ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

石原慎太郎というのも不思議な男だ

2011-11-30 00:18:06 | Weblog
私にとっては立川談志という人は、非常識なことをほざいてばかりいる人という印象しかないのですが、落語が好きな人にとっては別格中の別格ということなのでしょうね。朝日新聞など、彼の死を1面に出しましたからね。そこまでの人間かと思いますが、彼の全盛期を知っている落語ファンにとってはその価値があるんでしょうね(他紙については未確認)。

さて、これはいわばどうでもいい話。石原慎太郎のとある(問題)発言の記事を書きます。今日は単なる記事の紹介です。こういうことを言えるんだから、石原慎太郎というのも不思議な男です。

>石原都知事“盟友”談志さんとの秘話明かす
サンケイスポーツ 11月26日(土)7時51分配信

喉頭(こうとう)がんのため21日に死去した落語家で元参院議員、立川談志さん(享年75)について、同時期に国会議員を務めた盟友の石原慎太郎都知事(79)が25日、定例会見で心境を語った。亡くなる数日前の会話の様子や、談志さんのために新作落語を書こうとしていたことを明かし、「憎まれ口をたたき合う不思議な友人だった。残念だが、人間いつか死ぬんだ。しゃあねぇ」と自らを納得させるように“毒舌仲間”の死を悼んだ。

「談志、お前もそろそろくたばるんだろ? ざまあみろ、この野郎」

 都庁で行われた定例会見。自ら談志さんの話題を切り出した石原都知事は、病床の親友に強烈な“毒”を放っていたことを明かした。40年以上にわたる仲だからこそ言える言葉でもあった。

 亡くなる数日前、意識がもうろうとしている談志さんに対し、受話器越しで一方的にそう話しかけたといい、「談志は言い返そうとするけど、声が出ないから『ハァハァ』って言ってた」と回想。「あれが無類の話術家との最後の会話だったけど、僕の人生の中で極めて印象的な、会話にならない会話だったな…」と唇をかんだ。

 談志さんとの思い出は尽きない。石原氏は1968年の参院選に初当選。3年後の71年に当選し、同じ自民党で参院議員になったのが談志さんだった。毒舌が原因で談志さんは1期で政界から退いたが、2人は互いを認め合い、「憎まれ口をたたき合う人間同士」として親交を深めた。

 「不思議な不思議な、実に不思議な友人」という談志さんとは、たまに会っては“口撃”し合っていたというが、「それが逆に活力になって支え合ってきた。『オレはあんたと話してて石炭たかれると元気出るんだよ』って言いやがって」と笑顔を見せ、「こっちもアイツと会うと元気が出るんですがね」と語り、何度もまばたきした。

 石原氏はそんな親友の復活を願ってか、新作落語を用意していた。事故をきっかけに自らを皇帝だと思い込む男を描いたイタリアの人気戯曲「エンリコ4世」の“日本バージョン”で、「日本で例えたら誰にしようか、(談志さんかなと)考えているうちにアイツ死んじゃったね、間に合わずに」と声を落とした。

 続けて「人間いつか死ぬんだ。しゃあねぇ」。次々とあふれる談志さんとの思い出をせき止めるかのように吐き捨てた石原氏。談志さんもきっと同じ言葉を親友に向けて言っているに違いない。

(引用ここまで)


>40年以上にわたる仲だからこそ言える言葉でもあった。

40年どころか、100年の友人でも、そんなこと言われたらそいつとおれ絶交するけど(笑)。

好意的に考えれば、彼らにしか分からない人間関係の故なのでしょうが、それにしてもね。私が談志の身内だったらけっこう気を悪くすると思いますが、こういう発言をしても許されるのが石原慎太郎という人間です。

石原の問題発言は多々ありますが、しかしそれを問題視する人間はそもそも彼に投票しないし、投票する人は気にしないからねえ(笑)。

いろいろ問題はあったのかもしれませんが、石原を東京都知事選で破った美濃部という人はえらい! とここでは断言しておきます。もっともあの敗北があったから、石原も都知事に再挑戦したんだけどね。

