ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

興味深い本が出版された(買うことに決めた)

2019-09-04 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

先日ネットをあたっていて面白い記事を見つけました。韓国のハンギョレ新聞のサイトより。

>日本の弁護士ら、「強制動員判決は被害者の人権問題」と強調する本を出版

登録:2019-09-02 06:44 修正:2019-09-02 08:28

韓国最高裁判決の意味を分析した初の大衆書 
執筆に参加した山本晴太弁護士 
 
「国家同士で対立する政治事案ではないのに 
日本の保守政権が支持率を高めるため煽った」

日本の弁護士たちが韓国強制徴用被害者に対する韓国最高裁(大法院)勝訴判決を分析した本を日本で出版した。日帝強制占領期(日本の植民地時代)の強制動員問題と韓日請求権協定などについて、日本の社会に広がった“誤解”と“偏見”を正すためだ。昨年10月、最高裁の判決が出た後、その意味を多角的に読み解く本が出版されたのは、韓日両国で今回が初めてだ。

 日本弁護士連合会人権委員会所属の弁護士6人は『徴用工裁判と日韓請求権協定-韓国大法院判決を読み解く』(現代人文社)というタイトルの教養書を、先月末に日本で出版した。日本政府を相手にした韓国強制徴用被害者の損害賠償請求訴訟を代理してきた山本晴太弁護士(66)など、日本人弁護士3人と在日コリアンの人権運動の先頭に立ってきた金昌浩(キム・チャンホ)弁護士など在日コリアンの弁護士3人が執筆に参加した。

 先月31日、ソウル汝矣島(ヨイド)でハンギョレのインタビューに応じた著者の山本晴太弁護士は「日本政府とマスコミが語らない真実を伝えるため」、本の執筆を決心したと明らかにした。彼は「多くのの日本人は、現在の韓日の軋轢が韓国最高裁の判決以来、韓国人が始めた紛争だと思っている。しかし、実は、日本の保守政権が支持率を高めるため、そのように煽った」と指摘した。彼は、強制動員の補償問題が「国と国が対立する政治的事案ではなく、25年間も裁判をしてきた被害者たちの人権問題」であることを伝えたかったと強調した。

 4章で構成された本文は質疑応答(Q&A)の形で、やさしく解説するために努力した。第1章では、最高裁の判決内容と強制動員被害者が日本と韓国で20年以上裁判を行ってきた“闘争記”を紹介する。徴集や勤労挺身隊制度が朝鮮人たちに法的・肉体的に強要された労役だという点を明確にし、「徴用は、朝鮮人が自発的に参加したもの」という日本政府の主張を批判した。

 日本政府が最高裁の判決を批判する際、根拠にする1965年の韓日請求権協定の「個人請求権の消滅」主張に対しても反論した。「日本のマスコミを含め、日本では(賠償問題が)請求権協定で完全に解決済みたが、韓国がそれを覆したと考える人が多い。請求権協定で受け取った資金を朴正煕(パク・チョンヒ)政権が他のところに使い果たしたと、韓国を非難している。しかし、日本政府も、安倍政権以前には同協定で個人請求権が消滅していないと解釈してきた」と指摘した。

 同書は最近、韓国政府が日本企業や韓国企業が共同で基金を作る案を提示したように、解決策を模索することに重点を置いた。そして「(安倍政権が)心から謝罪する考えがないなら、賠償責任のある日本企業を妨げてはならない。被害者中心のアプローチが必要だ」という立場を示した。

 ヤン・スンテ最高裁長官時代に遅れた強制徴用裁判の様子について、「司法壟断の影響で、裁判の進行が止まり、日本で訴訟中だった不二越強制徴用被害者2人が裁判の結果を見ることなく亡くなった」として、残念な気持ちを表現した。

 彼は「韓国最高裁の判決が出た後、日本の輸出規制で企業も被害者になったことを受け、(遅まきながら)韓国政府が積極的に乗り出したという印象を受けた。しかし、問題の核心は被害者の人権だ。韓国と日本はこの点を忘れてはならない」と強調した。

チャン・イェジ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

本はこちらです。

徴用工裁判と日韓請求権協定: 韓国大法院判決を読み解く

これは面白そうですからさっそく入手したいですね。読者の皆さまもぜひどうぞ。

さて上の記事で、次のような指摘を著者の山本弁護士は述べています。

>「日本政府とマスコミが語らない真実を伝えるため」、本の執筆を決心したと明らかにした。彼は「多くのの日本人は、現在の韓日の軋轢が韓国最高裁の判決以来、韓国人が始めた紛争だと思っている。しかし、実は、日本の保守政権が支持率を高めるため、そのように煽った」と指摘した。彼は、強制動員の補償問題が「国と国が対立する政治的事案ではなく、25年間も裁判をしてきた被害者たちの人権問題」であることを伝えたかった

これは、私からすれば「当然じゃん」「そういうことをマスコミが報じないのはおかしいじゃないか」というところですが、でもなかなかそうはいかないのがひどいですね。私に言わせれば、こんなのは安倍政権のやり方がうまいのでなく、こんな見えすいた馬鹿なことを支持する有権者が馬鹿でクズなだけです。私が11月に韓国に行くのも、そういう流れに私は乗らんぞという意思の表明でもあります。

だいたい安倍のこのような発言はどうでしょうか。

>首相、日韓関係で「根幹にある徴用工問題の解決が最優先」

2019.9.3 17:00政治政策

 安倍晋三首相は3日、韓国訪問から帰国した河村建夫元官房長官(日韓議員連盟幹事長)と首相官邸で会談し、いわゆる徴用工問題などで悪化する日韓関係について「根幹にある徴用工問題の解決が最優先だ。国と国との約束をしっかり守ってもらいたい。その一言に尽きる」と述べた。河村氏が会談後、記者団に明らかにした。

 河村氏は先月31日から訪韓し、ソウルで李洛淵(イ・ナギョン)首相と会談。いわゆる元徴用工問題や韓国による軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄決定などについて意見交換しており、首相にその内容を報告した。

首相本人が、

>根幹にある徴用工問題の解決が最優先だ。

なんてほざいているのだから、けっきょく輸出管理云々(安倍によれば「てんてん」と読む)なんてどうだっていい話なわけです。いや、私は安倍なんてそんな野郎だと昔から知っていますから「語るに落ちる馬鹿だ」としか思いませんが、世間では必ずしもそういうわけでもないのですからこれまた無様で無残な話です。

読んで面白ければまた記事にします。

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この本で沖縄戦を勉強したい

2019-06-24 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

このブログでも以前に、6月下旬ごろに沖縄戦関係の記事を書いています。

沖縄戦の番組を見て、「ペリリュー・沖縄戦記」を再読しようと思った(6月24日発表)

それで先日、地元の図書館で次のような本を借りました。

沖縄戦を知る事典: 非体験世代が語り継ぐ

今年の5月に出たばかりの本ですが、28人の筆者により沖縄戦についていろいろなアプローチがされています。非常に読みやすく、またブックガイドも充実しています。これはおすすめです。

沖縄戦についての本はたくさんありますが、やはりトータルに沖縄戦の全史をとらえて、またその前の歴史から集団自決問題ほかについて周到に書かれた本は少ないし、またそれらはかなり分厚いものとなり読むのも大変です。が、この本はAmazonによれば204ページと手ごろです。

