非国民通信

ノーモア・コイズミ

モノの排除は許されたのだから

2017-03-26 21:29:58 | 社会

「福島帰れ」とたばこの煙、千葉(共同通信)

 東京電力福島第1原発事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。

 同級生の男児にも「福島の人と一緒の学校は嫌だ」「被ばく者と同じ意見だと嫌だ」などと何度も言われたという。

 女子生徒の父親(49)も、11年に別のきょうだいの授業参観に出席した際、保護者から「福島に帰れ。何しに来たんだ」とやじを浴びせられたと同日証言した。

 

 以前にもこの問題は取り上げましたが、ポイントは子供のいじめに止まらないこと、児童の保護者からも同様の加害行為が複数報告されていることですね。決して生徒児童だけの問題ではない、むしろ親世代の偏見にこそ原因があると言えるでしょう。そして大人から偏見を吹き込まれた子供が福島からの転校生を忌避の対象にする、と。

 「福島」に対する忌避感の醸成には大手メディアも積極的に関与してきたところもあるわけでして、親世代の偏見もまた特定の個人の資質に起因するものではないと言えます。それぞれの信頼するメディアに載った情報を真に受けた結果として、福島を「避けるべき危険であり遠ざけるべきもの」と考えるようになったのではないでしょうか。

 事故から6年あまり、ここからさらに調査すべきものとしては、いじめの加害者が「何を信じた結果として」そのような振る舞いに至ったか、辺りが挙げられます。もちろん「福島に帰れ」云々と宣った人は本性において悪意に満ちているところもあるのでしょうけれど、それでもやはり「キッカケ」はあったはずです。何を見た結果として、福島から来た人を攻撃対象に選んだのか、この辺は問われるべきです。

 ネット上の有象無象の書き込みを見て外国人への差別心を抱くようになった人がいるように、「福島」に対する蔑視もまた一定の源泉があるのではないか、と思います。たとえば朝日新聞然り、東京新聞然り、この辺に描かれている福島は現実世界のそれとは大きくかけ離れた危険地域です。朝日新聞や東京新聞に出てくるような「福島」から来た人であれば、それは自分たちを脅かす危険に見えてしまうのでしょう。しかし、それはフィクションの中の危険ですよね?

 全くの「無」から偏見を創造してしまう悪意の天才も世の中には存在しますが、だいたいの人は自分の頭で考えているつもりでも実は他人の主張を受け売りしているだけだったりします(人気ブロガーの類いとか特に!)。そして、今回のようないじめも同様です。「福島」を標的に選ぶようになった過程では必ずどこかに他人の意思が介在している、(人、モノを含めて)福島を危険だと信じさせた犯人は、いじめの直接的な加害者とは別に存在します。

 今でこそ福島の「人」に対する排除が大手メディアで取り上げられるようになりましたが、震災と原発事故直後にはむしろ否定論も盛んでした。それでも福島(及び東北全般)の「モノ」の排除に関しては当時から普通に報道されており、福島第一原発から遠く離れた岩手や青森くんだりから善意で送られた品すらもが一部の反対運動によって返却されたり廃棄されたりもしていたわけです。

 これも酷い話ですが福島の「モノ」の排除を正当化する、排除を訴えた人を擁護する声は相当にありました。そして「モノ」の排除が社会的に是認されているのを見た人は、福島の「人」を排除したって許されるだろうと、そう考えたところもあったかも知れません。「モノ」の排除の次点で世論やメディアが厳しく反応していれば、もう少し「人」への対応も違ったように思えるのですが、典型的な後の祭りですね。

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目次

2017-03-26 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2017/ 3/26

雇用・経済    最終更新  2017/ 2/12

政治       最終更新  2017/ 2/19

文芸欄      最終更新  2016/ 9/ 4

編集雑記・小ネタ 最終更新  2017/ 1/ 1

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スタンドに強い弱いの概念はない

2017-03-19 22:39:50 | 社会

 前回の話で、ちょっと脇道ですが「サイコパスが多い職業」云々のネタに触れました。この種の調査発表の信憑性は推して知るべしではありますけれど、上位にランクしていたのは会社経営者だったり弁護士だったり外科医だったりと、社会的ステータスの高い職業が割と多めだったりしたわけです。本当に特定の職業にサイコパスが多いかどうかは眉唾としても、(サイコパスのように)一般には否定的に取り扱われる特性が状況によっては長所として機能することもある、という点は意識されるべきかも知れません。優劣ではなく、適性でしかない、と。

