ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

デニス・ホッパーが亡くなる

2010-05-30 07:45:03 | 映画


デニス・ホッパーが亡くなりました。死期が近いことはすでに日本でもくりかえし報じられてはいましたが。今月17日に74回目の誕生日を迎えたばかりでした。



ホッパーといえば「イージー・ライダー」に尽きるでしょう。この映画を製作しなければ、今日彼が亡くなった際に日本のマスコミなどもその死を報道することはなかったかと思われます。時代を象徴する名画でした。



この映画でホッパーは、監督と共同脚本も手がけています(ついでながらピーター・フォンダは製作と共同脚本、脚本はほかにテリー・サザーンも参加しています)。

あるいは企画の段階では流行りのバイク映画という意味合いが強い際物映画だったかもしれない「イージー・ライダー」ですが、出来上がったら「この映画を論じないで映画史は語れない」と考えても言い過ぎではないくらいの映画となりました。ねらったとか意識していたわけではなかったのでしょうが、ある意味そのような映画を製作してしまうというものすごい幸運な星の下に生まれた人物ではあったのだと思います。

理由なき反抗」「ジャイアンツ」でジェームズ・ディーンと共演した彼は、兄貴のような年齢差だった彼に深く影響されていたようです。何をいまさらながら、ディーンが生きていたらどのような俳優になったんでしょうね。

 

ハリウッドの主流から干されて東部でもっぱら活動していたデニス・ホッパーは、ひさしぶりにメジャーな映画としてスチュアート・ローゼンバーグ監督(この人も私の大好きな映画監督ですが、2007年に亡くなりました)「暴力脱獄」に出演します。この作品での彼は、たくさんいる囚人の1人でしかありませんが、しかしここで知り合った俳優たちに「イージー・ライダー」に出演してもらっていますから、たぶんこの映画の出演はホッパーにも強い影響を与えたのでしょう。囚人の1人を演じたウォーレン・フィナティが映画の最初のほうにでてくる農夫(メキシコ人の奥さんをもらっている人)として出演、看守を演じたルーク・アスキューがヒッチハイカーとして出演しています。

あ、関係ないですが、米国でヒッチハイクはやめましょう。そもそも禁止されていますが、「××人殺し」なんてことをする犯人は、けっこうヒッチハイクでつかまえて殺すパターンがあるんです。よそ者だしそもそもヒッチハイクをするような場合、人里離れたような場所で行うわけで目撃者もいないから、どうにもなりません。殺されなくてもひどい目に会う可能性は低くありません。

さて、この「暴力脱獄」で主人公のポール・ニューマンの母を演じていたジョー・ヴァン・フリートは、「エデンの東」でディーンの母親を演じていました。ニューマンは、じつはこの映画でディーンの双子の兄を演じる予定でした。そしてこの映画には、実際に兄を演じていたリチャード・ダヴァロスも出演しています…。

どうです、みなさん。ジェームズ・ディーンつながりで、こんなに幅広く役者たちが大集合していたわけです。

あ、すいません、話が長くなりました。「暴力脱獄」とか「イージー・ライダー」とかを論じていると、つい熱くなっちゃいます。

70年代以降は、酒とドラッグにまみれ、映画会社ともいい関係をもてずに作品に恵まれませんでしたが「地獄の黙示録」にカメラマンの役で出演していましたね。

日本にも縁が深い人で、wikipediaの記述をかりれば

>一方で、絵画や写真に関しても造詣が深く、画家としてはアブストラクト・インプレッションニズム(小さなアプローチで大きな絵を構造化する抽象画)からフォトリアリズム(写真のようにリアルに絵画を描く描写法)を描くまでに及び、写真家、彫刻家としても多彩な才能をもち、自ら世界的に個展を開くなど精力的に活動。日本において個展が催されたこともある。

1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショーや、審査員を務めた1995年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している。また、トヨタ・セリカ(ST200系)、ホンダ・アヴァンシア、ツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある。2005年にはゴリラズのアルバム『Demon Days』に参加した。


