ、我々は重罰、死刑が好きなのだ、だから裁判員裁判で死刑判決が出たら、それを破棄しないでくれってことなんでしょうね、この記事。まーったくどうしようもない。

>従来の量刑傾向と国民の常識との間に乖離(かいり)があるとの反省

うんなもん、国民の常識がより正しい量刑であるなんて、単なるドグマじゃないですか。そんなことは一部の人間が、なんの論拠もなくほざいているだけです。個人的な意見を言えば、私が刑事裁判を受けることになったら、市民感覚の量刑より、裁判官が下すろうもののほうがよっぱどありがたいですが、この論説を書いた人はどうなんですかね(苦笑)。まあたぶんなんの論拠もなく、自分はそんな立場にはならないと考えているんでしょうが。

正直被害者の遺族が

>「頑張って決めてくれた裁判員の人たちの気持ちが無駄になってしまった」「裁判員裁判の意味をもう一度考えてほしい」

と主張したくなるのは、理解しないではないですが、でも上のようなことを言ったってしょうがないですよね。裁判員の気持ちが無駄になることは仕方ないし、またそれは悪いことでは必ずしもない。裁判員裁判の意味っていったって、裁判員裁判の判決(量刑)は極めて正しいものであり、神聖にして犯すべからずというものでももちろんない。高裁なり最高裁なりであらためて審理してもらうていどの権利は、どんな極悪人にだってあるでしょう。

いずれにせよ善意の第三者であるマスコミが、裁判員裁判で死刑判決が出た、これを上級裁判所は尊重すべきだなんてことは主張すべきではありませんね。それはそれ、これはこれです。だいたい、いまのところそのような判決は出ていないようですが、1審の裁判員裁判で無期懲役の判決が出た事件を検察が控訴して死刑判決になったら、産経新聞はそれを支持するんだろ(笑、いや、笑っている場合じゃありませんね)。いずれにせよデタラメな新聞です。もっともこれは検察も同じようなものです。前に私は次のような記事を書きました。

そんなことを言うのであれば、検察は今後裁判員裁判では、量刑不当の控訴はしないのかという話になる

検察は、裁判員裁判での量刑を最大限尊重するんじゃなかったっけ

検察は、かつての主張を撤回したのかな

検察(東京高検)は、高裁での死刑判決破棄を、それは裁判員裁判の趣旨に反すると主張する上告趣意書を作成しましたが、死刑求刑事件で無期懲役判決が出た際は、けっきょくやっぱり量刑不当で控訴したわけです。予想の範囲内ですが、まったくその場しのぎのデタラメな組織です、検察というところも。迷惑にもほどがあるというものです。それでちょうど昨日(この記事を書いている時点では本日)、新潟地裁で死刑求刑事件に無期懲役判決が出ました。

新潟女児殺害、小林遼被告に無期懲役判決 新潟地裁

中村建太 2019年12月4日15時06分

 新潟市西区で昨年5月、小学2年の女児(当時7)を殺害したなどとして、殺人や強制わいせつ致死など七つの罪に問われた同区の元会社員、小林遼(はるか)被告(25)の裁判員裁判の判決が4日、新潟地裁であった。山崎威(たけし)裁判長は無期懲役(求刑死刑)を言い渡した。

 起訴状によると、小林被告は昨年5月7日、下校中の女児の背後から軽乗用車を衝突させて連れ去り、わいせつな行為をした上で殺害。同日夜、遺体をJR越後線の線路上に遺棄し、列車にはねさせたとされる。

 これまでの公判で検察側は「まれにみる悪逆非道な犯行」と強く非難。被害者参加人として意見陳述した遺族も「被告にふさわしいのは死刑しかない」と訴えていた。

 一方、弁護側は、被告が女児を気絶させるために首を絞めたとして殺意を否認し、傷害致死罪が相当と主張。強制わいせつ致死罪も成立しないとして、「長くても懲役10年が妥当」と訴えていた。(中村建太)

検察はたぶん控訴するし、産経新聞ほかは、この判決を批判するんでしょうね、きっと。

ところで時事通信のこちらの記事の、この談話を読者の皆さまはどうお考えになりますかね。

>「裁判員制度、何のため」 極刑回避に遺族―大阪・ミナミ通り魔

2019年12月02日20時01分

(前略)

 一審で裁判員を務めた会社員の男性(53)は取材に対し、「失望感しかない。死刑にならない悪い例を作ってしまい、被害者に顔向けできない思いだ」と声を落とした。

タイトルからして、裁判員裁判なんてそんな大層なものではないのですが(少なくとも厳罰を下すために存在するわけではない)、それはさておき。

>失望感しかない。死刑にならない悪い例を作ってしまい、被害者に顔向けできない思いだ

ってひどいですよねえ(呆れ)。「失望感」というのもどうかと思いますが、高裁以降の判決は、いかなる点でもこの人には関係ないでしょうに。なんで顔向けできないのか、なんの関連性もない。こんなくだらん正義感(?)、使命感(?)を持たれても大変迷惑です。もっともこれは、この人物よりこういう筋違いの話を報道する時事通信の側の問題でしょう。闇サイト事件の被害者の母親のめちゃくちゃな発言そのものよりも、そのような発言をさせる法科大学院や、それを垂れ流すマスコミのほうがより悪質で批判されるべきだと私が考えるのと同じことです。