2020年のオリンピックは、東京招致は無理ですから、その時点で彼が辞任するかどうか見ものです。

同じ日の追記:立川談志は、かつて冤罪死刑囚の免田栄さんについて、ひどい問題発言をしたことがあります。こちらの記事を参照してください。こういう発言は、許されるべきではないでしょう。また、かつて石原と立川談志は、つぎのような対談を『正論』2010年8月号でしていました。

>「平和の毒」にやられたまんま… このままじゃ、死んでも死に切れねえ

私はこれに

>勝手に死ね

コメントしましたが、はてはて、本当に死んじゃって、談志のいまの心境はいかに?
コメント (12)

ミャンマーの旅 2011年 夏 (64)

2011-11-30 00:15:53 | 旅(ミャンマー)
こういった乗り物の待合室も、いろんな人間模様があって興味深いですね。









いよいよフェリーに乗り込みます。



頭に豪快に荷物を載せています。





フェリーの中はとてもこみあっています。



2階にはいすがあるので上がってみます。



対岸です。



いろんな人が物売りをしています。この女の子からガムを買いました。



こちらの女の子からはキャンディを。でも、今日は平日の午前だぞ。学校は行かなくていいのかな。

後で登場する少年ともども、この子たち(11歳だそうです)は一通りまわったら、なぜか私のところに来て離れようとしません。君たち、こんなところで油を売っていないで商売しろよと思いましたが、買いそうな人はみんな買ったので、私みたいな男と世間話でもしてるほうが面白いとでも思ったのかもしれません。

私が君たち学校どうしたの、と聞くと、たまには行っているとのことです。これじゃあどうしようもないですね。ちゃんと子供たちが学校に行ける体制を構築しないといけません。

で、もうひとり少年も現れました。君たち兄弟? と私が聞くと、「フレンド」との回答でした。君も学校行かなくていいんかよ。

それにしてもミャンマー人の女の子もけっこうかわいいですね。握手して別れました。











女の子たちから買ったお菓子です。



とつぜん現れた少年です。彼もなかなかおもしろい男でした。

ヤンゴン川フェリー 2011 8 30


ヤンゴンのフェリーの雰囲気をご確認ください。

(つづく)
コメント

正気の沙汰じゃない

2011-11-29 01:21:53 | 社会時評
産経新聞という新聞の報道が半端じゃなくまともじゃないというのはいまさらおどろかないのですが、それにしてもこの記事はほとんど馬鹿というか正気のレベルじゃないと思います。

>名言か迷言か
平成の歴代首相を「仕分け」する 最高評価は誰?
2011.11.26 18:00

魚拓は、

中身を読む前に誰が最高評価か想像できちゃうのが笑っちゃいますが、しかし内容も想像を絶するひどさです。

>それなら、歴代首相を一定の評価基準に基づいて仕分けた方がよほど、建設的というものだろう。昭和までさかのぼると時代環境が異なりすぎる。ここは平成に入って首相に就任した故宇野宗佑氏から前首相の菅直人氏までの計15人のうち、超短命で「評価不能」の宇野氏と羽田孜氏を除く13人を仕分けてみる。

(引用ここまで)

なーんで昭和がないの、っていうのは、それではあの人を1番にできないという以上の理由ではないでしょう。

>評価基準は政策などの「見識」、国民への「発信力」、法案成立などの「実現力」のほか、「外交」、「国会対策」、「歴史観」の6項目とした。他にも首相に求められる能力は多々あるが、「指導力」は結果次第で変わる可能性が高いし、「クリーン」や「人柄」は結果重視の観点からあえて除外した。

(引用ここまで)


