ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ルーシー・ヴォーデンが亡くなる

2009-09-30 05:43:59 | Weblog
ルーシー・ヴォーデンさんがお亡くなりになりました。といっても、たぶんわかる人は少ない(というか、ほとんどいない)でしょうが、彼女はビートルズの歌「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」のルーシーです。



記事はこちらより。

>ルーシーさん死去 ビートルズの曲名に採用
2009年9月29日(火)10:01
 【ロンドン共同】ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」の制作にインスピレーションを与えた絵のモデルだったことで知られる英国人のルーシー・ボーデンさん(46)が死去したとAP通信などが28日、伝えた。ルーシーさんは、ビートルズの故ジョン・レノンさんの息子ジュリアン・レノンさんの保育園時代の友人。ルーシーさんは免疫の病気を患っていた。

こちらも。

>ビートルズの名曲誕生のきっかけとなった女性が死去
2009年9月29日(火)16:50
 [ロンドン 28日 ロイター] ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」の制作にインスピレーションを与えたルーシー・ボーデンさんが、免疫の病気により死去したことが分かった。46歳だった。 ルーシーさんの闘病生活を支援していた慈善団体が28日明らかにした。 

 ルーシーさんは、ビートルズのメンバーだった故ジョン・レノンさんの息子ジュリアンさんと幼少期の友人で、ジュリアンさんがダイアモンドを持って空にいるルーシーさんの絵を描いたことをきっかけに、レノンさんが曲を作ったという。

 アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録されたこの曲は、幻覚剤「LSD」についての曲だと考えていたファンもいたが、ルーシーさんは2007年にBBCラジオで、自身がモデルだったと話していた。


こちらがルーシーさんが描いた絵です。




かつては、映画の美術家だったルーシー・リチャードソンさんが歌のモデルだったという説もありましたが、現在では一応ヴォーデンさんのほうがいう本物のルーシーだということになっているみたいです。なお、リチャードソンさんのほうも、気の毒に若くしてお亡くなりになっています。

ルーシー・ヴォーデンさんは1963年まれです。旧姓オドンネル(オドネル)で、ジュリアン・レノンと幼稚園で同級生でした。彼女が4歳のときに書いた絵を見たジョン・レノンがそれにインスパイアされて、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」を作った・・・というのがこの曲が作られた過程みたいです。

しかし彼女は、あまりこの歌を気に入っていなかったみたいですね魚拓)。ビートルズの歌のモデルになったなんて、ファンでなくても「すごい」と思いますが、やっぱり典型的ドラッグソング(LSDだとか)として扱われたなんてところが気になったのでしょうか。

ついでながら彼女は名前からするとアイリッシュがルーツの英国人みたいですね。ジョン・レノンもアイリッシュですから、そんな共通点はあったということです。



彼女の死因は、全身性エリテマトーデスという病気で、私もよくは知りませんが膠原病の一種のようですね。彼女の死を発表したのもこの病気の団体です(魚拓)。お亡くなりになるちょっと前に、ジュリアン・レノンが彼女を見舞っています。ジュリアンは、ガーデニングが趣味だったという彼女にその関係のものをプレゼントしました。彼は、



>最初は、どうやって彼女に近づけばいいかもわからなかったんだ。ルーシーにメモだけでも渡したかった。そうしたら彼女がガーデニングがものすごく好きだってことを知ったんだ。彼女が大好きなことで何かをしてあげられるって思った。ぼくもガーデニングは好きだしね。彼女がほほ笑むことができるようにしたいと思っている。

APの取材で語ったそうです(魚拓)。

さらにルーシーさんも語りました

> "It was lovely of Julian [to get in touch]."



