非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本の会社に選ばれた人が残業文化を支えてきたわけで

2016-12-04 22:30:49 | 雇用・経済

 「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と、過労死認定された電通の元社員は上司から言われたと伝えられています。これもまたパワハラの一つとして語られていますが、ことによると指摘としては案外、正しかったりもするのかなと思わないでもありません(そもそも電通の仕事が社会にとって云々)。

 まぁ、「平均を大きく超えて肥満していますね」とか「頭髪が随分と寂しいですね」とか、例え事実であっても口に出せば失礼に当たる類いもあるわけです。「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」もそう、事実であろうとも本人に直接、突きつけることはパワハラに当たるものなのでしょう。純然たる事実であろうとも、人を傷つける言葉はありますから。

 電通に関しては私の憶測に過ぎませんけれど、自分の職場の同僚や上司に対して「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」と言いたくなるところはあります。この頃は当たり前のように残業する同僚や上司を尻目に定時で帰ることも多いのですが、明らかに私より抱えている業務量の少ない人もいて、肩をすくめるしかありません。上司も落下傘候補ならぬ落下傘人事で、全くの畑違いの部署から異動してきた人が多くて実務が全く分かっていない、部下の仕事量を把握できていないというのもありますが、どうしたものでしょう。

 あるべき論、理想論とは裏腹に現実問題として、日本の職場では残業こそ最大公約数的な「やる気」の尺度であり、評価を得るためにこそ残業は避けられないわけです。逆に仕事が終わったからと定時で帰れば評価が下がる、正社員なら昇給の機会からは遠ざかり、非正規社員であれば契約更新が危うくなりかねません。私の実体験でも、どこの職場でも入社してまもなくは仕事が上手く回らず時間内に片付かなくて、それで「よく頑張っているね」と褒められる一方、逆に仕事が出来るようになって時間内に何でも処理できるようになると「もう少し積極的に仕事に取り組んでくれないと!」と怒られたりしたものです。

 もう一つ私の体験を挙げますと「家庭の事情でもあるの?」と、これまた行く先々の職場で聞かれます。定時で帰ろうとすると、ですね。定時で帰って良いのは幼い子供を持つ母親ですとか、そういった「家庭の事情」を持った人のすることであり、責任ある社会人とは残業するものだと、どこの職場でも信じられているわけです。まぁ、私も暇なとき(要するに退社後にやることがないとき)は、なるべく会社に残るなどの努力はするように心がけてはいますが。

 特に今の職場ですと、「そんなことはどうでも良いだろうが!」「まだそんなことをやってるのか!」と、同僚だけではなく上司にも言いたくなる場面が多いです。「確かにあんな仕事ぶりでは、どれだけ残業したって終わらないだろうなぁ」と感じるところばかりでして、上司や同僚が固執している代物が会社の営業にとって必要かと言えば、もう完全な自己満足でしかなかったりする、こちらとしては距離を置くぐらいしか、もうできることはありません。

 先日も書きましたが、低い(時間当りの)生産性から逆算すれば、利潤を生む上で本当に必要な仕事は必ずしも多くない、無駄なことばかりやっているから忙しいように見えるだけの職場も少なくないように思います。しかるに、日本では「仕事はつくるもの」なのです。そして必要もなく創られた仕事を疑問視する、ムダと見なしてカットしようとすれば、「やる気がない」「主体的な意識が欠けている」みたいな評価を受けてしまうわけです。

 日本の職場から無駄を削減できる、生産性を上げられる、効率化を進めて残業を減らせる、そういうノウハウを持った人材は既に存在しているのではないでしょうか。問題は、そうした「本来は」有能な人材が企業の評価から排除されがちで、逆にムダを創って生産性を引き下げる、残業時間を自ら牽引していくような有害な人材を企業が肯定的に評価して、地位と権力を与えているところにありそうです。すなわち、構造的な問題である、と。日本の会社が人を評価する基準を180°変えれば、世の中は幾分か良くなる気がしますね。

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目次

2016-12-04 00:00:00 | 目次


なんだかもう、このカテゴリ分けが全く無意味になりつつあります……

社会       最終更新  2016/11/20

雇用・経済    最終更新  2016/12/ 4

政治       最終更新  2016/11/13

文芸欄      最終更新  2016/ 9/ 4

編集雑記・小ネタ 最終更新  2016/ 5/ 2

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仕事を創る人ほど有害な人はいない

2016-11-27 23:56:47 | 雇用・経済

 日本の学校教員の労働時間の長さはよく知られているところで、たとえば2014年のOECD調査では日本が世界最長でした。しかるに、"Total working hours"が長いにもかかわらず"Hours spent on teaching"に関しては平均を大きく下回っていたわけです。要するに、日本の学校教員は労働時間が長いけれど、勉強を教えている時間は短い、と言えます。なんでも課外活動の時間が群を抜いて高く、事務作業にも平均の倍近い時間を費やしているとか。

