ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ダリヤ・クリシナの写真をしばらくぶりにご紹介

2015-06-30 00:00:00 | 美女探求

ロシアの走り幅跳び選手のダリヤ・クリシナ(Darya Klishina)について、最近あまり注目していなかったのですが、しばらくぶりに写真を収集してみました。

昨年5月、東京での大会にて。

昨年の欧州選手権にて。銅メダルを獲得。

今年の5月、川崎の大会での彼女。

 

今年の5月29日、オレゴンでの大会の彼女。美人はどんなポーズを取っても絵になります。

 というわけで、この美女にはこれからも注目したいと思います。

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香港・マカオ紀行(2015年6月)(6)

2015-06-29 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

翌朝ホテルを出て(まだチェックアウトはしていない)朝食を食べに行きます。画面が曇っているのは、湿気でレンズが曇ったためで、ガスが出ているというわけでは(もちろん)ありません。

東南アジアなどでも、冷房をガンガンに効かせてあるので屋外に出るとすぐに濡れてしまうということはあります。レンズをふきました。

日本映画のポスターがありました。こういう映画も公開されるんですね。

地下鉄に乗ります。

旺角へ行きます。

このあたりも下町というよりだいぶ大きなビルが目立ちますが・・・

こういう古いビルを見ていると「うーん、いいなあ」と無責任なことを考えてしまう私。それにしても右側の看板を見ると、やはり日本料理や韓国料理は、一定の人気を確保しているみたいですね。

今日朝食を食べるのは、こちらです。店名からするとスタイリッシュなレストランを志向しているような気もしますが、立地からわかるように、実際には庶民派を目指しているところです。飲茶をいただきます。「地球の歩き方」にものっている店です。

店内はかなり広くごった返していました。

相席で、こちらの男性と同じテーブルでした。

お茶(プーアール茶)をいただきます。これをなくして飲茶ははじまりません。

日本語メニューもあります。

大量にチェックしてしまいました。

客層は割と年齢高めでした。空いているテーブルもありますが、そこには「××先生」とかのプレートが置いてありました。常連客用のテーブルということでしょう。

本来このレストランはワゴンサービスをするのが売りなのですが、私は伝票で注文したので、とりあえず今回は利用しません。人件費が高いので、最近はワゴンサービスをするレストランは減っているとのこと。

これだけ食べたら、さすがに私もそれ以上追加する気をなくしました。

店を出ます。

まだ朝ですが、今日の宿も手配しなければなりません。

(つづく)

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香港・マカオ紀行(2015年6月)(5)

2015-06-28 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

 

このビルは、なかなか特徴があります。

こういう深夜でも、女の子のグループが歩いているというのが、現在の香港の治安の良さを物語っています。正直私も、歩いていて危険を感じませんでした。

ここで夕食(夜食)をいただきます。香港に来るたびに食事している店です。

海老の粉をまぶした麺(スープなし)と―

ワンタンをいただきます。やはりおいしい味です。

帰りは、徒歩でホテルに戻ります。

このような時間でも両替屋が開いているのは、香港らしいというべきでしょうか。

ここのマクドナルドにちょっと寄ってみます。

内装はわりとスタイリッシュです。

私は旅の最中は、グリーンのマイバッグで行動します。

酒と甘いもの、どちらかをやめろと神に言われたら、喜んで酒をやめる(つもりの)私。

またホテルに向かってネイザンロードを歩きます。

左の白いスカートの女性のような、「お!」と思うようなスタイルのいい女性も、香港にはけっこういます。

ホテルに戻ります。今日はお休みなさい。しかし手前の女性、脚長い・・・(たぶん大陸からの観光客)。

(つづく)

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フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ(2015)(4)

2015-06-27 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

 今日もドルレアック姉妹の写真をご紹介。

また気が向いたら写真をご紹介します。

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フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ(2015)(3)

2015-06-26 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

 本日はフランソワーズ・ドルレアックの誕生日ですので、今年も飽きずに写真を特集します。写真が小さいのは乞うご容赦。

右は、義弟だった写真家のデヴィッド・ベイリー

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沖縄戦の番組を見て、「ペリリュー・沖縄戦記」を再読しようと思った(6月24日発表)