すいません、本日の記事はあまりにマニアックでしたね。興味のない方からすれば面白くもなんともない記事でしょうが(ブログだから別にいいんですけど)、この歌(エルトン・ジョンのカヴァーもふくめて)を聞く機会も一生に何回かはあるかもしれません。その際この私の記事を思い出す可能性はあまり高くないかもしれませんが、でも万々が一にも記憶の片隅に残っていただければ幸いです。

最後に、ルーシーさんのご冥福をお祈りします。
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香港・マカオ紀行 2009年夏(15)

2009-09-29 03:35:11 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)


歩いていると、ジョージ5世記念公園なる公園がありました。すこし休憩を兼ねて、散策してみます。



サッカーをやっていました。ここの隣には、バスケットボールのコートがあって、やはり練習をしていました。



しばらくして試合が始まりました。ちらっと見た限りではレベルはそれなりに高かったみたい。





人通りの多いとはいえない路地を歩きます。







それにしても最近のカメラってほんと性能がいいですね。私程度の素人でも、かなりきれいな写真が撮れます。
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香港・マカオ紀行 2009年夏(14)

2009-09-28 06:41:57 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)


写真は載せませんが、セブンイレブンに笑顔のいい女の子がいました。どうしても中国の人って、日本人ほどサービス業が親切とはいえないのですが、彼女はなかなかいい笑顔をしていました。だんだん中国(ここは香港ですが)もかわっていくのかも。暗くなってきて、街の雰囲気も良くなってきました。

それはそうと、英語学習中心って、学習塾か何かなのですかね。香港も、儒教文化圏の通例にもれず、教育熱心なところです。



こんな店がありました。味はどんなもんなのでしょうか。



もうちょっと上のほうまで登ってみることにしましょう。





こうやって薄暮の香港の高いところからかすかにヴィクトリア湾を望むっていうのもなかなかいいですね。私も何回も香港に行っていますけど、ここははじめてきたところですので新鮮です。



坂を下ります。



さらに街を散策します。



「日本」という文字が目に入ったので何だと思ったら、日本脳炎予防のポスターですか。いまどき香港で日本脳炎に罹患することもないと思いますが、どんなもんですかね。たしかに香港は、インフルエンザや新型肺炎など、流行性疾患についてはわりとやばい地域ではあります。広東省あたりの家禽や家畜がウィルスを媒介するわけですよね。
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香港・マカオ紀行 2009年夏(13)

2009-09-27 00:00:01 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)


トラムに乗って上環へ向かいます。時間はかかりますが安いし、香港庶民の足を使うのも悪くありません。



高台のほうへ歩いていきます。





かなり古い建物から高いビルまでありますね。







そろそろ日が暮れてきてあたりも暗くなってきました。



ヴィクトリア湾をのぞみます。で、この写真を見て思ったのですけど、香港ってあんまりバイクが似合わない街ではないかと。台北あたりはバイク、バイク、バイクですが。
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香港・マカオ紀行 2009年夏(12)

2009-09-26 02:21:42 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)
香港紀行の記事を再開します。

すいません、本来なら先日私が渡航した某国についての記事を書くべきなのでしょうが、そうすると確実にこの香港紀行が完了しそうになくなる(そのような旅行記、このブログには結構あるもので)ので、香港紀行を終わらせてから某国の記事を書きます。しかしそうすると、いったいいつごろの執筆になるのでしょうか。管理人の私もさっぱり予想がつきません。

そんな話はともかく、香港の続きです。



マカオもそうですが、香港も土地が貴重なので、日々埋め立てを行っています。ここもしばらくすれば大変身するんですかね。

さて、中国系でない女性たちが広東語でない言語をしゃべって大勢たむろしています。







さらに女性たちがたくさん座り込んでいます。お、なにか抗議の座り込みがデモか…というわけではなく、日曜日には、中環にはおもにお手伝いさんとして働いているフィリピン人女性が集まってきます。彼女らは、仲間とあったり教会に行ったり、情報交換をしたりいろいろな目的で集合するわけです。

「リトル・マニラ」といいますか、正直ほとんど女性だけのフィリピン人の方々が香港の中心部にこれだけ大集合していると、初めてこの光景を見たときは(彼女らがいるという知識はありましたが)かなり異様なものに見えました。今は慣れましたが。



香港名物のトラムに乗るため、通りを横切ります。



九龍サイドとくらべると、ずっと洗練されたというか、クールな雰囲気がありますね。

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全員同じ人

2009-09-25 04:42:32 | 美女探求
誰とはあえて書きませんが、私が好きなモデルさんの顔の変化を時系列でお見せします。写真の大きさは、適当にオリジナルからペイントで切り取ったもので他意はありません。







以上3枚は、2005年の写真です。



2006年の写真です。



2007年の写真です。



2008年の写真です。



2009年の写真です。

この女性は、私の大好きなモデルさんなんですが、正直2009年の写真を見たときは驚きました。容姿の衰えというよりもあまりの顔の変化に・・・・。何がどうしちゃったんですかね。