とあります。個人的には、ファッションショーなどならまだしも、彼なんか広告につかって大丈夫かよと思いますが。

監督としては、「カラーズ 天使の消えた街」「ホット・スポット」などが印象に残っています。どうしても職業監督としてわりきるというタイプではなかったかと思いますが、でもどちらも私の好きな映画です。単なる趣味の問題ですが、「ハートに火をつけて」は個人的にあんまり好きではなくて…。単に私がジョディ・フォスターを苦手なだけか。

俳優としても監督としても「大成功」したかといえば必ずしもそうとはいえませんが、しかし忘れがたい強烈な個性を発揮した人でした。ご冥福をお祈りします。下の写真は、今年3月のホッパー氏の写真です。

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安藤慶太記者の記事がひどい

2010-05-29 06:15:19 | 社会時評
安藤慶太記者という人が産経新聞にいます。彼のプロフィールはよくわかりませんが、(こちらによると)1965年に福岡県久留米市に生まれ、早稲田大学理工学部を卒業して産経の記者になったそうです。かの阿比留瑠比氏と産経新聞入社以前にもしかしたらニアミスしていたかも。阿比留氏は1966年福岡県太宰府市出身で、早稲田大学政経学部卒業です。入社したのも同じ1990年ですね。

で、この人が書いている

【安藤慶太が斬る】NHKこそ「人間動物園」ではないのか

という記事がひどい。ほとんど開いた口がふさがらないのレベルです。

この記事全体の批判については、こちらの記事をお読みください。bogus-simotukareさんによってきっちり批判がされているので、私が付け加えることもないでしょう。

私はここで、この記事の表題に関わる問題について書きたいと思います。

表題の意味は、なんだかよくわからないでしょうが、次のような主張です。

> ■後講釈による歴史断罪の怖さ

 最後にもう一言。こうした歴史を遡っての断罪が許されるなら、TV自体が将来「人権侵害装置」のごとく不当な断罪を受ける恐れは十二分にあるということだ。人を盛んに見せ物にする、それが「人間動物園」という後講釈が成り立つのであれば、NHKこそ「人間動物園」ではないのか。例えば毎週日曜日に全国各地で行われているのど自慢。司会者が「さあ、次は元気な若手消防団の皆さんです!」。

 「○番、仮面舞踏会!」と始まり、派手なコスチュームとアクションを伴い、途中まで張り切り過ぎた歌を聞かされ、あえなく鐘が「か~ん」。再び3人が大袈裟にずっこけ、会場がドーっと沸きかえる。「元気な仲良し3人組でしたあ」と淡々とコメントして次へ、といった具合である。

 いい笑いものである。「アジアの一等国」としてこんな痛い映像を見せられる(それでいて結構見ていたりする)のだが、これは「人間動物園」ではないのか?

 もしかして「消防団の皆さんがどう受け止め、感じたかということは、『人間動物園』の事実を左右するものではない」のか。

 どーもくんのかぶり物を着せられた方も実に気の毒なものである。ノッポさんに至っては長寿番組の最後にわずかに発言が許されるという酷い仕打ちだし、大河ドラマにいたっては殺戮(さつりく)映像のオンパレードになりかねない。

(後略)


一言。「馬鹿」

断っておきますけど、これ個人ブログの記事とかでなく、新聞社のサイトにその新聞の記者の肩書で寄稿しているものです。つまりこの記事の内容については産経新聞社も責任を持つものであり、ちょっと想像を絶するお粗末さです。

さすがにまともな新聞のデスクだか何かだったら、こんな論説「アホ」の一言で没にするでしょうが、産経新聞はきっちり配信しますからね。おどろくべき馬鹿ぶりです。

そもそも、自分たちの立場や連れてゆかれる事情をあんまり詳しく理解していなかったと思われる台湾の人たちと、今日自分の意志と責任において「のど自慢」のオーディションを受け出演をする人をいっしょくたにする頭の悪さには驚きますし、契約関係に基づいて番組に出演したり降板あるいは契約打ち切りになる芸能人などと比較したってしょうがないでしょう(笑)。

「どっきりカメラ」その他「リアリティ番組」のたぐいを持ちだして論じるのならまだしも、NHKにはそんなような番組ないしね(ここは、apemanさんのご教示)。日本で「のど自慢」に(事情が分かっていなくて)(だまされて)出演することは考えにくいし(未成年の子供ならあるいはあるかな? あれ、「のど自慢」て子どもは出ないんだっけ。私見ていないのでよくわからないんですけど)、こんな時代背景も事情も情勢もちがうことを持ちだすのって、この人ほんとに正気かよというところです。