 まぁ、どれだけ訓練と経験を積み重ねても人間の体をメスで切り開いて臓器に手を入れる時には激しく緊張してしまう外科医より、至って平然としていられる外科医の方が、手術を受ける側は安心できそうなものです。弁護士だって凶悪犯罪者のために職務を果たすのは精神的に色々とキツイでしょう。「普通」ではない感覚の方が役に立つ場面が、時にはあります。あるいは「鈍感力が大事だ」などと言い放った政治家もいました。その政治家は日本国民に多大な災厄をもたらしましたけれど、確かに繊細すぎる人間に政治家は務まらない、どんなに叩かれても晒されても平然としていられる強さは政治家の条件ではあるのかも知れません。

 他には、ある種の障害を持った人は錯覚しない、なんて話を聞いたこともあります。「普通の」人であれば好むと好まざると見たものを脳が補正してしまう、故に錯覚してしまうわけです(ただの線が立体に見えたり、繋がっていないものが繋がっているように見えたり)。ところが同じものを見ても「脳が補正しない」ために、錯覚することがない人もいるのだとか。これは圧倒的多数の人々の基準から外れた感覚であって一般には障害として扱われるものですが、しかし障害のある人の方が惑わされずに正しい姿を捉えている、なんてケースもあると言えます。

 ……で、会社勤めの場合はどうでしょう。「平気で嘘をつく人」の方が正直者よりサラリーマンの適性はありそうですし、科学に疎い人の方がマイナスイオンだの水素水だの我が国で商品開発する上では強みを発揮できるかも知れません。そして茶番を茶番と気づいてしまう人であれば「馬鹿馬鹿しい」と感じてしまう、付き合うことにストレスを感じざるを得ないような場面であっても、騙されやすい愚かな人であれば会社の理念に共感できる、仕事にやりがいを見いだせることでしょう。何事も適正次第なのです。(そして生活保護の水際作戦に当たる職員には憲法への無理解や人権意識の希薄さ、偏見の強さや差別意識が適性になる等々)

 「小さな子供のいる母親」の類も、本当に労働環境を良くする上ではメリットがある特性じゃないかと思いますね。一般には育児や介護に追われていない、会社優先で働けるタイプの方が企業からは好まれているわけですが、その結果は日本社会の繁栄に繋がっているでしょうか。「時間の制約なく会社のために働ける」人の方は制約のある人よりも圧倒的に採用されやすいですけれど、そういう人ほどダラダラと長時間労働を続ける、仕事を創って生産性を低下させると言えます。むしろ時間に制約がある、一定の時間内に仕事を終わらせなければならないという動機を持っている人の方が、より仕事の効率を上げてくれそうなものです。日本の生産性が世界最高水準なら今までのやり方が正しいのでしょうけれど、そうでないなら人の評価基準を改める必要がありますよね?

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担当者個人の資質の問題ではないように思う

2017-03-12 23:34:01 | 社会

生活保護申請の妊婦に「産むの?」 千葉県市原市が謝罪(朝日新聞)

 生活保護の申請に訪れた妊娠中のフィリピン国籍の40代女性に対し、千葉県市原市の福祉担当職員が「産むの?」と問いただしていたことが分かった。女性は中絶を求められたと受け取ったという。同市は不快感を与えたとして、女性に謝罪した。

 労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」が8日、記者会見して明らかにした。それによると、女性は今年1月に市原市の生活保護申請の窓口を訪問。その際に、職員から「自分の国(フィリピン)で中絶はやっていないの?」と問われた。女性が「子どもをおろせって言うんですか」と質問すると、職員は「そこまで言わない」と答えたという。申請は受理されず、その後にNPO職員が同行すると認められたという。

 市原市生活福祉課の担当者は、朝日新聞の取材に「状況確認のための質問だったが誤解があった。再発防止に努める」と話した。

 

 ほぼ全ての場合において、政治家が「誤解を与えた」と謝罪する場合、実際は「真意が伝わった」ために問題視されているわけです。もっとも「政治家に限った話ではない」ことが今回のケースで示されていると言えるでしょうか。市原市の担当者は「誤解があった」と醜悪な言い訳に努めていますが、もちろん「真意が伝わった」からこそ問題になっているのです。

 先日も取り上げた小田原市役所のケースもそうですが、生活保護の窓口に配属される職員には人権意識が希薄なタイプが多いのかも知れません。生活保護受給者や貧困層、あるいは外国人に対する差別意識や偏見を強く持っている、そういう人が意図的に配属されているからこそ、小田原に限らず今回のようなケースも出てくるのかな、と思います。

