ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(54)

2015-01-31 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

さらに街の中心部を歩きます。

H&Mは、スウェーデンが発祥です。イケアとか、世界的な影響力のあるスウェーデン発の企業も少なくありません(イケアは現在本社はオランダ)。

なかなかいいお花畑です。

お、なかなかかわいい女の子です。

運河を渡ってみます。

(つづく)

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ミス・ユニバース2014の美女たち(3)

2015-01-30 00:00:00 | 美女探求

 今日が最終回です。

ミス・ナイジェリア(Queen Celestine

 ミス・ノルウェー(Elise Dalby

 ミス・パナマ(Yomatzy Hazlewood

 ミス・パラグアイ(Sally Jara

ミス・ペルー(Jimena Espinoza

ミス・フィリピン(Mary Jean Lastimosa

ミス・ポーランド(Marcela Chmielowska

ミス・ポルトガル(Patrícia Da Silva

ミス・プエルトリコ(Gabriela Berrios

ミス・ロシア(Yulia Alipova

ミス・セルビア(Andjelka Tomašević

ミス・シンガポール(Rathi Menon

ミス・スロヴァキア(Silvia Prochádzková

ミス・スロヴェニア(Urška Bračko

ミス南アフリカ(Ziphozakhe Zokufa

ミス・スペイン(Desirée Cordero

ミス・スリランカ(Avanti Page

ミス・セントルシア(Roxanne Didier-Nicholas

ミス・スウェーデン(Camilla Hansson

ミス・スイス(Zoé Metthez

ミス・タンザニア(Nale Boniface

ミス・タイ(Pimbongkod Chankaew

ミス・トリニダード・トバゴ(Jevon King

ミス・トルコ(Dilan Çiçek Deniz

 ミス・タークス・カイコス諸島(Shanice Williams

ミス・ウクライナ(Diana Harkusha

ミス・ウルグアイ(Johana Riva

ミス米国(Nia Sanchez

ミス・ベネズエラ(Migbelis Castellanos

これで全88名を紹介し終わりました。いかがでしょうか。本日登場の女性について言えば、ウクライナ代表の方はガチで超美女だと思います。プロフィールによると美人国で有名なウクライナでミスコン荒らしをしていたそうですから、なかなかのものです。スペイン本国をふくめたスパニッシュの女性たちも(米国代表もヒスパニック系です)レベルが高いし、タイ代表も美人です。ノルウェー代表もすごい美人。うーん、レベルが高い。

こうやって見てみると、このコンテストに出場する女性たちは肉感的ですね。あまりにやせている人は出てこない。コンテスト主催者もそのあたりは考慮しているのでしょう。

なおミス・ユニバース協会のコンテスタント紹介のページには、彼女らの使える言語も出てきます。するとネイティヴランゲージ以外に英語はできるという女性が多いですね。アフリカなどの旧植民地の国ぐにの女性のほか、欧州の女性たちも数言語を話せる人が目立つ。ラテンアメリカですら英語を話せる女性が少なくありません。

で、単一言語の人が、英語国民(笑)と東アジア(日本、中国、韓国)の人たちです(苦笑)。

ここでのできるというのがどれくらいのレベルかはわかりませんが、ラテンアメリカの女性が英語ができるということは、彼女らは相当なお嬢さんですね。一般庶民ではこうはいかないはず。ところでできる度合いですが、私ていどに英語ができる、というのも使えるに入るんですかね。そんなことはないでしょうが、欧州ではたしかに英語が得意な人たちが多いのでしょうね。年末年始に旅行した中国では、驚かんばかりに英語が通じませんでした。

私個人の意見を言いますと、コンテストでの水着写真よりも、今回の一連の写真のほうが面白いですね。ポーズもいろいろ、表情もコンテストの時は笑顔のみですが、こちらはそうでもないので個性があっていいと思います。

露出度が少ないのが難点ですが、それは違うところで写真なり動画を入手すればいいでしょうって、お前みたいにそんなものを見つけられない、ですかね。大丈夫です。googleに、名前を入れて検索すれば簡単に見つかります。

