ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

『愛のコリーダ』についての藤竜也のインタビュー 2000年(1)

2011-01-31 00:00:01 | 映画


このブログは、多くの方が『愛のコリーダ』で検索して遊びに来ていただいています。これは主演女優の松田英子(瑛子)の近影(と思われる写真)を紹介したからです。

というわけで、『愛のコリーダ』に興味がある読者のために、『愛のコリーダ』が大幅に修正個所を減らして再公開された2000年に、主演の藤竜也がいまはなき雑誌『アサヒグラフ』2000年10月6日号で語ったインタビュー記事を採録しましょう。これは昨年の年末に押入れを整理していたら出てきたもので、なぜかこの2000年の『アサヒグラフ』を私は何冊か買っています。で、「深田恭子」とか「モーニング娘。」とか007とか、そんな特集をやっています。いよいよ存続が難しくなったので、世間受けするテーマで雑誌を作ろうとしていたのかどうかについては分かりません。

同じ雑誌には、大島渚のインタビューもあるのですが、これはあんまりおもしろくないので採録は見合わせます。大島さん、この時はだいぶ頭がやられちゃっていたのかな。

しかしこの藤のインタビューは面白い記事です。ぜひお読みください。「―」が聞き手です。


INTERVIEW

藤 竜也

台本を読んでヤバイ仕事だとは感じたんですが、もうこれでダメになってもいい、と…」 

当時34歳、あの吉蔵の、ときに気恥ずかしげな、ときに苦み走った微妙な表情と身振りは、藤以外の役者ではありえなかった。
台本を読んだときに、「天からもらった仕事」と興奮したというが、これぞ天賦の演技。
定=松田英子との出会いと別れ、「誇り高き」撮影現場・・・。
稀代の俳優が回顧する。


聞き手=高橋伸児(本誌)
撮影=林 正樹(出版写真部)
 




―今回の『愛のコリーダ』はいかがでしたか?

公開当時、保税倉庫とカンヌで一回ずつ見たきりだったんですがあんないいものだっとは思いませんでしたよ。この二十年間に映画が太った。すごく変な、妙な気がしました。それで監督に会ったときに、「大島さん、あんないい映画とは思いませんでした」って言ったら、キョトンとしてて(笑い)。いやあ、初めて監督を尊敬の目で見ましたよ。こんなすごいシャシンを撮った方なんだって。

―映画が太った、といいますと?

うーん・・・・・時代の空気と意識の変化というかな、僕も、時代と一緒に生きているわけですから。まあ、映画を撮り終わった後は、当事者は引いて見られないですよ。怯えがあったり、「喜んでもらえるだろうか?」と恐縮した感じでね。それが今回、一つのフィルムとして観たら、泣けて泣けて(笑い)。ポロポロ泣いてました。

―ポロポロ?

何でだろう?(笑い)自分でもアラララッていう間に涙が出てきちゃって、後はもう・・・・・。人力車で二人が旅館にしけ込むシーンがあるでしょう。阿部定が「(生理)になっちゃった」って言うとき、吉(吉蔵)が定の血のついた指をなめて、「かまやしないよ」って言う。カッコイイ! あんなにカッコよかったけな、って思ってね(笑い)。・・・・・だけど、よくあんな台本書きましたよね。

―ある意味、衝撃的なシーンと言いますか。とても僕にはできませんが(笑い)。

うん、すごい映画だな。あられもない、きわめてプライベートな行為を写し続けることで、ものすごくピュアなものを抽出するという芸当、やり口がすごい。こういう映画をやってみたいとだれもが思うだろうけど、なかなかうまくいかないですよね。ところが、なんだか知らないけどうまくいっちゃった。「性」をメッセージするというのは、映像でも散文でも詩でも、なかなか成功しないですよ。



―特に若いお客さんにどのようなところを見てほしいですか?

そうね・・・・・「惚れる」っていうのはこういうことなんだよ、ってことになるのかな。みんな、その覚悟はあるかい? って。

―当時を振り返っていただきたいのですが、撮影が一九七五年で、藤さんはテレビドラマ「時間ですよ」に出ていたんですよね。

華々しく出ていた頃ですね。

―「時間ですよ」はお茶の間で家族みんなで見るというたぐいの番組でしたが、そこで定着してきた頃に、こういう作品ということで、躊躇しませんでしたか?

