非国民通信

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ヘイトの町・小田原

2017-01-22 23:41:19 | 社会

生活保護「なめんな」、上着にプリント 小田原市職員ら(朝日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護を担当する職員らが「保護なめんな」などの文字をプリントしたジャンパーを着用して職務にあたり、生活保護家庭への訪問時に着用することもあった。2007年以来使っていたという。

 ジャンパーは胸のエンブレムに「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」や、×印がついた「悪」の字がある。背中には「私たちは正義。不正を見つけたら追及する。私たちをだまして不正によって利益を得ようとするなら、彼らはくずだ」と不正受給を批判する内容の英文が記載されている。

 

 とあるジャンパーの着用が10年ばかり、小田原市役所で容認されていた件が結構な話題となっています。全くの別件ですが文科省OBによる天下りもメディアを賑わせていたりするわけで、「ついこの間まで黙認されてきたものが、なぜ今になって世間の批判を浴びるようになったのか」という点については、いずれも興味深いところです。まぁ、この手の「知っている人は知っているが注目はされていない」、しかし本当は異常な事態を広く市民に伝えるという意味合いでは、マスコミにもまだまだ役目はあるのかも知れません。

 問題のエンブレムはイングランドの名門サッカークラブ・リヴァプールFCで使われているものを剽窃しており、元々は"YOU'LL NEVER WALK ALONE"と書かれていたところを「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」などと書き換えているわけです。その他にも「私たちは正義」云々と独善性をアピールしていることも伝えられていますが、これこそまさに「自分が『悪』だと気づいていない、もっともドス黒い『悪』だ」ってところでしょう。報道では「不正受給を批判する内容」とのことですけれど、やっていることは単に生活保護受給者を容疑者として扱っているだけです。

 

「なめんな」ジャンパー、切りつけ事件きっかけ(読売新聞)

 同市は17日、緊急の記者会見を開いて謝罪する一方で、「不正受給は許さないという思いがあった」などと釈明し、作った職員を処分しない方針を明らかにした。

 「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」。市役所で行われた会見で、市福祉健康部の日比谷正人部長らはこうした説明を繰り返し、職員の連帯意識を高めることが目的だったと強調した。

 ジャンパーは2007年、生活保護の受給を巡って職員が切りつけられた事件をきっかけに、有志の職員が作ったという。1着4400円で、その後に配属された職員も含め約10年間で計64人が購入。複数の職員が受給世帯の訪問時にも着用していたという。

 日比谷部長ら上司7人が厳重注意を受けた一方、ジャンパーを購入した職員については「不正受給をなくしたいという強い思いがあった」などとして処分しないという。加藤憲一市長は「市民の命や暮らしを守るべき市職員として配慮を欠いた不適切な表現」とするコメントを出した。

 

 そして報道を受けた後の市の対応がこちら。「作った職員を処分しない」と明言しており、小田原市側は全く反省していないことが分かります。市による言い訳の一つが「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」とのことですが、隠すことの出来ない現実として差別ジャンパーは受給世帯の訪問時に着用されていたわけです。決して、市役所内部で別の部署の職員に見せるためだけに使われていたものではありません。小田原市による「説明」は純然たる虚偽であり、自らの悪を自覚していない証左でしかないと言えます。

 あるいは市の幹部も生活保護受給者への偏見を共有しているが故に「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」ように見えてしまうのかも知れません。往々にして加害者サイドが自身の振る舞いをセクハラやパワハラであると自覚できないように、偏見と差別心に満ちた小田原市職員にとっては、何が誤った行為であるのか理解できないのでしょう。なにしろ差別も差別主義者にとっては「区別」です。そして小田原では生活保護受給者を不正受給者の容疑者と見なして威嚇するのが「正義」になるわけです。

 発端は「生活保護の受給を巡って職員が切りつけられた事件」と伝えられています。別の報道によれば生活保護費の「支給を打ち切られた人」が職員を切りつけたそうです。保護費を打ち切られたことに怒って市職員を切りつけるような人が普通に就職できるのかどうかも考えて欲しいところですが、今回発覚したジャンパーやその後の無反省な対応を見るに、受給者側を追い詰め、憤らせるような対応を市が以前から取っていたであろうことは想像するに難くありません。切りつけた側にも情状酌量の余地はありそうです。

 そもそも生活保護を「打ち切られた」人とのトラブルが「本当の」原因なら、どうして「不正受給は許さないという思い」に繋がるのでしょうか。2007年に起こったと伝えられているのは、不正受給によって市(職員)が損害を受けたという類いではありません。あくまで生活保護を打ち切られた特定の個人との諍いです。実際に小田原市職員が敵視してきたのは、生活保護受給者そのものではないでしょうか。そして生活保護の打ち切りもまた小田原市側が一方的に「不正扱いして」行われたのではないかと邪推してしまいますね。その結果として刃傷沙汰に至った、それに対して「俺は悪くねぇっ!」と逆ギレしたのが市側であった、と。