これからも、このミスコンにはこだわっていきたいと思います。乞うご期待。

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ミス・ユニバース2014の美女たち(2)

2015-01-29 00:00:00 | 美女探求

 昨日に引き続いて、ミス・ユニバース2014に出場した美女たちの写真です。

ミス・ガーナ(Abena Appiah

ミス英国(Grace Levy

ミス・ギリシャ(Ismini Dafopoulou

ミス・グアム(Brittany Bell

ミス・グアテマラ(Ana Luisa Montufar

ミス・ガイアナ(Niketa Barker

ミス・ハイチ(Christie Desir

ミス・ホンジュラス(Gabriela Ordoñez

ミス・ハンガリー(Henrietta Kalemen

ミス・インド(Noyonita Lodh

ミス・インドネシア(Elvira Devinamira

ミス・アイルランド(Lisa Madden

ミス・イスラエル(Doron Matalon

ミス・イタリア(Valentina Bonariva

ミス・ジャマイカ(Kaci Fennell

ミス日本(Keiko Tsuji)日本語ウィキペディア辻恵子

ミス・カザフスタン(Aiday Issayeva

ミス・ケニア(Gaylyne Ayugi

ミス韓国(Yoo Ye-Bin

ミス・コソヴォ(Artnesa Krasniqi

ミス・レバノン(Saly Greige

ミス・リトアニア(Patricija Belousova

ミス・マレーシア(Sabrina Beneett

ミス・モーリシャス(Pallavi Gungaram

ミス・メキシコ(Josselyn Garciglia

ミス・ミャンマー(Sharr Htut Eaindra

ミス・オランダ(Yasmin Verheijen

ミス・ニュージーランド(Rachel Millns

ミス・ニカラグア(Marline Barberena

日本代表の方も、日本語のほかに英語のWikipediaでもリンクしておきます。

今日もレベルが高いですね。ラテンアメリカの女性たち以外にも、英国や日本、韓国、ニュージーランドほかの代表の女性も美人です。また、イスラエルとレバノンの代表との間ではトラブルもありました。CNNの記事より。

>ミス・レバノンとミス・イスラエルが1枚の写真に、波紋呼ぶ

2015.01.19 Mon posted at 12:07 JST

(CNN) ミス・ユニバース世界大会を前に、イスラエル代表の女性が同国と対立関係にあるレバノンの代表らと並んで写真を撮り、インターネット上に公開したことが波紋を呼んでいる。

今年のミス・ユニバース世界大会は21日に米フロリダ州マイアミで開催される。各国代表が続々と現地入りするなか、ミス・イスラエルのドロン・マタロンさんが11日、画像共有サイト「インスタグラム」に1枚の写真を投稿した。

マタロンさんがミス・レバノンのサリー・グレイゲさんやミス・スロベニア、ミス日本と並んでほほ笑む場面に、「私たちからグッド・モーニング」という言葉が添えられている。

これに対してイスラエル、レバノン両国の対立関係を指摘するコメントが寄せられ、ネット上で議論が巻き起こった。

グレイゲさんは17日、交流サイト「フェイスブック」を通し、この写真の「舞台裏」を説明した。それによると、世界大会に向けた準備が始まってからずっと、グレイゲさんは「ミス・イスラエルとの写真撮影や接触を避けるよう細心の注意を払っていた」という。

ところがミス・スロベニア、ミス日本と3人でカメラの前に立った時にマタロンさんが突然加わり、「自分撮り」した写真をネットに流してしまったと、グレイゲさんは説明する。

マタロンさんは18日、この騒ぎを取り上げたウェブサイトの画像とともに、「驚いてはいないけれど悲しい気持ち。この3週間、世界の女性たちと出会うまたとない経験の間だけでも、敵対心を抜きにすることができないのは残念です」というコメントを発表した。

マタロンさんが最初に投稿した写真にも、同様のコメントが寄せられている。あるレバノン人は「この写真に何も問題はない。暴力より平和を広めるべきだ」と書き込んだ。

大会事務局にコメントを求めたが、今のところ返答はない。同大会に政治問題が影を落とすのはこれが初めてではなく、2002年にはミス・レバノンがミス・イスラエルと同じステージに立ちたくないとの理由から出場を辞退したと報じられた。