内容は、それぞれの分野に強い筆者たちがいろいろ書いています。研究者だけでなく教員なども執筆していて幅広い著者から幅広くさまざまな知見を得ることができます。Amazonを引用します。

内容紹介

アジア太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ戦闘が展開され、「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄。戦闘経過、住民被害の様相、「集団自決」の実態など、67項目からその全体像を明らかにする。豊富な写真が体験者の証言や戦争遺跡・慰霊碑などの理解を高め、今も残る沖縄戦の姿をリアルに感じる構成。?なぜ今沖縄戦か?を私たちに語りかけてくる読む事典。

内容(「BOOK」データベースより)
戦後七四年を経ても続く沖縄の基地問題。今こそ沖縄戦の教訓を伝えるべく、新たに収集された史料や証言をもとに編纂した座右必備の事典。研究者・ジャーナリスト・資料館の学芸員・地域史編集者・教員など、沖縄戦を語り継ぐ現場で活躍する非体験世代二八人が結集。心の傷・秘密戦・移民・障がい者・ひめゆり学徒など、図版を交え平易に解説。とこから読み始めても沖縄戦の実相に辿りつける。個別の具体的な事例を豊富な盛り込み、沖縄のどこで・何を学べるかが分かる情報が満載。平和学習の手掛りを示す。さまざまな立場の人々の体験をまとめたコラムを収載。読書/博物館/戦跡コース/兵器の各種ガイドなど、付録も充実。

それにしても表紙の写真、映画のワンシーンのようですね。この記事でのせた写真ではわかりにくいかもですが、一番右の女性は、子どもを背負っています。彼女らは助かったわけですが、この後相当苦難の人生を歩んだのかもしれません。米軍の問題(強姦ほか)も論じられています。

ほかにも沖縄戦に関する文学作品や、ひめゆり部隊に参加した人たちのその後、沖縄戦でのハンセン病患者、身体障碍者(精神障害者をふくむ)の苦難などもにも項目があてられています。この本を読めばブックガイドも充実していますし、大変勉強になります。

それで私が印象に残ったのが、林博史氏による島田叡知事への厳しい評価です。林氏は、

>「一〇万人を超す命を救った」、あるいは二〇万人を救ったとして当時の県知事や警察部長を賛美する主張がある。はたして事実に照らしてそう言えるのだろうか。人々を戦争に駆り立てていった行政や警察を美化していいのだろうか。(p.70)

としたうえで、

>島田知事が一〇万人を救ったというのは何も根拠がない。(p.71)

>いくら軍が強く要求したとしても、知事が死を覚悟して沖縄に赴任してきたとするならば、法的手続きを無視したやり方に異議を唱え、少年たちを守ろうとする努力をしれいれば、と考えるのは無理な注文だろうか。(p.72)

と書き、さらに沖縄県・島田知事が1945年4月27日に行った指示事項と訓示を紹介したうえで、

>こうした知事の言動を「本当に言いたかった」ことではないと何の根拠もなく解釈し、知事を弁護する向きもある。知事の側にいた人のなかには、命を大切にするように言われたと語っている人もいるが、それは知事と個人的なつながりのある人だけの話であり、一般の人々は新聞に掲載されたことを文字通りに受けとめるしかない。知事として県民に対して公的に語ったことと、身近なものだけにこっそりと語ったことが違っていた場合、後者をもってその人物を評価してよいのだろうか。島田知事は人柄としては人望のある人物だったようだが、公職にあるものは公的な言動で評価されるべきではないだろうか。(同上)

と厳しく追及しています。そして林氏は、

>近年、こうした知事や警察部長らへの美化論が本土から多く出てくるのはなぜだろうか。沖縄戦でも戦後の米軍基地についても沖縄を犠牲にし続けている本土が批判されている中で、自分たちの強度の出身者が沖縄の人々を助けたと思うことに追ってホッとしたいという癒しへの願望が作り出した幻想ではないだろうか。(p.73)

とまとめたうえで、

>公人がその職務上、何を行ったのか、事実に基づいて議論するべきではないだろうか。(同上)

と書いてこの項をしめくくっています。林氏の島田知事への厳しい評価は、林氏のこちらの本からのものです。2001年の本です。この本よりかなり厳しい書き方になっているのは、研究がすすんだということもあるでしょうし、また島田知事を取り上げたテレビドラマが放送されたこともあるのかもしれません。

沖縄戦と民衆

島田知事のやったことは、けっきょくのところ軍への迎合ではなかったか、彼は沖縄県民をその可能な範囲で守ったのかというのは、これからも問い続けなければいけないことだとあらためて痛感しました。「沖縄戦と民衆」を読んだのはずいぶん以前ですが、やはり再読しないとです。今回ご紹介した本も、この「沖縄戦と民衆」が、大きなバックボーンになっていると思います。

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長期旅行というのは、読書をするにいい機会だ(った)(年末年始の旅行で持っていく本)

2019-01-03 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

以前は、海外旅行に行く際は、ガイドブック以外にもいろいろ本を持って行った時代がありました。外国文学や数学の本や、経済学の本、チョムスキーの本とか、普段あまり読む気のしない本を持っていくと、格好の読書の時間になったのです。が、スマートフォンの時代になり、海外でもネット閲覧が常識になってくると(個人的には、2013年ごろからそうなりました)、スマートフォンを閲覧するようになり、あまり本を読まなくなりました。それは仕方ないというものでしょうが、やはり個人的には残念なところもあります。

最近はLCCを使うことが多く、手荷物の規制が厳しっくなってきたので、どっちみちそんなに本は持っていきませんが、この年末年始の旅行は、飛行機に乗らないのである程度本を持っていこうかなという気になりまして、ガイドブック以外に次のような本を持っていくことにしました。本の写真の大きさは、amazonの写真をそのままいただいただけですので他意はなし。

環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態

文明論之概略 (岩波文庫) 

ロシア革命――ペトログラード 1917年2月

加藤一二三の5手詰め (パワーアップシリーズ) 

消しゴム (光文社古典新訳文庫) 

世界を揺るがした10日間 (光文社古典新訳文庫)

まえまえから読もうと思った本を持っていくわけです。文科系の本で頭が疲れたら、加藤さんの詰将棋の本でも読んで、頭の別系統の部分を活性化させます。本来ならあと数学の本と経済学の本を持っていきたいのですが、今回はやめました。あとは、やはりアニセーゆかりの方の小説を読んでみようかと思ったわけです。

いずれにせよ、こういう本を読んでいくことが、自分の今後のブログ記事などにも活きていくのだと思います。読者の皆さまにおかれましても、もうこの年末年始は終わりですが、ぜひ時間を作って本を読んでいただればと考えます。

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しばらくぶりに(?)ヌード写真集を買った(イスラエル美女の写真集)

2018-12-26 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

「美女探求」でもいいですが、最近あんまりこのカテゴリーの記事を書いていないので、「書評ほか書籍関係」で。

昨今あまりリアルなヌード写真集というのを購入していません。古本ならともかく、新刊本ではない。なぜかというと、ネットでいくらでもその種の画像は入手できるし、特に私が興味を持つような白人美女の写真集は、新刊本も高いわけです。容易に購入できない。

が、先日その種の情報をあさっていたら、なかなかよさそうな写真集を発見しました。しかしネットオークションで20,000円を超えているので、これは買えないなあと思っていたら、Amazonではその半分以下の価格でしたので、なら買おうと思い買うことにしました。