もっともこの女性、おめでただそうなんですけど。

というわけで、良いお子さんを。
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日の丸なんてものにたいていの日本人は関心がない

2009-09-24 07:34:18 | 社会時評
櫻井よしこが、自分のブログで次のような記事を発表しています。

>それにしても、隣国には国旗法があり、国民、国家の統合の印としての太極旗を手厚く守っている。隣国の人びとの目に日本の民主党の、日の丸に対する思いの欠如はどう映るだろう。

日の丸を切り裂き、2枚つないで民主党旗を作った人々、あるいはその旗の前で多くの人々に講話をしながら、旗の異常を気にもとめなかった民主党議員や候補者の、日の丸への愛情のなさや無関心には暗澹たる思いだ。


この後、櫻井は日の丸の歴史を説明したうえで、

>このように、幾十世紀、幾十世代の思いが注がれ日の丸は日本の国旗となり、国民のあいだで定着してきた。それを無惨に切り裂いた「けしからんことをやった人間」(鳩山由紀夫氏)、そのことを取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人。本当におかしくなった日本の姿がくっきり浮かんでくる“事件”だった。


と主張します。

最近「産経新聞」に思いっきり時代錯誤で頭の悪い論説を書いた櫻井ですが(こちらこちらこちら魚拓1魚拓2魚拓3)、これもずいぶんひどい記事ですね。

産経の論説にいたっては、ほとんどたちの悪い政治的アジビラ以上のものではありませんが、今回はこのブログの記事について批判させていただきます。

櫻井(と、そのお友達が)がこのような文章を書く気持ちはわからんではありませんが(別に賛成するというわけではありませんよ、気持ちはわかるっていうだけの話ですよ)、でもこれは日本の現状を照らし合わせてみると、かなりの世迷言でしかありませんよねえ。

個人的な考えでは、自民党はこの日の丸事件はかなり喜んだのではないかと思いますが(民主党攻撃の材料ができたということで)、ほとんど選挙では関係ありませんでした。

櫻井にしても一部の極右の人にしても、なぜ日本国民は日の丸に対するこんな仕打ちに黙っているんだと怒りを隠せないのでしょうが、それは仕方ないですよね。だって日本人は、日の丸なんてものに対して興味関心がないのだから。

私に言わせると、これはけっきょく自民党の進めた右派路線が国民からさしたる反対を受けずに受け入れられていったことと表裏一体なんですね。

自民党が出した怪文書まがいの民主党ネガティブキャンペーンが国民からほとんど相手にされなかったことも同じです。

有権者が興味があるのは景気や医療、福祉であって、日の丸だ、愛国心だ、君が代だなんてことには関心がありません。

したがって、逆にいえば自民党がかなり無茶に君が代とかを学校現場に強要しても国民は反対しませんでした。どうも自民党の一部の頭の悪い人たちは、それが自分たちの政策を国民が支持してくれているとお馬鹿な感違いをしたということでしょう。そうではありません。関心がないだけです。

だから、国会で日の丸をはずしたりとか、学校現場で日の丸掲揚をやめたり君が代斉唱をしないよう民主党が指導したりしても(そんなことするわけないけど)、櫻井みたいな極右や産経新聞は騒ぎ立てるでしょうが、ほとんどの日本国民は「ああ、そうですか」と気にしないでしょうね。

今回のように、非常に与党に厳しい環境の選挙に際して、こんな有権者が興味関心を持たないイデオロギーをがなりたてることくらいしかすることがないのでは、自民党の大敗も仕方ないというところでしょう。そしてそんなことを愚痴っているようでは、櫻井にもあんまり明るい未来はないかも。

以下、本論とは全く異なります。この櫻井の記事のこちらのくだりを読んで、私は失笑してしまいました。


>国旗への敬意も繊細さも欠いている民主党とは対照的な出来事が、お隣の韓国で起きていた。先に死去した金大中元大統領の国葬の締めくくりの場面でのことだ。

ソウル国立墓地で、棺とともに国旗である太極旗を遺族の希望で土中に埋めたことから異例の事態は始まった。埋葬後、「霊柩を覆った国旗は霊柩と一緒に埋葬してはならない」「国旗に土をつけてはならない」と、国旗法で定められていることを指摘された遺族ら関係者は、急遽墓を掘り返すことを決めた。土に覆われた真新しい墓所は暴かれ、太極旗が回収された。