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目次

2017-01-22 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2017/ 1/22

雇用・経済    最終更新  2017/ 1/15

政治       最終更新  2016/12/18

文芸欄      最終更新  2016/ 9/ 4

編集雑記・小ネタ 最終更新  2017/ 1/ 1

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国境税論議が垣間見せる消費税の実態

2017-01-15 21:53:47 | 雇用・経済

米議会、「国境税」を検討=輸出を優遇、輸入に負担-トランプ氏も同調(時事通信)

 【ワシントン時事】米議会共和党は、輸入への課税を強化し、輸出は税を減免する「国境税」の導入を検討している。法人税制改革の柱となり、トランプ次期大統領が掲げる、企業の生産拠点の「米国回帰」を促す仕組みだ。ただ、保護主義的な面があり、世界貿易機関(WTO)協定に抵触する恐れがある。

(中略)

 トランプ氏はこれに同調するように「国境税」という言葉を使って、企業の米国外投資計画を批判。5日にはトヨタ自動車をツイッターで「巨額の国境税を課す」と脅した。

 米国の連邦税制には、日本や欧州のような付加価値税(消費税)がない。日欧の企業は完成品の輸出時に原材料の仕入れで払った税を返金されるが、米企業は輸出時の税還付がない上、日欧などの輸出先で課税され、「貿易競争で不利」と不満を募らせていた。このため、国境税により企業の米国内投資、雇用創出が促されるとの期待がある。

 

 さてトランプ氏が大統領選に勝利して以来、日本の株価は上昇局面に入ることも多く、これが報道では専ら「トランプ次期政権の経済政策に期待」云々と伝えられています。確かに、日本の財界人や経済誌が好むタイプではありそうです。しかるに名指しで日本企業が非難されていたりもします。トランプは日本人に精神的な喜びをもたらす指導者ではあっても、決して経済的な利益をもたらす類いではない、それが実態ではないでしょうか。まぁ、日本人は利益より理想を追うものです。保護主義や企業優遇を「あるべき姿」と暗に主張することが多い日本の経済言論とトランプの主張は、相性が良いのかも知れません。

 それはさておきアメリカの企業間では「日本や欧州のような付加価値税(消費税)がない」ことへの不満が募っていたそうです。例によって日本の財界人は消費税増税が必要だと執拗に強弁してきたものですが、やはり消費税とは企業にとっての益税となりがちなのでしょう。だからこそ企業から望まれるわけです。そして日本では消費税増税は専ら社会保障のためですとか財政健全化のためですとか、増税とは無関係な「お為ごかし」で己の欲望を隠して主張されるのが普通です。一方アメリカ企業はストレートで偽りがないと言いますか、消費税がないと「貿易競争で不利」なのだと語る、要求は同じでも日本の財界には「いやらしさ」がありますね。

 少し補足しますと国内の消費税が8%の場合、「A社がB社から1000円で材料を仕入れ、A社が完成品を海外へ輸出」した場合、仕入れには約74円の消費税が課されます。この74円は原材料を販売した「B社が」納税しなければなりません。ところが「完成品の輸出時に原材料の仕入れで払った税を返金される」仕組みがあるため、この場合は消費税分74円が「A社へ」返金されることになります。消費税は「B社が」納税し、「A社へ」返金される、そういう構図になっているのです。

 実際のところ消費税を「負担している」のが販売者なのか購入者なのか、そこははっきりしません。ただ手続きとして「納税する」側と、「返金される」側は明確に定められているのが現行制度でして、これを歓迎(あるいは切望)している人と、そうでない人がいるわけです。もし「原材料を仕入れる輸出企業」が消費税相当分を仕入れ時点で完全に負担しているのであれば、消費税の有無による損得や有利不利は発生しません。支払ったものが、帰ってくるだけですから。しかし消費税を負担しているのが仕入れる側ではない、納税する販売者側であったならば?

