非国民通信

ノーモア・コイズミ

これもまた租税回避

2017-02-19 22:00:22 | 政治

ふるさと納税、豪華な返礼品競争を改善へ 高市総務相(朝日新聞)

 高市早苗総務相は17日の閣議後の記者会見で、ふるさと納税の返礼品をめぐる課題を整理し、今春をめどに改善策をまとめる方針を明らかにした。一部の自治体が商品券などを返礼品としていることが、地方創生を応援するという制度の趣旨にそぐわないと問題となっており、対応を急ぐ。

 総務省によると、2015年度のふるさと納税の寄付金額は約1653億円。手続きの簡略化に加え、豪華な返礼品に注目が集まったことで14年度の約4倍に急増した。高市氏はこの日の会見で、「返礼品のコストの割合が高いと、ふるさと納税による寄付が住民サービスに使われにくくなるという問題もある」などと指摘。「あらゆる課題を一度、洗い出してみる」と述べ、自治体担当者や有識者らから意見を聴く考えを示した。

 制度の開始当初、地方の特産品などだった返礼品は、自治体間の競争激化で金券や家電も登場。総務省は16年4月、金券や家電などは返礼品としないよう求める通知を出した。ただ、通知に強制力はなく、複数の自治体が今も返礼品を見直していない。

 

 まぁ至極もっともな話が今更になって出てきたわけですが、あくまで「通知」が出ているだけで強制力はないとのこと、これではいけません。口先だけの賃上げ要請が「お茶を濁す」程度の結果しか生まないのと同じようなものと言えるでしょうか。世の中には言っても聞かない人も多いのですから、時には「強制力」を伴った措置が必要です。そうしなければ何でもありの無法状態、権力を持った人や組織には一定の枷をかけておく必要が常にあります。

 ふるさと納税も、理念としては有意義な部分もあったのかも知れません。しかし、納税の返礼として金券を設定するなど事実上のキャッシュバックを税制に許してしまうのは流石にどうでしょう? 「越えてはいけないライン」というのは、ふるさと納税の制度を運用する前に、しかるべく定められておく必要があったように思います。ともあれ近年は制度普及に伴い、ふるさと納税の獲得競争も激しさを増すばかり、当然ながら獲得にかかるコストもまた増加しており自治体の負担ともなっているものと推測されます。

 

ふるさと納税で「赤字4億円」…町田市長が批判(読売新聞)

 東京都町田市の石阪丈一市長は17日、新年度予算案発表の記者会見で、ふるさと納税による住民税などの控除額から市への寄付額を差し引くと、新年度は約4億円の赤字になるとの見通しを示した。

(中略)

 ふるさと納税を巡っては、高額な特産品の贈呈など「返礼品競争」の過熱が問題となっている。町田市は「競争に巻き込まれない」との方針から返礼品は過剰にならない範囲に限定。寄付を行う人が使い道を指定できるようにもしており、返礼品目当てだけにならないよう配慮している。

 

 東京一極集中の時代、都市部から地方に税金が流れる限りは是正措置として許容されるべきものではありますが、「獲得にコストを費やした自治体」が税金を獲得し、「獲得競争に乗らなかった自治体」が赤字になるというのであれば、それは制度の欠陥と言うほかないでしょう。「地方で育った人」が働くようになってから住むようになった街の税収が、少しばかり住民の出身地に流れるのであれば大義はあります。しかし、返礼品として納税額の7割をキャッシュバックするような自治体に税金が流れ込むとなったなら、それは何かが間違っていますよね?

 ある国が不当に低い法人税率を設定して、そこにアップルなりグーグルなりが会計上のテクニックを駆使して法人税率の低い国を納税先にしてしまう、なんてこともあります。この場合、法人税ダンピングを行った国は「他国の」企業からの納税が見込めるので減税の結果として税収が増えることもある反面、その裏では当然のことながら当該企業の「本当の」所在国で得られるべき税金が余所の国に吸い取られてしまうわけです。一部の国は確かに得をしますが、世界全体で見た場合はどうでしょうか?

 ふるさと納税も、これと同じことが言えます。高率のキャッシュバックを設けた自治体は、それによって「市外の」居住者からの納税が見込める、すなわち税収増が期待されるのかも知れません。しかし、ふるさと納税獲得のための競争に負けた自治体は、逆に市内居住者の納税が流出してしまうわけです(今回の町田市のように)。得をする自治体もあれば、損をする自治体もあると言えますが――日本国全体としてみたい場合は、どうなのでしょうね? 得をした自治体も「外からの」納税を獲得するためにコストを費やしている、事実上のキャッシュバックなど行えば歳入となるのは納税額の一部に止まります。日本全体で見れば獲得競争にかかったコストの分だけ税収は減っている、財政にダメージを与えている側面は無視されるべきではないでしょう。課税を通して再分配してきたものを市場競争に任せたことで上手くいった例など、私には思いつきません。