 過労死なんて珍しくもありませんけれど、それが若い女性ともなれば世間の関心は俄に高まるというもので、電通社員の一件を契機に長時間労働を問題視する声も出てきました。では、そもそもどうしてこれほどの長時間労働が必要なのかと、不毛な意見が色々と上がっています。そこで私が思うに、民間企業における長時間労働もまた、上段で言及しました学校教員の労働時間の長さと構造は似ているのではないかな、と。

 つまり教師であれば本分であるはずの「勉強を教える」ための時間が日本は短いわけです。ただただ「それ以外」の時間が長いから、全体の労働時間も長いのです。同様に民間企業もまた、本分であるはずの操業のために費やされている労働時間は、実は短かったりするのではないでしょうか。にもかかわらず、ビジネスのために必要なこと「以外」に膨大な時間を費やしているから日本の労働時間は長い、ついでに(時間当りの)生産性も低いのではないか、そう私は考えます。

 業務量に比して人員が少なすぎる、という現実も確かにあるとは思います。ただ職を転々としてきて感じたのは、どの会社も部署次第で残業時間のバラツキが大きいことで、その辺も業務量の問題は否定できないにせよ「文化」の問題も大きいな、と。有り体に言えば、上長が率先してサービス残業しているような部署では全員が恒常的に長時間残業しているわけです。仕事が終わったからと定時で帰れば「それは間違っているよ」と怒られる、そういう文化が養われている組織もまた珍しくありません。

 名高い電通の「鬼十則」でも最悪なのは「仕事は自ら創るべき~」云々の行で、往々にして長時間労働の部署では「仕事を創る」人が仕事を終わらせる上での障害となっています。余計な仕事を創る人がいなければ時間内に片付くものを、必要のない仕事を創ることで長時間労働不可避の部署にしてしまうわけです。ところが、こうして仕事を創る人を電通以外の会社でも総じて高く評価してきたのが日本社会であり、日本の会社でもあるのではないでしょうか。

 元祖ブラック企業のワタミでも然り、長時間勤務の問題もさることながら、会長の著書を買って感想文を提出したり、ボランティア活動への参加を強制される等々、店舗運営のために必要な仕事「以外」の要求が多かったことも意識されるべきです。本当に店で必要な仕事「だけ」をやっていれば済むのなら、多少なりともマシになった部分はありそうなもの、しかし、操業のために必要ではない代物が重い負担としてのしかかってくるのが日本の労働現場なのです。

 日本の会社は、徹底した反合理主義で構成されています。追求されるのは利益ではなく理想であり、経営者が従業員に与えたがる報酬は金ではなく夢だったりするわけです。ビジネスライクに必要なことだけやっておけば良い、無駄なことはやらない、そういう姿勢では許されない(そもそも採用時点で排除される)のが日本の文化ではないでしょうか。低い労働生産性から逆算すれば、本当は仕事が多いわけではない職場も少なくないように思います。ただ、仕事を創って忙しいフリをして、それを会社が評価する、そういう文化が積み重ねられているだけです。

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2016年に流行った言葉

2016-11-20 22:57:05 | 社会

 さて今年も、民間企業によって流行語大賞(候補)がノミネートされているわけですが、世間の注目度はどうでしょうね。往々にして「流行ってるのか?」と疑問を抱かせる選考結果になることも多いですし、11月の段階で候補が決まってしまうのですから本当の年末に流行した言葉はどうなるのか、あるいは年初に流行った言葉は忘れられていそう、そんな印象もあります。まぁ、主催者側の「流行らせたい言葉大賞」ではあるのかも知れません。

 私だったらとりあえず今年(まだ40日ばかり残っていますが)の流行語大賞には「日本出身」を挙げたいですね。これが盛んに使われたのは今年の1月が主でしたから、昨日今日では耳にする、目にする機会は少なくなったかも知れません。とはいえ、日本社会の一面を端的に表している言葉として「日本出身」は意識されるべきものと思います。日本中のメディアが「日本出身!日本出身!」と連呼していた姿は、決して無視してはならないでしょう。

 発端は、大相撲の初場所で琴奨菊が「日本出身力士として」10年ぶりに優勝したことです。「日本人力士」であれば2012年に旭天鵬が優勝しているのですが、専ら「4年ぶりの日本人力士の優勝」ではなく「10年ぶりの日本出身力士の優勝」として報道されたことは果たして何を意味しているのか、それこそまさしく日本社会の縮図として考えられるべきものと言えます。日本国籍を取得した「日本人」であっても、メディアが賞賛する「日本出身」とは異なる存在として扱われる、それが我が国の現実です。

