ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

いらいら(スロヴァキア人モデル編)

2018-04-30 00:00:00 | 美女探求

 前に何回かやった、きわどいところまでしか見られない「いらいら」を。ただ日本のグラビアモデルと違って彼女は本当のヌードモデルですから、オリジナルのサイトでは全部見せちゃっています。今日は何回も登場してもらっているスロヴァキア人モデルを。

 

いらいらしていただけましたでしょうか。

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コルカタ紀行(あと昆明・上海)(2017年9月)(18)

2018-04-29 00:00:00 | 旅(インド・パキスタン・バングラデシュ・ネパール・スリランカ)

さらに街を歩きます。

タクシーに乗ればいいのですが、最大限タクシーは乗らないようにしているので、歩きが基本です。それはそうと、まだかなりシンプルな番号の車のナンバーですね。

遅い時間でも露天は営業をしています。

ここで空間と時間がワープして、今日の夕食を食べる店です。

「地球の歩き方」に載っているある程度高級な店です。

キングフィッシャービールをいただきます。

チキンビリヤニです。

タンドリーチキンもいただきます。

暑いのでデザートもいただいてしまいました。

店を出ます。だいぶ疲れたので、今日はおとなしく(昨日もですが)帰ることにします。

暗いし道もよくわからないので慎重に帰ります。

ここで我が人生初めての経験をしてしまったのですが、バイクに私は轢かれてしまいました。といったら大問題ですが、車輪が私の右足の甲に乗っかったのです。が、たんに乗っかった(足を踏まれたのと同じ次元)だったので、ああいいよいいよとさっさと去ってしまいました。これで後遺症が残ったらやばかったのですが、まあそんなこともなかったのはよかったのですが、しかしこれはよくないですね。やはり医者に行くか警察を呼ぶか(逃げえる可能性が高そうですが)して、旅行保険には加入しているのだから、それはちゃんと対応する必要があったかと思います。

地下鉄に乗り、無事ホテルに戻ります。

暗いコルカタの中では、なかなかきれいに電気をともしてくれます。

(つづく)

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コルカタ紀行(あと昆明・上海)(2017年9月)(17)

2018-04-28 00:00:00 | 旅(インド・パキスタン・バングラデシュ・ネパール・スリランカ)

こういう風にゴミが大量にぶちまけられている光景は、やはり先進国とは違いますね。

水関係ですかね?

こういう物を売っている光景というのは写真になります。

この旅行ではこのような店に行く機会がありませんでしたが、次回の旅ではぜひ食したいものです。

ザックを背負ってバイクに乗っている人物(男性? 女性? たぶん男性でしょう)と、その左の白と黒を着た夫婦(?)というのが、いろいろコントラストがあって面白く感じました。

このようにペンキ屋があるわけです。

食堂です。

ブルーで幻想的?

こういう街灯のない道を歩く際は注意が必要です。

地下鉄に乗って、今日の夕食を食べに行く所存です。右の青い看板は、ホテルです。

理髪店はたくさんあります。

こういう手のひらのイラストというのは、やや不気味な印象があります。

このように果物も売っています。

やはり人が多いですね。

もうしばらく歩きます。

(つづく)

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今日から香港、中国、マカオに行きます

2018-04-27 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

今日から、香港に行き、ついでに中国で1泊、マカオに1泊します。今回は、マカオ中心の旅になります。

マカオで泊まるのはずいぶんしばらくぶりです。今回も特に泊まる気もなかったのですが、香港の宿があまりに高すぎて、これならマカオに泊まるに限る(深圳に2泊したってしょうがない)といったあまりに安易な考えです。まあ私の旅なんて、そんな安易な考えの連続です。

いつの発表になるかはわかりませんが、またごってり写真をお見せしますので乞うご期待。

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コルカタ紀行(あと昆明・上海)(2017年9月)(16)

2018-04-26 00:00:00 | 旅(インド・パキスタン・バングラデシュ・ネパール・スリランカ)

だいぶマザー・テレサの教会に近くなりました。

こういう電飾も、ややコルカタのイメージと違いますね。またイスラム系の建物もあります。

右側に捨てられているごみが気になります。

こういう雑貨屋も、いかにもインドだという気がしました。やはり発展途上国にこのような店は多く見かけます。

 

親が子どもの手を引く光景は、世界中変わりません。

ここも理髪店ですかね。

民族衣装を着ているのは女性ですかね。

うーん、なんだかいかにもインドっぽい建物・・・というのは、私の偏見?