 もし全額ではなく何割かでも消費税を販売側に負担させているのなら、輸出企業にとって消費税とは至高の益税となります。消費税が上がれば上がるほど、「原材料の仕入れで払った税」との建前で自社に金が振り込まれるのですから。もちろん「原材料の仕入れ」時点で「仕入れる側」が100%の消費税を負担しているならば、所詮はプラスマイナス0でしょう。しかし日本の財界人は挙って消費税増税が必要だと主張してきました。そしてアメリカの企業もまた、連邦税制に消費税がないことへの不満を募らせていることが伝えられています。日米ともに「企業が消費税増税を望んでいる」と言う現実は、何を意味しているのでしょうかね。

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泳ぎ続けないと死んでしまう魚もいます

2017-01-08 22:29:31 | 雇用・経済

(我々はどこから来て、どこへ向かうのか:3)「経済成長」永遠なのか(朝日新聞)

 アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。

 

 とかく経済系の言論は現実を力強く無視した信仰心溢れる代物が多いわけですが、それが朝日新聞の社説ともなれば内容の酷さは推して知るべきでしょうか。確かに「日本の」経済誌などからは総じて不評の金融緩和やマイナス金利ですけれど、この辺は余所の国では既に実績のある代物であって、むしろ日本政府の決定は「遅すぎる」と非難されこそすれ、危うい政策などと呼ばれるのは不当ではないかという気がします。何か現政権に問うべきものがあるとすれば、総理が口で言うほど「経済最優先」かどうか(別の政治的思惑を優先させていないか等々)辺りですよね。

 全体を通して時代錯誤や事実誤認を感じさせる作文ですけれど(これで編集委員が務まるのですから、偉い人は気楽なものです)、例えば「政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた」との行はどうでしょう。まず事実としてバブルはおろか高度成長の時代以前から、社会保障制度も人生設計も成長を前提にして設計されてきたわけです。典型的なのは年金財政で、これは経済成長がなければ財源が破綻するように設計されている、決して高度成長やバブルへの「慣れ」に基づいて設計されていたのではなく、「それ以前から」経済が成長するという「常識」に沿って設計されています。

 世界的に見れば20年ばかり経済成長を止めてしまった日本が異常なのであって、日本以外の「普通の」国は上下動を繰り返しながらも経済成長を続けてきました。しかるに主要国では日本だけが成長を止めてしまった、これは日本のバブル後の政策の誤りを端的に示すものでしかありません。そして朝日新聞の社説では「もう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国」と強弁していますが、現政権が異常な経済停滞を打破しようと財政出動に踏み切る前から、日本は借金大国でしたし、むしろ現政権ですら財政出動に躊躇して歩みを止めている部分もあるのが実態です。

 なぜ財政出動に消極的であった現政権よりも「前の」時代から日本「政府」の借金額が膨らんだかと言えば、それはまさに「経済が成長しなかった」からです。第一に日本「だけ」GDPが伸びなかったために、対GDP比での赤字額が他国よりも大きく見えてしまうこと、そして社会保障費は経済が成長しなくても増大していくためでもあります。経済成長を「目指さなかった」過去の政権下でも日本政府の借金は増大を続けていた、この現実に向き合うことが出来ているかどうかは、その論者が信用できるかどうかを計る尺度と言えるでしょう。

 

 経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 

 この辺もまた目も当てられないと言いますか、まぁ経済学とは学問である以前に宗教ですから仕方ないのかも知れませんけれど、やはり現実に向き合う姿勢が微塵も見えません。まるで経済成長が国内格差を広げるかのようにミスリーディングが行われていますが、20年ばかり経済成長を止めた来た我が国の格差はどうでしょう。バブル崩壊まで全体としては格差の小さい国であったはずの日本は、急速に格差を拡大させてきたわけです。「経済成長に背を向けても、政府の不作為が続けば格差は拡大する」という事実を日本は国民の犠牲の上に証明してきたと言えます。反対に一人当りのGDPで世界の頂点に位置する北欧諸国が世界で最も貧富の格差の激しい社会であるのなら、まだ説得力はありますが、これも……

 だいたい成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言うのなら(実際にはこの200年の間にも大きな浮き沈みはあった、日本のバブル後のような「沈みっぱなし」こそ本当の例外なのですが)、国民主権や民主主義などは200年に届かない例外的な社会体制です。朝日新聞や「経済史の泰斗」よろしく近代を例外と見なして古代に退行するのか、それとも進歩するのか、どちらを好むかは個人の自由かも知れませんが、お偉いさんの退行指向に付き合わされる人がどのような被害を被るかは、理解されてしかるべきでしょう。少なくとも私は「例外的な時期」に入って初めて保証された人間の諸権利を重んじたいですね。

 「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と、小泉純一郎は語りました。小泉構造改革の旗の下、日本は成長を止め格差は大きくなりましたけれど、それは誰を喜ばせたのでしょうか。成長を続ける社会では、歩みを止めた者は後ろから走って来た人に追い越されていくものなのかも知れません。逆に日本のように止まった社会では、先にいる人が追い越されることはないわけです。デフレ下では、既に蓄財を果たした人の貯蓄が相対的に目減りすることはないのです。朝日新聞なり財界の高見から床屋政談を披露する「功成り遂げた人」にとって低成長社会ほど居心地の良いものはないのでしょう。