 国民栄誉賞の初の受賞者は王貞治ですが、よく知られているように王貞治は日本国籍ではありません。国民栄誉賞とは名誉白人や名誉教授みたいな位置づけなのかと思いきや、その先は日本国籍を持った人の受賞が続いているのですから、まぁ適当なものです。他にも日本に戻ってきた中国残留孤児が日本社会で中国人として扱われることもあれば、国際手配中の日系ペルー人が日本の政党に推されて選挙に出馬するなんてこともありました。日本社会に受け入れられる条件は、果たしてどこにあるのでしょうか。

 民進党の現代表なんかも、国籍問題で世間を騒がせました。とかく我が国では政策的な誤り「以外」の要素が政治生命を左右するものですが、いかがなものでしょう。とりあえず日本の法制度は二重国籍を頑なに認めていませんが、それは日本国が勝手にやっているだけの話なので、「もう片方」の国籍を管理している国が日本の制度に付き合う必要はないようにも思います。余所の国からすれば日本国籍を持っているからと言って、もう片方の国籍を抹消しなければならない謂われはないですから。

 そもそもノーベル賞なんかでも、「日本人受賞者」として報道される中には何人かアメリカ国籍の人が混ざっています。二重国籍を認めない日本の制度を適用するならば、アメリカ国籍を取得した時点で日本国籍は失効となっていなければいけません。しかしながら、二重国籍を認めない日本の制度を無批判に受け入れている人々がアメリカ国籍のノーベル賞受賞者を「日本人受賞者」と呼んでいるのは、実に矛盾した態度であり、その矛盾に無自覚な様は滑稽でもあります。

 日本国籍を取得してもなお「日本出身」かどうかで扱いが異なる、それが日本の現実です。日本に永住している在日外国人が日本国籍を取得しても、その先の扱いがどうなるかは今年の「日本出身」フィーバーが証明していると言えます。我々の社会は「日本国籍」を選択した人であっても、決して真に同朋と認めることはないわけです。そしてこれは一部のレイシストの振る舞いではなく、大手新聞や公共放送においてすら、一貫していることなのです。

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サンダースおじさんとドナルドの戦いなら結果は違ったかも

2016-11-13 22:27:23 | 政治

 さて大統領候補であったヒラリー・クリントンには私用メール問題などがありまして、折しも隣国のパク・クネ大統領を見ていますとクリントンにもパク・クネ大統領と類似の非公式な協力者との不公正な利害関係があったりするのかと感じたものです。そして、大統領の座を争う相手がトランプでなければ結構な致命傷だったのではないかとも思ったわけですが――大方の予想を覆してトランプが勝利しました。あのトランプに負けるとは、クリントンの人望のなさも大したものなのかも知れません。

 英語圏でマクドナルドは「マクダーナルズ」とか「メッダーノウズ」みたいに発音するそうですが、確かに英語圏の報道では「ダーナル・トランプ」「ダーノウ・トランプ」と言っているように聞こえますね。まぁ、まさかトランプが当選はないだろうと多くの人が考えていたわけですけれど、我が国を振り返ってみれば石原慎太郎が長年に渡って首都の知事として君臨していたり、一時期は次期首相候補として取りざたされていたのですから、そんなに不思議なことではないとも言えます。ただ単にアメリカが、日本に追いついただけです。

 過激な発言で云々とも伝えられるトランプ氏ですが、時に共和党の路線とは食い違う主張をして党の支持層から「隠れリベラル」などと呼ばれることもあるようです。このブログでもトランプの「リベラルな」発言を取り上げたことがありますし、「オバマ・ケア」の扱いについても譲歩する姿勢を見せたかのような報道も出ています。実際にトランプがリベラルかと言えば、単に一貫性がないだけ、節操がないだけで、結果として「たまたま」リベラルな方向に向いてしまっただけ、次の日になれば別の方向を向いていることも当たり前、ぐらいに認識しておくのが間違いないでしょう。

 ただ、一貫性に乏しく「どっちに転ぶか分からない」要素がある分だけ、「一貫して駄目な方向を向いている」政治家よりはマシなのかと私は思っています。民進党よりも自民党の経済政策の方がマシなのと似たようなものですね。共和党内の指名を争ったクルーズ辺りと比較すれば、トランプの方がまだしも救いようはあるでしょう。逆に言えば、共和党サイドからすればクルーズの方が好ましかった、共和党の有力者達は少なからずトランプとは距離を置いてきたところもあるわけです(ブッシュ元大統領は棄権したそうで)。共和党の候補は民主党の候補に勝ちましたが、共和党が本当に推したかった候補はトランプに負けました。

