ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

そうなったことは、一応いいことだと思う(ついでに、当事者の女の子の写真をご紹介)

2016-11-30 00:00:00 | スポーツ

やや旧聞ですが、ちょっと面白い記事を読みました。

>甲子園女子マネ問題が前進 来春から練習補助可能へ

デイリースポーツ 11/22(火) 18:12配信

 日本高野連は22日、大阪市内で全体審議委員会を開き、春夏の甲子園練習で女子部員(マネジャーを含む)の補助参加を認める原案をまとめた。25日に行われる理事会で承認され、来年1月のセンバツ、選手権、両運営委員会で許可されれば、来春の甲子園練習から女子部員の補助が可能になる見通しだ。

 日本高野連の竹中雅彦事務局長は「一番怖いのはケガ。安全面に十分な対策を取った上でできることを」と説明。原案の内容は明らかになっていないが、これまで技術振興委員会や審議委員会で練習補助参加を前向きに検討してきた。その際に守備練習中にボールが飛んでくる危険性が低い芝生上での外野ノック補助や、ベンチ前に防球ネットを置き、その前で練習を補助するなど、女子部員が安全に練習参加できる可能性を探ってきた。

 これまで議論されてきたことがこの日、全体審議委員会で原案としてまとめられ、25日の理事会に諮ることが決定。そこで正式に承認され、センバツ、選手権両運営委員会の了解が得られれば、何らかの形で来春の甲子園練習から女子部員の参加が認められることになりそうだ。

 この問題は今夏の甲子園練習で大分の女子マネジャーがユニホームを着用し、ホームベース上でノックの補助を行っていたところを大会関係者に制止されたことが発端。テレビやインターネット上含め、様々な議論が沸き起こっていた。

>一番怖いのはケガ。安全面に十分な対策を取った上でできることを

ケガ、安全は、男子女子関係ないだろと思いますけどね。相撲の土俵じゃあるまいし、どれだけ時代錯誤なのよという気はします。それで、こんな記事も見つけました。

>2016.8.2

女子マネ制止にネット炎上 為末氏も「世の中と最もずれている競技になりつつある」

練習後、記者の取材を受ける大分・首藤マネジャー=甲子園(撮影・高部洋祐) 練習を終え、球場から引き揚げる大分・首藤マネジャー=甲子園(撮影・高部洋祐) ナインの練習を手伝う大分・首藤マネジャー=甲子園(撮影・高部洋祐) 3枚3枚
 全国高校野球選手権大会の甲子園練習で2日、大分の女子マネジャーがユニホームを着てグラウンドに立ち、大会関係者から制止されたアクシデントに、ネットでは「いつの時代のルール?」「時代錯誤」「男子なら危険でも構わないのか」など、その対応に非難が殺到している。
 大会規定では危険防止のため、グラウンドに立つのは男子のみと明記されており、甲子園練習もそれに準じる形となっている。今回の大分の女子マネはユニホーム姿でグラウンドに入り、守備練習ではノッカーにボールを渡すなどしていたところ、大会関係者に制された。
 これにネット上では大会運営側に非難が殺到。口からトランプを出すマジックが有名なマジシャンのふじいあきらは「これってなにがいけないの?危険って性別関係無いじゃん。即刻見直すべき」とツイート。元五輪アスリートの為末大氏も「世の中と最もずれている競技になりつつある」、脳科学者の茂木健一郎氏もツイッターで「『丸刈り』を含め、謎の様式美、禁則が多すぎますね」と、首を傾げた。
 そのほかにも「始球式に女性が何度も立っているのになんでだ」「おにぎりだけ握ってろってか」「もし彼女が『私は男子だ』と言い張ったら身体検査でもする気か」「危険防止のためということだが、だったら尚更、規定通りユニフォーム&ヘルメットを着用していれば問題ないのでは?」「相撲か」など、批判ツイートが殺到していた。

今回の決定については、多少なりともはこのような声の影響もあったんですかね。そうだとすれば、高野連もさすがにこれは時代錯誤なルールだと考えていたのかもしれません。

で、上にある

>大分の女子マネジャー

は、美人だというので話題になりました。というわけでお顔を紹介します。お名前は、首藤桃奈という人です。

すいません。素人さんの顔をこんなに集めるのもよくないかもですね。それはともかく、個人的には、試合前のノック補助くらい大目に見てやれよと思います。

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1970年11月29日の勝鬨橋が最後に橋を上げた際の動画を見つけた(ほかに貴重な写真をご紹介)