爆笑ものですね。まず、「指導力」をぬいてどうやって首相を評価しようというのでしょうか。「人柄」もそうですが「クリーン」の観点を抜いた政治家像なんてむちゃくちゃにもほどがあるでしょう。ていうか、「人柄」をぬいているのは、あるいは安倍晋三は人柄はどうもいまひとつという認識にあるからとしか考えにくいですね。

それから「歴史観」ていうけど、安倍はそれを活用できなかったじゃん(笑)。そもそも歴史観なんて首相になったら日本政府のこれまでの方針をはずれることは困難だし、そんなことを首相の評価基準にするなんてほとんど聞かないけど(爆笑)。ていいますか、「歴史観」なんて論者によってぜんぜん意見がちがうもので、このような最大限客観的指標によって評価すべき性質のものにはきわめて不向きです。まあ、はじめっからだれかさんを最高レベルに評価したいっていうねらいがみえみえです。

ここまででも正気の沙汰じゃないけど、ここから先がまたひどい。

>その結果、総合1位は安倍晋三氏の46点(中略)29点以下は、鳩山由紀夫氏25点、菅直人氏26点、福田康夫氏28点、村山富市氏29点の計4人。ワーストの4氏は「不可」と判定せざるを得ない。

(引用ここまで)


あまりに予想通りの結果に笑ってしまいますが、これ、この記事を書いた森山という記者の意見のみです。アンケートをとったとか識者から話を聞くとか、そんなものからっきしない。これ新聞のサイトにのせる話じゃないよねえ。どう考えても、個人のブログにのせる程度の記事でしょう。まあそれだって、たわごとていどのものですが。

ていいますか、こんな記事をのせる新聞社のサイトってこれはかなり凄いですね。安倍晋三のためなら相当なむちゃくちゃもいとわないっていうところです。

>安倍氏は、自身の退陣から5年続けて首相が1年前後で交代していることもあり、以後4人の首相たちと「一緒くた」にされることが多い。

 だが、憲法改正に必要な国民投票法の成立、戦後初の教育基本法改正、防衛庁の「省」昇格など、1年間の業績としては特筆に値する。

逆に、政権の失点として閣僚の失言を指摘する向きもあるだろう。だが、こうした閣僚は、安倍内閣以前の自民党政権でも主要閣僚や党三役を経験した人物が多かったが、その際は失言など皆無だった。安倍氏が負うべきは、人を見る目がなかったという意味の任命責任よりも、任命の結果責任の方だろう。

(引用ここまで)


いやー、産経新聞の記者になると、ここまでして安倍みたいな馬鹿を擁護しなけりゃいかんのですね。これじゃあまともな人材が去って、阿比留瑠比氏や安藤慶太氏、この記事を書いた人などどうしようもない連中が残るのも仕方ない。

>確実に言えることは鳩山政権や、中国漁船衝突事件での周章狼狽ぶりで対外戦略の無策を露呈した菅政権を経験した現在から振り返る時、安倍内閣の挫折は日本の政治にとって極めて惜しまれる事態だったということだ。

(引用ここまで)


馬鹿、自分やつとめている会社の願望を「確実に言える」なんてえらそうに書いてんじゃねえよ。

ていうか、この記事を書いた記者が本気でこんな頭の悪いことを考えているのかどうか知りませんが、、いわゆる右翼といい、たいていの人はさすがに安倍の挫折は仕方ないと思っているんじゃないの? あそこまでひどいやめ方をした人物を、本気でそんなに惜しんでいるとは思えない。

>タイミングの悪い退陣表明もあって、安倍氏の再登板に対する待望論が広がるには、もうしばらく時間が必要になるのかもしれない。だが、日本の政局は閉塞(へいそく)感が強まる一方だ。今後、保守再編が加速するようだと安倍氏復権が予想以上に早まる可能性もある。(森山昌秀)

(引用ここまで)


タイミングが悪いどころじゃねえだろ、ふつうあんな時にあそこまでやったら誰も相手にしてくれねえよ。でも、新聞社のサイトにこんな記事が載るくらいだから、安倍が勘違いするのも仕方ないよね。馬鹿な人間にははっきり言ってあげる人が必要なんだけど、安倍の周囲にはそのような人はいないかごく少数しかいないんでしょう。