 「水際作戦」と公式に掲げる自治体はないとしても、裏の目標(=真意)として生活保護の抑制に重きを置いている自治体は多いはずです。その結果として、どういうことが起こるのでしょう。人権意識を強く持ち、差別や偏見とは無縁で憲法の定めを遵守する、そんな職員を窓口に配置してしまえば、当然のこととして貧困者を水際で追い返すようなことはなくなってしまいます。福祉の面では良いことですが、これを好ましく思わない人もまた多いわけです。

 社長や外科医はサイコパスが多い、なんて調査発表(信憑性はさておき)もあります。まぁ、他人の痛みに鈍感であることが仕事の上で有効になる場面だってあるのは確かなのでしょう。そして生活保護の窓口に立つ職員もまた同様なのかも知れません。生活保護の抑制という至上命題のために、人間性を捨てて戦っている人もいるのだ、と言えます。役所のお墨付きの元に。

 日本の生活保護制度の下では圧倒的に漏給が多い、保護を受けるべき人が受け取れないケースが多いわけです。そこに加え、保護受給者を不正な受益者であるかのごとく喧伝することで、世間に漏給の原因を誤認させようとしてきた実態があるのではないでしょうか。悪いのは不正受給者、現行の生活保護受給者なのだ、と。もちろん金額的な比率で見れば不正受給など誤差の範囲に収まるのですが……

 小田原市の場合もこの市原市の場合も、担当職員個人の資質の問題だとは考えにくいところがあります。人権意識の希薄な人間を採用した、あるいは育てた、憲法が保障する権利を蔑ろにするような人間を任用した、あるいはそうなるように背中を押してきたのは、役所という公的機関です。小田原市がそうであったように、今回の市原のケースでも職員が処分されるようなことはないのかも知れません。保護を求める貧困者を罵倒したって罪には問われないのが我が国の「公」です。しかし、それでいいのでしょうか?

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なぜ小田原市役所には自浄能力がないのか

2017-03-05 21:47:24 | 社会

不適切ジャンパーで訪問84% 生活保護職員ら(毎日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護業務を担当する職員が不適切な文言の入ったジャンパーやグッズを作製していた問題で、同市は28日、「生活保護行政あり方検討会」の初会合を開いた。会合では、ジャンパーが作製された2007年度以降の生活保護担当職員やOB職員を対象にしたアンケート結果が公表された。

 アンケートでは、ジャンパーを着用して受給者宅を訪問したことがあるかを尋ねたところ、「ある」と答えた職員の割合は07年度が56%、翌年度以降が84%に上った。グッズなどを作製した意味合いについては「連帯感、結束力を高めるため」との回答が最も多かった。一方、一般職員向けに生活保護を担当する課についてのイメージや配属希望などに関して質問したところ、多くの職員が希望していないことが分かったという。

 

 この問題は1月にも取り上げましたが、その後の展開はどうでしょう。小田原市側は職員を処分しないと発覚して早々に宣言するなど、全く反省の色が見えなかったわけです。そして1ヶ月あまりが経過して、検討会の「初会合」が開かれたことが伝えられています。なんでもアンケート結果が公表されたとのこと、これが「アンケート」すなわち「自己申告」で良かったのかどうか、疑問に思わないでもありません。私だったら、言い逃れが出来ないよう第三者による捜査が必要、と考えますね。

 小田原市役所では生活保護受給者を罵倒、威嚇する文面(新聞報道では「不適切」で済まされるようですが)の書かれた各種グッズが職員によって制作、頒布されていたわけです。生活保護受給者宅を訪問する際に着用するジャンパーの他、マグカップやマウスパッドなども作られていたとのこと、人事異動の際の記念品に使われることもあったそうです。決して生活保護に携わる担当者だけの「秘密の」グッズではなく、小田原市役所内で公然とまかり通っていたことが、よく分かります。一部の「問題のある職員」による暴走ではなく、「市役所ぐるみの」蛮行であることは否めないでしょう。

 

教師がクラスの「いじめ」への対処を誤ってしまう理由。(Books&Apps)

 あとね、と彼は言いました。

「いじめってクラスの雰囲気が悪くなる、みたいに思ってる人多いでしょ」

「うん」

「あれウソ。少なくとも教師の側から見ると、むしろいじめがあった方がクラスの雰囲気がよく見えたりする」

「え」

「いじめてる側、あるいはいじめを黙認してる側からすると、少なくとも主観的には「共通の敵」に対して結束してるわけでしょ。いじめの声だって、表面的には「笑いが絶えない明るいクラス」に見えたりするんだよ。