裁判官が判例に固執することを批判して、なにがどうなってほしいんだか

なおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事を参照しました。感謝を申し上げます。

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バンコク紀行(2018年8~9月)(6)(Day2-3)

2019-12-04 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

たまたま見かけたこの店で食事をすることとします。

やはり中国系らしい人たちが目立ちます。

どうです、悪くないでしょ。

鶏がどんどん裁かれていきます。

とある店でオレンジジュースを飲みます。

実はこの子どもの写真を撮りたかったので、近くでっているジュースを買って、その近辺でたむろっていることを正当化しようと考えたわけです。

昔は、バイクに乗っている人もヘルメットはあまりかぶっていませんでしたが、経済成長で人の価値がどんどん貴重になってくのと同時にヘルメットも必須になります。

さらに街を歩きます。

なんだかたむろっている人が妙に目立ちます。

こういう女性を堂々と撮影しちゃうんだから、私も大胆な人間です。

つまりこの店で順番を待っているわけです。

番号札が出るんですかね。私も待ってもいいのかもですが、さっき食事したばっかりなのでやめます。

このネコ眼が青です。白いネコには、そのようなネコもいます。下の記事を参照してください。

年末年始の九州福岡旅行(2018-2019)(Day3-2)

うーん、いかにも東南アジアっぽいというべきか・・・。

でかい門です。こういうのがやはり中華街を象徴しているのでしょう。

屋台を冷かします。

スターバックスもあります。中は覗きませんでしたが、多少は中華街風の内装なんですかね?

 

ミャンマーもそうですが、象はだいたいにおいてありがたみの強い動物です。

やはり木陰が暑い街では気持ちがいいですよね。

(つづく)

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東京オリンピックで期待したい美女アスリート(3)(ヤロスラヴァ・マフチク)

2019-12-03 00:00:00 | 美女探求

では栄えある(?)3回目を。ウクライナの走高跳ヤロスラヴァ・マフチク( Yaroslava Mahuchikh)を。ウクライナ人は、だいたいにおいて美女の宝庫ということになっています。今年の世界選手権で2位の選手です。

 

パーソナルベストは2.04mで、これは今年のドーハの世界選手権で出したものです。大舞台に強いのかもですから、これは東京オリンピックでも期待できそうです。2001年9月19日生まれですから(つまり、ポスト9.11です)、来年の東京オリンピックの際も、まだ18歳です。

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元歌手の町田義人氏の近影と近況を知る(メルボルンで頑張っておられる模様です)

2019-12-02 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手その他)

このブログで、こんな記事を書いたことがあります。

「封印作品」というのは、思った以上に多い(理由も、差別表現ばかりでなく著作権や出演者の不祥事などいろいろ)

その記事で紹介した番組に、87分署シリーズ・裸の街」というのがあります。1980年にフジテレビで放送されたドラマで、エド・マクベインの代表作『87分署シリーズ』を原作としています。しかし契約書に再放送やソフト化の条項が盛り込まれていない(あるいは不備な形でしか書き込まれていない)ようで、再放送やソフト化のめどが立っていない封印作品になっています。なかなか面白そうなので、観ることができればぜひ観たいのですが。

それで、そのドラマの主題歌を歌っているのが、町田義人という人です。題名は、「愛」。なんだかあまりにそのものずばり過ぎる題名ですが、このような曲です。

愛 - 町田義人

それで町田氏の歌でいちばん知名度が高いのは、たぶんこの曲かと思います。

町田義人 『戦士の休息』 1978年

私が彼の名前を知ったのも、角川映画野性の証明』の主題歌「戦士の休息」を耳にしたからです。この曲は、映画がヒットしたせいもあり、だいぶ売れたようです。これが1978年発表ですから、前身のグループサウンズ時代をふくめて、このころが、彼の絶頂期だったのでしょう。同じ年に、かのキタキツネ物語』の主題歌も歌っています。なおどれも町田氏の作詞作曲ではないので、彼はいわゆるシンガーソングライターではないようです。

しかし現在町田氏は、音楽業界から離れているようです。氏のWikipediaにも

>現在では、歌手活動を休業し、日本国外に在住しているとのことである(オーストラリアで陶芸家として活動した後、香港に移住したとの情報がある。TV番組『速報!歌の大辞テン』(日本テレビ)による情報である)。

というあいまいな情報が書かれているだけです。そもそもNTVの番組も、いつの放送のものかすら書かれていない。なにしろ1996年から2005年までつづいた番組だし、少なくとも14年以上前の情報です。Wikipediaを見ると、どうも80年代いっぱいくらいで芸能活動はほぼ中止したようですが、アルバムは81年発売が最後、ベスト盤(上の、「愛」の動画のやつ)が2006年発売、シングルも84年のものが最後のようです。

町田義人 スーパーベスト

それで先日町田氏のことを検索していて、あっさり彼の近影と現況を知ることができました。別にこの件に限らず、ネットで何かを見つけるときというのは、案外あっさり見つかっちゃうものです。見つけようとして必死に探して見つけたというのは、まったくないということはありませんが、私の場合あんまりありません。ほかの人はどうかな?