 しかるに成長を止めた社会では世界に取り残されてしまう、今や日本は「一人当り」のGDPで中堅国へと転落しつつあります。友達は皆が普通に手に入れられるものを、自分は(家が貧しいから)買えない、そういう領域へと日本は突入しようとしているわけです。(飢えるような)絶対的貧困にはまだ距離があっても、周りから取り残される相対的貧困は十分に近いところへと迫っています。

 そもそも経済が成長しない、すなわち将来的な収入増加が見込めない社会においては「未来への投資」が途絶えがちです。「いつかは豊かになる」ことが展望される社会であれば、当面は貧しくともローンを組んで車や家を買う人が珍しくありませんでした。しかし将来的な賃金の伸びが期待できない社会では、若いうちから守りに入ることを余儀なくされます。こうなってしまうと国内で消費が伸びない、国内企業はモノが売れなくなってしまう、経済が循環しなくなってしまうわけです。経済成長を止めた社会が持続するのは、自転車を漕がずに立っているのと同じくらい難しいと言えます。

 労働力の再生産が滞っているのも結局は、この辺に起因しているのではないでしょうか。将来的な収入増が見込めないから将来への投資が出来ない、そのような状況に置かれた若年層が子供を作って未来への種を蒔いてくれるかどうか、大いに疑わしいものです。将来的な成長が見込めない、現状維持がやっとの社会で行われるのは、成熟ではなく緩やかな腐敗=死です。既に確固たる地位を築いた人たちにとって緩やかに腐敗していく低成長世界は安住の地(あるいは終の棲家!)なのかも知れませんが、そこに次世代への希望はありません。

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左手も使えれば便利になる

2017-01-01 22:27:32 | 編集雑記

 なんだかもう3年前の話になってしまうのが恐ろしいところですが、PCのキーボードの配置/配列について書いたことがありました。黎明期のタイプライターの時代から既にアルファベット部分の配列が確立していた一方、PC普及に伴ってキーボードは「右へ右へ」と拡張されていった(カーソルキー他やテンキーは何の疑問もなく「右へ」付け足されていった)上に、マウスも当然のようにキーボードの「右へ」置かれるのが普通になったわけですが、これは合理性に欠ける設計であろう、と。

参考、キーボードの理想的な配列を考える

 上のリンク先のページにて図解しましたが、要するにキーボードのアルファベット部を体の正面に置けばマウスが遠すぎて操作に支障がある、逆にマウスを手の届きやすい範囲に置くためにはキーボードを左にずらす必要がある、そうなるとホームポジションが体の正面に来なくなってしまう、片方を優先すればもう一方には不便が生じる、現行のキーボードの配列とマウスの組み合わせは理に適っていない、と書きまして、まぁ私のブログにしては割と反響がありました。

 さて私なりに合理的(かつ汎用性が高い)と思われるキーボードの改良型の配列もあるのですが、そんなものは市販されていませんので、現状の不便なキーボードを使い続けるか、それとも何か奇策を考えるかしなければなりません。オフィスでは腱鞘炎製造器のような粗悪なキーボードが跋扈し、「今時の若者」はスマホ専門になってPC離れも進む現状、PCメーカー等々の問題意識も乏しく、まさに「自分でなんとかするしかない」わけです。

 

 ……そして私がたどり着いたのが「デュアルマウス」です。現行で一般的な「右へ右へ」でムダに空いてしまいがちな左側に「も」マウスを置きます。右にもマウスを残すことで一般的な使い方との互換性を残しつつ、左にもマウスを置くことで「左手」を有効活用します。従来のキーボードとマウスの配置では「両手を」使うのはアルファベット部分を入力する場合ばかりで、カーソルキーやDeleteキー、マウス操作は何もかも右手で行うため、左手は手持ち無沙汰になりがちです。しかし、左手側にもマウスを置けば色々と解決するのではないでしょうか。

 実際にやってみますと、右手だけではなく左手でもブラウザのスクロールが使えるようになるため、非常に楽です。左手でマウスカーソルを動かしながら右手でDeleteキーを押したり、左手でマウスカーソルを動かしながら右手側に持ってきたテンキーで数値を入力するなど、EXCELなんかの操作でも何かと便利です。私の他にやってる人を見たことはないのですが(だからこそわざわざブログに書いたりするわけで)、マウスを左右両方につなげるのは結構良いアイディアなんじゃないかと思います。そもそも伝統的なキーボードだってShiftキーやCtrlキー、Altキーは左右どちらの手でも打てるようにデザインされているのですから、マウスも同様に左右どちらの手でも使えるようにしておくのは案外、自然なことではないかと。