私としては、ミスコンの大会では、そのような話はなしにしてくれればなあと思いますが、本人の意思だけの問題ではありませんからね。難しいところです。オリンピックなどでも、アラブ圏やイランの選手などが、イスラエルの選手との対戦をボイコットするということもあります。これも選手個人の意思では済まないところがあります。

次回で終わりです。

同じ日の追記:上のイスラエル代表とレバノン代表との間のトラブルの話で、別の記事がありますのでこれも参考までにご紹介します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150119-00000042-reut-ent

>ミス・ユニバのレバノン代表、「敵国」イスラエル代表との写真で物議
ロイター 1月19日(月)12時27分配信

[ベイルート 18日 ロイター] - 米フロリダ州で25日開催されるミス・ユニバース世界大会のイスラエル代表がレバノン代表と一緒に撮影した写真が、レバノン国内で物議を醸している。

イスラエルとレバノンは交戦状態にあり、レバノン人がイスラエルに電話をかけたり、旅行したりした場合は収監される恐れがある。また、レバノンでは全てのイスラエル製品が禁じられている。

イスラエル代表のドロン・マタロンさんはコンテスト準備中、レバノン代表のサリー・グレイグさんと撮影した写真をソーシャルメディアに投稿。レバノンでは、敵国の代表と接触したグレイグさんのタイトルを剥奪するよう求める声も上がっている。

グレイグさんは写真共有サービスのインスタグラム上で17日、マタロンさんに一緒に写真を撮るよう求められ、最終的には他国代表との写真撮影で紛れ込んできたと弁明した。

グレイグさんは「到着初日から、何度も一緒に写真を撮ろうとしてくるイスラエル代表と撮影することにならないよう、また会話を交わさないよう細心の注意を払っていた」と説明。「日本代表、スロベニア代表と写真を撮っている時に、イスラエル代表が突然入り込み、写真を投稿した」としている。

さすがに

>敵国の代表と接触したグレイグさんのタイトルを剥奪するよう求める声も上がっている。

というのは行きすぎだと思うし、事実今日までグレイグさんのタイトルは剥奪されていませんが(今後はわかりませんが)、正直こういう話は「正論」が必ずしも通じる話ではないですからね。難しいところです。

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ミス・ユニバース2014の美女たち(1)

2015-01-28 00:00:00 | 美女探求

このブログでは例年ミス・ユニバースに出演する美女たちをご紹介しています。12月に行われた年(2012、2013年)は、12月31日に記事を書いています。

2014年はこのコンテストが開催されず、2015年1月開催の大会が2014年の大会になりました。1月25日に勝者が決まりまして、優勝はコロンビアのポーリーナ・ベガです。やはりスパニッシュの女性は強いですね。

というわけで、3回にわたってまた出場した美女たちを特集します。例年はコンテストの水着審査の写真を取り上げていたのですが、毎年同じでは芸がないし、またポーズ、カメラアングルともあまり変化がなくいまひとつ面白くないので、今回はミス・ユニバース協会のHPにあるグラムショットをお見せします。出場者の細かい情報は、ミス・ユニバース協会のHPと英語版Wikipediaに全出場者の記事があります。すべての女性のWikipediaをリンクさせておきますので、興味のある方についてはそこもお調べください。

なおミス・ユニバース協会のHPに掲載してある女性たちの情報はけっこう面白いので、英語を読むのが苦にならない方はお読みになることをお勧めします。

それでは・・・。順番は、英語による国名のアルファベット順です。

ミス・アルバニア(Zhaneta Byberi

ミス・アンゴラ(Zuleica Wilson

ミス・アルゼンチン(Valentina Ferrer

ミス・アルバ(Digene Zimmerman

ミス・オーストラリア(Tegan Martin

ミス・オーストリア(Julia Furdea

ミス・バハマ(Tomii Culmer

ミス・ベルギー(Anissa Blondin

ミス・ボリビア(Claudia Tavel)

ミス・ブラジル(Melissa Gurgel)

ミス英領ヴァージン諸島(Jaynene Jno Lewis)