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目次

2017-02-19 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2017/ 1/29

雇用・経済    最終更新  2017/ 2/12

政治       最終更新  2017/ 2/19

文芸欄      最終更新  2016/ 9/ 4

編集雑記・小ネタ 最終更新  2017/ 1/ 1

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踏み絵としての目的だけは果たしていると思いますが

2017-02-12 22:24:17 | 雇用・経済

その転勤、笑えますか? 辞令1枚で家族の人生が変わるのは、仕方ないことなのか(BuzzFeed News)

労働政策研究・研修機構は2016年11月、転勤の実態調査を発表した。転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)で、大企業ほど転勤が多かった。単身赴任者は年齢が高いほど多い傾向があり、50代男性では4.5%となっていた(2012年)。

転勤の期日や日数をルール化していない企業が過半数。社員の事情を「配慮する」としたのは約7割だった(2015年)。

15社のヒアリング調査(2015年)により、転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある一方で、人事ローテーションの結果、欠員が生じて玉突きとなった転勤も存在している、とした。

 

 引用元の記事は今年の1月末に公開されたものですが、なんでも「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)」なのだそうです。大元からして2016年なのに2004年のデータと言うのが微妙に思えますね(素人ブロガーが調べるのをサボって書いた記事じゃないのですから)。ただ労働政策研究・研修機構によると、転居を伴う異動がある企業の割合は1990年調査の時点では約2割とのことで、わずか14年間で1.5倍に増加しているようです。もしかしたら2017年の時点では、もっと比率は高いのかも知れません。

 ともあれ「転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割」と聞いて、皆様はどう感じましたでしょうか? 自身の就職活動の感覚からすると、もっと多いと思っていました。むしろ転勤を強いられない会社の方が圧倒的少数派であろう、と。まぁ職探しをするのが都市部か地方かでも違いますし、従業員が3人とか4人とかの零細企業(転勤なし)が7社と従業員10,000人の大企業(転勤あり)が3社あれば、転勤有りの企業は全体の3割程度という計算になるわけです。従業員ベースで考えれば「転居を必要とする人事異動」に迫られる人の方が多数派であろうな、という気はします。

 なお「社員の事情を『配慮する』としたのは約7割だった(2015年)」そうです。企業が考慮するという「社員の事情」とは、いったい何なのでしょうね? 真っ先に思い当たるのは「家を建てた」辺りでしょうか。昔から「家を建てると(会社を辞められないから)になる」と、よく言われたものです。実際、私の父もそうでした。そして(これが今回の記事を書くキッカケだったりしますが)私の住居の向かいに一軒家を建てたばかりの人も転勤が決まったとのことで、まぁ「家を建てたら転勤させられる」ってのは決して都市伝説ではないのだな、と痛感しました。

 もう一つ、私の勤め先でも管理職に就いていた女性が辞めることになりまして、他人のプライベートな話を拡散させて憚らない同僚によりますと、夫が海外転勤になったので妻の方が会社を辞めることにしたのだそうです。「女性が活躍できる社会」云々と喧しい時代ではありますけれど、「夫の転勤のために会社を辞める」女性はヨソでも結構いるのではないでしょうか。年収を103万円未満に抑えているようなパートならいざ知らず、曲がりなりにも管理職に就いていた女性でさえ辞めるという決断を下さざるを得なくなる、転勤とは実に罪深いですね。

 そして「転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある」とも伝えられていますが、その目的が転勤によって果たされたのかどうかは問われるべきです。転勤は「させるのが当然」と会社側が考えているだけで、実は従業員だけではなく会社側にとっても負担にしかなっていない、何の果実も生んでいない可能性もあります。実は転勤などさせなくとも育成は出来ていたかも知れない、少なくとも会社側は各種の手当を付けて社員を転勤させる以上、その効用(あるのかないのか)を測定するぐらいした方が良いでしょう。男性正社員は転勤させるのが当たり前という常識を、日本社会全体で疑うところから始める必要があると思います。

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残業にも色々ありまして

2017-02-05 22:19:18 | 雇用・経済

 職場に働くママが増えたら残業が大幅に減った、なんて話も聞きます。悠長に残業なんてしていられない人が職場の多数派になれば当然、残業を減らそうという動きにも繋がるのでしょう。逆に家に帰ってもやることがない暇人が多数派を占める職場ですと、必要もなくとも残業をする人が増える、それに付き合わされる人が増えて残業時間は際限なく延びていくわけです。昨今、日本の職場の残業時間の長さは生産性の低さと並んで問題視されることが多いですが、どうしたものでしょう。

①全く忙しくないのに残業している人

 まず一口に残業が長くなる場合でも、幾つかパターンがあるように思います。条件判定の最初は「忙しいか、そうでないか」ですね。仕事が忙しいわけではないのに、自分の業績を盛るために必要のない仕事を創ったり、あるいはダラダラ居残るばかりで実はおしゃべり以外は何もしていなかったり等々、仕事が多いわけではないにもかかわらず長時間の残業を続けている人も多いように思います。こういう人々が、長時間労働と生産性の低さの両立を可能にしているわけです。

