ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

行政その他の支援がなかったことが非常に悪い事態をもたらした大きな要因と思われる強盗殺人事件の実例

2014-04-04 00:00:00 | 社会時評

袴田事件のこともあり、ちょっと死刑事件のことを調べていましたら、どうもなあと思える事件を知りました。死刑事件ではありますが、たぶん世間での知名度はあまり高くない事件かと思います。しかし、なんともひどい事件です。私がくどくど解説するより、死刑確定時の新聞記事を読んでいただきたいと思います。出典は、こちらのブログ記事より。適宜スペースを開けました。

>◇遠い福祉、凶行防げず 知的障害、更生施設にも限界  茨城県で5年前、女性2人を相次いで殺害したとして死刑を言い渡された男の最高裁判決が12月1日、確定した。知的障害を抱えていたが支援の網から抜け落ち、盗みなどで刑務所と社会を行き来した末の犯行だった。判決は犯罪を重ねた点も重視し、「犯罪性向は深刻かつ強固。知能の低さや成育歴の劣悪さを過度に評価することは相当でない」と極刑を選択した。再犯を防ぐ手だてはなかったのか。男の歩みをたどった。

 「お金に困って」「被害者に申し訳ない」。10~12月、東京拘置所で藤崎宗司(そうじ)死刑囚(49)と3度面会した。記者は発生当時、この事件を取材していた。

 藤崎死刑囚はスナックなどの飲食代の支払いに困り、強盗殺人を計画。05年1月18日、茨城県鉾田町(現鉾田市)で1人暮らしの女性(当時75歳)方に侵入し、絞殺して現金7万円余を奪い、10日後にも同町内の1人暮らしの女性(同79歳)方に侵入し、絞殺するなどした。

 事件からもうすぐ6年。アクリル板越しに見える藤崎死刑囚はぼんやりとした表情で、声は消え入りそうだ。再犯の理由を問うと、口ごもった後、唐突に「酒やめます」。死刑には「がっかり。借金返せなくなるから」と答えた。

 藤崎死刑囚は畑が広がる鉾田町で生まれ育った。中学もほとんど行っていない。卒業後、実家の農作業手伝いなどをしていたが、20歳から8度、刑務所に入った。他人の軽トラックを乗り回し、燃料が切れると放置する。近所の60代の男性は「宗司の姿を見ないと『今度は何で(刑務所)入ったんだ』とうわさになった。気は小さい男だった」と言う。

 逮捕時の簡易鑑定で中程度の知的障害とされ、20代のころの裁判では、刑事責任が減軽される心神耗弱と認められたこともあった。刑務所の知能テストでも小2以下の知的障害と診断された。だが、障害者福祉制度へつなぐ療育手帳を取得させた人はいない。両親は死別し、兄弟も障害のハンディを抱え、とても支援できる状況ではなかった。

 99年に刑務所を仮出所した際、自立・就労のため一時的に受け入れる関西の更生保護施設に入った。だが、すぐに罪を犯して刑務所へ逆戻り。この施設の現在の責任者は「障害への配慮はするが、専門施設ではないから限界がある」と語る。
 つながりかけた更生保護との縁も切れ、02年に満期出所した時は、何の支えもないまま実家に戻った。近所の紹介で草刈り作業のほか、漬物工場の住み込み従業員として大根抜きをした。動作は鈍く、日当2000円程度。それでも刑務所で字を覚え、他人に頼らず暮らした。

 そのうち、スナック通いの楽しみを覚える。焼酎を飲み、カラオケで因幡晃の「わかって下さい」を歌う。乾燥芋を手土産に持ってきたこともあった。行きつけの店のママは「寂しくて、構ってほしいんだな」と思ったという。飲み代のつけが重なり来店を断った。ほどなく凶行に走る。事件直後、明け方にもかかわらずママの自宅を訪ね、奪った金でつけを払った。