安藤氏もこんな記事本気で書いているわけではなく、ためにする批判の一環としてこのようなことをほざいているのですが、それにしてもね。ほんと絶望的に頭の悪い人です。

しかし正直、産経新聞の記者だったらこのような人物もありかなと考えてしまう自分に失笑します。ほとんど電波の域ですが、産経はその手の人材にはこと欠きません。

阿比留氏といい安藤氏といい、ほんと馬鹿です。そして、こんな連中を平気で雇用している産経新聞は、彼らなど比較にならないほんとにどうしようもないクズ新聞です。さっさと倒産しろ。

なお、リンク切れにそなえて、魚拓を示しておきます。 です。

2010年12月13日追記:「本当の日本人」なるHNの人物から複数愚にもつかないコメントを受けたので2回目を削除しました。ご了承ください。また同じ人物(と私が判断した人物)のコメントは今後すべて削除します。
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ソウル紀行 2009-2010 (29)

2010-05-28 02:19:33 | 旅(韓国)


足を引きずりながら明洞の街を歩きます。この街を歩いていると、露店の写真を撮らないではいられません。



この人たちの写真はにも掲載しましたね。



途中、コーヒービーン&ティーリーフで休みます。



またまたザッハトルテとコーヒーを頼んでしまいました。疲れていると甘いものがほしくなってしまいます。



この写真、けっこう気に入っています。ダンキンは日本にも出店しましたが、けっきょくミスタードーナツの牙城をくずせず日本を撤退しました。でも韓国はダンキンの天下です。

ついでながら、ダンキンとミスドって、米国では(義理の)兄弟が経営していたって、みなさんご存知でした?





この上の写真も気に入っています。なかなかいい写真ではないかと。



もうしばらく歩いたら、大勢の若者がいました。何だと思ったら、フリーハグの活動家たちです(写真がぼけててごめんなさい)。ってことは、私もハグしてもらえるってこと?

男性とハグしてもつまらないので、なるべくかわいい子を探して「ぼくとハグしてくれる?」と頼んでみました。そうしたらしてくれました。1月1日から女の子にただでハグしてもらえたのだから、今年は運がいい…なーんてことはないなとこの記事を書きながら考えていましたが、でもジェーン・バーキンと握手してサインももらえたからまあいいか。ジェーンという人も、素人さんにもハグしてくれる奇特な女性です。私はしてもらったことはないけど。

ソウルとはなんの関係もないことですが、先日検索サイトで「ジェーン・バーキン 握手」で調べてみたら、このブログがトップに出てくるのには笑ってしまいました。

それにしてもこの日の私は、黒の帽子にサングラス、黒いコートというかなり個性的な服装だったので、ちょっと女の子もひいちゃったみたい。ごめんね。私は悪い人間じゃないから許してね(って、自分でいっても説得力はないか)。



明洞をあとにします。4号線明洞駅から地下鉄に乗ってホテルに戻ります。4号線ですと、私のホテルの最寄り駅である弥阿サムゴリ駅まで一本で行けますから便利です。



今日の朝写真に撮った占いのテントも明かりがともっています。元旦から悩める人々の相談にのっているのでしょうか。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (28)

2010-05-27 05:34:42 | 旅(韓国)


時間と空間がスキップして、ここはロッテ・ホテルです。飽きもせず馬鹿高いコーヒーとケーキを食べます。疲れるとこのような甘いものを食べたくなってしまいます。



ホテルを出て、サムゲタンを食べることにします(また…?)。



実は私は、韓国で本格的な店でサムゲタンを食べた記憶が2回しかありません。ソウルで食べたのは、有名な土俗村という店でです。今回は、明洞の百済参鶏湯
という店で食べることにします。



場所がいいせいもあり、元旦でも満員でした。ついでながら肖像権保護のため顔は削ってありますが、左に写っている女性は日本人でした。



確認はしませんでしたが、ほかにも日本人の客が多かったかもしれません。



ぐつぐつ煮えて運ばれてきます。



実は私は、参鶏湯はそんなに好きというわけでもないのですが(だからあんまり食べにいかないわけで)、でもおいしかったですね。この手のものは、専門店で食べるに限ります。