②忙しいが、実は営業活動上の必要性がない場合

 例えば日本を代表するブラック企業であるワタミの場合です。(現行の残業時間の定義からは外れるのかも知れませんが)休日の課外活動への強制参加や、教祖の本を買って感想文を書いて提出しなければならなかったりすることが知られています。これらは会社の営業活動において全く必要性のない事柄ですが、しかし実質的な業務命令として従業員に課されるものであり、労働時間の長期化への影響は大きいです。一見すると不合理な代物ですが、利益よりも理想を追いがちな日本企業では珍しくもないといえます。

③本当に忙しく、必然性がある仕事のために帰れない人々

 これは低賃金労働に多く、必要な業務量に比して人員が少なすぎるために起こるパターンです。このパターン③だけが日本の長時間労働の原因であったなら、時間当りの生産性が最低レベルに落ちるようなことはなかったでしょう。そして最も犠牲を強いられている層でもありますが、その負担の重さに応じた対価が支払われているかと言えば、真逆だったりするのですから色々と不条理です。

・・・・・

 この辺はハイブリッド化する場合もありまして、例えば電通の場合①仕事を創る文化があり、②飲み会などの業務時間外の拘束が厳しいなどの理由で二重に従業員の負担を重くするタイプと考えられます。あるいはワタミの場合は②休日の過ごし方まで会社に強制され、③店舗での勤務中は本当に忙しく勤務時間も長いなど、こちらも二重に社員を追い詰める仕組みが出来ているわけです。また会社によっても配属部署次第のところがありますから、全社的に見れば①②③のパターンを網羅しているところは少なくないでしょう。

 ともあれ一口に長時間労働と言っても原因は様々でして、取るべき対策もそれに応じたものでなければ、意味がないどころか逆効果になってしまいます。①のように必要性もなく残業している部署に人員を追加したら、今まで以上に「余計なこと」を始めて事態を悪化させてしまいますし、③の本当に忙しい部署にノー残業デーを導入しても歪みが大きくなるばかりです。まず時間外の増加の理由を見極めるところから手を付けなければ行けません――が、総じて間違った対応策が全社的に採られがちに見えますね。

 ①の本当は暇な部署では残業がラマダーンの断食みたいな意味合いになっていることも多い気がします。残業することが組織への帰属意識を表す儀式みたいになっていて、仕事が片付いたからと定時で帰れば異教徒のような扱いを受けたりするわけです(まぁ自分の体験談ですが)。そして本社の管理部門の暇人が仕事を創ることで、「下」の部署は「(上からの指示で)やらねばならないが収益には結びつかない」仕事を強いられる、上記②のパターンができあがったりもすると言えます。

 ③の本当に忙しい場合も会社全体として見れば、必ずしもどうしようもない人員不足とは限らないのではないでしょうか。一人当りの業務量が過大な現場の裏には、暇をもてあまして余計なことしかやらない①の本部があったりする、それは珍しいことではないはずです。あるいは①が創った「余計な仕事」のために現場の業務量が増えていることもあるでしょう。必要のない仕事をリストラできれば、忙しさも多少は緩和されます。そして①の暇人を本当に人手が足りない部署に送り込めばバランスも多少はマシになります。もっとも①のパターンが当てはまる人ほど「忙しいフリ」をするのが得意で、かつ偉い人ほど実態を理解できていなかったりするものですが。

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そう仕向けた人もいる

2017-01-29 23:09:00 | 社会

千葉に原発避難の子「いじめ受けた」(朝日新聞)

 東京電力福島第一原発事故の影響で福島県から千葉県内に避難した3世帯の子どもが、学校でいじめを受けたと訴えていることが分かった。千葉県に避難した人たちが国と東電に損害賠償を求めている集団訴訟の弁護団が明らかにした。

 「原発被害救済千葉県弁護団」によると、千葉地裁に訴えを起こしている原告18世帯のうち、小中学生の子どもがいるのは5世帯。うち3世帯が「子どもが学校でいじめにあった」と話しているという。

 ある世帯の子どもは、同級生や同級生の保護者から「なんで福島から来るんだ」「福島のやつの意見は聞かない」などと言われ、これをきっかけに転校。転校先の自治体の教育委員会に、福島から来たことを伏せるよう頼んだという。このほか、「放射能が来た」などと言われた子どももいるという。

 

 さて、もう6年近くが経ちますが未曾有の大震災とそれに続いた原発事故の後には、色々と被害を拡大させる人々が出てきたわけです。菅内閣の暴走による原発停止ドミノで、東日本ではなく西日本が深刻な電力危機に陥るなんてこともありましたし、「福島」に関連するありとあらゆるものに向けられたヘイトスピーチも止まるところを知りませんでした。福島から来た人が地域の住民から排除されたり、あるいは福島ナンバーの車と言うだけで店舗・施設の利用を拒まれたり、福島どころか岩手や青森くんだりから贈られた品が廃棄処分の憂き目に遭ったり等々。