 逆に民主党からすれば、党の候補は共和党の候補に負けたけれど、党内の指名争いでは「勝った」のかも知れません。民主党が本当に「勝たせたくなかった」のはトランプである以上に進歩派のサンダースであって、オバマも指名争いの最中からクリントンに肩入れしていた、そしてサンダースの選挙活動を党が妨害していたとの証言も少なからずあったりします(これがクリントンの「アンチ」を増やしたとも)。民主党が真に恐れたのはサンダースであって、そのサンダースに「民主党は勝利した」わけです。共和党は党内の異端児に負けて民主党に勝ち、民主党は党内の異端児に勝って共和党に負けた、そんな大統領選挙であったと私は見ます。

 しかしまぁ、勝者のトランプもその競合相手も、総じて保護主義に傾倒しているのが時流を感じさせるところでしょうか。保護主義で守れるものなど現代社会には何もない、ある種の人々に精神的な満足感を与えるのが唯一の出来ることだと言わざるを得ませんが、それでも信奉者は多いようです。グローバリズムという「概念」を敵視するのはシャドーボクシングでしかない、もっと実態を持った相手――法律の穴を付いて課税を逃れる企業(日本人の大好きなアップルとかグーグルとか!)に正対しなければ実効性のあることは何も出来ません。

 しかし法律の隙間を縫って、言うなれば「脱法」行為を公然と行って課税から逃れる企業と戦うのは、巨大国家アメリカといえど単独では不可能です。国際的な脱法節税企業に立ち向かうためには、当然ながら国際的な連帯が不可欠であり、国際的な枠組み作りへの主体的な参加なくして何かを成し遂げることは出来ません。ただ対岸から「我独り清めり」と他国で行われている脱法節税などの問題行為を嘆いて見せても、それは床屋政談やチラシの裏のブログ書きと変わらない、本物の政治家のやるべき仕事ではないのですから。

・・・・・

 なおトランプ大統領就任で日米同盟への影響をあれこれ騒ぎ立てている人も多いですが、結局は鳩山民主党政権時代と同程度の影響しかないのではないかと予測します。つまり、軍事同盟万歳な人々を苛立たせるのが最大の影響ぐらいではないか、と。

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コンピュータには無理な仕事

2016-11-06 22:30:20 | 雇用・経済

 さて、「機械に(仕事を)奪われる」云々とは随分と昔から言われてきたものです。まぁ「今時の若者は」の類いは古代エジプトの時代から存在したらしいですから、これに比べれば歴史は10分の1くらいではあります。もっとも、我々が生まれるよりもずっと以前から繰り返されてきた、カビの生えた文句であることは言うまでもないでしょう。そして現代は誰もが知っているとおり、人類が労働から解放された時代ではない、むしろ(本当か嘘かはさておき)労働力不足が絶えず叫ばれているわけです。

 率直に言って「機械に(仕事を)奪われる」あるいは「コンピュータに取って代わられる」の類いは鼻で笑っておけば良い印象ではあります。ただ良い機会ですので、どういう仕事なら「代わられうる」のか、どういう仕事なら「代わられない」のか、少し考えてみましょう。たとえば近年、世界最強の呼び声が高い棋士にコンピュータが囲碁の勝負で勝ったりですとか、医師が見つけられないでいた治療法をAIが先行して発見したり等々、近年は人口知能の発達が著しくもあります。では、人工知能は何になら代わることが可能なのでしょう?

 最先端のコンピュータであれば、囲碁や将棋は人間に勝る、部分的にではあれ医師よりも優れているのかも知れません。しかし、二本足で歩くことに関しては、何千万円以上するロボットですらその辺のガキや老人に及びません。コップを持ったり、階段を上ったり、ご飯をよそったり等々、この辺は人間の方に分があります。機械は計算すること――すなわち(模擬的に)考えることは得意ですが、己の身体を動かすことは、率直に言って「まだまだ」のようです。

 そもそもコンピュータの演算能力は今後の向上が見込まれる、高度な計算能力を持った人工知能のコストが下がっていくことも期待できる一方で、物理的な機構に関してはどうでしょうか? かつては数億円では済まなかったスーパーコンピュータと同等の演算能力ですら、10年後、20年後には携帯端末で誰もが所有するものになったいたりするものです。しかし物理的に駆動する機械の値段は、そんな劇的な変化はありません。多少は安くなっても、1000分の1になったりはしません。

