ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

8年間は長かった

2012-03-31 03:06:12 | 身辺雑記
3月いっぱいで、8年いた職場を去ることになりました。

いらない書類を処分していたら、こんなかんじになりました。



お断りしておくと、これで全部ではありません。一部です(苦笑)。

このブログでは私の個人情報は公表しないことにしているので(読者のみなさん、私が本当に男かどうかだって、実のところはわからないでしょ? たまに出てくる手が毛深いから男性かと思うくらいで。あとは女性に並々ならぬ興味があるってことくらいか)詳しいことは書きませんが、やはり8年は長かったですね。いろいろなことがありました。

それにしても、よくまあこんないらないものがごってり出てくるなと思うくらい、たくさんいらないものが出てきました。たとえば下の写真。2009年のカレンダーなんかねえ。



こんなでかいカレンダー、よく机の下にあったな。

いちおう、これが以前とったものではないことを証明するためにこの写真もつけておきます。携帯の写真なので、ピントが合ってなくてごめんなさい。



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焼身自殺なんかしたところで、ダライ・ラマのチベット帰国(帰還?)なんてぜんぜん不可能でしょう

2012-03-30 01:59:08 | 社会時評
3月10日が1959年にチベットで暴動が起きてダライ・ラマ14世がインドへの亡命をしたきっかけとなった日のせいもあり、最近チベットで自殺者が多数出ているという報道がされています。それも焼身自殺だとか。

つい先日の記事です。

><インド>中国抗議デモの亡命チベット人が焼身
毎日新聞 3月28日(水)19時45分配信

【ニューデリー杉尾直哉】インドのニューデリーで26日、中国の圧政に抗議するデモを行っていた亡命チベット人男性(27)が焼身を図り、28日に搬送先の病院で死亡した。男性は06年にインドに亡命し、この2年間、ニューデリーに住んでいた。中国四川省などのチベット僧らによる焼身抗議が過去1年で30件に上っているが、中国以外に住む亡命チベット人にも広がる可能性があり、チベット亡命政府(拠点・インド北部ダラムサラ)が懸念を深めている。

 ニューデリーでは29日にBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)首脳会議が開かれ、胡錦濤・中国国家主席が出席することから、亡命チベット人の若者らが中国への抗議デモを行っていた。

 チベット亡命政府は27日、「デモなどが許可されない(中国国内の)チベットと違い、自由世界に住むチベット人は通常の抗議に徹すべきだ」との声明を出し、焼身のような過激な行動を避けるよう改めて訴えた。


毎日新聞の記事より。

><チベット人僧侶>焼身抗議は「焦燥感」から
毎日新聞 3月10日(土)18時38分配信

中国チベット自治区から今年1月、インドに脱出した元政治犯のチベット人僧侶(26)が9日、チベット亡命政府が拠点を置くダラムサラで毎日新聞の取材に応じた。08年に中国の圧政への抗議デモに参加して拘束され、3年半にわたって刑務所などで受けた拷問の実態を語った。四川省などで相次ぐ僧侶らの焼身抗議について「(チベット仏教最高指導者)ダライ・ラマ14世が(76歳の)高齢となり、ご生存中の帰郷を実現するには時間がない。住民の焦燥感が背景にある」と語った。【ダラムサラ杉尾直哉】

 ダラムサラの非政府組織(NGO)などによると、11年3月以降の過去1年間で、焼身者は25人(未確認の3人を除く)、うち死者は19人(9日現在)。今月は3日から3日間連続で3人が焼身し、いずれも死亡した。これまでチベット僧による焼身がほとんどだったが、今回初めて、女子生徒(19)や子供のいる主婦(32)が死亡し、一般住民への広がりをみせている。

 取材に応じた僧侶が脱出した1月中旬までに、焼身者は15人に上っていた。だが「口伝えに聞いた2件しか知らなかった。中国ではニュースでもまったく伝えられず、インドに来て、初めてこれほど多数に上っているのを知った」と話した。

 08年からの拘束中は、刑務所の看守らから数日間にわたって直立不動でいるよう強要され、眠気で倒れると、電気ショックの棒を当てられたり、殴るけるの暴行を受けた。

 昨年6月に釈放されたが、元政治犯とされたため、以前所属していた寺院に戻るのは禁じられた。仕事を見つけても、雇用主への当局側の嫌がらせで解雇されたという。「仏教や、その他の学問を身に着けるには、インドへの亡命しかない」と、脱出を決心した。

