ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

マカオでポルトガル料理とマカオ料理を楽しみたい

2017-05-31 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

マカオが好きだというと、だいたい次のような顔をされるでしょう。

「ギャンブル依存症だろう」

いや、そんなことはありませんよ。私はギャンブルはしません。

すると、なまじマカオに詳しい人間は、なら夜遊び目的だろうくらいに考えるので始末に負えません。たしかにマカオの夜遊びというのはかなりのものですが(ただ昨今健全な街への移行を目指しているとかで、昔と比べるとおとなしくなってきている模様)、私は最近マカオでは泊まっていません。もちろん昼間でも遊べなくはないですが、それも目的ではない。

私がこの街を好きなのは、街の雰囲気が好きなのだというのは確かですが、そればかりでもありません。ずばり食い物です。

マカオは1999年12月までポルトガルが支配していました。ポルトガルは16世紀からマカオで利権を持っていましたが、1887年、正式にマカオを領土としたわけです。その後中華民国から中華人民共和国への移行を経て、1974年にポルトガルで左翼系のクーデターがあり、植民地解放が進められました。アフリカのアンゴラやモザンビーク、そして東南アジアの東ティモールなどもポルトガルの手から離れたわけです。当然ポルトガルは中国に対して「マカオを返還する」と申し出ましたが、中国側は「ちょっと待ってほしい」と回答しました。当時香港を英国から返してもらうために、中国はいろいろ作戦を練っている時期でしたから、マカオが前例となることを嫌ったのだと思われます。けっきょくとりあえずマカオは、ポルトガルが行政権を持つ地区という扱いになりました。中国領だがポルトガルが実効支配をしている地域というわけです。

1999年にマカオは中国に正式に返還されましたが、香港とくらべてろくに発展しなかったせいもあり、マカオは世界的に見てもかなり特異な文化の交差点みたいな地域になりました。これが現在、観光地として非常に役立っているわけです。世の中何が幸いするか分かりません。

話がくだくだしくなりましたが、このような歴史がマカオの食文化にも大きな影響を与えたわけです。つまりポルトガル料理に中国料理の影響は当然として、ほかにもアフリカやインド(ゴアは、196年までポルトガル領でした)の香辛料その他が影響を与え、75年に東ティモールがポルトガルの手を離れてからは、インドネシア方面の影響も大きく受けたわけです。もちろんそれ以前からも東南アジア方面からいろいろな影響がありました。これが「マカオ料理」というものです。

上で書いた75年の植民地解放の際、植民地に在住していたポルトガル人の中には、本国に帰還せず、マカオに行くことを選択した人たちもいたとのことです。彼(女)らがマカオにたどり着くことにより、さらにマカオ料理はさまざまな食文化や食材が重層に積み重なったということでしょう。

マカオ料理というのは、いわばフュージョン料理といえるでしょう。日本のようにカツレツをカツ丼やとんかつ定食のような日本料理に昇華させる国もありますが、マカオはポルトガル料理の味をかなり強くしていった過程かもと考えます。味はかなり濃いので、あっさり目の味が好きな方はちょっと・・・かもですが、しかしレベルは中華圏なので基本的に高いわけです。そしてありがたいことに、マカオが大観光地になったことで、ポルトガルからもまた商売になると本格的なポルトガル料理の店が進出してきたということです。ポルトガルから中国に返還されてすでに18年目ですが、しかしやはりポルトガルの雰囲気や文化を楽しめるのがマカオのとりえなわけで、これで本格的なポルトガル料理を楽しめればこんなにいい話はないわけです。もっともマカオでは、ポルトガル料理の看板をしょっていても、実際にはかなりマカオ料理の影響を受けた料理、あるいはマカオ料理のメニューが出されるといいます。商売をしていれば、そういう風になるのでしょう。

では当方がマカオで食べたことのある料理で、写真が残っているものをいくつか読者の皆様にご紹介します。

写真が悪くてすみません。以上2006年の旅行より。

「ソルマー」で食べた2009年のアフリカン・チキンです。

2009年の違う旅行で食べたチキンカレーです。

タラのコロッケです。

前にも食べた「ソルマー」のミンチと目玉焼きとご飯です。2015年の旅より。

どれも味が濃厚そうですね。

下川裕治氏の本

週末香港 マカオでちょっとエキゾチック (朝日文庫)

(個人的には、この本は大変面白く読めました)によると、マカオが大変経済的によいので、香港の優秀な料理人がマカオに移るという傾向があるとのこと。個人的には、現段階マカオで中国料理を食べたいとは思いませんが、これからはそんなことも言っていられなくなるかもです。

実は仕事を完全リタイアしたら、ミャンマーに数年暮らして、それ以降は世界を3か月ごとに移り住むという計画を立てています。ラストがライプツィヒで、そこの生活を切り上げたら日本に帰国して、このブログも終了します。まだ先の話です。マカオにも、しばらく暮らしたいと考えます。

そういうわけで、今回のマカオ滞在は半日でしかありませんが、マカオ料理と(マカオ風?)ポルトガル料理を楽しんできます。写真をご紹介しますのでお楽しみに。

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香港国際空港から、どうやって市の中心部へ行くか

2017-05-30 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

いよいよ週末から香港なので、ちょっと今週はその関係の記事を中心に書いていきたいと思います。

前にこのような記事を書きました。

空港⇔都市間をどう移動するか

それで香港の空港ではどのように移動するかというのもいろいろ考えさせられます。

初心者が市の中心部に行くのなら、やはりエアポートエクスプレスがいいと思います。九龍の駅はやや街の真ん中から外れているのがどうかですが、主だったホテルへ行く無料バスも運行されていますし、徒歩でもネイザンロードへ行けます。真夏の際は熱中症にならないようご注意を。また、特に九龍のホテルを予約しているのなら、青衣で降りて地下鉄に乗り換えればいいわけです。これは個人的におすすめの方法です。

次はバスですかね。エアポートエクスプレスが運行しなくなった時間、あるいはそこから外れたところとなると、タクシーでなければバスです。いろいろなバスが運行されていますので、それを利用すればいいでしょう。価格は 「地球の歩き方」の’16~’17によると九龍まで行くA21のバスがHK$33、香港島へ行くA11のバスがHK$40とのこと。深夜ではもちろん割高な料金ですが、これが便利です。

私は、こちらの旅の際バスに乗りました。話をした人は深圳在住の日本人とのことでしたが、あの方いまでも深圳と香港を往復しているのかな。

私が使うのが、裏技のルートです。「地球の歩き方」にも載っている方法ですから別に裏技でもありませんが、空港からバスで東涌駅で降りて、そこから地下鉄で市の中心部へ行きます。当然時間はかかりますが、ローカルと一緒に地下鉄に乗っている時間というのは旅の大きな楽しみです。安くて楽しいですから、時間がかかってもいい、安さ優先という方にはぜひおすすめです。