Israeli Nudes

なかなかよさそうでしょう。アダルトものなので、18歳未満の方はNGということで乞うご容赦。

個人的には、これがロシア人の写真集だったら、仮に表紙が全く同じであっても買わなかったと思います(チェコ人なら買ったかな)。ロシア人やウクライナ人の写真集というのは珍しくない、しかしイスラエル女性の写真集というのはあまり見たことがないので、なら買ってみようかなという気になったのです。

現実には、イスラエルでこの種のモデルをやっている女性は、その多くがロシア系と思われますから、別にどっちだって同じなのですが、なんとなくイスラエル美女というものに魅かれたっていうところですかね。

知っている方も多いと思いますけど、イスラエル人というのは美女が多いとされます。特に旧ソ連崩壊前後に大勢の人がイスラエルに移民したので、スラヴ系の美女がどどっと増えたわけです。美女国でないわけがない。ミス・ユニヴァースの出場者を見ても、例年レベルが高い女性多いわけです。イスラエル出身で、米国に進出する美女も少なくない。超大物から駆け出しの若手までいろいろです。

そう考えてみると、やはりイスラエルに行かねばなあと思います。昨今そんなにテロもないみたいだし。エジプトは怖いから、ヨルダンあたりと一緒に行くか、イスラエル単独で旅行するか。いずれにせよ最低1週間は必要ですかね。来年7月に現パスポートの有効期限が切れますので、新しいパスポートでの渡航になりそうです。

高い本なので、この記事を読んだからといって買う人もいないかもですが、参考までにということで。

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最近読んだ本と今年文庫化された本から共通に感じたこと

2018-08-15 23:56:50 | 書評ほか書籍関係

8月15日なので、戦争関係の記事を。

大阪から高速バスで帰京した日、バスの車中でこちらの本を読みました。

アジア・太平洋戦争と石油: 戦備・戦略・対外政策

内容をAmazonから引用しますと、

>石油に乏しい日本は、なぜアジア・太平洋戦争に踏み切ったのか。蘭領東インドとの輸入交渉、真珠湾攻撃での洋上給油作戦、石油備蓄と需給の予測、南方からの石油輸送と海上護衛戦の実態、本土空襲と製油工場の被害などを考察。石油のほか艦船・航空機など戦備に関する豊富なデータをもとに、あらゆる資源を動員した総力戦の実態と末路を解明する。

というものです。著者は、これもAmazonから引用しますと、

>1946年鳥取県生まれ。早稲田大学第一法学部卒業後、日本経済新聞社、トヨタ自販系研究所に勤務。石油公団に入り通商産業省調査員、ハーバード大学客員研究員。石油公団パリ、ロンドン各事務所長、理事などを歴任。2016年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

著者はフリーのジャーナリストとして海外で取材活動をしたりとなかなかユニークな経歴の持ち主です。それで、実はこのような著書もすでに発表しています。

石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」

世界がわかる石油戦略

 

日米開戦と人造石油

著者は、あらためて日本現代史と軍事史を学ぶため、一橋大学社会学部の吉田裕教授(現名誉教授)に学び(なお吉田氏のほうが著者より8歳年下です)、博士号取得に至ったわけです。その努力には敬服します。

それで内容紹介にもあるように、日本が総力戦を行うに際して、石油の確保というのが大変な問題でした。この本の中で私が印象に残ったところを紹介しますと、日本は、オランダ領東インド小林一三商工大臣を派遣し、1940年9月13日から交渉を開始します。このあたりが詳細に書かれていて、大変勉強になりました。小林は、いうまでもなく阪急電鉄のトップであり、日本の歴史に残る大実業家ですが、正直やはり商工相という政府高官として外国とこのような困難な交渉をするほどの能力はありませんでしたから、けっきょく交渉はうまくいかず、召還されてしまいます。小林は、近衛内閣時のこの商工相就任がたたって、敗戦後に公職追放の憂き目にあいますが、このあたりを読んでいても、その見通しの甘さ、悪さにはかなりあきれ返りました。読み進めていくことにより、日本が確保できる石油の量がどんどん厳しくなっていく過程がうかがえます。

さて今年ちくま学芸文庫から、古典的ともいえる名著が文庫化となりました。

餓死した英霊たち

著者の藤原彰氏はすでに故人ですが、吉田裕教授の大学院の師匠にあたります。つまり岩間氏は孫弟子になるわけです。なお吉田氏は大学は東京教育大学なので、指導教員は藤原氏でなく大江志乃夫氏です。

それでこの本では、日本軍の兵士で太平洋戦争で戦死した原因は、広義の餓死によるものが半数以上を占めるということが論じられています。文庫本は持っていないので、手元にある単行本

餓死(うえじに)した英霊たち

から引用しますと、藤原氏は結論として、

>今までに各地域別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で一二七万六二四〇名に達し、全体の戦没者二一二万一〇〇〇名の六〇%強という割合になる。これを七七年以降の戦没軍人軍属二三〇万という総数にたいして換算すると、そのうちの一四〇万前後が戦病死や、すなわちそのほとんどが餓死者ということになる。(p.138)

としています。この割合や数にはいろいろ異論もあるでしょうが、ともかく大変な数の餓死者を日本軍が出したは論をまちません。

そしてその理由を藤原氏は論じますが、ここでは「第二章 何が大量餓死をもたらしたのか」から、3つの見出しを引用します。

>1 補給無視の作戦計画

2 兵站軽視の作戦指導

3 作戦参謀の独善横暴

どれもすべて「ごもっとも」ですが、そうなると岩間氏の本も、けっきょく同じようなことを感じます。将来的な石油の確保の可能性ということを考えれば、とてもとても戦争なんか起こしたり継続できるものでもありませんでしたが、米国から禁輸されたら南方から石油を調達するとか後先のことを考えずその場しのぎのことをやっていてけっきょくどうしようもなくなったというのは、だいたい3つの見出しと似たようなものでしょう。オランダ領東インドとの交渉などは軍部でなく日本政府が主導したものですが、それにしても独善的な部分や図々しさなどは軍部と酷似しています。

また、岩間本でも、軍部中枢が自分たちに都合の悪い情報をきいて聞かぬふりをしつづけたことが指摘されていますが、藤原本にも、

>情報の軽視

という章で、

>対米英線突入に当たり、作戦部はドイツの勝利を確信して開戦に踏み切ったのだが、情報部は必ずしもドイツ必勝を信じていなかった。ドイツの英本土上陸作戦はできないと英米課が判断したり、ソ連の崩壊はないとロシア課が結論を出していたのに、作戦課は情報専門家の判断を無視して、自分の都合の良いように、作戦化限りで勝手に醸成判断をしていたのである。(P.148)

という指摘があります。

それで私が改めて感じたのが、ほんと日本政府も日本軍も、まともな分析も冷静な情勢判断もないなあということです。そんなことは初めから知っていますが、やっぱり改めてそう考えます。道理という意味で私は戦争には反対ですが、合理性という意味合いでもやっぱりあまりにひどすぎるというものです。

で、たとえば現在でも北朝鮮問題などでこのような非常識な分析が跋扈しているのが現実でしょう。冷静な情報分析や判断がどれくらい日本政府の対北朝鮮政策などにフィードバックされているか、大いに疑問です。少なくとも田中均氏のような人物を外務省から追い出したようなお粗末な現実は、いくら批判しても批判しつくせるものではないでしょう。