 チベット自治区ラサから、複数のチベット人ガイドの案内を受けながら車や徒歩で移動。約10日間かけてネパールの首都カトマンズに脱出した。直前に30人の集団で脱出を図ろうとしたグループがいたが、ラサ郊外で当局に逮捕されたことから、単独行動を選んだ。

 08年のチベット暴動以降、中国、ネパール双方で当局の監視が厳しくなったことから、ネパール到着後も、髪を染めるなど変装して移動した。ガイドへの謝礼4万5000元(約58万円)は借金で工面した。

 僧侶は「今のチベットには宗教も言論も移動も自由がない。法王(ダライ・ラマ)の写真の携帯すら許されない。中国はチベット文化だけでなく、民族そのものを消そうとしている」と語った。

 インド到着後はチベット亡命政府の亡命者受け入れセンターに住み、英語の研修や心理的なリハビリを受けてきた。近くインド南部のチベット仏教寺院に移り、僧侶として再出発するという。


こちらも。

チベット:亡命政府首相インタビュー 中国に抗議、焼身20件 「解決策、対話のみ」
 【ニューデリー杉尾直哉】チベット亡命政府(拠点・インド北部ダラムサラ)のロブサン・センゲ首相(43)が16日、ニューデリーで毎日新聞の単独取材に応じた。中国四川省のチベット族自治州を中心に、この1年で中国支配に抗議して若いチベット僧らが焼身を図るケースが20件を超えたと明かした。今月22日のチベット正月や、「チベット動乱」から53年に当たる3月10日に向け、焼身による抗議運動と、これを弾圧する中国側の動きが強まる恐れがあり、「非常に憂慮している」と述べた。

 昨年、中東に広がった民主化運動「アラブの春」は、チュニジアの若者による焼身自殺が発端だったが、センゲ氏は「アラブ世界には人々が抗議できる場所があった」と語り、抗議する場所すらないチベット族との違いを強調した。

 センゲ氏は16日から米国、カナダ、イタリアなどを訪問する予定で、経由地のニューデリーにあるチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の事務所で取材に応じた。訪米は昨年8月の首相就任後2回目だが、11月の初訪米時と違って私的訪問のため、米政府側とは接触しないという。だが、各地の大学などで講演し、チベットの惨状を訴える計画だ。

 中国政府は、チベット高原一帯で「高度の自治」を求めるダライ・ラマを「分離独立主義者」とみなし、自治区のチベット族たちへの同化政策として中国語教育を施したり、かつては寺院の破壊などをしたこともあった。近年はインフラ整備などを通じてチベット族たちの生活改善を図るが、抗議デモなどは事実上禁じられている。

 ダラムサラの非政府組織(NGO)などによると、昨年3月から16日までに焼身を図ったのは23人で、うち14人が死亡したとみられる。1月以降の1カ月半で焼身は11人(死者は6人)とエスカレート。死者には若い尼僧も含まれ、「チベットに自由を」と「ダライ・ラマの帰郷」などと叫んで火をつけたという。

 センゲ氏は「中国がチベット族自治州に大量の軍を送って事実上の戒厳令を敷いており、平和的なデモすらできない。抗議しようとすれば拘束、殺害される」と述べた。

 1月26日に焼身のような過激な行動をやめるようビデオメッセージで世界のチベット人に向けて訴えた。しかし、「呼びかけとは裏腹に抗議が続いている」「今後事態がどう展開するか分からない」と危機感を示した。

 センゲ氏の就任から半年が過ぎたが、最大の課題である中国との交渉については、「対話を拒否する中国の強硬政策は成功しない。平和的な対話しか解決策はない」と述べた。

 ◇チベット社会、悲鳴と無力感
 中国のチベット族自治区で相次ぐ焼身抗議は、中国当局の弾圧を受け続けるチベット人たちの悲鳴だ。中国の次期最高指導者とされる、習近平国家副主席の米国訪問直前にも、19歳のチベット僧が焼身を図った。中国政府はインド北部ダラムサラを拠点とする亡命政府の存在を認めておらず、亡命社会には無力感が漂う。

 今月に入り、衝撃的な焼身のニュースが相次いだ。3日、四川省北部の色達県で、遊牧民3人が一緒に焼身を図り、うち1人が死亡した。これまで抗議の焼身はチベット僧がほとんどだったが、一度に3人の一般住民による決死の行為は初めて。11日には、四川省のアバ・チベット族チャン族自治州で18歳の尼僧が焼身で死亡。あどけない顔でほほ笑むこの尼僧の写真がネットなどを通じて広く伝わり、人々は悲しみを深めた。