ただこれも、それならなんで地下鉄が直接空港に乗り入れないんだよという疑問は生じます。たとえば上海の浦東国際空港などは、リニアモーターカーもありますが、地下鉄も運行されているわけです。日本の成田空港だって、JR東日本も京成電鉄も特急格の電車と普通電車を並行して走らせているじゃないですか。関西国際空港もご同様。つまりはエアポートエクスプレスに乗ってくれいという意味なのですが、それもどうかです。私が海外でダントツに多く利用する仁川国際空港は、空港鉄道がソウル駅までのノンストップと各駅停車があり、金浦空港までは地下鉄が乗り入れているので、行きも帰りもそこを拠点にできるという利点があります。これも悪くありません。

最後はタクシーですが、当方香港の空港からタクシーで移動したことはありません。よって書くこともありませんが、九龍・香港島への営業が可能なタクシーは赤い色ですので、そのあたりお間違えのないように。

ほかにもヒッチハイクとかレンタカーとか、あるいは船でいきなりマカオに行くとか友だちに迎えに来てもらうとか空港⇔ホテルの送迎付き団体旅行とかが考えられますが、全て未経験なので書くことはありません。ヒッチハイクやレンタカーはともかく、空港⇔ホテルの送迎は楽でしょうが、私のように団体行動が苦手(大嫌い)な人間は、それは不要です。

ところで、たとえば深圳に行きたいのならいきなりバスに乗っていくという方法もありますし、適当なところで深圳行きの鉄道に乗り換えるというのもいいわけです。マカオにいきなり行きたいのなら、上にも書いたように空港から直接マカオに行くフェリーもあります。この場合香港での入国審査は不要という利点があります。

ほかにもだいぶ話は変わりますが、たとえば第三国から香港に行くのなら、価格によってはLCCの深圳やマカオへの便を考えてもいいわけです。大体において、LCCは香港行きよりマカオ行きや深圳行きのほうが安いわけです。香港へ移動するコストを考えても割安なら、利用するのも悪くありません。もちろんこれらの街にも用事があるのなら、それはさらに利用価値があるということになるでしょう。

いずれにせよ海外での空港⇔その日の目的地の交通手段というのは、旅の基本かなと思います。いろいろ私も、これからもいろいろな方法で現地を旅したいと思います。

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アイルランド・英国紀行(2015年9月)(104)

2017-05-29 00:00:00 | 旅(英国・アイルランド)

クローク・パーク・スタジアムです。欧州でも有数の大きなスタジアムです。

観客が入っていますね。

これがホテルです。スタジアムと通りを挟んだ反対側、西側にあります。

郊外のホテルのせいか、価格の割には部屋が広くて快適です。

最後のダブリンの夜を楽しむことにします。やはり英国旗はありません。

ちょうど試合がおわったようで、サポーターが出てくるところでした。

電化されていない鉄道の立体交差に、ヴォーダフォンの広告があって、4Gをアイルランドの90%カバーしているなんて書いてあるのも、いかにも現代って気がしました。

バス停まで歩きます。

ガード(?)をくぐり抜けます。

やはり飛行機雲が見えます。

たぶん彼女らは、試合見学の人たち。

バスに乗り、ダブリン市内へ行きます。

2階席に乗ってみます。斜めになってしまったのは乞うご容赦。

中心部です。今日が、ダブリンで過ごす最後の夜です。

だんだんライトアップされてきます。

ガイドブックに載っている日本料理屋にはいってみます。

こんな感じの内装です。

鉄板焼きを食べました。まあアイルランドでこんなもの食べる必要はないね。

(つづく)

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アイルランド・英国紀行(2015年9月)(103)

2017-05-28 00:00:00 | 旅(英国・アイルランド)

だいぶ疲れたので、本日の宿に行くこととします。今夜の宿が、今回の長旅の最後の宿です。こちらの記事で触れたホテルです。その記事には、

>ダブリン最終日は、このスタジアム至近のホテルに滞在する予定です。

と書いておきました。日本でこの宿は予約しておきました。

市の中心分からやや離れた所に位置するホテルですので、バスで行くことにします。

バスの中から、ダブリンの街を見物します。

どこで降りればいいかなと確認していたら、隣のおばあさんが、私が教えてあげますよと言ってくれました。親切な方です。それで無事に降りられます。丁重にお礼を申し上げました。奥の白髪の女性です。

鉄道の立体交差がありました。

ホテルの方向は、クローク・パークのほうです。映画「マイケル・コリンズ」でも登場する血の日曜日の舞台にもなったスタジアムです。

アパートがえんえん並んでいます。

立派な木です。向こうのほうから(たぶんスタジアムから帰ってくる)サポーターらしき人たちが歩いていました。たぶん上機嫌だったのでしょう、頼んでもいないのに私のカメラにポーズを作ってくれました。

言うとあれですが、これが私が今までに撮影した写真の中のベストかなと思います。こちらの記事

>それでアイルランドで撮った写真で、わが写真ベスト(私がいちばん好きな写真)があります。それは記事でご紹介しますのでお楽しみに。

と書いたのが、この写真です。こういう写真が(たまには)撮れるから、やっぱり写真はやめられません。

しかし彼(女)らの誰かのメルアド聞いておいて送ってあげればよかったな。反省。

高架の線路があります。私は、スライゴーからこの線路でダブリンにやってきたわけです。

同じような色の家が並びます。たぶん色を統一しているのでしょう。

家の前も、住んでいる人(空き家もあるのかな?)の個性でいろいろ違います。

昔と比べて花に注目してしまう私。たぶん年を取ったということでしょう。

彼女らも、サポーターなんですかね?

だいたい想像はつくでしょうが、「GARDA」とはアイルランドの警察です。これは何回か書いています。

(つづく)

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「死刑になりたい」「死んでもいい」犯罪者からの被害者は、とても運が悪い(追記あり)

2017-05-27 00:00:00 | 社会時評

過日(5月23日)拙ブログのアクセスが非常によく、gooで39位でした。翌日はこれ以上のアクセスでしたが、これは同時に北原遥子(吉田由美子)さんの記事が注目されたためです。

それでなにかあったのかと思ったら、こちらの記事のアクセスが非常に高かったわけです。

名古屋闇サイト事件における被害者の母親の主張を批判する(1)

で、「闇サイト」事件でなんか動きがあったのかと思いました。犯人の死刑が執行されたわけがないし(3人の犯人のうち、1人は死刑執行済み、1人は無期懲役確定後、別件で逮捕・起訴、高裁で死刑判決、上告中、3人目は無期懲役確定)、また被害者の母親が非常識な講演でもしたのかとも思ったのですが、それで拙ブログのアクセスがここまで上がることもないでしょう。

そうしたらこちらの事件の影響のようですね。記事発表当日の追記:この事件についてのテレビ番組が放映されたようですね。コメントくださったアスペ主婦さんありがとうございます。

高3女子殺害で無期懲役=31歳男、「身勝手な犯行」-東京地裁

 東京都江戸川区のアパートで2015年、高校3年の岩瀬加奈さん=当時(17)=を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われた青木正裕被告(31)の裁判員裁判の判決が23日、東京地裁であり、島田一裁判長は求刑通り無期懲役を言い渡した。
 島田裁判長は「被告には首を絞められて苦しむ女性に性的興奮を覚える性癖があった」と指摘。「執拗(しつよう)で残忍、動機は身勝手極まりない」と批判した。
 青木被告は最終意見陳述で、「有期刑か遺族の求める死刑ならよいが、無期懲役だけはいやです」などと述べていた。
 判決によると、青木被告は15年11月、自宅アパートで岩瀬さんの首を絞めて殺害。性的暴行は未遂に終わり、現金約7500円などを奪った。(2017/05/23-18:57)