 ここから推測されるのは、「知的労働」は機械(人工知能)に代わられる可能性があり、その反面「肉体労働」は機械による代替が難しい、と言うことですね。

 次は前段で出てきたコストの問題を、もう少し考えてみましょう。例えばこのブログでも以前に、「コストの問題で」介護現場に機械の導入が進んでいないという事例を紹介しました。私の職場も然り、システム化は可能だけれども、ベンダーに費用を払ってシステムを構築するより非正規社員に作業させた方が低コストなため、(まぁEXCELとACCESSは使いますが)人間の手作業で処理している仕事は多いです。製造業でも「機械でも出来るが、人の方が安い」ために、期間工なり派遣社員なりにやらせている仕事は多いことでしょう。

 結局のところ日本のように規制の緩い社会では、生産性が上がらず売り上げを伸ばせない事業者でも、「人を安く長く働かせる」ことで利益を確保できたりするわけです。人件費の高い国では、とにもかくにも生産性を高めるしか企業が生き延びる道はありません。ならば機械化、合理化は不可避です。しかし日本では「非正規で安く雇う」「サービス残業で長く働かせる」ことがソリューションになってしまいます。人を安く長く働かせれば会社の利益は出るのですから、無理に機械化する必要はありません。なにしろ機械は、高いですから!

 その辺から推測するに、「賃金の高い仕事」ならば機械に置き換えることに「事業者側のメリットがある」一方で、「低賃金長時間労働」に関しては、機械への置き換えに「事業者側のメリットがない」と言えます。

 もう一つ付け加えますと「機械は出来ることが決まっている」辺りは意識されるべきでしょう。たった一つの文法の間違いですら、プログラムは止まってしまいますし、1000円札しか使えない自販機に5000円札を入れても反応しません。機械は冷酷に人間へ「NO!」と言ってくれます。機械相手に凄んだどころで、どうにもなりません。翻って人間の仕事はどうでしょうか。依頼元(顧客、上長、取引先等々)に「ダメです」「出来ません」とキッパリ断れる仕事(立場)もあれば、無理難題にも付き合わねばならない仕事(立場)も多いように思います。

 上司の曖昧きわまりなく必要な情報の欠けた指示にも、「気を利かせて」相手の意図したとおりに仕事を進めるのがコミュニケーション能力の高い日本の社員というものです。「○○に関しては指示を受けていません」「そんなことは言われていません」みたいな対応は、日本の職場では許されません。これを人工知能が代替するのは、随分とハードルが高いことでしょう。指示を出す側に不備があっても、それを補って対応しなければならない、それどころか指示を待てば非難される、これが日本のビジネスマンなのです。

 とどのつまり依頼元(顧客、上長、取引先等々)に「ダメです」と言える、指示に不備があるなら対応しないで済ませられる、そうした「強い立場」であれば、人工知能による代替は可能ですが、そうも言っていられない「弱い立場」の人間を人工知能で置き換えるのは至って難しそうです。

 以上のことをを鑑みるに、「頭よりも体を動かす必要が多く」「賃金は安く」「立場の弱い」仕事をしている人であれば「機械に取って代わられる」可能性はきわめて低いと考えられます。むしろコンピュータに仕事を奪われる心配ではなく、自分の雇用主から不法な扱いを受けることを心配しなければいけないわけではありますが!

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ヤクザよりも悪質だったのは

2016-10-30 22:00:25 | 雇用・経済

上司からエアガン・つば…佐川急便22歳自殺、労災認定(朝日新聞)

 佐川急便で上司からエアガンで足元を撃たれたり、つばを吐きかけられたりするパワハラを受けて自殺した男性(当時22)の遺族が、労働災害と認定されなかったことを不服として国を訴えた訴訟で、仙台地裁(大嶋洋志裁判長)は27日、労災と認め、遺族補償金などの支給を認める判決を言い渡した。不支給とした仙台労働基準監督署の処分を取り消した。

(中略)

 男性は直属の上司から日常的に仕事のミスで注意を受けていた。自殺する直前にはエアガンで撃たれたり、つばを吐きかけられたりする暴行や嫌がらせを受け、SNSに「上司に唾(つば)かけられたり、エアガンで打たれたりするんですが、コレってパワハラ?」と投稿。自分のスマートフォンにも「色々頑張ってみたけどやっぱりダメでした。薬を飲んでも、励ましてもらっても、病気の事を訴えても理解してもらえませんでした」と書き残していた。

 

「配達員が屈強でかなわない…」恐喝未遂容疑で組員逮捕(朝日新聞)

 荒川署によると、大場容疑者は6月12日、インターネットで高級腕時計(販売価格約86万円)を注文。翌日、佐川急便の男性配達員(38)が荒川区町屋3丁目の組事務所に品物を届けに来た際、大場容疑者が古玉容疑者にモデルガンを突きつける「ヤクザ同士の内輪もめ」の場面を見せつけ、代金を払わずに商品を脅し取ろうとした疑いがある。

