ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

アニセー・アルヴィナ 1979年の日本の雑誌での対談(3)

2010-01-30 00:27:38 | アニセー・アルヴィナ


とも子ちゃんが主演した「悪魔が来たりて笛を吹く」は、日本映画としては比較的時間をかけて撮影されたが、それでも1カ月半。「わが青春のイレブン」に至っては、とも子ちゃんが撮影所に行った時間をトータルすると、1週間! アニセーさんのほうがこれには逆に驚いて、わずか1週間で、どうやって映画を撮るのかと首をかしげてしまった。

アニセー でもね、フランス映画の最近の状況も厳しくなってきて、6週間で終了ということがある。若い監督で、お金のない人などは3週間で撮り上げてしまったりするわ。

とも子 とにかく時間をかけてじっくり仕事をするのが理想ですね。そして、いろんなものを蓄えながら、1つのものをゆっくり完成させていく。そる言うことをしないとだめだと思うんです。とにかく、うらやましい、3カ月だなんて。

アニセー 「フレンズ」はあらゆる意味で恵まれていたわ。

とも子 フランスの映画界と日本とのかかわりあいということで記憶に新しいのは、「ベルサイユのばら」とか、フランス資本で「愛のコリーダ」とか「愛の亡霊」を撮った大島渚監督といった話題があるのですが、アニセーさんはこういうことについて何か?

アニセー フランス映画はここ近年、ずっと深刻な不況であるということなの。つまりあのジャック・ドゥミー大監督でさえ、しばらく映画を撮ることができなかったわけですよね。それを日本のムッシュ山本(又一郎プロデューサー)がお金を出してくれた。そのことは素晴らしいことだと思います。またフランス映画界は大きな話題を生めぬほど不調でもあるわけよ。それでフランスのプロデューサーがムッシュ大島を読んで、カルチャーショックを与えようともした。とにかくそういう交流の輪がどんどん広がっていくことは、とてもいいことよ。しかし全体的にいえばお金を出さなくなったフランス人、またフランス映画人の勇気のなさ、このことが一番残念なの。私はフランス映画の芸術的レベルは決して落ちているなんて思わない。だけどフランス映画が描くドラマの世界はいつも狭いものなのよね。映画はやはりスペクタクルが必要だと思うわ。SF物や、物量にものをいわせる作品、そういうものもきわめて大切なんだと考えているの。そういう映画独特の活力を生むことを、フランス映画人は見て見ないふりをしているとしか思えないんです。これじゃ、元気いっぱいのアメリカ映画にたちむかえるはずがないのよね。

とも子 でも最近観終わってとてもよかったと思った映画に、「歌う女・歌わない女」があるんですけど、これはフランスの女流監督の作品ですよね。日本では女流監督の作品はまだあまり作られてないけど、そういう面での新しさはすごいことだと思いますけど。

アニセー そうね、でも私はこうも思うの。女性が作った映画、といわれて騒がれる間は本物じゃないんじゃないかしら。私はいつの日か、これが女流監督の作品ですよ、なんて云われないで、あたり前のこととして上映される日の来るのを願ってる。そういう時代がきてこそ、ほんとうだと思うの。

とも子 ほんとうにそうかもしれませんね。「歌う女・歌わない女」もそうでうすけど、「ジュリア」とか「結婚しない女」とか、最近女性が主人公の映画が多いですね。日本ではまだ女性が主役という映画が少ないんで、私はその点でもとてもうらやましいんです。

アニセー 女性が主役になってきたのは大変ブラボーなことよね。「ミスター・グッドバーを探して」とか「アニー・ホール」とか、私の大好きな映画。もちろん本質は決定的に違うけど、昔のフランス映画は、そういう小さな世界をみごとに芸術作品に仕上げていたけど、このごろ、そういう繊細なニュアンスを描くことでも、アメリカ映画のほうがずっと勝っていると思う。

(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アニセー・アルヴィナ 1979年の日本の雑誌での対談(2)