この前代未聞の成り行きに、韓国の友人たちは怒っている。北朝鮮寄りの政策を取り、韓国の正統性を否定し続けた金大中氏は、死してなお、太極旗を辱めるのかという怒りである。


一言。「馬鹿」。

そんな話、死んだ人間に向かってするなよ。愚にもつかない言いがかりもいいかげんにしろ。

こんなクズなこと書いて原稿料もらえるんだから(この記事は、「週刊ダイヤモンド2009年9月5日号が初出)、やっぱり御用文化人っていい仕事みたいですね。私も生まれ変わったら御用文化人になることにします。いや、自民党はすでに政権与党ですらないから、御用文化人というより極右文化人というべきですかね。

これからも拙ブログにて櫻井についてはどんどん批判していきたいと思います。

お断り:例によって櫻井に敬称をつける気はしないので略します。
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ジェーン・バーキン 「ライヴ・アット・パラス」

2009-09-23 21:52:51 | ジェーン・バーキン
お前のジェーン・バーキンの話は聞きあきた、もういい、という読者の方もいるかもしれませんが、すいませんねー、今回でとりあえず彼女の話はひと段落しますからご容赦願います。

さて、「CD」というカテゴリーを作ってみました。新作というよりは、今まで聞いてよかったと思うアルバムについて適当なことを書いていきます。もっともこのブログ、ogatさんのようなほんとのプロのミュージシャンにも読んでいただいているので、当方の素人談義なんか恥ずかしいんですけどね。

今回紹介するCDは、ジェーン・バーキンの先日発売されたライヴアルバム「ライヴ・アット・パラス」です。



今回のコンサートツアーのライヴを収録(パリで2009年3月14日、15日におこなったもの)したものですので、コンサートに行かなかった(行けなかった)方でもジェーンの先日のライヴの雰囲気を楽しむことができます。

なお、ジャケットの写真は、ジェーンが傘をもってコンサート会場の通路を歩く時のものですね。

当然ながら演奏される曲のアレンジは日本で行ったコンサートと同じです。聞いていて、なんだか渋谷のオーチャードホールにタイムスリップしたような錯覚に陥りました。

録音状態も良く、買って損はしないCDではないかなと思います。

日本版には、「ニコチン」「なぜ?」がボーナストラックとして収録されています。これもお得。

個人的には、前の記事にも書いた「想い出のロックンローラー」と「Zによる問題集」「アウンサンスーチー」がよかったかな。もちろんほかにも素晴らしい曲がたくさん収録されています。

それにしても62歳(今年の12月で63歳)のジェーンがワールドツアーをするってのもすごいですね。パワーのある女性です。

また彼女のライヴを聞ける日がくることを願っています。
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ジェーン・バーキンのコンサート 2009(2)

2009-09-21 00:00:24 | ジェーン・バーキン
コンサートは終わりました。が、これで終わりではありません。

出待ちをしなくてはね。



会場をざっと一回りしてみると、主催者ではないのにTBSのクルーがいました。信田さよこさんのブログによると、楽屋でジェーンと福島みずほたちが対談をしたみたいで、その撮影クルーだったみたいです。

そのせいか、ジェーンが会場を後にするのもずいぶん時間がかかりました。

オーチャードホールは裏側に出口があります。ここに、出待ちをする物好き約30名(推定)が集いました。



男性、女性、若い人、それなりの年配の人いろいろですが、女性のほうが多かったかな。

ポスター、チラシ、写真、CD、DVDその他さまざまなものを手にした熱心なファンが、ジェーンの登場をいまかいまかと待ち続けます。

正直これをやっても逃げられちゃうことが多いのですが…。

9時50分ごろ、タクシーが来ました。ってことは、ジェーンは今日はここから出てくれるってことですかね。

係員の方が、

「もうしばらくお待ちください、申し訳ございません」

と丁重に説明してくれました。

珍しいですね、こんな丁寧な人。

だんだんみんな表情が変わってきます。デジカメや携帯をセットします。今回私はご自慢のデジカメを持ってこなかったので(後悔しています)、携帯のカメラをセットして、モードが解除されるたびに設定しなおします。

で、私の隣にジェーンに花束をわたしたさいとうさんがいましたのであいさつします。

私「こんにちは、さいとうさん」
さいとうさん「あ、どうも。明日もですか?」

彼とは2年ぶりの再会です。

そうこうしているうちに(10時8分ごろ)、ついにジェーン・バーキン女史が姿を見せました!!