 藤崎死刑囚の存在は民生委員の間でも知られていた。だが、ある元委員は「おとなしいし、泥棒程度だったので、福祉施設へのあっせんなどは考えなかった」と明かす。

 死刑囚が20代のころ、保護司としてかかわった男性(82)がいた。「無力感がすごくある」とうなだれ、「更生保護施設はIQ(知能指数)が低い再犯者はなかなか受けないし、保護司は担当期間が過ぎるとタッチできない。彼のような人間は刑務所しか受け入れられない。それでいいのだろうか」と語った。

 被害者の弟(76)に会った。「2人もやったのだから命で償うのはやむを得ない」と言いつつも、「藤崎という人は生活するのもやっとの状態。親身に面倒見る人がいれば、とも思う」。

 あるじを失った死刑囚の家は今、竹やぶの中で雑草に覆われ、廃屋になっている。

==============
 ◆死刑判決が確定するまでの経過(取材に基づく)◆
1961年 8月   茨城県鉾田町(現鉾田市)で生まれる
   中学卒業後   地元で土木作業員や農業手伝い
  80年      自動車盗(窃盗)で中等少年院送致
  82年 8月   自動車盗と強姦(ごうかん)致傷で懲役2年
           公判で心神耗弱認定
  85年 3月   自動車盗に問われ、公判で心神耗弱認定
  86~87年ごろ 同罪で服役
  88~89年ごろ 同罪で服役
  90年      同罪で服役
  94年 3月   自動車盗の常習累犯窃盗で懲役2年2月
  96年 4月   刑期終了
     12月   同罪で懲役2年6月
  99年 3月   仮釈放後、関西の更生保護施設へ
      4月   自動車盗の常習累犯窃盗で仮釈放取り消し
      8月   同罪で懲役3年
  02年10月   8回目の刑期終了。実家に戻る
  05年 1月   女性強殺容疑などで逮捕
  10年12月   最高裁で死刑判決確定

毎日新聞 2010年12月30日 東京朝刊

正直犯罪自体は、心神耗弱でも認められない限り死刑は避けられそうにありませんが、ここまでひどくなる前に支援はできなかったのかなあという気持ちにはなります。そうすれば、被害者も、この犯人も、殺されないで済んだかもしれません(死刑囚への死刑は、この記事を書いている現在、まだ執行されていませんが)。

なお、この事件については、あまりいいHPが見つかりませんが、とりあえずこちらをリンクしておきますので、興味のある方はお読みください。またこの記事を紹介してくださった先方のブログ管理人様にお礼を申し上げます。

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6 コメント

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Unknown (月夜)
2014-04-04 22:02:56
こういう遣り切れない事件、死刑によっても割り切れない事件がありうることも、自分が死刑に反対する理由の一つです。
私としては、行政その他の支援が極めて少なかったことは斟酌されて然るべきだったのではないか、と思いました。
被害者の弟さんが、少なくと記事の中では、被告に対して冷静でいられているのがせめてもの救いかもしれません。
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>月夜さん (Bill McCrery)
2014-04-07 18:45:16
判決文を読んでいないんで記事では書きませんでしたが、リンクしたサイトによると、矯正教育を十分に受けたみたいな指摘があったらしい(地裁)んですが、たぶんこの人はまともな矯正教育なんか受けていませんね。ほとんどほったらかしだったでしょう。少なくともそれなりの体制を整えないと、この死刑囚のように本質的には差ほどの悪人でない人物が、無益に刑務所に入ったり重罪を犯して死刑その他の重刑になったりするわけで、それは本当に改善しないといけません。

>被害者の弟さんが、少なくと記事の中では、被告に対して冷静でいられているのがせめてもの救いかもしれません。

ですよね。私も、ここで弟さんが「死刑になっていい気味だ」みたいなコメントをしていたらひどく気がめいったと思います。
返信する
なんだかなぁ~ (gaulliste)
2014-04-08 02:43:24
つくばに10年以上住んでいたので、鉾田を車で通り抜けたことも数回あったと記憶しています。
霞ヶ浦の近くの農村でした。
私がつくばにいた頃がどうだったのかと年表を見ましたが、ほとんど刑務所にいたようで。
まあ、一生のほとんどが刑務所と拘置所と少年院のようですが。
なんか、何のための人生だったんだろうってかんじですね。
楽しいことなんて、ほんの少しだったろうなぁと。