2010-01-29 00:33:38 | アニセー・アルヴィナ



昨日の記事にも書きましたとおり、アニセー・アルヴィナが1979年に日本に来たとき、角川書店の雑誌「バラエティ」1979年12月号でタレント斉藤とも子と対談した際の記事を採録します。また採録の最後でも触れますけど、彼女が日本のテレビに出演した際のインタビューや、私がこのブログで翻訳したインタビューともつながる内容がいろいろ彼女の口から出ていて、なかなか興味深いものがあります。なお、私にとっては、「アルヴィナ」という表記でないと彼女じゃないって気がするのですが、原文通り「アルビナ」という表記で記します。それでは…。


>白熱!とも子の熱中アンソロジー:連載第7回

アニセー・アルビナVS斉藤とも子
道でとまってみろ、人々がふり帰ったら、それがスターさ!


 映画「フレンズ」をとも子ちゃんが見たのは中学1年生の時だったという。まだ中学生のとも子ちゃんにはショッキングなシーンもあったりして、「うつむきながら見てました」ととも子ちゃん。「愛の世界はとても純粋なもの、あれが自然な姿だと思うの。14歳のミシェルの役を演じたあのとき私は18歳だった」とアニセー・アルビナさん。

 映画公開から9年。「とも子の熱中アンソロジー」の取材のために現れたアニセーさんは、黒いレザーの胸元に銀の糸の大鷲の刺しゅうのあるタイトなワンピース姿。映画の中のあどけなさもちょっぴり残してはいるものの、もうすっかり大人。快活な中にも女性の色気が・・・・・。

 食事をしながらすっかり意気投合した2人の会話は、その生い立ちからフランス映画の現状へと、撮影のために赤坂から竹下桟橋へ移動するにつれてエスカレートして行ったのである。
 

とも子 今日は初めて外国の方とお話をするんで、どうなっちゃうんかしらとドキドキなんですが、アニセーさんのデビュー作「フレンズ」は私も見ているのであの映画のことなどいろいろお聞きしようと思っています。で、最初にプロフィールをうかがいたいのですが、お生まれはフランスのブーロンとか・・…?

アニセー 実際に生まれたのはブローニュの森の近く、パリ16区ヴェジネという郊外の街なの。私の家のその頃の家族構成は大家族ってことになるんでしょうけど、兄3人、姉2人、末っ子が私。父はエンジニア、兄たちはお医者さんなの。

とも子 お堅い家庭なんですね。それなのにどうしてこの道に入られたのですか。

アニセー 何かを演じるってことが、小さいときからとても好きだったの。7歳くらいになるとだいたいの本が読めるようになるでしょ。で、まず最初に読み通したのがモリエールの作品だった。かなりませてたんだけど(笑)、そのころ私が夢中になってやった遊びはね、お芝居ごっこ。たとえばシェークスピアの「ロミオとジュリエット」などを、友たちを集めてそれぞれに役をふり分けてやったの。とにかくどうしようもなく、という感じで演劇が好きだった。だから迷わずに演劇学校に進学したわ。

とも子 私の小さいころとはまるで違ってる。私は芝居や映画、見るのは好きだったけど、人前には絶対出れなかった。学芸会なんて大嫌いで、もっぱら観客でした。それが中学生になったら生格が変わって、ほんと、変身してしまって、なぜか人前にも出られるようになったし、何かやりたいと、積極的になっちゃったんです。それで、神戸にある養成所に通ったりして、標準語の訓練などをやりました。中学3年になる春、父の転勤で生まれ育った神戸から東京へ来たんです。今思うと、このことがすごくラッキーだったんですね。私はその中学3年の終わりにテレビでデビューしたんですが、神戸にいたらそんなに早くチャンスができたどうか・・…。アニセーさんのデビューというのは?