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道徳的欲求vs合理主義

2016-12-25 22:30:37 | 社会

給食無償化、自治体が渋るのは 「未納」は解消するが…(朝日新聞)

 全国でじわりと広がる給食の無償化。家計の負担軽減だけでなく、各地の自治体が頭を悩ませる未納問題の解消にも一役買っている。一方、無償化には多額の税金がかかることなどから、多くの自治体は二の足を踏んでいるのが実情だ。

(中略)

 文部科学省の試算では、給食費の1年間の未納額は約22億円(14年度)。累積未納額が1億円を超す大阪市は11月から、再三の催促に応じない悪質なケースについて回収の一部を弁護士に委託した。埼玉県北本市のある中学校では「未納が3カ月続いた場合には給食の提供を停止することも検討する」と保護者に伝えて議論になった。市教委の担当者は「本当に困っていることを伝えたかっただけで、提供をやめた事例はない」と話す。

 

 さて給食費の無償化が広がっているとは寡聞にして知りませんでしたが、事実であるなら歓迎されるべきことと言えます。その一方で「無償化には多額の税金がかかる」などとも書かれているのですが、本当でしょうか? それはまぁ無償化に要する費用を単体で提示すれば多額にも見えるのかも知れません。しかし、自治体の予算や小中学校の運営費全体と比較した場合、それを多額と呼べるのかどうか私は疑問です。

 

 長浜市は9月から、27の小学校すべてで給食を無償にした。対象児童は6078人で、無償自治体では最も多い。1人あたり年4万4千円の給食費を公費でまかなう計算だ。新規事業のために市が積み立てた基金と一般財源をあてた。

 

 例えば具体的な数値が挙げられているこちらの例ですが、滋賀県のホームページによると平成26年度の長浜市の歳出総額は¥56,951,144,000となっています。そして給食費の無償化には¥44,000×6,078が必要になるようですから、単純計算で¥267,432,000となります。年度による誤差は出ますが、市の歳出の約0.4%~0.5%に相当するわけですね。これを朝日新聞報道のように「多額」と受け止めるか、それともリーズナブルで意義ある支出と考えるかは、まぁ読者の判断にお任せしますけれど。

 一方、未納額が多いとされる大阪市は、よく知られているように給食費回収の一部を弁護士に委託しているわけです。たかだか給食費のために弁護士を雇っていては大赤字になってしまうはずですが、弁護士に払う費用は「多額」とは認識されないものなのかも知れません。大阪のように規模の大きな自治体ともなれば、財政にも余裕があるのでしょう。そうなると金銭面の損得よりも、未納者を罰する道徳的欲求の方が優先されてしまうのだ、と言えます。

 まぁ実際に働いている人であれば、まずは自分の勤務先の売掛金の滞納率ぐらい調べてみなさい、と思うわけです。それが給食費の未納率より高いのか低いのか比べてから結論を出すべきでしょう。せめて比較対象の一つも用意した上で判断しなければ、必ずや本質を見誤るものです。給食費の無償化にかかる費用を単純に「多額」と呼び、給食費の未納を「多い」と考えるのは、いったい何に基づいているのか。基準がなければ、何とでも言えてしまいます。

 国民年金保険料の納付率は2015年度で63.4%だそうです。納付率が99%を上回る給食費に比べると驚愕の数値ですが、未納者への道徳的な非難はそれほど目立ちませんね。給食費の未納者は正真正銘のマイノリティだからこそ叩きやすいのかも知れません。あるいはNHKの受信料などはどうでしょう? これも給食費と同様、本人の意思にかかわらず支払いを求められる、そんなサービスはいらないと拒否することが許されない、実質的に選択肢がないという点では酷似した性質を持っています。しかしNHK料金の未納者がバッシングを受けたなんて話は聞いたことがありません。何故我々の社会は給食費の未納者を憎むのか、それは興味深いテーマでもあります。

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領土問題なんて存在しないから

2016-12-18 23:20:16 | 政治

 なんでもCIAの主張するところでは、アメリカ大統領選で起きた民主党陣営へのサイバー攻撃にロシアが関与していたのだそうです。トランプを勝たせるために、と推測されていますね。まぁ過去を振り返ればロシアのエリツィンなどは国内でさっぱり人気のない大統領でしたが、「西側」からは高く評価されていたわけです。西側の望んだ「弱いロシア」を実現させたからでしょうか。そして現在はトランプが、新しいエリツィンの役割を期待されているのかも知れません。トランプであればロシアの望む「弱いアメリカ」を実現させてくれる、そんな可能性はありそうです。