だから、教師がちゃんと見てないと、「いじめが発生してるクラス」を「仲良く協調出来ているクラス」に誤認したりする。ヘタをすると、いじめられてる子を先生まで異分子扱いしたりする。それでいじめられてる子はますます絶望する」

 

 ……で、この辺は納得のいく話と言いますか、むしろ学校に限らない話と思えるわけです。普通の会社でも、いつも陰口で盛り上がっている仲良しグループはいますし、それで「チームワークが出来ている」と上長から評価されていたりするのは珍しくありません。小田原市の場合も然り、「連帯感、結束力を高めるため」との言い訳が発覚当初から繰り返されてきましたが、これはまさに上記引用の構図と変わらないものです。生活保護受給者、貧困者への憎悪によって小田原市役所は結束していた、その憎悪による偽りの連帯感を小田原市役所は公認してきたのだ、と言えます。

 ヘイトグッズの制作は2007年から、つまり10年近く続けられてきました。外部の報道機関によって全国に晒されるまで、小田原市の職員は誰も疑問に思わなかったのでしょうか。良心のある職員が在職していれば内部通報の一つくらいはあっても良さそうなものですが、そうならなかったのはやはり、「市役所ぐるみ」であったからなのかも知れません。まぁ生活保護受給者を罵倒し、不正な受益者であるかのような偏見を振りまく、そうした言動によって喝采を浴びてきた政治家も普通に存在します。生活保護受給者に向けられたヘイトスピーチを当たり前のように受け入れてきた人は、小田原市役所で行われてきたことを疑問に思う頭など持っていないのでしょう。

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読書なんて就職とは無関係ですし

2017-02-26 21:48:43 | 社会

読書時間ゼロ、大学生の5割に 増えたのはスマホの時間(朝日新聞)

 1日の読書時間が「0分」の大学生は約5割に上る――。全国大学生活協同組合連合会(東京)が行った調査でこんな実態が明らかになった。書籍購入費も減る一方、スマートフォンの利用時間は増えた。

 調査は学生の生活状況を調べるため、毎年行っており、全国の国公私立大学30校の学生1万155人が回答した。

 1日の読書時間が「ゼロ」と回答したのは49・1%で、現在の方法で調査を始めた2004年以降、最も高かった。平均時間も24・4分(前年比4・4分減)で、04年以降で一番少なかった。1カ月の書籍購入費も減る傾向で、自宅生が1450円(同230円減)、下宿生が1590円(同130円減)で、いずれも過去最低だった。

 読書の時間が減る一方で、スマートフォンの1日あたりの平均利用時間は161・5分と、前年より5・6分増えた。

 学生からは「勉強やアルバイトで読書する時間がない」「読みたい本がない」などの意見があったという。

 

 毎年この手のニュースは出てくるもので今更なにか新しいことを見出すのは難しいですが、1カ月の書籍購入費が自宅生1450円に対して下宿生1590円というのは興味深いですね。相対的に金銭的な余裕がなさそうな下宿生の方が書籍に費やしている金額が大きいわけです。まぁ下宿生の中にはとんでもない高額の仕送りをもらっている人も結構いたりしますけれど、平均を見れば自宅生の方が金銭面で余裕がありそうに思えるところ、実態はどうなのでしょう。まぁ世の中には「金持ちの道楽」もあれば「貧乏人の娯楽」もあるわけです。富裕家庭の学生は金のかかる趣味に勤しみ、苦学生は本という安価な娯楽に足を止める、みたいな構図はあるのかも知れません。

 もう一つ興味深い点があるとすれば「勉強やアルバイトで読書する時間がない」という意見ですかね。まぁ日本の経済状況は20年ばかり沈んだままですから、昔よりもアルバイトの時間を費やさねばならない学生も増えているのでしょう。一方でアルバイトではなく「勉強」のために「読書する時間がない」とも考えられているわけです。私なんかは文学部ですから読書と勉強は密接にリンクするイメージが強いですけれど、専攻次第では読書とは無関係な勉強も多いのかも知れません。昔年の「教養」が重んじられた時代なら読書は学問の一環として不可欠でも、昨今の就職第一の大学環境に読書のニーズは少ないものと考えられます。