ミス・ブルガリア(Kristina Georgieva)

ミス・カナダ(Chanel Beckenlehner)

ミス・チリ(Hellen Marlene Toncio)

ミス中国(Yanliang Hu)

ミス・コロンビア(Paulina Vega)

ミス・コスタリカ(Karina Ramos)

ミス・クロアチア(Ivana Mišura)

ミス・キュラソー(Laurien Angelista)

ミス・チェコ共和国(Gabriela Franková)

ミス・ドミニカ共和国(Kimberly Castillo)

ミス・エクアドル(Alejandra Argudo)

ミス・エジプト(Lara Debbane

ミス・エルサルバドル(Patricia Murillo

ミス・エチオピア(Hiwot Mamo

ミス・フィンランド(Bea Toivonen)

ミス・フランス(Camille Cerf)

ミス・ガボン(Maggaly Nguema

ミス・グルジア(Ana Zubashvili

ミス・ドイツ(Josefin Donat

読者の皆さまは、この中ではだれが好みでしょうか。私の好みを書くと、カナダ、チェコ、ドイツ(彼女は、ライプツィヒ市!の出身とのこと。典型的な、プロイセン系美女ですかね)、あとスパニッシュ系の女性はみんな美人だと思います。

明日も続きます。

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ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(2)

2015-01-27 00:00:00 | 映画

彼はガールフレンドをいっしょに1年コペンハーゲンへ引っ越した、そして無名の存在でいようと試みた。しかしタジオとしての彼の役割は、付きまとい続けた。「あらゆることで最悪のことは」と彼はいう。「希望や夢や、実際の自分がどんなものなのかということに、誰も関心をもってくれないってことですね」彼は、単に美少年であることを期待された。そしてそれがすべてだった。

「友人の家のパーティで、リストピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 を初めて弾いたときのことを覚えています。有名なスウェーデン人の作曲家であるカルル-エリク・ヴェリンの家です」と、彼は回想する。「演奏が終わったら聴いている人たちは拍手してくれました。それは大したことじゃありません。ところがスーツを着た若い女性がやってきて言うんです。「ああ、あなたって、ほんとになんかすることができるのね!」

美少年として永遠であることは、ありがたいことではない。罵り言葉のようなものだ。「ぼくは檻の中の珍しい動物のような気分です」という。おまけに、まだ人生これからの時にそのような経験をしてしまったので、その後何年にもわたって彼の経験はゆがめられた。「今ですらですねえ、女の子と遊ぶことなんかできませんよ。ただ指を鳴らすだけで、有名人であるというチャンスを逃すというあまたの教えがあるんですから」

それでは、有名なフェミニストによって欲望の対象として自らをふさわしいと思うのは変であろうか? そのような対象化に精密に対抗するフェミニズムの本来の反抗の一部だったのだろうか?

「皮肉な話ですが、確かにそうですね」アンドレセンは認めた。彼は大人になってから、あらかた自分が無名の存在であり、群衆の中の単なる一人であるようにと過ごしてきた。見た目を変えようとしているのだろうか?

「見た目だけじゃありません、ぼくの個性全体です」感情をこめていう。現在48歳である彼は、けっきょく15歳の時の自分と多少なりとも似たようなことを我慢している。「思いやりのある年長の女性の中には、今でもぼくだと分かる人もいます。でもなんとか無名でいようと一生懸命なんです」

今日、彼は自分は仕事に埋もれていると述べる。しかし彼がキーボードを弾いているバンドであり、メンバーは違うが60年代から活動している「スヴェン・エリクス」に生きがいを見出しているともいう。80年代初期、ガールフレンドが妊娠した後、アンドレセンは最終的に演劇学校に学んだ。ストックホルムで小さな劇場を運営する仕事に就き、演出から照明、皿洗いにいたるまえなんでもこなした。人生の中でたぶんもっとも充実した時期だったという。「映画の仕事を断れるのがどんなにいいものか、ということです」

