ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

世界陸上の美女たち 2019 (Day1)(9月29日発表)

2019-09-30 00:00:00 | 美女探求(2019世界陸上の美女たち)

 

すみません。私が写真をもらってきた某サイトが、なぜか今回の世界陸上に関しては写真を配信してくれないので、あいにくまとめて写真をご紹介することができません。よってテレビ画面を撮影したものをご紹介します。大変見にくくて恐縮ですが、乞うご容赦。初日は800m、3000m障害、棒高跳、走高跳を。初日ですから予選です。なおこのブログは、更新はその日の0時に新しい記事が発表される設定にしていますが、しばらく記事が完成したら発表するということにします。ますは800mを。なお選手の表記はよくわからないので、日本語版Wikipediaがあれば、その表記を。なければ名字はTBSの表記にのっとりますが(ファーストネームは、TBSはイニシャルのみ)、「V」は「ヴ」と表記します。

スイスのセリーナ・ブヘル(Selina Büchel)。

ポーランドのアンナ・サバト(Anna Sabat)。ポーランド人は美女が多いので要注目です。

左からカナダのリンゼイ・バターワース(Lindsey Butterworth)、モロッコのハリマ・ハシャラフ(Halima Hachlaf)、ラトヴィアのリーガ・ヴェルヴェーレ(Līga Velvere)。

ウクライナのオルハ・リャコワ(Olha Lyakhova)。

お、すごい美人じゃん。こういう美女がいるから、私はチェコが好きなのです。チェコのディアナ・メズリアニコワ(Diana Mezuliáníková)。

容姿といいスタイルといいユニフォームの露出度といい、申し分ないとは彼女のことです。でもトラック種目では、こういう美人は、だいたい予選通過もできないんですよね(苦笑)。彼女もご同様。

上のチェコの人は露出度が高いですが、そこまでいかずとも彼女のように完全に腹を隠している人は、特に欧州の選手では珍しいですね。スイスのロール・ホフマン(Lore Hoffmann)。

米国のハンナ・グリーン(Hanna Green)。いいPBを持っているのですが、今回はだめでした。

この時は笑顔だったんですがねえ。

スウェーデンのロフィサ・リンド(Lovisa Lindh)。残念ながら彼女も予選落ち。

ウクライナの、ナターリャ・プリシチェバ(Nataliya Pryshchepa)。ウクライナ語って、ラスト「pa」で、バって発音になるんですかね。

彼女は予選を通過しました。彼女のような美女がもっと予選を突破してくれないと困ります。

英国のアレクサンドラ・ベル(Alexandra Bell)。彼女も予選突破です。英国は、中距離はなんだかんだといって強い。

美人だと思うけど、たぶん金髪は染めているんだろうな。

正面からの画像がなかったので、わかりにくくてごめんなさい。オーストラリアのカーリー・トーマス(Carley Thomas)。現段階#mce_temp_url#Wikipediaに名前がないので、彼女のものと思われるインスタグラムをリンクします。

英国のリンゼイ・シャープ(Lynsey Sharp)。彼女も何回も紹介しています。残念ながら予選落ち。

モロッコのラバベ・アラフィ(Rababe Arafi)。モロッコは世俗的なイスラム国家なので、腹の露出もOKです。

イタリアのエレノラ・ヴァンディ(Elenora Vandi)。びりっけつで予選敗退。英語版Wikipadiaに項目がないので、彼女のFacebookらしきサイトをリンクしておきます。

それにしても白人のトラックアスリートって、ほんと弱いですね(苦笑)。なかなか一次予選の突破も難しい。

お次は棒高跳。米国のサンディ・モリス(Sandi Morris)。

ノルウェーのレネ・オルスウンド・レチウス(Lene Onsrud Retzius)。

スロヴェニアのティナ・ステイ(Tina Šutej)。ぎりぎり予選通過。

ギリシアのカテリナ・ステファニディ(Ekaterini Stefanidi)。たぶん彼女が優勝候補筆頭でしょう。

棒高跳はもっと美女がいるはずですが、写真がないのであとは後日の研究ということで、今度は3000m障害。カナダのマリア・バーナード(IAAFでは、Maria Bernard-Galea)、デンマークのアンナ・エミリー・モラー(Anna Emilie Møller)。

左から、ハンガリーのヴィクトリア・ヴァグナー=ギュルケーシュ(Viktória Wagner-Gyürkés)、米国のコートニー・フレリクス(Courtney Frerichs)、トルコのテュグバ・クヴェンク(Tuğba Güvenç)。たぶんトルコの選手の名前の表記は妥当ではありません。


アルバニアのルイーザ・ゲガ(Luiza Gega)。アルバニアのアスリートというのもあまり見かけないな。

オーストラリアのペイジ・キャンベル(Paige Campbell)。Wikipediaに名前がないので、IAAFの選手名鑑をリンク。

アイルランドのミッチェル・フィン(Michelle Finn)と英国のエリザベス・バード(Elizabeth Bird)。バードのほうは、Wikipediaに項目がないので、IAAFの選手名鑑にリンク。

フィンランドのカミラ・リチャードソン(Camilla Richardsson)。名前からしてたぶんスウェーデン系フィンランド人。で、こういうスーパー美女が、真っ先に予選落ちするわけです。