 そもそも、大学生の読書量が減ったからと言って何がどう変わるのか? 確かに紙の本を売って利益を得てきた業界にとっては死活問題でしょう。しかし「大学を出た先」に待ち受けている就職において読書量の多寡が問われることなど皆無なのが日本社会です。国際社会はいざ知らず、日本社会は読書家の学生なんて求めてはいません。むしろ研修で教養をぬぐい去ろうとするのが日本の会社です。だからこそ、真面目な学生ほど本など読まず就職に求められるもの≒日本社会で必要とされているものを模索すると言えます。読書家を必要としていない社会で本が読まれなくなっても、それによって影響を受ける人は多くないでしょう。

 後はまぁ、一口に「本」と言っても色々とあるわけです。減り続けてきた読書時間の内訳も考えないと、単に「今時の学生は本を読まない、けしからん」としたり顔をするためのネタにしかなりません。それこそ研究のために必要な本が読まれなくなったのか、教養のために必要な本が読まれなくなったのか、あるいは純粋に娯楽のための本が読まれなくなったのか―― 実際のところエロ本や漫画や週刊誌だって、どんどん売れなくなってきているのです。むしろ「大学の授業のために読まなければいけない」ような堅い本の方が、意外にしぶとく生き延びそうな気もしますね。

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これもまた租税回避

2017-02-19 22:00:22 | 政治

ふるさと納税、豪華な返礼品競争を改善へ 高市総務相(朝日新聞)

 高市早苗総務相は17日の閣議後の記者会見で、ふるさと納税の返礼品をめぐる課題を整理し、今春をめどに改善策をまとめる方針を明らかにした。一部の自治体が商品券などを返礼品としていることが、地方創生を応援するという制度の趣旨にそぐわないと問題となっており、対応を急ぐ。

 総務省によると、2015年度のふるさと納税の寄付金額は約1653億円。手続きの簡略化に加え、豪華な返礼品に注目が集まったことで14年度の約4倍に急増した。高市氏はこの日の会見で、「返礼品のコストの割合が高いと、ふるさと納税による寄付が住民サービスに使われにくくなるという問題もある」などと指摘。「あらゆる課題を一度、洗い出してみる」と述べ、自治体担当者や有識者らから意見を聴く考えを示した。

 制度の開始当初、地方の特産品などだった返礼品は、自治体間の競争激化で金券や家電も登場。総務省は16年4月、金券や家電などは返礼品としないよう求める通知を出した。ただ、通知に強制力はなく、複数の自治体が今も返礼品を見直していない。

 

 まぁ至極もっともな話が今更になって出てきたわけですが、あくまで「通知」が出ているだけで強制力はないとのこと、これではいけません。口先だけの賃上げ要請が「お茶を濁す」程度の結果しか生まないのと同じようなものと言えるでしょうか。世の中には言っても聞かない人も多いのですから、時には「強制力」を伴った措置が必要です。そうしなければ何でもありの無法状態、権力を持った人や組織には一定の枷をかけておく必要が常にあります。

 ふるさと納税も、理念としては有意義な部分もあったのかも知れません。しかし、納税の返礼として金券を設定するなど事実上のキャッシュバックを税制に許してしまうのは流石にどうでしょう? 「越えてはいけないライン」というのは、ふるさと納税の制度を運用する前に、しかるべく定められておく必要があったように思います。ともあれ近年は制度普及に伴い、ふるさと納税の獲得競争も激しさを増すばかり、当然ながら獲得にかかるコストもまた増加しており自治体の負担ともなっているものと推測されます。

 

ふるさと納税で「赤字4億円」…町田市長が批判(読売新聞)

 東京都町田市の石阪丈一市長は17日、新年度予算案発表の記者会見で、ふるさと納税による住民税などの控除額から市への寄付額を差し引くと、新年度は約4億円の赤字になるとの見通しを示した。

(中略)

 ふるさと納税を巡っては、高額な特産品の贈呈など「返礼品競争」の過熱が問題となっている。町田市は「競争に巻き込まれない」との方針から返礼品は過剰にならない範囲に限定。寄付を行う人が使い道を指定できるようにもしており、返礼品目当てだけにならないよう配慮している。

 

 東京一極集中の時代、都市部から地方に税金が流れる限りは是正措置として許容されるべきものではありますが、「獲得にコストを費やした自治体」が税金を獲得し、「獲得競争に乗らなかった自治体」が赤字になるというのであれば、それは制度の欠陥と言うほかないでしょう。「地方で育った人」が働くようになってから住むようになった街の税収が、少しばかり住民の出身地に流れるのであれば大義はあります。しかし、返礼品として納税額の7割をキャッシュバックするような自治体に税金が流れ込むとなったなら、それは何かが間違っていますよね?