周囲は混乱したでしょう。だけど、ホン(台本)を読んだときに、「これをやらないバカはいない」という直感がすごく強かったんですよ。あとは野となれ山となれ、というか。ヤバイ仕事だとは感じましたが、「こう言うテーマは二度と来ない仕事だ」とも思いました。

―当時はしり込みされた俳優さんも多かったと聞きますけど。

そのへんは、あまり聞いていませんが、僕はもう、天からもらった仕事だ、というような興奮で、マズイほうに行けば、本当にマズくなる可能性があったわけですが、それで結果がどうなっても、引き受けるつもりでいたからね。ある面では、その危うさにスリルを感じたのかもしれません。



―大島作品はそれまで見ていましたか?

「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」といわれた一、二本は見た記憶がるけど、独特な作風を感じていましたね。

―で、それがもう独特も独特、という作品ですからね。

どこまでやるのかわからないし、監督もそういうことは一切言わないからね。だから、けっこう曖昧なままクランクインしたんです。そうしたら、やっぱり心に引っかかるものがありましたね。一番プライベートな”パーツ”をさらすんですから、恥ずかしいのは当たり前でしょ? でも、撮影初日、吉と定が出会って、吉が目をつけて誘って…。

―あ、撮影は物語の順番で?

基本的に順撮りです。で、最初から、吉が横になってしゃぶられるシーンですよ。そんなのを先にやっちゃったからね。大島さんも考えたわけでさ、こういうシーンを変にもったいぶって最後のほうにもっていくと、こっちも負担になるでしょ? それが、最初にドッと来たからね。もう後は腰が据わったと言うのかな。余計な羞恥心は捨てなきゃいけないんだ、と。そりゃ、僕の人生にとっては、まわりに何十人もいて、ライトを煌々と浴びて…稀有な体験ですよ。でも、そんなことは大した問題ではなくて、監督はそんなシーンを撮る続けることで、ものすごい結晶質のものを引っ張り出したわけです。

(つづく)

お断り:後日写真をアップします。(2月2日、アップしました)
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アニセー・アルヴィナの誕生日と亡くなった日は彼女の記事を書かないではいられない

2011-01-30 00:00:07 | アニセー・アルヴィナ
何回も同じことを書きますと、私がこのブログをやっているのはイラン系フランス人女優のアニセー・アルヴィナの話をしたいがためです。拉致問題も美女も旅行も映画も、最後はアニセーの記事に目を向けてもらうため…、ということはありませんが、このブログも最近お客が多いので、アニセーの記事を読んでいただくには悪くない時期かもしれません。

彼女の誕生日は(たぶん)1953年1月28日なので2日ほど遅くなっちゃいましたが、また飽きもせずアニセーさんの記事を書こうと思います。

今回は、アニセーさんのさまざまな写真を紹介します。



彼女の歌手時代のアルバムジャケット(?)です。



1970年代終わりごろの彼女。一番左がアニセーさんです。



『続・フレンズ』での彼女。隣は、『2001年宇宙への旅』のキア・デュリアです。



1979年の雑誌での彼女。拙ブログでこの時のインタビュー記事を翻訳しました。



むかしの日本の映画雑誌によく出ていたような彼女のポートレイトです。



『続・フレンズ』での彼女。隣はショーン・バリー



これはいつごろの写真ですかね。



1973年ごろの彼女です。



1981年の彼女です。



『快楽の漸進的横滑り』での彼女。1973年ごろの彼女は、ぞっとするほどの美女だったと思います。



上に同じ。



同上。



この写真もきれいですね。



1972年の映画のポスター。



1973年の彼女です。これは彼女を紹介するときによくつかわれる写真ですけど、私も一番好きな写真だな。

また彼女の記事を書きます。
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産経新聞は面白い新聞だ

2011-01-29 00:01:22 | 社会時評
昨日も、君が代強制の東京都の通達についての裁判が2審で逆転したとか興味深いことが多かったのですが、私が個人的に注目したのがこの記事です。

><産経新聞>談話無断改変で謝罪 「人体の不思議展」記事で

毎日新聞 1月28日(金)2時32分配信

「人体の不思議展」の人体標本展示が死体解剖保存法に抵触する恐れがあることを指摘した産経新聞の記事で、同社の記者が2カ月も前に取材した内容と過去の論文を組み合わせるなどして識者談話を書き、本人に断りなく掲載していたことが27日、関係者への取材で分かった。掲載された識者は末永恵子・福島県立医大講師で、記事の一部は発言したことのない内容だとしている。産経新聞社は26日、本人からの抗議を受けて謝罪した。