オーストラリアのジョージア・ウィンカップ(Georgia Winkcup)。IAAFの選手名鑑にリンク。人のよさそうな顔をしています。

英国のロージー・クラーク(Rosie Clarke)。英国人のちょっと美人な女性にありがちな顔です。

スペインのイレーネ・サンチェスーエスクリバノ(Irene Sánchez-Escribano)。

スロヴェニアのマルッサ・ミスアス(Maruša Mišmaš)。彼女は予選を通過しました。

いずれにせよ多くは1次予選で敗退するわけで、ましてや白人選手の大多数はそうですから、私としてはやはり一次予選からトラックは注目しないといけないわけです。

それでは次が真打、走高跳を。個人的な趣味を書きますと、陸上競技では、幅跳と高跳が最高の美女の宝庫ですね。次が中距離です。マラソンになると、白人の割合が減るしまた汗だくで疲労困憊になるので、被写体としてはいまいちです。

 

ますはロシア(Authorised Neutral Athlete)のマリヤ・ラシツケネMariya Lasitskene)。ここ最近の大会ではほぼ勝ってばかりいる第一人者です。すごい美女です。

 

彼女の後姿・・・う、脚長い。

隣にいるのは、ウクライナのユリヤ・レフチェンコ

 手前は、(たぶん)クロアチアのアナ・シミッチ(Ana Šimić)。正面からの映像はありませんでしたが、彼女もすごい美人です。

うーん、クールビューティー、すばらしい美しさです。

ウクライナのヤロスラヴァ・マフチク(Yaroslava Mahuchikh)。彼女も2mジャンパーです。その美しさといい若さといい、強さといい、これぞ美女アスリートの鑑です。

ドイツのイムケ・オンエン(Imke Onnen)。身長190㎝です。

彼女もなかなかです。

ベルギーのクレール・・オーセル(Claire Orcel)。

失敗でおかんむりです。が、予選は通りました。

この記事はちょっと写真が多すぎました。次回から絞ります。

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不定期連載・普通自動二輪免許取得記(前説3・最初に原付免許を取得する)

2019-09-29 00:00:00 | 自動二輪免許取得(普通自動二輪編)

早く二輪免許取得の話をしろという向きもあるかもですが、すみません、今回をふくめてあと2回前振りの記事があります。

私の就職先や仕事内容をここで書くわけにはいかないので詳細は書けませんが、就職したら、まず自動車免許を取らなければいけないと私は脅されました。うひゃー、こんなところ就職しなければよかったと後悔しましたが、それはともかく。自動車運転以前に、原付バイクを運転していろいろ回らなければいけないと言われました。私は自転車はさすがに乗れますが、バイクなんて自慢じゃないですが人生1度たりとも乗ったことはありません。これも参ったなと思いました。

が、幸いにも原付バイクの試験は、筆記試験でOKです。そういうわけで問題集を買ってひいひい勉強しました。それで試験を受けたのですが、残念ながら落ちました(苦笑)。そでは勉強して再受験ですが、今度はしっかり勉強してなんとか合格しました。

しかし合格しただけではバイクに乗れません。今度は実習がある。それで最大限早い日程で実習日を予約し、当日実習場へ行きました。

すると私と中年女性がやや年齢が高く、あとは十代の若者ばかりでした。スクーターに乗りましたが、若者はみな運転がうまく、おもわず「君たち無免許運転しているだろう!」と言いたくなりました(言わなかったけど)。それで私と中年女性はやはりへたくそでした。が、なんとか合格をもらって免許がもらえました。20代も数年をへてようやく原付免許ですが、免許取得に至ったわけです。思わず中年女性と「よかったですね」と声を掛け合いまいた。

このあと翌年3月にAT限定の普通自動車免許を取得したので、その免許証は1年にも満たない期間しか所持しませんでしたが、原付免許を取得してから私が乗ったのは、スーパーカブでした。ホンダが作る変速ギアをもつバイクです。スクーターのほうがギアがないので楽でして、ギアを変えて運転するのは最初は大変でした。ローで発進しセカンドで調整してサードで安定させる、私は同時並行して取得していた普通自動車免許はAT専科でしたので自分でギアを変えるということがなかったわけですが、たぶん後のAT限定解除の際にある程度役だったと思います。ただしスーパーカブはクラッチがありません。これが、二輪免許を取得する際にちょっと戸惑うところでした。

けっきょく私は仕事の関係で4年間にわたりカブに乗り続けました。おかげでだいぶ運転も上手になり、時速60km近くとばして(もちろんこれは、完全な交通違反です)わりと遠いところまでいけるようにもなりました。ただ4年のうち3回転びました。1回は坂道を下って路上の砂にタイやをとられて転び、後は堤防への坂道を無理やりあがろうとして転び、3回目は、道路に穴ぼこがあり(ひどい道路です)、そこにタイヤを入れて転びました。が、4年間繰り返し原付バイク、しかもカブに乗っていたおかげで、それからずいぶんたってからの二輪免許取得に大いに役立ったかと思います。

4年間働いた後仕事が変わったのでその後バイクには1度として乗っていませんが、たぶんこのときの原付バイク経験がなければ、今年私が二輪免許取得に挑戦することもなかったかと思います。まったく人生、なにがどう影響するかわかりません(苦笑)。