>今後、保守再編が加速するようだと安倍氏復権が予想以上に早まる可能性もある。

断言します。そんな可能性はありません。馬鹿ほざくのもいいかげんにしろ。

それにしても、産経新聞の安倍晋三にたいする甘さというか期待感というのは常軌を逸していますね。以前「右翼も産経新聞も自民党も、どれだけ安倍晋三に甘いんだか」という記事を書いたことがあります。ともかく安倍への甘さが尋常ではありません。先日も阿比留瑠比氏による安倍へのインタビューを掲載したり、なんか産経新聞にあらためて安倍擁護の動きがあるように思うのですが、なんなんでしょうか。

ついでに、この非常識な記事へのはてなブックマークをリンクします。当ブログもお世話になっている方々のお名前も散見されます。

いくつか引用を。

>nakadai ただの産経記者の願望じゃん。

hate_flag 「おなかいたい」で政権を投げ出したボンボンにゃ再登板の目なんてねえよ。アホか?

moyashioishiiyo 産経, ネタ ブログに書けw

shifting 「安倍氏復権が予想以上に早まる可能性もある。」って願望を書いてんじゃねえよ。なんで安倍だけが他の総理経験者の例外で復権するんだよ。

bogus-simotukare 「総合1位は安倍晋三氏の46点」/安倍ちゃんが一位ってのは記事読む前から予想してたけど堂々と提示されるとさすがにどん引きだな。しかも筆者が阿比留じゃない

(引用ここまで)


ほかにもいろいろ興味深いコメントがありますので、お読みになってください。

私は(はてなidは持っていますが)ブックマークは(この記事に限らず)していないのですが(でもしようかな)、「黙然日記」さんで次のようにコメントしました。

>ほとんどマンガですね。正気の沙汰と思えません。
コメント (12)   トラックバック (1)

ミャンマーの旅 2011年 夏 (63)

2011-11-29 01:21:28 | 旅(ミャンマー)


今日はまずは、フェリーに乗ってヤンゴン川をわたって対岸に行ってみるというショートトリップをしてみるつもりです。







これが乗り場の建物です。







中に入ると、私のような外国人は別室に呼ばれてパスポートを確認され、チケットを購入させられます。わざわざ私の名前まで記入するという念の入ったものです。



待合室です。



私はこちらに連れ込まれました。





これが乗るフェリーです。





(つづく)
コメント

「国家基本問題研究所」というところもかなり脇が甘い

2011-11-28 05:49:02 | 社会時評
「国家基本問題研究所」なる極右(自称)シンクタンクのHPを見ていたら、次のような記述がありました。

>飯田哲也客員研究員について
 環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は平成23年10月29日付のご自身のツイッターで、当研究所の客員研究員になっていることを「知らなかった」と発信しました。
 しかし、当研究所は飯田氏の客員研究員就任について平成21年10月19日に承諾を得ており、その旨お伝えしたところ、飯田氏から「失念していた」との連絡を受け取りました。
 当研究所はどなたに対しても本人に無断で客員研究員にしてしまうことはあり得ません。

(引用ここまで)


飯田氏という人物は、wikipdiaには名前がありませんでしたが(同名の野球関係の人がありました)、こちらを引用しますと・・・

>一九五九年山口県生まれ。京都大学工学部原子核工学科、東京大学大学院先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。NPO法人環境エネルギー政策研究所所長、(株)日本総合研究所主任研究員、ルンド大学(スウェーデン)客員研究員。自然エネルギー政策を筆頭に、市民風車やグリーン電力など日本の自然エネルギー市場における先駆者かつイノベータとして、国内外で活躍している。中央環境審議会、総合資源エネルギー調査会、東京都環境審議会などを歴任。主著に『北欧のエネルギーデモクラシー』、共著に『自然エネルギー市場』(築地書館)、『光と風と森が拓く未来―自然エネルギー促進法』、『環境知性の時代』、訳書に『エネルギーと私たちの社会』など。