2017.5.16 21:16

「連続殺人で死刑になるつもりだった」「“すっきり”して自首」 東京・江戸川の女子高生強殺、青木正裕被告が供述

 平成27年11月、東京都江戸川区の自宅アパートに同区の高校3年、岩瀬加奈さん=当時(17)=を連れ込み、首を絞めて殺害し現金を奪ったなどとして、強盗殺人と強盗強姦未遂の罪に問われた無職、青木正裕被告(31)の裁判員裁判の初公判が16日、東京地裁(島田一裁判長)で開かれた。同日午後には弁護側の被告人質問が行われ、青木被告は「連続殺人をして、死刑になろうと思っていた」などと述べた。

(以下略)

被害者もそのご家族も非常に気の毒ですね。被害者の女子高校生の方のご冥福をお祈りします。

それで考えるに、この犯人、被告人の発言

>有期刑か遺族の求める死刑ならよいが、無期懲役だけはいやです

>連続殺人をして、死刑になろうと思っていた

というのは、もし本当にこの被告人がそう考えているとすると、非常に悪質ですが、またどうしようもないなという気がします。「自分は死刑になってもいい。犯罪をしたい」という人間に対して、刑罰による抑止効果はありません。死刑判決が下ったら、なんであろうと控訴なり上告をすべきだと私は思いますが、往々にして控訴(上告)もせずに確定する被告人も存在します。そのような人間は、最高裁まで争った死刑囚より早く死刑が執行されるようですが(法務省が優先して執行予定者としてリストアップするのでしょう)、いずれにせよ裁判すら受ける気が乏しいのですから、これはそういうことになってしまうでしょう。実際には、控訴しなかった人間の中にも、後悔して裁判をしてくれと訴える死刑囚も存在しますが(上の闇サイト事件で死刑になった人物もそうです)、なかなか裁判の再開も困難です。しかし初めから死刑になりたいという趣旨のことを訴えてそれで現実に死刑判決が出て、そのまま早急に死刑が執行される死刑囚もいます。宅間守(執行時は吉岡姓)などがそうです。あまりいい表現ではないですが、ちょっと別格の犯罪者という気がします。

政治団体や宗教団体などの公安事件などはまた性質が違う部分がありますが、「死刑になりたい」犯罪者は、家族、身内を殺す場合もありますが(こちらの事件の犯人は、身内を殺害しました。ただし後に裁判のやり直しを求めてかなわず刑場に消えました)、多くの場合無関係な人間を通り魔的に殺します。大阪教育大学附属池田小学校の事件、大阪市での姉妹殺害事件茨城での通り魔事件など。これらは、姉妹の事件は特定の人間を標的にした事件ですが、別に殺すような理由もないものです。池田小学校や茨城の事件などは、単にそこにいただけの人が被害にあったわけです。今回の事件も、たぶん被害者の方は上の姉妹のようなもので、単に犯人に何らかの形で目に付いたから被害者になっただけです。日本は治安のいい国ですから、ある人間が殺される場合その加害者の半分くらいは家族です。多くの場合、人を殺すためにはそれなりの強い人間関係を必要とする。通り魔的殺人事件は、単にそこにいただけ、殺人犯に何らかの形で関係があっただけで被害者になる。つまり運が悪いから被害者になっただけです。

それで運が悪いというのはこれはどうにもなりません。被害者に落ち度がないんだからどうしようもない。「死刑になりたい」のだったら、刑罰を受ける恐怖も抑止力にならないのだから、お話になりません。

もちろん最高裁まで争って、自分を死刑にしないでくれと訴えた通り魔的殺人死刑確定囚もいます。福岡の3女性連続強盗殺人事件などがそうです。こういう人間も度し難い馬鹿ですが、しかしいずれにせよ犯罪をしている間は、刑罰はこの人物の犯罪を抑制することができなかったわけです。被害者は、みな犯人と関係ない人間です。交通事故や電車の脱線、飛行機事故、登山中に御岳で噴火にあい死んだ人、テロの犠牲者、それと同様の不運が故の死です。何もどうしようもないとはいえ、せいぜい私たちとしては、自分やその周囲にそのような被害が起きないことを祈るしかありません。

なお英国のコンサート会場での自爆テロでは8歳の女の子まで亡くなっています。自爆テロ犯は、まさに命を賭してこの事件をしているのだから、これまた防げないですね。報じられているところによると、今回はコンサート会場そのものでなく、駅への通路で爆破させたとのこと。コンサートが終わる際に大勢の客が帰る間にやられてはどうにもなりません。防いだって、防がないところで同じことをすればいいだけです。日本だって、TDLとか渋谷の交差点とか大都市の歩行者天国とかスタジアムとか京都とか、その国の顔みたいなところがいっぱいあるじゃないですか。満員電車をねらったっていいし、通勤ラッシュ時の大都市のターミナル駅など、大量殺人を簡単に実行できるところなんてたくさんあります。立花隆の本に、彼がイスラエルの治安機関の類の人から、死ぬつもりのテロリストの犯罪は防げないという趣旨の話をされたという内容のことが書かれていました。「死んだっていい」と考えられたら、そしてそれを実行されればなんでもありですから、これまたどうしようもありません。オウム真理教の犯罪の実行犯は、浅原彰晃もふくめて「死んだっていい」とは考えなかったみたいですが、自爆テロの類をする連中は「死んだっていい」どころか死ぬつもりですからこんな人間どうしようもありません。極端な話、命知らずを数人雇って、ラッシュ時の山手線、小田急線、新幹線、離陸、着陸直前の飛行機などを同時にロケット弾とかで攻撃すれば、想像を絶する被害が出ます。現段階する人はいませんが、する人が出現したっておかしくはない。

テロリストは、不特定多数の人間を殺害しようと考えるわけだから、個々の人間への恨みなんかありはしないわけです。それでも事件を起こす。地下鉄にサリンをまいたり、高層ビルに飛行機で突っ込む人間もいるし、子どもに爆弾を持たせて子どもごと爆破する人間もいるわけです。なお地下鉄サリンについては、私も被害にあう可能性がありました。私があわなかったのは、単に運がよかったからに過ぎません。そしてあなたも私も、運が悪ければ何らかの事件に遭遇し、最悪死ぬわけです。防ぎようはありません。なお写真は、上の英国のテロで死亡した8歳の少女Saffie Rose Roussosの写真です。この事件の犠牲者の方々のご冥福も同時にお祈りいたします。写真は、こちらのサイトより。他の犠牲者の方がたの写真も掲載されています。

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PL学園は、PL教傘下の高校だから野球が強かったし、だから廃部に追い込まれた