・・・・・という軽快な雰囲気で、フランスからのお客さま、アニセー・アルビナさんととも子ちゃんの対談は滑り出した。アニセーさんは日本航空の秋から冬へのキャンペーン<もうひとつの巴里祭、12月>のための初来日。パリでもっともファッショナブルなディナーショー劇場「パラディ・ラタン」を会場に、日本航空が主催する”夜会”も今年で4回目。毎年豪華なスターを迎えるこの催し。ホストが岡田真澄さん。そして今年のアシスタントにアニセーさんが選ばれたのだ。この冬、ジャルパックでパリへ行くと彼女の笑顔に出会える、というわけだ。


アニセー 私のデビューは16歳で演劇学校には行って勉強していたとき、「フレンズ」のルイス・ギルバート監督に見出されたの。

とも子 わあ、私だったらとてもできないわ。なにしろ私は養成所の中でも一番下手で(笑)、今でもいろいろ出させていただけることが不思議なくらいで・・・・・。

アニセー もちろん私の演技も未熟だったわ。だけどとても幸運だったのや、映画の内容が演じるというより、ただ素直に自分を出せばよかったということ。「フレンズ」はフランスで撮られているけど、監督はイギリス人、資本はアメリカ、言葉は英語というわけで、性格的にはアメリカ映画の要素が強かった。で、私もごらんのように(笑)ヤンキーガール的というか、フランクなほうだから、地のままを出せた。(笑)

とも子 大抜擢されるとどんな気持ちになるのかしら、眠れないというか・・・・・。

アニセー とにかくうれしかった。監督はヒロインのイメージの女の子を探すのに1年も費やしていたんです。オーディションを1000人もの人が受けた。そんな中から私が選ばれ、それはほんと、信じられないくらいで。

とも子 私はどんなお仕事でも緊張してしまうたちで、最初の映画の時、あがっちゃってどうしようもなく、体も動かないしセリフも言えなくて、とっても情けなかった覚えがあるんですけど、アニセーさんの場合は?

アニセー 監督の指導がすばらしかったんだと思うけれど、彼は私にすごい信頼をおいてくれたの。だから私はごく自然に自分自身を表現できたんだと思う。もちろん最初は考え込んだり恐かったりしたけど、いざフィルムが回り始めると、私の頭の中にそんな意識はひとつも残っていなかった。
 
とも子 すごいですね。ところで撮影にはどのくらいの日数がかかりました?

アニセー まず1カ月間ロンドンで英語の特訓を受け、それから直接の撮影は12週間。

とも子 エッ、3カ月間も!!

アニセー そう、そして撮影が終わって1カ月後ロンドンでもう一度英語の特訓があって、音入れは1週間。そととき、今でも楽しくて笑い出してしまう思い出なんだけど、私がセリフを入れている隣のスタジオで、エルトン・ジョンがレコードの録音をしていたの。いつもお昼を一緒に食べたりしたんだけど、当時、彼はまだ無名でとても内気な男の子だったわ。ところが、数年後、彼とアメリカでばったり出会ったら、キンキラキンで変な眼鏡をかけて、すごい自信過剰な男になっていた。びっくりもしたけど、その変わりっぷりがおかしくって・・・・・。(笑)

(続く)


McCreary注:彼女は、自分の生まれた所を「パリ16区ヴェジネ」と語っています。とするとここですかね。

そうすると、この街は16区ではないみたいなのですが…。たしかにパリの西ではありますけど。さらに斉藤さんが彼女の出身地を「ブーロン」と言っていますが、これはブローニュ=ビヤンクールのことでしょうね。

また、「フレンズ」が「18歳」の時だったと語っていますけど、彼女は1953年あるいは1954年生まれ(たぶん53年生まれ)なので、撮影時は18歳ではなかったと考えられます。誤植、もしくはインタビューアーのケアレスミスでなければこの映画が公開されたのが1971年なのであるいはそれを意識していたのかもしれません。