(引用ここまで)


だそうです。

>当研究所はどなたに対しても本人に無断で客員研究員にしてしまうことはあり得ません。

というのは、もちろんそうなのでしょうが、それにしても2年前に依頼したという話で、飯田さんという人物が「失念していた」っていうのは、この方とこれといった連絡なりなんなりをとっていなかったんですかね。そんなこともないんでしょうが、このへんの真相はわかりませんし、飯田さんの本心も正直分かりにくいですが、飯田さんもさることながらちょっと「国家基本問題研究所」側も脇が甘いんじゃないかという気はします。これって、かなりの恥ですよ、正直。

で、これからも飯田さんはこの(自称)シンクタンクの「客員研究員」であり続けるのですかね。どっちみち縁が切れるということになる可能性が高そうです。

もうひとつ、笑っちゃった記事を。

>ロゴ使用中止のお知らせ
 当研究所は平成20年以来、横尾忠則氏制作のロゴを使用してきましたが、このたび原子力発電に関する立場の違いから、横尾氏より使用中止の要請がありました。 
 横尾氏には、これまでロゴを使わせてくださったことへの感謝の念を櫻井よしこ理事長から伝え、国基研はロゴの使用を中止しました。

(引用ここまで)


だ、そうです(笑)。

さて、原発問題といえば…。

提言「選ぶべき道は脱原発ではない」 産経新聞に掲載
 平成23年11月14日(月)発表した提言・選ぶべき道は脱原発ではないが、産経新聞(11月15日付2面)に掲載されました。

(引用ここまで)


なんかちょっと誤解を招く表現で、これだと意見広告とか、提言そのものが産経新聞に掲載されたように読めますが、実際は、その提言を紹介する記事が産経新聞にのったという話です。

こんな記事が産経新聞なんかに掲載されたからって、それがどうしたっていうんだいという気もしますが、やはり彼(女)らにとっては貴重なことなんでしょうね。

下の写真が、その産経の記事です。ネットで検索しようかと思いましたが、馬鹿馬鹿しいのでやめました。



それにしてもこの意見の賛否はともかくとして、14日に発表してさっそく15日にその発表が記事で紹介されるあたり、事前の打ち合わせが入念に行われたことがうかがえて興味深いですね。やはりこの(自称)シンクタンクと産経新聞の関係はきわめて親密なようです(はじめっから分かっているけど(笑))。
コメント (4)

ミャンマーの旅 2011年 夏 (62)

2011-11-28 05:47:56 | 旅(ミャンマー)


このあたりは小規模の市場になっていて、果物が売られています。







正面から見たストランド・ホテルです。





かなり古いバスです。



バスに足をかけているのは車掌です。ミャンマーのバスは、車掌が停留所で行き先を連呼します。







後ろのタイヤがレトロです。



次のバスは、排ガス規制対応済みのステッカーがはられていました。



車掌です。



(つづく)
コメント (2)

ジェーン・バーキンのコンサートへ行った(2)

2011-11-27 10:06:57 | ジェーン・バーキン
今日は出待ちの話を書きます。

コンサートで会場に入場する際、私の後ろにいるカップルがこんな会話をしていました。

「出待ちする人、いるんだろうなあ・・・」

ああ、するよ、この私が、っていうところです。

出待ちもけっこう逃げられちゃう(っていう話じゃないか)んですけどね。

コンサートが終わって、あらかじめ調べておいた出待ちのポイントに行きました。すでに数人がたむろっていました。

私は今回はデジカメは持ってこなかったので、また携帯電話です。サインしてもらう予定の本のページを確認したりしました。

すると、一人の女性が私に声をかけてきました。

女性「あの・・・こちら誰を待っていらっしゃるんですか」
私「ジェーン・バーキンですよ」

その女性もジェーンのコンサートに行ったとかで、やはり待ち続けるということです。

女性「私、ジェーンのコンサートってはじめてなんですよ」
私「そうですか、それでいかがでしたか?」
女性「いや、ほんとよかったです! いままで気おくれしてしまって。もっと早く行っておけばと後悔しました」
私「それは残念でしたね。ぜひこれからコンサートへ行ってください