その時から、アンドレセンは、子どもの1人の幼児期における死と避け難かったという離婚を耐え抜いた。最近彼は、俳優活動を再開すらしている。厳密には舞台でのことだ(テネシー・ウィリアムズの劇だ)。彼にとってはほとんど驚きだが、演じることを自分が好きであることに気付いた。なぜならそれは、自分の選択であると感じるからだ。「ほかの人とまったく同じように、最近は頑張らなくちゃいけないんです。それはほんとのところすごくいい気分です」

時々いまだ彼は、ポスターやチラシでタジオとしての自分の写真を見る。かつては彼が気に障る原因となったものだが、しかしそれだけだ。「ぼくのキャリアは、最初にすごい頂点に立ってそれから下がり続けるというめったにないものです」彼はいう。「それはさびしいものです」

しかしグリアーの「The Boy」に関しては、その出版はいまだ心を苦しめる。「彼女も出版社も、ぼくに前もって問い合わせることができたじゃないですか」と彼は述べる。

それはそうだ。しかしもし問い合わせがあったら、彼は許可しただろうか?

「もちろんしませんよ。死ぬまでするわけないじゃないですか」 

(了)

ちょっと注釈:前の記事で日本で「ベニスに死す」は

>映画が大ヒットしていたのだ。

とありますが、実際にはそんなにヒットしなかったはずです。話題先行で、アンドレセンは評判になりましたが、映画自体は文芸作品を原作とする芸術映画ですから、なかなかヒットするようなものではない。事実その後のヴィスコンティ作品である「ルードヴィヒ」「家族の肖像」「イノセント」は、どれも日本公開まで数年を待たなければなりませんでした。

また

>アンドレセンは、子どもの1人の幼児期における死と避け難かったという離婚を耐え抜いた。

とありますが、奥さんとは復縁したとのこと。お子さんは息子と娘だそうで、亡くなったのは息子さんですから、写真に写っているのは娘さんです。このあたりは、日本語版Wikipediaにものっていますので、よろしければ確認してください。

それから、前の記事IMDbからの引用として紹介した発言

>ぼくは16歳で、ヴィスコンティと撮影スタッフが、ぼくをゲイのナイトクラブへ連れて行ったんです。まわりはほとんどみんなゲイでしたね。クラブのウェイターたちを見ていて、ぼくはすっかり気持悪くなってしまいました。彼らったら、ぼくをあたかもごちそうみたいな視線で徹底的に見つめるんです。なんの反応もできませんよね。社会のなかで自ら命を絶つようなものでした。でもそれが、さんざんそんな目にあう最初だったんです

は、この時の記事のものだったのですね。それは、こちらにも書いてありました。また最後の「頂点に立って・・・」という発言も、IMDbに引用されています。

なおこちらのサイトは、アンドレセンについてとても充実しているサイトですので、彼に興味をお持ちになった方は、ご一読されることをおすすめします。また前にも紹介しましたが、こちらの本もすばらしい本です。

ヴィスコンティのスター群像

ギターを弾いていたり、仲間と歌っている写真など、珍しい写真が収録されています。また家族写真は、こちらのサイトからいただきました。英語版Wikipediaによると、上の記事にある「スヴェン・エリクス」での活動はすでにアンドレセンはしていないとのこと。スウェーデン語版Wikipediaに、このバンドの項目がありましたが、メンバーには彼の名前は記載されていません。

なお、一番上の女性との写真は、彼が付き合っていた女性なのかは不明です。また途中の上半身裸の写真は、1977年の映画「Bluff Stop」からのものとのこと。

最後にアンドレセンの21世紀になってからのお写真を。最初の写真が2003年、黒い服の写真が2005年だそうです。最後の写真は、ポーズその他にかつての雰囲気を感じました。

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ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(1)

2015-01-26 00:00:00 | 映画

前に書きましたように、、ビョルン・アンドレセンは本日1月26日が彼の60回目の誕生日ですので、それを記念しまして2003年に英国の「ガーディアン」に発表された彼についての記事を翻訳して発表します。彼のファンの方もそうでない方も、1人の世界的なセンセーションを巻き起こした俳優の肉声を聞いていただければ幸いです。