2015-06-25 00:00:00 | 社会時評

沖縄戦というのは、このようにすれば非戦闘員(民間人、住民)に甚大な被害、膨大な死者が出る、と容易に予想できることを方端から実行した戦闘だったと思います。

もちろん初めから、沖縄に上陸した米軍に勝てるわけもありませんが、普通なら首里が陥落した時点でどこの軍隊も降伏します。それ以上戦っても、敵味方双方無用な戦死傷者を出すだけだし、しかも南部に下がって住民を巻き込みながら戦闘を続けた。しかも司令官は、Wikipediaの沖縄戦の記事の文言を借りれば、

>この戦闘継続の原因は、牛島中将の最後の命令が「最後の一兵まで戦え」として降伏を許さないものであったことや

というわけで、これでは甚大な被害が戦闘員だけでなく民間人にも生じるのは当たり前です。6月14日にNHKで、「沖縄戦 全記録」という番組が放送されました。HPでは、

>日本軍は沖縄戦を、本土進攻までの“時間稼ぎ”と考えていた。しかし戦争も末期、兵力不足は深刻で、女性や子どもまでも戦場に動員。軍民が“一体”となった状態で持久戦を行った結果、住民の犠牲が激増していた。一方、沖縄戦を短期間で決着させようとしていたアメリカ軍。住民の犠牲を極力避ける方針を掲げていたにもかかわらず、実際に戦闘が始まると、ゲリラ的戦いを繰り広げる日本軍に手を焼き、攻撃は無差別に。地形が変わるほどの砲弾の雨を降らせ、日本兵と住民が混在する洞窟を焼き尽くすなど、戦いは凄惨なものになっていった。

と解説しており、番組でも、首里陥落以降に南部で膨大な住民が死亡したことが取り上げられています。

なお、NHKの番組のHPでは、

>なぜ、9万人超もの住民の命が奪われるに至ったのかー。

とありますが、私がいろいろ勉強させていただいているinti-solさんは

>引用記事には「日米合わせて20万人以上、県民の4人に1人が命を落とした」とあります。これは、沖縄戦の犠牲者数についての一応の公式見解である、日本側約18万8千人、米軍側約1万4千人という数字に基づいています。このうち、民間人の犠牲者は9万4千人とされています。
ただし、実際の犠牲者数は、この数字よりは大きい可能性が高いようです。軍人の犠牲者数については、日米ともに比較的正確(誤差はあるはずですが、何万もの差ではない)と推定されています。問題は民間人の犠牲者数です。民間人の犠牲者数は、じつは調査されていません。1944年と46年の人口統計の数字の差を基にして、そこから県外への疎開者数を引いて、先島諸島での犠牲者数(これも、沖縄本島の犠牲者数の1割という、きわめてアバウトな推定)を足してはじき出したのが民間人の犠牲者数です。つまり、簡単に言えば、人口統計で減った分が犠牲者だ、というわけです。
ところが、ここにいくつかの問題があります。まず、1944年の人口統計には、軍人軍属は含まれていないのに対して、1946年の統計には復員した元軍人軍属は含まれています。島外への疎開者は、全員が生きている前提での計算ですが、実際は対馬丸撃沈など、島外疎開者から多くの犠牲者が出ています。また、1944年時点では沖縄に在住していなかったが、46年には在住していた人もある程度の人数存在します。戦前、サイパンなど南洋諸島には多くの沖縄住民が移民していましたが、その多くは1944年には沖縄におらず、46年には帰ってきていました。島外に出征していた沖縄出身の元軍人も同様です。
さらにいえば、1946年の人口統計は数字の水増しがあった可能性が指摘されています。食糧の配給が、人口統計の数字によって決められたため、人口を多く報告するほうが多くの食料がもらえたためです。そしてもちろん、この間2年間の人口の自然増というものもあります。
これらの要素を加味すると、44年と46年の人口統計の差より、実際の犠牲者数のほうがはるかに多い可能性が高いのです。民間人の犠牲者は15万人以上ではないか、という研究者もいます。

1944年の時点での沖縄の人口は約49万人ですから、民間人の犠牲者を9万4千人としても、人口の1/5近く、沖縄出身の軍人軍属2万8千人を加えれば、引用記事にあるように、人口の1/4が亡くなっています。しかし、もし民間人の犠牲者を15万人とすれば、軍人2万8千人とあわせて18万人近く、全人口の1/3以上が犠牲になったことになります。