 悲報が伝わるたび、世界に散らばる亡命チベット人社会に大きな動揺をもたらしている。ダラムサラでは、人々がろうそくをともし、祈りをささげている。

 ダラムサラの社会活動家、ロブサン・ワンギャルさん(44)は、「センゲ首相ら亡命政府側がいくら訴えても焼身はやまない。中国の抑圧に苦しむチベットの現状は、我々のように外にいるチベット人には理解できないほど深刻なのかもしれない」と指摘した。

 チベット支援の日本の非政府組織(NGO)「ルンタ・プロジェクト」代表でダラムサラに27年間居住してきた中原一博さん(59)は取材に、「チベット人の抗議が強まるほど、中国側は力による支配を正当化し、さらにその抗議で焼身が続く。悪循環だ」と話した。【ニューデリー杉尾直哉】

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 ■ことば

 ◇ロブサン・センゲ氏
 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が政治活動引退を表明したのを受けた11年3月の首相選で、得票率55%で初当選。8月、首相に就任した。就任演説で、中国に対してチベット住民抑圧を批判する一方、対話も呼び掛けた。インド西ベンガル州ダージリン郊外の農村生まれの「亡命第2世代」。米ハーバード法科大学院で博士号取得。

毎日新聞 2012年2月17日 東京朝刊


焼身自殺なんかいくらしたってチベット人にとって事態が改善する見込みは皆無でしょうね。悪いことは言わないからそういったことはしないほうがいいんじゃないのって私は思いますが、自殺した人はそうは考えないんでしょうか。考えないんでしょうが、しかし周辺の人々はとても悲しむと思います。

前にも引用しましたとおり、胡錦涛いわく

>中国政府の立場は、一〇〇年、一〇〇〇年も変わらない。分離独立は認めない。認めるものは民族の罪人だ

ですからね。中国側がチベット亡命政府側に大幅な譲歩をする可能性なんて皆無でしょう。

もっともダライ・ラマの側が中国側に頭を完全に下げれば、あるいはダライ・ラマはラサに帰還できるんでしょうが、こちらのほうもたぶんあまり見込みはないと思います。ダライ・ラマはあと20年は生きられないでしょうから、十数年の間に中国とチベットにある種の和平(たぶんそれはチベット亡命政府側の全面屈服に近いものになると思います)でも成立すればということでしょうが、おそらく無理でしょう。

ダライ・ラマ本人とまでは言わずとも、最高幹部の僧あたりが公衆の面前で(北京か上海、あるいは香港あたりで、あるいはロンドンかニューヨークか)焼身自殺でもすればそれは世界的に相当な騒ぎになるでしょうが、それでもべつに中国政府の方針に変化はないでしょう。

ましてや中華人民共和国は、現在GDPで世界第2位の経済大国です。日本もふくめたどこの国も、チベットのことで中国を批判したり刺激したりするのは気がすすまないでしょうし、このことはこれからも難しくはなっても容易にはならないと思います。そしていずれ、そんなに遠くない将来、中国は世界1の経済大国になりますから、他国はますますチベットのことで口は出しにくくなるでしょうね。

はっきり書いちゃえば、中国とチベットの関係は、現段階ですでに勝負はついていると思います。中国はチベットを完全に占領している(チベットが歴史的に独立していたかどうかなんて問題は、この占領という事実の前にはなんの意味もないでしょう)。この構造は不変でしょう。そしてチベット独立の可能性は将来的に見ても非常に低い、皆無に近いでしょう。自治権の獲得だって、当分の間はまったくもって不可能じゃないんですかね。

そうすると、以前の記事でも書いたように次なるダライ・ラマはかわいそうですね。現ダライ・ラマは、次に転生するのは中国以外だと宣言しているみたいですが、私はチベット仏教の「転生」なんて宗教上のお約束のフィクションとしか考えませんが、ともかく次なるダライ・ラマは本来だったらしなくていいとんでもない苦労をしそうで、いまから同情をせざるをえません。将来的には現ダライ・ラマは、故国を逃げ去った敗北者、というように歴史書には記されるでしょう。

そうこう考えると、ダライ・ラマの故国帰還なんていう非現実的な期待はするだけ損だと思いますが、熱心なチベット仏教徒はそういう風に解釈はしないでしょうね。それが宗教というものでしょうが、やはり自殺はしないほうがいいと思いますよ。ダライ・ラマもそのへんは今以上に自殺を戒める発言でもしたほうがいいんじゃないのかな。それは首相にまかせたのかな。そういえばまもなくチベット亡命政府の首相が日本に来ます(こちらの記事参照)。彼はこの来日の際、この自殺の問題についてそれなりのメッセージをだすでしょうか。注目したいと思います。