私たちはいっせいに駆け寄ります。

いろんな人「ジェーン!!」

いっせいに囲まれてしまって、彼女にサインをもらうのも容易ではありません。私は「並ぼう、並ぼう」と言いながら、彼女に無理に近づきます。



で、ちょっと意外だったのは、彼女の身長です。

IMDbでは(1.74m)とあったので、1.77mの私よりやや低いくらいのはずだったんですが、彼女のすぐ近くに立つと1.70よりもう少し小柄な気もしました。お年を召したせいで若干身長がちぢんだのかも。

といっても彼女、まだ62歳ですけどね。

携帯で何とか彼女の顔を撮ることができました。



一応断わっておきますと、左側の指というか手は、私のではありません。どうでもいいことかもしれませんが。

彼女にかなりむりやり近づきました。見ると、オリーヴドラブのジャケットに、スーチーさんのバッジがついていました。

私はこの日、彼女のDVDとCD2枚を用意していました。どれかにサインしてもらうつもりだったのですが、DVDにしてもらうことにしました。

彼女の眼の前に、強引にマジックペンとDVDを差し出すと、彼女は自分の持っていたブルーのペンでなく、私のペンでサインをしてくれました!!

やったー!!! まさか、ジェーン・バーキンからサインをもらえるなんて想像もしていませんでした。握手は控えましたが、しかし彼女の右手をちょっと触れることができました。いままで私は、体に触れたことのある一番の有名人はシルヴィ・ヴァルタンだったのですが、この瞬間、ジェーンに変わりました。

私「メルシー、ジェーン。オー・ルヴォワール!!!」

小学生だって言えるつまらんフランス語を話してしまいました。今にしてみればもう少し気の利いたことを話せばよかったな。

ちかくにいる女性(もちろん全然知らない人)に、「いやー、ほんとうれしいですよ」と大声でわめいてしまいました。年甲斐もない行為ですが、それだけ嬉しかったのです。女性もジェーンからサインをもらえてとても機嫌がよかったので、「おめでとうございます」と満面の笑みで答えてくれました。

  
 
ほんとは彼女がタクシーに乗って去るまで待っているべきだったのかもしれませんが、あえてその場を去りました。先ほどの係員の方に「どうもありがとうございました」と礼を言うと、「いえこちらこそ本当にありがとうございます」と頭を下げてくださいました。

コンサートへ行って(いや、いかなかった人も。出待ちにコンサートは関係ないですから)ジェーンに感動したけど出待ちされなかった方、もったいなかったですねえ。ジェーンはこのように一般のファンにも親切なんですよ(という話は、後で思いっきり私に返ってきます)。

H&Mがこうこうと光をはなっていました。足早に渋谷駅に向かいます。



というわけで、このDVDと(ジェーン・バーキンのつかった)マジックペンはMcCreary家の家宝にします。けっして手放しません。





そうすると、将来こんな会話が交わされるんですかね。

子孫B「父さん、これなに?」
子孫A「ああ、先祖のBillって人が家宝だ、永遠に手放すなって遺言したんだ」
子孫B「ジェーンって人、昔は人気があったの?」
子孫A「よく知らないけど、あったらしいよ」
子孫B「そうか、じゃあ高く売れるかもしれない。調べてみるよ」

そうならないことを祈りますが。

そんな話はともかく、ほんとこの日の私は幸運でした。人生、たまにはいいこともあります。

さて、以下余談です。

こちらのブログによると、この翌日の18日にも彼女はちゃんとファンの前に登場してくれて、ブロガーの方は彼女とツーショットの写真を撮ってもらったそうです。

なんだって!!!

