ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

美女というより愛嬌があるというべきかな

2010-04-30 06:45:32 | 美女探求
前にもちょっと取り上げましたけど、ドイツの走り高跳びの選手、アリアネ・フリードリヒがけっこう印象的なので写真を集めてみました。

 

ほんとは彼女は金髪でなく黒髪です。

 

 





お若いのに顔にしわが多いような気がするのはやせすぎだから・・・?





隣にいるのは、クロアチアのヴラシッチです。彼女にとっての永遠のライバル。

 



 

最後の写真の彼女の表情、私好きだな。

彼女は、髪を金髪に染めてなぜか成績が上がりました。私なりに彼女をこれからも追っていきたいと思います。
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いらいら

2010-04-29 04:13:10 | 美女探求
ゴールデンウィークも今日からはじまるので、それを祝って今日は、いらいらさせられる写真をいくつか紹介します。






























どうです、みなさん。いらいらさせられましたでしょうか。

あ、明日から普通の記事に戻ります。
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どうもねえ

2010-04-28 18:36:23 | Weblog
前に、尾崎哲夫氏という人物のブログの内容が常軌を逸しているみたいな記事を書きました。精神がやや問題がある人の書いていることをどうこう論難するというのはあまりよいことではないでしょうが、しかしいくらなんでもという内容ですので、あらためてこのブログの読者の皆さまにもご紹介します。

たとえば次のような記述はどうでしょうか。誤記、不審な固有名詞などがありますが、原文のままです。

>(前略)念のために書きますが、私は一切やましいことはしていません。周囲からハラスを浴びせかけられ、大学を休業し、当時私は麻痺状態でした。この頃、妻とともに朝の9時から3時まで交替で娘を守るために幼稚園の見学をしており、心身ともにくたくたでした。それなのにシステムはまったくのデマを流しています。
Q具体例をおしえてください。
2009年2月9日、ノースウェストオリエント航空でアメリカから帰国しました。この五年間、飛行機に乗る度に機中で嫌がらせを受けることがよくありました。座席後部から蹴られることもよくありました。それで私と娘の席を縦一列に予約しました。ところがポートランド航空に着くと座席が変更してあり、三人掛けの横二列をとったから変えてくれと言われました。飛行機に乗ると、トレーをわざとぶつけられたり様々な嫌がらせに遭い生きた心地がしませんでした。スチュワーデスに抗議すると失礼だと言ってチーフパンサーが何と私のところに抗議に来ました。日本に着陸したら逮捕してもらうとまで言います。私と娘は10時間の間、機内で拷問を受け続けました。娘は泣き続けていました。この件は近いうちに訴訟に持ち込みます。


・・・・(失笑)。

このような文章をまともに相手にすることもないでしょうが、ちょっと非常識にもほどがある記述ですよねえ。

>生きた心地がしませんでした。

って(馬鹿)、そんな大げさな話じゃありませんね。

>この件は近いうちに訴訟に持ち込みます。

訴訟って、こんな馬鹿な話で代理人になってくれる頭の悪い弁護士がいるとも思いませんが・・・。

だいたいこのような話を書いても、ほんとに訴訟になる例はそんなに多くないでしょうが、ぜひ私は尾崎氏に、ほんとに訴訟にしたのか(この記事は昨年の6月の執筆です)お伺いしたいですね。メールしてみようかな。たぶん返事は来ないでしょうが。私も「システム」の一員とみなされそうです。

なお、尾崎氏のいう「システム」とは、氏の説明によると

>Qシステムとは何ですか?
世界を支配する巨大宗教集団とそのコントロールシステムを併せてシステムと呼びます。

だそうです。

私が読んでいてかなり驚いた記述がこれです。

>Qケイタイ攻撃とは?
世界で最も普遍的に利用されている携帯電話を使ったハラスの一種。一見無害を装える最も陰険な攻撃方法です。刑法的にはまず暴行罪にあたります。さらに、これによって相手が傷ついた場合、傷害罪になります。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引起す陰険そのものの攻撃です。私がケイタイ攻撃を指摘すると、「携帯をかけたらどうして悪いのですか」と平気でウソをついてとぼける訓練がなされています。人を傷つけておいて指摘されるとウソをついてとぼけてしらを切るという人間として恥ずべき行為が世界中で広まっているのです。
例えば、誰かに銃口を向ける行為を考えてみます。銃口そのものはただの鉄の塊で、弾を入れなければ無害です。しかし、銃口を向けられた人は反射的に恐怖感を深く感じます。それは、銃口というただの鉄の塊が攻撃のシンボルになっているからです。ケイタイも、特殊ターゲットに対してそれは攻撃武器だと印象を刷り込むことによって不快感を与える武器になっているのです。ある種のパブロフの犬の条件反射作用の応用。このように、いつでもとぼけられる形を利用して人を傷つける行為は、システムの卑怯さ、卑劣さを示す証拠でしょう。この派生として、ケイタイを持っているふりをしたり、咳払いをしたり、色んな方法で人に不愉快感を与えるなど、卑劣そのもののことが世の中に蔓延するようになってしまいました。こういうことを習慣的に行うことは、ハラスをする人本人にも悪の心が育ち、大変危険なことなのです。