 福島からの避難者、自主避難者、あるいはただの来訪者が不当な扱いを受けたという報道は、2011年の時点でも少なからずありました。この辺の「福島差別」の存在を躍起になって否定したがる反原発論者もいたもので、その振る舞いは歴史修正主義者を思わせるものだったりしますが、まぁ人は己の見たいものしか見ないものなのでしょう。ところが昨年、福島出身の子供がいじめ(恐喝)の被害に遭っていたことが大きく報道され、世間の関心が高まったせいか類似したケースの少なくないことが続々と伝えられるようになりました。世間に黙殺されるよりは良いことではありますけれど……

 ここでは「福島」に対する差別心や偏見がいじめの要因となっているわけですが、そうした差別心や偏見はどこで形成されたものなのでしょう。今回の記事では「同級生」だけではなく「同級生の保護者」もまた、いじめの加害者として報道されています。子供が自然発生的に「福島」を忌避すべきものと考えたのではなく、親から偏見をすり込まれた結果として「なんで福島から来るんだ」「福島のやつの意見は聞かない」などと言い放つようになったと推測されます。では、親はどこから偏見を身につけたのでしょうか?

 事実とは異なる報道を得意とするメディアもまた珍しくはありません。朝日新聞ですとか東京新聞などは典型的で、頑なに科学に背を向けて自身の思い込みを紙面へ載せ続けてきたわけです。こうしたメディアに信頼を置いて鵜呑みにしてしまう人々にとって、福島とは今もなお避けるべき危険な存在であり自分たちを脅かす害毒なのだと言えます(脱原発な人々から見た「福島」はレイシストから見た在日韓国・朝鮮人のようなものなのでしょう)。メディアが読者に誤った認識を持たせ、結果として読者に差別心を植え付ける、そして読者が特定層の人々(今回であれば福島出身者)を排除しようとする――こうした一連の流れの中では、報道側も大いに反省が求められるのではないかと思いますね。

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ヘイトの町・小田原

2017-01-22 23:41:19 | 社会

生活保護「なめんな」、上着にプリント 小田原市職員ら(朝日新聞)

 神奈川県小田原市の生活保護を担当する職員らが「保護なめんな」などの文字をプリントしたジャンパーを着用して職務にあたり、生活保護家庭への訪問時に着用することもあった。2007年以来使っていたという。

 ジャンパーは胸のエンブレムに「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」や、×印がついた「悪」の字がある。背中には「私たちは正義。不正を見つけたら追及する。私たちをだまして不正によって利益を得ようとするなら、彼らはくずだ」と不正受給を批判する内容の英文が記載されている。

 

 とあるジャンパーの着用が10年ばかり、小田原市役所で容認されていた件が結構な話題となっています。全くの別件ですが文科省OBによる天下りもメディアを賑わせていたりするわけで、「ついこの間まで黙認されてきたものが、なぜ今になって世間の批判を浴びるようになったのか」という点については、いずれも興味深いところです。まぁ、この手の「知っている人は知っているが注目はされていない」、しかし本当は異常な事態を広く市民に伝えるという意味合いでは、マスコミにもまだまだ役目はあるのかも知れません。

 問題のエンブレムはイングランドの名門サッカークラブ・リヴァプールFCで使われているものを剽窃しており、元々は"YOU'LL NEVER WALK ALONE"と書かれていたところを「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」などと書き換えているわけです。その他にも「私たちは正義」云々と独善性をアピールしていることも伝えられていますが、これこそまさに「自分が『悪』だと気づいていない、もっともドス黒い『悪』だ」ってところでしょう。報道では「不正受給を批判する内容」とのことですけれど、やっていることは単に生活保護受給者を容疑者として扱っているだけです。

 

「なめんな」ジャンパー、切りつけ事件きっかけ(読売新聞)

 同市は17日、緊急の記者会見を開いて謝罪する一方で、「不正受給は許さないという思いがあった」などと釈明し、作った職員を処分しない方針を明らかにした。

 「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」。市役所で行われた会見で、市福祉健康部の日比谷正人部長らはこうした説明を繰り返し、職員の連帯意識を高めることが目的だったと強調した。

 ジャンパーは2007年、生活保護の受給を巡って職員が切りつけられた事件をきっかけに、有志の職員が作ったという。1着4400円で、その後に配属された職員も含め約10年間で計64人が購入。複数の職員が受給世帯の訪問時にも着用していたという。

 日比谷部長ら上司7人が厳重注意を受けた一方、ジャンパーを購入した職員については「不正受給をなくしたいという強い思いがあった」などとして処分しないという。加藤憲一市長は「市民の命や暮らしを守るべき市職員として配慮を欠いた不適切な表現」とするコメントを出した。