ついで:こちらの記事を。

>農奴解放記念日、チベット主席「共産党なくして発展なし」―中国
サーチナ 3月28日(水)10時2分配信

中国・チベット自治区では28日、「チベット100万農奴解放記念日」を迎えた。同自治区のパドマ・チョリン主席は27日夜、記念日に際してテレビ演説を行い、共産党の指導によるチベット発展の成果を強調した。中国人民ラジオ局が報じた。

 同主席は53年前の1959年3月28日が「新旧チベットの分水嶺(れい)」とし、共産党が100万人の農奴を指導して「世界で最後の封建農奴制を打ち破」り、農奴たちを社会主義の輝かしい道へと歩ませたと語った。

 そのうえで「53年間でチベットの経済、社会は全面的な発展を遂げた」とし、2011年の国内総生産(GDP)と一般財政予算がそれぞれ1959年の93.9倍、48.5倍となったことや、人口が当時の約123万人から303万人まで増加したことを「実績」として示した。さらに、教育制度の充実やチベット籍大学生の就職、社会保障制度の整備などが進み、平均寿命が当時の35.5歳から67歳にまで延びたとも語った。

 同主席は「中国共産党の指導により社会主義の道を歩んだことで初めて、チベットに明るい未来が開けた」と共産党の功績を強調するとともに、「国家統一を断固守ってこそ、チベットは飛躍的発展と長期的な治安の安定を実現することができる。ダライ・ラマやそのグループがどんな手を繰り出そうとも、チベット人民の分裂反対、国家統一の強い意志は変わらない」とした。

 「チベット100万農奴解放記念日」は08年の大規模暴動後、09年1月に同自治区人民代表大会が議決、制定したもので、今年で4回目。28日には首府・ラサ市を中心に座談会や演芸など記念イベントが催される。(編集担当:柳川俊之)


もういいかげんにしろって!? 最後にもう一つ

>中国サイト「7つの質問」でダライ・ラマを批判・非難
2012/03/23(金) 20:02

中国政府系のウェブサイト「中国西藏網」は22日「ダライ・ラマへの7つの質問」と題した文章を掲載した。質問の形式で、亡命中のダライ・ラマ14世を厳しく批判・非難した。

「文章」は第1の質問として、「どんな目的で、チベット人が焼身自殺することを鼓舞するのか」と問うた。ダライ・ラマは2012年2月12日にインドのダラムサラで、「チベット人に対して、焼身自殺した英雄らを祭り、チベット暦の新年を祝わないよう呼びかけた」と主張したという。

  「文章」は、焼身自殺もテロリズムの1種との考えを示し、ダライ・ラマは仏教の教えに反して「自らの権威を利用して、多くの生命を早く断ち切らせている」、「何度にもわたり、殺生という悪行をそそのかしている」と非難した。

  第2の質問は「チベット文化をほろぼすのはだれか」とした。

  「文章」は、ダライ・ラマが2011年11月に、「僧侶の焼身自殺の背後には、中国による文化消滅政策がある」と発言したことに触れた。

  「文章」は、「ダライ・ラマのロジックによると、チベット文化はチベット仏教文化」と主張。「チベット仏教文化はすなわち(最大宗派である)ゲルク派の文化であり、ゲルク派の文化は(同派のトップである)ダライ・ラマの言いなりのダライ文化だ」、「言い換えるなら、ダライの考えに合致しなければ、すべて“チベット文化を滅亡させる”ということになる」と主張した。

  さらに、「天下の大ジョーク。ダライ・ラマの考えでは、自分は農奴の主人であり、チベットは自分の個人財産であり、チベット人民は自分の奴隷だ」と論じた。

  第3の質問は「中国とチベットの歴史的関係は、宗教者と施主の関係化」とした。

  ダライ・ラマやチベット亡命政府は、「清(しん)朝はチベット仏教の信者として、ダライ・ラマや当時のチベット政府にさまざまな支援を行った。したがって、チベットが中国に隷属していたわけではない」と主張している。

  「文章」は、チベット政府は清朝が派遣した「駐藏大臣」に「さまざまな報告を行い、清朝政府の支持を得ていたのではないか?」と指摘。ダライ・ラマ13世が、駐藏大臣を介さず、清朝皇帝の了解を直接取ろうとして拒否されたことがあるとして、「おまえの前世が行ったことだ。直前の(13世時代)の前世のことを忘れてはいないだろう」などと皮肉った。