書かれています。たった3か月弱の戦闘でこの犠牲者数ですから、そのすさまじさには声を失います。

それで読者の皆さまに、ぜひおすすめしたい本があります。この本です。

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

著者のユージン・スレッジは、海兵隊員として沖縄戦に参加しています。本来彼は、全線で戦わなくてもいい立場だったようですが、あえて一兵卒として志願して、ペリリュー島と沖縄で戦ったわけです。「プラトーン」の主人公のような趣があります。

内容は、すさまじいの一言に尽きます。米軍でこれなのだから、日本軍やましてや民間人の地獄の状況は推して知るべしです。細かく解説する必要はないでしょうから、私のこの記述を読んでこの本にご興味をお持ちになったら、是非お読みになってください。

私がこの本を読んだのは、ずいぶん以前のことだと記憶しますが、今年は戦後70年でもありますので、また再読したいと思います。

なお、この記事は、inti-solさんの上に引用した記事に大きく依存しています。いつもながらありがとうございます。またこの記事は、6月25日の日付ですが、24日に発表することをお許しください。 

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エヴァ・グリーンの美しい(すごい)肉体(裸)

2015-06-24 00:37:39 | 美女探求

欧州の女優は米国の女優などと比べて脱ぎっぷりがいいところがあります。映画全体が、性描写がはげしいところがある。フランスなどは、えー、ここまでやっちゃうのと思うこともしばしばです。前にも紹介したフランソワ・オゾンの「17歳」や などは、18禁の映画なのも仕方ないくらいのはげしい性描写を、すごい美女がやってくれます。それを私たちは見ることができる。いやあ、いい時代に生まれたものです。いや、安倍みたいな馬鹿が首相だから、そんなにいい時代ではないか。

安倍みたいなクズはともかくとして、それで今回ご紹介するのは、やはりフランス出身ですが、ボンドガールもつとめたエヴァ・グリーンです。同じボンドガール(彼女は敵役ですが)だったソフィー・マルソーなども英米映画に出演していますが、子役といっていい年齢から活躍していたのだからちょっと芸能界での位置づけは違いますね。

エヴァ・グリーンの伯母(父親の姉妹、年齢からすると姉の可能性が高いかも)は、スウェーデン人女優のマリカ・グリーンです。彼女は、「エマニエル夫人」で、考古学者を演じた人です。実は彼女は、ロベール・ブレッソンの映画で素人女優としてデビューし、その後も映画界で活動しています。

で、「ドリーマーズ」では、彼女は性器まで見せちゃっています。日本版ではぼかしが入っていますが、動画サイトでは無修正の動画が見られます。はりつけるのは(gooから文句がきますので)ひかえますが、簡単に検索ができますので、見たい方はご自分でお調べください。

というわけで、エヴァ・グリーンのヌードを。彼女も30代なかばですが、CGの助けを借りているのかもですが、最近でも豪快にヌードを見せてくれちゃいます。

 

白黒の写真は、「シン・シティ 復讐の女神」より。

彼女は、1980年7月5日生まれで、この記事執筆時でもうすぐ35歳です。

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「ライアンの娘」に出演していたクリストファー・ジョーンズの死を遅ればせながら知る

2015-06-23 00:00:00 | 映画

2日続けて死の記事を書くのも嫌ですが、やはり書かないではいられないので。

日曜日、前にも記事にした「ライアンの娘」を見ました。それでネットで検索していて、主人公の女性(サラ・マイルズ)と不倫する英軍将校を演じた米国人俳優のクリストファー・ジョーンズの死を知りました。もう昨年の話です。

第二のジェームズ・ディーンと言われた『ライアンの娘』のクリストファー・ジョーンズさん、死去

2014年2月9日

 映画『ライアンの娘』『鏡の国の戦争』のクリストファー・ジョーンズさんが、がんの合併症によりカリフォルニア州の病院で亡くなったとThe Hollywood Reporterなどが報じた。72歳だった。