 何はともあれ選挙の結果が出てしまった以上、世界はトランプと付き合っていく必要がある、そのトランプが指図するアメリカ政府の動き次第で国際情勢は否応なしに変わっていくものです。先日はトランプが台湾総統と電話会談を行ったとかで微妙に物議を醸したりもしているようですが、いかがでしょうか。これまでは台湾政府を一段低く扱うことで中国への敬意が表されていましたが、それが早くも崩れようとしているのかも知れません。一方で我が国はロシアのプーチン大統領を迎えて首脳会談を行いました。今まではロシアと距離を置くことを以てアメリカ優先の立場を表明してきたわけですけれど……

 

<日露首脳会談>与党内にも落胆 二階氏「国民はがっかり」(毎日新聞)

 安倍首相がプーチン露大統領との会談を重ねる中、一時は領土問題の進展を期待する見方が国内に広がっていた。自民党の二階幹事長はその点を指摘し、「経済問題も大事かもしれないが、人間は経済だけで生きているわけではない。国民の大半はがっかりしているということは心に刻んでおく必要がある」と苦言を呈した。

 野党からは、民進党の蓮舫代表が「領土問題は置き去りにされているかのような印象はぬぐえない」と述べ、年明けの通常国会でただす考えを示した。

 共産党の志位和夫委員長は「信頼とか経済協力とかで動く国ではない」とロシアに矛先を向け、共同経済活動についても「ロシアの統治を後押しするだけだ。ますます返還が遠のく」と批判した。

 

 ……で、この辺の領土問題ですとか対ロシア問題となりますと野党側の方がタカ派色が強いところもありまして、首脳会談の結果には批判の声も出ているようです。まぁ、「固有の領土」なんてファンタジーが日本国外に通用するはずもなく、領土拡張主義者の幻想が満たされるような進展など未来永劫あり得ないのはわかりきっていることです。今回の日ロ首長会談は概ね妥当な結果であった、北方領土に関しては利権をつかむことが最大の現実解であり、現段階ではまずまず悪くない一歩であったと評価されても良いのではないでしょうかね。

 往々にして国民を喜ばせる政治は、後々に国民を苦しめることへと繋がるものです。小泉純一郎は戦後で最も日本の有権者を悦ばせた政治家であったかも知れませんが、日本を経済大国から脱落させた政治家でもあります。トランプも支持者を熱狂させてこそいますが、その先はどうでしょう。ヒトラーだって、ドイツ人を大いに歓喜させてきたものですが結果は言うまでもありません。そして二階幹事長のような特権階級は経済が衰退しても悠然と生きていけますが、普通の国民の生活は経済情勢に大きく振り回されます。金がなければ人生からは次々と選択肢が奪われてゆくものです。例え国民をガッカリさせることになったとしても、経済的利益を確保してくれる政治家こそ、国民の役に立つ政治家と言えます。

 そうした意味では安倍晋三の方が、その批判者よりはまっとうな判断をしているように私には思えるのですが、将来的にはどうなるでしょうね。東京都知事選や都議会でのグダグダを見るに、与党内の統制は必ずしも十分に取れていないようにも見えますし、惰弱きわまりない野党も何かキッカケ(与党側の金銭問題等々)があれば攻勢に出てくることもある、そうして安倍内閣側が追い込まれるような展開になれば、今とは反対に国民を喜ばせる選択に走って現実的な利益が蔑ろにされる、ロシアとの関係も悪い方向に逆戻りする可能性があります。そうならなければ良いな、とは思いますが。

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静かに暮らしたいだけの人に味方はいない

2016-12-11 23:01:03 | 社会

自衛隊機差し止め認めず=「運航、高度の公共性」-厚木基地騒音訴訟・最高裁(時事通信)

 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の周辺住民らが、騒音被害を理由に国を訴えた第4次訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は8日、「自衛隊機の運航には高度の公共性がある」として、夜間早朝の飛行差し止めを認めた一、二審判決を取り消し、住民側の請求を棄却した。米軍機の差し止め請求も退け、いずれも認めない判断が確定した。

 

 ……さて、上記の通りの判決があったわけですが、いかがでしょうか。まぁ日本では憲法上に明記されてこそいないものの、司法に対する行政の優越が確立していますから、地裁や高裁で住民側が勝訴していても最高裁になれば国側有利の判決に切り替わるのは驚くようなことではありません。もっとも国会や内閣がとんでもない主張や政策を繰り出してくるように、裁判所もまた最高裁であろうと高裁であろうと地裁であろうとトンデモ判決は普通に存在するわけです。どれも真に受けるべきものではないのかも知れませんね。住民にとっては残念な結果ですが。

 行政の優越もさることながら、日本は「静かに暮らしたい」と望む人間の権利を認めない社会なのだ、とも言えます。騒音に寛容であることを強いられると言いますか、騒音被害を訴えれば、逆に原告側がキチガイ扱いされることが当たり前、そういう文化なのではないでしょうか。今回のように軍の基地を相手取った場合は多少なりとも理解者、支援者がいるのかも知れませんが、もっと違う騒音源を相手に訴訟を起こした場合、世間の目はずっと厳しいものになりがちですから。