こういう店で食事をしてもよさそうです。

いよいよ、教会のある通りにたどり着いた模様です。

もうそれなりの時間ですが、子どもも結構外を出歩いています。

いいですね! 路上でこうやっていろんな種類の果物を売っている光景。バナナくらい買っておけばよかったな。

これがマザー・テレサの教会です。

なかなかきれいな女の子です。

今回の私はそういうことをしませんが、日本人でもボランティアをしている人がいるとのこと。

外見は、単なる建物という感があります。

犬が狂犬病ウィルスを穂インしている可能性があるので、注意して歩きます。

裏の(?)入り口です。写真を撮るのはさすがに控えましたが、中にインド人らしきシスターがいました。

こうやって犬が寝ているから最大限の注意を払うわけです。

いまにしてみれば、ここでバナナをひと房買ってもよかったなという気がします。

(つづく)

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アフリカ系日本人のプロスポーツ選手の先駆け(の1人)だった

2018-04-25 00:00:00 | スポーツ

元プロ野球選手で野球解説の仕事をしていた衣笠祥雄氏がお亡くなりになりました。記事を。

>“鉄人”衣笠祥雄氏が大腸がん死去、19日まで仕事

[2018年4月24日14時27分]

 元広島の衣笠祥雄氏が23日に死去したことが分かった。

 死因は上行結腸がん(大腸がん)。71歳だった。

 2215試合連続出場の記録を持ち「鉄人」として親しまれた。87年にはプロ野球界2人目となる国民栄誉賞も受賞した。76年盗塁王、84年打点王、MVP。通算2677試合、2543安打、504本塁打、1448打点、打率2割7分。96年野球殿堂入りした。

 19日に横浜スタジアムで行われたDeNA-巨人でTBSの解説を務めたのが、公の場に姿を現した最後になった。体調を気遣い「代わりましょうか?」と関係者から打診されたものの、仕事への強い意欲を示したという。

さて衣笠氏というと、彼がアフリカ系の日本人であることはよく知られています。氏は1947年1月18日、京都府京都市で生まれていますが、父親は黒人の米軍兵士で、その後父親とは連絡が取れておらず、差別もふくめてずいぶん苦しい目にもあったようです。

それで考えるに、衣笠氏は日本におけるアフリカ系の遺伝子を持つプロスポーツ選手としては、まさに最初期の人物かなと思います。実は、彼と同学年(1946年生まれ)のジョー山中は1963年ごろにプロボクサーでデビューしていて、彼が戦後日本における最初のアフリカ系日本人のプロスポーツ選手というわけではないかもですが、しかし相当早い時期のデビューであることは間違いありません。衣笠氏は1965年に広島カープに入団しています。

つまり日本が1945年に第二次世界大戦に敗北して、占領軍として多くの米軍兵士が日本にやってきました。その中には黒人兵もいて、彼らとの間に子どもを産んだ日本人女性もいたわけです。計算すれば、1946年から、アフリカ系の子どもが産まれはじめたわけで、その中に、衣笠や山中のような人たちもいたわけです。それ以前にも、米国やラテンアメリカ、あるいはアフリカなどで数はわかりませんが、、日本人とアフリカ系の間に子どもは生まれているはずですが、しかしたぶん米軍兵士との間ほどの大量のアフリカ系の子どもの出産は、おそらく日本の歴史始まって以来でしょう。