 クリストファーさんは第二のジェームズ・ディーンと呼ばれ、大注目された俳優だったが絶頂期に引退している。2007年のインタビューによると、ハリウッドで活躍していた当時、彼はロマン・ポランスキー監督の妻だったシャロン・テートさんと不倫をしていたとのこと。シャロンさんはポランスキー監督が家を留守にしていた1969年8月に妊娠8か月半で殺害され、そのショックでクリストファーさんは引退したらしい。

 カムバックもまったく考えていなかったようで、クエンティン・タランティーノ監督が映画『パルプ・フィクション』のゼッド役をオファーしたが断られたと以前に語ったことがある。

 最近では芸術家として活躍をしており、ハリウッド・フォーエヴァー墓地には彼が描いた名優ルドルフ・ヴァレンチノさんの絵が飾られているとのこと。(澤田理沙)

上の記事は、2月9日付けですが、実際に亡くなったのは1月31日とのこと。

ほかにも死を報じている記事があるのかもですが、たぶん日本では話題にもならなかったと思います。それは当然で、彼は「ライアンの娘」出演後映画界を去り、唯一出演したのが、四半世紀後に公開された「マッド・ドッグ」でした。それから亡くなるまでの20年弱、彼が映画界に復帰することはありませんでした。

正直上の記事は、彼の軌跡を非常に手際よくまとめてくれているので、これに付け加えるところもあまりないのですが、上のシャロン・テートの死以外にも、「ライアンの娘」でのデヴィッド・リーンの演出の厳しさも、彼にとって精神的に大きな負担だったようですね。もともとこの映画での英軍将校役は、マーロン・ブランドにオファーされていて、ほぼそれで決まっていたのですが、スケジュールが合わずに流れました。ほかにピーター・オトゥールリチャード・ハリスリチャード・バートンなども考慮されていましたが、けっきょくリーンが彼を気にいり、抜てきしたわけです。ただどうも現実には、リーンが要求するだけのものをジョーンズはなかなかこなせなかったようで、これも彼が映画界での今後に希望をなくした理由だったようです。

映画では、少佐という立場はやや彼の実年齢(1941年生まれで、撮影はもっぱら1969年)にそぐわない感があり、実際の年齢の設定はたぶん30代半ばくらいなのでしょうが、個人的な意見では少々演技に難があったように思います。マーロン・ブランドやピーター・オトゥールはちょっと別格ですから比較しても気の毒ですが、本来だったら演技開眼すべき映画の出演で、結果的にキャリアを終わらせてしまったのは、本人の問題ですから仕方ないことですが、やはり残念なことでした。

なお、映画での彼の台詞は吹き替えられています。これも、彼にとってはとても面白くなかったことでしょう。

「ライアンの娘」については、いろいろ書きたいこともあるのですが、本日はクリストファー・ジョーンの死を読者の方にお知らせして記事を終えます。クリストファー・ジョーンズさんのご冥福をお祈りします。

最後に、こちらの記事魚拓)は、サラ・マイルズのコメントなど貴重な内容が書かれていますので、興味のある方はお読みになってください。

Christopher Jones

(1941-2014)

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続けざまに報じられた「ドラえもん」の前の声優たちの報道に、時代の流れを感じた

2015-06-22 05:40:01 | Weblog

すでに読者の皆さまご存知の記事を。

2015.6.19 16:56更新

ジャイアン、ゴリライモ、トンズラーの声優、たてかべ和也さん死去 80歳

 アニメ「ドラえもん」のジャイアン役で知られる声優、たてかべ和也(かずや、本名・立壁和也=たてかべ・かずや)さんが18日、急性呼吸器不全のため東京都内で死去した。80歳。通夜は23日午後6時、葬儀・告別式は24日午前11時半、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。葬儀委員長は所属事務所社長で声優、堀内賢雄(ほりうち・けんゆう)氏。

 北海道出身。テレビ朝日系で昭和54年から放送されている「ドラえもん」のジャイアンの声を、平成17年まで担当。「ど根性ガエル」のゴリライモや「タイムボカンシリーズ」のトンズラーやワルサーといった悪役など、太ったいじめっ子や憎まれ役を数多く演じた。

ゴリライモも たてかべさんだったっけ、と思いました。80歳か。「急性呼吸器不全」という病名も、その実態はよくわかりませんが、つまりがんか何かで身体が弱っていたということでしょう。