前回(07年)彼女が来たときは、初日はファンの前に姿を見せてくれましたが、2日目はかないませんでした。だから今回もそうだろうと極めて私は安易な考えで出待ちをしませんでした。といいますか、土曜日にかなり厳しい仕事があったので(ふだん私は土曜は仕事などないのですが)、あんまり遅くまで遊んでいるわけにいかなかったのです。もう彼女の写真も撮れたしサインも貰えたし…と、出待ちの必要性を感じませんでした。

それがねえ…。やはりこのブロガーの方のように、根性を入れないと大きな果実は収穫できませんね。

うーん、ツーショットは無理だったかもしれないけど、写真はたぶんこのブログにおさめたのよりもずっといい写真を撮れたと思うぞ。

それにしてもこの方は、たくさんジェーンの写真を撮っていますよねえ。私なんか1枚撮れただけで満足しちゃいましたけど、これではだめですね。もっとたくさん撮らないとね。ジェーンもそれを許してくれているんだからね。

でもジェーンって、ほんといい人ですね。正直、彼女レベルのスターで、ここまでやってくれる人いないですよ。

また、ジェーンが日本に来てくれる日を楽しみに待ちたいと思います。
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ジェーン・バーキンのコンサート 2009(1)

2009-09-20 00:19:57 | ジェーン・バーキン
昨日のクイズの答えは、ジェーン・バーキンです。



このブログの前の記事を読めば、誰だってわかります。

今回ジェーン・バーキンは渋谷のオーチャードホールで17日、18日の2回コンサートを行いました。私は両日とも見に行くことができました。というわけで、邪道かもしれませんが、2回のコンサートの話を1回分の記事にして、出町柳をした話を次回に書きます。

仕事が長引いてしまったので、渋谷の駅に着いたのが6時47~8分です。私の席は初日が前から7列目、2日目が5列目なのでかなりいい席なのですが、7時開演ですからともかく急がなければなりません。

(以下、初日の話)

人込みをかき分けてオーチャードホールに飛び込みます。チケットをもぎってもらって会場の座席表をみてみると、私の席はかなりはじっこでした。

会場に入ると、アウンサンスーチーの写真のパネルが2つありました。

実は、ジェーン・バーキンは彼女の支援者で、昨年発売された最新アルバム「冬の子供たち」にもずばり彼女のことを歌った曲が収録されています。



今回のコンサートも彼女の支援が目的のようです。こちらの記事をお読みください。(魚拓



ついでながら、この2人はほぼ同じ年齢です。ジェーンが1946年生まれ、アウンサンスーチーが1945年生まれです。

このような動画もありました。
Jane Birkin speaks about Aung San Suu Kyi



パネルが片づけられました。いよいよコンサートの始まりです。

で、会場はというと…。

残念ながら予想通りというか、後ろのほうは空席でした。

チケット販売の新聞広告がのっていたので、満員ではないと思っていましたが、前のコンサートはたしか少なくとも1階は満席だったような気がするのですが…。

会場が暗くなって、ジェーンが登場します。

Jane Birkin concert "Enfants d'hiver" mars 2009


写真はないので、こちらのブログに収録されている写真を見てください。

ジェーンは白いワイシャツにブラウンのベストとパンツ、それにネクタイをゆるくしめるというかなりマニッシュなファッションで登場しました。衣装替えはなく、これでラストまで歌います。

バックはギター(ときたま他の弦楽器)、ベース(ベースギターとダブルベースを使い分けていました)、チェロ、ピアノの4人編成で、コーラスやホーンはなく、ドラムさえないというかなりシンプルなセットでした。

私は今回双眼鏡やオペラグラスの類も持っていかなかったのですが、前の席でしたので彼女の表情からしわにいたるまでよく見えました。彼女は顔を直すのが好きではなく、しわ取りもしていないという話を聞いたことがありますが…。

で、3曲目に歌ってくれたのが、「想い出のロックンローラー」。

Jane Birkin-Ex-Fan des Sixties


Jane Birkin-Ex Fan des Sixties-Oct. 2008


上は2008年10月のライヴですので、バックやアレンジはコンサートと同じです。ただしコンサートツアーとは関係ないので、ステージや衣装その他は全く異なります(記事作成美の追記:あとベースも人が違いますね)。