2017-05-26 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット

昨年PL学園とその野球部に関する記事を2つ書きました。

世の中理不尽な災難にあうこともある

PL学園は、野球に特化しすぎたので、野球のあとがなかった

それでその後、PL学園野球部は夏の甲子園大阪府予選一回戦で敗退、休部となりました。現段階復活の目途が立っておらず、事実上廃部となりそうです。今年3月には、大阪府高等学校野球連盟に対して脱退届を提出しました。このときと予選敗退の際は、いくらか拙記事へのアクセスもありました。

それで上の本が、そのPL学園野球部の歴史から休部・廃部にいたる事情について詳しく書いてあるというので、さっそく入手して読んでみました。以下本に書いてある内容を紹介して、若干私のコメントを交えていきます。

PL学園という高校は、たぶん1980年代は、日本でもっとも知名度の高い高校(のひとつ)ではなかったかと思います。好き嫌いやいいわるいは別としてです。当時は今より野球に人気がありましたし、高校野球や甲子園への社会的関心も高かった。おまけにPLは桑田真澄清原和博立浪和義宮本慎也、時代はちがいますがのちには前田健太などの別格のすごい選手をプロ野球界に送り込みました。またプロ野球の監督、コーチングスタッフら指導者になった人も少なくないし、アマチュア球界でも野球を続けていて指導者になった人も多いわけです。PL学園卒業後、青学大に進学、後にJR東海で選手、コーチをした故・伊藤敬司氏もその一人でしょう。立浪と同級生の彼がALSを発病しなければ、当然JR東海の監督になったはずです。氏については、昨年記事(「世の中・・・」の記事)を書いています。ともかく大変野球界ほかへの影響力の強い野球部だったし、その野球部を抱える高校だったわけです。応援の際の人文字は、まさに甲子園名物でもあったし、高校野球名物、夏の風物詩というレベルで知られていました。

そのPL学園も、PL教団の力がその絶頂期であった83年2月に第二代目の教祖(という言い方を、PL教団はします)が亡くなって次第に時代が変わると共に、野球部への援助が減り、またそれまでは不問、見て見ぬふりをされてきた暴力ほかの不祥事が明らかになってくるようになりました。監督の交代もあり、ついにはPL学園校長などが素人監督を務めるようになり、特待生も2013年度までで取れなくなります。PL学園高校自体200人を遥かに下回る生徒しかいなくなってしまいました。PL教団も、信者実数数万人とまで言われる苦しい状況になり、とても野球部に力を入れられるような状況ではなくなります。

そしてPL学園は、2014年に15年以降の新入野球部員受入の中止を発表します。つまり16年の夏の大会が、PL学園硬式野球部(PLには軟式もあります)の最後というわけです。

まさに野球部としても、最悪にも程がある事態になってしまいましたが、個人的には、強豪でなくても、同好会に毛が生えたくらいのものでもいいから、部を存続させてあげればなあと思いますが、けっきょくPL学園が極端に強い野球部を作れたのも、今回部の存続すら許されず事実上廃部ということになったのも、表裏一体だったのだなと思います。

PL学園がなぜ強い野球部を作れたかというと、1人のキーパーソンがいたわけです。井元俊秀氏という人物で、彼は上で書いた2代目教祖と親しい間柄で、PL学園野球部の監督なども歴任しましたが、もっぱらスカウトとしての役割を果たしました。彼は教祖の側近として日本中を回り、同時に日本各地の優れた野球少年たちを発掘しました。井元氏の力によって多くの優秀な選手がPL学園の門をたたいたし、その選手たちが活躍してPL学園の強さを実績をもって示したし、そのことによってますます多くのすごい選手がPLに入ってきたわけです。

そして、他校もPL学園同様の野球部強化をするようになり、また教団からも以前ほどの援助や支援が得られなくなってきた2001年、2年生が暴力を1年生にふるい1年生は退部退学、損害賠償請求の裁判が起きて、監督解任、出場停止ということになり、井元氏も(一応定年退職だったとのことですが)教団を去ります。これらにより、PL学園野球部の選手集めは非常に支障をきたすようになっていきます。

その後も監督の暴力、部員の暴力、監督の解任その他が生じ、けっきょく最終的にPL学園野球部は休部、事実上の廃部に追い込まれたわけです。個人的には、確かに教団が今後もPL学園野球部にかつてのような潤沢な援助を続けるのはできない相談だと思いますが、監督に素人を起用するとか、新入部員受入を打ち切るといったことはまずいんじゃないかなと思います。PL学園野球部の監督は、

>次期監督も、まず教団にとって適した人であり、学園がふさわしいと判断する人でなければなりません。(中略)当然、野球部の監督にも信仰心は認められます。(正井一真PL学園校長・野球部監督(いずれも当時)の談話 上掲書p.158~159)

とのことですが、そのような人はいくらだっているでしょう(苦笑)。それでこれが一般の高校なら、強豪でなくてもいいから、一般の高校の野球部と同等で構わないという考えで継続することも可能でしょうが、理由はともかくPL学園の場合、教団のトップが野球部の存続に意義を見出さなければ、このような極端な事態にまでなってしまったということです。つまりトップダウンが極端な形になると、強化も井元氏のような有能な人材が仕事以上の熱意で動いてくれるし、中村順司監督のようなすごい指導者も現れたわけです。

そしてこれが、トップほかの最高幹部たちが野球部を重荷に感じる、あるいは厄介者、迷惑に感じるようになったら、それがまるっきり反転したわけです。強化費が回らなくなるくらいはまだ仕方ないとして、野球経験がない人間が(職務命令で)監督を務めるとか、練習を補助していた有能なコーチが追われたり、野球部を存続させることすらできない相談になってしまったわけです。

私見では、野球部の廃部は仕方ないとしても、なぜ廃部しなければならないかという現状を率直に教団側は部員、学園関係者、保護者、元野球部員その他にきっちりと説明する必要はあるんじゃないかと思います。私は部外者ですからいいですが、内部関係者はぜひ説明してほしいと考えているんじゃないんですかね。教団にもそれくらいの説明責任はあるでしょう。

で、現トップとPL学園同級生である接骨院経営者の方(PL学園そばに居住していて、野球部員のケアもしていたとのこと)は次のように語ります。

>教団の信者数が減少していることや、学園の経営が厳しくなっていることを口にすることは、現在の教祖の教えを否定することになる。宗教団体のトップとして、とてもそんなことは公表できません」(上掲書p.254)

それは確かにそうだろうと私も思います。思いますが、どうもなあですね。そしてこういうあたりが、けっきょく宗教団体であるが故の構造的唯我独尊体制の弊害なのでしょう。宗教団体でも、もう少し民主的(???)に運営されていたら、たぶんまた違った可能性はありうるのでしょう。カリスマ的トップダウンの体制が悪く働くとこうなるわけです。他の私立高校、公立高校も、野球部に限らず部員減少により部活がつぶれるというのはともかく、このような強権措置は取られないのではないかと(勝手に)考えます。

PL学園の生徒は、2016年の段階で180人くらいしかいないそうで、これでは学園の存続も厳しそうです。人文字の応援などとんでもない話です。教団の存続も厳しいという人もいます。