というわけで、次回から本番の二輪免許取得についてを記事にしたいのですが、すみません、AT限定解除の記事をもう1本書かせてください。

注:この記事および他記事の運転免許取得の話は、あくまで私の経験であり、記憶違いほか勘違いがある可能性があります。また私の免許取得時点の法令と現在との違いや地域特性、教習所による違いもあるかと思いますので、現在、日本全国に当てはまる話かは特に確認していないので不明です。その点ご留意の上お読みいただければ幸いです。これは以後の記事も同じです。

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しばらく世界陸上の美女の特集体制になります

2019-09-27 00:00:00 | 美女探求(2019世界陸上の美女たち)

いよいよ2019年の世界陸上が始まります。このイベントが、拙ブログの集客の大きな武器になるわけです。ここは私も、はりきって連日美女をご紹介しなくてはいけません。TBSのページをはっておきます。また、あらたに美女探求(2019世界陸上の美女たち)というカテゴリーを作りましたので、このカテゴリーで記事を発表します。

世界陸上ドーハ|TBSテレビ







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これも、大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型だと思う(複数の追記あり)

2019-09-26 00:00:00 | Weblog

昨日こんな記事を読みました。

>「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で
2019年9月25日 4時0分スポーツ報知 # 芸能# 訃報・おくやみ

 予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。

 佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。

 1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。

 2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。

 18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。

 ◆佐藤 忠志(さとう・ただし)1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院修了。77年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の大学受験ラジオ講座担当。88年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めた。2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。

記事でも紹介されている、2018年の記事はこちら。

年収2億カリスマ予備校講師・金ピカ先生…朝からビールの日々「生きる屍です」
2018年7月5日 11時30分スポーツ報知 # 芸能

 あの金ピカ先生はほとんど引きこもりの孤独な余生を送っていた。1980年代に予備校のカリスマ人気講師として君臨、高価な宝飾品を身にまとい、独特な風貌でタレントとしても活躍した佐藤忠志さん(67)。1年半ほど前に、長年連れ添った愛妻が夫婦喧嘩で家を飛び出し、今は「やりたいこともないし、やることもない。生きる屍(しかばね)です」。それでもこれまでの人生を「バラ色」と振り返った。

   *  *  *

 コワモテの風貌とは対照的に人懐っこい笑顔で親しまれた金ピカ先生。目ヂカラがしかし、失われているようにも見えた。

 「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」

 2001年に小泉政権の自民党公認で出馬。落選したが、それまでも政界から何度となくオファーを受けるほど知名度と人気は抜群だった。1980年代に代々木ゼミナールを手始めに東進ハイスクールなど予備校のカリスマ講師として君臨。「いつやるの? 今でしょ」の林修先生のようなタレント講師の走りだった。

 当時の年収は。

 「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」

 当時の代ゼミ人気のなかでも金ピカ先生の存在はズバ抜けていた。講座を取るために徹夜の行列が出来たほどだった。

 「でしょ。だって、500人(の講座)が2時間(で締め切り)でしたもん。私は人気講師だったから」

 教壇で日本刀をかざすパフォーマンスも人気だった。今では完全にアウトだろう。

 「正月の講演の時に竹、ズバッとやりました。大歓声でした」

 当時の代ゼミ講師は「5者」でないといけなかったという。

 「易者、芸者、医者、あと2つ、なんでしたっけ。…役者、学者ね」

 受験生の未来を占い、導き、受験生をもてなして引きつけ、時にはメンタルにも気を配り、知識をたたき込むためのパフォーマンスが求められた。金ピカ先生は、話術だけでなく、独特な風貌でも人気を集めた。

 当時、代ゼミの講師用の駐車場は高級外車だらけだった、とも聞く。

 「それは嘘ですよ(苦笑い)。ただ、横浜校の駐車場は私のリンカーンが止まれるスペースを作ってくれました。(代ゼミが)こんな凋落するとはだれも思ってなかったでしょう。だからあの頃の私と同じ年齢の先生たちは、今、生活大変でしょうね。かわいそうに。大船校も撤退して、行ったら、道路まで変わっちゃって。あの頃は、大船校の商店街で、私の講座の生徒がすげえもんだから苦情がきたんですよ。ところが私が横浜校に行っちゃったら、あの頃が懐かしい、また大船に戻ってきてくれって。商売なんないって言ってました」

 タレント予備校講師は金ピカ先生がまさに先駆者。その後の道を切り開いた。

 「そうですね。だけど、林先生はギャラ、安いんじゃないですか。(当時の)私は、ホテルは一番いいスイートでしたし、移動はハイヤーでしたし、新幹線はグリーンはもちろん、飛行機はファーストクラス。ねー、いい時代でした」

 ちょうどバブル期も重なった。使っても使っても使いきれないほどの収入を得た。

 「欲しいもん、なんでも買えました。スイスでこれ(時計)買いに行ったんですよ。そしたら、ホテル代出してくれましてね。お金あると逆に使わなくて済むんです。時計の値段? 当時で2000万円。キャッシュで? そうです。キャッシュが一番強いんです」

 ところで、林先生と面識は。

 「全然ないです。歳がだいぶ離れていますから、接点ないです。でも、そうやって生き残れるのは、一握りじゃない、一粒ですよ」

 最近、テレビから出演依頼はないのだろうか。

 「お座敷かかんない」

 テレビを見ることは。

 「ニュースと野球だけ」

 そう言ったところで「お茶を出さずにすみません。女房いないもんで」と話した。取材場所は都内にある先生の自宅。室内は確かに荒れ、途切れることのないたばこの灰皿は吸殻が山盛りに埋め尽くされていた。