 同展は遺体を特殊加工した標本などを展示したもので、02年から全国を巡回。これまで約650万人が入場し、京都市でも23日まで開かれた。

 産経新聞は19日朝刊で、厚生労働省が「人体の不思議展」の人体標本は「遺体」に当たるとの見解を示し、京都府警が違法性の有無を捜査する方針を固めた--との記事を掲載した。談話は「人の死には尊厳があり、遺体を安易に利用することはできない。開催自体が死者への冒涜(ぼうとく)ではないか」との内容で社会面に掲載された。

 末永講師は「『人体の不思議展』に疑問をもつ会」に所属しており、メンバーらのメーリングリストに22日、「(2カ月前の取材後は)直接取材を受けていない」と書き込んで問題が浮上。記事にある「標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか」という発言はしたことがないと主張し、「創作された文章で、中国人に対して差別的な印象もあり、多くの人から真意を問う連絡を受けている」と困惑している。

 産経新聞大阪本社総合企画室によると、京都総局の記者が昨年11月、同展について末永講師に取材し、メモを大阪本社社会部へ送付。執筆に当たった記者は内容が不足していると感じ、末永講師の論文などで加味した。しかし、両記者が互いに本人へ連絡していると思い込み、確認や掲載の通告を怠ったという。

 執筆した社会部の記者と上司は26日、電話で謝罪し、末永講師はこれを受け入れた。同総合企画室は「確認を怠ったミスはあったが、非常識な取材はしていない」とし、講師が発言していないとする内容が盛り込まれた経緯は「取材過程については答えかねる」としている。

(引用ここまで)

「非常識な取材」かどうかは何とも言えませんし、

>講師が発言していないとする内容が盛り込まれた経緯は「取材過程については答えかねる」としている。

というコメントについてはどうかと思いますが、私が興味深く感じたのは、

>記事にある「標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか」という発言はしたことがないと主張し、「創作された文章で、中国人に対して差別的な印象もあり、多くの人から真意を問う連絡を受けている」と困惑している。

というくだりです。

私見では、かりにインタビューに答えた人間がそのような発言をしたら、多くの場合その談話の部分をインタビューアーの常識と良識で削除するのが普通だと思いますが、産経新聞はそれどころか言ってもいない発言をでっちあげて、それで談話をよせた人にひどい迷惑をかけたのだから、これはなかなかすごいなと思います。いったいどうしたらそこまで他人に迷惑をかけられるのかという気がします。産経新聞ってどういう記者教育をしているんかいなというところです。安藤慶太記者や阿比留瑠比記者が論説やブログでいかにお馬鹿なことをほざいていても、それは多くの場合「意見」ですからまだいいのですが、これなんかインタビューを受けた人から抗議が来ることが容易に予想できるだけに、いったい何を考えているんだろうかと思います。それで談話をした人から即抗議をうけて謝罪しているんだから馬鹿にもほどがあるというものです。いや、たいていの人は黙っているとみて確信的に談話をでっちあげたのかな? 記者もさることながら、産経のデスクというのもなかなかすごいですね。

それはそうと、産経新聞もこの件については早々に謝罪していますね。さすがに突っ張っても益なしと判断したのでしょう。この新聞は「学ラン事件」(こちら参照)など、常識的には謝罪・訂正すべき記事でも居直ることが少なくありませんから突っ張ることもありなのですが、今回は常識をはたらかせたというところでしょうか。

あ、これはこの記事とあんまり関係ない話ですけど、上のwikipediaの記事で、

>学術的見解の取り扱い [編集]
2011年1月7日の主張で、戦時中沖縄県で起こった集団自決に関して、軍人の強制は学術的定説ではないと[35]、学術的見解をもとに存在を否定している。一方で、その半月前の2010年12月23日の主張では、天皇陵の治定に関して、科学的に否定されたからといって長らく信じられていたことを覆すべきではないと[36]、学術的見解を拒絶している。

(引用ここまで)

というところには笑ってしまいました。

そういえば、このブログのずいぶん昔の記事に、産経のアホな記事を批判したものがあります。この件のその後については知りませんが、もうちょっとまともな記事を書いてよというところです。
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市橋達也被告は優秀な人間だが・・・