15日の終わるぎりぎりの段階での記事の発表をお詫びいたします。

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司馬遼太郎の文章もどうかと思うが、産経新聞の牽強付会に(いつものことながら)呆れる

2018-06-13 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

別にこのカテゴリーが妥当ということもないのかもですが、「社会時評」というほどでもないので。

だいぶ以前の記事ですが、産経新聞の記事に、こんなものがありました。2016年2月14日の記事です。

>「やっぱり、お前らは、武士じゃない」架空会見で竜馬が学生運動家を喝破 司馬遼太郎さんが教える「歴史に学べ」 論説委員・鹿間孝一

>大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が連載している「司馬さん、みつけました。」に興味深い記述があった。

 山野さんは司馬さんのあまり知られていない原稿を発掘するため、古い産経新聞をマイクロフィルムで閲覧していて「新発見が叶った」という。

 その一つが昭和38年1月3日付朝刊の「英雄の嘆き-架空会見記」である。山岡荘八、武田泰淳、三島由紀夫というそうそうたる顔ぶれで、司馬さんは坂本竜馬と全学連のメンバーとの架空会見を書いている。

全学連との架空会見

 〈「わしは、な、諸君」と竜馬はいった。

 「全学連もええし、六本木にたむろしちょる不良どもも、ええと思うちょる。若さというもんは、所在ないもんじゃ。しかし、おなじ始末におえぬエネルギーなら、もっと利口なことに向けられぬものか」

(中略)

 「全学連諸君」竜馬がいう。「お前(まん)らが、わしら維新で働らいた連中とちがうところは、命が安全じゃ。命を賭けずに論議をし、集団のかげで挙をはかり、つねに責任や危険を狡猾に分散させちょる。やっぱり、お前らは、武士じゃない。これはくわしくいいたいが、時間がない。もそっとききたければ高知郊外桂浜まで、足労ねがおう」(後略)〉

なお上の引用文の「(中略)」「(後略)」も原文のままです。

それで鹿間は

>前置きが長くなったが、本題は過去ではなく現在である。

 昨年、安全保障関連法に反対する国会前のデモで「SEALDs(シールズ)」が脚光を浴びた。安倍晋三首相を「バカか、お前は!」と呼んだリーダー格は、時の人のようにテレビの討論番組や集会に引っ張りだこになった。学生団体とされるが、若者が多いものの従来の学生運動とはどうも異なる。

 ここしばらく政治に無関心だった若者が、どこからともなくデモに加わった。1強多弱の政界にいらだっていた一部のメディアは「これが市民の声」「デモが日本を変える」と持ち上げ、野党も選挙を視野に連携を模索している。

と書いています。

シールズというのも今となってはなつかしいものがありますが、それはともかく。

あの・・・全学連とシールズじゃ、性質も規模も歴史的位置づけも全然違うじゃないですか(苦笑)。時代背景も事情も状況もあまりに違いすぎて、一緒に論じることなんかできないでしょう。

司馬が全学連を批判したからといってシールズを批判するとは限らないし、またその批判が妥当かどうかという問題もあります。だいたいこの司馬の「架空会見」て、やっていることは、「幸福の科学」の「ナントカの霊言」てやつと同じじゃないですか。幸福の科学なら馬鹿にするが、司馬ならっていうのもどうかです。いや、産経は幸福の科学とはいい関係にあるんでしたっけ?

お前たちだってここの宣伝をしたろ

もちろん幸福の科学は、霊言を事実であると主張していますが、司馬は冗談で書いているだけです。それはそうですが、これって新発見とわざわざ書いてあるということはつまりは全集などにも収録されていなかったということでしょう。ということは、司馬としても、とても自慢できるようなものではないってことじゃないですかね。あるいは、書いたことすら忘れていたのか。そのあたりの事情はつまびらかでないですが、どちらにせよ司馬も司馬のスタッフ(文藝春秋の編集者ほか)も、とても評価できるようなものではないと認識しているということかと思います。むしろアンチ司馬が、「ほれみろ、司馬なんてこんなものを書くような野郎じゃないか」と司馬攻撃の材料につかうようなものでしょ、これ。

私はこの司馬の文章を引用部分以外読んでいないので、その内容について論じることはできませんが、そもそも論として、この司馬の書いた記事って、当代の大小説家が複数執筆して、しかも正月の発表ということからして、お遊び企画の正月記事でしょう。司馬もたぶん本気で書いたわけではなく、まじめに議論するようなものではおそらくない。書誌学的な研究や(山野教授は、政治学者であり、書誌学者でもあるとのこと)司馬研究のための発掘ならともかく、産経新聞が左翼(?)攻撃の材料として使うようなものじゃないでしょうに。こんなもの発掘されたら、正直司馬もその関係者も迷惑でしょ、きっと。

さてさて。その山野氏の連載をまとめたという本が過日出版されまして、私の住む自治体の公共図書館にも入りましたので、さっそく予約して読んでみることにしました。

司馬さん、みつけました。

当該記事は、P.15から3ページ分です。で、山野氏の考えでは、これはちょうど司馬が産経新聞で『竜馬がゆく』を連載していたので、その読者サービスの一環という意味合いもあったのではないかとのこと(というのは、やや私が意訳した書き方ですが、趣旨は間違っていないと思います)。

>元の職場での最初の長丁場であっただけに、道すがら求めに応じて、おあいそしているにちがいない、とにらんだ。

 執筆活動が盛んになるに従って、全国紙での新年のご祝儀がわりの寄稿依頼がふえ出している気配に注目し、正月松の内に焦点を絞っての探索開始となった。

そのあとの山野氏の文章は、この架空会見記とあともう1つ1965年の正月記事を見つけたことを説明した上で、最初に65年の記事を紹介して、次が63年のくだんの架空会見記の紹介です。執筆者と題目を紹介した後、山野氏はこう書いています。

>お目当ての貴重な一文、勘所のみの抄録となるが、笑って許されたい。

で以下、産経の記事に引用された部分が紹介されて、終わりです。つまり山野氏は、この記事についてなんら感想を述べていないのです(笑)。論評するだけ野暮と考えたのでしょう。

>笑って許されたい。

とわざわざ書いているわけで、山野氏の考えも、お遊び企画の冗談記事という位置付けなのだろうなということはわかります。つまり、山野氏は(当然ですが)シールズなんてかけらも書いていないわけです。産経の記者が司馬にかこつけただけです。こんな程度のものに、産経の記者は、むりやりシールズだなんだとめちゃくちゃなこじつけをしたわけで、予想されたことですが、いつもながらの産経メソッドです(苦笑)。全共闘あたりならまだしも、シールズはないでしょう(笑)。

司馬の文章もろくでもないですが、そんなものに乗っかって、こんなめちゃくちゃな牽強付会をする産経新聞というのも、何をいまさらながらすごい(もちろんほめていません)新聞だなと改めて考えて、この記事を終えます。なおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事、その記事に投稿されたブリテン飯さんとbogus-simotukareさんのコメントを参考にしました。また内容が私がその記事に投稿したコメントとだいぶ重なっていることをご了承ください。

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ほんまかいなの話(ぜひいろいろ詳細を知りたい)