 ある国が不当に低い法人税率を設定して、そこにアップルなりグーグルなりが会計上のテクニックを駆使して法人税率の低い国を納税先にしてしまう、なんてこともあります。この場合、法人税ダンピングを行った国は「他国の」企業からの納税が見込めるので減税の結果として税収が増えることもある反面、その裏では当然のことながら当該企業の「本当の」所在国で得られるべき税金が余所の国に吸い取られてしまうわけです。一部の国は確かに得をしますが、世界全体で見た場合はどうでしょうか?

 ふるさと納税も、これと同じことが言えます。高率のキャッシュバックを設けた自治体は、それによって「市外の」居住者からの納税が見込める、すなわち税収増が期待されるのかも知れません。しかし、ふるさと納税獲得のための競争に負けた自治体は、逆に市内居住者の納税が流出してしまうわけです(今回の町田市のように)。得をする自治体もあれば、損をする自治体もあると言えますが――日本国全体としてみたい場合は、どうなのでしょうね? 得をした自治体も「外からの」納税を獲得するためにコストを費やしている、事実上のキャッシュバックなど行えば歳入となるのは納税額の一部に止まります。日本全体で見れば獲得競争にかかったコストの分だけ税収は減っている、財政にダメージを与えている側面は無視されるべきではないでしょう。課税を通して再分配してきたものを市場競争に任せたことで上手くいった例など、私には思いつきません。

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踏み絵としての目的だけは果たしていると思いますが

2017-02-12 22:24:17 | 雇用・経済

その転勤、笑えますか? 辞令1枚で家族の人生が変わるのは、仕方ないことなのか(BuzzFeed News)

労働政策研究・研修機構は2016年11月、転勤の実態調査を発表した。転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)で、大企業ほど転勤が多かった。単身赴任者は年齢が高いほど多い傾向があり、50代男性では4.5%となっていた(2012年)。

転勤の期日や日数をルール化していない企業が過半数。社員の事情を「配慮する」としたのは約7割だった(2015年)。

15社のヒアリング調査(2015年)により、転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある一方で、人事ローテーションの結果、欠員が生じて玉突きとなった転勤も存在している、とした。

 

 引用元の記事は今年の1月末に公開されたものですが、なんでも「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)」なのだそうです。大元からして2016年なのに2004年のデータと言うのが微妙に思えますね(素人ブロガーが調べるのをサボって書いた記事じゃないのですから)。ただ労働政策研究・研修機構によると、転居を伴う異動がある企業の割合は1990年調査の時点では約2割とのことで、わずか14年間で1.5倍に増加しているようです。もしかしたら2017年の時点では、もっと比率は高いのかも知れません。

 ともあれ「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割」と聞いて、皆様はどう感じましたでしょうか? 自身の就職活動の感覚からすると、もっと多いと思っていました。むしろ転勤を強いられない会社の方が圧倒的少数派であろう、と。まぁ職探しをするのが都市部か地方かでも違いますし、従業員が3人とか4人とかの零細企業(転勤なし)が7社と従業員10,000人の大企業(転勤あり)が3社あれば、転勤有りの企業は全体の3割程度という計算になるわけです。従業員ベースで考えれば「転居を必要とする人事異動」に迫られる人の方が多数派であろうな、という気はします。

 なお「社員の事情を『配慮する』としたのは約7割だった(2015年)」そうです。企業が考慮するという「社員の事情」とは、いったい何なのでしょうね? 真っ先に思い当たるのは「家を建てた」辺りでしょうか。昔から「家を建てると(会社を辞められないから)になる」と、よく言われたものです。実際、私の父もそうでした。そして(これが今回の記事を書くキッカケだったりしますが)私の住居の向かいに一軒家を建てたばかりの人も転勤が決まったとのことで、まぁ「家を建てたら転勤させられる」ってのは決して都市伝説ではないのだな、と痛感しました。

 もう一つ、私の勤め先でも管理職に就いていた女性が辞めることになりまして、他人のプライベートな話を拡散させて憚らない同僚によりますと、夫が海外転勤になったので妻の方が会社を辞めることにしたのだそうです。「女性が活躍できる社会」云々と喧しい時代ではありますけれど、「夫の転勤のために会社を辞める」女性はヨソでも結構いるのではないでしょうか。年収を103万円未満に抑えているようなパートならいざ知らず、曲がりなりにも管理職に就いていた女性でさえ辞めるという決断を下さざるを得なくなる、転勤とは実に罪深いですね。