2016-11-29 00:00:00 | Weblog

以前このブログで勝鬨橋が最後に上がった1970年の写真をご紹介したことがあります。

勝鬨橋が最後に上がった日

この際の写真というのは、なかなか見つからないので私もわりと一生懸命ネットをあたりまして、それでようやく1970年に橋が上がった際の動画を見つけることができました。

http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=2161

さして長い動画でもありませんが、とりあえずネットであがっている動画はこれ以外に現段階見つけていません。1970年11月29日は日曜日で、上がったのは早朝でした。つまり交通事情をかんがみて、一番影響の少ない曜日と時間に橋を上げたのだと考えられます。三島由紀夫が自殺した4日後のことでした。

いずれにせよこの動画を見つけることができて、前の記事で書いた

>もし確認できたら、このブログで紹介します。

というのは、約束を果たせたことになります。よかった。

勝鬨橋が上がらなくなったのは、つまりは橋を上げるような大型船の定期運航がなくなり、また交通量の激増して、橋を上げることによる弊害が大きくなったからです。必要がなくなってさらに上げることによる損害が大きくなれば、上がらなくなるのは理の当然。

そして、この際の写真をいろいろさがしたのですが、どうもいい写真を見つけるのが難しかったのです。が、ようやく「すごい!」といえる写真を見つけることができました。こちらから。写真を一部抜粋してご紹介します。

撮影者のコメント(後でご紹介)にもあるように、そんなに真上まで開いたわけではなかったわけです。またヘリコプターが複数飛んでいるのが確認できます。これは報道用のものだと考えられますので、たぶんこの跳開が非常に貴重なものになる、というのは当時予測できていたのでしょうね。これが最後であると東京都側が発表していたかどうかは現在確認できませんが、もう橋が開くことはないかも、という予測はたぶんあったのでしょう。この後橋を上げるための発電所も80年に撤去されたので、勝鬨橋が上がることは事実上なくなりました。

いずれにせよヘリコプターが飛んでいるということは、たぶんNTV以外にも動画があるのでしょうから、それはぜひ拝見したいものです。これからも鋭意調査をする所存です。また上から4枚目の写真は、前の記事でも紹介したことがあります。

撮影者は、安河内孝氏です。学生時代の撮影ですが、こちらによると、清水建設に就職して、ダムの専門家になったとのこと。写真は、この時は素人でしたが、現在は写真コンテストの審査員も務めているとのことで、セミプロくらいのものなのでしょう。氏の撮影時の話をこちらから引用します。

 >大学三年の時、大学の助教授から勝鬨橋が開くことを聞き、義理の兄さんからニコンFのカメラを借りて撮影に行きました。開く時間は確か7時だと記憶しています。
 早朝6時に現地に行きました。非常に寒かったことを覚えています。
一眼レフのカメラでの撮影は初めてで、50ミリと150ミリのレンズで、絞りやシャッタースピードやレンズ交換は前日義理の兄さんに教えてもらいました。
 現地について、撮影場所を探しました。逆光にならない左岸側に移動し探しました。堤防の天端に登ろうとしましたが、その時は満杯でした。段々時間が迫ってきて焦り、ウロウロとしていたら有る方が冷凍庫の門を乗り越えて、冷凍庫の外壁に付いているタラップを上がる姿が見えたので、小生も同じようにタラップを上がり、屋上に出ました。はっきり言えば無断での立ち入りで、法律違反ですね。あの頃は今みたいに厳しくは有りませんでした。
確か三階建てだと記憶しています。
タラップはむき出しだったので怖かった事を記憶しています。
 屋上に付いた時は15分前でした。慌ててフィルムをセットしました。この時のフィルムは12枚撮りです。
カメラを構えて見ていると、少し橋が揺れ、一気に橋が上がりました。時間的には数分です。ただし、全開にはなっていません。45度位ですね。
この時、ハトが飛び立ち、橋に近い方は多量なホコリを被っていました。開いていた時間は数分です。次のフィルムを入れ替えして撮影するのがやっとこでした。
 このフィルムは、小生にとって初めてのカラーによる撮影で、写っているのか心配でしたが何とか写っていてホッとしました。 

(中略)

 撮影場所付近は、川沿いに冷凍庫が沢山ありましたが、今ではマンションばかりで、撮影場所を探しましたが判りません。ただし、おおよその見当は付きます。

(後略)