2018-05-30 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

旅行関係の書籍をおもに出版する出版者旅行人を経営して、自分でも旅の本を出版している蔵前仁一氏の新著『テキトーだって旅に出られる! (わたしの旅ブックス)』が地元の図書館にあったので、さっそく借りて読んでみました。この本全体の感想は今日は書きませんが(書くとしても後日ということで乞うご容赦)、読んでいて「えー!?」と思ったことがあったので、ちょっと記事にしてみます。

>僕の知っている旅行者で、初めての海外旅行でエジプトのカイロにやってきて、一軒の安宿から一四年間動かなかった人がいる。カイロから一歩も出なかったのだ。彼は日本にいたときから、いわゆる引きこもりだったそうだが、これではいけないと一大決心して海外旅行に出たという。それでカイロまでやってきたのだが、今度はそこで引きこもってしまったのである。当然のことながら、さすがにこういう人はきわめて珍しく、彼はその超長期滞在のあと、どこにも行かないまま帰国したそうだ。(p.20)

これ・・・ほんとなんですかね、って言ったら蔵前さんにすごく失礼ですが、しかし私には、これはかなりすごい話だと思うので、もうすこし細かいところを知りたく思います。

ところで高野秀行氏のツイッターに、

>蔵前仁一さんから『テキトーだって旅に出られる』(産業編集センター)という新刊を頂いたが、冒頭で「初めての海外旅行でエジプトのカイロへ行き、そこの安宿(しかも同じ宿)で14年暮らしてカイロから一歩も出ずにそのまま日本に帰った人がいる」という話で思わず吹き出した。

 4月19日

おお、サファリのkさん、通称住人のことがかかれてるなら読まねば。

とありますので、この人は一部ではそれなりに名前が知られている人なんですかね。

まあそもそも論として、

>カイロから一歩も出なかったのだ。

っていうのは確認できないじゃんという気はしますが(14年間、四六時中この人の動向が確認されていたわけでもないだろうし)、そういう細かいことはこの際ぬきにしてちょっと考察してみたいと思います。たぶんこの人の様子からして、とてもカイロから外に出ているようには思えなかったということでしょう。

で、以下私が「?」と思ったところを。

この人は、14年間の間に10年もののパスポートなら最低1回、5年ものなら最低2回の更新を必要とします。そういう際は、ちゃんと大使館(領事部)に行けたんですね? それなら精神の健全さは、ある程度のレベルは維持できていたのかもです。

それで、この人がどういうビザを更新して滞在していたかというのが非常に興味があります。エジプトのビザ事情なんかに詳しくないし、どっちみち滞在時期ですらはっきりしないのですからそんなの分かりっこないですが、よく14年間大禍なくビザが更新されつづけましたよね。このあたり、少なくとも当時のエジプトは、日本人に対するビザ発給とかはかなり鷹揚だったのかもですが。

おまけに14年間この人に資金援助をし続けた(んでしょうねえ、たぶん。自分の貯金だけで14年間滞在し続けたわけではないでしょう)親、あるいは親族ほか(たぶん結婚はしていないでしょうし、お子さんもいないでしょう)も、なんとも浮世離れしていますよね。私が親なら、1年くらいたったら『リプリー』(『太陽がいっぱい』)じゃないですが、自分あるいは絶対の信頼のおける人物(つまり、トム(マット・デイモンあるいはアラン・ドロン)みたいな人間ではだめです)によって、日本に連れて帰りますけどね。まあこれも、あるいは現地に信頼できる代理人がいる、もしくは日本で暮らすより(現在よりずっと物価が安い)エジプトで遊ばしているほうが安上がりだという結論だったのかもです。

ほかにも14年暮らしていたってことは、服とかも定期的に買い替えていたのかなあとか、なじみの食堂も、たぶん複数あるんだろうなあとか(つまり日本の一般の引きこもりと違って、そういう自分の身の回りの世話は、ある程度自分でできたのでしょう)、いろいろ考えますが、ただそういう人がいること自体は変ではないかもしれません。先日記事にしたように、7回エベレスト登頂に失敗して、指まで失ったのに、懲りずに8回目にチャレンジして遭難死する人もいるくらいですから、14年間カイロに何もしないで(?)滞在し続ける人がいても不可解ではないでしょう。もっとも登山家の人は、大企業なども支援していましたが、この引きこもり(?)の人は、たぶん親など家族しか支援してくれる人はいないはずで、難易度は登山家より高いかもです。

いや、それともこの人を世話してくれる人が、継続的にいたんですかね? そんなことはさすがにないと思いますが、実のところどうなのか。ただこの人は、もし蔵前さんの話が事実なら、早急に帰国させて精神病院に入院とまではいわずとも通院させたほうがよかったのではと個人的には思います。14年間カイロでそんなことをしていたら、精神状態も悪くはなっても改善はしないでしょう。

個人的な意見では、他はともかく、ビザの更新についてはぜひ詳細な事情を知りたいですね。スムーズに発給、更新ができたのか。それはどのようなビザなのか。まさか昔のテレビ番組みたいに、現地で就労していたわけでもないでしょうから、観光ビザの更新、更新だったのか。

そう考えると、この話が事実なら、ぜひこの人について詳細に紹介してほしいですね。1冊の本とまではいわずとも、蔵前さんの単行本の一つの章くらいは十分埋まる内容になるんじゃないんですかね。個人情報なんか書かなくていいんだから、ぜひそれを詳細に紹介した記事を書いて下さることを期待して、この記事を終えます。

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年末年始の旅で持っていく予定の本

2017-12-22 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

年末年始に恒例の海外旅行に行きますが、本来行きたかったキューバが予算超過で行けなかったので、今回は中国経由でタイ(バンコク、もしかしたらパタヤ)とカンボジアのシェムリアップに行きます。シェムリアップがメインです。

それでかつては旅行の際に、海外文学やチョムスキーの本、哲学書、数学の本など、普段読む気のしない本、難しい本を持っていって読んだものですが、昨今スマートフォンやタブレットを持っていくようになり自動的にそちらを閲覧するようになったので、あまり本をもっていかなくなり、読まなくなりました。が、今回はちょっと本を持っていこうと考えます。

どのような本を持っていくかというと、フランス文学づくし、読んだことのない本を持っていくことにして、下のような本を持っていくことにしました。順番は読もうと考える順番です。もちろんすべて日本語訳で読みます。

モーリアック愛の砂漠

サルトル水いらず

カミュペスト

バルザックゴリオ爺さん

ジッド贋金つくり

選択の基準を申し上げると、桑原武夫著「文学入門」のなかで桑原先生が選定した「世界文学50選」に選ばれた本と、ノーベル文学賞受賞者の著作を選ぶことにしました。バルザックとジッドのは、桑原本で推薦された本だし、あとバルザック以外はノーベル文学賞受賞者です。ただしサルトルは受賞を拒否しています。なおジッドは、フランスにおけるプロテスタント(新教)の作家の権化という意味合いもあります。モーリアックがカトリックの人だからです。遠藤周作高橋たか子(高橋和巳の奥さん)のような深くカトリックに帰依している人が彼の翻訳をしているのもそういうことです。当方キリスト教には通り一遍の知識しかありませんのでよくわかりませんが。なお前に記事にした故・アンヌ・ヴィアゼムスキーは、モーリアックの孫です。