その後日本に、あまりアフリカ系日本人のアスリートが出てきたわけでもないのですが、最近世間で注目を浴びているアスリートに、アフリカ系の人が多くなってきていることは、私が述べるまでもないでしょう。例えば、

オコエ瑠偉

ケンブリッジ飛鳥

大坂なおみ

サニブラウン

などは、日本を代表するアスリートであり、またアフリカ系日本人です。なお、オコエがナイジェリア系、ケンブリッジがジャマイカ系、大坂がハイチ系、サニブラウンがガーナ系なわけで、昔のアフリカ系の日本人は、米軍兵士が父親であるケースが多かったかと思いますが、昨今そうでない人も多いようです。もうちょっと昔のケースですと、赤井英和をノックアウトしたことで知られるプロボクサーにも、大和田正春がいまして、彼は1961年生まれで父親が在日米軍兵士です。沢木耕太郎がルポを書いたので有名なカシアス内藤も父親が米軍兵士で、朝鮮戦争で戦死しているとのこと。内藤は1949年生まれ、父親が戦死したのが1951年です。

それで、スポーツライターの生島淳が指摘しているように、アフリカ系ばかりでなく昨今の日本スポーツ界に外国人の遺伝子を持つ日本国籍のアスリートが活躍しているようになっているのは、日本の国際化が進んでいることの表れだと思われます。生島氏の記事を引用します。なお記事中の「ベイカー」とは、柔道のベイカー茉秋のことです。彼は、父親が米国人です。

> ケンブリッジが生まれたのは1993年、ベイカーが誕生したのは1994年だ。彼らに限らず、1990年代に生まれた選手たちの背景を探っていくと、両親のうちどちらかが、バブル経済の繁栄に沸く日本にやって来てパートナーと出会い、子どもをもうけたケースが多い。

 法務省の在留外国人統計(旧登録外国人統計)を見てみると、1980年代後半から在留外国人の数が大きく増えており、その視点から考えるならば、バブル経済の残滓がハーフの選手たちの活躍につながっているのである。

 (略)

 この流れが今後も加速していくだろうと予測されるのは、法務省が発表した統計によれば、1995年から2015年末までの20年間に、在留外国人の数は136万人から223万人へと、およそ6割の増加が見られるからだ。特に1990年代末からの増勢が目立っており、21世紀に入ってから日本で家庭を持ったとするならば、その子どもたちはいま中学生にあたる。すでに各種競技のジュニアレベルではハーフの選手の活躍が顕著であり、シニアレベルに登場してくる日は近い。

1998年にサッカーのワールドカップで優勝した地元チームのフランス代表が、さまざまな国の移民出身者が集まっているというのが話題になりましたが、日本も規模はまだ大きくないですが、そういった方向に進んでいるのは確かでしょう。そう考えると、在日中国人やコリアン以外であまり外国の系統を受け継いでいなかった時代から、アフリカ系という日本ではマイナーな立場で20年以上にわたってプレーし続けた衣笠という人は、まさに時代を先どる立場に、文字通り期せずしてあったわけです。いまとは比較にならないくらい厳しい差別や侮辱などに耐えながら、彼は国民栄誉賞を受賞する立場にまでなりました。その苦労たるや、他人が想像しにくいものでしょうが、たぶん氏は、日本でもっとも有名で、そして父親のことが語られないアフリカ系日本人だったのかもですね。少なくとも現役時代は、彼はきわめて知名度が高かったと思いますが、しかし父親のことは公然とは語られにくかったし、語られる際は時に差別のニュアンスがあったわけです。

それにしても亡くなる4日前までテレビ中継で解説の仕事ができたのはご当人にとってもよかったですね。当然これが最後の仕事という覚悟だったのでしょう。

いずれにせよ1人の偉大なアスリートが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

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安倍狂信者の連中というのは、ここまでひどい

2018-04-24 00:00:00 | 社会時評

安倍晋三のことをいまだにかばっている連中というのを観察すると、もちろんそういった連中が全員が全員本気で安倍を擁護しているとは思いませんが(もう駄目だと思いつつ、いろいろあってそういうポーズをとり続けている人もいるでしょう)、しかしなかなかすさまじいものはあります。ただそういうのを読んでいると、ほとんどギャグというか、あまりにひどくて絶句しそう、ご当人らは擁護、かばっているつもりで全然そうなっていないことがあって「おいおい」と思うことが少なくありません。たとえば昨年初めのものですが、櫻井よしこのこの記事はどうでしょうか。