 そして「転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある」とも伝えられていますが、その目的が転勤によって果たされたのかどうかは問われるべきです。転勤は「させるのが当然」と会社側が考えているだけで、実は従業員だけではなく会社側にとっても負担にしかなっていない、何の果実も生んでいない可能性もあります。実は転勤などさせなくとも育成は出来ていたかも知れない、少なくとも会社側は各種の手当を付けて社員を転勤させる以上、その効用(あるのかないのか)を測定するぐらいした方が良いでしょう。男性正社員は転勤させるのが当たり前という常識を、日本社会全体で疑うところから始める必要があると思います。

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残業にも色々ありまして

2017-02-05 22:19:18 | 雇用・経済

 職場に働くママが増えたら残業が大幅に減った、なんて話も聞きます。悠長に残業なんてしていられない人が職場の多数派になれば当然、残業を減らそうという動きにも繋がるのでしょう。逆に家に帰ってもやることがない暇人が多数派を占める職場ですと、必要もなくとも残業をする人が増える、それに付き合わされる人が増えて残業時間は際限なく延びていくわけです。昨今、日本の職場の残業時間の長さは生産性の低さと並んで問題視されることが多いですが、どうしたものでしょう。

①全く忙しくないのに残業している人

 まず一口に残業が長くなる場合でも、幾つかパターンがあるように思います。条件判定の最初は「忙しいか、そうでないか」ですね。仕事が忙しいわけではないのに、自分の業績を盛るために必要のない仕事を創ったり、あるいはダラダラ居残るばかりで実はおしゃべり以外は何もしていなかったり等々、仕事が多いわけではないにもかかわらず長時間の残業を続けている人も多いように思います。こういう人々が、長時間労働と生産性の低さの両立を可能にしているわけです。

②忙しいが、実は営業活動上の必要性がない場合

 例えば日本を代表するブラック企業であるワタミの場合です。(現行の残業時間の定義からは外れるのかも知れませんが)休日の課外活動への強制参加や、教祖の本を買って感想文を書いて提出しなければならなかったりすることが知られています。これらは会社の営業活動において全く必要性のない事柄ですが、しかし実質的な業務命令として従業員に課されるものであり、労働時間の長期化への影響は大きいです。一見すると不合理な代物ですが、利益よりも理想を追いがちな日本企業では珍しくもないといえます。

③本当に忙しく、必然性がある仕事のために帰れない人々

 これは低賃金労働に多く、必要な業務量に比して人員が少なすぎるために起こるパターンです。このパターン③だけが日本の長時間労働の原因であったなら、時間当りの生産性が最低レベルに落ちるようなことはなかったでしょう。そして最も犠牲を強いられている層でもありますが、その負担の重さに応じた対価が支払われているかと言えば、真逆だったりするのですから色々と不条理です。

・・・・・

 この辺はハイブリッド化する場合もありまして、例えば電通の場合①仕事を創る文化があり、②飲み会などの業務時間外の拘束が厳しいなどの理由で二重に従業員の負担を重くするタイプと考えられます。あるいはワタミの場合は②休日の過ごし方まで会社に強制され、③店舗での勤務中は本当に忙しく勤務時間も長いなど、こちらも二重に社員を追い詰める仕組みが出来ているわけです。また会社によっても配属部署次第のところがありますから、全社的に見れば①②③のパターンを網羅しているところは少なくないでしょう。

 ともあれ一口に長時間労働と言っても原因は様々でして、取るべき対策もそれに応じたものでなければ、意味がないどころか逆効果になってしまいます。①のように必要性もなく残業している部署に人員を追加したら、今まで以上に「余計なこと」を始めて事態を悪化させてしまいますし、③の本当に忙しい部署にノー残業デーを導入しても歪みが大きくなるばかりです。まず時間外の増加の理由を見極めるところから手を付けなければ行けません――が、総じて間違った対応策が全社的に採られがちに見えますね。

 ①の本当は暇な部署では残業がラマダーンの断食みたいな意味合いになっていることも多い気がします。残業することが組織への帰属意識を表す儀式みたいになっていて、仕事が片付いたからと定時で帰れば異教徒のような扱いを受けたりするわけです(まぁ自分の体験談ですが)。そして本社の管理部門の暇人が仕事を創ることで、「下」の部署は「(上からの指示で)やらねばならないが収益には結びつかない」仕事を強いられる、上記②のパターンができあがったりもすると言えます。