さらに、これもひどい記述です。

>Q娘とケイタイ攻撃
ハラスからの逃げ場を求めてアメリカ、シカゴに行った時のことです。考えあってミッキーマウスの携帯電話のおもちゃを買ってやりました。娘はいつもケイタイ攻撃をされていたのですが、この時はまだ意味がわかりません。ケイタイというのは不自然に人に差し向けるものだと思って、人々にケイタイを向けて反応を見ていました。私は涙が出そうでした。その後、娘はだんだんケイタイが自分への攻撃だと悟るようになりました。今では知らないふりをしていますが、内心は深く傷ついています。特に自分を可愛がってくれるはずの人がケイタイ攻撃をした場合、想像を絶する傷を負います。
オーストラリアの田舎にあるホテルの部屋に戻る時、階段の途中でケイタイ攻撃をしながら立っている人がいました。娘はその人に気がつき、何かを決意したように歯をくいしばってその人の脇を通り過ぎてきました。娘にとっては長い長い階段だったでしょう。私はその様子を見ていて、胸が張り裂ける思いでした。娘のこのような状態を見て、現在では娘の前でケイタイ攻撃する犯罪者に対して、命がけのトッコウをするようにしています。
Qトッコウとは何ですか?
あまりに卑劣・卑怯な嫌がらせに対する、やむを得ない最小限の正当防衛です。特に、幼い子供に対する卑怯な攻撃に対する、親としての義務です。罪のない幼子に卑劣な攻撃を加えるのなら、報いとして反撃を受けるのは当然です。私も捨て身でトッコウしますから、卑怯な行為をする人も命がけだと知るべきです。
特攻隊員たちはアメリカの爆撃機の飛行可能距離が日本本土に届くようになってから、とりわけ必死にぶつかっていったそうです。自分が空母を撃沈しなければ日本の子供たちに爆弾が注がれると知った時、彼らは捨て身になりました。
私は特攻隊を美化しませんが、彼らの必死の気持ちを学んでいます。
私はやくざが大嫌いですが、次の元山口組組長田岡氏の発言にはうなづきました。彼は歴代組長の中でも最も有名な実力者でした。彼がホテルのロビーで組員と談笑している時、一人のヒットマンが田岡氏の数メートル前に飛び込んできて銃を乱射しました。二、三発田岡氏に命中したのですが、間一髪で急所を反れ田岡氏は生き延びました。田岡氏は次のように言ったのです。「俺を狙うなんでえらいやっちゃな。勇気がある。しかし、あいつは俺を撃った後に逃げて助かるつもりで来よった。だから急所をはずした。彼が死ぬ気で来たら俺は死んでいただろう」私が正当防衛のトッコウをする時は、常に捨て身でやるよう心がけています。卑劣な行為をする犯罪者は死ぬ気で来てください。
Qいつトッコウを始めたのですか?
2009年アメリカから日本に帰国してからです。それまでの4年半以上、嫌がらせに対して無抵抗でした。元々小心者で虫も殺せない男でした。しかし毎日のハラスで人間性も変わり、またトッコウしか解決の糸口がないとも思うようになり、始めたのです。
Q毎晩ひどくうなされているとのことですが…。
私が一番訴えたいことは何か、私が今生きている原点は何か、と言われれば私は躊躇なく娘の人生のためだと答えます。その中でも娘と一緒に寝ていて毎晩、4年前から本当に毎晩うなされることほど、私にとって辛いことはありません。身の毛もよだつ恐ろしさです。そのうなされの中で娘はよく「やめて」という言葉を発します。今までどんなに辛いイジメにあったことか!4年前に始まったこのうなされは、ほとんど毎晩であり、私を苦しめ続けます。本当に毎晩ですか?などというとぼけた質問をした女性がいましたが、自分がウソをつく習慣があるために、真実を語っている人間の本当の話が信じられなくなっているのでしょう。これだけ酷い目に遭えば、脳に恐怖がこびりつき、毎晩うなされるのは当然です。
私は娘にケイタイ攻撃などをする人を許しません。殺したくなります。私も相手も死んでもかまわないという決意で、トッコウしています。


さいわい今のところ、尾崎氏によるなんらかの刑事事件が起きたという話は耳にしていません。今後ともトラブルがないよう祈るのみです。

それにしても、上の文章を読んでも、なんで携帯が攻撃になるのかとか、「トッコウ」とは具体的にどういうものなのかとか、一番知りたいことがぜんぜん書いていないのはなぜなんでしょうね。どうもトンデモ系の人の書くものというのは、具体性が乏しいという特徴があるように思います。

さて、以上の記述は、被害妄想に駆られた人間の世迷言と笑っていればいい(というのもひどい対応ですが)かもしれませんが、こちらのほうは笑ってばかりもいられません。

>⑤娘と私は2009年2月7日日本に向けて出発し、日本の田舎に永住することを決意。
さまざまな意味で現実との接点に執着する限りシステムはそこにリンチを浴びせてくる。自殺はできないが奥地でくらすことにより接点を極小化し打撃を最小化する。この際、一番辛い決断として娘が日本の小学校で再びリンチを受けた場合、その後の通学や進学を断念する決断をほぼ固めた。異常かつ最も辛い決断であるが、これを乗り越えない限り娘へのリンチという形でシステムの攻撃が継続することを予測するからである。娘の進学断念の覚悟こそ現時点での最も高度な決断と考えた。親子ともども外に出る度に携帯攻撃ほか、敵に囲まれ、気分転換の余興のようにリンチを浴びせられる。コンプレックスの裏返しとして私たちへのリンチを楽しむ人々がいる。こういう状態を親子が忍耐し続けることはひたすらマイナスであり、娘はもう耐え切れない状況だと痛恨の思いで決断した。

これまずくない…? 親の妄想で、子供の将来や教育権が侵害されてはまずいでしょう。

もっとも現在のところ、氏はかなり精神的にまずい状況らしいですから、どうにもなる状態でもないでしょうが。

尾崎氏は仕方ないかもしれませんが、娘さんはほんとうに心配です…。

2011年2月9日追記:尾崎氏のブログは、本日確認しましたら削除されていました。尾崎氏は大丈夫でしょうか…。尾崎氏より娘さんのほうが本当に心配です。
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この人、まだこんなこと書いている

2010-04-27 00:09:51 | 北朝鮮・拉致問題
勘違いした人間の発言を批判したり非難したりするのは、時に楽しいものですが、しかしなーんかひどくむなしい気分になることも少なくありません。増元照明氏は、2006年に安倍晋三が首相になったとき、こんなことを書いています

>2006.9.6

「おめでとうございます!ご皇室の皆様!」

 (前略)
 日本では、安定した国情の中で、緊急の課題にじっくりと取り組むことのできる年になる。緊急の課題にも対処できる政府の構築が可能になるのだ。
 さあ~、どうする金正日!
 この国を挙げての恩赦の下地のできた中で、今、被害者すべてを返しておけば、日本の中に、拉致の首謀者・金正日への恩赦という選択もありうるであろうが、これを過ぎれば、厳しい対応しか残されていない。今年中に被害者を帰すことだけが、金正日の生きていける唯一の手法なのだが、金さんにそんな覚悟が出来るのだろうか?
 今月半ばには、対北朝鮮強硬派と言われる方が日本国の総理となって、今までの緩い政策はとらないだろうし、国内にいる北朝鮮宥和派やテロ国家の支援者及び実行犯に対する追及も厳しくなると考えられる。そんな中、被害者の返還を積極的に推進するのであれば、今だったら、恩赦の方向も考えなくはないのだが、どうする?金正日!
 早く決断したほうが、いいと思うんだけどね! 決断力なさそうかな?
 先日、救う会の内紛という報道が出ていたが、全国協議会にとっても一度はやっておかなければならない真摯な討論であった。救う会の家族会も仲良しクラブではなく、闘う集団である以上、内での揉め事はあってしかるべきものであろう。寧ろ、今まで協議会内での怒号さえなかったことが不思議である。皆が、真剣に被害者の救出を思うからこそ方法の違いもあるのかもしれないが、大団円は、被害者救出である。多くの討議を重ねて、救う会として纏まっていってくれたら良いと思う。
 雨降って地固まる。闘う集団としての体裁を作りつつある組織の支援を受けながら、闘う家族会としての意思表示をしていかねばなるまい。
 闘う政治家が、物申す世の中になりつつあるこの時、金正日が決断せねばならない時が近づいている。
 
・・・・・(失笑)。

その後の安倍の、なんともお粗末な姿を知っている我々からればおもいっきり笑っちゃうような文章ですが、でもこの人はたぶんこの時は本気でこれを書いたんでしょうね。

あ、それから(前略)の部分は、皇室がどうしたこうしたとかいう文章で、これもばかばかしいので削りました。読みたい方は、リンク先を見てください。増元氏の時代錯誤で大げさな文章に驚きます。

で、安倍が辞任した時の記事がこれです。

>2007.9.12

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.09.12)安倍総理辞任で家族会・救う会会見

 本日、9月12日、安倍晋三・内閣総理大臣から突然の辞意の表明があり、報道関係からの要望もあり、家族会・救う会が会見を行った。

 参加者は、家族会から飯塚繁雄副代表、増元照明事務局長、松本 孟さん、救う会から佐藤勝巳会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長。
 会見の概要は以下の通り。

飯塚 拉致問題対策本部を作り、少しずつ解決に近づきあると感じていたので極めて残念。今後どうなるのか心配はあるが、現在の体制を生かし強い姿勢を貫いてほしい。家族会の方々からも電話があり、非常に残念と言っておられた。

増元 言葉がでない。北朝鮮に対しぶれることなく毅然と物申す姿勢を高く評価し、信頼していた。今後も政府が今の体制で姿勢を崩すことなくやっていただきたい。憔悴しておられたので、回復されたらまたご尽力頂けると思う。

松本 ショックだった。一生懸命拉致問題に取り組んでいただいた総理が辞められたあとどうなるのか、中山補佐官は継続してやってくださるのか、心配だ。総理が代わっても拉致問題を後退させることなく、前進させてほしい。

佐藤 疲れているとの印象があった。健康問題だろう。拉致対策本部は法律で設置されたものなのでこのまま残る。拉致被害者を救出することが目的なので、新首相にもしっかりやってほしいとお願いしたい。かつて外務省と家族会・救う会は緊張関係にあった。中山首相補佐官が、内閣官房参与になってから信頼関係が生まれ、民間と政府が歩調を合わせていけるようになった。今後も中山さんに期待している。
(後略)

>2007.9.12

「衝撃の安倍辞任」

 辞任表明の速報に、言葉も出ないほどの衝撃を受けた。安倍総理が推進する国内法の適正化によって、金正日政権を支えてきた朝鮮総連を追い詰め、金正日政権に打撃を与え、我が国の拉致被害者救出への強い態度を表明し続けてきた政策が、総理の辞任によって修正を余儀なくされる可能性があることを考えると甚だ残念である。
しかし、国家として、拉致された国民の救出・解決は当然果たさなければならない。国政の重要課題と位置づけ、安倍さんが切り開いて推し進めた政策を継続してもらわなければならない。多くの被害者が期待を寄せているはずの日本国の姿勢を変換することは、被害者の生きる希望を喪失することに繋がる。次の政権のトップにもこの一事だけは忘れて欲しくない。国益は、国民の生命を守ることから始まる。国家とは、国民があり領土があり、主権を全うしうるものである!
家族会は、闘い続ける。


安倍ごときの辞任表明に

>言葉も出ないほどの衝撃を受けた

というのもどうかと思いますが、人を見る目のない人にも困ったものです。

それはそうと、巣食う会ニュースのほうの「佐藤」とは、前にこのブログでも紹介しました佐藤勝巳のことです。彼は、増元氏を評して

>増元氏もひどいでしょ。論理は滅茶苦茶だし、要するに感情論だけ。とても世間に通用するものではないですよ。

としています。お前が言うな(増元氏らを暴走させたのは、お前ら巣食う会の連中だろ)と思いますが、でもここで佐藤の語っていることはそれ自体は間違ってはいません。

で、最近の増元氏の日記風の活動報告を読んで、次のような文章に私は驚きました(4月23日)。

>あのまま、安倍総理が病に倒れず、政権運営をもう少し長く維持していてくれたらという思いを禁じえない。

安倍の辞任は、病に倒れたわけじゃないでしょ。単に参議院選挙で(彼の不徳の致すところで)自民党が惨敗して、その後も政権運営の展望が見えず体調を崩しただけで。

どのみち安倍は、あの時はほかのことが手いっぱいでとても拉致問題なんかに対応する余裕などなかったと思いますけど、さらに増元氏はその前日の記事で次のように書きます。

>2010.4.22

「崩壊の足音!と北朝鮮のあがき」

(前略)
 今回「新潮45」に掲載された平沢勝栄氏の論文もその一環としか感じられない。その論調は、「北朝鮮の不誠実な対応」をとんでもないといいながら、北朝鮮の望む方向性を示している。

(中略)

 又、横田夫妻へ「訪朝すること」を進めている点でも、誤った考え方を持っているようだ。この考え方は、北朝鮮の臨む「拉致の終結」方向での論調を言っていることであり、どうしてもその裏に北朝鮮関係者の意図が見える感じである。
 確かに、横田夫妻の訪朝によって、現在の日本国内世論が拉致問題の沈静化に繋がるとは思えないが、もう一つ考えてもらいたいものだ。横田夫妻が訪朝し、キムヘギョンさんと面会したとき、ヘギョンさんは間違いなく、「お母さん(めぐみさん)は死亡」と告げるだろう。そのとき、横田夫妻は報道陣の質問に対して「ヘギョンさんはウソをついている」と言わねばならなくなる。ということは、横田夫妻に「孫はうそつきである」と世界中に公言させてしまうということだ。
そのような酷いことを横田夫妻に強いる政治家など信じることが出来ようか?
 ましてや、政治家としての責務を放棄し、老齢の横田夫妻に訪朝せしめようとするなどもってのほかである。早紀江さんがどれだけお疲れになっているのかを考えずに訪朝まで促していることに、政治家として無責任であると言われても仕方あるまい。
 ヘギョンさんと横田夫妻が面会するのは、めぐみさんと一緒に日本で面会するときだ。


>そのような酷いことを横田夫妻に強いる政治家など信じることが出来ようか?

あのー、そんなこと言っていると、横田夫妻のご年齢からしてまちがいなくお孫さんにあえそうにないんですけど…。

>もってのほか
>お疲れになっている
>無責任

横田さんの奥さんが北朝鮮に行くことができないほどお疲れなのかどうか私は存じ上げませんが、こんなひどいことを堂々と書く増元氏の言動のほうがよっぽど「もってのほか」「無責任」だと思いますけど。

ていいますか、このようなことは増元氏が書くことではないよね。とりあえず増元氏が口を出すことではありません。横田さん夫妻がお孫さんに会いにいくかどうかという話は、ほんと横田さんたちにとっては文字通り一生の決断ですからね。そういったことに増元さんは意見をはさむべきではありません。

>ヘギョンさんと横田夫妻が面会するのは、めぐみさんと一緒に日本で面会するときだ。

増元さんねえ、そんな絶望的に見通しの低いことを主張するもんじゃありませんよ。あなたはもうしばらく人生があるでしょうが、横田さん夫妻に残されている時間はほんと短いんだから。もうすこし現実味のある主張をしてくださいよ。

たぶん増元氏は、横田さん夫妻が自分たちを差し置いてお孫さんに会うということが許せないんでしょうね。抜け駆けは許さんみたいな。そういった気持を全く理解しないわけではありませんが、しかしむなしいですね。ほんと、佐藤の言う通り、

>論理は滅茶苦茶だし、要するに感情論だけ。とても世間に通用するものではないですよ。

な人です。

なお、佐藤については敬称をつける気がしないので略します。
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薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談(4)

2010-04-26 04:17:55 | 映画
受験×仕事=?!
やっぱり自分ひとりっきりで
闘ってゆかねば


ひろ子 気になるね、高校受験。受験校は決めてるの?

慶子 ぜーんぜん。得意な科目はないし自信がないの。それでお仕事の両立を考えると、それなりに融通がきく高校に入らねばならないし、いっそ高校時代は仕事をやらないで過ごそうかとか、いろいろ悩んじゃう。

ひろ子 そう、ほんと悩んじゃう! 学校推薦で私立に行ったりとか、大学付属の、いわゆるエスカレーター式の学校のほうが、仕事のことを考えるならいいとか、いろいろいってくれる人がいるけれど、やっぱり自分の実力で試験を受けたいし。

慶子 入りやすい私立もいろいろあるけど、楽して進学するという考え方には抵抗感じてしまう。

ひろ子 わたしの先輩の中に、都立の高校に進学して、現在週1本レギュラーでテレビに出ている人がいるんだけど、やっぱり忙しくってなかなか単位が取れないってコボしてる。でもその人は将来の自分の進む道は決めていて、中退になってもかまわないって割りきっているそうなんだけど、わたしはまだそうは割りきれないんです。

慶子 今度の舞台の出演者の中にも高校生の人がいて、その人は演劇科のある高校なのよね。すでに何回か舞台に出てらっしゃって、それは学校公認なんだって。

ひろ子 これはあるテレビ関係の方に聞いたお話なんだけど、いわゆる芸能関係の仕事を持つ人に理解のある学校に入ったとしても、そこに在学している人のすべてに実際のお仕事があるわけではないでしょ。それで仕事で忙しい人ほど、ちょっと白い目で見られたり、あまり授業にも出られないから、クラスから浮きあがったりの状況になったりで、それなりに大変なんだって。仕事と学業が十分に両立できる環境は魅力的なんだけど、実際に仕事を通していろいろなものを覚えていくほうが、なんというかな、人間が大きくなるだろう、身につくだろう、ということで、学校をやめてしまうケースが多い、なんてことを聞きました。

慶子 お仕事も大切だけれど、学校での勉強ももっと大切な年齢なんだし、いろいろと考えこんでしまうよね。ひろ子ちゃんは科目で何が好きなの? わたしは国語とか音楽が好きで、理科がぜんぜん駄目なんだけれど(笑)。

ひろ子 やっぱり音楽。で、理科が駄目。(笑)テストの答案用紙が返ってくるでしょ。わあ、これでおも点かなあ、なんてのがときたまあったりで(笑)、ニガ手なんですね、化学式とか天気図とか理解不能です。(笑)

慶子 雲のかたちとかミリバールとか・・・・・ぜーんぜんよね。

ひろ子 同じ学校へ進めれたら、嬉しいね。

慶子 うん、助けあえれそう(笑)。


ふたりとも映画の
スクリーンでは大きく見える!!
熱烈共演宣言が


ひろ子 慶子ちゃんは今後はどんなお仕事をしたいの?

慶子 今度の舞台は台詞がまったくなかったから助かったけど、もしセリフがいっぱいあったら、もうアガリにアガって駄目だったろうと思うの。しかも、この仕事が決まってから、お芝居ってどんなんだろうと初めて見学にいったくらいなんだから。経験不足もいいところなのよね。当分舞台には立てそうにないと思うの。きちんとした経験をもっと積まないととても自信が持てないんです。

ひろ子 映画やってみたいと思う?

慶子 うん、映画ばかり見てましたからね。それに映画って迫力あるし。

ひろ子 わたしはテレビより映画のほうに興味があるの。そして出演するより、映画を作るスタッフのほうにまわってみたいな・・・・・なんて。ところでわたし、12月に公開が予定されている「戦国自衛隊」というSF時代劇に出るんです。”子供のような武士”っていう役で、ヨロイをきて戦闘場面に出演する。今度もまた殺される役なのね。槍を持って、自衛隊員役の竜雷太さんに向かっていって相討ちになる。

慶子 かっこいい!!

ひろ子 でも、この前衣装合わせをしてヨロイを着けたのよね。そしたらみんな”桃太郎さんみたい”なんていうのよね。(笑)ビシッと決めなくちゃならないシーンなんだそうだけど、うまくいく決まるかどうか。槍なんか振り回したことないものね、心配なの。慶子ちゃんといっしょに出たかったなあ。

慶子 絶対に初日に招待してもらおうっと。(笑)でも、いっしょに仕事してみたいですね。

ひろ子 なんだかんだいっても、ここまでやってこれたのだから、勉強のほうも、仕事のほうも、お互いに頑張りましょうね!!

対談が終わって、ふたりは互いのノートに住所と電話番号を書いて交換しあう。共通の悩みや楽しみをわかちあおうというのだ。<バラエティ>によって小さな可愛らしい友情の種がまかれた。薬師丸ひろ子は10月上旬に「戦国自衛知」の撮影がある。荻野目慶子はっフジテレビで11月10日に放映される”ザ・ネットワーク”の「女が職場を去る日」で倍賞千恵子との共演という10月撮影の仕事が待っている。さらに放映日は未定だが、テレビ朝日の土曜ワイド劇場「優しい滞在」やNHKの土曜ドラマの仕事もある。忙しいスケジュールだが、この対談にあるように、元気いっぱい立ち向かってゆくに違いない。それを乗り越えて、’80年代のふたりの時代を拓いてゆくのだから。
ファンレターの宛先は
(以下略)

(了)


すいません、私は解説をするほど彼女らに詳しいわけではないので、手短に。

たぶんこの対談は、荻野目を売り出そうという狙いのもとにおこなわれたのでしょうね。その後彼女は、例えばこんな写真集を発売しています。



この対談での幼い彼女を見た後この写真を見たら、すこし胸が痛みました。この対談での荻野目慶子は、15歳というよりはかなり幼く見えました。

それにしても荻野目が、自分の住所を市くらいまでは平気でしゃべっちゃって、それを雑誌も載せちゃうってのは時代ですね。

最近のお2人の姿です。

  
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薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談(3)

2010-04-25 09:46:49 | 映画


オギノ・メケコ君と
ウシワカマル・ヒロコ君の
学校生活は??

ひろ子 荻野目慶子さんていう名前とても素敵ね、芸名みたい・・・・・。

慶子 本名なんです。東京都の、あのぶ厚い電話帳で同姓の人を探したことあるんですけど3人くらいしかいなかった。めったにない名前だから、最初から正確に読んでくれる人が少ないの。

ひろ子 昨日、事務所の人と電話で打ち合わせしてたのね、そしたら”明日、ハギノメさんに会うんだって?”なんていってた。(笑)

慶子 やっぱし!!でも、もっとヒドい人いるんですよ。荻野さんて名の人はわりと多いでしょ。だからたいがいの人はオギノさんだと思うわけ。そうすると私の名前の残りのほうは目慶子になるから、オギノ・メゲコになっちゃう(爆笑)。それでお姉さんは知子っていうんですけど、こちらはオギノ・メチコもなる(笑)、下の妹だけ洋子だから、なんとかマトモに読んでもらえる。もう、ひどいんです。(笑)

ひろ子 自慢じゃなけど、わたしの名前も電話帳に10くらいしかないの。(笑)めずらしい名前だからよけいヒドイこといわれるみたいよね。次郎丸だの牛若丸だのいわれて。

慶子 うん、いるいる。ウオノ目だのドジの目だのといわれる。

ひろ子 本名は漢字の博子なの。上から下まで全部漢字だと重々しいからひろ子というひらがなに変えたんです。今はひらがなのほうが好きなくらいになってしまった。でも、修治なんかで名前を書くときは漢字のほうが型が決まって書きやすいのだけれど。

慶子 わたしの名前の慶子というのは画数が多くてごちゃごちゃしているでしょう。だから習字で小さい字を書くときは真っ黒になってしまうの。(笑)ほんとにメゲちゃう。(笑)

ひろ子 学校では、クラブ活動なんか何をしています?

慶子 埼玉にいた時は卓球部にいたんだけど、千葉へ移ってからはまわりの環境ががらりと買ってしまっちゃったから、それにみんなに慣れるのにちょっと時間が必要だったりで、いまさら運動部に入っても上達しないだろうなと考えて、合唱部に入ってます。

ひろ子 同じだ! わたしはお姉さんが合唱をやっていた影響もあって、1年生の時から合唱部なの。

慶子 でも、舞台がはじまってからはぜんぜん行けなくって、みんなの半分も出来ない。

ひろ子 しょうがないですよね。昨年は「筑後川」なんかのコンク-ルの課題曲の練習は少しできた。でもうちの学校は全国コンクールなんて、まるで無縁の状態なの。

慶子 わたし、仕事のほうでは将来歌もやってみたいな、なんて思ってるんですけど、ひろ子ちゃんは?

ひろ子 学校で歌ってるだけで満足です。(笑)歌うことは好きなんだけど、仕事で人前で歌うなんて、とても考えられない。でも、慶子ちゃん、今度の舞台は夏休み期間と重なったわけだから、それだけは良かったわね。

慶子 うん、夏休みでなかったらもう大変。慶子は6月からはじまってやっぱり長期欠席の状態で、1学期末の試験は受けられなかった。中間試験のもので成績をつけてくれたんだけど、休みがなかったら、それこそほんとに留年しなければならなかったと思う。舞台の出演が決まる前までは、しっかり勉強して進学の準備にとりかかろう、、とケナゲに思ってたんだけど、(笑)あ~~~~7どうしよう、もう時間がない!

(続く)
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薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談(2)

2010-04-24 00:27:38 | 映画


ガクガクドキドキ!! 
思い出の初演技・初舞台のとき
でもいざ走り出すと・・・・・

ひろ子 やっぱりカメラがまわりはじめると、責任感っていうか、もう必死になっちゃって・・・・・。

慶子 責任感っていうか、本当に必死になりますね。舞台は稽古の期間も入れて約3カ月、たとえ体の調子が悪くても休むわけにはいかないでしょう。体調の維持ってことがすごく大事なのね。お仕事の大変さと同時に、いろんな新しい経験をしました。そして毎日舞台が終わると疲労と緊張で体力が少しずつ削られてゆくみたいで・・・・・それに学校のことも考えなくてはならないでしょ。もう中学3年生なのだから、進学の準備もしなくてはとか、毎日の上演後は、かえってグデーっとしちゃうの。ひろ子ちゃんは映画の撮影の時はどんなでした?

ひろ子 わたしは、なぜか、カメラの前にはじめて立ったときにはそんなに緊張感はなかったの。むしろ撮影所に向かう途中の車の中で、足がガクガクしていたのを覚えてる。映画のほうは舞台とちがってロケーションなどがるでしょう。私はすぐ撮影所のセットからロケへ行ったからあわただしく、すぐ気分がほぐれる状況になったの。それに高倉健さんはじめ、みなさんがとても気を遣ってくれて、わりと早く撮影に慣れていけた。勉強のほうは、まだ中学2年生だったから、授業に出れない分くらいは頑張ろうと、成績のほうはかえって良くなったものがあったりして・・・・・でも、金沢のロケ地から飛行機で何度か往復したり、そういう面では大変だった。慶子ちゃんの初日はどうだったの?

慶子 もう、幕があがるまでは音がするほど胸がドッキドッキドッキ!!(笑)でも幕があがると真っ暗闇の中でお芝居がはじまるし、しかも役作りのために目を半開きにしているから客席がぜんぜん見えないの。それでホッしたのですね。でも初日以後も、演出の伊藤俊也先生から、”ケーコちゃん、ここのところはね―”って演技の悪いところを毎日指摘されるんです。お芝居用語で、”ダメ出し”というんですけど、毎日(笑)。ひろ子ちゃんは何度も撮りなおしたシーンというのはなかったの?

ひろ子 うん、あるある。(笑)思い出深いのは、「野性の証明」の最後のほうのシーンで頼子がトンネルの中から走り出てくるところ。50メートル以上走るんだけど、線路のところを走るものだから走りにくくって、何度も何度もくり返して、あれは疲れた。しかも線路の脇が崖になっていて柵もないんです。わたしは高所恐怖症気味だから恐くって恐くって!


普通の子なんだけど
変わった名前のせいなのか
困っちゃうんだ

慶子 でも、ひろ子ちゃんの人気って、映画が大ヒットしたこともあっていっぺんにスゴク広がったでしょう。大変だったんじゃない? 学校とか・・・・・。

ひろ子 そうね、自宅とか学校の門のところで待っている人とか、困っちゃって。外出ノイローゼみたいになったこともあるんです。クラスの人は別に映画に出たからって特別な目で見たりしなかったんだけど、イジ悪な3年生にはちょっとイビられたりで(笑)。今は自分がイビるほうの3年生なんだけど(笑)。でも、慶子ちゃんも舞台に立つ前から、すでに「中2コース」の表紙のモデルさんや写真なんかで、よく知られてたでしょう?

慶子 埼玉の嵐山町にいたころはいろいろあったけれど、最近千葉の佐倉のほうに引っ越したんです。だからまだみんなよく知らないみたいだし・・・・・でも、わざわざ自宅を訪ねてくれて”なんだ、普通の子だ”なんていって帰る人もいたりで(笑)。舞台のほうは夏休みを利用して見に来てくれる人も何人かいるの。でも、ほらみんな最後の夏休みでしょう。3年生は、中学時代最後のシゴキをみっちり受けている時期だから、忙しいみたいなのね。でも楽屋にまで寄ってくれる人もいますよ。

ひろ子 最初は新聞や雑誌の記事に載るのがいやだったなあ、中にはヘンな雑誌も取材に来るでしょ。慶子ちゃん、そういう雑誌に載ったことないですか?

慶子 ヘンな雑誌って、ひょっとしたら・・・・・ウン! ア~~~~!!(ふたりそろってデュエット、雑誌名は出さなくとも、ともにピンと来たのである)

ひろ子 そのヘンな雑誌に載った記事を読んだときには涙が出てしまった。高倉健さんがとても怒ってくださったの、”バカな質問には答える必要ないんだからなっ!”って。

慶子 私はまだまだ幼く見られてますから、そんな経験ないけど、ヤだな、おびえちゃう。

(続く)

 
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薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談(1)

2010-04-23 03:40:36 | 映画
予告しました通り、薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談を採録しましたので発表します。時代の証言として読んでいただければ幸いです。



初対面だというのにまるで親友のように仲良く話しはじめたふたりの少女

薬師丸ひろ子&荻野目慶子
HIROKO&KEIKOの友情宣言〔デュエット・オブ・フィフティーン〕

編集部なんか、まるでいらなかったみたいだった。対談記事の場合、ふつうは編集部が司会したりするのだが、このふたりは、会ったとたん、ひさしぶりに会った親友同士のように”キャア!”と叫んで手を取りあい、顔を寄せて話しはじめたのだ。話題が次から次へ飛び出しヒソヒソ話までするのである! 飾りっ気のない、素直な15歳の若いスターの日常がぶちまけられる。”慶子ちゃんとあったら、どんな話をしようかな。話題がなくなって、困っちゃうんじゃないかな”とひろ子は前日まで悩んでいた。”ひろ子ちゃんが来るなんて、どうしよう。お断りしようかな、どうしたらいいかわからないんだもの”と、約束の日の朝も、慶子はお姉さんにいっていたのが嘘と思われるほどの、楽しい会話が弾んでゆく。


薬師丸ひろ子 昭和39年6月9日生まれ。ご存知、<バラエティ>ギャルのエースだ。「野性の証明」に続いて、この暮れの正月映画「戦国自衛隊」に出演する。

荻野目洋子  昭和39年9月4日生まれ。今年の夏、芸術座で2カ月間連続公演された「奇跡の人」(演出伊藤俊也、出演市原悦子ほか)のヘレン・ケラー役に100人以上のオーディションをくぐって選ばれ、その熱演が話題を呼ぶ。これまでも雑誌のモデルや、テレビ(「母ちゃんの勲章」「ナッキーはつむじ風」)、映画(「獄門島」での司葉子の少女時代の役)に出演していたが、期待されていた素質がようやく大きな実を結びつつあるのだ。


ふたりとも中学3年生としては小柄なほう―”きっと思い悩みで伸びないんだよねェ”と合いづちを打ちながら”でもエネルギーというか、情熱じゃ人に負けないんだものね”と笑いあって話が展開してゆく。


ひろ子 8月のはじめに、お母さんと一緒に慶子ちゃんの舞台を見せていただきました。以前に映画の「奇跡の人」を見ていて、そのイメージが強く残っていたのですが、お芝居を見ていると、そんなのはどこかへいてしまって、感激しました。慶子ちゃん、とても素敵でしたよ。

慶子 わたし、これが初舞台なんです。だから毎日毎日のお芝居の出来がまるで違うの。ひろ子ちゃんが見たときはどうだったのかな。とにかく毎日ボーッとしながら演っているから・…。(笑)

ひろ子 1日2回公演でしょ。あんなに激しく動きまわってよく体がもつなって感心しました。体力には自信があるんですか?

慶子 そんなことないです。8月の半ばごろかな、体全体の筋肉が硬直してしまって、ダウンしかけたこともあるんですよ。それで舞台にあがる前は、この2カ月間で少しはヤセられるかな、なんて期待してたんだけど、これがちっともヤセずに・・・・。

ひろ子 わあ、慶子ちゃんがそれ以上ヤセたら体重なくなっちゃう。(笑)わたしの場合も、撮影中にヤセられるかって思ってたんだけど、ぜんぜんで、かえって終わってから太ってしまったの。半年あまりの緊張感が一度に失くなったからなのね。自律神経がおかしくなったりで、自分で自分の体がコントロールできない時期がありました。今は以前に戻ったけど。

慶子 わたしは児童劇団に入ったのが小学校6年生のときで、それは母が、あまりおとなしい子だったから明るい子にしようと、元気づけのために入れたのね。それ以来、お仕事しているんだけど、今回みたいな大きい仕事は初めて。夢中で演っているけど、こんな舞台を毎日のお仕事にしている人って本当に大変でエライなあと・・・・。ひろ子ちゃんは以前からこういう世界が好きだったの?

ひろ子 ぜーんぜん。舞台はおろか、映画ですら年に数えるくらいしか見てなかったし、もちろん高倉健さんの映画も見たことなかった。

慶子 わたしは父が映画好きだったから、小さい時からよく連れていってもらってました。それで劇団に入っていて、少しずつお仕事をさせていただいてきて、それらが積み重なってきて、大きな役をいただけたのかなって思うの。

ひろ子 わたしは「野性の証明」のオーディションがきっかけなのだけれど、遊び半分の気持ちで、まさか受かるなんておもわなかったのね。そして最終オーディションのときが期末試験の前に日だったこともあって、会場へ行くのがとてもイヤだったの。だから受かってしまったときは嬉しいよりもガクゼンとしてしまって、どうしよう、辞退したいなあ、ということばかり考えていたんですね。

慶子 映画で見るひろ子ちゃんは、とてもそうとは思えない。(笑)

(続く) 
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薬師丸ひろ子と荻野目慶子の1979年の対談を採録するつもり

2010-04-22 01:32:36 | 映画
前、このブログで私の好きなイラン系フランス人の女優アニセー・アルヴィナの1979年の日本の雑誌「バラエティ」(12月号)での対談記事を採録しました。で、その記事の前の記事が、薬師丸ひろ子荻野目慶子の対談記事なのです。この時、2人とも15歳…。

そりゃ現在15歳を超える年齢の人は、否が応でも15歳だった時代があるわけで、それは別に驚きでもなんでもありませんが、その後実にいろいろなことがあった(特に荻野目さんのほう)彼女らのことを考えると、15歳の彼女らの写真を見た瞬間思わずいろいろな想いが私の胸をかすめました。

たぶんこんな記事、今ではほとんど忘れられている(ことによったらご本人たちも)と思いますので、私がボランティア精神を発揮して採録してこのブログに発表することにします。30年前でとっくに廃刊になっている雑誌に掲載された記事ですから、とくに著作権も問題にはならないでしょう。

ことわっておきますが、別に私は、彼女らのファンではありません。荻野目慶子のほうは、むかし写真集か何かを買ったっけな。でもそれも私の手元にありません。ただ単純に、この記事はかなり貴重かなと思うので採録するだけです。他意はありませんのであしからず。

これも一種の時代の証言になるかもしれません。数回にわたって記事にしますのでお楽しみに。ただし、明日からこの記事が始まるかはわかりません。
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ベッキー(2人)とHMVとその他についてのちょっとした文章

2010-04-21 06:28:31 | 美女探求
すいませんね、今日もまたまたわけのわからない記事です。



前にもこのブログで名前を出したベッキー・クルーエルが写真集を出すそうです。

実は私もこの前の記事を書いて以降、彼女のことを(バンクーバーの美女探求とかにいそがしくて)すっからかんに忘却していたのですが、しばらくぶりに彼女の写真を見てまた記事にしてみました。

こちらの記事によると、CDを出した際にやっぱり彼女のイベントがあったみたいですね。私も顔を出しとけばよかったな。

某雑誌には、浴衣を着ていた写真もありましたね。個人的な意見を書きますと、わりとよかったという気もします。

あ、それから興味のない人にはどうでもいい話ですが、彼女の本名はレベッカ・フリント(Rebecca Flint)です。日本版wikipediaにものっています。

彼女は、本名は公表しない方針かなと思ったのですが、エージェントの考えが変わったんですかね。それともこちら魚拓)などで公表されたので隠す意味がなくなったのかな。こちらでも彼女の本名は公表されています。ベッキーちゃんのインタビューも収録されていますので、英語の勉強にもどうぞ。彼女、かなりの早口ですね。



上の写真は、写真集とは無関係です。念のため。

彼女の人気が続くかどうかは分かりませんが、一応このブログは彼女の活動を追っていきたいと思います。

さて、ベッキーというとベッキー・クルーエルちゃんよりもっと知名度が高いのが、こちらのベッキーです。



実は私、彼女とは握手をしたことがあります。

今は、ベッキー♪# なる名前で歌手活動をしている彼女ですが、「ベッキー」名義で『さらら/けちらせ!』というシングルを2002年12月にリリースしていて、そのイベントが新宿の高島屋にあったHMVであったのです。たまたま当日私はそこにいて、彼女のミニライヴを楽しみました。ついでなから、彼女はけっこう歌がうまいんですよね。



で、彼女のサインをもらって握手しました。その後本物の彼女を見たことはありませんが、これってけっこう貴重な経験だったのかもしれません。

なお、このイベントはテレビ(日本テレビ)も取材に来ていまして、私も写っていました(失笑)。もっとも私でないと、どこにいるかはなかなかわからない程度の写り方です。



ここで話は突然変わります。ベッキー以外にもアルパ上松美香からもサインをもらったり、ずいぶんいろんなCDやDVDなどを買ったこの新宿の高島屋12FにあったHMVですが、今年の初めでめでたく閉店になってしまいました。私自身最近はそんなに足を運んでいなかったので、閉店後に閉店を知ったくらいです。ネット配信など仕方ない事情はあるのでしょうが、ある程度足しげく通ったところが閉店になるというのはなんともむなしいところはあります。



そして、この12Fが、めでたく明後日、UNIQLOになります。



CD屋からUNIQLOですか…。さまざまな時代の変遷を見る思いです。



ついでながら、上松さんは、とても礼儀正しい女性でした。彼女ほど礼儀正しい有名人の女性は、私はほかに本上まなみくらいしか知りません・・・(って、白人大好きなんて年がら年中わめいているくせに、私もけっこう日本人タレントをおさえていますね。川原亜矢子も私からひどいことを言われても笑顔を絶やさない優しい女性です)。本上さんの話はまた書きましょう。

金曜は無理ですが、土曜あたりはこのUNIQLOに行ってみようかなと。でもこみそうだな。

あ、すいません、ベッキー・クルーエルからベッキー、上松美香、HMV、UNIQLO、わけのわからぬ記事でした。
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