ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

今年も関西に花見に行くつもり

2010-03-31 03:16:57 | 旅(国内)
実は3月中に韓国(ソウル)に行くつもりだったのですが、諸事情あっていけませんでした。残念です。

その代わりと言っては何ですが、関西に花見に行くことにしました。京都と、もしいければ大阪の造幣局あたりの桜を見てみたいと思います。

08年、09年と京都で桜を見ました。その記事は、こちらこちらです。

09年は、桜を見たというよりは疏水にそって歩いたというものですが、でもけっこう楽しいものはありました。

素人写真なので、たいしてうまくもないものですが、しかし京都の桜は、素人がとっても画になります。というわけで、また大量の写真を撮ってこのブログに発表したいと思います。でも、はたしてちゃんと京都や大阪の桜が咲いてくれているかは行ってみないと分かりません。
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私に似ている(?)人たち

2010-03-30 19:41:10 | Weblog
こんなもん、誰も興味関心がないでしょうが、私の顔で「似ている」と思われる(あるいは他人から言われたことのある)顔をいくつか選んでみました。

ていいますか、このブログの読者の99%以上は、私が男性か女性かすら知らないわけで(いくらプロフィールに男性と名乗っていたところでそれが正しい保証はないし)、ましてや私の顔なんか知っているわけもないので、私はどんな人間かを多少なりとも公表しようかと考えたわけです。写真の大きさに、他意はありません。



左の人と真ん中の人はとくに説明はいらないでしょうが、右の人はアイスホッケーのヘッドコーチであるチェコ人のヴラジミール・ルージチュカです。彼については、一度このブログでも紹介したことがあります。

こんなん、どこに顔の共通点があるんじゃいと思う方もいるかもしれませんが、でも人間の顔なんてそんなもんですよね。さまざまな要素がまじりあっているんですから。

あるいは、このブログの読者の方ともどこかでお会いする機会があるかもしれません。その際もしこの記事をお読みなら、「似ている」「似ていない」と適宜感想を言っていただけたら幸いです。
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ほら、こうなった

2010-03-29 19:28:54 | 北朝鮮・拉致問題
報じられているところによりますと、家族会が蓮池透さんに会からの退会を通告しました。事実上の除名、追放に近いものでしょう。蓮池さんも、それを受け入れるとのことです。

>拉致問題 被害者家族会が蓮池透さんの退会発表
3月28日20時34分配信 毎日新聞

北朝鮮による拉致被害者の家族会は28日、蓮池薫さん(52)の兄、透さん(55)の退会を発表した。飯塚繁雄代表らが東京都内で会見し、明らかにした。

 透さんは、北朝鮮への制裁などを巡る家族会の方針に異論を唱えていた。増元照明事務局長は「家族会の総意を無視した(透さんの)発言が誤解を招いている。会とは無関係であることをはっきりさせた」と説明した。

 事実上の除名について、透さんは取材に「家族会の目的は被害者の救出であり、方法論が多少違ったとしても自由にものを言える多様性も必要ではないか。僕をやめさせることで拉致問題が少しでも進展すると判断されたのなら、甘んじて受けるしかない」と話した。【合田月美】



私は昨年、蓮池さんの講演会に対抗して救う会(巣食う会)が隣の会場で講演会を開くという話を聞いた時点で、近いうちに蓮池さんが家族会と袂を分かつことになるなと予想しました。そしてその旨を記した記事を書きました。この記事は、わりあい多くの方に読んでいただいたみたいです。