私の勝手な予想ですと、モーリアックの本は読める。サルトルもたぶん読める。カミュは読めるかどうか分からない。バルザックは難しい。ジッドはたぶん読めない、といったところで、全部読むのは難しいと思いますが、貧乏性なので多く持っていないと安心できないので持っていきます。まーったくこういうのは三つ子の魂百までというやつで、子どものころから旅行の際、親に本はそんなに持っていくなとよく注意をされたものです。

サルトルなら「嘔吐」、カミュなら「異邦人」が初心者が読む本でしょうが、これらは昔あるいは最近読んだので(「異邦人」は原書でも読み通しましたが、「嘔吐」はかなりいいかげんな読み方なので、「読んだ」といえるか怪しいところはあります)、今回は別の本を持って行きます。

それで前にも書きましたけど、桑原本で推薦されている本を取り上げれば、「マノン・レスコー」も「赤と黒」も「ボヴァリー夫人」も「女の一生」も「武器よさらば」も「怒りの葡萄」も、私はだいたい旅先、飛行機や電車の中などで読んでいます。そういえば、ヘミングウェイスタインベックも、ノーベル文学賞受賞者ですね。

当方ボブ・ディランあたりはわりとよく聴きますが、基本的に小説にはきわめて暗い人間です。が、来年はレッシングル・クレジオイシグロあたりの21世紀の受賞者の小説も読んでみようかなと思います。フランス語は大変ですが、英語の小説は原文で読んでみても面白そうです。いやもちろん20世紀の受賞者であるフォークナーフォークナーやゴーディマあたりもいいですが。私はゴーディマってアフリカーンス語で執筆していたのだと考えていたのですが、彼女は英語での執筆ですね。

なに? 川端大江はどうしたって? 来年はそれも少しは読まなければな。上でとりあげた桑原先生ご推奨の世界小説50選(日本語の小説はなし)も、数えたら最後まで読んだのは1/3くらいですので、来年は計画的に読もうかと思います。

ついで:桑原武夫著「文学入門」より。引用はこちらから。

>世界近代小説50選

イタリ
1 ボッカチオ『デカメロン』(1350-53)
スペイン
2 セルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)
イギリス
3 デフォオ『ロビンソン漂流記』(1719)
4 スウィフト『ガリヴァー旅行記』(1726)
5 フィールディング『トム・ジョウンズ』(1749)
6 ジェーン・オースティン『高慢と偏見』(1813)
7 スコット『アイヴァンホー』(1820)
8 エミリ・ブロンデ『嵐が丘』(1847)
9 ディケンズ『デイヴィド・コパフィールド』(1849)
10 スティーブンスン『宝島』(1883)
11 トマス・ハーディ『テス』(1891)
12 サマセット・モーム『人間の絆』(1916)
フランス
13 ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』(1678)
14 プレヴオ『マノン・レスコー』(1731)
15 ルソー『告白』(1770)
16 スタンダール『赤と黒』(1830)
17 パルザック『従妹ベット』(1848)
18 フロベール『ボヴァリー夫人』(1857)
19 ユゴー『レ・ミゼラブル』(1862)
20 モーパッサン『女の一生』(1883)
21 ゾラ『ジェルミナール』(1885)
22 ロラン『ジャン・クリストフ』(1904-12)
23 マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』(1922-39)
24 ジイド『贋金つくり』(1926)
25 マルロオ『人間の条件』(1933)
ドイツ
26 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(1774)
27 ノヴァーリス『青い花』(1802)
28 ホフマン『黄金宝壺』(1813)
29 ケラー『緑のハインリヒ』(1854-55)
30 ニーチェ『ツアラトストラかく語りき』(1910)
31 リルケ『マルテの手記』(1910)
32 トオマス・マン『魔の山』(1924)
スカンヂナヴィア
33 ヤコブセン『死と愛』(ニイルス・リイネ)(1880)
34 ビョルンソン『アルネ』(1858-59)
ロシア
35 プーシキン『大尉の娘』(1836)
36 レールモントフ『現代の英雄』(1839-40)
37 ゴーゴリ『死せる魂』(1842-55)
38 ツルゲーネフ『父と子』(1862)
39 ドストエーフスキイ『罪と罰』(1866)
40 トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1875-77)
41 ゴーリキー『母』(1907)
42 ショーロホフ『静かなドン』(1906-40)
アメリカ
43 ポオ短編小説『黒猫』『モルグ街の殺人事件・盗まれた手紙他』(1838-45)
44 ホーソン『緋文字』(1850)
45 メルヴィル『白鯨』(1851)
46 マーク・トウェーン『ハックルベリィフィンの冒険』(1883)
47 ミッチェル『風と共に去りぬ』(1925-29)
48 ヘミングウェイ『武器よさらば』(1929)
49 ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』(1939)
中国
50 魯迅『阿Q正伝・狂人日記他』(1921)

フランス文学が多いんじゃないのとか、やはり「異邦人」は入れるべきじゃんとか、「ユリシーズ」は入れないとまずいんじゃないのとかいろいろ考えますが、1950年当時の氏の選択というのは、時代の証言という意味で面白いですね。

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日比野宏氏の死を知る(よって彼の遺作の本を買った)

2017-09-25 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

ラグビーの大家で、早稲田大学名誉教授の日比野弘氏でなく、写真家・旅行家の日比野宏氏が亡くなったことを9月16日に知りました。なんともう11か月も前です。土曜日なので自宅でゆっくりしていて、なんてこともなく「日比野宏」というので検索したら、氏の死を知ったのです。引用はこちら

>〔日比野宏氏(写真家)4日「心嚢血腫⇒大動脈乖離」で都内で急死(60)〕

(Nitewatch 2016年11月6日)

http://nitewatch.biz/news/hiroshi-hibino/
写真家・日比野宏さんが死去。享年60歳。
東京都 渋谷区出身。
フリーカメラマンとして
ファッション撮影を中心に活躍の後、
1987年より1年3ヶ月にわたり、アジア16ヶ国を旅し、
帰国後その過程をまとめて「朝日ジャーナル」に連載、
その後、文庫化、電子書籍化もされる。
以降、写真家、ジャーナリストとして活動していた。
*
沖縄・沖縄市に在住していたようですが、
東京「写真の学校/東京写真学園 」
の学校講師等の都内での仕事も多く、
沖縄⇔東京を随時、往復されていた模様。

~「写真の学校/東京写真学園 」公式ツイッター~
(2016年11月5日)
写真の学校講師でもあり、
アジアと沖縄とジャイアンツを心底愛した
写真家・日比野宏氏が昨日11月4日に他界されました。
ご生前のご厚情にスタッフ一同深く感謝するとともに、
日比野先生のご功績を偲び、
謹んで哀悼の意を表します。

~本人・公式フェイスブック~
https://www.facebook.com/hiroshi.hibino.56

(2016年11月5日)

少し前に、妹さんと一緒に
荒川警察署にて日比野さんに会ってきました。
眠るような穏やかなお顔でした。
心嚢血腫からの大動脈乖離だったとのことです。


~日比野宏さんのご友人・ご関係者の皆さま~
6日(日曜日) 15時〜 代々幡斎場にて
荼毘に付すにあたり、
ご遺族様よりご連絡がございます。
6日は、通夜・告別式等の葬儀は行わず、
後日、お別れ会を予定しております。
お別れ会については
詳細が決まり次第、改めてお知らせ致します。
最期に日比野さんのお顔を見ての
お別れをなさりたい方は
15時より少し前に斎場にお越しください。
15時には荼毘に付される予定となっております。
明日いらっしゃる予定の方は、
大変恐縮ではございますが、
このFacebookのコメントでお知らせください。
よろしくお願い致します。
代々幡斎場
渋谷区西原2-42-1