2011-01-28 06:58:18 | Weblog
英国人英会話教師殺人事件で、市橋達也被告が逃亡中沖縄の離れ小島に潜伏しているというのが話題になりました。

で、その報道を見ていて私は、つくづく市橋ってひとは優秀な人間なんだなと思いました。

逃亡するために離れ小島に行くとかというのは、頭では考えても実行はかなり難しいと思います。また、彼は、周囲が不審の念を持ちはじめたら(と彼が判断したら)離れ小島でほとぼりが冷めるまで待ったとのことですから、そういった状況判断も優れているということです。

また、彼は肉体労働で生計を立てていたとのことで、つまり相当根性もあるということです。かつては親の仕送りで食っていたのかもしれませんが、そのようなこともやればできるということです。

また、離れ小島でヘビをとったり魚を釣ったりして生きぬいたということで、これもものすごく優秀だと思います。それだけ状況への対応能力も優れているわけです。

つまり彼は頭はいいし、実行力もあるし、根性もある。彼がまともな社会人になれば、あるいは非常に充実した人生がおくれたんじゃないんですかね。実家も裕福みたいだし、とても恵まれた立場だと思うんですけど。

そういった人間なのに、なんだかよくわからんことで人を殺めてしまい、死刑にはならないでしょうが刑務所にかなり長い間いることになる。彼は優秀な人間だから、刑務所ではそれなりにうまくやるんでしょうが、とても彼は服役するような人間じゃありませんね。

要は、優れた能力の持ち主なのにそれを生かす方策を誤った…というべきなのでしょうか。

人間、優れていても、それを生かさないでいるのは本当にもったいないですね。
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最後でなかった(らしい)韓国旅行 2010年 夏(7)

2011-01-27 04:39:22 | 旅(韓国)


長い階段をふうふうあがります。



あとで紹介しますけど、これは撮影に使われた階段みたいですね。



うーん、なかなか急な階段だ。



お年をちょっと召した方々には少しきついかな。だから私もひとやすみしました。











安重根の記念館ですが、改築中で残念ながら中に入ることはできませんでした。



安の銅像と



彼の言葉を記した(?)碑です。

(つづく)
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最後でなかった(らしい)韓国旅行 2010年 夏(6)

2011-01-26 18:01:06 | 旅(韓国)


このような内装の店です。この店もコウケンテツさんの本(こちらの記事参照)で知りました。



つきだしと―





スンデククです。平日の昼間すぎだというのにとなりの部屋で宴会をやっていまして(さすがに年齢層は高めでした)、うるさくてしかたありませんでした。いいかげん食べすぎで残しました。店を出ます。



韓国風の屋根です。



日本では見かけないタイプの建物です。



この男性もかなり疲れているみたいですね。旅の時は気づきませんでしたが、車のむこうにあるのは日本料理店ですかね。

お次の写真は、ところかわって南大門市場付近から南山へ向かう途中です。何回もソウルに来ている私ですが、ここへは来たことがありません。



坂道をふうふう上がります。







当然ながら日本や東京とは建物の雰囲気が違いますね。





運転手さん、かなり疲れているみたいです。



途中、道を警備詰所みたいなところでたずねました。もっともガイドブックを見せただけです。そうしたらあっちだよと多少日本語を話せる方がいて教えてくれました。そういえば前に、全州で警官に道を聞いたら日本語で返してくれたこともあったな。



階段を上がります。

(つづく)
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最後でなかった(らしい)韓国旅行 2010年 夏(5)

2011-01-25 01:00:04 | 旅(韓国)
またソウル紀行を復活します。



明洞に向かいます。これは韓国銀行本店です。よせばいいものを写真を撮ってしまい、警備の人に注意されました。ごめんなさい。



旧本店は博物館になっています。女性が涼んでいました。ホームレスの類かどうかは確認しませんでした。



だそうです。



前にも紹介したワッフル屋です。私もいただきます。





私は自分の姿は手しか出さない人間です。ごめんなさい。



これが韓国最後の宿(のつもりでした)メトロホテルです。この宿がやはりいちばん好きですね。



部屋です。



2005年に改築されてきれいになりました。私は改築以前に1回だけこの宿を利用したことがあります。そのときは窓のない部屋でした。ホテルの方(男性でした)が、窓がないのですがよろしいですか、一度見て決めてください、と部屋に案内してくれたのを覚えています。窓がなくてもかまわないので泊りました。窓のない部屋ってまだあるのかな。あと、ボーイさんがイケ面でした。でもその後、このホテルで男性スタッフってあんまり見かけないな。



