陸前高田から帰る途中、あの「奇跡の一本松」を見に立ち寄りました。 (歩いている男性はチームのR牧師と、車を運転してくれたHさん)
小雨がぱらつく中、観光客もほとんどいなくて、荒涼とした風景の中にぽつんと一本松は立っていました。工事中で、櫓に取り囲まれたその松は想像していたよりはるかに大きい物でした。
私は実物を見る前は「一億五千万円も使って、たった一本の木を保存するなんてばかげているなあ、周囲の復興も全く進んでいないのに・・・」と思っていました。「しかも、本物は枯れてしまって、作り物なんか」とも。
でも、27メートルの松と、その左側に続く土手に松林の無惨な残骸を目にしたとき、考えが変わりました。 やっぱり、この未曾有の災害を記念して後世に伝える物は必要ではないかと・・・
あの、広島の原爆でも原爆ドームがその象徴となったように、映像だけでなく実際に目に出来る物はインパクトが大きい。
そんなことを思いつつ松を見上げていると、「どこからきたのか」と、一人の男性が話しかけてきました。初老のその男性は、幸い自宅が小高い丘にあり津波を免れ、一部始終を目撃していたそうです。
そして、津波が来る前はどんなにきれいな松林、海岸だったか、なぜあの松だけが残ったか(他の松より頭一つ大きな松だったこと、前にユースホステルの建物があったこと)、復興まであと10年はかかることなどを熱心に語って下さいました。
全てが流され、破壊された町が元のように活気のある姿に早く復興して欲しいと願いつつ、一本松をあとにしました。
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