余計なお世話でしょうが、前に撮ったジェーンの写真やサインを彼女に見せたりしました。

出待ちの人たちは30人弱くらいでしょうか。のんさんもいるんだろうなとか考えたら、やっぱりいたみたいですね。

が・・・時は刻刻と経過します。

09年のコンサートで、ジェーンが出待ちの現場に現れたのは携帯の記録によると(初日です。2日目は出待ちをしなかったので不明)22時8分だったのですが、その時間を超過してもなかなかでてきてくれません。

これは今回はだめだったかな・・・って考えていたら、係員の男性が現れて曰く

「すいません、ジェーン・バーキンさんほかミュージシャンの方はお帰りになりました」

それならもっと早く言えよ。翌日土曜だから別にいいけど。

近くにいた上品な印象の白髪の男性に「逃げられましたね」と苦笑しながら話しかけました。で、しばらく一緒に駅まで歩きました。

お互い、なかなか出てこないから難しい気はしましたよねえというところで意見が一致しました。

男性「バレエとかですと、わりとちゃんと出てくれてサインとかもしれくれるんですけどね…。やはりポップス系とかの歌手はむずかしいですかね」

なるほど、では私もますます出待ちに励むことを決意しました。

とても丁寧な口調で私と会話してくださいました。その方は地下鉄の駅、私はJR(東京駅の方)でわかれました。席が悪かったこと、ジェーンの出待ちに失敗したことは残念でしたが、でも2人の方とお話ができたし、なかなかのバースデイ・プレゼント(厳密には誕生日ではないけど)だったかもしれません。

また、ジェーン・バーキンの情報があったら記事を書きます。
コメント (2)

ミャンマーの旅 2011年 夏 (61)

2011-11-27 10:05:41 | 旅(ミャンマー)


中央郵便局の前だというのに、歩道がこんなに傷んでいます。やはりメンテナンスの金がないんですかね。



ホテルと中央郵便局の間には、英国大使館とオーストラリア大使館があります。警備のため、写真は撮っちゃいけないそうです。しかし平然と撮る私。









つかれているんでしょうか。



子どもたちもいます。





道を渡ります。











重厚な建物です。

(つづく)
コメント

ジェーン・バーキンのコンサートへ行った(1)

2011-11-26 06:36:30 | ジェーン・バーキン

(写真は11月24日、渋谷パルコのクリスマスツリーの点火式でのジェーン。こちらの記事参照)

このブログでも数回書きましたように、昨日(11月25日)ジェーン・バーキンの1夜限りのコンサートが有楽町の東京国際フォーラムで行われましたので、仕事が多忙の折だったのですが、なんとか今回もコンサートに行くことができました。彼女のコンサートにも何回か行っていますが、この会場ははじめてです。

6時30分開場、7時開演だったのですが、ちょっと早く来てしまったので時間をつぶして6時35分過ぎくらいに行ってみたら、もう列ができていました。

ざっと見ると、観客の男女比は2対8くらいで女性が多く、男性の多くは女性とカップルという感じでした。私のように男性単独の人は、あんまり見かけませんでした。もちろんいないわけではありませんでしたが。

年齢層は、さすがにジェーンのコンサートなので幅が広かったですが、私が見た限り20代の方は多くなく、30代以上が目立ったように思います。60過ぎのジェーンと同世代の方もいました。しかも男性も。渋谷のコンサートですと、このような観客の方はあまりいないような気がします。私の勘違いかもしれませんが。