過日の記事で私は、

>スポーツというものもいろいろ新陳代謝を必要とします。選手や指導者の入れ替わりは当然として、ある時期の人気スポーツがその後もそうであるとは限らないし、スポーツのあり方や方針もいろいろ変わっていくしまた変わらないと困ります。

と書きました。野球の人気も昔ほどではありませんが、人気のあるチーム、強い野球部も、時代と共に変化していくし、またいかざるを得ないということなのでしょう。

ところでPL学園最後の野球部員たちは、3年生12人、うち1人は白血病を患って1年留年して今年は記録員ですから試合に出られません。おまけに大阪府予選1回戦(結果的に最後の試合となりました)の試合前日に2人の部員が練習中の怪我で1人骨折、1人亜脱臼という事態になりました。最後の試合を、怪我や熱中症などで1人が続行不能になったら放棄試合になるところでした。出場する選手の中にも怪我で満足にプレーできない選手がいるくらい苦しい状態でしたが、なんとか試合を続け、7-6で負けました。負けは仕方ありませんが、せめて監督くらいは野球経験者ができなかったのかという気はします。できなかったのではなくて、教団側(これは学園よりもっと上の判断です)があえてそうさせたわけですが、これは野球部員が気の毒です。

なお2014年にPL学園野球部に入学した生徒は13人、うち2人が1学期中に退部しました。その年の11月、つまり2学期中には新入部員が今後入らないということが発表されましたので、この時点でPL学園を見限って他校に転校する野球部員がいても仕方ないところですが、結果として1人も退部せずに最後の試合を迎えることができました。すでに行くところがないとか、いろいろな思惑や事情はあったでしょうが、なにはともあれ最後の野球部員として活動できたことは、いろいろな点でよかったと思います。生徒たちも「話が違う」「それはないだろう」と思ったことは多々あるでしょうし、彼らが退部したところでそれを「悪い」とか「ぜひ最後までPLでがんばってほしい」という権限は誰にもないでしょうが、悔しさやつらさもふくめてなんとか野球部生活を全うできたのは彼らにとってもいろいろな財産になるでしょう。

本はとても面白いので、ぜひお読みになってください。

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引退するタイミングというのもあるのだと思う

2017-05-25 00:00:00 | スポーツ

過日(5月13日)TBSテレビの「バース・デイ」という番組で、伊達公子の特集をしていました。

1970年生まれの伊達は、テニス選手の絶頂期であった25歳(誕生日の直前に引退しました)の1996年に引退、その後結婚しますが、2008年に現役復帰します。それだけでもすごいですが、15年に怪我をして半月板の手術をして、ようやく1年半のリハビリを経て、今年5月トーナメントに復帰します。

さすがにもう引退でいいんじゃない?

と、誰しも思うし、現実今後どれくらい彼女がプレーできるか、どれくらい実績を上げられるかは不明ですが、正直あまり期待できないでしょう。

彼女が選手に復帰したのは子どもができなかったこともあるでしょうし、詳細な理由は知りませんが、ドイツ人カーレーサーの夫とも離婚しました。たぶん彼女が現役を続けていることとこの離婚は無関係ではないでしょう。

40代でテニス選手をしているというのもすごいですが、さすがに怪我をして1年半ブランクが生じたら、ちょっと現役続行は難しいし、したらかなり無理が生じるのでしょうが、彼女は現役を続けることを決意しました。彼女はいろいろテレビの前で語っていましたが、けっきょくやめるタイミングを逃したのでしょう。

テニス選手というのは完全な文字通りの個人スポーツであり個人事業主ですから、野球とかサッカーみたいな所属している球団、クラブからの戦力外通告により現役引退を余儀なくされるということはありません。所属しているチームから追い出されたら、そうしたければ自分で活動すればいいわけです。つまり、続けたければかなりの時点まで現役を続けられる。それはいいことかもですが、引退するタイミングをつかむのが難しいという側面もあります。

彼女のような復帰組ではありませんが、イチロー三浦知良も本来なら引退したほうがいいのでしょう。が、彼らもやはりそのタイミングを逃した感があります。イチローはMLBでプレーすることを望むでしょうから今年いっぱいで引退かもしれませんが、三浦はJ2でプレーですから、調子のいいときや相手によりけりで出場できるし自分のペースでやれます。そうすれば現役は続けられます。イチローもそうでしょうが、三浦は他人が「そろそろ・・・」というのを言いにくいレベルの人間です。ご当人しだいのところがあります。それは仕方ないですが、伊達のように1年半のブランクができてしまって現役復帰というのは、三浦とくらべても相当無茶でしょう。怪我をしてやめるという選択肢が彼女にはなかったのでしょうが、これからはかなり厳しいでしょうね。

余談を申しますと、たぶんですが、イチローは昨年いっぱいで引退するのがひとつのタイミングだったのでしょうね。今シーズン彼の成績はきわめてよろしくありません。本人の自覚しだいですが、来年現役続行するとしてもあまり楽観的にはなれそうにありません。

伊達ががいつ引退するかは分かりませんが、引退するとき彼女は「やりきった」と思えて引退するのか、「長く現役を続けすぎちゃった・・・」と考えて引退するか、私としてはぜひ「やりきった」という引退をしてほしいのですが、どうなることか・・・。

しかしスポーツ選手の引退に限らずほかのことでも世の中タイミングって重要だなと思います。なんでもタイミングを逃しちゃうと、いろいろさしさわりがある。私の勝手な想像ですが、伊達公子って、最初の引退の際、少し早すぎたという後悔があるんでしょうね。ご当人がそういった発言をしているかどうかは知りませんが、自分の最初の引退が適正なタイミングだったとか遅すぎたと考えているのなら、たぶん現在こんなに長く現役は続けていないでしょう。

たぶん子どもができなかったことによる心の喪失感の代替行為という側面も非常に大きいのでしょうが、やはり何かを始めるタイミング、やめるタイミングその他いろいろ大事ですね。人間は、たぶん死ぬタイミングみたいなものも考えなければいけないと思います。不要な延命措置は拒否するとかいろいろありそうです。

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JASRACとヤマハがついに裁判となる(京都大学にも要求?)(同日の追記あり)

2017-05-24 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)

inti-solさんのブログに面白い記事が紹介されていました。

ヤマハ、JASRACを提訴へ 教室演奏の著作権めぐり
日本音楽著作権協会(JASRAC)が音楽教室から著作権料を徴収する方針を決めたことに対し、音楽教室大手・ヤマハ音楽振興会が7月にも、「教室での演奏には著作権は及ばない」として、JASRACへの支払い義務がないことの確認を求める訴訟を東京地裁に起こす方針を固めた。

JASRACは来年1月の徴収開始を目指し、教室を運営する各社に使用料を年間受講料収入の2.5%とする規定案を提示、使用料規定は7月にも文化庁に提出する予定。
これに対し、ヤマハや河合楽器製作所など教室側は2月、「音楽教育を守る会」を結成し、JASRACに対し「演奏権は及ばない」とする反論を各社が送付した。さらに使用料規定を出さないようJASRACに指導することを文化庁に要請し、要請に賛同する署名も約3万人分集めた。