地下鉄です。3人ともすごい典型的な韓国中年女性の雰囲気があります。



突然とあるところに移動します。





この店でスンデを食べちゃおうと考えました。味はどうでしょうか。

(つづく)
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そういう口のききかたはないだろ

2011-01-24 06:59:37 | 身辺雑記
ずいぶん以前、私が以前所属していた職場で、私の勤務先と関連している職場の女性(だから同じ職場の女性ではありません)に旅行の写真を見せたことがあります。ウィーンの写真で(このブログに載せた数枚の写真とはちがう旅行の時に撮ったものです)、彼女に見てもらって(よせばいいものを)私はこんなことをいいました。

私「どうだい、××さん、いい写真だろう!?」

すると彼女は言いました。

 女性「この写真のどこがいい写真なんですか? 私、ぜんぜんわからないんですけど・・・」

私もずいぶんいろんな人を見てきているけど、さすがに面と向かって他人にここまで言う人というのはあんまり記憶にありません。私の写真が大したことはないことは分かっているけど、さすがにこれはひどいと私は思いました。

私「××さんねえ! べつに私の写真なんかうまいと思わなくてもいいけど、他人から写真とかを見せられた時はうそでもいいから『ああ、いい写真ですね』って言うもんだよ!!」

上のことを話して、心のなかでおもわず苦笑してしまいました。というのは、私は(最近はそうでもないですが)「あんた、実に正直にものを話すねえ」なんてよく言われる(言われてきた)からです。他人からそう言われることはあっても、他人にそんなことを説教する立場に自分がたつなんてあんまり想像しませんでした。

すると、彼女が、いやあ、これまたなかなかすばらしい返答をしてくれました。彼女は言いました。

 女性「すいません、私よく言われるんです、なんであなたそんなに正直にものを話すのって・・・」 

それを聞いて、私思わず

「てめえ、おれをからかっているのか!!!」

とは言いませんでしたが、ほんと、この返答には語る言葉がありませんでした。

で、これを話した時の彼女の表情が、ほんと困惑しているものだったんです。つまり本気でいっていたわけで、どうもなあというものです。

それからしばらくして、彼女の上司にあたる人と話す機会があり、そういうことはしないほうがよかったんでしょうが、上のことをかいつまんで話しました。すると、上司の方が苦笑して言いました。

上司の方「いやあ、彼女はそういうところがあるんですよ…。あるいはおおらかに育ったのかもしれませんけどね…」

職場でも彼女の問題発言は有名だったみたいですね。

その後の彼女の音信を知りませんが、少しは彼女も「反省」したんですかね。あんまり期待できないな、きっと。
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それならそれなりの覚悟をしてよ

2011-01-23 06:25:21 | 北朝鮮・拉致問題
しばらくぶりに拉致問題関係の記事を書きます。

こちらの記事を。

>「北朝鮮と早期に交渉を」と横田夫妻/川崎
カナロコ 1月18日(火)6時0分配信

北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの両親、滋さん(78)、早紀江さん(74)夫妻は17日、川崎市宮前区の宮前区役所で始まった被害者支援の写真展を訪れ、菅再改造内閣に対して「(北朝鮮と)早期に交渉を行ってほしい」と述べた。
 
 滋さんは「麻生政権以降、交渉が1度も行われておらず、解決のためにならない」と指摘。今回、拉致問題担当相に就任した中野寛成氏について「拉致問題に詳しい人」と歓迎し、「前原(誠司)外務大臣も交渉に意欲的。この機会に少しでも前進してほしい」と期待感をにじませた。 

 早紀江さんは「(めぐみさんについて)絶対に元気だと初めから思っている。早く助けてあげたい、帰国させてあげたい、ということしか考えていない。この機会を見逃さず、具体的な動きをいろいろと考えてほしい」と話した。

(引用ここまで)

以前、増元照明氏のいう「交渉」という言葉のユニークな解釈に笑ってしまった記憶があるのですが、この記事を読んだ限りでは、横田さんたちも本気で北朝鮮と拉致問題に関して交渉をしてほしいと考えているんですかね。

横田さんの奥さんは、

>「(めぐみさんについて)絶対に元気だと初めから思っている。早く助けてあげたい、帰国させてあげたい、ということしか考えていない。この機会を見逃さず、具体的な動きをいろいろと考えてほしい」と話した。