 健康が心配に思えた。

 「心配していません。早く死にゃあいいと思っていますから。1人で生活して? 1年半ほどです」

 離婚はしていない、という。

 「女房のやつがね。私が暴力ふるったとウソの110番して、警官が6人きて、11日間、留置されましたよ。戻ってきたらいなかったんです。犬連れて。まあ、ほっぽっときますけどね。もう女房に未練ないし」

 そう言いつつも、室内には著名人との写真の他に、若かりし頃の愛妻とのテニスコートでの記念写真などがまだ飾られていた。9年前に脳梗塞で倒れた直後は、愛妻との約束で酒を断ち、食事にも気をつけていたが、1人となった今では自暴自棄のような言葉を度々、口にした。

 妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。

 「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」

 ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。

 趣味の暴走は、熟年夫婦の亀裂になった。

 「女房が反対したからですよ。勝手にキャンセルしちゃったんです。結局? 買いました。大きなケンカに? 私から車を取り上げよう、取り上げようとするから…」

 車は生きがいだった。

 「リンカーン・コンチネンタル、キャデラックのフルサイズ、ベンツのオープンカー、ロールスのターボに乗ってきました。今のティファニーは私にとって息子のようなものです」

 まるで漫画「ルパン三世」の中に出てくるような見事なクラシックカーだが、都内で乗り回すのにはなかなか大変にも思える。

 「簡単ですよ。ただ、駐車場がね、困るんですよ。ホテルしかダメですね」

 人気絶頂のカリスマ講師時代は、そんな愛車のどでかいトランクが生徒からの差し入れで埋まった、という。

 「530リッターのトランクがいっぱいになって、車内もいっぱいになりましたね。おねえちゃんの下着とかもありましたよ。オレは外見じゃなくて中身の方が好きなんだよって言ったら、翌週(差し入れた)彼のお姉ちゃんが来て、私、先週の中身です、って」

 至る所に教え子がいて、偶然の出会いもある。

 「向島の芸者がね、慶応を出て、慶応の大学院出て、考古学学んで。相撲の力士と親方と行ったんですよ。ハメ外すかなーと思ったら、玄関で、先生、昔お世話になりましたって。そしたら親方、どんなお世話したんだーって(笑い)」

 教え子たちの存在が励みになり、人生のピンチを救ってもくれた。

 「脳梗塞を2度やりました。あと、心筋梗塞も。最初の時は3時間の開頭手術でした。脳外科の教授が私の教え子で、先生を殺しちゃいけないと思って、メス、震えましたって。心筋梗塞ではステントいれました」

 時の流れは速い。

 「ですね。人生と言うのは、振り返ると短いですよ。あっという間です」

 最後に、これまでの人生を「色」で表現するなら、と聞いた。

 「バラ色ですよ、ずっと。だって、仕事でイヤな思いも苦労もしたことないんですから」

 金ピカからバラ色へ。そういうことなのだろうか。

 「そう。はい。バラ色の余生? ええ」

 梅雨が明け、暑い季節がやってきた。再び、健康と生活ぶりが心配になった。

 夏場、大丈夫だろうか。

 「あぶないっす」

べつに全文引用する必要もありませんが、リンク切れにもなるし、これもいろいろ参考になるかなと思ってご紹介しました。報知新聞が彼の死亡記事を率先して伝えているのも、たぶん2018年の記事の関係でしょう。私もこの記事を、発表された直後に読んだかは記憶にありませんが、ともかく読んでいます。それで佐藤氏の窮乏も私は知っていました。

なお一応お断りしておきますと、他紙の報道などからすると、見つかった遺体が佐藤氏かどうかの最終的な確認はまだされていないようです。外見がかなり個性的な方ですから、どうも相当遺体が傷んでいる模様ですね。つまりある程度死後日数がたっているということでしょう。確認はされていないとはいえ、遺体が佐藤氏であることは確実であると考えられますので、以後佐藤氏が亡くなったという前提で記事を書きます。

訃報記事で私が興味のあるのがこちら。 

>佐藤さんは生活保護を受け

ってことは、昨年の記事にあった車などは売却したってことなんですかね。引っ越しもしたのか。そのあたりつまびらかでありませんが、あんな車を持っていて生活保護はないでしょうから売却した、しかし売却益をもってしても金がなくて首が回らないっていうところだったんですかね(9月28日付追記:下の追記部分をご参照ください)。そのあたり詳細は不明ですが、病気のせいもあるにしてもこれといった仕事もしていなかったみたいだし、奥さんからも逃げられた。それで1日じゅうビールばかり飲んでいるようではまったくもってどうしようもないとしか言いようがない。孤独死も、なるべくしてなったというべきかもしれません。

それでこういう記事を読んでいて思うのが、前に私が書いたこのような記事です。正直内容はけっこうシビアですが、やはりこういう現実があるということは受け止める必要があるでしょう

「自分は例外だ」なんて考えないほうがいいのかもしれない(米国スポーツ選手の浪費と困窮について)

記事でご紹介した米国のスポーツ選手はまた桁、次元が違いますが、でも本質的には変わらないですよね。後先のことを考えず散財した結果です。また下の記事でご紹介しましたように、かつては全米トップの人気を誇ったといって過言でないスーパースターの俳優も晩年は経済的に困窮したようです。