>2017.01.14 (土)
「 天皇陛下の譲位、総選挙、憲法改正 国政は今秋から大仕事がめじろ押し 」
『週刊ダイヤモンド』 2017年1月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1165

国政は今年秋から再来年の平成31(2019)年までが大仕事を成し遂げる年だと、安倍晋三首相に最も信頼されている記者の1人は語る。天皇陛下のご譲位、総選挙、憲法改正案の発議と国民投票などがこの間になされるとの読みだ。
 
これは昨年12月30日、「言論テレビ」の番組で、「産経新聞」の名物記者、政治部長にして黒シャツ姿で知られる石橋文登氏が語ったものだ。

(中略)

「大目標がはっきりしている人で、それ以外のことは妥協も構わない。今だから言いますが、郵政民営化のとき、衛藤晟一、平沼赳夫、古屋圭司各氏ら、もともと安倍さんと非常に親しい人材が亀井(静香)さんに乗せられ反対し、小泉政権をつぶそうとした。安倍さんが最後の段階で彼らに言ったのは、郵政なんかよりもっと大きな目標がある。自分たちが政治家としてやろうとしているのは憲法改正、安全保障などじゃないかということでした」

そもそも論として、別に亀井氏ほかは、小泉政権をつぶそうとしたというより郵政民営化に反対したということじゃないのと思います。それによって小泉政権が総辞職ということになったとしても、郵政民営化反対というのが優先だと思いますが、それはさておき。

これほんとに安倍がそんな話したんかよ、っていう気がひしひしと(苦笑)。これって以前安倍が平壌で盗聴器を意識したとかいう話と同様の与太じゃね、っておもいます(笑)。

>盗聴を前提として、わざと先方に聞かせ、交渉を有利に運んだとされるのが、平成14年に、当時の安倍晋三官房副長官が、小泉純一郎首相とともに電撃訪朝した「小泉訪朝」です。

 会談で拉致問題を認め、謝罪しようとしない北朝鮮側に対し、安倍氏は宿舎で「謝罪がないなら、平壌宣言への調印は止めて帰りましょう」と大声をあげ、その直後の協議で、金正日総書記が謝罪しています。

>安倍氏は宿舎で「謝罪がないなら、平壌宣言への調印は止めて帰りましょう」と大声をあげ、その直後の協議で、金正日総書記が謝罪しています。

こういう三文映画の馬鹿話を堂々と記事にされてもしょうがないにもほどがあるというものです。

平壌の与太は論外ですが、石橋の話だって、仮にこの話が事実だとして、それってつまりは、安倍が全然連中を説得できなかったっていうことじゃないですか(爆笑)。つまりは亀井や平沼らのほうが安倍より政治力や人望があったってことであり、なんら自慢するようなことではない。そういった話を安倍擁護と考えるのが、石橋とか櫻井だというわけです(笑)。

ていうかさあ、これ安倍の後援会とかがこういう話をするというのなら、まだ理解はできますよ。それだって相当なものだと思いますが、それならまだいいでしょう。でもこれいくら「言論テレビ」なんていうところであっても、そしていくら産経新聞とはいえ全国紙の政治部長ともあろう人物が不特定多数の人間に対して話をしたり、それを自称ジャーナリスト(ご当人の主観はいざ知らず、現在の櫻井よしこは完全な右翼活動家であって、とてもジャーナリストなんていえたものではないでしょう)が肯定して引用するようなものではないでしょうに(呆れ)。連中が安倍応援団でしかないくらいのことはもちろん理解していますが、それにしたってひどいですよねえ。ほとんどまともじゃないというレベルでしょう。

