お気楽ボランティア日記

楽しみながら、ボランティア   広がる、人の輪

終わってしまいました・・・

2010年12月22日 | 映画・演劇・本

 毎週楽しみにしていた二つのドラマ・・・「モリのアサガオ」と「フリーター、家を買う」が今週で終わってしまいました。

 どちらも、次回が来るのがこんなに待ち遠しかったドラマは久しぶりです。(友人の間では「セカンドバージン」のほうが面白いという人がいましたが、私的にはちょっと・・・)

 「モリのアサガオ」を見終わった今、私の死刑制度への認識は少し変化しました。「ドラマを見たぐらいで変わるのか?」と言われそうですが、変わりました。

 以前の私は死刑制度は必要悪だと考えていました。極刑が犯罪抑止の原動力になるとまでは考えていませんでしたが、家族一家皆殺しとか、大量無差別殺人とかは死刑もやむをえないと・・・

 また、肉体の死は魂の死とは別物だから、死刑囚にも救われる道はあるのだからと。

 しかし、心から反省し、悔やんでいる死刑囚の命を奪うことは新たな「殺人」だという考え方も理解できました。

 両親を理由もなく殺された男性が、刑を終えて出てきた犯人を復讐のため殺す。たまたま一緒にいた犯人の娘まで殺したことで死刑囚となる主人公は、自分の愛する妹が今度は犯人の弟からまた復讐で殺されるかもしれないという理由で、自分の死刑を受け入れるという、やりきれないストーリーです。

 興味深かったのは、刑務官であるもう一人の主人公が、彼をなんとか救いたくて再審の道を探るのだけれど、最後は「自分の犯した罪と向き合ってない君は、やはり死刑になるべきだ」と告げる場面でした。それまでの彼は、両親の復讐したのは当然だと思って、後悔はしていませんでした。

 人は自分の犯した罪を認めるのに「死」が必要だという考え方・・・これはキリスト教の思想とも相通ずるものでした。

 彼は死ぬことを受け入れ、その刑務官は死刑執行人の一人に選ばれます。私だったら耐えられないです。彼は抵抗することなく静かに死んでいきました。

 死刑後、刑務官は「これでよかったのか?」と揺れます。定年を迎える刑務官も「自分は死刑制度がいいものかどうか分からない・・・」とつぶやきます。

 もし、私が裁判員に選ばれたら・・・死刑を宣告することは出来ないだろうなあと感じています。

(「フリーター・・・」は別の機会に書きます)

 ※ このドラマを見逃した方、来年1月15日からBSジャパンで再放送があるようですよ。

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