お気楽ボランティア日記

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10年前に出会いたかった!

2016年02月05日 | 古文書

 最近ツボにはまっている古文書の学び。

 油井宏子さんの著書に出合ってから、ますます興味が深まって図書館に行ってもその名前を追ってしまいます。

 古文書を学ぶ目的は、最初はくずし字が読めるようになって、旅先で古文書に出会ったときすらすら読めたらいいなあという程度でした。   しかし、実際に学びを進めていくと、本や映像などで知るのと全く違う、、ダイレクトにその時代に飛び込んだかのような臨場感があって、強く引き込まれます。

 今日読み終えた「絵で学ぶ古文書講座  漂流民と異国船との出会い」は、特にそうでした。ペリーが黒船で浦賀に来る前の出来事です。 

  あらましを簡単に書くと、弘化二年(1845年)、阿波国(徳島県)の港からでた船が嵐に遭い苦しみながら漂流して、鳥島に流れ着きます。船は壊れ、無人の島で乗組員18人は協力して生き延びようと努力します。そこへアメリカの捕鯨船が偶然やってきて、彼らを助けます。そして、途中でもう一船(釜石)も助け、江戸まで漂流民を送り届けるという出来事です。

 大きな異国船に助けられ、最初は異国人の容姿、食べ物、着物、道具など全てに驚いていた漂流民たち。大柄で、しかも黒人もいて、どんなにか驚いたことでしょう!でも、彼らはとてもフレンドリーで、言葉が通じなくても身振り手振りで親切に世話をしてくれましたし、漂流民達も積極的に異国船になじもうと努力したようです。

 異国船が入港すると知った、時の政府は大騒ぎ。当時は長崎でしか受け入れていなかったからです。評定を行い、特例として受け入れるまでのいきさつはとてもスリリングです。そして無事に漂流民は上陸できました。異国船マンハッタン号は謝礼の薪水、食料をたっぷり貰って喜びます。そして、別れの時。互いに手を取り合って別れを悲しんだそうです。

 マンハッタン号が帰帆するときがすごいです!浦賀から須崎まで、なんと千艘もの小舟が整然と並んでマンハッタン号を引いて外海へと誘導したそうです。信じられないような光景ですね!想像するだけで涙が出てきました・・・

 これらの出来事を通して、昔の人はすごかったなあと日本人を見直した私です。

 また、古文書を学ぶのは、文字を学ぶことではないとつくづく思わされた一冊でした!もっと早く、少なくとも10年位前に古文書と出会いたかったなというのが今の正直な気持ちです。

 

コメント
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