私は昨年のうちにたぶん蓮池さんは家族会を追い出されると予想していましたが、けっきょく3月末のこの時期になりました。どのみち時間の問題だったということでしょう。

それにしてもねえ、私が予想できることだから誰だって予想できる程度の話ですけど、蓮池さんを追い出してどうするんでしょうねえ。

残念ながら増元照明氏らが推し進めるような単なるヒステリーでしかない自称「強硬策」が、今後の家族会の唯一の方策ということになるのでしょうね。こうなることはもちろん私は予想していましたが、これは後で想像以上に家族会には禍根となるでしょうね。なにはともあれ蓮池さんがいただけで、それなりに暴走に(わずかなりとも)ブレーキをかける意味があったと私は思いますが、いまの家族会は、まさに頭のいかれた反北朝鮮の思考にこりかたまっています。拉致被害者家族が「反北朝鮮」になるのは仕方ありませんが、でも(もし生きているのなら)北朝鮮にいる家族に日本に帰っていただくというのが、彼らの究極の目標のはずですが、正直増元氏が氏のHPで記している記事を読んでも、北朝鮮や朝鮮総聯などに対する恨みつらみが書かれているだけで、あとは拉致被害者は生きていると叫んでいるだけです。彼の立場ではそうしか書けないのでしょうが、もし本気で拉致被害者たちが北朝鮮で生きていて日本に帰ってきてほしいと考えているのなら、もう少し態度をあらためる必要があるでしょう。すくなくとも増元氏は極右の連中とは縁を切ったほうがいいし(ていいますか、あんな連中と付き合っていて、いったい拉致問題解決になんのプラスがあるんですかね?)、少なくとも現在のような独善的な態度はやめたほうがいいですね。他人を不必要に不愉快にします。

で、巣食う会の会長が正式に北朝鮮超強硬派の西岡力になりました。で、このブログの読者の皆さまのなかにもすでに目を通していらっしゃる方もおられるでしょうけど、「週刊新潮」に巣食う会の和歌山県の幹部であるという方による現状の巣食う会や家族会へのあり方に苦言を呈する旨の記事が掲載されました。なかなか興味深い内容です。この手記が掲載されたことと今回蓮池さんが家族会を追い出されたことや西岡が会長になったことは、たぶんまったく関係がないと言うことはないのでしょうね。それなりに現状を憂慮しての発言だと思います。

まだ発売中の雑誌ですので、あからさまな引用はひかえますが、例えば拉致被害者家族らの勘違いした言動や行動が批判されていますし、巣食う会の会計のデタラメさなどが批判されています。なお、西岡はこの記事にたいしての確認取材に対して、取材拒否、かわりに彼の奥さんがコメントしています。

それに対して巣食う会側の反応は次のとおりです。

>◆井川幹事への辞任勧告

井川朗・救う会全国幹事は、救出運動を担うべき立場にありながら、平成22年
3月25日発売の『週刊新潮』で、拉致被害者家族の言動につき、事前に当事者に
照会することなく、根拠を示さず誹謗中傷を行った。これは、救う会規約第3条
に著しく違反する。

救う会全国協議会は、井川氏に対し、救う会全国幹事としての役職の辞任勧告
を行い、救う会和歌山に新たな幹事を出すことを求める。

辞任がなされない場合、次回救う会全国幹事会で発言の機会を与えた上で、処
遇を決める。

以上

救う会規約第3条 本会は、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)への
支援・協力を行い、他の目的を同じくする団体と協力して目的の達成のため活動
をすすめる。

以上



巣食う会の態度やあり方ではこの反応は予想通りというものですが、それにしてもね、ますます巣食う会はまともでなくなり、世間から嫌がられるようになるでしょうね。もっともそれは彼らの不徳のいたすところで仕方ありません。

巣食う会なんかどうでもいいですが、家族会はねえ、いいかげん巣食う会とか安倍晋三とか櫻井よしことか日本会議とかの役にも立たない連中とは縁を切ったほうがいいと思うんですけどねえ。ある意味まともになった蓮池氏が組織の中で居場所がなくなり追い出されて、残った人たちはますます社会から遊離した極論やヒステリーを振りまいて世の中に迷惑をまきちらす存在になっちゃいそうですね。いや、このままでは間違いなくなります。いまでも十分なっているんだから、ますますひどくなります。

あえていいますが、「反北朝鮮」と「家族が北朝鮮から帰る」って、両立しがたいんじゃない? 同じことを前にも書きましたけど、ふつう人質を取られていたら家族は警察に強硬策は待ってほしいって望むもんじゃないんですかね。強硬策とってなんか得するんならそれもいいけど、今のところ、私の知る限りあんまりうまくいっていませんよねえ。北朝鮮のようなまともな常識が通用しない国(と思っているんでしょ、家族会のひとたちは)から家族を取り戻すためには、それこそゴマもすり、適当にお世辞も言い、経済援助もしなけりゃいけませんよねえ。ていいますか、例の小泉訪朝で北朝鮮側が拉致を認めて被害者を帰したのも、けっきょくは経済援助が目当てだったわけで。