 ③の本当に忙しい場合も会社全体として見れば、必ずしもどうしようもない人員不足とは限らないのではないでしょうか。一人当りの業務量が過大な現場の裏には、暇をもてあまして余計なことしかやらない①の本部があったりする、それは珍しいことではないはずです。あるいは①が創った「余計な仕事」のために現場の業務量が増えていることもあるでしょう。必要のない仕事をリストラできれば、忙しさも多少は緩和されます。そして①の暇人を本当に人手が足りない部署に送り込めばバランスも多少はマシになります。もっとも①のパターンが当てはまる人ほど「忙しいフリ」をするのが得意で、かつ偉い人ほど実態を理解できていなかったりするものですが。

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そう仕向けた人もいる

2017-01-29 23:09:00 | 社会

千葉に原発避難の子「いじめ受けた」(朝日新聞)

 東京電力福島第一原発事故の影響で福島県から千葉県内に避難した3世帯の子どもが、学校でいじめを受けたと訴えていることが分かった。千葉県に避難した人たちが国と東電に損害賠償を求めている集団訴訟の弁護団が明らかにした。

 「原発被害救済千葉県弁護団」によると、千葉地裁に訴えを起こしている原告18世帯のうち、小中学生の子どもがいるのは5世帯。うち3世帯が「子どもが学校でいじめにあった」と話しているという。

 ある世帯の子どもは、同級生や同級生の保護者から「なんで福島から来るんだ」「福島のやつの意見は聞かない」などと言われ、これをきっかけに転校。転校先の自治体の教育委員会に、福島から来たことを伏せるよう頼んだという。このほか、「放射能が来た」などと言われた子どももいるという。

 

 さて、もう6年近くが経ちますが未曾有の大震災とそれに続いた原発事故の後には、色々と被害を拡大させる人々が出てきたわけです。菅内閣の暴走による原発停止ドミノで、東日本ではなく西日本が深刻な電力危機に陥るなんてこともありましたし、「福島」に関連するありとあらゆるものに向けられたヘイトスピーチも止まるところを知りませんでした。福島から来た人が地域の住民から排除されたり、あるいは福島ナンバーの車と言うだけで店舗・施設の利用を拒まれたり、福島どころか岩手や青森くんだりから贈られた品が廃棄処分の憂き目に遭ったり等々。

 福島からの避難者、自主避難者、あるいはただの来訪者が不当な扱いを受けたという報道は、2011年の時点でも少なからずありました。この辺の「福島差別」の存在を躍起になって否定したがる反原発論者もいたもので、その振る舞いは歴史修正主義者を思わせるものだったりしますが、まぁ人は己の見たいものしか見ないものなのでしょう。ところが昨年、福島出身の子供がいじめ(恐喝)の被害に遭っていたことが大きく報道され、世間の関心が高まったせいか類似したケースの少なくないことが続々と伝えられるようになりました。世間に黙殺されるよりは良いことではありますけれど……

 ここでは「福島」に対する差別心や偏見がいじめの要因となっているわけですが、そうした差別心や偏見はどこで形成されたものなのでしょう。今回の記事では「同級生」だけではなく「同級生の保護者」もまた、いじめの加害者として報道されています。子供が自然発生的に「福島」を忌避すべきものと考えたのではなく、親から偏見をすり込まれた結果として「なんで福島から来るんだ」「福島のやつの意見は聞かない」などと言い放つようになったと推測されます。では、親はどこから偏見を身につけたのでしょうか?

 事実とは異なる報道を得意とするメディアもまた珍しくはありません。朝日新聞ですとか東京新聞などは典型的で、頑なに科学に背を向けて自身の思い込みを紙面へ載せ続けてきたわけです。こうしたメディアに信頼を置いて鵜呑みにしてしまう人々にとって、福島とは今もなお避けるべき危険な存在であり自分たちを脅かす害毒なのだと言えます(脱原発な人々から見た「福島」はレイシストから見た在日韓国・朝鮮人のようなものなのでしょう)。メディアが読者に誤った認識を持たせ、結果として読者に差別心を植え付ける、そして読者が特定層の人々(今回であれば福島出身者)を排除しようとする――こうした一連の流れの中では、報道側も大いに反省が求められるのではないかと思いますね。

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