いずれにせよ産経新聞だって櫻井よしこだって、さすがに建前は安倍応援団じゃないんだからいいかげんにしろと思いますが、そういった最低レベルの常識も欠如しているのでしょう。まーったく、ジャーナリストとかのなれの果てがここにあります。愚劣とか非常識とかという言葉は、こういう連中のためにある言葉です。そう考えると、櫻井とかこれまた安倍狂信者の花田紀凱とかいう連中が、このような記事を書くのも理解はできますね。もちろん支持するとか「いい」とは言っていません。念のため。

 世界は大激変、もう森友ではない

 【花田紀凱の週刊誌ウオッチング〈664〉】週刊誌よ、そんなことより、今は北朝鮮だろう

いや、シリアも北朝鮮も、別に森友や加計とトレードオフの関係じゃありませんから。どれも記事はじゅうぶん両立するし、だいたい事件の次元が全然違うじゃないですか、なんてわざわざ書く話でもないですが。そもそも森友と加計も、事件は独立した別個の案件です。だいたいよそに「違うことを記事にしてくれ」って、どういう非常識でクズな了見なんだか。自称ジャーナリストや雑誌編集者がこういうことを言い出したらもうおしまいですね。だってジャーナリストや編集者が(自分たちに、政治的に都合が悪いから)違うことを記事にしてくれなんて(ほかのマスコミに!)泣き言を書くなんて、あまりに末期的な状況です。拙ブログでも指摘したように、改ざん文書発覚の際は、この2人もやや様子見だったのですが、どうもそんなこと言っていられないとばかりに本性出しましたね(苦笑)。完全な狂信右翼といったら、右翼に失礼です。単なる安倍狂信者です。どうしようもないにもほどがあります。

なお今回の記事は、bogus-simotukareさんの記事(こちらこちら)、およびその記事に投降した私のコメントをふくらましたものであることをお断りします。

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CSで、倉本聰脚本、萩原健一主演の『君は海を見たか』を放送している(追記あり)

2018-04-23 00:00:00 | 映画

すみません、映画でなくテレビドラマですが、映画に準じる扱いということで、「映画」のタグに入れます。私はあまりテレビドラマを過去も現在も見ていないので、ちょっと「テレビドラマ」というタグを作るのは気が進まないので。

倉本聰脚本、萩原健一主演で、1982年にフジテレビで放送されたドラマ『君は海を見たか』が、先週4月16日月曜日よりCSの「日本映画専門チャンネル」で放送されています。第1回目のページがこちら

16日の午後10時(22時)からの放送が1回目、2回目が本日23日の午後9時(21時)からの放送(第2回がつづく10時からの放送)、3回目に2週間後の5月6日の午前8時から同じチャンネルで放送されるようですね。以後同じスケジュールで全11回の放送です。ストーリーの骨子は、

>一流企業のエリートサラリーマン・増子一郎(萩原健一)は早くに妻を亡くし、一人息子の正一(六浦誠)、妹の弓子(伊藤蘭)と暮らしている。正一の世話は妹に任せきりで家庭など顧みない仕事人間の一郎だったが、正一が難病で余命3ヶ月と医師に告げられてしまう。息子の病気をきっかけに、一郎は父と子のふれあいを取り戻そうとする。

というものです。このドラマは、たぶん近年再放送もされていないし、ソフト化もされていない模様なので、なかなか見ることができないものだったようで、ネットをあさってもまともなスチール写真もろくに発見できませんでした。以下いくつか写真を。写真が小さいのは乞うご容赦。また上の写真は、雑誌の裏表紙広告ですかね。

萩原健一と関根恵子(現高橋)です。

萩原、妹役の伊藤蘭、子役の六浦誠です。

医者は、寅さんでもおなじみの下條正巳です。

スチール写真にはありませんが、子どもの友人の保護者役で田中邦衛(たぶん『北の国から』出演の関係)が、子どもの担任役で小林薫が出演しています。小林は、この当時はまだ売れっ子になる前だと思います。まだ30歳をちょっと超えたくらいです。ほかにも梅宮辰夫ほか、なかなか充実したキャストです。