なお下の記事には、やや事実関係が不審なところが見受けますが、それは記事中に注釈し、また明日の記事で指摘します。また記事中の写真は、私が勝手に探してきたものです。

それでは・・・。

「過去を思い出す」ビョルン・アンドレセン―「ベニスに死す」の美しきタッツィオが、ジャーメイン・グリアーの新著のカヴァーになぜ怒り狂っているかを語る。

マット・シートン

ガーディアン 2003年10月16日木曜日

ビョルン・アンドレセンは、ジャーマイン・グリアーの新著の表紙に取り上げられているだけだ、しかし彼はそれをとても不快にしている。その理由は、グリアーの芸術史と身近なエロティックとが元気よく特徴的に結びついている「The Boy」の表紙を、アンドレセンの肖像が美しく引き立てている。彼は、現在、あるいはかつてはもっとその役割にふさわしい少年だったからだ。

1970年、15歳のアンドレセンは、トーマス・マンの小説を原作とするルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」でタジオを演じた。アンドレセンは1夜にして有名人になった。この世のものではないというように賞賛され、ブロンドのイメージで固定され、ダーク・ボガードの演じるグスタフ・フォン・アッシェンバッハにとっての欲望への運命的な標的となった。しかしそれは彼そのものではなかった。

「少年は、女性の凝視の対象として討論べきものでない」と著書の中でグリアーは述べる。しかしヴィスコンティの映画への出演以来、アンドレセンは、男性からも女性からもじろじろとした視線を感じている。「The Boy」での彼の肖像の使用は、さらなる歓迎すべからぬ瞬間だった。彼は語る。「不快であることに似ていることに役立っているって感じですね」

彼が説明するに、彼の嫌悪の幾分かは、ストックホルムの彼の自宅から発信している道徳だという。「思春期の少年少女への大人の愛ってのは、原則としてはぼくが反対することです」という。「たぶん感情的にも、頭でよく考えたものとしても、それに困惑させられています。その種の愛がどのようなものか、あるい程度はつかめていますからね」

「その種の愛」についての彼の経験は、1970年(訳者:1971年の間違いでしょう。あとのほうでアンドレセンも「16歳」と言っています)のカンヌ映画祭だった。ヴィスコンティのその作品が最初に大評判となったのだ。「ぼくは16歳で、ヴィスコンティと撮影スタッフが、ぼくをゲイのナイトクラブへ連れて行ったんです。まわりはほとんどみんなゲイでしたね。クラブのウェイターたちを見ていて、ぼくはすっかり気持悪くなってしまいました。彼らったら、ぼくをあたかもごちそうみたいな視線で徹底的に見つめるんです」と、彼は言及する。

「なんの反応もできませんよね。社会のなかで自ら命を絶つようなものでした。でもそれが、さんざんそんな目にあう最初だったんです」

アンドレセンが少しも同性愛者でないことは首尾一貫している。「ぼくは、ゲイの人たちとあまりに長く一緒にいすぎました」しかし「世界最高の美少年」というキャッチフレーズが、彼のゆくところどこにも付きまとった。彼の熱狂的ファンがすべて男性だったわけでは決してない。「ベニスに死す」の成功が原因となって、彼は祖母から日本へ行くことをすすめられた。映画が大ヒットしていたのだ(訳者:明日の記事の注釈を参照してください)。スウェーデンで子役として彼を最初に売り出そうとしたのかは彼女だった。「祖母は、ぼくがとても才能があって、有名になってしかるべきだと考えていたんです、どういうことがおわかりでしょう」冷淡に語る。祖母は、たしかに望みをかなえた。数週間のうちに、彼は2曲ポップソングをレコーディングし、数本のコマーシャルに出演した。アンドレセンが日本で活動していた時、女の子たちが自分に群がってくることに気付いた。「米国でのビートルズの写真を知っているでしょう。あんなもんでした。興奮状態でしたね」

アンドレセンが本当に好きだったのは音楽だった。学園生活を終えて、彼は音楽大学で学ぶことを望んだが、それはかなわなかった。その代わり、彼はスウェーデンで最高レベルとみなされる指導者からピアノの個人レッスンを受けた。日本から戻ってからの彼の野望は、デューク・エリントンスタイルのビッグバンドを始めることだった。しかし映画の他の役を演じることに圧迫を感じてしまった。パリで1年間を過ごして、マルコム・リーの「How Lovely Are The Messengers」という映画の撮影開始にそなえて待機したりもした、そしてその映画は製作されることはなかった。「ぼくのキャリアは、一言で要約できます」彼はいう。「混沌(カオス)です」