バート・レイノルズも金には困っていたらしい

上の記事でもふれましたように某有名ミュージシャンの困窮も有名ですし、子役の家が大金が入ったために家族全員狂ったなんて話もありふれています。

世の中頭の悪い人間がいて、そういう人は大金を短期間に実に無意味に散財してしまうことがありますが(犯罪者など)、佐藤氏の場合、勉強はできるのでしょうが、けっきょくのところ、金の使い道を考えるとか後先のことを考えるとかについては、まったくもって米国のスポーツ選手やバート・レイノルズや子役(の家族)、犯罪者と同類だったのでしょう。で、本人もそういう自分のだめさは重々承知ですから朝からビールを飲み続けるような生活になったのでしょう。自己嫌悪が激しかったわけで、今回の死も自殺ではないかもですが、実質緩慢な自殺に近いように思います。

おそらく2018年の記事が発表された際は生活保護受給者ではなかったのでしょうが、彼も生活保護を受ける際は、ついにここまで来てしまったか・・・という気持ちは強かったでしょうね。それにしても過去年収2億円の人が理由や過程は定かでないにしても生活保護受給者になり孤独死する。そこまでいかなくてもいいだろうと個人的には考えますが、たぶん彼は、どこかで完全に止まることができなくなっていたのでしょうね。財産を失う人というのはそういうものなのでしょう。下の記事で私が紹介した人と同じです。

金をためられる人、財産を残せる人は、けっきょく金にシビアなのだと思う

なお、伝え聞いたところによると、この記事に登場した女性は、2年ほど前に亡くなったそうです。だました男は、葬式に来たのですかね? いや、そもそも葬式をしたかも定かでありませんが。

佐藤氏も、この記事のタイトル

>大金を稼いだ人がくだらん散財で財産を失う典型

としか思えませんね。たぶん上の記事の女性と同様、本当に親身になって意見してくれる人がいなかったんでしょうね。いてどうにかなったかは定かでありませんが、いた方が彼もまだましな人生を歩めたでしょう、たぶん。

佐藤忠志氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。

記事発表日の追記:元の記事では写真は(あえて)はりませんでしたが、こちらの記事を読んでほんと絶句しました。

追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」
「生きていても、意味がないから」

その記事に発表された写真です。今年8月末の撮影とのこと。

あまりのひどさに言葉もありませんね。なお昨年8月の写真が下です。

この時はまだ笑顔も見せていましたが・・・たった1年でこうなってしまったわけですね。上の記事ご当人の弁によると焼酎(ビールではないそうです)と煙草くらいしか口にせず、食事もほとんどとっていないということで、あるいはですが相当精神もやられていたのかもですね。おそらく入院でもしなければいけなかったのでしょう。たぶん医療の保護も受けていたと思いますので、それなら医療費に金はかからないはずですが。下は、1988年に出版した本の表紙から。

上の収入2億円うんぬんの時代がこのころでしょう。

いやはや、人生あんまり後先のことを考えないで生きていくのはやっぱり考えものだなと思います。ほんと、そうです。

9月28日の追記:inti-solさんから、inti-solさんのブログ記事へ投稿した拙コメントに対する興味深いコメントの返しをしていただいたのでご紹介します。出典は、こちらより。

>(前略)

1億円のクラシックカー、それが別居の原因ということで、別居が2016年頃というので、購入もその頃、ということなのでしょうね。
1億円を生活費に当てていれば、65歳からなら、まずお金に不自由することなく人生を終えることができたでしょうけどね。それができなかったんですね。こう言ってはなんですが、亡くなるべくして亡くなった、というしかないのかなと思います。

まったくの想像ですが、車は処分していなかったと思います。売りに出して、すぐ売れるようなものではないでしょうから。それに、どう考えたって売って生活費に充てようという気なんか、これっぽっちもなさそうです。

(後略)

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こんどのメンバーはかなりの美形でスタイルもすごい(C.C.ガールズ3の結成)(10月20日追記:もうこの様か(苦笑))

2019-09-25 00:00:00 | 美女探求

ちょっと記事を書くのが遅くなりましたが、先日の芸能記事より。

>「C.C.ガールズ3」結成!事務所先輩の武井咲&河北麻友子も祝福
9/19(木) 7:00配信サンケイスポーツ

美脚を披露して初代、2代目に負けない色気を漂わせたC.C.ガールズ3のメンバー。(左から)河合ひかる、豊田百佳、花岡なつみ、鈴木佳奈、中川知香=東京・永田町(撮影・桐原正道)

 元祖セクシーグループとして1990年代に人気を博した女性グループ、C.C.ガールズが新メンバーで16年ぶりに復活することになり18日、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急でお披露目された。3代目にあたり、ユニット名は表記を「C.C.ガールズ3」と一新し、これまでの4人から5人組へとスケールアップ。美脚全開の赤いワンピースに身を包んだリーダー、河合ひかる(28)は「何か一つブームを起こしたい」と初々しく誓った。

 米倉涼子(44)や上戸彩(34)を発掘した大手芸能事務所、オスカープロモーションが、令和の時代にセクシーブームを巻き起こす。

 まばゆいカメラのフラッシュを浴びながら登場した新生C.C.ガールズは、平均年齢24・6歳で平均身長171センチ、同バストは86センチと長身で大人の魅力を持つ5人組。

 元ミス・ワールド日本代表の河合や中川知香(26)、第57回日本レコード大賞で新人賞に輝いた花岡なつみ(23)、第2回ミス美しい20代コンテスト受賞者の鈴木佳奈(23)、豊田百佳(23)と新進気鋭の面々だ。