それで、萩原健一は、この前年に放送局はちがいますが、倉本脚本のドラマ『ガラスの知恵の輪』に出演していたり、あるいはそれ以前に伝説的なドラマである『前略おふくろ様』にも出演していたりと倉本とも付き合いがあったので、たぶん倉本の信頼も厚かったのでしょう。当ブログでも記事(こちらこちら)にした誘拐報道』とほぼ同時期の公開(同じ年の9月25日の公開、ドラマの開始は10月15日。映画は冬に撮影されたと思われますので、ドラマのほうが後の撮影でしょう)だったので、たぶん彼としても俳優活動が一番調子のよかった時期の一つだったかと思います。しかし翌年ドラッグ関係で逮捕、さらに次の年には交通事故や暴行などで警察沙汰を繰り返したので、これ以降この時期以上の活躍が難しくなった感もあります。

で、実はこのドラマは、この時の放送が3回目のものだったのです。最初は、1970年に日本テレビで平幹二朗主演でドラマ化、翌年に、倒産寸前の大映で、天知茂主演で映画化されています。おそらく日本テレビのものはすでに映像が残っていないのかと思いますが、映画のほうは過去にVHSビデオで発売されています。DVDでは出ていない模様。(2019年1月6日追記:2019年1月7日から、同じ日本映画専門チャンネルで、70年バージョンが放送されれます。こちらの記事を参照してください)

私の知る限り、天地さんという人は、このようなホームドラマ系の映画に出るということは少なかったのではないかと思いますが(やはりドラマでも明智小五郎とかのようなエキセントリックなイメージが強いと思います)、私もこの映画は未見なので、ない金をふりしぼってVHSを購入して鑑賞しても面白そうです。なおドラマと映画は、子役は共通しています。山本善朗という方です。あまり情報がない子役さんです。

なおこのドラマは、脚本も出版されています。

倉本聰コレクション〈29〉君は海を見たか―scenario1982

これを読んだので、私もぜひこのドラマを見てみたいなと思ったわけです。

たぶんですが、違う局で2回ドラマ化されて、しかも映画化もされたというシナリオは、原作ものならたくさんありますが、オリジナルのものではかなりまれでしょう。それだけ倉本も思い入れがあるし、また時代を超えて通用する内容だという自信があるのかもです。1970年ごろの高度成長最末期と82年の日本ではまた時代背景も違うし、それからさらに36年も経った現在の日本はまた全く違いますが、このドラマで描かれている部分がどれくらい生きているか、それでどれくらい時代がちがっているかというのも見ていて考えていければなと思います。これから毎週楽しみに見ていきたいと思います。読者の皆様も、視聴の環境があるのでしたらぜひどうぞ。別に私みたいに、『透明ドリちゃん』を見たいから東映チャンネルと契約したなんてことをまねしなくてもいいけどさ。

発表日の追記:bogus-simotukareさんが、この記事に派生する話題として、天知茂と萩原健一についての記事を書いてくださいました。ぜひお読みください。bogus-simotukareさんありがとうございます。

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iPhoneが壊れたので買いかえた(今日から毎日更新)

2018-04-22 00:00:00 | PC・通信・IT関係

そんな関係の記事を昨年発表しておいて早くもこんな記事を書くのもどうかですが、めでたくiPhone6が故障したので買いかえることにしました。昨年の6月ごろに1度割れたガラスを修理したのですが、また万単位の修理代を払ってもしょうがないので、買いかえを決意しました。

実は、壊れる数週間前くらいからでしょうか、いきなりバッテリーの減少が極端になったのです。さっきまで数十パーセントの充足率だったのが、急にほぼバッテリー切れになったりして、これはいよいよ変だと思っていたのですが、こんどは前触れもなく画面の左部分が急に黒くなり、まともに画面が作動しなくなりました。もうだめだと思ったので、新しいiPhoneを買うことにしたのです。これが昨年12月の話です。