 ところが、この配達員は、同行していた同僚男性(44)とともにモデルガンと商品を取り上げ、110番通報。容疑者2人は慌てて事務所から逃走した。大場容疑者は「配達員が屈強でかなわないと思った」。古玉容疑者は「大場(容疑者)がやったことだ」と容疑を否認しているという。

 

 さて、どちらも佐川急便の話で、奇しくも発表されたのは同じ10月27日だったりもするのですが、いかがなものでしょう。端的に言えば、モデルガンを振り回す暴力団員ごときよりも、エアガンを実際に撃ってくる佐川急便の上司の方がずっと手強いようです。そもそもヤクザは脅すまでが商売であって本当に危害を加えたら警察沙汰で、それに比べると会社の上司の方が歯止めは利かない、部下に対して日常的に暴力を振るっている管理職なんて珍しくないわけです。一見すると治安が良いように見える日本ですが、本当の無法地帯は会社組織の中にこそ存在するのかも知れません。

 もしかすると佐川急便で働いていれば、「本当に撃ってくる奴」と「単に脅しで終わる奴」の見分けが付くようになる、暴力団が相手でも対処できるようになるのでしょうか。それはさておき冒頭の自殺の場合ですが、一度は労働基準監督署から突っぱねられてしまったことが伝えられています。遺族が裁判に訴えることでようやく労災と認められたわけです。これもまた日本の現状を表していると言いますか、労働者を保護する判例があっても、それは法廷闘争に持ち込まれて初めて意味がある、裁判所の外は結局のところ無法地帯であると判断せざるを得ません。

 前にも書きましたけれど、殺人を禁止する法律があっても人が殺されることはどこの国でもあるわけです。法制度の存在が安全を保障するものではありません。経済系の言論では、日本の社員は保護が手厚すぎるみたいな荒唐無稽が連呼されることも多いですが、それがいかに実態からかけ離れた代物であるかは考えるまでもないでしょう。企業が従業員に対して無法を行っていないか絶えず監視し、違反者を逮捕してくれるような労働警察などいないのです。被害が発生して手遅れになって、それが法廷に持ち込まれて初めて労働者側に勝ち目が出てくる、これが現実なのです。

 とかく「お客様は神様です」みたいなネタを真に受けて傲慢に振る舞う「客」も問題視されますが、本当に「神様」にでもなったつもりで暴虐を繰り返しているのは、むしろ客よりも会社の上司だったりはしないでしょうか。建前はさておき実態として、「何よりも上司を大切にする」社風の企業は、結構あるものです。日本の体育会系的な上下意識がそのまま持ち込まれている、それを組織として是認している職場は少なくありません。その結果として実務よりも「偉い人のご機嫌取り」が優先になって、それが現場の仕事を増やしているケースも頻繁に目にします。客の信頼を損なう行為には五月蠅い我々の社会ですが、本当に厳しい目が向けられるべきは従業員の扱い方の方、そう変わっていく必要があるように思います。

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企業優遇のツケは誰が払うのか

2016-10-23 21:57:03 | 雇用・経済

外国人技能実習生、異例の過労死認定 残業122時間半(朝日新聞)

 建設現場や工場などで働く外国人技能実習生が増え続ける中、1人のフィリピン人男性の死が長時間労働による過労死と認定された。厚生労働省によると、統計を始めた2011年度以降、昨年度まで認定はなく異例のことだ。技能実習生の労働災害は年々増加。国会では待遇を改善するための法案が審議されている。

(中略)

 岐阜労働基準監督署によると、1カ月に78時間半~122時間半の時間外労働をしていたとされる。労基署は過労死の可能性が高いと判断。昨年、遺族に労災申請手続きの書類を送った。結婚の証明などを添えてレミーさんが申請し、今年8月に労災認定された。一時金として300万円、毎年約200万円の遺族年金が支給されるという。

 

 さて世間では電通社員の過労死の方が話題ではありますが、有名税の支払いから逃れられない大企業ですら死者が出る有様なのですから、世間の目の届かないところで好き放題を続ける中小零細企業に至っては言うまでもないのでしょうね。おそらく、ここで引用したのと同様のケース、過労死で終わるだけならば同様の悲劇は他にもあったことと推測されます。ただ今回は「異例の」過労死認定が行われたとのことで、人が犬を噛んだがごとくニュースになっているわけです。