うひゃーです。私もひところ日比野氏の本をやたら読んだ記憶があります。物置にしまった本も何冊もありますが、まだ本棚に置いてある本も数冊あります。知っていれば、仕事なんかさぼって、ぜひ彼と最後の別れをしたかったくらいです。

氏はブログやHPを運営していたようですが、すでに閉鎖されている模様です。上にURLがはられているfacebookはまだありました。そこの自己紹介から引用します。

>東京生まれ、渋谷育ち。高校時代に8ミリカメラを手にして、自主映画製作に目覚める。卒業後、映画製作を学び、8ミリや16ミリ映画の作品を作る。現在一部は YouTube にアップしている。

1980〜1984テレビ朝日スチール写真部に所属。仕事のかたわら独学でモデルの作品撮りをおこない、ポートフォリを制作。退社後、営業活動をはじめ、80年代中ごろからファッション・ポートレートを中心に、フリーカメラマンとして活動。流行通信、ハイファッション、マリクレール、ウィズ、ソフィアなどメジャー雑誌のグラビアを中心に撮影する。

80年代中頃よりアジアに興味を抱き、同時に、作家になりたい野望を抱く。商業写真に見切りをつけて、すべての仕事を放てきし、87年11月よりアジアを1年3か月にわたって旅する。帰国後その過程を写真と文章にまとめ、90年の朝日ジャーナルノンフィクション大賞を受賞。その後『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)『ホットドッグプレス』(講談社)に連載。91年4月に処女作『アジアASIA亜細亜 無限回廊』『同2 夢のあとさき』(新評論、のちに講談社文庫)を出版。90年代は、紀行作家として数多くの単行本・雑誌連載を手がける。著者物は現在Amazonや楽天サイトで購入可。電子書籍としてKindle版も配信する。

21世紀に入り渋谷の「東京写真学園」(2002〜2015年)で専任講師を務める。写真関連の書物を出版し、中国や台湾向けに翻訳される。また小説やドキュメンタリー「沖縄東京三線旅」を執筆中。
現在、沖縄と東京を行き来して歌三線を学び、写真や映像作品と、沖縄民謡を融合した芸術活動を構築中。沖縄での写真講師をおこなう。

もう十何年旅行関係の本も出版していないし、私も氏のことを思い出すこともあまりなかったのですが、ただ彼が、沖縄に凝っていることは知っていました。上の記事にもあるように、彼は都内の写真学校で講師も務めていまして、私もよっぽど彼に写真を習おうかと思った時もあります。それは実現しませんでしたが、しかし私が読んだあまたの旅行本の中でも、氏の文章や感性は、私とよく合致していたと思います。そんなことを描くのはおこがましいですが、やはり自分が強い影響力を受けた方が亡くなるのは残念ですね。私が旅行好きな理由も、そのいくらかは、彼の本を熟読したせいです。

それで私も全然知らなかったのですが、氏のたぶん遺作となるであろう本が今年の7月に出版されました。これを氏の死を知った土曜にAmazonで注文し、すぐ配達してもらいました。

沖縄三線秘境の旅

Amazonレビューでは、写真があんまりないじゃんという苦言がありますが、私個人は氏の文章が好きなので、それは苦にはなりません。もっともこれは実現は難しいでしょうが、氏のアジアを中心とする写真集のたぐいが出版されればいいなとは思います。これを私はインドに持って行って読みました。インドのようなディープなアジアで日比野宏氏の本を読むのも悪くありません。

実はこの本の出版元が、ヤマハ系列の出版社なのです。つまり楽器のつながりでこの本の出版が実現したらしい。そのあたり、どういう事情で氏の原稿が売り込まれたのか当方の知るところでは無論ありませんが、でも本が出てよかったと思います。

本の内容は、写真はあまり多くなく、彼が沖縄に通いながら三線を習い始め、そしてそれにはまっていく姿を、沖縄での師匠や知り合った知人らの姿を描写しながらまとめたものです。さすがに旅行記を何冊も書いている方だけあり、うまく構成しています。著者は、写真関係の本を2010年に出版していますが、旅行関係の本は2002年以来の出版のようです。Amazonの紹介には、

>本書は十数年ぶりの著作となる。

とあります。もっと氏の旅行記を読みたかったのですが、年齢も高くなり、時代も彼が90年ごろに出した旅行記のようなものが読まれるようなものでもなくなっていたのでしょう。そういう意味では、旅行記というより沖縄という地とそこの楽器の修行をまとめたこの本は、単なる旅行記よりは時代にそぐうものなのかもしれません。

それでネットで確認したところ、彼の三線に関する動画がいくつか見つかりました。ご紹介します。

三線ダイジェスト

余談ですが、当然かもしれませんが、この動画のMCで彼が話していることは、だいたい上の本に書かれています。

こちらは氏の撮ったアジアの女性たちの写真です。

AsianGirl

そういうわけで、日比野宏氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。日比野さん、安らかにお眠りください。

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PL学園は、PL教傘下の高校だから野球が強かったし、だから廃部に追い込まれた

2017-05-26 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット

昨年PL学園とその野球部に関する記事を2つ書きました。

世の中理不尽な災難にあうこともある

PL学園は、野球に特化しすぎたので、野球のあとがなかった

それでその後、PL学園野球部は夏の甲子園大阪府予選一回戦で敗退、休部となりました。現段階復活の目途が立っておらず、事実上廃部となりそうです。今年3月には、大阪府高等学校野球連盟に対して脱退届を提出しました。このときと予選敗退の際は、いくらか拙記事へのアクセスもありました。

それで上の本が、そのPL学園野球部の歴史から休部・廃部にいたる事情について詳しく書いてあるというので、さっそく入手して読んでみました。以下本に書いてある内容を紹介して、若干私のコメントを交えていきます。

PL学園という高校は、たぶん1980年代は、日本でもっとも知名度の高い高校(のひとつ)ではなかったかと思います。好き嫌いやいいわるいは別としてです。当時は今より野球に人気がありましたし、高校野球や甲子園への社会的関心も高かった。おまけにPLは桑田真澄清原和博立浪和義宮本慎也、時代はちがいますがのちには前田健太などの別格のすごい選手をプロ野球界に送り込みました。またプロ野球の監督、コーチングスタッフら指導者になった人も少なくないし、アマチュア球界でも野球を続けていて指導者になった人も多いわけです。PL学園卒業後、青学大に進学、後にJR東海で選手、コーチをした故・伊藤敬司氏もその一人でしょう。立浪と同級生の彼がALSを発病しなければ、当然JR東海の監督になったはずです。氏については、昨年記事(「世の中・・・」の記事)を書いています。ともかく大変野球界ほかへの影響力の強い野球部だったし、その野球部を抱える高校だったわけです。応援の際の人文字は、まさに甲子園名物でもあったし、高校野球名物、夏の風物詩というレベルで知られていました。