蛇足ですが、エルトン・ジョンは、この「フレンズ」のサウンドトラックを作成し、主題歌も歌っています。この映画が知名度が高いのは、たぶんこのおかげです。エルトンも当時はものすごく人気が出る直前だったはずですが、この映画と縁があったという奇跡的な偶然を神に感謝したいと思います。

追記:あとで、雑誌の写真をアップします。→1月30日アップしました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アニセー・アルヴィナ 1979年の日本の雑誌での対談(1)

2010-01-28 03:50:33 | アニセー・アルヴィナ
本日1月28日は、私の好きなイラン系フランス人女優のアニセー・アルヴィナが、57年前に生まれた日です。しかし、彼女が年齢を重ねることはもはやありません。



彼女の誕生日を祝す意味で、1979年に彼女が日本のタレントと対談した記事を紹介します。これは、かなりめずらしい資料ではないかと思います。

このブログは、アニセー・アルヴィナの話をしたいがためにやっている部分が大きいのですが、しかし残念ながらアニセーさんの記事で遊びに来てくれる人がものすごく多いとはいえません。それは仕方ないですが、でも今回の記事はほかの人はともかく、アニセーのファンもしくは興味がある方にはかなり貴重なものだと思います。というわけで、アニセー・アルヴィナに興味のない方も、このブログにたどりついた縁で読んでいただければ幸いです。そして、アニセーに興味のある方、常連さんはまだしも、どっかで検索してこのブログに遊びに来た方はとても運がいい。よそ様じゃあ、なかなかこんな資料は紹介していませんぜ。

ていいますか、モーランさんのサイトが現在お休み中ですので、そうすると私のブログがアニセーの情報センターみたいな役割を担えればいいと思っています。私以外にそんなことをしようとする人間は少ないでしょう。

前にも書きましたとおり、アニセー・アルヴィナは1979年に日本に来ています。これは最近なにかと話題の日本航空のフランス・キャンペーンの一環としてのもので、彼女は東京、京都などを訪問しています。

以前書いた記事でわかるように、来日時彼女は「フレンズ」2部作のテレビ放映にゲスト出演したり、ほかにもいろいろと活動したようですが(これについては、多少私なりに調査した上でこのブログでいずれ記事にします)、今回紹介する雑誌については、私は全く情報がありませんでした。たぶんほとんど埋もれてしまったものではないかと思います。

今回ご紹介するのは、角川書店から発行されていた雑誌「バラエティ」1979年12月号で、アニセーは女優の斉藤とも子と対談をしています。

ついでながら斉藤とも子さんについて私は知識がないのですが、wikipediaによると芸能活動はいまでも続けているみたいですね。彼女にアニセーと対談したことの想い出を聞いてみたい気がします。

すでに30年以上前の記事ですし、たぶんここで発表しないとなかなか世間の目にこの雑誌がふれることもないと思います。明日からこの雑誌の対談を採録しますので、ぜひお読みになってください。

なお、アニセーの写真は私の尊敬するanupamさんのブログからいただきました。これは、映画「フレンズ」の彼女ですね。私のブログを紹介していただいている記事からですので、お読みいただければたいへん私もうれしく思います。
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

携帯で撮った写真

2010-01-27 18:17:56 | フォトログ
旅行の話ばっかりでも(私が)つまらないので、たまには私が撮った素人写真を発表します。が、今回は携帯で撮った写真ばかりで、とくに以前の携帯で撮ったのは機材も性能が良くなく、あまり満足のいく画像ではないことはご了承ください。



鎌倉の山の中で見かけた虚無僧(?)の1団です。



伊勢神宮で撮った写真です。



クリスマスが近い、とある年、世田谷でコーラスをしていた人たちです。



代々木駅の近くにて。この写真は今の携帯で撮った写真で、やはり上の写真よりきれいですね。



とある街で見かけたクレーンです。


仕事でたまたま立ち寄ったビルで見かけました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル紀行 2009-2010 (7)