  「文章」はさらに、ダライ・ラマが、チベット自治区以外の中国人がチベット自治区に移り住むことへの制限を呼びかけていることなどについて「民族対立の“ベルリンの壁”を作ろうとしている」と非難。ダライ・ラマが掲げる「中庸の道」や「高度の自治」の背景には赤裸々な民族排除があり、往年の「ヒトラーが行ったユダヤ民族に対する浄化」に似ていると主張した。

  「文章」は続けて、「おまえは、だれの代弁者なのか」、「だれのために祈念するのか」、「おまえはなぜ、ネットユーザーに軽蔑(けいべつ)されるか」と、質問を続けた。

  「文章」は、ダライ・ラマは米国など西側国家のために発言する元大農奴主と主張。国外に逃亡する前には「民主」や「選挙」など考えたこともなく、今になって民主制度に“熱意”を示すのは「単なる病気。病気でなければ悪魔」ときめつけた。

  「文章」は最後の部分で、中国のインターネットでみられるダライ・ラマ非難や、「チベット独立など、金輪際ありえない」とする書き込みを紹介した。(編集担当:如月隼人)


こういった記事をどう解釈するかは個人の勝手ですが(中国側の主張を支持する人もしない人もいるわけですけど)、このよう記事を読んでいるとなーんかね、当分の間は、チベット問題がチベット側に有利に展開するという見込みはひくそうですね。
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ジッポラ・セブンの写真(追記を参照してください)

2012-03-29 00:00:23 | 美女探求
ずいぶん以前に目にした記事ですが、差しさわりがあるかなと思ったので、発表しなかった写真です。(下の追記を参照してください)

記事はこちらから。

>オーストラリアの雑誌「Russh Australia」に16歳のNZ人モデルがトップレスで掲載され、物議をかもし出している。

問題の写真では、オークランド出身のジッポラ・セブンさん(16歳)と男性モデルで同じく16歳のレヴィ・クラークさんが泡の風呂に入っており、ジッポラさんはトップレス、レヴィさんは目を閉じた状態で写っている。周りには4本のシャンパンのボトルが置いてある。

オーストラリアの法律では18歳以下の少年のヌードや性行為の描写は禁じられており、関係機関が同雑誌の発行社に事情を聞くことにしている。

ジッポラさんのオーストラリアのエージェントは、撮影の内容が行き過ぎだったことを認めた。

一方雑誌の編集者は、スーパーモデル、ケイト・モスと以前彼女のボーイフレンドだったジョニー・デップへの敬意を込めて撮られた写真だったとして、写真の内容を擁護した。

ジッポラさんのニュージーランドのエージェンシーは、写真撮影へのかかわりを否定している。
ジッポラさんは年齢の割に精神的に成熟しているのでトップレスになることにも抵抗はなかっただろうと話している。

ジッポラさんは現在2ヶ月間の契約で日本でモデル活動をしている。兄のジャスパーさん(19歳)もモデルで現在エジプトで仕事をしている。

2008年5月12日


http://nzdaisuki.com/news/news.php?id=3510

こちらは違うところから探した写真。(4月29日追記:下の追記を参照してください)


ケイト・モスも十代半ばでさんざんヌードになっているから(彼女の時代―1974年生まれーは、まだ未成年のヌードに社会が寛容だったんでしょうけど)、ジッポラ自身はそんなに気にしていないんでしょうが、どんなもんですかね。彼女もすでに成人しているから今は特に問題はないでしょうけど。

ジッポラ・セブンの写真は、こちらで飽きるほど見ることができます。

4月29日追記:この記事の写真についてgoo側から

>1.会員は、本サービスを利用するにあたり、以下に該当し又はその恐れがある行為を行ってはなりません。
(1) 公序良俗に反する行為


という部分に反するという注意を受けましたので、削除しました。以上、ご報告まで。

5月14日追記:この記事の件について、こちらで詳細に経緯を書きましたので、興味のある方はご参照ください。
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2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(18)

2012-03-28 03:21:44 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)


ここは日本人御用達(ていうか、日本人が経営している店)の「桃源郷」という名のマッサージ屋です。ここで、全身マッサージと足裏マッサージを受けることにします。

いちおう断っておくけど、ふつうのマッサージ屋ですよ(笑)。地球の歩き方にも出てくる店です。

で、時間の交渉をすると、どうやら年をまたいでしまうことがわかりました。上海でのカウントダウンを楽しみにしていたので、それはないんじゃね、と思いましたが、けっきょく年の変わりはこの店で迎えることになりました。やれやれ。