 河合は「個性豊かなグループになっています」と紹介。昨年までウエディングプランナーとして活動していた豊田は「今日が芸能界のデビュー。何があっても諦めずに前を向き続けたい」と初々しく意気込んだ。

 C.C.ガールズは1990年、「最高にカッコよく、洗練された(COOL & CLASSY)大人の女性たち」をテーマに青田典子(51)、藤森夕子(50)、藤原理恵(49)、原田徳子(49)で結成し、目を見張る美貌と抜群のスタイルで世の男性をくぎ付けに。98年には2代目が結成され、2003年で活動に区切りを付けた。今回は、16年ぶりの復活。年明けのCDデビューを目指し、グラビアやテレビなどマルチに活動していく。

 この日は事務所の先輩、武井咲(25)と河北麻友子(27)が花束を持って駆けつけ、武井は「皆さん足がキレイで、ハッとするようなオーラを放っている」と絶賛。河北は「全身タイツやバンジーにも挑戦して」とエールを送った。

 初代リーダーの青田もコメントを寄せ、「(成功の)秘訣は絶対に夢がかなうと信じてあきらめないこと」とアドバイス。中川は「辛いことも青田さんの言葉を思い出して乗り越えていきたい。5年以内に人気になることが目標です」と誓った。個性あふれるセクシー軍団が芸能界に新たな風を吹かせそうだ。

C.C.ガールズ3、メンバーは個性豊か

正直そんなに日本の芸能人に興味があるわけでもないのですが・・・うーん、どのメンバーもレベル高いですね。

5人のメンバーのうち、4人までが身長170センチ越えというのが時代の変化ですね。脚もものすごくきれいです。たぶんですが、「KARA]とか「少女時代」のような韓国のグループをある程度意識しているのでしょう。

「C.C.ガールズ3」にドSキャラ?「仲は良くない」発言にメンバーが大慌て

どのメンバーも、けっこうまともな対応をしていますね。そのあたりも抜け目がありません。

さて上に引用した記事にはふれられていませんが、彼女らの所属事務所であるオスカープロモーションは、彼女らに5年間恋愛不可を言い渡したとか。それじゃリーダーなんか30軽く超えちゃうじゃんですが(苦笑)、実はこの件でオスカーは、苦い経験があるようですね。というのは先代の彼女らの卒業(実質解散)に伴う話です。

つまりメンバーの1人だった浜野裕子 という人が、おめでたになり脱退、芸能界電撃引退、結婚ということになったわけです。それで彼女のWikipediaによると、他のメンバー以外にはその件を話していなかったということで、オスカーは彼女の脱退にともないC.C.ガールズを解散(「卒業」という形にして、新たなメンバーを選出しなかった)、その後再結成のアナウンスもあったようですが、16年を経ての再結成となったわけです。

C.C.ガールズのWikipediaにも

>他の3人も卒業となったのは、浜野の結婚報告を怠ったための懲罰という説がある

とあるくらいで、事実彼女ら3人は、みなオスカーを離れています。懲罰という意味合いが全くないわけでもないでしょう。浜野が他のメンバーに話をしたというところからすると、彼女らは仲が良かった(初代は相当不仲だったとのこと)し、女の友情なのでしょうか、それを事務所に報告することもなかったわけですが、これは当然事務所側からすれば激怒の極致ということにはなるでしょう。浜野はすでに芸能界引退を決めていたとしても、他のメンバーにもとばっちりが来てしまったわけです。

それで今回の5人のメンバーについて考えてみると、彼女らが男にもてないわけがないですからねえ(苦笑)。はたしてどうなるか。

そのあたりはともかく、私もちょっと彼女らを気に入ったので、イベントでもあったら遊びに行こうかなと思います。記事にするかはまた別ですが、彼女らのようなレベルの高い美女が活躍してくれれば私としてもこんなうれしいことはありません。

10月20日追記:いやー、予想以上に無様で無残な有様ですね。記事を。

>「C.C.ガールズ3」わずか1か月で2人脱退…リーダー河合ひかると鈴木佳奈が「体調不良」

2019年10月20日 6時0分スポーツ報知 # 芸能

 3代目として16年ぶりに復活し、9月18日にお披露目された女性5人組グループ「C.C.ガールズ3」のリーダーの河合ひかる(28)と鈴木佳奈(23)が、わずか1か月で脱退することが19日、分かった。所属事務所オスカープロモーションが発表した。脱退理由は体調不良とされているが、活動方針の違いもあったとみられる。

 オスカーは公式サイトで「9月のデビューお披露目記者発表会以降、体調面に不安が生じ、体力気力とも現状回復に至らず、今後の芸能活動におきまして支障をきたしかねないため、現段階でグループを離れ、回復に向け休養に専念することになりました」と発表。「体力的に自信が持てず、皆様に多大なるご迷惑をおかけすることになると強い不安感を本人が持ち、現状5人でベストを尽くせる状態ではないと弊社も判断、本人の意思を尊重し、2人がグループを離れることを承諾した」と経緯を説明した。

 2人はオスカーも退所し、芸能活動を休止するという。今後は新メンバー2人を加えて、新たな5人体制で再始動する。

 2人は今月2日、横浜市内で行われたグループ初のイベントもインフルエンザ感染を理由に欠席。出席したサブリーダーの中川知香(26)は「ダンスレッスンとかハードにしているので、体調を崩したのかな」と話していた。