2010-01-26 18:28:25 | 旅(韓国)




この女性は、火にあたりながら呆然として座っていました。



地下鉄を乗り継いで、ソウル中心部に戻ります。こちらの店でワッフルを買ってみることにしました。



できたてですのでなかなかおいしいお味でした。



外に出ると雪が降っていました。まさに身が凍えます。北朝鮮を批判する本に「凍土の共和国」という有名な本がありますが、この日の韓国も十分に凍土の共和国です。





冬ですが、電飾は派手です。



予約していたホテルibis Ambassador明洞にチェックインします。このホテルはフロントが上層階にあるという設計で、上から明洞を眺めることができます。なかなかの眺めです。



私の部屋です。ちょっと私にはいい部屋すぎますかね。もっと安い宿でないとね。ものすごく身体が疲れてしまい、またビールと焼酎で酔っぱらっていたせいもあり、すぐ寝てしまいました。



というわけで翌朝、早く起きました。韓国は日本と時差がないので、夜はなかなか暗くならず、朝は遅い時間まで明るくなりません。



これを見たときは、さすがの私もウヒャーでした。これは本日明日と、かなりの寒さを覚悟しなければなりません。



早朝の明洞を歩いてみることにしました。



まだ人通りも少なく、凍え死にしそうな寒さです。

(続く)
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル紀行 2009-2010 (6)

2010-01-25 22:37:29 | 旅(韓国)


寒々とした市場を歩いて、けっきょくテントに入り適当な店で食事をすることにしました。



とあるカウンターに腰を下ろして、指さしで注文します。これは牛肉のスジ肉の類です。おいしくいただきました。



この3人組の男性たち、とても仲のいい人たちでした。



ビールと焼酎ももらいます。店の女性は、「サービス」といって、うどんも食べないかと私に声をかけましたが、さきほどいただいたばかりなので丁重にご遠慮申し上げました。





店の女性は、私たち客に食い物をすすめたり呼び込みもしたり、一生懸命仕事をしていました。



女性と男性たちに別れを告げテントを出ます。焼酎は飲み切れなかったので、ビンを持ち帰ることにしました。



市場を後にします。来てよかったと思いました。







いやあ、それにしてもほんといろんなものを売っている市場です。

(続く)
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル紀行 2009-2010 (5)

2010-01-24 00:15:06 | 旅(韓国)


雪も断続的に降ってきます。冬のソウルは何回か訪れていますが、この寒さにはさすがに参ります。テントに入って、すこし温まることにしました。



テントの中は、複数の店が出ていて、客は自分の好きな所に座ります。私のような人間が現れると、当然呼び込みもあります。



うーん、目がうつっちゃいますねえ。どの店がいいかな。



このエプロンをつけている女性も、一生懸命働いていました。
 


外へ出てみると、魚も並んでいます。見ているだけで寒くなってしまいました。



帽子なども売っていました。品質はどうかな。



けっきょくさっきの女性の店で、うどん(カルクッス)をいただくことにしました。こう寒いのでは、暖かいものをいただくに限ります。



うどんにキムチなどを入れていただきます。



この男性が、手際よくうどんを打っていきます。まさに出来立てです。



うどんを食べ終わって、もう少しなにかを食べてみたく思いました。どこの店にいきましょうか。

(続く)
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル紀行 2009-2010 (4)

2010-01-23 09:02:27 | 旅(韓国)



読者のみなさんにクイズを一つ。この肉は何でしょうか。答えは犬の肉です。脚はまさに犬の脚です。いやあ、赤身が生々しいですね。





これはキジですかね。大量のキジがつるされていました。まもなく人間の口の中に入ります。



大量の肉がさばかれて売られていきます。



それにしてもこのように刃物も売られています。前の旅行で見学した咸平の市もホームセンター系のものがいろいろ商われていまして、韓国ってのは日本ほどはまだホームセンターの類が発達していないのかなと思います。Rieさんのブログにもそのような記事がありました。