 例えば近隣住民間の騒音を巡るトラブルの場合、総じて騒音源への対策が取られることはなく、被害者側が泣き寝入りを強いられるか、あるいは実力行使を余儀なくされて警察沙汰になったりもするわけです。相手が国であったり軍隊であれば、原告に理解を示す人もいますが、それは果たして騒音被害への理解に則ったものなのでしょうか? それとも騒音被害などはどうでも良くて、もっと別の思惑から原告を応援していたりはしないかと、そう邪推してしまうところもあります。真に「静かに暮らす権利」を守るために戦う人が望まれてなりません。

 住民生活を脅かす騒音源としては、風力発電設備であったり、保育園などが代表的なものとして挙げられます。そういった騒音源に悩まされる住民の被害を訴える声に共感できる人ならば、本当の意味で「静かに暮らす権利」を守ろうとする人だと呼べるでしょう。一方で「風力発電には/保育園には高度の公共性がある」と主張して住民に忍従を強いることを当然視してはばからない人も多いわけです。「静かに暮らす権利」なんて糞食らえ、ですね。

 歴史の歪曲には反論するが科学の歪曲には荷担する、在日外国人への差別には反対するが福島関係の差別は広めようとする、そんな人が少なくないように、基地の騒音被害を訴える住民には共感するけれど、保育園の騒音に悩まされる住民は罵倒する、こうした人もまた珍しくないように思います。結局、ただ静かに暮らしたいだけの人にとって本当の意味での味方はいない、頼れるのは己だけなのかも知れません。騒音トラブルで実力行使に走ってしまう人が出るのも、まぁ理解できます。

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日本の会社に選ばれた人が残業文化を支えてきたわけで

2016-12-04 22:30:49 | 雇用・経済

 「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と、過労死認定された電通の元社員は上司から言われたと伝えられています。これもまたパワハラの一つとして語られていますが、ことによると指摘としては案外、正しかったりもするのかなと思わないでもありません(そもそも電通の仕事が社会にとって云々)。

 まぁ、「平均を大きく超えて肥満していますね」とか「頭髪が随分と寂しいですね」とか、例え事実であっても口に出せば失礼に当たる類いもあるわけです。「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」もそう、事実であろうとも本人に直接、突きつけることはパワハラに当たるものなのでしょう。純然たる事実であろうとも、人を傷つける言葉はありますから。

 電通に関しては私の憶測に過ぎませんけれど、自分の職場の同僚や上司に対して「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と言いたくなるところはあります。この頃は当たり前のように残業する同僚や上司を尻目に定時で帰ることも多いのですが、明らかに私より抱えている業務量の少ない人もいて、肩をすくめるしかありません。上司も落下傘候補ならぬ落下傘人事で、全くの畑違いの部署から異動してきた人が多くて実務が全く分かっていない、部下の仕事量を把握できていないというのもありますが、どうしたものでしょう。

 あるべき論、理想論とは裏腹に現実問題として、日本の職場では残業こそ最大公約数的な「やる気」の尺度であり、評価を得るためにこそ残業は避けられないわけです。逆に仕事が終わったからと定時で帰れば評価が下がる、正社員なら昇給の機会からは遠ざかり、非正規社員であれば契約更新が危うくなりかねません。私の実体験でも、どこの職場でも入社してまもなくは仕事が上手く回らず時間内に片付かなくて、それで「よく頑張っているね」と褒められる一方、逆に仕事が出来るようになって時間内に何でも処理できるようになると「もう少し積極的に仕事に取り組んでくれないと!」と怒られたりしたものです。

 もう一つ私の体験を挙げますと「家庭の事情でもあるの?」と、これまた行く先々の職場で聞かれます。定時で帰ろうとすると、ですね。定時で帰って良いのは幼い子供を持つ母親ですとか、そういった「家庭の事情」を持った人のすることであり、責任ある社会人とは残業するものだと、どこの職場でも信じられているわけです。まぁ、私も暇なとき(要するに退社後にやることがないとき)は、なるべく会社に残るなどの努力はするように心がけてはいますが。

 特に今の職場ですと、「そんなことはどうでも良いだろうが!」「まだそんなことをやってるのか!」と、同僚だけではなく上司にも言いたくなる場面が多いです。「確かにあんな仕事ぶりでは、どれだけ残業したって終わらないだろうなぁ」と感じるところばかりでして、上司や同僚が固執している代物が会社の営業にとって必要かと言えば、もう完全な自己満足でしかなかったりする、こちらとしては距離を置くぐらいしか、もうできることはありません。