店の中の写真は(迷惑になりますので)当然ながらありません。ごめんなさい。

Nについた女の子は日本語が話せて、私についた女の子は英語だけでした。客は、9割がた日本人だったかな。白人もいましたが。

足裏マッサージの最中寝てしまいました。よっぼどつかれていたのかもしれません。もともと私は夜遅くまで起きているのは苦手です。



マッサージの後また南京東路を歩きます。人通りがまた多くなっています。ちょうどバンドで行われていたニューイヤーズイベントが終わったようですね。





2011年12月31日 2012年1月1日 上海 南京東路3








2011年12月31日 2012年1月1日 上海 南京東路4












2011年12月31日 2012年1月1日 上海 南京東路5


バンドで行われたニューイヤーズイベントから戻る人たちの数が多すぎて、とても歩けません。裏道に入ることにしました。

上海でのニューイヤーズイベントは、またいつの年にか経験することとしましょう。





空に何かが上がっていました。簡易式熱気球です。日本では警察が規制するかどうか知りませんが、当地では大勢の人があげていました。





近くによって写真や動画を撮りたかったのですが・・・カメラのバッテリーがまたしても切れてしまいました。残念。ともかく2012年です。(何をいまさらですが)あけましておめでとうございます。

(つづく)
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2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(17)

2012-03-27 06:41:02 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)


人民広場の駅に降ります。とりあえず街を散策することとします。今日は解説を最大限排しますので、大晦日の上海の街をお楽しみください。





















2011-12-31上海にて


2011年12月31日 2012年1月1日 上海 南京東路


















2011年12月31日 2012年1月1日 上海 南京東路2


(つづく)
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2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(16)

2012-03-26 04:35:29 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)


上海地下鉄2号線にのって、目的のレストランへ向かいます。



なかなかの美女がいました。スタイルもいいし、悪くありません。



上海駅です。





全聚徳という北京ダックでは有名な店です。この店で、2011年最後の晩餐北京ダックをいただきます。











北京ダックをいただきます。

北京ダックをさばく




おいしくいただきました。まったくどうでもいい話を書きますと、昨年の職場忘年会で北京ダックがでましておいしくいただきましたが、比較するのも野暮ですが、こちらの方が値段も安くしかもずっとおいしく大量にいただけます。

このようなレストランでは北京ダック専門シェフがいるわけで、それは日本のレストランと比較するのは無理ですが。





デザートをいただきました。







スタバでちょっと一休みです。店員の女の子が笑顔を見せてくれました。中国も客商売は笑顔を見せる時代なのでしょう。

そういえば、記事には書き忘れましたが、今回の旅でアモイの空港から入国するとき若い女性の入国管理官が私に笑顔を見せたのにはけっこうおどろきました。数年前(09年)香港のコンビニで店員のお姉さんがいい笑顔を見せたのに意外な気持ちがしたのですが、中国の社会もだんだんと変わっているということなのでしょうね。



歩道橋からみると、緑の発光ダイオードの光が美しく輝いていました。



街の真ん中へもどります。

(つづく)
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2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(15)

2012-03-25 06:18:50 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)


上海大廈というクラシカルホテルで、かつてはかの周恩来も気にいっていたとかいう話もあります。



チェックインの際、ベッドは2つでいいかと確認されました。あれ、私たち(Nと私)ゲイに思われたのかな…。思われたんでしょうね、きっと。別に同性愛が悪いとは言いませんが、私は異性愛者です。念のため。





今回は、川が見えるサイドをリクエストしておきました。



ロビーの雰囲気もクラシカルです。Nは、明日(2012年元日です)行くところについて、ホテルの人に相談していました。どこへ行くかはお楽しみにということで。





薄暮のホテルです。



これは、通りをはさんだ隣にあるアスターハウスホテルです。チャップリンとかアインシュタイン、マレーネ・ディートリヒなど有名人も泊っています。





バンドの建築物です。







新装オープンした和平飯店(フェアモント・ピース・ホテル)です。





南京東路へ歩きます。





2011年最後の晩餐をいただくことにします。どこで何をたべるか・・・。それはもう決まっていまっています。

(つづく)
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ある死刑判決事件の背景(追記あり)(再度の追記)