で、この記事を読んで私が思いだしたのが、私も記事にした大山のぶ代の件です。

大山のぶ代が認知症になったという報道を聞いて感じたこと

その時の記事では、大山の年齢を「78歳」としましたが、彼女が年齢を若く称していたことが公表されて、実際は1933年10月生まれの現段階81歳(今年82歳)であることがわかりました。大山が認知症になったのは数年前、たてかべも急死ではないようですから、ある程度の期間体調を崩していたわけです。もうそういうご年齢なんですねえ。

のび太の声を担当していた小原乃梨子は、Wikipediaによれば1935年10月生まれで、誕生日が来れば80歳です。スネ夫の肝尽兼太も同じ1935年生まれで、主要声優の4人は、だいたい同じ年齢だったわけですね。彼(女)らは、私が好きで記事にもした野沢那智より年長でした。個人的には、これはちょっと意外。野沢さんは、1938年生まれです。お亡くなりになったのは2010年です。

野沢那智が亡くなった

私はアニメの声にはそんなに知識も興味もないし、たてかべさん自身は(もちろん洋画吹き替えもしていましたが)アニメでの活躍が多かったと思うので、そんなに思い入れがあるわけでもないのですが、しかし「ドラえもん」の声優たちが80歳くらいの年齢になったとなると、認知症になったりお亡くなりになるのも当然だよなあと感じます。テレビ朝日でアニメが始まったのが1979年、その時はまだ彼(女)らは40台半ばくらいだったわけです。36年も前の話ですから、彼(女)らが80歳になったって不思議でも何でもありませんが、やはり寂しいですね。

たてかべ和也さんのご冥福を祈って、この記事を終えます。なお上の写真は、2004年3月30日撮影とのことです。

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香港・マカオ紀行(2015年6月)(4)

2015-06-21 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

重慶大廈の中は、インドやその系統と思しき人たちが目立ちます。香港の中の別世界です。

看板にもあるように、ハラル処理した食物を売る店などもあります。

ここの両替所で20,000円交換しました。「地球の歩き方」によると率のいい両替所とのこと。あまりの暑さに私が全身汗だくでいると、インド系の店員が「おい、外は雨が降っているのか?」と冗談とも本気とも付かぬことを言い、私にティッシュをくれました。香港で、しかも勘定高いインド系の人がこんなことをしてくれるとは非常に意外です。

明日は、ここの某ゲストハウスに泊まるつもりですが、とりあえず本日はこれで退散します。

重慶大廈の入口から撮りました。

だいぶ暗くなってきました。

重慶大廈の前でたむろるインド系その他の人たちの姿は変わりません。

今日泊まるのは、その重慶大廈の南隣にある「帝國酒店」です。非常に便利なところにあるので昔から知っていますが、レビューその他の評判は必ずしも高いとは言えません。今回予約したのは、サービス料込で605HK$という安さからです。宿泊料その他が高騰している香港では、場所からしてもかなり安い価格です。

チェックインを済ませます。カウンターに、汗を落としてしまいました。

部屋は意外といい部屋です。これで605HK$なら文句がありません。たまたま私の部屋がいいへやだったのか、改装したので全般的にレベルが上がったのかは定かでありませんが、今日の私は「当たり」でした。

ネイザンロード沿いのホテル(重慶大廈の宿をふくむ)には何回も泊まったことがありますが、窓からネイザンロードを望んだのは、あるいは今回が初めてかも。なかなかの眺めです。

暑さにだいぶ身体が参ってしまい、寝てしまいました。

起きたら11時ちょっと前くらいでした。まだ時間があるので、夜の街に繰り出します。

こちらの映画ですかね。何回かこのポスターは見かけました。

地下鉄に乗り、佐敦(Jordan)の駅へ。歩いたっていいけど、時間を稼ぐために地下鉄で。

Wikipediaでは、

>大通りに面した一等地は、ネオンサイン輝く不夜城である。

と紹介されています。まあそういうところです。

マカオ発祥の牛乳プリンの店に行きます。

日本語メニューを出してもらい、牛乳プリンとコーヒー牛乳プリンをいただきます。暑い日には、こういう冷たいデザートに限ります。

遅い時間ですが、地元の人でにぎわっています。

店を出ます。締めの店に行かなくてはね。

(つづく)

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