 

 そして報道を受けた後の市の対応がこちら。「作った職員を処分しない」と明言しており、小田原市側は全く反省していないことが分かります。市による言い訳の一つが「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」とのことですが、隠すことの出来ない現実として差別ジャンパーは受給世帯の訪問時に着用されていたわけです。決して、市役所内部で別の部署の職員に見せるためだけに使われていたものではありません。小田原市による「説明」は純然たる虚偽であり、自らの悪を自覚していない証左でしかないと言えます。

 あるいは市の幹部も生活保護受給者への偏見を共有しているが故に「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」ように見えてしまうのかも知れません。往々にして加害者サイドが自身の振る舞いをセクハラやパワハラであると自覚できないように、偏見と差別心に満ちた小田原市職員にとっては、何が誤った行為であるのか理解できないのでしょう。なにしろ差別も差別主義者にとっては「区別」です。そして小田原では生活保護受給者を不正受給者の容疑者と見なして威嚇するのが「正義」になるわけです。

 発端は「生活保護の受給を巡って職員が切りつけられた事件」と伝えられています。別の報道によれば生活保護費の「支給を打ち切られた人」が職員を切りつけたそうです。保護費を打ち切られたことに怒って市職員を切りつけるような人が普通に就職できるのかどうかも考えて欲しいところですが、今回発覚したジャンパーやその後の無反省な対応を見るに、受給者側を追い詰め、憤らせるような対応を市が以前から取っていたであろうことは想像するに難くありません。切りつけた側にも情状酌量の余地はありそうです。

 そもそも生活保護を「打ち切られた」人とのトラブルが「本当の」原因なら、どうして「不正受給は許さないという思い」に繋がるのでしょうか。2007年に起こったと伝えられているのは、不正受給によって市(職員)が損害を受けたという類いではありません。あくまで生活保護を打ち切られた特定の個人との諍いです。実際に小田原市職員が敵視してきたのは、生活保護受給者そのものではないでしょうか。そして生活保護の打ち切りもまた小田原市側が一方的に「不正扱いして」行われたのではないかと邪推してしまいますね。その結果として刃傷沙汰に至った、それに対して「俺は悪くねぇっ!」と逆ギレしたのが市側であった、と。

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国境税論議が垣間見せる消費税の実態

2017-01-15 21:53:47 | 雇用・経済

米議会、「国境税」を検討=輸出を優遇、輸入に負担-トランプ氏も同調(時事通信)

 【ワシントン時事】米議会共和党は、輸入への課税を強化し、輸出は税を減免する「国境税」の導入を検討している。法人税制改革の柱となり、トランプ次期大統領が掲げる、企業の生産拠点の「米国回帰」を促す仕組みだ。ただ、保護主義的な面があり、世界貿易機関(WTO)協定に抵触する恐れがある。

(中略)

 トランプ氏はこれに同調するように「国境税」という言葉を使って、企業の米国外投資計画を批判。5日にはトヨタ自動車をツイッターで「巨額の国境税を課す」と脅した。

 米国の連邦税制には、日本や欧州のような付加価値税(消費税)がない。日欧の企業は完成品の輸出時に原材料の仕入れで払った税を返金されるが、米企業は輸出時の税還付がない上、日欧などの輸出先で課税され、「貿易競争で不利」と不満を募らせていた。このため、国境税により企業の米国内投資、雇用創出が促されるとの期待がある。

 

 さてトランプ氏が大統領選に勝利して以来、日本の株価は上昇局面に入ることも多く、これが報道では専ら「トランプ次期政権の経済政策に期待」云々と伝えられています。確かに、日本の財界人や経済誌が好むタイプではありそうです。しかるに名指しで日本企業が非難されていたりもします。トランプは日本人に精神的な喜びをもたらす指導者ではあっても、決して経済的な利益をもたらす類いではない、それが実態ではないでしょうか。まぁ、日本人は利益より理想を追うものです。保護主義や企業優遇を「あるべき姿」と暗に主張することが多い日本の経済言論とトランプの主張は、相性が良いのかも知れません。

 それはさておきアメリカの企業間では「日本や欧州のような付加価値税(消費税)がない」ことへの不満が募っていたそうです。例によって日本の財界人は消費税増税が必要だと執拗に強弁してきたものですが、やはり消費税とは企業にとっての益税となりがちなのでしょう。だからこそ企業から望まれるわけです。そして日本では消費税増税は専ら社会保障のためですとか財政健全化のためですとか、増税とは無関係な「お為ごかし」で己の欲望を隠して主張されるのが普通です。一方アメリカ企業はストレートで偽りがないと言いますか、消費税がないと「貿易競争で不利」なのだと語る、要求は同じでも日本の財界には「いやらしさ」がありますね。