とおっしゃっていますが、私はめぐみさん生存の可能性は厳しいと思っていますし、また安倍晋三は横田さんたちにその件で引導を渡しているなんてもあります。私の考えなんか当てにならないし、安倍が実際に横田さんたちに決定的なことを伝えたかどうかということも真偽は知りませんが、でも、ほんとに日本政府が北朝鮮とこの件で交渉するとなると、たぶん横田さんたちはそうとう厳しい現実を直視せざるを得ないと思います。お2人にその覚悟はできているんですかね。

正直、北朝鮮と本気で交渉をしはじめたら、たぶん日本拉致被害者家族の方々は、たてまえとしてのフィクションがつぎつぎに打ち砕かれることを覚悟しなければならないんじゃないかな。それは家族会や巣食う会の方針とはずいぶん異なるものになるでしょう。いまの日本政府がそこまでやるとは私は思いませんが、でもやればたぶんそうなります。

で、引用した記事を見直していただきますと、お2人ともけっこうなご年齢ですよね。おんなじことを何回も書くと、時間がありません。つまらん過去の面子や引っ込みがつかないとか周囲への義理とか、そういうことはあんまり考えないほうがいいんじゃないの…と毎度同じことを私は書かないではいられません。けっきょく拉致被害者家族って、反北朝鮮のネタにされているだけですからね。それはある意味当然でしょうが、拉致被害者家族は十分その役目ははたしたと思います。あんまり長くそんな見通しのたたないことにひっぱりだすのは気の毒です。そんなものにかかわっているために、北朝鮮にお孫さんがいることがわかっている横田さんたちがお孫さんと面会しない(「面会できない」と書こうとしましたが、これは違いますよね。横田さんたちが政府に正式に「孫に会いたい」と言えば、政府もそれに協力はせざるを得ないでしょう)のは、見ていてなんともイタいですね。

はてはて、横田さんたちに、お孫さんにあう覚悟はあるのでしょうか。たぶんあんまり期待はできないでしょう。でも私は、お2人にぜひお孫さんにあってもらいたいなと思います。平壌でなくて第三国で面談することも交渉次第では可能でしょう。誰かさんが言うように、日本でお母さんとともに会えとかお馬鹿な主張をしなければ。

お前はおんなじことばかり書いていると思う人もいるでしょう。私もそう思います。でもしょうがないよね。進展がないんだから。そして、話が進展したら、それは必ずしも拉致被害者(家族)にとって都合のいい話が聞こえるものではないということです。

さて、読売新聞の記事をちょっと引用してみましょう。

>田口八重子さん、昨秋まで平壌で生存の情報
読売新聞 1月19日(水)22時3分配信

 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(55)が昨年秋に平壌で生存していたとの情報を、政府が昨年末、韓国で拉致問題に取り組む関係者から入手していたことが19日、わかった。警察庁で情報の分析を進めている。

 政府の拉致問題担当者が昨年12月、韓国を訪問。関係者は、田口さんが平壌市万景台(マンギョンデ)区域にある集合住宅に居住し、昨年の秋頃に韓国人の拉致被害者の男性2人と一緒にいる姿が目撃された、との情報を提供したという。田口さんに関しては、昨年8月、衆院拉致問題特別委員会で中井洽・拉致問題担当相(当時)が「2003年まで元気で平壌に住んでいたとの情報がある」と発言していた。 最終更新:1月19日(水)22時16分

(引用ここまで)

こちらの記事も。

>田口さん生存情報「入ってない」=政府高官
時事通信 1月20日(木)0時55分配信

政府高官は19日夜、北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さんが昨年の時点で平壌で生存していたとの情報を、日韓両国が入手していたとする共同通信報道について、「そういう報告は入っていない」と述べた。 

(引用ここまで)

真相はわかりません。しかしこれからも私は、拉致問題について考えていきたいし、意見を述べていきたいし、このブログで記事を書きつづけます。
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「午前十時の映画祭」をパーフェクトに見た

2011-01-22 04:29:32 | 映画
1月21日をもちまして、「午前十時の映画祭」が全国25の映画館において全50本の上映が終了しました。2月5日から、また新たなる50本が上映されますし、1回目の50本も、別の映画館で上映されます。