 グループ最年長で元ミスワールド日本代表の河合はモデルとして多くのショーを経験。芸能活動が未経験のメンバーについて、「ウォーキングとポージングを教えていたので、生徒のようなイメージ」と話していた。地元の宮城県でモデルを経験していた鈴木は昨年の「第2回ミス美しい20代コンテスト」でグラビア賞に輝き、芸能活動を本格始動したばかりだった。

 グループを知る関係者は、「それぞれの考え方がある」と活動方針の違いもあったことを明かし、事務所やメンバーとのトラブルは否定。2人は新たな形で芸能活動を再開する可能性もあるという。

いや、何があったかはわかりませんけど(苦笑)、これはオスカーのプロモーションやマネジメントにも相当な問題はありそうですね。適性のない人に適正と異なることをさせようとしたということなのか。いずれにせよ今後に注視ですね。

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旅行記事に関しての事務連絡(カテゴリー追加およびカテゴリー変更の事務連絡の追記あり)

2019-09-24 00:00:00 | Weblog

あ、すみません。事務連絡なんてうたうほどのことでもないですが、マカオ・香港紀行が完結しましたので、今後のこのブログでの旅行記事をどう発表するかの予定を書いておきます。常連読者の方にはいまさらですが、このブログは基本的に週末と祝日、あと長期で記事を書けない場合は旅行の記事を発表するようにしています。

北京・天津旅行の記事を11月いっぱいまで書いて、そのあと昨年旅したバンコクの旅行記を数回記事にします。その後夏に行ったヤンゴン旅行記を書いて、2020年の1月中にはまた北京・天津の記事に戻ります。それで3月くらいに11月に予定している韓国紀行を記事にして、また北京・天津の旅行に戻りたいのですが,12月にも可能なら2回旅行をしたいので、その記事をいつ発表するかですね。20年の4月以降かなあ。そこに適宜、国内旅行をはさみこむ感じですかね。来年の花見のシーズンは、関西でまた花見をしたいのですが、来年はあらかじめ日程を決めるのでなく(例年4月の最初の週末に旅をしています)、桜の開花状況とにらめっこしてそれで日にちと場所をピンポイントで定めたいと思います。2018年の桜がメタメタでしたので。まあ宮崎サンシャインレディの女性を間近で観られたからいいけどね。

大神神社で桜は見られなかったが、橿原市で宮崎市の観光親善大使の女性を見ることができた(後編)(4月19日更新)

ただまだ北京・天津紀行が2日しか終わっていません。この分だとたぶん2020年中には終わらない気がしますね。2021年にようやく完結になりそうです。今年の年末年始の旅はいつ記事にできるかなともいろいろ考えます。この年末年始は、できたらオーストラリアかバングラデシュに行きたいので、そうなるとかなり長期の記事になります。2021年~22年の旅は、積み残し記事なしですぐ旅行記を書きたいとは考えていますがどうなることか。可能なら過去の旅行の記事はすべて発表して記事を書ければいいのですが、続けざまに旅行に行くこともあるのでそれも難しいですね。

それで週末から来週末まで世界陸上の美女たちを記事にするので、それが終わってから北京・天津紀行を再開します。乞うご期待。あ、それからラグビーのスタジアムの写真もお見せしますので、そちらもよろしく。

更新日の追記:このブログでは、gooのデフォルトのカテゴリーである「Weblog」は、その他の記事、事務連絡記事、どのカテゴリーにも当てはまりにくい記事というのをまとめることとしています。が、記事数も400を超えてしまったので、本日新たに「PC・通信・IT関係」というカテゴリーを作り、またいくつかの記事を「身辺雑記」「フォトログ」などに振り分けました。「Weblog」の記事はどうしても多くなりすぎる傾向にあるので、これからも適宜新しいカテゴリーを作っていきます。

 

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マカオ・香港紀行(2019年6月)(10)

2019-09-23 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

うわ、すごい迫力です。

こうやって記念写真を撮る人多数。

ここでも竹の足場が大活躍です。

香港にも、こういう変な日本語の看板が散見されます。

寝転がって撮った写真です。これは人生5回目かな。最初がニューヨークのロックフェラーセンター、2回目だか3回目が大阪のビル、1回は某裁判所の門、あと1回どっかで撮影したと思いますが、どこかは記憶にありません。

このような近代的なビルに、いずれは建て替えですかね。

なぜかゴミが燃されていました。ダイオキシンは大丈夫?

いやあいい撮影ができたと満足して去ります。

こういったように、商店街も併設されています。

香港の女の子、いや、大陸のほかの女の子かもですが、スカートが短い。

最寄り駅は太古駅ですので、ここから行くのが一番面倒がないと思います。

駅にいた美女です。

地下鉄に乗ります。

中環駅で降りて、エアポートエクスプレスに乗り換えます。

やはり快適です。

空港に着いてチェックインを無事済ませます。

空港でガチョウのローストとチャーハンをいただきます。うまい。

無事帰国できました。今年中にもう1度香港とマカオに行きたいと思います。

(終わり)

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マカオ・香港紀行(2019年6月)(9)

2019-09-22 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

いよいよ本日帰国です。ホテルを出ます。

また昨日の高校の生徒です。単に私が興味がないだけでしょうが、マカオの男子の高校生って、あんまり印象にないな。

 