 結局のところ、これは氷山の一角であって本当は闇に葬られていることの方がずっと多いであろうことは想像するに難くありません。ただ、珍しくも労基署が積極的に動いて海外の遺族にも十分かはさておき保障に動いたのは、ある程度までは評価すべきでしょうか。本当は死んでからではなく死ぬ前に仕事をすべきではありますけれど……

 経済系の言説では、労働力不足が云々との声も連呼されていますが、それは嘘だと言うことがよく分かります。労働力不足が真実であるのなら、希少な労働力は大切にされるはずですから。労働者が使い捨てにされるのは、それを失っても雇用側にとって全く惜しくないからです。まぁ日本の水産資源の扱いなどを鑑みるに、後先を考えずに資源を枯渇させるのはお家芸、労働力もまたウナギのような運命をたどるのかも知れませんが。

 それはさておき、ここで引用したようなケースは日本経済にとっても「高く付いた」ことは意識されるべきでしょう。採算性の低いゾンビ企業を延命させるために安価な外国人労働者を長時間労働させた結果として、毎年約200万円の遺族年金を支出することになったわけです。最低賃金かそれ以下の給与で長時間労働を強いることでしか存続できないような事業者が納める法人税の額と、当然のこととして支払わねばならない遺族年金の額、果たしてどっちが重いのでしょうね。

 つまりは寄生虫のごとき事業者を生き延びさせるために、日本社会もまた色々とツケを払っているわけでもあります。日本の経済政策は労働者を殺す方向から、労働者の犠牲に上に生き延びる事業者を退場させる方向に転換する必要があるのではないでしょうか。規制緩和で人を安く雇えるようにする、外国人を安く買ってこれるようにする、そんな構造改革からは180°別の方向に進まなければ行けません。

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既に雇用は流動化しているが生産性は下がっている

2016-10-16 22:43:03 | 雇用・経済

解雇規制を緩和 自民・小泉小委が改革案 雇用流動化狙う(日本経済新聞)

 自民党の小泉進次郎農林部会長がトップの「2020年以降の経済財政構想小委員会」が月内にまとめる社会保障制度改革案の骨格が分かった。若者でパートなどの非正規社員が増えているため、正規・非正規を問わず全ての労働者が社会保険に入れるようにする。企業への解雇規制を緩和し、成長産業への労働移動を後押しする。

(中略)

 企業に負担増を求めるが、一方で経済界に要望の強い解雇規制の緩和を認める。労働者の学び直し支援も拡充し、衰退産業から成長産業に移りやすくして労働生産性を高める。政府は激変緩和のための財政支援をする。

 

 電通社員の過労死が巷では話題ですが、近年は自殺者数が継続的に減少しているようで、まぁ現内閣は日本の20年来の悪夢の中ではマシな方なのかと思わないでもありません。とはいえ、この小泉進次郎みたいな周回遅れの規制緩和論者が今なお跋扈しているのですから油断は禁物です。日本経済を破壊した構造改革の悪夢の再来を許してはいけないでしょう。

 まず「正規・非正規を問わず全ての労働者が社会保険に入れるようにする」というのは当たり前のことなのですが、何よりも非正規社員の増加を抑えることが先決です。そのためには、規制が皆無に近く何でも非正規で賄えてしまう現状にメスを入れなければなりません。規制緩和で非正規雇用を使いやすくして来た結果として、日本で働く人々の貧困化があり、日本の国内市場の購買力低下にも繋がっているのですから。必要なのは、規制緩和の誤りを認めて時計の針を巻き戻すことです。前に進みたければ、間違った道を引き返さなければ行けません。

 そして、お決まりの解雇規制緩和云々です。この辺も非現実的と言いますか、経済誌には日本では正社員を解雇できないと書いてありますけれど、現実世界では正規社員の解雇なんて珍しくもなんともないわけです。まぁ南アフリカでもソマリアでもコロンビアでも殺人は禁止されているはずですが、普通に殺人が発生していることは言うまでもないでしょう。解雇も然り、本当に日本で解雇が禁止されているとしても、法律を守らない人はいくらでもいます。そして日本は、会社が労働法を守らないことに定評がある、取り締まるべき立場の人間が主体的に動かないことに定評のある社会です。

 そもそも「衰退産業から成長産業に移りやすくして労働生産性を高める」とは、具体的にどんなケースを想定しているのでしょう。衰退産業勤務で会社から「いらない」と言われる人が、成長産業から引く手あまたなのかどうか、その辺は考慮されねばならないはずです。確かに90年代後半からの日本において成長産業とは専らデフレ産業でした。本来なら事業としては失敗レベルの低い収益性を、従業員を安く長く働かせることで補う、それが日本の経済界における成功モデルだったわけです。