 少し補足しますと国内の消費税が8%の場合、「A社がB社から1000円で材料を仕入れ、A社が完成品を海外へ輸出」した場合、仕入れには約74円の消費税が課されます。この74円は原材料を販売した「B社が」納税しなければなりません。ところが「完成品の輸出時に原材料の仕入れで払った税を返金される」仕組みがあるため、この場合は消費税分74円が「A社へ」返金されることになります。消費税は「B社が」納税し、「A社へ」返金される、そういう構図になっているのです。

 実際のところ消費税を「負担している」のが販売者なのか購入者なのか、そこははっきりしません。ただ手続きとして「納税する」側と、「返金される」側は明確に定められているのが現行制度でして、これを歓迎(あるいは切望)している人と、そうでない人がいるわけです。もし「原材料を仕入れる輸出企業」が消費税相当分を仕入れ時点で完全に負担しているのであれば、消費税の有無による損得や有利不利は発生しません。支払ったものが、帰ってくるだけですから。しかし消費税を負担しているのが仕入れる側ではない、納税する販売者側であったならば?

 もし全額ではなく何割かでも消費税を販売側に負担させているのなら、輸出企業にとって消費税とは至高の益税となります。消費税が上がれば上がるほど、「原材料の仕入れで払った税」との建前で自社に金が振り込まれるのですから。もちろん「原材料の仕入れ」時点で「仕入れる側」が100%の消費税を負担しているならば、所詮はプラスマイナス0でしょう。しかし日本の財界人は挙って消費税増税が必要だと主張してきました。そしてアメリカの企業もまた、連邦税制に消費税がないことへの不満を募らせていることが伝えられています。日米ともに「企業が消費税増税を望んでいる」と言う現実は、何を意味しているのでしょうかね。

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泳ぎ続けないと死んでしまう魚もいます

2017-01-08 22:29:31 | 雇用・経済

(我々はどこから来て、どこへ向かうのか:3)「経済成長」永遠なのか(朝日新聞)

 アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。

 

 とかく経済系の言論は現実を力強く無視した信仰心溢れる代物が多いわけですが、それが朝日新聞の社説ともなれば内容の酷さは推して知るべきでしょうか。確かに「日本の」経済誌などからは総じて不評の金融緩和やマイナス金利ですけれど、この辺は余所の国では既に実績のある代物であって、むしろ日本政府の決定は「遅すぎる」と非難されこそすれ、危うい政策などと呼ばれるのは不当ではないかという気がします。何か現政権に問うべきものがあるとすれば、総理が口で言うほど「経済最優先」かどうか(別の政治的思惑を優先させていないか等々)辺りですよね。

 全体を通して時代錯誤や事実誤認を感じさせる作文ですけれど(これで編集委員が務まるのですから、偉い人は気楽なものです)、例えば「政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた」との行はどうでしょう。まず事実としてバブルはおろか高度成長の時代以前から、社会保障制度も人生設計も成長を前提にして設計されてきたわけです。典型的なのは年金財政で、これは経済成長がなければ財源が破綻するように設計されている、決して高度成長やバブルへの「慣れ」に基づいて設計されていたのではなく、「それ以前から」経済が成長するという「常識」に沿って設計されています。

 世界的に見れば20年ばかり経済成長を止めてしまった日本が異常なのであって、日本以外の「普通の」国は上下動を繰り返しながらも経済成長を続けてきました。しかるに主要国では日本だけが成長を止めてしまった、これは日本のバブル後の政策の誤りを端的に示すものでしかありません。そして朝日新聞の社説では「もう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国」と強弁していますが、現政権が異常な経済停滞を打破しようと財政出動に踏み切る前から、日本は借金大国でしたし、むしろ現政権ですら財政出動に躊躇して歩みを止めている部分もあるのが実態です。

 なぜ財政出動に消極的であった現政権よりも「前の」時代から日本「政府」の借金額が膨らんだかと言えば、それはまさに「経済が成長しなかった」からです。第一に日本「だけ」GDPが伸びなかったために、対GDP比での赤字額が他国よりも大きく見えてしまうこと、そして社会保障費は経済が成長しなくても増大していくためでもあります。経済成長を「目指さなかった」過去の政権下でも日本政府の借金は増大を続けていた、この現実に向き合うことが出来ているかどうかは、その論者が信用できるかどうかを計る尺度と言えるでしょう。

 

 経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 

 この辺もまた目も当てられないと言いますか、まぁ経済学とは学問である以前に宗教ですから仕方ないのかも知れませんけれど、やはり現実に向き合う姿勢が微塵も見えません。まるで経済成長が国内格差を広げるかのようにミスリーディングが行われていますが、20年ばかり経済成長を止めた来た我が国の格差はどうでしょう。バブル崩壊まで全体としては格差の小さい国であったはずの日本は、急速に格差を拡大させてきたわけです。「経済成長に背を向けても、政府の不作為が続けば格差は拡大する」という事実を日本は国民の犠牲の上に証明してきたと言えます。反対に一人当りのGDPで世界の頂点に位置する北欧諸国が世界で最も貧富の格差の激しい社会であるのなら、まだ説得力はありますが、これも……