さてさて、私がチケットに指定された席を探しますと、1F24列38番なる席でした。あまりいい場所とも思えませんでしたが、どんなもんかな・・・と思っていたら・・・。

1階の最後列の一番端から2番目の席でした。

こちらでご確認ください。

まったくの偶然ながら、私が座った席からの画像があります。

この席に座って私は思わず苦笑しました。ここ、まさに最悪の場所じゃないですか。少なくとも1階の席としては。私ってそんなに日ごろの行いが悪いとは考えていないんだけどなあ。

そんな話はともかくとして、徐々に客席もうまってきました。意外と空席はありませんでした。席がせきなので確認できませんでしたが、2階の席は空いていたのかもしれませんが、1階はほぼ満席でした。

開演が、未入場の客がいるというので少々遅れました。舞台の装置や照明はわりとシンプルだなという印象です。

この日の曲目はプログラムとして発表されていまして、1曲目が「馬鹿者のためのレクイエム」です。そろそろかな・・・と思っていたら、バックミュージシャン(全員日本人です)が登場し、ジェーンが現れました。彼女の衣装は白のブラウスに黒のパンツというとてもシンプルなものでした。

で、ジェーンのコンサートで興味深いのは、彼女はコンサートのたびにバックのセットをほんとに完全に変えることです。曲のアレンジも。今回のコンサートでは、バックはピアノ、ヴァイオリン、ホーン、ドラムだけで、すべてアコースティックです。シンセサイザーの類は使用しておらず、ギターやベースすらありません。それでおなじみの曲がさまざまなアレンジで演奏されるので、今度はあの曲はどんな雰囲気かな・・・という楽しみもあります。これだからジェーンのコンサートははずせません。

で、私の大好きな曲である「ディ・ドゥ・ダー」や「いつわりの恋」「ジョニー・ジェーンのバラード」などが歌われました。今回は、すべてセルジュ・ゲンズブールの曲(もしくは共同製作の曲)が歌われます。

途中、ジェーンが客席に降りてきました。オーディエンスがもりあがります。残念ながら私は無縁です(笑)。でも、大喜びする観客を見ていると、彼女に何回かサインをもらい、握手までしちゃった私って、けっこう貴重な体験しているんだなとつまらんことを考えました。とちゅう花束(立ったと思います)をわたした男性がいました。ジェーンのコンサートに花束というのもつきものです。

「バビロンの妖精」「シック」でコンサートは終わりました。このあとアンコールで「無造作紳士」などが歌われました。これは日本の観客へのサービスでしょう。アカペラに近いあまり伴奏のない状態でステージに座って歌われる「無造作紳士」もなかなかすばらしいものがありました。ジェーンに手を振ってお別れです。

ところで今回のコンサートではあんまり花束がありませんでした・・・。渋谷とは客層が違うのかな・・・。

コンサートの感想を簡単にまとめますと、わりあいシンプルな演出だったという気がします。今までのコンサートより若干地味だった気がしました。照明、衣装、曲目、舞台装置、どれも派手さをあえて排除しているなと思いました。たぶん震災のからみもあるのでしょう。

コンサートのレポートはここまでですが、明日は出待ちの話を書きます。

(写真を可能ならアップします)

あと、このコンサートを私に最初にご教示くださったのんさんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。
コメント (6)

ミャンマーの旅 2011年 夏 (60)

2011-11-26 05:33:37 | 旅(ミャンマー)


ホテルの中です。いかにも「コロニアル」っていう雰囲気があります。















この日は雨が降っていたので、ホテルに傘を借りて外出します。写真に写っているのは、ホテルの前にいる絵葉書うりの子どもたち。この写真をとった後、左の男性に頼んで子どもたちとの記念写真を撮りました。真ん中の女の子は、そっちのほうがいい表情をしていました。



ホテルの外観です。







近くにある中央郵便局へ絵葉書を出しに行きます。







なかなかきれいな女性がいました。

(つづく)
コメント