上に引用したインタビュー記事によると、安河内氏は

>安河内 孝(やすこうち たかし)
昭和24年3月28日生れ

[略歴]
S46 清水建設(株)入社

とありますが、そうすると70年に大学3年生というのはちょっと変ですね。いずれにせよ、このような貴重な写真をお撮りになった安河内さんには本当に感謝したいですね。これも貴重な時代の証言です。

これからも、勝鬨橋についての情報がありましたら、適宜記事にしますのでお楽しみに。

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(たぶん)無事に帰れると思います(追記あり)

2016-11-28 00:00:00 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)

本日の未明に飛行機は上海を飛び立ちます。無事に帰れたら、明日以降もお会いしましょう。

同日の追記:無事に帰りました。

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アイルランド・英国紀行(2015年9月)(57)

2016-11-27 00:00:00 | 旅(英国・アイルランド)

宿で朝を迎えます。

B&Bの朝食をいただきます。

一説によると、英国よりアイルランドのほうが昔ながらのB&Bが残っているとか。その真偽は知りませんが、あるいはそうかもしれません。

バスターミナルへ歩きます。

今日はスライゴーへ行きます。スライゴーといえば、ウィリアム・バトラー・イェイツです。ここで、彼の詩集を読むつもりです。

対訳 イェイツ詩集 (岩波文庫) 文庫 

対訳ですから、私のようなものぐさには非常にありがたい本のわけです。ダブリンでジョイスを読み、スライゴーでイェイツを読む。さらには、サリナスでスタインベックを読み、カフェ・ド・フロールでサルトルを読む。いいじゃないですかって、スタインベックとサルトルはまだしていません。いずれはアルジェリアでカミュを読まなければな。もちろんフランス語で。

旅はようやく半分くらいなのに、予想以上に出費が多く、日本円や英国ポンドをユーロに両替します。しかし英国ポンドはともかく日本円は両替が面倒でした。

ところで、何の因果かバスターミナルの出発する時間に、アラン諸島で知り合った韓国人美女と再会しました。あいさつします。彼女も今日この街を離れて、南部のほうを旅するとのこと。やや素っ気なく別れてしまったので、後でメールにて謝っておきました。

バスはスライゴーに向かいます。本来なら鉄道で移動したいのですが、あいにくスライゴーへはゴールウェイからは鉄道では大回りになるので、バスを利用するわけです。

途中から前の席に移動します。私は、高速道路を走ってスライゴーに向かうのだと考えていましたが、そうでなくもっぱら一般道を走るバスでした。そちらのほうがおもしろいといえば面白のは確かです。

薬屋は割とよく見かけます。

バス停がこのようにあるわけです。

途中からこのような地元(でしょう、たぶん)の老婆が乗ったりするわけです。

スライゴーが近づいてきました。

「DERRY」とありますが、これは北アイルランドの街です。

そうこうしているうちにバスが着きました。運転手の人に、スライゴーに着いたら教えてくれと頼んでおきましたが(終点ではなかったので)、どっちみちそんな必要はありませんでした。ここでちょっと休憩です。私はおります。

天気は相も変わらずよくありません。

(つづく)

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アイルランド・英国紀行(2015年9月)(56)

2016-11-26 00:00:00 | 旅(英国・アイルランド)

宿に落ち着きます。

ベッドが3つあるので、本来はファミリー向けなのかもです。

一休みした後、夜の街に繰り出します。

路上は雨でぬれています。ほんと、アイルランドの天候は不安定です。

女性同士で歩いている姿を見かけるのは、治安がいい証拠なのかもですね。

けっきょく2日前に行ったフィッシュアンドチップス屋で食事をする芸のなさです。

なかなかしゃれたドアの取っ手です。

決して安いわけでもないですが、でも庶民の味方です、フィッシュアンドチップスは。

では今日も、パブのライヴを楽しむこととしましょう。

アイルランドの夜は、とても元気です。

とあるパブに入ります。が、ライヴの時間は終わっていたようでした。客の女性(写真には写っていません)に、「もうライヴは終わったんですか」と聞いたら、女性は「ええ、終わったわ」と答えました。でもほかにいい店があるから行ってみたら、と教えてくれた店は、ガイドブックにも書いてあった店でしたので、ではそこに行ってみようと思いました。ありがとうとハグしてしまいました。それなりのご年齢の女性でしたが、よく私もハグしたし先方もハグさせてくれたな。ありがとうございます、その時の女性。