ヤマハによると複数社が訴訟への参加を検討しているという。訴訟により、使用料率など金額の多寡が問題でなく著作権がそもそも及ばないと訴える狙いだ。

著作権法は、公衆に直接聞かせたり見せたりする目的で演奏する「演奏権」を、作曲家や作詞家が専有すると定める。同会側は「技芸の伝達が目的で聞かせることが目的でない」と主張。JASRACは「人気曲を使い、魅力を生徒が味わっている以上、聞かせることが目的」と反論している。

常識的に考えて、音楽教室での曲使用(講師が生徒のために模範の演奏をする)って、著作権法の趣旨をかんがみてもとてもこんなことに当てはまるような代物じゃないんじゃないのと思いますが、どうなんですかね。

もうひとつ、問題なのは、おそらくJASRACは、音楽教室に「包括契約」を要求するであろうことです。「包括契約」とは、

包括許諾=JASRACの全管理作品の利用を一括して許諾する方式

ということです。

でもたとえばピアノ教室なんかはバイエルなど多くは著作権切れの教材(曲)を使用しているはずです。そのような状況からJASRAC側が包括契約で著作権使用料が徴収すれば、たぶん実態にきわめてそぐわない形での徴収となる。しかも2.5%ってのは高額ですよね。ぼったくり、あこぎ、法外にもほどがあります。

で、これはどうもJASRAC側がかなり強引に徴収の見切り発車をしたようですね。inti-solさんがお書きになっているところによると

その後の報道等によると、JASRACが音楽教室から使用料を取ると言い出したのは今回突然ではなく、業界と10年近くにわたって交渉を続けてきたようです。ただし、あの、訴訟好きのJASRACが10年も訴訟を起こさなかったのは、やはり裁判で勝てる自信はなかったからでしょう。

こういうのって、ヤマハなり河合なりの大手業者の了解を得ないですすめるものかよと思いますが、つまり音楽産業(CDなど)の売り上げ低下がはなはだしいので、かなりなりふり構わぬ姿勢でおしすすめたということでしょう。それまたむちゃくちゃですよね。

それでJASRACは、社交ダンス場での音楽使用について著作権料の徴収を決め、これが裁判に争われてJASRAC側が勝訴したことがあります。現在ではフィットネスクラブ(エアロビクスの音楽使用)、カラオケ教室でも著作権料が認められています。

社交ダンス教室ではJASRAC勝訴 

2017/5/16 13:51

 著作権法は、楽曲を公衆に聞かせる目的で演奏する権利(演奏権)を著作権者が専有すると定めている。日本音楽著作権協会(JASRAC)はこの規定を根拠に、カラオケやコンサートでの歌唱について著作権料を徴収している。

 演奏権を巡る裁判では、JASRACと社交ダンス教室の経営者らが争った訴訟がある。一審・名古屋地裁に続き2004年に名古屋高裁は、ダンス教室のレッスンで音楽を再生する行為が「公衆の前での演奏」に当たると判断。ダンス教室側に著作権使用料の支払いを命じた。

 教室側は「特定の少数を対象とした音楽の利用で営利目的ではない」と主張。JASRACによると、高裁判決を不服として上告したが、同年に最高裁でJASRACの勝訴が確定している。

私見を述べれば、この判決(判例)も相当ひどいと思いますが、今回は社交ダンス教室よりはるかに法解釈が恣意的、拡大解釈、拡張解釈であろうと考えます。裁判でJASRAC側が勝つかも怪しいし(こちらの記事によると、JASRAC側がやや有利ではないかとのこと)、勝ったらこれは司法の危機じゃないですかね。本気でそう考えます。社交ダンス業界よりはヤマハや河合のほうがはるかに政治や社会に与える影響力も強いですし、音楽教室というものの持つ力もそれなりのものがありますから、たぶん社交ダンスよりはJASRAC側の勝訴は難しいでしょうが、はてどうなることか。著作権に詳しい弁護士なども、かなり疑問視する声が大きいし、ネットでもJASRACの強引なやり方への批判が大きいですね。といいますか、この件でJASRACのやり方を全面的に支持する著作権に強い弁護士というのは、JASRACの顧問弁護士以外いるんですかね? 

ほかにも、金を取られるのだからそれは好意的な声が大きいとも思いませんが、たとえばJASRACが包括契約を強硬に要求するなんてのは、まったくもっておかしい話ですよね。そんなこと金をもらう側が上から目線で要求するようなことじゃないでしょう(苦笑)。税金だってなんだって、まともなところならこんな態度であるわけがない。

で、これはJASRACそのものではありませんが、このような対応はどうでしょうか。inti-solさんの記事から引用します。

>音楽教室において講師が一曲フルで模範演奏する機会ってどれくらいあるのかという問いに対して、基本的にはそういうことはない、というのがリコーダー奏者本村氏の返事です。
それに対して、伊東乾氏は

レッスンと称して自分でまともに演奏しもせず、鉛筆や消しゴム投げてばっかで一回二万円なんてのもあるわけで、音楽教育の改善につなげるのがよいでしょう。「レッスンは演奏か?」ではなく「演奏もしないで口三味線の教えでレッスン料取るな!」が正解

これについてinti-solさんは

>いやー、それは違うんじゃね、と。
だって、そもそも音楽教室って、受講者が演奏技術(歌の教室なら歌唱技術)を学ぶためにあるのであって、講師の演奏を鑑賞する目的ではありません。

>講師が1曲通して模範演奏なんてやりません。というか、できません。フルート四重奏曲やケーナ、サンポーニャ、ギター、チャランゴ合奏曲の模範演奏を、どうやって一人の講師がやるのか、と(笑)。物理的に不可能です。
その上で、講師が実演するのは、間違いやすいところ、生徒がどうしてもできない部分だけ、せいぜい数小節程度です。それは、「引用」の範囲を超えるものではないでしょう。

とお書きになっています。私個人の意見を言いますと、音楽業界と無関係な人間の放言ならともかく(それだって非常識きわまりないものですが)、音楽業界で飯を食っている人間が書く文章じゃないですね、これは。ほとんど音楽を冒とくした発言じゃないですかね。最低最悪です。

いずれにせよ合理性のあるところから金を取っていくのは社会の常であり、そう考えると今回の措置は無理やりの徴収に大資本が反発したということでしょうね。ここはもちろん私としても、ヤマハ側を支持したいところです。

という記事で発表しようと思ったのですが、偶然か必然か、面白い報道がありました。いろいろなマスコミ、サイトが扱っていますが、こちら魚拓)を。

>入学式の式辞、歌詞利用にお金かかる? 京大「正当な引用」 JASRAC「問い合わせただけで請求していない」

ボブ・ディランの歌詞を取りあげて話題になった京大の総長式辞に、JASRACが著作権料を請求?