自動車盗ばかりのようですが、記事を読むと、あぜ道に止められた、キーを付けたままの軽トラックをガス欠になるまで乗り回しただけってかんじですね。

「刑務所で字を覚え」とありますが、だったら中学までに覚えられたはずで、そこが一番の問題じゃないかなと思います。
日当2000円程度ってのが最低賃金より高いのかという疑問もあります。

最初にざっと読んだ時には、昔の話だろうと思っていたのですが、年表を見て、私より数年しか年上でないことに驚きました。
これが現状というのは、結構、暗澹たる思いになりますね。
返信する
>gaullisteさん (Bill McCreary)
2014-04-09 07:09:35
ご無沙汰しています。お元気でしたか。「黙然日記」さんとかでのコメントを拝見していたから、お元気でしたよね。

>まあ、一生のほとんどが刑務所と拘置所と少年院のようですが。
なんか、何のための人生だったんだろうってかんじですね。

そういえば筑波近辺にお住まいだったんですね。全然土地勘はないのですが、典型的な農村にいるやっかいものだったのかもしれませんね。

>楽しいことなんて、ほんの少しだったろうなぁと。

彼がスナックとかに異常に入れこんじゃったのも、つまりは楽しい経験なんてものがなかったからでしょう。

>自動車盗ばかりのようですが、記事を読むと、あぜ道に止められた、キーを付けたままの軽トラックをガス欠になるまで乗り回しただけってかんじですね。

「刑務所で字を覚え」とありますが、だったら中学までに覚えられたはずで、そこが一番の問題じゃないかなと思います。
日当2000円程度ってのが最低賃金より高いのかという疑問もあります。

自動車窃盗も、善悪の観念がないからのものでしょう。学校でもほとんで何もしなかった、んでしょうね。住み込みではあっても、日給2000円というのもどうかですね。まさに勤め先も、雇ってやるという精神だったのでしょう。

>最初にざっと読んだ時には、昔の話だろうと思っていたのですが、年表を見て、私より数年しか年上でないことに驚きました。
これが現状というのは、結構、暗澹たる思いになりますね。

この人が成人したのは1980年代ですから、ぜんぜん昔じゃなくて、日本の景気が良かった時代です。何ともひどい事件だと思います。
返信する
>Bill McCrearyさん (gaulliste)
2014-04-10 23:20:11
>ご無沙汰しています。お元気でしたか。「黙然日記」さんとかでのコメントを拝見していたから、お元気でしたよね。
元気というほどでもありませんが、それほど体調が悪くもないというところです。
今年は、2月の頭に風邪を引いたのですが、なんとか仕事を休まずに治せました。

>自動車窃盗も、善悪の観念がないからのものでしょう。
そんな感じが強くします。
よくコンビニなどでキーの付いた車を見かけ、自分の車を置いて、そっちの車で帰ろうかなんて、ちらっと考えたものですが(笑)、それを実行しちゃった感じがします。
バレないようにするのは難しかったかもしれませんが、実行するのは簡単だったろうと思います。
私は、自分の車で帰りながら、どうやったらばれないかなんて、少し考えたりしましたw

>住み込みではあっても、日給2000円というのもどうかですね。まさに勤め先も、雇ってやるという精神だったのでしょう。
どういう契約だったのかわかりませんが、これで違法じゃないとは信じがたいです。

>この人が成人したのは1980年代ですから、ぜんぜん昔じゃなくて、日本の景気が良かった時代です。
バブルの時期の殆ども刑務所の中ですね。
バブルの直前は、プラザ合意による史上初の急激な円高で、円高不況なんて言葉が流行ったものですが。
返信する
>gaullisteさん (Bill McCreary)
2014-04-12 20:56:43
おそらくおっしゃる通りだと思うんですよ。たとえばきれいな女性がいて痴漢をしたい、金がないけどほしいから商品を万引きしよう、人間は、そういう場合やはりやってはいけないと考えてやらないわけですが、この犯人の人物は、そういう考えを持てない人間なんでしょう。

>これで違法じゃないとは信じがたいです。

ですよねえ。労基事務所の見解を知りたい感じです。
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