私がこのiPhone6を購入したのが15年の春でしたから、私としてはまる3年は使いたかったのですが、けっきょくかないませんでした。かなり乱暴に扱ったからなという気もしないではありません。

それで昨年末の某日、近所にあるauの某営業所に朝いちで行き、担当の人に故障したので新しいiPhoneを買いたいと話をしたのです。

それでiPhoneのどのタイプがご入用かといわれて、iPhoneXは必要ないので、iPhone8の256GBのゴールドにしました。

それで安いプランに変更し、オプションもばっさり切り、iPhone6も下取りにだしました。これで私は、また月賦を払い終えるまでアップルさんとauさんの奴隷です。それもどうかです。私の職場の後輩S君は、奴隷になるのを拒否してiPhoneXを一括で払ったそうですが、私もそうしたいのですが、まあ月賦でいいやと毎度安易に考えてしまいます。

それで店の人に、急にiPhone6の調子が悪くなったという話をしたところ、彼は「そうです、アップルの製品は、2年何か月くらいで調子が悪くなることがあるんです。もっとひどい時は数か月ということもあります。製品によるので、もちろんそうでないこともあります」と答えてくれました。売る側がする話ですから、きっとそうなのでしょう(笑)。

しかしそうなるとiPhoneてのもひでえ商品だという気はします。スマートフォンなんてそんなものなのかもですが、それもどうかです。

その後、LINEのトークを引継ぎしそこなうとかいろいろどうしようもない失敗もありましたが、幸い私はそんなにLINEには依存していないので、そんなに強烈な打撃は受けなかったかなと思います。いや、そうでもないかな。

しかし1回使い始めると、iTuneの奴隷になっちゃいますからね。別にそういったしがらみを捨てて安いスマートフォンにしてもいいのですが、やっぱりiPhoneを買っちゃうのだから、私はたぶん死ぬまでアップルさんの奴隷ですね。

さて2017年12月末の購入となると、私としては2020年までのどこかの時点までは使いたいですね。その年の秋ごろでしょうか、発売される新製品を購入するべきか、その前の時点でiPhoneナントカを買うかいまから考えます。いずれにせよ、目標、「東京オリンピックまでは、現在のiPhoneを使う」です。

余談ですが、私がいままで購入したiPhoneは、4S→6→8です。つまり偶数ですが、次のiPhoneの型式にもちょっと注目したいと思います。

それで前のは購入2日後に落として画面にひびをいれるという痛恨の事態になったので、今度はカバーを購入しました。これでひびが入る危険はだいぶなくなったと思います。ところがまたまた地面に落としてしまって画面が真っ暗になってしまったので、それでアップルの修理店に行き修理をする羽目になりました。しょうがないとはいえどうもなあです。落下して画面が真っ暗になるというのは、かなりいろんな人が遭遇しているみたいですね。私もどうしようもない人間です。

この件とは違いますが、そろそろSIMフリー端末を買おうかなという気もします。年末年始の東南アジア紀行のように長期の旅行になると、レンタルWiFiの価格も馬鹿にならない。これは海外にもって行くものですから、もちろんiPhoneとかでなく、安いものでかまいません。国産メーカーでなくても中韓のサムソンやヘーウィあたりでじゅうぶんです。あるいはポケットWiFiを買うこともできます。。海外の空港でSIMカードを購入してさせばいいわけです。これも面白そうです。

読者の皆様へ:今日から1日1記事の精神でまた更新します。よろしくお願いします。

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某所の桜(4月20日更新)

2018-04-21 00:00:00 | フォトログ

遺憾ながら関西では全く桜はだめだったので、某所で私が見た桜の写真を。場所と撮影日時は差しさわりがあるので秘匿するということでご了解ください。また本日の記事の写真は、すべてiPhoneで撮影したものです。

 

 

この地では、この日はほとんど花びらも散っていなかったので、まさに満開だったのだと思います。

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