拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

エプロンの活用法/ドクダミの天ぷら/一ノ谷

2024-06-07 08:30:24 | 

リクライニングチェアでくつろいでいると、相変わらずケメ子が上に乗ってきて爪を立てる。痛い。だが、私がリクライニングチェアでくつろぎたいがごとくケメ子は私の上でくつろぎたいのだから邪険にしては気の毒。だから私の身体に布団をかけ、その上にケメ子を乗せるようにしたのだが、そろそろ夏、布団は暑い。そこで、思いついた。使ってないエプロンがあった。それもジーンズ生地のしっかりしたヤツ。あれをかけてチェアに座ろう。ケメ子にはその上に乗ってもらおう。で、そのようにして待っていると、ケメ子が正面からやって来た。飛び移る気まんまんである。

次の瞬間、私の上にいた。

そしてくつろいだ。

私も痛くないからくつろいだ。作戦は大成功である。

閑話休題(次も閑話)。食材としてのドクダミの活用第2弾は天ぷら。

加熱するとドクダミらしさが和らぐって誰が言ったんだろう。ドクダミらしさは健在どころかいっそう華やいだ。味付けになんらかの工夫が必要である。何かあるだろう。ニンジンだってピーマンだってセロリだってこんなに美味しく食べられるようになったのだから。ところで、ドクダミには薬効があるというが具体的にはなにに効くのだろう?ググって見た。デドックス。いいじゃん。高血圧に効く。うーんといいじゃん。利尿作用がある……ええーっ?トイレが近くなるってこと?それは困る。

閑話休題(次も閑話)。源平合戦のメジャーどころの第1弾は「一ノ谷の戦い」。私が最初にこの戦(いくさ)について抱いたイメージ(第1のイメージ)は、小1のときに見た大河ドラマの「源義経」(私の覚えてる中で最古の大河)によるものだった。「一ノ谷」は文字通り谷筋の、傾斜のある道で、結構な幅があって、競馬場の「コース」っぽくて、そこを大群が疾走する様子は、さながら京都競馬場の第4コーナーのようだった(だんだんと傾斜がゆるくなっていったのは、カメラアングルを変えたのだろう)。ところが、その後、「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という言葉を聞くようになった。すなわち、「一ノ谷」と言ってるけど、義経が下りたのは「鵯越」で、どどどっと駆け下りたのではなく、崖をえっちらおっちらと下ったのであり、ある武者などは、馬に怪我をさせないため自分が馬を背負って下りた、という話だった。私のイメージはそのように上書きされた(第2のイメージ)。ところが、最近、また別の話を聞いた。「鵯越」って所は実際は見晴らしのよい平地でありこんな場所での「逆落とし」はありえない、ここは通過点で、義経が馬で下りたのは、平家の砦である「一ノ谷城」の裏手にある鉄拐山の斜面だと言うのである。現場候補が再び「一ノ谷」に戻ってきた。どれ、地形を見てみよう(ブラタモリで培ったアプローチ)。すると、たしかに鵯越のあたりはほぼ平地だが、一ノ谷の裏手には山がある(その山の一つが鉄拐山である)。すると、崖を下りたのならそこは「一ノ谷」であり、競馬のように疾走したのならそこは「鵯越」ということになる(第1のイメージと第2のイメージの場所と方法が交叉する)。学説は分かれているそうで、「逆落とし」自体なかったという説もあるという。確かめる方法はもはやない……こともない。光速を超えて宇宙の彼方に飛んでいき、当時の様子を映した光を追い抜いた後に振り返って見れば、当時の様子を見られるはずである(実際、私たちが見ているアンドロメダ大星雲は、250万年前の姿である)。