で、私がどこで氏の消息を知ったかというと、よりによってといっていいのかどうかはともかく、在メルボルン日本国総領事館のFBです。

7月17日、現在メルボルンで彫刻家として活動している元歌手の町田義人さんが当館を訪問しました。町田さんは70年代後半に大ヒットした薬師丸ひろ子さんのデビュー作映画「野性の証明」の主題歌「戦士の休息」を歌っていました。
当館では8月1日から2か月間、町田さんのアジア文化及びその豊かな芸術的伝統を通じて感じた独自性と多様性を表す美術作品を展示します。是非お見逃しなく!

左側の人物は、総領事氏ですかね。町田氏は1946年生まれですから、当然総領事よりもずっと年上です。

これを読んだとき「へえー」と思いました。町田氏がどういう経緯で歌手活動をやめ、海外移住にいたったか、私はもちろんその事情を知りませんが、ヒット曲を出すのは難しいかもしれませんが、ライヴ活動を中心にしていれば、それなりの実入りはあるはず。が、たぶんそういうやり方は、彼の本意ではなかったということなのでしょう。それで町田氏の歌手時代の姿というのは、次のようなものです。

町田氏のWikipediaにも、

ニット帽サングラスというスタイ

で、「野性の証明」の主題歌を歌ったということが記されています。歳月が過ぎていますから印象が違うのは当然ですが、やはり穏やかな雰囲気になっていますかね。

検索したところ、オーストラリアの日本人向けのサイトに、上で触れられている展示についての記事がありました。

町田義人氏の作品展が開催――メルボルン

在メルボルン日本国総領事館では8月1日~9月30日の2カ月にわたり、アーティスト町田義人氏の作品展覧会「A Bridge to Asia」を開催している。

同氏は1968年に結成されたバンド「ズー・ニー・ヴー」のボーカルとして歌手活動を始め、脱退後もソロ歌手として活躍、『赤い狩人』『戦士の休息』などのヒット曲で知られる。その後は海外に移住し、現在まで陶芸家としてその創造性を発揮している。

同展では、香港や中国にも滞在経験を持つ同氏がアジア文化及びその芸術的伝統を体験して感じた独自性とダイバーシティ、そして地政学上のわずかな差異を超えたアジア地域の文化に共通している「和と相違」をテーマにした作品が展示されている。

■「A Bridge of Asia」展
日時:8月1日(木)~9月30日(月)9AM~1PM、2PM~5PM
場所:Level 25, 570 Bourke St., Melbourne VIC
料金:無料
Web: www.melbourne.au.emb-japan.go.jp/index_j.html

拙記事執筆・発表時点では残念ながら終わっていますが、また終わっていなくてももちろんそう簡単に観にいけるわけでもありませんが、この記事によれば、町田氏は香港や中国にも滞在経験があるとのことですので、そうとなると、NTVの番組の情報もデタラメではないようです。

それにしてもどういう経緯で町田氏が陶芸家(兼彫刻家?)になったのか(当然修業期間も長かったでしょうし)、あるいはそれがどれくらいの完成度なのかは当然私の知るところではないですが、しかしなかなかすごいですよね(驚)。なお展示の写真を、やはりメルボルン総領事館のFBよりご紹介します。

町田氏も今年73歳でオーストラリアで活躍されているということは、事実上オーストラリアで人生を全うされるご意思なのかと思います。これからもぜひ頑張っていただきたいと考えて、本日の記事を終えます。

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バンコク紀行(2018年8~9月)(5)(Day2-2)

2019-12-01 00:00:00 | 旅(東南アジア―ミャンマー以外)

さらに歩きます。

こういうところはいかにも中華街らしいというところですかね。

赤が多用されていることに注目。

東南アジアというのは、なんだかわかりませんが、なぜかたたずんでいる人というのをよく見かけます。

宝くじ売りですかね。タイは、建前ではギャンブルの規制が強いので、宝くじ売り場はやたらいろんなところにあります。

いろいろな物売りを見て回ります。

とある屋台で、食事をします。

さらに街を歩きます。

こうやって宝くじ売りがいるわけです。

子どもの写真も欠かせません。

かくのごとく、そこらじゅうで宝くじは売られています。

ドリアンも売られていますが、私は、ドリアンはいただきません。

東南アジアでは、やはりドリアンが果物の王様なのですかね。

(つづく)

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