 だいたい成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言うのなら(実際にはこの200年の間にも大きな浮き沈みはあった、日本のバブル後のような「沈みっぱなし」こそ本当の例外なのですが)、国民主権や民主主義などは200年に届かない例外的な社会体制です。朝日新聞や「経済史の泰斗」よろしく近代を例外と見なして古代に退行するのか、それとも進歩するのか、どちらを好むかは個人の自由かも知れませんが、お偉いさんの退行指向に付き合わされる人がどのような被害を被るかは、理解されてしかるべきでしょう。少なくとも私は「例外的な時期」に入って初めて保証された人間の諸権利を重んじたいですね。

 「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と、小泉純一郎は語りました。小泉構造改革の旗の下、日本は成長を止め格差は大きくなりましたけれど、それは誰を喜ばせたのでしょうか。成長を続ける社会では、歩みを止めた者は後ろから走って来た人に追い越されていくものなのかも知れません。逆に日本のように止まった社会では、先にいる人が追い越されることはないわけです。デフレ下では、既に蓄財を果たした人の貯蓄が相対的に目減りすることはないのです。朝日新聞なり財界の高見から床屋政談を披露する「功成り遂げた人」にとって低成長社会ほど居心地の良いものはないのでしょう。

 しかるに成長を止めた社会では世界に取り残されてしまう、今や日本は「一人当り」のGDPで中堅国へと転落しつつあります。友達は皆が普通に手に入れられるものを、自分は(家が貧しいから)買えない、そういう領域へと日本は突入しようとしているわけです。(飢えるような)絶対的貧困にはまだ距離があっても、周りから取り残される相対的貧困は十分に近いところへと迫っています。

 そもそも経済が成長しない、すなわち将来的な収入増加が見込めない社会においては「未来への投資」が途絶えがちです。「いつかは豊かになる」ことが展望される社会であれば、当面は貧しくともローンを組んで車や家を買う人が珍しくありませんでした。しかし将来的な賃金の伸びが期待できない社会では、若いうちから守りに入ることを余儀なくされます。こうなってしまうと国内で消費が伸びない、国内企業はモノが売れなくなってしまう、経済が循環しなくなってしまうわけです。経済成長を止めた社会が持続するのは、自転車を漕がずに立っているのと同じくらい難しいと言えます。

 労働力の再生産が滞っているのも結局は、この辺に起因しているのではないでしょうか。将来的な収入増が見込めないから将来への投資が出来ない、そのような状況に置かれた若年層が子供を作って未来への種を蒔いてくれるかどうか、大いに疑わしいものです。将来的な成長が見込めない、現状維持がやっとの社会で行われるのは、成熟ではなく緩やかな腐敗=死です。既に確固たる地位を築いた人たちにとって緩やかに腐敗していく低成長世界は安住の地(あるいは終の棲家!)なのかも知れませんが、そこに次世代への希望はありません。

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左手も使えれば便利になる

2017-01-01 22:27:32 | 編集雑記

 なんだかもう3年前の話になってしまうのが恐ろしいところですが、PCのキーボードの配置/配列について書いたことがありました。黎明期のタイプライターの時代から既にアルファベット部分の配列が確立していた一方、PC普及に伴ってキーボードは「右へ右へ」と拡張されていった(カーソルキー他やテンキーは何の疑問もなく「右へ」付け足されていった)上に、マウスも当然のようにキーボードの「右へ」置かれるのが普通になったわけですが、これは合理性に欠ける設計であろう、と。

参考、キーボードの理想的な配列を考える

 上のリンク先のページにて図解しましたが、要するにキーボードのアルファベット部を体の正面に置けばマウスが遠すぎて操作に支障がある、逆にマウスを手の届きやすい範囲に置くためにはキーボードを左にずらす必要がある、そうなるとホームポジションが体の正面に来なくなってしまう、片方を優先すればもう一方には不便が生じる、現行のキーボードの配列とマウスの組み合わせは理に適っていない、と書きまして、まぁ私のブログにしては割と反響がありました。

 さて私なりに合理的(かつ汎用性が高い)と思われるキーボードの改良型の配列もあるのですが、そんなものは市販されていませんので、現状の不便なキーボードを使い続けるか、それとも何か奇策を考えるかしなければなりません。オフィスでは腱鞘炎製造器のような粗悪なキーボードが跋扈し、「今時の若者」はスマホ専門になってPC離れも進む現状、PCメーカー等々の問題意識も乏しく、まさに「自分でなんとかするしかない」わけです。

 

 ……そして私がたどり着いたのが「デュアルマウス」です。現行で一般的な「右へ右へ」でムダに空いてしまいがちな左側に「も」マウスを置きます。右にもマウスを残すことで一般的な使い方との互換性を残しつつ、左にもマウスを置くことで「左手」を有効活用します。従来のキーボードとマウスの配置では「両手を」使うのはアルファベット部分を入力する場合ばかりで、カーソルキーやDeleteキー、マウス操作は何もかも右手で行うため、左手は手持ち無沙汰になりがちです。しかし、左手側にもマウスを置けば色々と解決するのではないでしょうか。