ポルトガル人学校前です。

グランド・リスボアです。いつみてもすごい建物です。

目立つ黄色い服を着ている女性です。

別のホテルからシャトルバスに乗ります。

フェリーターミナルにて。この写真を撮ったら注意されました。なんかまずいんですかね。

さらばマカオ、また来る日まで。あれ、けっきょく橋でマカオから香港に帰れませんでした。

船内です。

香港に着きます。

舟を降ります。実は、上のテレビで、函館の観光案内をしていました。うーん、前ミスはこだての田中さんや世永さんに、話ができるネタになったのにねえ。残念。

さて入国時、香港は入国カード(厳密には、「入境」という)を書かねばなりませんが、滞在地は、今日香港を出るので、あえて書きませんでした。そうしたら、これは予想通りですが、係官から指摘があったので、パスポートをみせて、今日香港を出るという話をしました。パスポートの期限ぎりぎりの日付での入境許可をもらいました。

トラムに乗ります。いつも勉強させていただいているサイト「居ながらシネマ」さんで紹介されている映画のロケ地を撮影するためです。

『ゴースト・イン・ザ・シェル 』 Ghost in the Shell (2017)

降りて、それで映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」 のロケ地、

>德輔道中(Des Voeux Road Central)が租庇利街(Jubilee St)と交わるところ。

を撮影してみました。

勉強不足なので映画は未見なのですが、だいたい映画のシーンにそぐう撮影ですかね?

またトラムに乗ります。暑くて仕方ありません。

また降りて、次なる建物の撮影です。

 

ハンカ・タワーとして使用されたリッポーセンターです。

そこからさらにえんえんトラムに乗って(地下鉄を利用したほうがはやいには決まっていますが、これは旅の面白みということで)、益昌大厦 (Yick Cheong Building)へ行ってみます。奥に見える巨大な団地がそれです。

いかにも昔ながらの香港の建物という雰囲気があります。

中庭です。さあ、建物に圧倒されようかな?

(つづく)

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マカオ・香港紀行(2019年6月)(8)

2019-09-21 00:00:00 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)

ガイドブックを見ながら、では次の店をどこにしようかと考えて、セナド広場近くのポルトガル料理にねらいを定めます。

なかなかいい雰囲気です。

うーん、まさにポルトガルの雰囲気。

 

で、このような街頭のすぐ近くにこのようなビルが建っているのもよかれあしかれマカオの姿です。

店が近くなりました。

こちらです。「エスカーダ」というポルトガル料理の店です。ガイドブックによると予約をしたほうがいいとのことですが、月曜の夜だから何とかなるのではと思い店に入ります。

無事食事ができました。ビールです。

店のなかです。

豚のカツレツです。うまい。実はやや金が少なくなっていたので、あまり注文できませんでした(苦笑)。

店を出ます。

店の外観です。

セナド広場を散策してみます。

香港にも出店している牛乳プリンの店に行ってみます。ここも何回も来ているな。

店の女性です。

あまりに暑いので、もう一品追加します。

なかなかきれいです。

ホテルに戻ります。

(つづく)

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ビョルン・アンドレセンが出演する新作映画が(たぶん)半世紀ぶりくらいに日本で公開される(予定だ)

2019-09-20 00:00:00 | 映画

現在「午前十時の映画祭」で、「砂の器」とのカップリングで、「ベニスに死す」が公開されています。劇場を変えて10月3日までやっていますので、興味のある方はぜひご覧になってください。

 さて、このブログも期せずして(アニセー・アルヴィナについては最初から彼女のことを書きたいと思っていました)、ビョルン・アンドレセンがこのブログの大きなテーマになっていますが、実は日本で公開された彼の出演作品は、現段階たぶん2本だけです。上の「ベニスに死す」と「純愛日記 」(2008年に完全版が『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』の邦題で公開)だけかと思います。もともと彼はミュージシャンだし、また「ベニスに死す」でいろいろ嫌な思いをしていたので、スウェーデン以外の国々からのオファーも受けたがらなかったし、俳優としても北欧のテレビドラマや映画などに脇役出演するくらいでしたから、日本でその出演作品が公開あるいはCSなどでも放送されることもあまり(たぶんまったく)なかったのかなと思います。

が、今年(2019年)に米国とスウェーデンで公開された「Midsommar 」(日本語タイトル未定)に彼が出演していまして、これが日本で公開される予定のようですね。日本語のWikipediaの項目がすでにできえちます。日本では、「ファントム・フィルム」という配給会社が公開するとのこと。この会社のツイッターに、

>『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター監督最新作『MIDSOMMAR』。 7/3に全米公開を控えた本作の最新ポスターが発表されました。 本作はファントム・フィルム配給で日本公開いたします。お楽しみに。

とあるのでたぶん公開になるのでしょう。

内容は、Wikipediaに書いてあることしかわからないし、そんなの引用してもつまらないので知りたい方はご参照くださいとしか言いようがありませんが、彼はわき役のようです。それで、彼の出演シーンかなと思われる写真がこちらです。

よくわからないけど、死ぬ役なんですかね。すいません、違っていたらごめんなさい。この写真が、ビョルンかも、確信があるわけではない。

この映画は公開時期未定だし、そもそも公開されるかも定かでないような気がしますが、公開されたらもちろん観にいきますし、この映画についてはエンテベ空港の映画と違い絶対記事を書きます。

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