この犬はさすがに食用ではないでしょうね。ペット用です。



大量のトウガラシが袋に入っていました。



がらくたと言っては申し訳ないですが、あまり見栄えの良くない電卓やシェーヴァーが売られていました。

(続く)

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリック・シーガルが亡くなった

2010-01-22 20:54:19 | 映画


エリック・シーガルが亡くなりました。シーガルは、本来はラテン語その他で書かれた古典文学の学者なのですが、「ある愛の詩」の原作者(というより、最初にシーガルが脚本を書いて、それを小説化したのですが。映画の公開と本の出版がほぼ同時という、今日でもあんまり聞かない出版と映画のコラボレーション(ていうのかな)です。それにしても脚本家と小説化の著者が同一の場合でも、ノヴェライズっていうんですかね)として日本では知名度が高いと思います。米国人ですが、ロンドンに自宅があったそうです。税金の高い英国になんで在住していたんですかね。最近は、そんなに高額の納税はしていなかったのかもしれませんが。



72歳でした。パーキンソン病を患っていたそうです。結構な年齢だなとも思いましたが、「ある愛の詩」自体40年前(1970年)の映画ですから、とくに高齢ということはないのかもしれません。出版当時は30代だったわけですから。ついでながら、ジェニファーを演じたアリ・マッグローは1938年生まれの71歳、オリヴァー・バレットを演じたライアン・オニールは1941年生まれの68歳です。

なぜシーガルの死を私がこのブログで取り上げるかというと、映画「ある愛の詩」が好きというのではなくて、この小説版のほうが私には多少なりとも思い入れがあるからです。というのは、私が原文で最初から最後まで読んだ初めての英語の本は、「ラブ・ストーリー」だったからです。映画は既に見ていました。英文自体もそんなに難しいわけではない(すいません、完全に素人の感想ですので、それは違うと考えた方がいましたらご了承願います)ので、わりあい簡単に読めました。もし英語の本で、子供むきではないがしかし読みやすい本を探している人がいれば、この本を推薦したいくらいです(って、私の乏しい英語の読書歴でこんなことを書いちゃいけませんね。というわけで、このくだりは参考にしないでください)。

さて、この映画(小説にももちろんあります)のキメのセリフはとても有名です。いわく「愛とは、決して後悔しないもの」

ついでながら、このセリフは、最初にジェニファーがオリヴァーに語り、最後にジェニファーが亡くなった後、オリヴァーが父親(レイ・ミランド)に語ります。

原文は
Love means never having to say you are sorry.

味も素っ気もなく翻訳すれば
「愛することは、すまなかったと語ってはならないことを意味する」

くらいの意味になるんですかね。

そう考えれば、
「愛とは決して後悔しないということ」
という訳は、たしかにそのような意味にはなるんでしょうが、相当な意訳というか思い切った訳という気がします。そしてそれが成功しています。翻訳っていうのは、時に思い切ることが読者に感銘を与えるということの代表例のような気がします。

それはそうと、かつてこの映画のテレビ放映時の日本語吹き替えを山口百恵と三浦友和が担当したことがあります。2人とも洋画の声の出演は素人ですのであまりうまいものではありませんでしたが、しかしよくこの仕事をテレビ局もオファーしてしかも2人も(事務所も)引き受けましたよね。



ほんとかどうかは知りませんが、父親に反抗する息子というコンセプトのモデルは、かのアル・ゴア氏だったとか。ゴア氏の父親も大変なエリートでしたから、けっこう父親に反抗するというところもあったという話を、1998年ごろ聞いた記憶があります。