店を出ます。この店の1Fはカルヴァン・クラインの店でした。日本では、このようなテナントの入り方はありえないでしょうね。この写真を撮る前に足をひねってしまい、やばいと思ったのですが、幸い大したことはありませんでした。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (27)

2010-05-26 06:20:53 | 旅(韓国)


次なる目的地は、麻浦のあたりにある地下鉄6号線大興なるあまり聞かない駅の近くにある冷麺の店です。「地球の歩き方」にのっていたので食べてみようと考えたわけ。しかし地図もおおざっぱで、たどり着くのも容易ではありません。タクシーでも乗ろうかと思ったのですが―



だんだん日も沈んできました。



なんとか店を見つけることができました。乙密台(台は、ほんとは難しい字みたいです)という店です。店名は、平壌の景勝地の名からだそうです。つまり平壌冷麺の店ですね。リンク先の記事によると、昨年の今ごろ、服を脱いで世間を騒がせた某超有名芸能人の色紙もあるみたいですね。私は確認しませんでした。



内装は別になんていうこともありません。しかし・・・。





冷麺をいただいたらそのおいしさにおったまげました。私もソウルのいろんな店の冷麺を食べていますが、たぶんこの店のものが一番おいしかったと思います。

スープはシャーペットのように氷が入ったりしていますが、ほんとおいしい味です。

これはいい店に来た、何度も来ようと考えたのですが、そういうわけにもいかなくなってしまったのが残念です。



店を出ます。キャッシャーはなかなか個性的でした。



店の周辺は、中心部からはなれた典型的なソウルの街という雰囲気です。



地下鉄の駅から少し歩くので、けっして行きやすい店ではありませんが、行ってみる価値はあります。ぜひどうぞ。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (26)

2010-05-25 08:04:43 | 旅(韓国)


日帝時代の刑務所を見学しようと考えました。



寒々とした道を歩きます。







刑務所にたどり着きますが―



今日は閉館していました。元旦だから仕方ありませんが。旧刑務所にはそぐわないかわいいイラストです。それにしても「謹賀新年」だけ感じなのは、韓国での漢字の使われ方の典型かも。つまりもったいぶったときに使用するという。



しかし昔この刑務所に拘禁された人たちはこの季節は文字通り凍えたでしょうね。



酷寒のソウルで、ベンチに寝転がりました。空がけっこうきれいでした。



次なる目的地へ向かいます。遠くにソウルタワーが見えます。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (25)

2010-05-24 01:52:17 | 旅(韓国)
昨日(23日)は、都内で面白いイベントがあるので潜入取材をするつもりだったのですが、遺憾ながら取材できませんでした。申し訳ございません。人が嫌がるところに入り込み、面白い情報を提起するのもこのブログの目的だったのですが。tさんからは過分の期待のお言葉もいただいていて、私もはりきっていたのですが、残念です。しかしまたチャンスはあるでしょうから、その時にまた面白い記事を書こうかと思います。



ビルに駆け上がって、3F(だったっけ)に入ると、上のような光景でした。つまりさまざまな店がしきりすらなく営業しているわけです。

それにしても学生風の連中が店には多くいました。日本では、正月の1月1日に3人以上の学生が集まってランチを食べるなんてあんまりないような。この辺は国民性のちがいでしょうね。



スンデコプチャンなるものを頼んでみました。食べすぎです。





出来上がりの図です。味はそんなに強くないので、真ん中にある薬味で好みにアレンジするということですね。



写真のような若いカップルが食べている姿をみていると、韓国って自国の料理の志向がつよいんだなと感じます。日本では元旦にこのような店でカップルが食事をするってことはあんまりない…というよりそもそも店が開いていない可能性が強いか。最近はだいぶ営業するようになったけど。



こちらのビル(お隣です)にもスンデの店がたくさんあるそうです。中は見てみませんでした。



また地下鉄に乗って、次なる場所へ遊びに行きます。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (24)

2010-05-23 18:50:59 | 旅(韓国)


食べ終わって店を出て明洞に向かいます。昨日のニューイヤーズ・イヴの騒ぎの後片付けをこの男性はしていました。





この通りも数えきれないくらい歩いていますけど、こんなに人通り、車の交通も少ないとやはり異様な気がしました。もう時間はそんなに早いわけでもないのですが、緯度が西なので太陽はまだ低いですね。