その店に向かいます。この時点で相当私もギネスを飲んでいます。

外れにある店ですので、人通りも少なくなるので、用心しなければいけません。

この店です。

やはりギネスを飲んじゃう私。しかしコースターがハイネケンだぞ。

眼鏡をかけたバーテン氏が、グラスにギネスを注ぎます。

こちらが待機しているバンドです。

ギネスは、泡を完全に分離させるために、注いだらしばらく置いておきます。この間がいいわけです。4つも並んでいると壮観だから、

これは圧巻ですね。

明日はゴールウェイを出るので、店を出ます。このようなパブに夜な夜な顔を出すのもよさそうです。

遅いし酔っぱらっているので、帰りは注意します。

夜のゴールウェイは、楽しみがいっぱいです。

(つづく)

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今日から上海に行きます

2016-11-25 00:00:00 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)

今日から上海に行ってきます。無事に帰ってこれれば月曜朝に帰国します。すぐ仕事です。

それですみません。コメントの返しが滞り気味ですが、月曜夜以降になりそうなのをご了解ください。

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けっこう私たちも、危ない橋を渡っているのかもしれない

2016-11-24 00:00:00 | スポーツ

過日報じられた記事を。

>関西学院高アメフト部員が試合中に倒れる、4日後に死亡
TBS系(JNN) 11/19(土) 1:01配信
 アメリカンフットボールの名門、関西学院の高校3年の部員が、試合中に相手選手と衝突し、その後、死亡しました。

 「お詫び申し上げます」(関西学院高等部の会見)

 関西学院によりますと、13日に大阪で行われた全国高校選手権の3回戦で、3年生の武内彰吾さんが相手選手と正面からぶつかり、転倒しました。その場で意識を失い、救急車で病院に運ばれましたが、4日後、急性硬膜下血腫で死亡したということです。

 関西学院高等部のアメフト部は過去18回、全国制覇している名門です。19日まで部活動を自粛し、27日の全国大会準決勝に向け、活動を続けていくとしています。(18日22:32)
最終更新:11/19(土) 12:19TBS News i

急性硬膜下血腫というのは、頭部を強打したことによって生じます。ボクシングや柔道、ラグビーなどでの死者はこれによるものが多いようです。

それで、日本におけるアメリカンフットボールなんて、決して人気のあるスポーツじゃないし競技人口も少ないはずですが、このような死亡事故は正直怖いですね。実際米国でも、アメフトにおける脳震盪の深刻な影響なども報道されています。米国では人気があるのはいいですが、かなりやばいスポーツであるなと思います、正直。

それで柔道も、しばらく部活動での死亡がなかったのですが、また今年死亡事故が起きてしまいましたし、水泳でも飛び込みの危険性が指摘されています。学校内での体育事故にくわしい内田良氏の記事をご参考にしてください。

正直水泳の飛び込なんて、あれ、私、学校の授業でずいぶん飛び込みをしたなあなんてことを思い出しました。私の卒業した学校のプールが、そんなに深いものだったという記憶はありません。

そしてこのブログでしょっちゅう取り上げている「組体操」なんてのもひどいですよねえ。実にたくさんの児童がケガをしているのに、やめたがらない連中は一向にやめたがりません。頭がいかれているんじゃないのと本気で思います。

そうなると正直思うに、私たちは体育の授業、あるいは部活動、運動会(の練習)など、社会人になってからもそうですが、特に事実上強制参加である学校体育関係のことで、相当危険な目にあう可能性があるんじゃないんかなと思います。たいていの人間は合わないで済みますが、体育のおかげで死ぬとまでは言わずとも、後遺症が残るケガをしている人もいるわけで、けっこう危険な状態なのだと思います。ただ私たちのほとんどは、当事者じゃないからそれが見えないだけです。

さらに上の事故ですが、たぶん不可抗力であり、正直たまたま当たり所が悪くてこのような事故にいたったというところでしょう。学校側や相手選手に(おそらく)過失はない。だから怖いと思います。運が悪ければこのような最悪の事態になる。

かつて、詳細は書けませんが、ラグビーで意識不明の重体になり、その後死亡した人物を見舞ったことがあります。その時は、本人の手を握りました。親だか身内の人は泣き続けていました。たぶん医者から死の宣告を受けていたのでしょう。彼も急性硬膜下血腫だったと思います。今思い出しても、とてもその場にいられたものではありませんでした。