安倍とかの自称「強硬策」で北朝鮮から(いるかもしれない)拉致被害者が帰ってきたら、他はともかくその点だけは安倍を少しは見直すところですが、北朝鮮とのパイプを失うというやるだけ馬鹿というものでしかありませんでした。もっとも安倍は、横田夫妻に

>めぐみさんが生きている可能性は九九%ないが、政府としては”生きている”という前提で北に圧力をかけるから同調して欲しい

とまで依頼した疑いがあるくらいで、そうだとしたら(たぶんそうです)何をいまさらながら、どうしようもないやつです。

すいません、拉致問題ではおもいっきり私も(アニセーとかジェーンとかとは別の意味で)熱くなっちゃいます。私は、拉致被害者家族の方々がさまざまな連中に不毛に利用されている(そして、本人たちもその状況を居直っちゃっている)現状が、気の毒で仕方ないんです。そして、批判もどんどんしなくちゃいけないと考えているわけです。
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ジェーン・バーキンとの遭遇 2010 (4)

2010-03-28 06:46:54 | ジェーン・バーキン
トークショー終了後、サイン会会場となるカフェの前に集います。もうすぐ、彼女からサインをもらえるわけです。

午前中にならんだときに私の前にいた方と話をします。彼も、ジェーンと初めて握手できるのでとてもうれしそうでした。

10人づつ列をつくります。私は50番なので、5列目の後ろから10番目だったのですが、これは運があまり良くありませんでした。というのは、位置的にジェーンから遠かったからです。

会場では、サイン会参加者へのプレゼントとして、映画のポスターも配られました。このサイン会でサインしてくれるのは、ジェーン・バーキンと映画の監督でした。正直監督のサインはどうでもいいのですが、それでは監督のサインは映画のポスターに貰うことにしました。ジェーンの写真集よりそちらのほうに貰ったほうが、監督への礼儀にもなるでしょう。

で、いよいよ私の番が近くなりました。だいたいこの時、サインをもらう人はデジカメで彼女を撮りまくっていたみたいなのですが、私はそのタイミングを逃してしまい、撮った写真も下のようなブレブレのボケボケでした。うひゃー、なんたる失態ですが、まあ、私の人生、そんなことの連続です。

で、会場の係りの男性(ついでながらこの男性は、このブログの記事の(1)で、下から2番目の写真でジェーンの隣に写っている男性でした)が、サインをもらうものをあらかじめ用意してくれと言いました。

私は言いました。

私「こちらのページにしてもらいたいんです」

男性「お、これはいい写真ですねえ」

こういう場で「悪い写真です」という人もいないでしょうが、彼の口調はけっこう感心したかのようにも聞こえました。

上の写真は、ジェーンが私の前の方と握手していて、係りの人が、私がサインをしてもらう写真集をジェーンに渡しているところです。監督は、すでに私のもらったポスターにサインをしています。



私の本にサインをしているジェーンに対して私はフランス語で

私「あなたからサインをもらってとてもうれしいですよ」

と言いました。が、残念ながらうまく通じていなかったような気がします。声もあんまり大きくなかったし。



写真を見てから気づいたんですけど、彼女はスーチーさんのバッジをつけていますね。前回私がサインをもらった時も、やはりつけていました。実は、スーチーさんネタでも話そうかという計画も練っていたのですが、やめました。

で、自分のサインを書き終えたら、ジェーンは言いました。

ジェーン・バーキン「あなたの名前を書くわ

え、ぼくの名前まで書いてくれるの!?