ボブ・ディランの歌詞を使った京都大学総長の式辞にJASRACが著作権料を請求した、と京都新聞が5月19日報じた。「式辞への引用」にまで著作権料がかかるのか。BuzzFeedが双方に取材した。

京都大によると、式辞は4月7日の入学式で、山極寿一さんが読み上げ、ホームページにアップされた。すると、JASRAC(日本音楽著作権協会)から著作権料について連絡があったという。

(中略)

今回の利用は、「引用」にあたるのか。岡本弁護士は、こう話す。


引用についての裁判所の判断枠組みは近年揺らぎつつありますが、これまで……

  • 『引用部分と自己の創作部分が明瞭に区別されていること(明瞭区別性)』
  • 『自己の創作部分が主であり、引用部分が従であること(主従関係)』

などが要件または考慮要素とされてきました。

今回のウェブサイトの表示には、そういった点への配慮があり、また、出典の記載もあります。

入学式の式辞であるという点も考慮すれば、引用として認めてよいケースに思えます。

ただし、何が『公正な慣行』や『正当な範囲内』にあたるかなどはケースバイケースの判断となりますので、仮に今回の件が裁判になったとすれば、こうした点が議論になる可能性はあるでしょう


著作権法の目的は、「文化の発展に寄与すること」だ。

BuzzFeed Newsも今回、この一件を報じる目的で、歌詞の一部を記載している。JASRACから著作権に関する問い合わせが来たら、続報としたい。

 私もこの件については、さすがにちょっと著作権料を請求するのは著作権法の趣旨に反するんじゃないのという気がしますが、でも請求する気が全くなかったら、たぶん問い合わせの電話も入れませんよね、きっと(苦笑)。なお、この件は、茨木のり子の詩の引用もあったので、それも問題になりうる可能性があります。

今回の記事は、inti-solさんの複数の記事を参考にしました。感謝を申し上げます。

記事発表日の追記:これまたタイミングがいいのか悪いのか、JASRACが上の京都大学の件について記者会見で見解を発表しました。定例会見のものです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170524-00006135-bengocom-soci

>JASRAC会見「京大HP歌詞は引用。請求しない」…16年度徴収額1118億円

弁護士ドットコム 5/24(水) 15:53配信

京都大学がHP上でボブ・ディランさんの「風に吹かれて」の一節をとりあげたことについて、「JASRAC」(日本音楽著作権協会)の浅石道夫理事長は5月24日、「JASRACは引用として判断している。(著作権使用料を)請求はしない」と明言した。発言は定例記者会見でのもの。

京都大学の山極寿一総長は、4月の入学式の式辞で「風に吹かれて」の一節を紹介。この式辞が大学HPに掲載されたことで、JASRAC側が問い合わせをしていた。

浅石理事長は、JASRACが使用料を請求したという一部報道を完全否定。歌詞の利用目的の確認は、新聞などに対しても行なっている「日常業務」で、困惑していることを強調した。

JASRAC広報によると、今回の件では、外部から京大HPでの歌詞利用について「問題ないのか」という連絡があったという。JASRACでは歌詞付き楽譜のダウンロード販売などについて使用料を徴収しており、公平性や公衆送信権(読者に対し、コピペ、拡散を推奨するものなのかどうか)の観点から、京都大学に掲載目的の確認を行なったそうだ。

●分配料は過去2番目の多さ、テレビは秒単位の分配が可能に

この日の記者会見では、2016年度の使用料の徴収・分配実績も発表された。徴収額は1118億2100万円(前年比100.1%)、分配額は過去2番目に多い1124億7600万円(前年比100.8%)だった。 分配の方が多いのは、分配期間の違いによるもの。

徴収では、コンサートでの演奏利用が好調。また、動画配信サイトなど「インタラクティブ配信」からの収益は114億4200万円(前年比116.2%)で、初めて100億円を超えた。

分配では、NHKや地方局を含む民放について、秒単位で利用を確認できるようになったことから、2016年12月分から秒単位の利用時間に応じた配分が可能になったという。

分配料の多かった楽曲に対して贈られるJASRAC賞の発表もあり、1位の金賞には、CMやカラオケ利用が多かった中島みゆきさんの『糸』が輝いた。銀賞は大野克夫さん作曲『名探偵コナンBGM』、銅賞はすぎやまこういちさん作曲『ドラゴンクエスト序曲』。流行曲のトップ3入りはならなかった。

弁護士ドットコムニュース編集部

というわけで、さすがに京都大学の件については使用料請求はしないということですね。当然です。上の記事は、常連コメンテイター凡太郎さんからご教示いただきました。いつもありがとうございます。

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ナショナルチームの指導者が「鬼監督」「鬼コーチ」であること

2017-05-23 00:00:00 | スポーツ

この間(5月14日)放送されたNHKの「サンデースポーツ」で、レスリングの伊調が、シンクロナイズドスイミングの日本代表ヘッドコーチ(HC)である井村雅代に話を聞いていました。

その番組で伊調は、井村のことを「井村先生」と呼んでいました(それに合わせてかもしれませんが、NHKアナウンサーの杉浦友紀も、最後に「井村先生ありがとうございました」と言っていました)。

彼女に指導を受ける選手たちが「先生」と呼ぶのはともかく、部外者である伊調らも「先生」と呼んでいるのには「へえ」と思いました。井村は、教員の経験はあるし、大阪府などの教育委員もしていましたが、現段階大学教授とかの教職をしているわけではない。つまり彼女は、そういった所属を超えて、スポーツ界では「先生」と呼ばれる立場なのでしょう。

さて井村といえば、選手への厳しい指導で知られます。この番組でも、だいたい話の内容は、厳しい指導の本意、ねらいなどの質問でした。テレビ取材などでももっぱら彼女が選手を怒鳴り散らす(叱咤激励する)ところが放映されます。もちろんそれは、そのような場面を選んでいるわけですが、彼女の指導が非常に厳しいのは事実でしょう。

それで思うのは、個々のチームはともかく、ナショナルチームでその指導者が非常に厳しい指導をするというのは、そのスポーツが発展途上中である、マイナースポーツである、それと共通しますが、競技人口の少ないスポーツであるということが前提であるということです。

1964年の東京オリンピックの際に日本女子バレーを金メダルに導いた大松博文は鬼指導で知られましたが、あのような指導ややり方を現在の監督である中田久美や前任者の眞鍋政義はしませんし、できません。高校とかそれ以上のレベルで個々の指導者では鬼監督がいても、代表監督ではそのようなことはありえない。

余談ですが、かつて女子バレー代表監督は「先生」と呼ばれていまして、東洋の魔女たちも「大松先生」と呼んでいましたが、いまはそう呼んでいないはずです。これも時代の変化とともに、代表監督の立場の変化によるものでしょう。そのあたり、井村が「先生」と呼ばれていることと共通点がありそうです。

ほかにも女子ソフトボールの宇津木妙子 も非常に厳しい指導で知られますが、その妙子から殴られた宇津木麗華に、妙子のような指導ややり方をしろと言ってもしないしできないわけです。宇津木麗華が甘いということではなく、オリンピックで金メダルを取ってしまった女子ソフトボールでは、妙子流の指導はもうする段階ではないということです。大松が厳しい指導をしたのも(当時の代表は日紡貝塚の単独チームのようなものだったという事情もありますが)、まさに代表を強くすることが日本バレー全体の強化と底上げにつながるという判断があったからです。