2012-03-24 00:00:00 | 社会時評
すいません、以前も同じ内容の記事を書きました。引用はこちら



>宮崎の家族3人殺害、高裁が死刑判決支持
読売新聞 3月22日(木)14時16分配信

 宮崎市の家族3人殺害事件で殺人と死体遺棄罪に問われ、1審・宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた無職奥本章寛(あきひろ)被告(24)について、福岡高裁宮崎支部(榎本巧裁判長)は22日、被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。

 裁判員裁判の死刑判断に対する控訴審判決は、同日午前の東京高裁判決に続き2件目。

 判決によると、被告は2010年3月、自宅で長男(当時5か月)の首を絞めるなどして窒息死させ、妻(同24歳)と義母(同50歳)をハンマーで殴り殺害した。

 控訴審では、犯行動機について「義母の叱責などで追い込まれ、殺すしかないと判断した」とする被告の心理鑑定が新たに採用された。弁護側は鑑定結果などを基に無期懲役にするよう求めたが、判決は、鑑定を踏まえても、動機が自己中心的だとした1審の判断に誤りはなく、死刑が不当とは言えないと結論づけた。 最終更新:3月22日(木)23時34分


で、真相はわかりませんが、この事件には次のような背景があったようですね。当時の私の記事から引用します。

>宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 「どんな刑でも受ける」被告、謝罪の言葉 /宮崎
 ◇第4回公判
 宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は22日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第4回公判が開かれた。奥本被告は「この生活から抜け出したいと思い、義母を殺害するしかないと思った」などと殺害の動機を語った。また、「どのような刑でも受け入れる覚悟です」などと述べた。24日は検察側の被告人質問がある。【川上珠実、中村清雅】

 ■被告人質問

 午前10時、弁護側による被告人質問が再開された。

 義母の貴子さんから「あんたのことは自衛隊を辞めた時から気にくわん」「あんたの両親は何もしてくれん」などと非難され、被告は「本当は家に早く帰りたいのに、家に居場所がなくて帰れなかった」などと帰宅が遅くなっていった経緯について語った。

 今年2月23日、被告の故郷で雄登ちゃんの初節句をすることを巡って、貴子さんと口論。その際、貴子さんから頭をたたかれ、被告の出身地を差別的な言葉で中傷されたことや「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」などと言われたとも語った。

 2日後の25日。

 「もう限界だと思った。何とかこの生活から抜け出したいと考えた。義母を殺害するしかないと思った」と殺害を決意した時期について明らかにした。くみ子さんと雄登ちゃんについては「義母を殺害したらくみ子がいるので、私が捕まってしまう。雄登は赤ちゃんなので、お母さんと一緒がいいと思った」などと3人殺害の動機についても語った。

 犯行当日については涙声で次のように説明した。

 「(首を絞めた)雄登を浴槽に沈め、扉を閉めました。中からバシャバシャという音が聞こえた時、雄登の苦しんでいる姿が思い浮かびました。でも、こうするしかないと思いました」

 3人の遺体については、会社の資材置き場に重機で穴を掘って埋める計画だったが、「操縦技術がないので掘れなかった。雄登だけを埋めて、2人は強盗殺人に見せかけようと思った」などと説明。

 事件については「後悔しております」。「夢であってほしいか?」と聞かれ、「毎日……、毎日思っています」と涙した。雄登ちゃんについては「(自分と似ているのは)唇だと思っていた。あやすと笑った顔が一番頭に残っている。ごめんねということしか思いつきません」とおえつした。

 妻と義母や、親族らにも謝罪の言葉を述べ、「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」と語った。

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 ◇起訴内容
 3月1日午前5時ごろ、宮崎市花ケ島町の自宅で、生後5カ月の長男・雄登ちゃんの首を両手で絞め、浴槽に沈めるなどして殺害。遺体を勤務していた会社の資材置き場に埋めた。また、妻のくみ子さん(当時24歳)と義母の池上貴子さん(同50歳)の頭部をハンマーで殴るなどして殺害したとされる。

毎日新聞 2010年11月23日 地方版


で、当時の私の記事は次のようにまとめられています。

>私が気になったのは

>>被告の出身地を差別的な言葉で中傷

というところです。

実態は不明ですので何とも言えませんが、この凶悪な事件の最大の原因は、もしかしたらここにあるのではないかなと思いました。ほかはともかく、この発言は許せなかったのではないかと。もちろんだからといって被告の犯行に同情の余地があるとは思いませんが。


高裁でも死刑判決が維持されたことで、事実上この被告人の死刑はほぼ確定したといってもいいかもしれません。それにしても、出身地を差別的な言葉で中傷されたときの被告人の心境を想うと、個人的には複雑な気持ちになりました。もちろん人を殺してしまっては、同情はできませんが。