さすがに私の名前はBillだとは言わずに、ほんとの名前を言いました。

ところが私の名前ってかなり長ったらしい名前なので、言うのが(って、要はスペルを言ったんですけど)なかなか困難なのと、緊張しまくっていて、私の実際の名前とは少し異なるものが書かれてしまいました(馬鹿)。

でも、まあいいや。これこそまさに私の一生の宝です。絶対に手放しません。私がかりに夜逃げするとしても(しないけど)、これは逃げる先に持っていきます。また、海外移住(これはするつもり。将来は、海外でこのブログを書くことになると思います)の際も、必ず手荷物に入れて運びます。私が死んだって、棺桶には絶対に入れさせません。永遠に家宝としてまつれと強く遺言します。

写真はこちら。



すいませんね、私の名前が書いてある部分はちょっと処理させていただきました。

この日の夜、六本木の街をこの写真集を持ってやたらニヤニヤして歩いている男がいたとしたら、それは私です。

そして彼女と握手・・・・。文句なく私が今までの人生で握手した中でもっとも知名度の高い女性です。

私は思わず大声で英語で言いました。

私「あなたと握手できてほんとうれしいですよ!」

ジェーン・バーキンは私のかなりあからさまな発言を聞いて微笑んでいました。

しかし、これもほんとはフランス語で言うつもりだったので、言い終わった後すこし残念でした。ちゃんと頭の中で事前に仏作文をしておいたのですがね。

今にして思えば

Il y a longtemps que je t'aime.

あるいは

I've loved you so long.

とでもいったほうがよかったかな。ついでながらこれは、クリスティン・スコット・トーマス主演の映画「ずっとあなたを愛してる」の原題です。彼女と握手するチャンスがあったら、これを言おう。ついでながら、彼女はジェーンとも仲がいいとか。

いや、ジェーンだから、teじゃなくてvousにすべきですかね。一応断っておくと、フランス語のteとは親しい間柄に使い、vousは、ある程度丁寧ないい方ということになっています。英語のyouは、vousにあたります。

そうたとしたら、

Il y a lontemps que je vous aime.

になるんですかね。

満足してその場を離れました。写真がブレブレだとか名前のスペルが違っていたとか、そんなことに気付いたのはしばらくしてからです。あ、それから監督とも握手しなかったな。

正直、私もごく平凡な人物ですので、なかなかこれ以上の機会が今後人生であるのかどうか定かでありませんが、こんどジェーンからサインをもらう機会があって、それが名前も書いてもらえそうな状況だとすれば、フランス語で話をするということと私の正確な名前を書いてもらうという2つについては必ず実行しようと固く心に決めました。

先ほどの男性がまだ外にいましたのでサインを見てもらいました。男性は、

「やったじゃないですか!」

と言ってくれました。

ややドジをしたことは否めませんが、でもジェーンからサインをもらって私の名前まで書いてもらって、そして握手までしてもらえたんですからこれは言うことないですね。日ごろの私の行いの正しさが本日報われた(嘘)というものでしょう。

ともかく、ジェーン・バーキンからサインをもらえました。当分、私の周辺ではそこらじゅうで私のしゃーない自慢話が聞かれることでしょう。

ジェーンのまたの来日に期待します。
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ジェーン・バーキンとの遭遇 2010 (3)

2010-03-27 00:14:53 | ジェーン・バーキン
さて、ジェーン・バーキンからサインをもらうのであれば、前にも記事に書いた彼女の写真集に貰いたいので、私はその写真集を用意しました。

こちらの写真集です。



前回、これに貰うはずだったのが見つからずにDVDにサインしてもらったのですが、この写真集にサインをしてもらえばこれに勝る喜びはありません。

どうでもいい話ですが、前回の記事に書いた時は本当この本にサインをもらえるとも期待していなかったし、もらえるとしても数年後のことだと考えていましたが、たった半年後にもらえるのですからとてもうれしく思いました。

しかしそうすると、問題はどこにもらうかです。

ふつうは見開きあたりにもらうものなのでしょうが、ジェーンですからむしろ写真が掲載されているページにしてもらいたいと思いました。

で、なんとも泥縄式ですが、サイン会があと数時間で始まる夜、あらためて写真集を開きました。いろいろな写真がありますが、これはいいという写真がありました。ジェーンが1990年にダーク・ボガード(これが彼の遺作となりました)と父娘役で共演した映画『ダディ・ノスタルジー』撮影の際のフォト・セッションの写真です。