あらためて

>アル・ゴア ある愛の詩 

ぐぐると、このネタはけっこう紹介されていますね。



そして、アル・ゴア氏の大学時代のルームメイトが、かのトミー・リー・ジョーンズでした。ジョーンズは、この映画でオリヴァーのルームメイトを演じています(笑)。

なーんも関係ない話ですけど、2000年の米国大統領選挙は悪い選挙でしたねえ。あんなん、勝ったんはゴアじゃんねえ。それにしてもアメリカってのも面白い国で、ブッシュの親父とデュカキスでは、全然デュカキスのほうが優秀だし、ブッシュの息子とゴアやケリーじゃ、やっぱりゴアやケリーのほうがはるかに優秀ですよねえ。というか、比較するだけ馬鹿というくらい差がありますけど、なぜかブッシュ親子のような絶望的な馬鹿が当選するんですよね。選挙なんてそんなもんだというレベルの話になるし、日本だって安倍レベルの馬鹿が首相になったんだから米国を笑ってもいられませんが、しかしブッシュの息子なんて再選されるような人物ではないんですがねえ。困ったもんです。

この映画と小説以外にも、シーガルはいくつか作品を発表しています。日本でも何冊か出版されましたが、「ラブ・ストーリー」以上に知名度が高い作品はありません。が、この作品一本だけでも、彼の名は永遠に語られることになるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

最後に、映画のDVD原作をamazonでリンクしておきます。

ついで:私はこの本を講談社英語文庫で読みました。こちらもリンクしておきます。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒川智花のイベントにいく

2010-01-21 00:39:47 | 美女探求
女優に黒川智花という人がいます。現在亜細亜大学の学生もやっています。



別にファンというわけではなく…って、ほとんど名前くらいしか知らないのですが、イベントに顔を出してみました。

渋谷区にある(新宿区にあらず)紀伊国屋書店新宿南店で彼女のイベントがあったので、大学院のレポートウィークで忙しいと自称しているくせに遊びに行ったわけです。

つまり彼女の写真集が出たというので、握手会のイベントが開かれたわけ。

会場に行ってみると、いかにもこの手のイベントにやってきそうな男性たちだらけでした。あんまりファッションとかに熱心でなく(あ、別に私がそうでないって言っているわけじゃありませんよ、念のため)、あんまり…(以下自主規制)。

で、えんえん並んで(私は460番目でした)、いよいよ私の番が近づいてきました。そうしたら、インフルエンザその他の予防のためのアルコール消毒液の噴出器があったのには笑っちゃいました。彼女と握手するんだから、手くらい消毒してよっていうことかな。もちろん任意ですけど、私はアルコールで消毒しておきました。

で、黒川さんを見ると、あらまでした。赤い晴れ着を着ているじゃないですか。





せいぜい黒のスーツ姿かなと思っていたので、ちょっと驚き。

正直、そんなにファンでもないので、何の話をしようかなと思ったのですが、無難に大学の話をすることにしました。私も一応勤労大学院生ですから。

私の番になりました。彼女は、もしかしたら私の姿に戸惑ったのかもしれません。私は、よせばいいものを黒の帽子に黒のサングラス、黒のコートに黒の上着、黒の靴、濃い灰色のパンツという格好だったからです。ちょっと彼女の手が伸びるまで時間がかかりました。

私「大学、大変でしょうけど・・・がんばってください」
黒川さん「はい! がんばります!」

最近の芸能人だけあって、態度はしっかりしていましたね。

なお、彼女の手は、芸能人にはこのような女性がたまにいるんですけど、ほんと、箸より重い物を持ったことがないと感じるくらい、柔らかい苦労をしていない手のひらでした。

けっこう長く握手している人もいたのですが、私はすぐにその場を去りました。

かんじんの写真集についての感想を書きますと、ちょっと地味でした。もともとそんなに華やかな容姿という女性ではありませんが、露出度うんぬんはともかく、写真自体もかなり大人しめな雰囲気ですね。



スタイルも、ものすごくいいってわけではないしなあ。あくまで彼女のファンが楽しむ写真集ですね。

今後彼女と何かの機会でまたイベントかなんかで顔を合わせることがあるかどうかわかりませんが、彼女の今後の健闘を祈ります。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする