非国民通信

ノーモア・コイズミ

コミュニケーション能力社会の帰結

2017-04-23 23:50:39 | 雇用・経済

誰に対しても当てはまる! 札幌市の発達障害「虎の巻」が話題に(withnews)

 職場編では、虎夫さんのパン作りの例を紹介。先輩から「適当にクリーム塗っといて」と指示されて作業したところ、塗りすぎて注意を受けてしまいます。

 「クリームをあんなに塗るなんて『普通に考えて』ありえない」という先輩と、「『どれくらい』塗るかおしえてくれなかったのに」と感じている虎夫さん。

 その後、先輩が手本を見せながら作ることに。先輩が作業しながら「こうやって塗ってください」と伝えると、虎夫さんは正確かつきれいに塗れるようになり、褒められるという内容です。

 他にも「手順が決まれば効率アップ」「期限がわかれば集中力倍増」「聞く人決まれば迷わない」といった例が掲載されています。

 発達障がい支援情報のページ/札幌市

 

 先週の記事で軽く触れた話になりますが、札幌市が配布している「発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント」と題された冊子が、ちょっとした話題になっていたりもしたわけです。職場編を要約すれば「具体的に指示を出しましょう」という、たったそれだけのことなのですけれど、これが「誰に対しても当てはまる!」と共感を呼んだりもしたようです。しかし、「誰に対しても当てはまる」と共感した人がネット界隈に少なからずいたとしても、具体的に指示を出すことは「障害のある人のための特別な配慮」として位置づけられているのが現実です。「健常者」であろうとするなら何をやるべきか明示されなくとも察して行動することが求められる、それが日本の職場ですから。

 ……毎年毎年、似たような「新人への不満」がメディアに載ることがあります。曰く○○が出来ない、○○を知らない云々。しかし求人広告を見る限り企業が求職者に求めているのは一貫して「コミュニケーション能力」の類いであり、具体的に何かが出来ること、何かを知っていることではないわけです。「仲間と力を合わせて仕事を進めたい方」「内外の方と円滑なコミュニケーションが図れる方」「自ら積極的な関係づくりができる方を歓迎します」等々、こういう基準で選別された日本の労働者ですから、そのスキルや知識が不揃いとなってしまうのは、致し方のないことではないでしょうかね。

 あるいは「学生が勉強しない」云々も昔から言われていることですけれど、それは日本社会(日本の会社)が勉強する学生を求めていないからです。どこの国でも勉強のために勉強する物好き以外は、「良い仕事に就くために」進学します。しかし大学で何を学んだかが問われないのなら、卒業後の進路を真面目に考えている学生ほど「勉強以外」のことを考えるものです。そして日本の会社が学生に求めているのは、至って具体性に乏しい代物ばかりではないでしょうか。「会社の役に立つ人間になるために」何が必要なのか、我が国の企業は学生に明示していません。それはたぶん、発達障害でもなければ(言わなくても)分かって当然、と考えられているのでしょう。しかし大半の大学(就職課)や学生達は採用側の求めを具体的に理解できず迷走している、そして会社側も結果に不満を持っていると言えます。明らかに何かが間違っていると思わないでもないですが……

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目次

2017-04-23 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2017/ 4/16

雇用・経済    最終更新  2017/ 4/23

政治       最終更新  2017/ 2/19

文芸欄      最終更新  2016/ 9/ 4

編集雑記・小ネタ 最終更新  2017/ 1/ 1

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言われなくてもやるのが日本人、言わずにやらせるのが日本のリーダー

2017-04-16 23:01:54 | 社会

 いつの時代からか日本には「泣く子と地頭には勝てぬ」なんてことわざがありまして、それが現代に入ると「地頭力」なんて言葉が流行ったり(そして消えていったり)もしました。地頭力とは何だったのか、今になって思うと「泣く子」と同質の力だったんだろうな、と。言葉や道理が通じないからこそ、接する相手の方が折れざるを得ない、そういう関係を作り出す力はまさに、我々の社会でリーダーシップや交渉力などと呼ばれて評価されるものでもあります。そして地頭≒泣く子力の高い人に仕える部下は、相手の欲するところを言われる前に察して行動することが求められるのです。

 ほとぼりが冷めつつあるようにも見える森友学園問題ですが、これを巡っては「忖度」というキーワードが飛び交ったりもしました。まぁ、日本的リーダーシップとコミュニケーション能力の間柄にあっては、政治家や官僚組織に限らず普遍的に存在するものなのではないでしょうかね。とにかく日本社会においては「言われたことしかやらない」ことは絶対的な悪として何ら疑問を持たれることなく認識されているわけです。日本の良き社会人であろうとするなら「言われる前に」「自主的に」行動することが必須なのです。もちろん、己の意思ではなく上長なりの意図を察して、ですが。

 あるいは札幌市が配布している「発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント」と題された冊子の中身が話題になったりもしました。端的に言えば「具体的に指示を出しましょう」というだけのことなのですが、しかし「言われたことしかやらない」ことを絶対悪とする日本社会では、言われなくてもやるのが健常者であり、具体的な指示を出されないと行動しない(=上長の意図を察して「自主的に」行動しない)人は、まさに発達障害と同質の扱いになってしまうのかも知れません。似たようなものでは、指示されなかったことを「やらなかった」従業員をアスペルガー症候群の典型例として書いている本なんかも見かけたことがあります。

 「忖度」も然り、日本社会で選別されたエリート官僚ともなれば、「言われなくとも」上長なり権力者なりが心の中で欲しているものを察して、指示される前に行動を起こすのが常識になるわけです。総理大臣の身内が明確な指示を出さなくとも、その周りには「言われたことしかやらない」人なんていないでしょう。我々の社会のエリートたるもの、「自主的に」行動するのが常に決まっています。忖度した、忖度しない云々と論議する人もいましたが、忖度できないような人は発達障害なりアスペルガーなりと同等の扱いで就業機会から排除されている、少なくとも官邸周辺の権力に近いところで採用されているはずがない、そう思いますね。

 ちなみに普通の会社勤めでも、「制度上」残業は上長の指示・命令に基づいてやることになっていたりしますが、実際に上司から残業を命じられた経験がある人って、どれくらいいるのでしょうか。私は、記憶にありません。そして私の職場には残業せずに定時で帰った社員のことを延々と罵り続けているような人が複数名いますが、しかし上司として残業を命じている場面を見たことはありません。まぁ「言われなければ(残業を)やらない」のは社会人として失格、言われなくとも「察して」残業をするのが当然のことと、そう考えられているのだと推測されます。

 こういう日本の文化のメリットとしては「権力を守ることが出来る」辺りが挙げられるでしょうか。上長が明示的に指示を出したわけではない以上、その結果として問題が発生しても言い逃れが出来る、会社が守られるわけです(日本によくある「追い出し部屋」を使っての退職強要なんかも、この辺に起因すると言えます)。官邸周辺も然りで、明示的に指示を出さずに忖度させることで権力者を追及から守れるようになっているのですね。権力者が己の責任において人を動かすのではなく、意図を察することを求める、そんな関係を押し通せる力こそが、我々の社会で高く評価されています。

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ヤミの小田原方式

2017-04-09 22:32:33 | 社会

生活保護担当職員の「意識弱かった」 小田原、検証報告(朝日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護担当職員が「保護なめんな」などとプリントしたジャンパーを着ていた問題で、有識者らの検討会は6日、「生活困窮者への支援者としての意識が弱かった」とする検証報告書を市長に提出した。信頼を回復するため、市の他部署や地域と連携して困窮者に寄り添うよう提言した。

 市内では2007年、生活保護の支給を打ち切られた男が担当職員を負傷させる事件が起きた。報告書では、この事件後、受給者とのやり取りなど職員の負担が重く、改善の必要があるのに他部署に認識されず、「組織的な孤立につながった」と指摘した。

 市職員へのアンケートで、生活保護担当への配属を望まない職員が66%に上った。改善策は「異動したくなる職場」「女性も働きやすい職場」に変える目標設定も提言。報告書は今回の問題の犠牲者は、屈辱的な思いをした受給者だとした。1月末までに市に届いた批判は1138件、擁護も956件。「不正受給を許してはならないという考えは理解できる」という声も寄せられたという。(村野英一)

 

 さて市職員がヘイト文言の入ったグッズを作成、頒布していた小田原の問題ですけれど、検証報告と称して幕引きを計ろうとしていることが伝えられています。問題の発覚当初、職員を処分しないと緊急記者会見で明言していた小田原市ですが、その後も方針は変わらないのでしょうか。生活保護受給者を貶めても無罪放免、差別や偏見を煽り立てる行為を10年ばかり職場で繰り返していてもお咎め無しというのなら、公務員とは起立して君が代さえ歌っていれば許されるポジションなのかも知れませんね。

 なんでも「市に届いた批判は1138件、擁護も956件」とのことで、ほぼ同数に近いです。各紙の報道の踏み込みの甘さを鑑みるに、マスコミ関係者の中にも小田原市を擁護したい人もいるのでしょうか、ここに引用した記事も「伝える箇所が選ばれているな」という印象が拭えません。例えば発端とされる「生活保護の支給を打ち切られた男が担当職員を負傷させる事件」について詳細を伝えた新聞はどれだけあるのでしょう?

 2007年の事件は、アパートを追い出されて連絡が付かなくなった受給者への生活保護支給を市が打ち切ったことに始まります。この後、保護費が振り込まれていないことに気づいた受給者が市役所の窓口に抗議し、悶着が起こったそうです。住居を失った生活保護受給者に打ち切りという追い打ちをかければ、文字通り「窮鼠猫を噛む」という事態に発展しても不思議はありません。暴力で解決しようとするのは許されないとしても、情状酌量の余地はあります。

 しかるに事件後の小田原市の対応と言えば、なんとヘイトグッズの作成でした。「保護なめんな」と書かれたジャンパーを着て生活保護受給者宅を訪問し、マウスパッドや携帯ストラップまで市役所内で配り出す始末、そんな行為が10年ほど問題視されることなく続けられてきたのですから、いかに小田原市役所という組織が自浄能力のない腐りきった代物であるかが分かるというものです。

 言うまでもなく2007年の事件、不正受給云々とは全く無関係です。しかし「不正受給を許してはならないという考えは理解できる」という、事実関係をねじ曲げた解釈で小田原市を擁護する人もいて、それを無批判に伝えるメディアもあるわけです。もし仮に小田原市(の職員)が不正受給によって何らかの損害を受けた、それによって苦しんだというのなら、「不正は許さない」と主張するのも流れとしては分かります。しかし、不正受給とは関係ないところで起こった事件を契機に「不正受給は~」と言い出すのなら、それは屁理屈にすらなっていません。

 そもそも今回の報告書では「問題の犠牲者は、屈辱的な思いをした受給者」とされていますが、「犠牲者」の声は聞いたのでしょうか。実際の生活保護受給者が小田原市職員からどのような扱いを受けてきたのか、この辺の被害状況だって調べられるべきです。もちろん、そんなことをすれば問題は間違いなく大きくなる、早期に幕引きを計りたい小田原市の思惑とは真っ向から対立してしまうのかも知れません。しかし、だからこそ第三者による踏み込んだ調査が望まれると言えます。

 もう一つ、今回の報告書で誤っているのは生活保護担当者の「組織的な孤立~」云々ですね。これはむしろ孤立ではなく「独立」ではなかったのか、と。つまりは悪い意味での「自治権」が与えられていた、だからこそヘイトグッズの作成・頒布という異常行動が許容されていたところもあるのではないでしょうか。第三者の監視の目が適切に機能していれば、もう少し事態は違ったはずです。しかし現実には野放しにされていた、好き放題が許されていたのですから。

 問題の職員達は「私たちは正義」とも掲げていたわけです。この辺、名高いスタンフォード監獄実験を思い出させます。つまりは被保護者の生殺与奪の権を握った職員達は、その役割に瞬く間に酔いしれていったのでしょう。自分たちこそが「裁く」立場なのだ、と。理性の歯止めは失われ、生活保護受給者という「容疑者」の中に「不正」を見出す、それこそが彼らにとって「正義」であったと言えます。「生活困窮者への支援者としての意識が弱かった」などと、そんな次元ではありません。もっと別の独善的な欲望が強かったからこそ、職員達は審問官ごっこを続けてきたのです。

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アリバイ作りのコスト

2017-04-02 23:49:14 | 雇用・経済

 今年も4月になりました。勤め人にとっては異動の季節ですけれど、皆様の職場はいかがでしょうか。私の勤務先では例年以上に大幅な人員のシャッフルが行われることになり、職場は大混乱です。部門の実権を握っている人と、その取り巻き連中こそ不動である一方、東京の本社勤務の人間が一斉に地方へと飛ばされ、入れ替わりで地方の人が東京にやってきます。要するに「東京と地方で人を入れ替えただけ」ですので人員数としてはどこの拠点も増減はありません――が、人を入れ替えるのにも時間やコストは当然ながら、かかるわけです。

 男性正社員は必ず転勤させる、という日本社会の常識に染まりきっているところもあるのでしょうけれど、それが奏功しているかどうかは今以て判然としません。それはもう、特定エリアの拠点にテコ入れするため、あるいは撤退するときなどは転勤も必要にはなるのでしょう。しかし、東京の人間を名古屋に移動させ、名古屋の人間を東京に移動させる、この人事が会社に何か利益をもたらすのか、そこは人事権を持つ人の希望的観測や思い込み以上のものはないように思います。

 特に私の勤務先なんぞは給与以外の福利厚生が親会社の水準に合わせてあるせいか、転勤関係の手当はムダに手厚かったりします。もちろん転勤する人にとっては転居に伴うコストが埋め合わせされるだけですが、会社が費やす費用は大きく増大するわけです。社員を転勤させればさせるほど、会社のコストは嵩みます。ならば経営合理化の一環として転勤を減らす、それでコストカットを計るのも合理的ではないかと、そんな風に自分は感じました。

 私の勤務先で異動が例年以上に多かったのは、たぶん会社の業績が悪いからです。会社の業績が悪いから、役員は親会社への言い訳を用意しなければならない、そのためには東芝風に数値を膨らませることもさることながら、「改革しています」というポーズを取る必要も出てくるのでしょう。「経営改善に向けて大幅な組織変革を行いました」と、そうやって将来に向けて対策を採っているフリをするわけです。しかし、そのアリバイ作りのために要するコストは決して小さいものではありません。

 前にも描きましたけれど、気象予報士に「明日は晴れです」と「言わせる」事は出来ます。しかし、明日の天候を晴れにすることは誰にも出来ません。会社経営も然り、お偉いさんが部下に「(目標達成)できます」と言わせてはいるのですが、それが現実になることは滅多にないわけです。東芝よりは規模が小さくとも、似たようなことをやっている会社は日本中いくらでもあることでしょう。しかし、「明日は晴れです」と言わせたところで明日が晴れになったりはしないのです。むしろ必要なのは、明日の天気が悪くなることを受け入れて適切に対策を立てることの方でしょう。しかるに会社で偉くなるような人ほど、青い鳥なんていないという現実を受け入れたがらないようです。現実を直視できない人に権力を与えるのが日本的経営なのだと考えるほかありません。

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モノの排除は許されたのだから

2017-03-26 21:29:58 | 社会

「福島帰れ」とたばこの煙、千葉(共同通信)

 東京電力福島第1原発事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。

 同級生の男児にも「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被ばく者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も言われたという。

 女子生徒の父親(49)も、11年に別のきょうだいの授業参観に出席した際、保護者から「福島に帰れ。何しに来たんだ」とやじを浴びせられたと同日証言した。

 

 以前にもこの問題は取り上げましたが、ポイントは子供のいじめに止まらないこと、児童の保護者からも同様の加害行為が複数報告されていることですね。決して生徒児童だけの問題ではない、むしろ親世代の偏見にこそ原因があると言えるでしょう。そして大人から偏見を吹き込まれた子供が福島からの転校生を忌避の対象にする、と。

 「福島」に対する忌避感の醸成には大手メディアも積極的に関与してきたところもあるわけでして、親世代の偏見もまた特定の個人の資質に起因するものではないと言えます。それぞれの信頼するメディアに載った情報を真に受けた結果として、福島を「避けるべき危険であり遠ざけるべきもの」と考えるようになったのではないでしょうか。

 事故から6年あまり、ここからさらに調査すべきものとしては、いじめの加害者が「何を信じた結果として」そのような振る舞いに至ったか、辺りが挙げられます。もちろん「福島に帰れ」云々と宣った人は本性において悪意に満ちているところもあるのでしょうけれど、それでもやはり「キッカケ」はあったはずです。何を見た結果として、福島から来た人を攻撃対象に選んだのか、この辺は問われるべきです。

 ネット上の有象無象の書き込みを見て外国人への差別心を抱くようになった人がいるように、「福島」に対する蔑視もまた一定の源泉があるのではないか、と思います。たとえば朝日新聞然り、東京新聞然り、この辺に描かれている福島は現実世界のそれとは大きくかけ離れた危険地域です。朝日新聞や東京新聞に出てくるような「福島」から来た人であれば、それは自分たちを脅かす危険に見えてしまうのでしょう。しかし、それはフィクションの中の危険ですよね?

 全くの「無」から偏見を創造してしまう悪意の天才も世の中には存在しますが、だいたいの人は自分の頭で考えているつもりでも実は他人の主張を受け売りしているだけだったりします(人気ブロガーの類いとか特に!)。そして、今回のようないじめも同様です。「福島」を標的に選ぶようになった過程では必ずどこかに他人の意思が介在している、(人、モノを含めて)福島を危険だと信じさせた犯人は、いじめの直接的な加害者とは別に存在します。

 今でこそ福島の「人」に対する排除が大手メディアで取り上げられるようになりましたが、震災と原発事故直後にはむしろ否定論も盛んでした。それでも福島(及び東北全般)の「モノ」の排除に関しては当時から普通に報道されており、福島第一原発から遠く離れた岩手や青森くんだりから善意で送られた品すらもが一部の反対運動によって返却されたり廃棄されたりもしていたわけです。

 これも酷い話ですが福島の「モノ」の排除を正当化する、排除を訴えた人を擁護する声は相当にありました。そして「モノ」の排除が社会的に是認されているのを見た人は、福島の「人」を排除したって許されるだろうと、そう考えたところもあったかも知れません。「モノ」の排除の次点で世論やメディアが厳しく反応していれば、もう少し「人」への対応も違ったように思えるのですが、典型的な後の祭りですね。

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スタンドに強い弱いの概念はない

2017-03-19 22:39:50 | 社会

 前回の話で、ちょっと脇道ですが「サイコパスが多い職業」云々のネタに触れました。この種の調査発表の信憑性は推して知るべしではありますけれど、上位にランクしていたのは会社経営者だったり弁護士だったり外科医だったりと、社会的ステータスの高い職業が割と多めだったりしたわけです。本当に特定の職業にサイコパスが多いかどうかは眉唾としても、(サイコパスのように)一般には否定的に取り扱われる特性が状況によっては長所として機能することもある、という点は意識されるべきかも知れません。優劣ではなく、適性でしかない、と。

 まぁ、どれだけ訓練と経験を積み重ねても人間の体をメスで切り開いて臓器に手を入れる時には激しく緊張してしまう外科医より、至って平然としていられる外科医の方が、手術を受ける側は安心できそうなものです。弁護士だって凶悪犯罪者のために職務を果たすのは精神的に色々とキツイでしょう。「普通」ではない感覚の方が役に立つ場面が、時にはあります。あるいは「鈍感力が大事だ」などと言い放った政治家もいました。その政治家は日本国民に多大な災厄をもたらしましたけれど、確かに繊細すぎる人間に政治家は務まらない、どんなに叩かれても晒されても平然としていられる強さは政治家の条件ではあるのかも知れません。

 他には、ある種の障害を持った人は錯覚しない、なんて話を聞いたこともあります。「普通の」人であれば好むと好まざると見たものを脳が補正してしまう、故に錯覚してしまうわけです(ただの線が立体に見えたり、繋がっていないものが繋がっているように見えたり)。ところが同じものを見ても「脳が補正しない」ために、錯覚することがない人もいるのだとか。これは圧倒的多数の人々の基準から外れた感覚であって一般には障害として扱われるものですが、しかし障害のある人の方が惑わされずに正しい姿を捉えている、なんてケースもあると言えます。

 ……で、会社勤めの場合はどうでしょう。「平気で嘘をつく人」の方が正直者よりサラリーマンの適性はありそうですし、科学に疎い人の方がマイナスイオンだの水素水だの我が国で商品開発する上では強みを発揮できるかも知れません。そして茶番を茶番と気づいてしまう人であれば「馬鹿馬鹿しい」と感じてしまう、付き合うことにストレスを感じざるを得ないような場面であっても、騙されやすい愚かな人であれば会社の理念に共感できる、仕事にやりがいを見いだせることでしょう。何事も適正次第なのです。(そして生活保護の水際作戦に当たる職員には憲法への無理解や人権意識の希薄さ、偏見の強さや差別意識が適性になる等々)

 「小さな子供のいる母親」の類も、本当に労働環境を良くする上ではメリットがある特性じゃないかと思いますね。一般には育児や介護に追われていない、会社優先で働けるタイプの方が企業からは好まれているわけですが、その結果は日本社会の繁栄に繋がっているでしょうか。「時間の制約なく会社のために働ける」人の方は制約のある人よりも圧倒的に採用されやすいですけれど、そういう人ほどダラダラと長時間労働を続ける、仕事を創って生産性を低下させると言えます。むしろ時間に制約がある、一定の時間内に仕事を終わらせなければならないという動機を持っている人の方が、より仕事の効率を上げてくれそうなものです。日本の生産性が世界最高水準なら今までのやり方が正しいのでしょうけれど、そうでないなら人の評価基準を改める必要がありますよね?

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担当者個人の資質の問題ではないように思う

2017-03-12 23:34:01 | 社会

生活保護申請の妊婦に「産むの?」 千葉県市原市が謝罪(朝日新聞)

 生活保護の申請に訪れた妊娠中のフィリピン国籍の40代女性に対し、千葉県市原市の福祉担当職員が「産むの?」と問いただしていたことが分かった。女性は中絶を求められたと受け取ったという。同市は不快感を与えたとして、女性に謝罪した。

 労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」が8日、記者会見して明らかにした。それによると、女性は今年1月に市原市の生活保護申請の窓口を訪問。その際に、職員から「自分の国(フィリピン)で中絶はやっていないの?」と問われた。女性が「子どもをおろせって言うんですか」と質問すると、職員は「そこまで言わない」と答えたという。申請は受理されず、その後にNPO職員が同行すると認められたという。

 市原市生活福祉課の担当者は、朝日新聞の取材に「状況確認のための質問だったが誤解があった。再発防止に努める」と話した。

 

 ほぼ全ての場合において、政治家が「誤解を与えた」と謝罪する場合、実際は「真意が伝わった」ために問題視されているわけです。もっとも「政治家に限った話ではない」ことが今回のケースで示されていると言えるでしょうか。市原市の担当者は「誤解があった」と醜悪な言い訳に努めていますが、もちろん「真意が伝わった」からこそ問題になっているのです。

 先日も取り上げた小田原市役所のケースもそうですが、生活保護の窓口に配属される職員には人権意識が希薄なタイプが多いのかも知れません。生活保護受給者や貧困層、あるいは外国人に対する差別意識や偏見を強く持っている、そういう人が意図的に配属されているからこそ、小田原に限らず今回のようなケースも出てくるのかな、と思います。

 「水際作戦」と公式に掲げる自治体はないとしても、裏の目標(=真意)として生活保護の抑制に重きを置いている自治体は多いはずです。その結果として、どういうことが起こるのでしょう。人権意識を強く持ち、差別や偏見とは無縁で憲法の定めを遵守する、そんな職員を窓口に配置してしまえば、当然のこととして貧困者を水際で追い返すようなことはなくなってしまいます。福祉の面では良いことですが、これを好ましく思わない人もまた多いわけです。

 社長や外科医はサイコパスが多い、なんて調査発表(信憑性はさておき)もあります。まぁ、他人の痛みに鈍感であることが仕事の上で有効になる場面だってあるのは確かなのでしょう。そして生活保護の窓口に立つ職員もまた同様なのかも知れません。生活保護の抑制という至上命題のために、人間性を捨てて戦っている人もいるのだ、と言えます。役所のお墨付きの元に。

 日本の生活保護制度の下では圧倒的に漏給が多い、保護を受けるべき人が受け取れないケースが多いわけです。そこに加え、保護受給者を不正な受益者であるかのごとく喧伝することで、世間に漏給の原因を誤認させようとしてきた実態があるのではないでしょうか。悪いのは不正受給者、現行の生活保護受給者なのだ、と。もちろん金額的な比率で見れば不正受給など誤差の範囲に収まるのですが……

 小田原市の場合もこの市原市の場合も、担当職員個人の資質の問題だとは考えにくいところがあります。人権意識の希薄な人間を採用した、あるいは育てた、憲法が保障する権利を蔑ろにするような人間を任用した、あるいはそうなるように背中を押してきたのは、役所という公的機関です。小田原市がそうであったように、今回の市原のケースでも職員が処分されるようなことはないのかも知れません。保護を求める貧困者を罵倒したって罪には問われないのが我が国の「公」です。しかし、それでいいのでしょうか?

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なぜ小田原市役所には自浄能力がないのか

2017-03-05 21:47:24 | 社会

不適切ジャンパーで訪問84% 生活保護職員ら(毎日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護業務を担当する職員が不適切な文言の入ったジャンパーやグッズを作製していた問題で、同市は28日、「生活保護行政あり方検討会」の初会合を開いた。会合では、ジャンパーが作製された2007年度以降の生活保護担当職員やOB職員を対象にしたアンケート結果が公表された。

 アンケートでは、ジャンパーを着用して受給者宅を訪問したことがあるかを尋ねたところ、「ある」と答えた職員の割合は07年度が56%、翌年度以降が84%に上った。グッズなどを作製した意味合いについては「連帯感、結束力を高めるため」との回答が最も多かった。一方、一般職員向けに生活保護を担当する課についてのイメージや配属希望などに関して質問したところ、多くの職員が希望していないことが分かったという。

 

 この問題は1月にも取り上げましたが、その後の展開はどうでしょう。小田原市側は職員を処分しないと発覚して早々に宣言するなど、全く反省の色が見えなかったわけです。そして1ヶ月あまりが経過して、検討会の「初会合」が開かれたことが伝えられています。なんでもアンケート結果が公表されたとのこと、これが「アンケート」すなわち「自己申告」で良かったのかどうか、疑問に思わないでもありません。私だったら、言い逃れが出来ないよう第三者による捜査が必要、と考えますね。

 小田原市役所では生活保護受給者を罵倒、威嚇する文面(新聞報道では「不適切」で済まされるようですが)の書かれた各種グッズが職員によって制作、頒布されていたわけです。生活保護受給者宅を訪問する際に着用するジャンパーの他、マグカップやマウスパッドなども作られていたとのこと、人事異動の際の記念品に使われることもあったそうです。決して生活保護に携わる担当者だけの「秘密の」グッズではなく、小田原市役所内で公然とまかり通っていたことが、よく分かります。一部の「問題のある職員」による暴走ではなく、「市役所ぐるみの」蛮行であることは否めないでしょう。

 

教師がクラスの「いじめ」への対処を誤ってしまう理由。(Books&Apps)

 あとね、と彼は言いました。

「いじめってクラスの雰囲気が悪くなる、みたいに思ってる人多いでしょ」

「うん」

「あれウソ。少なくとも教師の側から見ると、むしろいじめがあった方がクラスの雰囲気がよく見えたりする」

「え」

「いじめてる側、あるいはいじめを黙認してる側からすると、少なくとも主観的には「共通の敵」に対して結束してるわけでしょ。いじめの声だって、表面的には「笑いが絶えない明るいクラス」に見えたりするんだよ。

だから、教師がちゃんと見てないと、「いじめが発生してるクラス」を「仲良く協調出来ているクラス」に誤認したりする。ヘタをすると、いじめられてる子を先生まで異分子扱いしたりする。それでいじめられてる子はますます絶望する」

 

 ……で、この辺は納得のいく話と言いますか、むしろ学校に限らない話と思えるわけです。普通の会社でも、いつも陰口で盛り上がっている仲良しグループはいますし、それで「チームワークが出来ている」と上長から評価されていたりするのは珍しくありません。小田原市の場合も然り、「連帯感、結束力を高めるため」との言い訳が発覚当初から繰り返されてきましたが、これはまさに上記引用の構図と変わらないものです。生活保護受給者、貧困者への憎悪によって小田原市役所は結束していた、その憎悪による偽りの連帯感を小田原市役所は公認してきたのだ、と言えます。

 ヘイトグッズの制作は2007年から、つまり10年近く続けられてきました。外部の報道機関によって全国に晒されるまで、小田原市の職員は誰も疑問に思わなかったのでしょうか。良心のある職員が在職していれば内部通報の一つくらいはあっても良さそうなものですが、そうならなかったのはやはり、「市役所ぐるみ」であったからなのかも知れません。まぁ生活保護受給者を罵倒し、不正な受益者であるかのような偏見を振りまく、そうした言動によって喝采を浴びてきた政治家も普通に存在します。生活保護受給者に向けられたヘイトスピーチを当たり前のように受け入れてきた人は、小田原市役所で行われてきたことを疑問に思う頭など持っていないのでしょう。

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読書なんて就職とは無関係ですし

2017-02-26 21:48:43 | 社会

読書時間ゼロ、大学生の5割に 増えたのはスマホの時間(朝日新聞)

 1日の読書時間が「0分」の大学生は約5割に上る――。全国大学生活協同組合連合会(東京)が行った調査でこんな実態が明らかになった。書籍購入費も減る一方、スマートフォンの利用時間は増えた。

 調査は学生の生活状況を調べるため、毎年行っており、全国の国公私立大学30校の学生1万155人が回答した。

 1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49・1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24・4分(前年比4・4分減)で、04年以降で一番少なかった。1カ月の書籍購入費も減る傾向で、自宅生が1450円(同230円減)、下宿生が1590円(同130円減)で、いずれも過去最低だった。

 読書の時間が減る一方で、スマートフォンの1日あたりの平均利用時間は161・5分と、前年より5・6分増えた。

 学生からは「勉強やアルバイトで読書する時間がない」「読みたい本がない」などの意見があったという。

 

 毎年この手のニュースは出てくるもので今更なにか新しいことを見出すのは難しいですが、1カ月の書籍購入費が自宅生1450円に対して下宿生1590円というのは興味深いですね。相対的に金銭的な余裕がなさそうな下宿生の方が書籍に費やしている金額が大きいわけです。まぁ下宿生の中にはとんでもない高額の仕送りをもらっている人も結構いたりしますけれど、平均を見れば自宅生の方が金銭面で余裕がありそうに思えるところ、実態はどうなのでしょう。まぁ世の中には「金持ちの道楽」もあれば「貧乏人の娯楽」もあるわけです。富裕家庭の学生は金のかかる趣味に勤しみ、苦学生は本という安価な娯楽に足を止める、みたいな構図はあるのかも知れません。

 もう一つ興味深い点があるとすれば「勉強やアルバイトで読書する時間がない」という意見ですかね。まぁ日本の経済状況は20年ばかり沈んだままですから、昔よりもアルバイトの時間を費やさねばならない学生も増えているのでしょう。一方でアルバイトではなく「勉強」のために「読書する時間がない」とも考えられているわけです。私なんかは文学部ですから読書と勉強は密接にリンクするイメージが強いですけれど、専攻次第では読書とは無関係な勉強も多いのかも知れません。昔年の「教養」が重んじられた時代なら読書は学問の一環として不可欠でも、昨今の就職第一の大学環境に読書のニーズは少ないものと考えられます。

 そもそも、大学生の読書量が減ったからと言って何がどう変わるのか? 確かに紙の本を売って利益を得てきた業界にとっては死活問題でしょう。しかし「大学を出た先」に待ち受けている就職において読書量の多寡が問われることなど皆無なのが日本社会です。国際社会はいざ知らず、日本社会は読書家の学生なんて求めてはいません。むしろ研修で教養をぬぐい去ろうとするのが日本の会社です。だからこそ、真面目な学生ほど本など読まず就職に求められるもの≒日本社会で必要とされているものを模索すると言えます。読書家を必要としていない社会で本が読まれなくなっても、それによって影響を受ける人は多くないでしょう。

 後はまぁ、一口に「本」と言っても色々とあるわけです。減り続けてきた読書時間の内訳も考えないと、単に「今時の学生は本を読まない、けしからん」としたり顔をするためのネタにしかなりません。それこそ研究のために必要な本が読まれなくなったのか、教養のために必要な本が読まれなくなったのか、あるいは純粋に娯楽のための本が読まれなくなったのか―― 実際のところエロ本や漫画や週刊誌だって、どんどん売れなくなってきているのです。むしろ「大学の授業のために読まなければいけない」ような堅い本の方が、意外にしぶとく生き延びそうな気もしますね。

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