『ダディ・ノスタルジー』自体は私はソフトは持っていますが未見ですので、見たらその感想をこのブログに書こうかと思っています。



また、この映画で彼女は「These Foolish Thing」をジミー・ロウルズと歌っています。けっこういいので、聞いてみてください。

さて、映画を見るために六本木に戻りました。開演は21:15だから90分のさして長い作品ではないとはいえ、ジェーンのトークショーがありさらにサイン会で49人の人の次にサインをもらうとなると、かなり遅い時間になってしまうだろうなと覚悟しました。

映画『セルマ、ルイーズそしてシャンタル』が始まります。なお、この映画の感想をかいているとあまりに長くなるので、この記事では書きません。ご了承ください。

映画終了後、この映画の監督とジェーン・バーキン、あと日本人の編集者の3名によるトークショーが開催されました。でも、日本人の女性編集者の方、最初にちょっぴり話をしただけで、あとは全く影がうすかったな(失笑)。まあ、しょうがないけどね。



ここでお断りしておきますと、私の席というのが(文字通り)一番後ろの(ほとんど)一番はじっこという最悪かそれに近い席だったので、ジェーンの写真は最低の代物です。ごめんなさい。



トークショーは、会場の観客たちからの質問にジェーンと監督が答えるという形式でした。

話の中で、印象的だったことを書きますと…

以下、録音したわけではないので、私の当てにならない記憶より。

ジェーン「私が初めて日本に来たのはシャルロットがおなかにいたときで(注:シャルロットは1971年7月生まれ)、その当時はバーなんかでもセルジュにはお酒をついでくれても女の私にはついでくれなかったわ。日本も変ったわ」

「私はロンドンより東京のほうがよっぽど人気があるわ(会場から笑い)。ロンドンでは声もそんなにかけられないけど東京ではよくかけられます」

さすがにジェーンも、「パリより」とは言いませんでした。

「かつては日本人は私たちヨーロッパ人にあこがれるということがあったかもしれませんけど、今はヤマモトや(注:山本耀司のことでしょうね)、シセイドウなど、欧州にも日本がとても大きく影響を与えているわ」

まあ、リップサービス100%でしょうけど、でも資生堂の関係者の人は、ジェーン・バーキンが固有名詞をあげてくれたんだから会場にいたら(たぶん誰かいたでしょう)かなりうれしかったでしょうね。

また、観客が「ジェーンさんがとてもかっこ悪い下着を(映画の中で)きていましたが…」ということを質問したら、

「あれは、本人のものです」

という回答があり、会場は爆笑でした(これも、ほんとかどうか分かんないけどね)。

で、最後にフランス人(あるいはフランス語を話す人)が、ジェーンに

「日本人はあなたをフランス人と思っているかもしれませんが・・・」

みたいなことを言いました。まさか「ライプツィヒの夏」の読者で誤解されている方はいないと思いますけど、ジェーン・バーキンは英国人ですよ。よろしくおねがいします。 

あれ、なんかまた記事が長くなっちゃいましたね。続きは明日です。
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ちょっとあと数日ブログを休みます。

2010-03-26 08:47:24 | Weblog
すいません、ちょっとしばらくこのブログを休みます。復活は日曜日ごろかな。

復活したら、この記事は消します(ジェーンの記事のリズムが壊れちゃいますから)。

2011年6月1日追記:やはり復活させます。これも「日記」のひとつですから。
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ジェーン・バーキンとの遭遇 2010 (2)

2010-03-22 12:39:28 | ジェーン・バーキン
3月20日(土)

この日、ジェーン・バーキンの主演作『テルマ、ルイーズそしてシャンタル』が公開され、そしてジェーンのトークショーも開かれます。するとジェーンのサイン会も行われると考えられますので(正式には事前には誰がサイン会に出るかは発表されていないのですが、でもそんな予想は誰でも出来ます)、その整理券をもらわなければなりません。午前11時から配られるのですが、当然それ以前に配布場所に行っておいたほうがいいと考えられます。

実はこの日、カトリーヌ・ドヌーヴにマチュー・アマリック主演の『クリスマス・ストーリー』という映画の上映もあり、私はこの映画については前売り券を買い損ねていたのでなんとか当日券が購入できればと会場の六本木のTOHOシネマズへ行ったのですが、残念ながら私が並んでまもなく上の映画の切符は売り切れてしまいました。前の記事にも名前を出したアンヌ・コンシニと握手ができるかもと期待したのですが、今回はだめでした。残念。次のチャンスを待ちたいのですが、でも彼女何回もこの映画祭に来ているからなあ。もう来ることはないかも。