で、私は修士論文でいそがしい(と自称している)くせに、宇都宮まで遠征して1月16日に『昼下りの情事』を見て、めでたく50本をパーフェクトに見ることができました。

50本見ると「殿堂」だそうですが、私は多くの半券は処分しちゃったので、今回は申請するのは見合わせます。次回は挑戦してみましょう。

正直『昼下がりの情事』については、オードリー(お笑いにあらず、って注釈が必要になっちゃったかな)がいまひとつ好みでないことと、ストーリーがちょっと甘ったるすぎて(映画そのものは「うまい」とは思いますけどね)私の好みではなかったのですが、でもやはり見てよかったなと思います。なかなかこのような映画を劇場で見るわけにはいきません。

このような催しがいいのは、食わず嫌いの映画も見られることですね。私も好き嫌いが極端な人間なので、嫌いな映画は見ない傾向が強いのですが、でも『戦場にかける橋』など見ていろいろ発見がありましたから、やはり貴重な機会です。これは記事にさせていただきました。

第1回目(「赤の映画」というカテゴリーだそうです)の映画で私が印象に残ったのは、『ローマの休日』ですかね。高校生の時に見て以来の鑑賞でした。高校生のときは、「なんだ馬鹿馬鹿しい」と思っただけでしたが、今回は柄にもなく感動しちゃったのは、私が年齢を重ねたからかな。でもグレゴリー・ペックの演技が抜群のうまさであることに気付いたからですかね。最初は王女をだましていたのにいつのまにか…という心の揺らぎをグレゴリー・ペックは絶品の演技で見せてくれています。ほかにも『ローマの休日』はいろいろ興味深い論点があるのですが、これはまた違う機会に書きましょう。

あと『ワイルドバンチ』には、あらためてサム・ペキンパーウィリアム・ホールデンアーネスト・ボーグナインらの男気に感激しましたし(記事はこちら)、『フォロー・ミー』とか『映画に愛を込めて アメリカの夜』など、前回見たのは何年前だったっけというような本当に懐かしい映画も再見することができました。後者はともかく、『フォロー・ミー』なんて長きにわたってソフト化すらされなかったわけで(つい最近されました)、この映画を大きな画面で見ることができたのは本当によかったと思います。この映画も記事を書きました。

で、これは正直、他人は「そこまでやるか」と驚いたり呆れたりするでしょうけど、じつは12月に熊本に行ったのは、この催しの映画を見るためだったんです(笑)。私が見たのは、『薔薇の名前』でこれが熊本のシネコンでやっていたわけ。関東で上映した時は見そこなったので、わざわざ見に行ったわけです。もちろん熊本(あと博多でも)ラーメンを食べたし、スカイマークも久しぶりに乗れたので、映画を見に行っただけではないかもしれませんが、でもやっぱり見に行っただけです。金銭的な問題があったので(笑)、あんまり金も使わなかったし。

私が見に行った映画館は、数えてみると11ですね。関東は海老名以外はぜんぶ行きました。ほかに、仙台(利府)、名古屋、大阪、西宮、熊本です。旅先でついでに見たという感じですが、でもある程度効率よくこの映画祭を楽しむやり方というのがわかってきたので、次からはこんなにたくさんの映画館で見ることはないかも。でも関西なんか行ったときは、ついでに映画館に入っちゃいそうだな。

さて、2月5日から、次なる50本の映画が全国25の映画館で1週間ごとに上映されます。『タクシードライバー』や『卒業』『M★A★S★H マッシュ』など、私にとって最高に好きな映画が上映されるし、大スクリーンで見る『風と共に去りぬ』や『サウンド・オブ・ミュージック』、あと私にとっては最高に思い入れの強い映画『シベールの日曜日』も見られます。そして作品の具体名はあげませんが、私が食わず嫌いで見ていない映画、再見していない映画もあります。これらもこれを機会に鑑賞したいと思います。

というわけで読者の皆さん、ぜひこの映画祭にはチャンスがあったら見てください。決して損はしないと思います。

さらに、1回目の50本(『2001年宇宙の旅』と『パペットの晩餐』は上映されず、『ジュリア』と『ストリート・オブ・ファイヤー』が上映されます)は、こちらの新たな25の映画館で上映されます。東京と大阪では終日の上映です。このブログで沖縄からの読者の方はあんまり多くないかもしれませんが、沖縄でも上映されますから、地元の方はぜひ楽しんでください。

というわけで、2月5日が楽しみです。こんどもパーフェクトをめざします。
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