 実際にやってみますと、右手だけではなく左手でもブラウザのスクロールが使えるようになるため、非常に楽です。左手でマウスカーソルを動かしながら右手でDeleteキーを押したり、左手でマウスカーソルを動かしながら右手側に持ってきたテンキーで数値を入力するなど、EXCELなんかの操作でも何かと便利です。私の他にやってる人を見たことはないのですが(だからこそわざわざブログに書いたりするわけで)、マウスを左右両方につなげるのは結構良いアイディアなんじゃないかと思います。そもそも伝統的なキーボードだってShiftキーやCtrlキー、Altキーは左右どちらの手でも打てるようにデザインされているのですから、マウスも同様に左右どちらの手でも使えるようにしておくのは案外、自然なことではないかと。

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道徳的欲求vs合理主義

2016-12-25 22:30:37 | 社会

給食無償化、自治体が渋るのは 「未納」は解消するが…(朝日新聞)

 全国でじわりと広がる給食の無償化。家計の負担軽減だけでなく、各地の自治体が頭を悩ませる未納問題の解消にも一役買っている。一方、無償化には多額の税金がかかることなどから、多くの自治体は二の足を踏んでいるのが実情だ。

(中略)

 文部科学省の試算では、給食費の1年間の未納額は約22億円(14年度)。累積未納額が1億円を超す大阪市は11月から、再三の催促に応じない悪質なケースについて回収の一部を弁護士に委託した。埼玉県北本市のある中学校では「未納が3カ月続いた場合には給食の提供を停止することも検討する」と保護者に伝えて議論になった。市教委の担当者は「本当に困っていることを伝えたかっただけで、提供をやめた事例はない」と話す。

 

 さて給食費の無償化が広がっているとは寡聞にして知りませんでしたが、事実であるなら歓迎されるべきことと言えます。その一方で「無償化には多額の税金がかかる」などとも書かれているのですが、本当でしょうか? それはまぁ無償化に要する費用を単体で提示すれば多額にも見えるのかも知れません。しかし、自治体の予算や小中学校の運営費全体と比較した場合、それを多額と呼べるのかどうか私は疑問です。

 

 長浜市は9月から、27の小学校すべてで給食を無償にした。対象児童は6078人で、無償自治体では最も多い。1人あたり年4万4千円の給食費を公費でまかなう計算だ。新規事業のために市が積み立てた基金と一般財源をあてた。

 

 例えば具体的な数値が挙げられているこちらの例ですが、滋賀県のホームページによると平成26年度の長浜市の歳出総額は¥56,951,144,000となっています。そして給食費の無償化には¥44,000×6,078が必要になるようですから、単純計算で¥267,432,000となります。年度による誤差は出ますが、市の歳出の約0.4%~0.5%に相当するわけですね。これを朝日新聞報道のように「多額」と受け止めるか、それともリーズナブルで意義ある支出と考えるかは、まぁ読者の判断にお任せしますけれど。

 一方、未納額が多いとされる大阪市は、よく知られているように給食費回収の一部を弁護士に委託しているわけです。たかだか給食費のために弁護士を雇っていては大赤字になってしまうはずですが、弁護士に払う費用は「多額」とは認識されないものなのかも知れません。大阪のように規模の大きな自治体ともなれば、財政にも余裕があるのでしょう。そうなると金銭面の損得よりも、未納者を罰する道徳的欲求の方が優先されてしまうのだ、と言えます。

 まぁ実際に働いている人であれば、まずは自分の勤務先の売掛金の滞納率ぐらい調べてみなさい、と思うわけです。それが給食費の未納率より高いのか低いのか比べてから結論を出すべきでしょう。せめて比較対象の一つも用意した上で判断しなければ、必ずや本質を見誤るものです。給食費の無償化にかかる費用を単純に「多額」と呼び、給食費の未納を「多い」と考えるのは、いったい何に基づいているのか。基準がなければ、何とでも言えてしまいます。

 国民年金保険料の納付率は2015年度で63.4%だそうです。納付率が99%を上回る給食費に比べると驚愕の数値ですが、未納者への道徳的な非難はそれほど目立ちませんね。給食費の未納者は正真正銘のマイノリティだからこそ叩きやすいのかも知れません。あるいはNHKの受信料などはどうでしょう? これも給食費と同様、本人の意思にかかわらず支払いを求められる、そんなサービスはいらないと拒否することが許されない、実質的に選択肢がないという点では酷似した性質を持っています。しかしNHK料金の未納者がバッシングを受けたなんて話は聞いたことがありません。何故我々の社会は給食費の未納者を憎むのか、それは興味深いテーマでもあります。

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