ともかく、ジェーンの映画のチケットを買って(予約だけしていたのです)、急いでサイン会の整理券配布の列に並びました。チケットがないと、整理券はもらえません(事実上)。

私は最後尾に並んでいる男性に声をかけました。

私「こちらが最後尾でしょうか?」
男性「ええ、そうです」

で、こちらの方といろいろお話しました。私が、昨年ジェーン・バーキンのコンサートで出待ちをして彼女からサインをもらった話をすると、その方も行ってサインをもらったとのこと。うーん、世界は狭い。というか、この列に並んでいる人たちの中には、私といろんなところでニアミスしている人が確実に複数名います。

で、私はその男性に携帯で撮ったジェーンの写真を見せました。

私「あんまりよく撮れていないんですけど」

聞くところによると、彼はジェーンの写真も撮れなかったし、手とかも触れることができなかったとか。サインをもらって手も2回さわれて写真も撮れた私は、運が良かったのかもしれません。

私は実は、お恥ずかしい話ですがフランス映画祭に参加したのは今年が初めてでして、段取りその他がよくわからずずいぶん無駄なことをしたのですが、この男性も「不親切だ」みたいなことを話していました。来年からはシステムも理解できたので、かりに変更があるにしても今年のような不慣れによる失敗などはないと思うのですが、映画祭の事務局なども、チケット発売日の告知などをもう少し親切にしてくれればいいのになあと思ったりしました。で、この男性には、このブログのタイトルだけ教えて、よろしかったら遊びに来てくださいと声をかけておきました。見ていただいているかな…。

そうこうしてずいぶん長く並んでいたら、ようやく整理券配布の時間になりました。整理券といっても、持っている映画のチケットに番号の記されたシールをはるというシステムです。1つの作品につき100人サイン会に参加できます。私の並んでいる位置からして私があぶれる可能性はないと思いましたが、でも万が一ということも世の中ないではないので若干の不安は残ります。

けっきょく私の番号は50でした。ちょうど真ん中でした。私の前にいた男性は、49.彼は、「クリスマス・ストーリー」の分ももらっていました。

それではまたサイン会の際にとその男性と別れます。今日の夜は、ジェーンからサインをもらえるのです。おれは運がいいなんてことを考えながら、会場を後にしました。

すいません、長くなったので、続きを明日書きます。
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ジェーン・バーキンとの遭遇 2010 (1)

2010-03-21 07:51:22 | ジェーン・バーキン
このブログは、わざわざカテゴリーに「ジェーン・バーキン」なるものを設けているくらいで、これからも彼女についていろいろ記事を書いていきたいと思います。

さて、前にも一度記事にしましたとおり、東京で行われているフランス映画祭 2010 の団長を、ジェーン・バーキンがつとめています。昨年9月にコンサートで日本に来て以来半年振りの来日です。当然私も、彼女をもとめて三千里・・・とまではいいませんが、やはり彼女の登場するイベントには顔を出していかなければなりません。で、私の目撃した彼女(プレスでもなく、関係者でもない1ファンの視点で)についてレポートしてみたいと思います。といっても、私が目撃したのはたった2日です。

3月18日(木)

この日、フランス映画祭 2010 の代表団が、六本木ヒルズでレッドカーペットに現れます。で、私は、職場をさぼって(って、ちゃんと休暇の手続きはしていますよ)会場に駆けつけました。

ちょっと行くのが遅くなってしまい、あまりいいポジショニングはとれませんでしたが、何とか写真をとってみました。が、悪いポジショニングで悪い機材ですのでいい写真ではありません。ご了承ください。