そのPL学園も、PL教団の力がその絶頂期であった83年2月に第二代目の教祖(という言い方を、PL教団はします)が亡くなって次第に時代が変わると共に、野球部への援助が減り、またそれまでは不問、見て見ぬふりをされてきた暴力ほかの不祥事が明らかになってくるようになりました。監督の交代もあり、ついにはPL学園校長などが素人監督を務めるようになり、特待生も2013年度までで取れなくなります。PL学園高校自体200人を遥かに下回る生徒しかいなくなってしまいました。PL教団も、信者実数数万人とまで言われる苦しい状況になり、とても野球部に力を入れられるような状況ではなくなります。

そしてPL学園は、2014年に15年以降の新入野球部員受入の中止を発表します。つまり16年の夏の大会が、PL学園硬式野球部(PLには軟式もあります)の最後というわけです。

まさに野球部としても、最悪にも程がある事態になってしまいましたが、個人的には、強豪でなくても、同好会に毛が生えたくらいのものでもいいから、部を存続させてあげればなあと思いますが、けっきょくPL学園が極端に強い野球部を作れたのも、今回部の存続すら許されず事実上廃部ということになったのも、表裏一体だったのだなと思います。

PL学園がなぜ強い野球部を作れたかというと、1人のキーパーソンがいたわけです。井元俊秀氏という人物で、彼は上で書いた2代目教祖と親しい間柄で、PL学園野球部の監督なども歴任しましたが、もっぱらスカウトとしての役割を果たしました。彼は教祖の側近として日本中を回り、同時に日本各地の優れた野球少年たちを発掘しました。井元氏の力によって多くの優秀な選手がPL学園の門をたたいたし、その選手たちが活躍してPL学園の強さを実績をもって示したし、そのことによってますます多くのすごい選手がPLに入ってきたわけです。

そして、他校もPL学園同様の野球部強化をするようになり、また教団からも以前ほどの援助や支援が得られなくなってきた2001年、2年生が暴力を1年生にふるい1年生は退部退学、損害賠償請求の裁判が起きて、監督解任、出場停止ということになり、井元氏も(一応定年退職だったとのことですが)教団を去ります。これらにより、PL学園野球部の選手集めは非常に支障をきたすようになっていきます。

その後も監督の暴力、部員の暴力、監督の解任その他が生じ、けっきょく最終的にPL学園野球部は休部、事実上の廃部に追い込まれたわけです。個人的には、確かに教団が今後もPL学園野球部にかつてのような潤沢な援助を続けるのはできない相談だと思いますが、監督に素人を起用するとか、新入部員受入を打ち切るといったことはまずいんじゃないかなと思います。PL学園野球部の監督は、

>次期監督も、まず教団にとって適した人であり、学園がふさわしいと判断する人でなければなりません。(中略)当然、野球部の監督にも信仰心は認められます。(正井一真PL学園校長・野球部監督(いずれも当時)の談話 上掲書p.158~159)

とのことですが、そのような人はいくらだっているでしょう(苦笑)。それでこれが一般の高校なら、強豪でなくてもいいから、一般の高校の野球部と同等で構わないという考えで継続することも可能でしょうが、理由はともかくPL学園の場合、教団のトップが野球部の存続に意義を見出さなければ、このような極端な事態にまでなってしまったということです。つまりトップダウンが極端な形になると、強化も井元氏のような有能な人材が仕事以上の熱意で動いてくれるし、中村順司監督のようなすごい指導者も現れたわけです。

そしてこれが、トップほかの最高幹部たちが野球部を重荷に感じる、あるいは厄介者、迷惑に感じるようになったら、それがまるっきり反転したわけです。強化費が回らなくなるくらいはまだ仕方ないとして、野球経験がない人間が(職務命令で)監督を務めるとか、練習を補助していた有能なコーチが追われたり、野球部を存続させることすらできない相談になってしまったわけです。

私見では、野球部の廃部は仕方ないとしても、なぜ廃部しなければならないかという現状を率直に教団側は部員、学園関係者、保護者、元野球部員その他にきっちりと説明する必要はあるんじゃないかと思います。私は部外者ですからいいですが、内部関係者はぜひ説明してほしいと考えているんじゃないんですかね。教団にもそれくらいの説明責任はあるでしょう。

で、現トップとPL学園同級生である接骨院経営者の方(PL学園そばに居住していて、野球部員のケアもしていたとのこと)は次のように語ります。

>教団の信者数が減少していることや、学園の経営が厳しくなっていることを口にすることは、現在の教祖の教えを否定することになる。宗教団体のトップとして、とてもそんなことは公表できません」(上掲書p.254)

それは確かにそうだろうと私も思います。思いますが、どうもなあですね。そしてこういうあたりが、けっきょく宗教団体であるが故の構造的唯我独尊体制の弊害なのでしょう。宗教団体でも、もう少し民主的(???)に運営されていたら、たぶんまた違った可能性はありうるのでしょう。カリスマ的トップダウンの体制が悪く働くとこうなるわけです。他の私立高校、公立高校も、野球部に限らず部員減少により部活がつぶれるというのはともかく、このような強権措置は取られないのではないかと(勝手に)考えます。

PL学園の生徒は、2016年の段階で180人くらいしかいないそうで、これでは学園の存続も厳しそうです。人文字の応援などとんでもない話です。教団の存続も厳しいという人もいます。

過日の記事で私は、

>スポーツというものもいろいろ新陳代謝を必要とします。選手や指導者の入れ替わりは当然として、ある時期の人気スポーツがその後もそうであるとは限らないし、スポーツのあり方や方針もいろいろ変わっていくしまた変わらないと困ります。

と書きました。野球の人気も昔ほどではありませんが、人気のあるチーム、強い野球部も、時代と共に変化していくし、またいかざるを得ないということなのでしょう。

ところでPL学園最後の野球部員たちは、3年生12人、うち1人は白血病を患って1年留年して今年は記録員ですから試合に出られません。おまけに大阪府予選1回戦(結果的に最後の試合となりました)の試合前日に2人の部員が練習中の怪我で1人骨折、1人亜脱臼という事態になりました。最後の試合を、怪我や熱中症などで1人が続行不能になったら放棄試合になるところでした。出場する選手の中にも怪我で満足にプレーできない選手がいるくらい苦しい状態でしたが、なんとか試合を続け、7-6で負けました。負けは仕方ありませんが、せめて監督くらいは野球経験者ができなかったのかという気はします。できなかったのではなくて、教団側(これは学園よりもっと上の判断です)があえてそうさせたわけですが、これは野球部員が気の毒です。

なお2014年にPL学園野球部に入学した生徒は13人、うち2人が1学期中に退部しました。その年の11月、つまり2学期中には新入部員が今後入らないということが発表されましたので、この時点でPL学園を見限って他校に転校する野球部員がいても仕方ないところですが、結果として1人も退部せずに最後の試合を迎えることができました。すでに行くところがないとか、いろいろな思惑や事情はあったでしょうが、なにはともあれ最後の野球部員として活動できたことは、いろいろな点でよかったと思います。生徒たちも「話が違う」「それはないだろう」と思ったことは多々あるでしょうし、彼らが退部したところでそれを「悪い」とか「ぜひ最後までPLでがんばってほしい」という権限は誰にもないでしょうが、悔しさやつらさもふくめてなんとか野球部生活を全うできたのは彼らにとってもいろいろな財産になるでしょう。

本はとても面白いので、ぜひお読みになってください。

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