そう考えると、たぶんポスト井村のシンクロ指導者も、なかなか井村のような指導は難しいんじゃないかと思います。シンクロナイズドスイミングというのは、バレーボールはもちろん、ソフトボールとくらべてもはるかに競技人口が少ないのでマイナースポーツであることは今後も避けられませんから、あるいは上の2つのスポーツとくらべても厳しい指導が可能なのかもしれませんが(と、私は個人的には考えています)、たぶんポスト井村の指導者に、井村並みの厳しさを求めるのは難しいと思います。あれは実績とカリスマ性がないと選手もついてきてくれません。

野球の日本代表やサッカーの代表監督、ラグビーのHCなどを考えてみると、たとえば今年のWBCの監督だった小久保裕紀が大松のような指導をすることは考えられません。代表選手はいずれも完成している選手であり、また代表監督は選手を無事に所属チームに返すことが大きな仕事です。怪我をされてしまったら大変なことになってしまいます。野球の代表監督は、完成された選手に自分の考える戦略をやってもらうのが仕事です。それができない選手は、最初からお呼びでありません。

逆にサッカーやラグビーですと、ハンス・オフト監督やエディ・ジョーンズHCは、個々の代表選手に細かい指導を行いました。力の底上げを必要としていたわけです。それにより代表も強くなり、また日本のリーグも力が上がり、また下部組織、少年サッカー(ラグビー)もいろいろ力がついてきています。女子の強化も、このときの代表指導がいろいろ淵源となっている部分があるはずです。

サッカーの代表監督は、すでにそのような指導をする段階ではないでしょうが、ラグビーは南半球のラグビーリーグであるスーパーラグビーに日本人を中心とする「サンウルブズ」というチームが参戦している段階なわけです。ここに参加している選手が優先して代表になるとされています。サッカーもラグビーも、発展途上中ではあってもマイナースポーツではありませんから、大松流、宇津木妙子流、井村流の指導はされませんが、チームがそれなりに成熟してくればまた代表や代表指導者の役割や態度も変わってくると思います。

これは余談ですが、サントリーが自チームの指導者としてエディ・ジョーンズを招聘した際、私は「これは日本代表監督前提だな」と考えまして、そしてそうなりました。日本代表監督に就任してくれたジョーンズ氏ばかりでなく、呼んでくれたサントリーにも個人的には感謝の気持ちでいっぱいです。

なんでもそうでしょうが、スポーツというものもいろいろ新陳代謝を必要とします。選手や指導者の入れ替わりは当然として、ある時期の人気スポーツがその後もそうであるとは限らないし、スポーツのあり方や方針もいろいろ変わっていくしまた変わらないと困ります。井村は東京オリンピック後にHCを退任するのでしょうが、その後の指導者は良かれ悪しかれ井村とはまったく違う指導方法を余儀なくされるし、それは仕方ないと思います。井村は不世出の指導者でしょうから、他人が真似しようとしてできるものではない。ポスト井村をどう考えるかは、日本シンクロ界の都合の悪い課題だと思います。

なおこの記事は、こちらの記事に私が投稿したコメントから内容をふくらませたものです。ヒントになる記事を執筆されたこーじ宛様にお礼を申し上げます。

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あしかがフラワーパークでの写真(ほかに社会時評部分あり)

2017-05-22 00:00:00 | フォトログ

今年のゴールデンウィーク中私はほとんど映画ばかり見ていましたが、1回だけ遠出をして、「あしかがフラワーパーク」というところに行きました。その写真をお見せします。夜に行ったため、腕、機材ともよくないので未熟な写真が多いことは乞うご了承。

さて、以下余談になりますが、この日は5月3日で、私はよく知らなかったのですが、ここは日本各地(関東地方ばかりでなく、岩手などのナンバーの車もありました)から客が来る有名な観光地なようでした。それで、客に中国人が多いことが印象的でした。

私が行った時間は遅かったので、中国人観光客が都内あたりのホテルにバスで帰還するか近隣のホテルに宿泊するのかは定かでありません。しかしいずれにせよ、中国人観光客のおかげで大変この施設が利益を上げていることは明白です。

この施設は、近隣の駅は両毛線富田駅というローカル線であり、車でないと行きにくいところです。たぶんバスで行くのでしょうが、東京からそんなに近いところでもない(日光東照宮あたりとセットなのかな?)ところへ外国人旅行者が大勢来訪するというのはやはり時代ですよね。

実際最近鉄道のローカル線やさほど観光名所であるわけでもない地方都市などでも、ビジネスでなく旅行の目的で中国人(必ずしも中華人民共和国からでなく台湾、香港、マカオ、シンガポールほかからの人もいますが)の姿を見かけることが増えています。inti-solさんもそのような話を書いていました。爆買いは下火のようですが、それはリピーターあるいは大金持ちでない人が旅行するのなら当たり前です。あんなことが長続きするわけがありません。

さらにちょうど連休直前、次のような報道もされました。

>中国人のビザ発給要件、5月8日から緩和 外務省 

2017/4/21 10:48

 外務省は21日、5月8日から中国人のビザ(査証)の発給要件を緩和すると発表した。中所得程度の中国人とその家族に対し、3年間なら何度でも日本を訪問できる「数次ビザ」を発給する。最初は観光目的に限る。中国国外に住んでいる中国人にもビザの発給要件を緩める。外務省は「日中間の交流を拡大し、観光立国と地方創生に取り組む」と説明している。

安倍晋三は、あたかも中国に対して強硬なイメージを持たれていますが、こういうところは、ご当人の思惑はいざ知らずですが、なし崩し的かどうかはともかく、そのような方針を取らざるを得ないということです。

またこれはいかがでしょうか。

>安倍首相が北京での「一帯一路」会議に二階俊博幹事長を派遣へ

自民党No.2の幹事長を派遣するということは、中国側へのそれなりの配慮、AIIBへの興味があるということですよね。でも右翼の連中は、「安倍さん、どういうことなんですか」なんて決して言いません(苦笑)。何をいまさらながら、どうしようもない連中です。たとえばつぎのような反応はどうでしょうか。

別に二階氏が勝手にそうしているっていうわけでもないでしょう。こんなん党総裁である安倍の了解もしくは指示なくしてするわけがない。そんなこと福島みたいな人間がわかっていないわけないのにね(笑)。てめえらどんだけ安倍のことが好きなんだよという気はします。自分たちに都合の悪いことは、すべて安倍の側近、役人、部下、家族(奥さん)の責任なのでしょう。愚劣にもほどがあります。そう考えると

>安倍晋三首相 AIIB参加「疑問解消されれば前向きに考える」 米との連携強調 

という安倍の話も、たぶん米国がAIIBに参加した際、率先して日本も参加するための前段階という意味合いがあるんでしょうね。自分は立場上AIIBに米国より先に参加するわけにはいかないが、米国が参加したら自分を支持する反中右翼に対しても申し訳が立つから参加するって言う。何をいまさらながら、主体性のない対米追随な人間です。

現実問題として日本が反中なんかしたって得はしなくても損はするということでしかないのですが、反中の連中は、そんな程度のことも分からないか分からないふりをしていますからね。実に救いのない連中です。

なおこの記事は、inti-solさんの上にご紹介した記事とbogus-simotukareさんの記事を参考にして書きました。お礼を申し上げます。

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