3月25日追記:この事件に関して、こんな記事を見つけました。

>〈 第3回公判 〉


宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 被告、前しっかり見据え
◇弁護側質問に被告
宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は19日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第3回公判が開かれた。被告人質問で奥本被告は「(3人に対しては)申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪した。弁護側の証人として被告の母親ら2人が出廷した。【川上珠実、中村清雅】

◇「家庭、痛々しかった」
◆母親への尋問
午前10時過ぎ、奥本被告の母親が出廷。被告について「明るくて誰にでも声を掛ける子だったが、頑固な所もあって言い出したらきかなかった」と話した。剣道に打ち込んでいた幼少時代について語り始めると、被告は宙を仰いで涙をこらえたり、タオルで何度も目元をぬぐって鼻を赤くした。

家庭の様子について母親は「貴子さんに気を使っていつも敬語だった。痛々しいくらいだった」と声を詰まらせた。また、被告に仕送りをしていたことも明かした。

3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。

これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。

◇「家に帰りたくなかった」
◆被告人質問
午後2時5分過ぎ、弁護側による被告人質問が始まった。

「初めに言っておきたいことは」との質問に、被告は前をしっかりと見据えたまま「申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪し、「3人の顔を今でも毎日思い出すか」には「はい」と答えた。

自衛隊に勤務していた09年3月に、出会い系サイトを通じて知り合ったくみ子さんと結婚し、09年8月ごろ、約400万円の車を月3万円のローンで購入したため、家計が苦しくなったことなどについて語った。

また、貴子さんには大声で〓責(しっせき)されることが積み重なり、09年10月ごろから「仕事が終わっても家に帰りたくなくなった」などと述べた。

◇「優しい少年だった」
◆幼なじみへの尋問
午後1時20分過ぎ、被告の出身地福岡県豊前市で、幼少時から被告を知る女性(48)が証言した。

「3人を殺害するなんて極悪非道な人間だと思われても仕方ないが、私の知っているあっくん(被告)は本当に優しくて純朴な少年だった。何があっくんを苦しめ、変えたのか……」と涙を流し、地域で約150枚の情状酌量を求める嘆願書が集まったと訴えた。
(2010年11月20日 毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20101120ddlk45040627000c.html


元の新聞記事はすでに削除されています。

>3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。

これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。


真相はわかりませんが、このくだりが個人的に印象に残りました。最後の情状証人の女性の発言からしても、すくなくとも被告人の男性が昔からどうしようもない人間だった・・・ということはなかったようですね。

4月7日追記:被告人が上告をしました。記事はこちらから。

><宮崎3人殺害>奥本被告が上告
毎日新聞 4月5日(木)12時51分配信

宮崎市で家族3人を殺害したとして殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛被告(24)の弁護団が5日、求刑通り死刑とした1審・宮崎地裁判決を支持した福岡高裁宮崎支部判決(3月22日)を不服として上告した。

 弁護団の黒原智宏弁護士は「1、2審の量刑が妥当かどうか、最高裁の判断を仰ぎたい」と話した。

 控訴審判決によると、奥本被告は10年3月、生後5カ月の長男の首を絞めるなどして殺害し、妻(当時24歳)と義母(同50歳)の頭をハンマーで殴るなどして殺害した。【中村清雅】 最終更新:4月5日(木)13時14分


5日の上告というと、まさに上告期限ぎりぎりですね。

あるいは、被告人自身はこの判決で仕方ないと考えていたのを弁護団が説得して上告になったのかもしれません。とりあえず私としては、最高裁判決(取り下げの可能性もあるかもしれません)までこの事件には注目したいと思います。
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フランソワーズ・ドルレアックをあらためて追悼して(2)

2012-03-23 02:50:04 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)
本日もフランソワーズ・ドルレアックを特集します。







フランソワ・トリュフォーとですかね。『柔らかい肌』でのスナップでしょうか。







『リオの男』にて。となりはジャン=ポール・ベルモンド

















彼女の写真は、これからも折にふれてご紹介していきます。
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フランソワーズ・ドルレアックをあらためて追悼して

2012-03-22 06:17:58 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)
本日もフランソワーズ・ドルレアックの写真をご紹介します。



















『ロシュフォールの恋人たち』での写真です。これがドルレアック姉妹唯一の共演映画となってしまいました。







彼女が生きていたら、どんなすばらしい映画に出演してくれたでしょうか…。彼女の旅立ちから、今年でもう45年です。

明日もう一度彼女の写真をご紹介しましょう。
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