乙支路の地下にあるワッフル屋に今日もきてしまいました。元旦でもしっかり営業していましたが、お客は少なかったですね。



ネクタイその他を買うためにロッテ百貨店の免税屋に行きました。ソフィー・マルソーの広告がありました。彼女はディオールの宣伝をしていたんですね。知りませんでした。



地下鉄に乗りー



新林の駅でおります。ここに「スンデタウン」とも日本では呼ばれる(韓国ではどうなんだか知りませんが)スンデの店が固まっている地区があるのです。



通りが散らかっているのは昨日の騒ぎのせいですかね。



このビル(とあともう1つのビル)にスンデの店がたくさん入居しているわけです。昔はたくさんの店があったらしいのですが、再開発でこのビルに集合したみたい。

中に入ってスンデに挑戦してみます。

(続く)
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ソウル紀行 2009-2010 (23)

2010-05-22 09:35:19 | 旅(韓国)
すでに書いたような事情で、もう年末年始をソウル(韓国)で過ごすということはなさそうです。残念です。というわけで、このような記事を書くことも貴重になってきました。

ソウル紀行を復活します。前回の記事はこちら。今回の記事から2010年です。



2010年1月1日のソウルです。



これは占いのテントですかね。韓国人も占いは嫌いではありません。



地下鉄に乗りました。昨日あんなに苦労してタクシーに乗ってホテルについたのに、すぐ近くに地下鉄の駅があったのにはうんざりしました(ホテルの最寄りの駅は写真の駅ではありませんよ念のため)。



おんなじことを何回も書くと、やはりソウルの地下鉄は広いですね。ゆったりしています。



鐘路に到着します。



近代的なビルの一角に



清進屋というヘジャンククの有名な店があります。前にもこのブログでも紹介しました。24時間営業です。1937年創業で、日帝時代からの店です。前は店名どおり清進洞にあったのですが、再開発でこのビルに移転しました。2008年8月に移転してからは初めて来ました。前のほうが(当然ながら)雰囲気は良かったですね。



牛の血の塊などが入ったスープに、



ご飯を入れていただきます。濃厚でおいしい味です。これが私が2010年に最初にいただいた食べ物です。この店も何回行ったかわかりませんが、もう行くこともないのかな。

(続く)
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とりあえず2015年いっぱいまで韓国へ入国しないことにする

2010-05-21 03:48:52 | 旅(韓国)
すいせん、木曜日(20日)は、しばらくぶりに記事を書きませんでした。

水曜日(19日)に記事を書いて、それからWakabunさん、きらら@南半球さん、ななしのたかさん、Elekt_raさんによるコメントをありがたく拝読して今後の韓国への渡航についてあらためて私なりに考えました。すこしは私の頭も冷静になりましたし、べつに私も韓国に一生入国したくないわけではないので、さてどうしようかなと。

あれこれ考えて、とりあえず5年間韓国へ入国しないことにしました。1年では抗議にならないし、3年でも短すぎる。10年は長いので、5年が妥当かなと(勝手に)考えました。つまり2015年までは韓国へは行きません。

しょせん「大海の1滴」「蟷螂の斧」でしょうが、私ができる抗議はこれくらいしかないので。

2016年以降は、その時になったらまた考えます。今のところはあまり入国しようという気にはなりそうにありません。

しかしですよ、こんどは台湾、中国、香港ていうふうに指紋採取がひろまったら、これはまずいですねえ。

最終的には、シェンゲン協定内部の最初の国に入国した際には指紋を採取するっていう話になるでしょうね。

そうなったらしょうがないから、このブログで海外旅行をやめる宣言をすることになるかもしれません。

でも、そうするとこのブログどうしましょう。

やっぱり店じまいですかね。海外旅行をやめることを宣言した日の記事でみなさんとはお別れですね。

どっちみち数年後の話です。

追記:今回の韓国の指紋採取がかなり性急に導入された背景は、こんどの韓国の地方選挙の関係があるかも。北朝鮮の魚雷(?)の話が昨日これまたかなり急いで発表されたのと同様に。
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