(続く)

ちょっと注釈:特に注釈の必要もないでしょうが、2枚目の写真は記事にあるカンヌ映画祭の時の写真、3枚目は日本入国時の写真です。

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(53)

2015-01-25 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

さらに街を歩きます。

この写真は、地面に寝転がって撮りました。地面に寝転がって写真を撮ったのは、たぶんこの時が人生で3回目です。最初に撮ったのは、ニューヨークのロックフェラーセンターです。いい写真にはなりましたが、しかい今にしてみれば、よくあんなところで寝転がって写真を撮ったな。

空港が近くにあるせいで、飛行機雲をよく見ます。ゴダールの「パッション」の冒頭シーンを思い出してしまう私。

もう少し街を歩きます。

(つづく)

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(52)

2015-01-24 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

やはり昨日ほどはにぎわっていません。

黒人の人は割と多く見かけます。

この店です。

広場周辺をぶらっと歩きます。

土曜のせいか、家族連れが多いですね。それにしても上の写真の女の子も、脚とかはさすがにきれいですね。

顔をそむけているのが、偶然か必然かは不明。

大きな塔が見えます。どこでもキリスト教会の建物は目立ちます。

きれいな店内です。

 なかなかいい眺めです。

(つづく)

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旅行の際には大量の本を持っていってしまう

2015-01-23 00:00:00 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々 旅行全般)

旅行の際にはたくさんの本を持っていってしまうのが、私の悪いところです。昨年末~今年初の北京旅行(8泊9日)で、私が持っていった本は次の通りです。

 

 フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

 

荒野のおおかみ (新潮文庫)

 

文明論之概略 (岩波文庫)

 

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325) (ほかに「中」「下」も)

 

 数学の学び方・教え方 (岩波新書 青版 822)

 

覇権か、生存か―アメリカの世界戦略と人類の未来 (集英社新書)

 

目ざめへの旅―エドガー・スノー自伝 (筑摩叢書)

 

経済原論 (有斐閣Sシリーズ)

 

ゲバラ コンゴ戦記1965

 

D03 地球の歩き方 北京 2014~2015 (ガイドブック)

 

るるぶ北京 (るるぶ情報版海外)

 

決定版 北京グルメガイド

 合計すると、14冊持っていっていますね。

それで・・・読了したのが、数学の本だけです。ガイドブックは3冊とも参照して大いに役立ちましたが、あとはゲバラの本を7割読んで、「文明論之概略」は途中まで、丸山先生の注解書は「上」の2/3くらいです。

うーん、荷物になっただけですね。そんなことは重々承知のくせに本を大量に持っていってしまう私。

事実「怒りの葡萄」とか「ボヴァリー夫人」とか、そういった古典的な大部の小説は、だいたい私旅先(というか、列車や飛行機の中で)読んでいるというのも事実です。最近はネットに時間を食われて本を読む時間も減ったし、また家にいるときはより実用的な本を読むことが多いですから。経済学の本とか古典文学とか、数学の本なんて、なかなか自宅で読む気がしません。しかしこれではいけませんね。「目ざめへの旅」なんて、中国で読んだらさぞ面白いだろうなと思って持っていったのですが、遺憾ながらページを開けることすらありませんでした。

最近は旅先でもネット検索が容易になったので、別に旅だからといってネットと無縁のわけでもないのですが、しかし今回私はネットと無縁にいました。で、やはりそれがよかったように思います。それはわりと精神衛生上良い方向に作用したようです。

というわけで、これからも旅先には大量の本を持っていって、余計な荷物にしようと思います。

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ここ数年来、あんまり年末年始を日本で過ごしたことがない

2015-01-22 00:00:00 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々 旅行全般)