それにしても、ジェーンがいかに愛されているかがわかる映像ですね。

私がジェーンので一番好きな曲です。

この曲を聴くと私は幸せな気分になります。

ジェーンは今回は英語でMCをしてくれました。

フランス語ではお手上げなので(すいません、インタビューではフランス語を訳していても、私フランス語なんか全然聞きとれまへん)やはりありがたかったですね。

彼女が一番歌いたかったであろう歌「アウンサンスーチー」をうたう前、彼女は一生懸命ミャンマー(いや、ジェーンに敬意を表して、この記事ではあえて「ビルマ」と書きましょう)とアウンサンスーチーの困難な現状を話し、そして支援を訴えました。You Tubeにも彼女の訴えの動画がありました。

ジェーン・バーキン、ビルマについて語る Jane Birkin spork out about Aun San Su Kyi


Aung San Suu Kyi - Jane Birkin


なんでもジェーンは、1999年にビルマのフランス大使館でアウンサンスーチーとあったとのことです(前掲の新聞記事参照)。ジェーンが再びビルマの地を踏み、アウンサンスーチーと再会する日は来るのでしょうか…。

ほかにも「フォード・ムスタング」とかたぶんそんなにライヴでは歌われていない曲を歌ってくれましたが、このコンサートで一番盛り上がったのが、『Yesterday Yes a Day』でしょう。

Jane Birkin - Yesterday Yes a Day



この曲も『無造作紳士』とともに、TBSドラマの「美しい人」に(ほんのちょっぴりですが)使われていました。そういえば、今回のコンサートでは、『無造作紳士』は歌われませんでした。日本のファンには、サービスで歌っていたんですけどね。

彼女はステージを降りて、ランプをつけた傘をさして(電気がともった瞬間、会場から歓声あり)通路を歩きながら、この歌を歌ってくれました。通路の近くにいる観客は、時に花束(おっと、書くのが遅くなりましたが、ジェーンのコンサートは花束を彼女に渡すという光景がよく見られるのです)を渡す観客もいます。ジェーンからハグされたり手にキスされたりする強運な観客もいます。私はその姿を見守ることしかできませんが、明日のチャンスに賭けることにします。

で、1階からドアを出た彼女は、2階にあらわれます。ほとんどの観客はそんな演出だとは知らないでしょうから(初日ですからね)、さすがに驚いたでしょう。もう感激しまくっている人もいました。

ここで突然話が飛んで翌日、私は今度は(昨日とおなじ演出なら)彼女が通る通路のすぐ近くの席でした。というわけで、彼女の左腕に軽くですが触れることができました。別にどうってこともないかもしれませんが、でもほとんどの観客はできないのですから、彼女に触れられることができたことってものすごい強運だったかも。

さて、ジェーンがいよいよ私が座っている5列目に近づいたときです。左隣にいた女性が、私に向かって言いました。

女性「すいません、私彼女ところへ手を差し伸べたいので、身を乗り出していいですか」
私「ああ、まあいいですよ」

と答えましたが、しかしそうすると私がジェーンに手を差し伸べることができないので、すかさずのタイミングで手を差し伸べました。で、そのせいかどうか(そのせいです)女性はジェーンとコンタクトを取るタイミングを逃してしまいました。

私「ごめんなさいね、女性に譲ってあげればよかった」

と心にもないことを言ったら、女性は「いえ、とんでもない」と答えました。結局彼女は、そのあとジェーンに花束を渡し損ねてしまいました。

話は初日のコンサートに戻ります。

アンコールの際、髪の毛を銀髪に染めた男性が、ジェーンに花束を手渡しました。彼は、前にオフ会であったことのあるさいとうさんです。

彼は、シャルロット・ゲンズブール(ジェーンの娘)を愛する山形在住のシェフです。

すいません、この記事は非常に長くなりましたのでこの辺で打ち切ります。

というわけで、ラスト。

彼女は、福島みずほ千葉景子がそれぞれ大臣に就任したことを祝しました。アムネスティの関係での付き合いですかね。私は見なかったのですが、この日福島みずほ女史は、会場に来ていたとのことです。ほかに主催者や演出家その他に感謝の言葉を述べました。

さいごに、アンコールの際、何人もの観客が花束を持ってジェーンに手渡そうとしました。が、これもタイミングなんですよね。うまく渡せた人、失敗した人いろいろです。最後は、私たち観客も立ち上がって手を振ってジェーンとお別れしました。

明日、出町柳の話を書きます。
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