いろんな考えはあるのでしょうが、やはり運動での事故というのは決して少なくない数発生しているのであり、そういうことに私たちはもう少し注意したほうがいいと思います。そういったことに無頓着(かどうか、正確なところは知りませんが)な教員、保護者その他、組体操などが大好きな人たちも、自分(たち)にはそのような事故が起きないなんていう根拠のない考えは捨てたほうがいいでしょう。自己責任なんて言っていて、アフガニスタンに行ったりヨットで太平洋横断をしようとして失敗して自己責任どころの話じゃなくなった辛坊治郎のような無様で無残な事態にはならないようにしなければいけません。 何回かご紹介している、組体操普及につとめている大阪教育大学付属池田小学校の教員(当時)なんか、自分が組体操指導している児童が死亡あるいは意識不明の重体なんかになったらどうするんでしょうか。公務員ですから、この人個人の責任は問われないかもですし、またその事故は不可抗力だったとしても、たぶんこの教師は非常に困った立場になるんじゃないんですかね。あるいはそれでもめげずに組体操普及に邁進するのかもですが、いずれにせよこのような教員に、自分の子どもの教育を任せたいという気には私はなりません。

亡くなった高校生の方のご冥福を祈って、この記事を終えます。

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アイルランド・英国紀行(2015年9月)(55)

2016-11-23 00:00:00 | 旅(英国・アイルランド)

バスはゴールウェイに戻ります。

車窓もなかなかのものです。

太陽もきれいです。

それにしてもこのような景色を見られるのはうれしいですね。

ちょっとどこかはよくわからなかったのですが、この海岸を最後に観光します。

なんかこういう景色も、最果ての地という気がしました。

うーん、いいですよねえ。

また記念写真を撮っちゃいます。たのめば皆快く撮影してくれるのがありがたいものです。

バスツアーかレンタカーでもないとなかなか行けないのではないかと考えますが、ここも行ってみる価値のありそうなところでした。

あまりに人の少ない光景でした。

ようやくゴールウェイに到着します。

(つづく)

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賞金女王になった3年後にシード落ちする女子プロゴルフ

2016-11-22 00:00:00 | スポーツ

私はゴルフには全く詳しくない人間ですが、この記事には驚きました。

>森田予選落ち…賞金女王から“最短”3年でシード落ち確定

スポニチアネックス 11/19(土) 7:02配信

 ◇女子ゴルフツアー大王製紙エリエール・レディース第2日(2016年11月18日 愛媛県松山市 エリエールゴルフクラブ松山=6474ヤード、パー72)

 13年賞金女王の森田理香子(26=リコー)が通算1アンダーの60位で予選落ちし、賞金シード陥落が決定した。5バーディー、2ボギーの69をマークしたもののカットラインに2打及ばず、今季18度目の予選落ち。戴冠から3年での暗転も、最終予選会に出場して再起する。テレサ・ルー(29=台湾)が大会コースレコードタイの62をマーク。通算15アンダーで単独首位に立った。

 涙は必死にこらえた。今季4度目の60台も、18試合目の予選落ち。賞金シードを手にするには優勝しかなかった森田がわずか2日で姿を消した。

 「今までならピンが端に切ってあると保険をかけて安全に狙っていたが、今日は自分がバーディーを取りたいという気持ちが強く出た。一番いいゴルフができた」。強がりでなく事実、攻めて69をマークした。1番で3メートルのバーディーパットを決め、6番パー4では2メートルにつけてバーディー。9番でボギーも、10番からは4ホールで3バーディーと盛り返した。16番で1メートル弱のパーパットがカップに蹴られるなど「4、5回短いのを外した」とグリーン上で苦戦したが、今できるベストプレーをした自負はある。

 13年に賞金女王となって3年。歯車は少しずつ狂った。14年に1勝も賞金ランク16位、15年20位と下降。「女王としてちゃんとしなきゃいけないと重圧を感じていた」とのプレッシャーが飛ばし屋で思い切りのいい森田らしさを奪った。同時にアプローチで手がうまく動かないイップス状態に陥り、13年に36位(62%)だったリカバリー率は今季は94位(50%)にまで下降。必死に隠そうとしたその事実も、夏に自ら明かし、現在は徐々に復調。5バーディーを奪えたこの日は「女王を獲ってから守りのゴルフに入ってしまった。気づいたのも遅すぎたけれど、忘れた感覚を思い出せた。QT(予選会)でも攻めたい」と力強かった。