左:ローラン・カンテ監督/「パリ20区、僕たちのクラス
右:カトリーヌ・コルシニ監督/「旅立ち(原題)」



左:マチュー・アマルリック/「クリスマス・ストーリー(原題)」
右:アルノー・デプレシャン監督/同上



マチュー・アマリックは、女性の声で「マチュー!!」という絶叫が聞こえましたね。男性の声については確認できませんでした。



左:アレクセイ・グシュコブ/「オーケストラ!
右:ラデュ・ミヘイレアニュ監督/同上



左:ミア・ハンセン=ラブ監督/「あの夏の子供たち
右:ブリュノ・デュモン監督/「ハデウェイヒ



ジャン=ピエール・ジュネ監督夫妻/「ミックマック(原題)」



はじめ、奥さんをセシル・ド・フランスと司会の方が紹介してしまい、思わず「え・・・?」という感じだったのですが、情報伝達の問題だったわけですね。

ちなみに奥さんは、こういう方みたいです。



セシル・ド・フランス/「シスタースマイル ドミニクの歌」「スフィンクス(仮題)」



いやあ、やっぱりおきれいですね。彼女はベルギー出身です。



エリザ・セドナウィ/「バス・パラディアム(原題)」



彼女は動きが激しかったので、残念ながらいい写真を撮れませんでした。ほかの写真もひどいものですが、彼女はなおさらです。

それにしても、この女優さんについてはあんまりいい情報を見つけられませんでした。新人でこれからの人なのでしょうね。

同じ日の追記:彼女は本業はモデルのようですね。こちらの記事を参照してください。

個人的には、何回かこのブログにもご登場願っているアンヌ・コンシニの姿を見たかったんですが、残念ながら彼女は登場しませんでした。

そして、本命、真打、トリが登場します。言うまでもなく、それは、ジェーン・バーキン女史です。



彼女にサイン等を求めるファンでごったがえします。やはり今日のメンバーの中では、彼女の知名度と人気は別格ですね。



左:ブノワ・ペトレ監督/「テルマ、ルイーズとシャンタル(原題)」
右:ジェーン・バーキン/同上・フランス映画祭2010代表団団長







私からは死角のところでものすごい絶叫が聞こえます。多くのファンが、彼女にサインをもとめていました。それを見ていて私は、なんでこの人たちは、昨年のコンサートの出待ちをしなかったのかなあなどとつまらんことを考えました。が、それと同時に、おれすごい人からサインもらったんだなあと改めて思いました。





彼女はこのようにもみくちゃにされました。でも笑顔は絶やしません。

かつて、ジェーンの母親であるジュディ・キャンベルは、元夫のセルジュと父親を相次いで亡くして悲しみに打ちひしがれるジェーンに、このように語りかけたそうです

>微笑んでいなさい、そうすれば世界中があなたに微笑んでくれるわ。涙を流すときは、1人で流しなさい

明日は、土曜の彼女を紹介します。

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ソウル紀行 2009-2010 (16)

2010-03-20 01:44:01 | 旅(韓国)


地下鉄の駅で、なにか大勢の人が固まっていました。どうも慈善団体か何かがなんらかの配布みたいなことをしていたみたいですね。



明洞は今日も屋台が出店して大勢の人たちでにぎわっています。特になにを買うというわけでもありませんが、ひととおり回ってみることにします。



いかにも韓国の女の子って感じの方がいました。







ソックスの類を売っていました。



うーん、今でもこのようなものを堂々と売っているんですね。



女の子たちがアクセサリー類を一生懸命あさっていました。





これは何ですかね。アクセサリーの類かな。



ただでさえ寒いのに、ますます寒くなる建物の外観です。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (15)

2010-03-19 00:09:26 | 旅(韓国)


ソウル市庁の近くの店で、ここはキムチチャーハンがおいしいとガイドブックに書いてあったので、ちょっと行ってみようと考えたわけです(お前一日何回飯食うんだというような野暮なつっこみはしないよう願います)。



隣のテーブルにけっこうきれいなねーちゃんがいました。あるいは整形しているのかも。



余談ですが、韓国の食堂って、テレビの画面そのものを写した写真をはりつけて宣伝にしているっていうのがけっこう目立ちます。日本には、このようなものはあんまりないですよね。



いきなりこのようなものが出てきます。



女性が野菜その他を炒めて―



ご飯を入れて―



混ぜ合わせます。



出来上がりの図です。なかなかのお味でした。

(続く)
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