年末年始、どうやって過ごしているかなとちょっと考えてみまして、過去数年の様子を再確認してみました。

06~07年:オーストリア(ウィーン、ザルツブルク)、ハンガリー(ブダペスト
07~08年:沖縄
08~09年:韓国(数都市)
09~10年:韓国(数都市)
10~11年:三重、愛知
11~12年:中国(アモイ、上海ほか)
12~13年:ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)
13~14年:ベトナム(ホーチミン)、カンボジア(プノンペン)、韓国(ソウル)
14~15年:中国(北京、天津)

ハンガリーからベネルクスに関しては、旅行記をこのブログで掲載していますので、最初の1回目の記事をリンクしておきます。ザルツブルクは遺憾ながら中断しています。

ここ最近で1月1日に自宅にいたのは、2011年の1月1日だけです。このときは、1月1日午後に家を出て青春18きっぷで名古屋方面に出かけました。

なぜこの年に外国に行かなかったのか記憶にありませんが、大学院で修論とかをやっていたからかな? 実はこのころは、仕事の関係でろくでもないことが山ほど起きていて、普段そんなことを考えることは一切ないのですが、1日に2か所のパワースポットを訪れれば何かいいことがあるかもしれないなどと、われながら信じがたいほど馬鹿なことを考えて、伊勢神宮と熱田神宮に行ったわけです。そうしたら2011年は私にとって最低最悪な年でしたので、以後一切そのようなことを信用することをやめました。もう私が初詣をすることはありません(笑)。

それはともかくとしまして、今年の年末年始(15年末~16年初)は、前にも記事にしたアルゼンチン、ウルグアイ紀行か、そうでもなければベルリン、プラハ紀行を考えています。実際には予算の関係で、また近場(韓国とか台湾とか)になるかも。南米紀行は、何が何でも行くつもりですが、行くとすると9月のシルバーウィーク(ゴールデンウィークや7月、8月あたりは、ちょっと難しそうなので)か年末年始になるかなと考えています。9月に行ければ年末年始はベルリンとプラハ紀行になるかなです。

だから私は、「紅白歌合戦」も箱根駅伝も見ません。紅白は、NHKの海外放送が見られれば視聴できますが、別にそんなに興味はない。もっとも紅白というのは、NHKがその年の日本をどう認識しているかというのを理解するためにはとても興味深いものはあります。箱根駅伝はあんまり好きでないので、これは見ないでもなんとも思いません。

年末年始の旅行になるかどうかは別ですが、これからも年2回のやや長めの旅行と2泊から3泊くらいまでの旅行をしてそれを記事にして行きたいと思います。なお、私が行こうかと計画(他はともかく、旅行はわりと私は長期に計画を立てるようにしています)している国(韓国やミャンマーなど、繰り返し行っている国は省略)や都市を下に記します。

シンガポール、マレーシア、インドネシア、ウガンダ、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ニューヨーク、スウェーデン、フィンランド、プラチスラヴァ、ウィーン、東カナダ(モントリオール、ケベック、トロントなど)、パリ、スイス、フェロー諸島、ベラルーシ

他にも行きたい国はたくさんあります。オーストラリアとかニュージーランド、チュニジアなども行かねばな。旧ソ連の中で、私が行ったことがあるのは2か国(ロシアとウクライナ)だけなので、上にあげたベラルーシ以外にも、バルト3国のような旅行者に人気がある国のほか、モルドヴァみたいなあまり人気のない国もふくめて全15共和国を制覇するつもり。そういえばポーランドや旧ユーゴスラヴィアなども行かねばなりません。旧ユーゴで私が行ったのは、クロアチアだけです。クロアチアいいとこ、みんなでおいでです。私が自信をもって他人に旅行先としてすすめることのできる国です。

別に私も年がら年中休みを取れる人間じゃないし、また(当然ながら)そんなに金持ちでもないので、たとえば車は持っていないし(別に車が必要なところに住んでいるわけでもないですが)、ほかにも旅行に行くために金をあまり使わないようにしています。これは誰でも同じでしょう。

というわけで、これからも週末、祝日には海外旅行の記事を中心に発表して行きたいと考えますので、旅行に興味のある方はもちろん、ない方も、一個人旅行者の軌跡をたどるという意味で、拙ブログの旅行記を読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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