 来季の出場権を懸けて争う最終予選会(29~12月2日)に臨むのはプロデビューした08年以来。女王になった選手が賞金シードを失ったことは過去にもあるが、3年後の陥落は最短。でも、「まだ26歳。これからという気持ちだし、これで終わりたくない」と前を向く。大会前には師匠の岡本綾子に指導を受け、必死に復活への糸口を探った。女王の冠を外して、再出発する。

 ≪過去4人は10年以上後に喪失≫1988年のツアー制度施行後、賞金女王になったのは18人。そのうち出場義務試合を果たし賞金シードを喪失した選手は88年賞金女王の吉川なよ子、90年・高村博美、92、95年・塩谷育代、98年・服部道子の4人。ただ全員、女王となってから10年以上後に陥落。(06年1位の大山志保は3年後に公傷制度適用。08年1位の古閑美保は11年限りで現役引退などの例はある)賞金女王による特別シードは88年から99年までは5年で、00年以降は3年。森田の場合は、特別シードも今季限りだった。

報道で、彼女が非常に厳しい立場にあるというのは知っていましたが、それでもやはりシード権を失ったというのは驚きでした。こういう記事を読んでつくづく感じるのは、ゴルフってのも成績が安定しないスポーツだなということです。

体力的な衰えとかケガなどで活躍できないのは仕方ありません。しかし森田理香子の場合、そういう話でもないでしょう。衰えやケガではなく調子が悪いということでしょう。それでシード権すら失うのですから、それも厳しいなと思います。

実力と成績の世界ですから、成績が出なければ厳しい立場になるのは仕方ありません。しかし26歳で、しかも3年前の賞金女王がシード権を失うというのは、やはりゴルフならではではないですかね。ケガとかなら仕方ありませんが、そうではないようですから。

それでずいぶん以前ですが、こんな記事を書いたことがあります。

「おいおい」と思うが、しかし実情はかなり厳しそうだ

上の記事で私は、かつて1億円以上を稼ぎながらも現在は下部のトーナメントで奮闘している男子プロ、トーナメントプロになったのに窃盗事件を起こした某女子プロを紹介しました。もちろんこれは犯罪ですから論外ですが、この人はすでにプロの世界を去っているようですね。森田は、男子プロと同様、過去の栄光を追いかけることに(少なくとも来シーズンは)なり、苦しい立場に追い込まれるわけです。ここからどうするかですね。もちろん再びシード権を獲得することをめざすしかありませんが、なかなか難しいのかもですね。最近もいろいろ話題の新人が登場してきているし、また彼女らも、いつ森田と同じ立場になるか分かったものじゃありません。

プロスポーツの世界というのは、いうまでもなく好きでやっているものです。「巨人の星」みたいに、親から強要されてやっているのでは、やはり長続きしないでしょう。森田の場合、13年の賞金女王になった時点で、3年後のこの姿を想像するなどということは、空想次元であり得なかったと思います。これでは、ゴルフを続けるのもつらいということになるかもですね。それはプロである以上仕方ありませんが、やはり彼女もこのままでは終われませんよね。まさに死に物狂いで頑張るということになりそうです。

森田理香子さんの来シーズンの健闘を祈ってこの記事を終えます。

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年末年始の旅は韓国になった

2016-11-21 00:00:00 | 旅(韓国)

今年こそはコルカタ(インド、旧カルカッタ)に行くなんてそこらじゅうで宣言していたのですが、諸事情あり、大連に行こうという気になり、そうしたら韓国行きの航空券が安く買えたので、今年は韓国に行くことにしました。年末年始を韓国で過ごすのは、これが3回目です。

今回は、関空⇔釜山を、ピーチで行くことにしました。昨年~今年の年末年始の旅も、関空⇔台北をピーチで行ったので、そうなると2年続けて関空からのLCCの旅ということになるわけです。

今回は、12月29日出国の1月3日帰国で、12月31日~1月2日はソウルに滞在してカウントダウンを楽しみます。ほかは予定を立てず、多少なりとも出たとこ勝負、即興の旅をしようかと考えます。

今年は、昨年~今年の年末年始の旅から数えると、2月の韓国、7月の韓国、8月の台湾、11月の上海と、5回ピーチを使っています。欠航で行くことのできなかった香港も、会社は違いますが(バニラ)LCCです。近場なら機内サービスなんか別に要らないから、安いほうがいいに決まっています。そう考えると、2017年もLCCを繰り返し利用することになりそうです。

 

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