 先日も書きましたが、低い(時間当りの)生産性から逆算すれば、利潤を生む上で本当に必要な仕事は必ずしも多くない、無駄なことばかりやっているから忙しいように見えるだけの職場も少なくないように思います。しかるに、日本では「仕事はつくるもの」なのです。そして必要もなく創られた仕事を疑問視する、ムダと見なしてカットしようとすれば、「やる気がない」「主体的な意識が欠けている」みたいな評価を受けてしまうわけです。

 日本の職場から無駄を削減できる、生産性を上げられる、効率化を進めて残業を減らせる、そういうノウハウを持った人材は既に存在しているのではないでしょうか。問題は、そうした「本来は」有能な人材が企業の評価から排除されがちで、逆にムダを創って生産性を引き下げる、残業時間を自ら牽引していくような有害な人材を企業が肯定的に評価して、地位と権力を与えているところにありそうです。すなわち、構造的な問題である、と。日本の会社が人を評価する基準を180°変えれば、世の中は幾分か良くなる気がしますね。

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仕事を創る人ほど有害な人はいない

2016-11-27 23:56:47 | 雇用・経済

 日本の学校教員の労働時間の長さはよく知られているところで、たとえば2014年のOECD調査では日本が世界最長でした。しかるに、"Total working hours"が長いにもかかわらず"Hours spent on teaching"に関しては平均を大きく下回っていたわけです。要するに、日本の学校教員は労働時間が長いけれど、勉強を教えている時間は短い、と言えます。なんでも課外活動の時間が群を抜いて高く、事務作業にも平均の倍近い時間を費やしているとか。

 過労死なんて珍しくもありませんけれど、それが若い女性ともなれば世間の関心は俄に高まるというもので、電通社員の一件を契機に長時間労働を問題視する声も出てきました。では、そもそもどうしてこれほどの長時間労働が必要なのかと、不毛な意見が色々と上がっています。そこで私が思うに、民間企業における長時間労働もまた、上段で言及しました学校教員の労働時間の長さと構造は似ているのではないかな、と。

 つまり教師であれば本分であるはずの「勉強を教える」ための時間が日本は短いわけです。ただただ「それ以外」の時間が長いから、全体の労働時間も長いのです。同様に民間企業もまた、本分であるはずの操業のために費やされている労働時間は、実は短かったりするのではないでしょうか。にもかかわらず、ビジネスのために必要なこと「以外」に膨大な時間を費やしているから日本の労働時間は長い、ついでに(時間当りの)生産性も低いのではないか、そう私は考えます。

 業務量に比して人員が少なすぎる、という現実も確かにあるとは思います。ただ職を転々としてきて感じたのは、どの会社も部署次第で残業時間のバラツキが大きいことで、その辺も業務量の問題は否定できないにせよ「文化」の問題も大きいな、と。有り体に言えば、上長が率先してサービス残業しているような部署では全員が恒常的に長時間残業しているわけです。仕事が終わったからと定時で帰れば「それは間違っているよ」と怒られる、そういう文化が養われている組織もまた珍しくありません。

 名高い電通の「鬼十則」でも最悪なのは「仕事は自ら創るべき~」云々の行で、往々にして長時間労働の部署では「仕事を創る」人が仕事を終わらせる上での障害となっています。余計な仕事を創る人がいなければ時間内に片付くものを、必要のない仕事を創ることで長時間労働不可避の部署にしてしまうわけです。ところが、こうして仕事を創る人を電通以外の会社でも総じて高く評価してきたのが日本社会であり、日本の会社でもあるのではないでしょうか。

 元祖ブラック企業のワタミでも然り、長時間勤務の問題もさることながら、会長の著書を買って感想文を提出したり、ボランティア活動への参加を強制される等々、店舗運営のために必要な仕事「以外」の要求が多かったことも意識されるべきです。本当に店で必要な仕事「だけ」をやっていれば済むのなら、多少なりともマシになった部分はありそうなもの、しかし、操業のために必要ではない代物が重い負担としてのしかかってくるのが日本の労働現場なのです。

 日本の会社は、徹底した反合理主義で構成されています。追求されるのは利益ではなく理想であり、経営者が従業員に与えたがる報酬は金ではなく夢だったりするわけです。ビジネスライクに必要なことだけやっておけば良い、無駄なことはやらない、そういう姿勢では許されない(そもそも採用時点で排除される)のが日本の文化ではないでしょうか。低い労働生産性から逆算すれば、本当は仕事が多いわけではない職場も少なくないように思います。ただ、仕事を創って忙しいフリをして、それを会社が評価する、そういう文化が積み重ねられているだけです。

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