 衰退産業(製造業かな?)で人員整理を進め、そこからあぶれた人をデフレ産業に――そうした流れは既に実績があります。衰退産業から「ある意味で」成長産業への人の移動は今後の課題ではなく進行中の問題と言えますが、その結果はいかがなものでしょうか? 確かに「人を安く働かせたい」事業者の望みを叶えることには繋がっているのかも知れません。しかし、日本経済の労働生産性が上がったかと言えば、相も変わらず低いままです。まぁ一般的な「時間当りの」労働生産性は低くても「賃金辺りの」労働生産性なら、実は日本のそれは高かったりしますけれど。

 たとえばアメリカの場合ですと、法律も社会も差別に厳しく、かつ訴訟リスクの高さも相まって日本のように恣意的な解雇は難しい側面もあったりします。差別的な理由と第三者から判断されうる解雇は日本ほどには簡単ではないわけです。そこで解雇されるのが差別的な取り扱いをされにくい階層(若かったり、白人であったり)であるならば、まぁ人の移動は起こりえるのかも知れません。逆に日本では特定の年齢層を狙い撃ちにしたリストラですとか、欧米の弁護士から見れば「格好の訴訟のネタ」になりそうなケースが一般的です。

 元・勤務先から差別的な取り扱いを受けるような階層に属する人々であれば当然、次なる就職先を探す上でも差別的な取り扱いを受けやすい、すなわち採用されにくいことは言うまでもありません。要するに「再就職が難しい人」ほど解雇されやすいのが日本の現状で、このような社会において解雇規制緩和が「成長産業への労働移動」を促進するなどとは、マトモな人間であれば誰も考えられないことでしょう。先んじて必要なのはむしろ、企業に枷をかけていくことの方だと言えます。まぁ成長産業=デフレ産業という路線を継続するならば小泉進次郎の主張も成り立つのかも知れませんが。

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会社の偉い人々とは、我々が考えているよりもずっとナイーブなのかも知れない

2016-10-09 23:55:18 | 雇用・経済

「金目的の従業員はいらない」コンビニ店長の発言が物議 でもその言い分はまんざらウソとも言い切れない?(キャリコネニュース)

人不足のコンビニでバイトをする男性が、9月23日に投稿したツイートが話題になっている。求人への応募がないことから、

店長に対し「時給上げたらどうでしょうか?このままでは人員不足が懸念されます」と提案。すると店長は、こう切り捨てたという。

”「金目的の従業員とかいらないわ」

店長は時給引き上げを提案する男性に「金目的の従業員欲しいと思う?」と尋ね、「目的はどうあれ仕事さえすればそれでいいかと」と答えた男性を、上記のように諌めた。

 

 まぁ紹介されている事例はコンビニ店長のケースですが、割と日本全国どこの会社にも当てはまるのではないかと思います。「仕事さえすればそれでいい」なんてことはなく、飲み会には欠かさず出席したり残業してやる気をアピールするなど、日本で通用する人材になるためには実務以外のプラスアルファが求められるものですから。そして表題の「金目的の従業員はいらない」云々ですね。これも実に日本的と言えるでしょうか。

 引用は長くなりすぎるので略しますが、当然のことながら「バイトに時給以外のなにを求めているんだ」「金目的じゃない従業員なんているのか?」云々と店長の発言に反感を示すコメントが多く見られたそうです。働く側の感覚としては、そういうものが圧倒的多数派なのではないかと私も思います。しかし、「働かせる側」の感覚は違うわけです。働かせる側(及び、そういう目線でしか考えられない人)にとっては「金目的の従業員はいらない」と。

 現実の採用に「金目的の従業員はいらない」とのポリシーを適用してしまえば、大半の事業者は破綻してしまうことでしょう。「金目的ではない」求職者なんて、そう滅多に見つかるものではありません。ところが日本の採用で「金のためです」と真実を口にする人もまた滅多にいないのです。匿名のネット上で「金目的じゃない従業員なんているのか?」と語る人でも、リアルの採用面接では本心を隠して、何か別の志望動機を語るのが当たり前ですよね。

 思うに日本の企業(店舗)経営者達、会社の偉い人々とは、我々が考えているよりもずっと愚かでナイーブなのかも知れません。会社に見せる表向きの社交辞令とは裏腹の本心がある、それは働く側の人間に取ってこそ常識ですが、「働かせる側」の人間はナイーブに表向きの社交辞令を信じてしまっているのでしょう。だから、自社の従業員が口にした「金のためではない」動機を信じている、自分の配下には「金目的の従業員」などいないと、そう錯覚しているわけです。本当は金目的の従業員で成り立っている組織なのに、働かせる側の人間だけは、その真実に気づかないまま甘い夢を見続けている、それが日本的経営なのだと言えます。

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