拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

外堀沿いを歩く

2024-06-12 08:41:48 | 日記

目論んでいた外堀通り闊歩の小旅を敢行。スタートは御茶ノ水。聖橋を渡ろうとすると、眼下に神田川と、これに架かる複数の鉄道橋が見えた。そう言えば、子どものとき定期購読していた「こども科学館」にこの様子が載っていて「見事な立体交差」と書いてあった。今、それを目にしている。なるほど、見事だ。地下鉄の丸ノ内線は地上にその姿を見せるし、

総武線は、左の鉄橋(緑色)を超えてやって来るし、

中央線は、その下をくぐって右に行く。

ラッシュアワーならこの三線を一同にして見ることができるのだろうか?マニアはいい時間帯を知ってそうである。気がつけば、周りにカメラを持った人が集まっている。外国人もいる。観光スポットのようである。

ここからしばらくは、ウルトラマンとハヤタ隊員が一体化するごとく、神田川と外堀は一体化しているから、それに沿って西に向かう。ほどなく水道橋駅付近に到着。遊園地の観覧車は、

こないだ、本郷台地等を闊歩したとき遠くに見えていたソレである。

そして、ほどなくして飯田橋駅付近に到着。飯田橋と言えば、大きな交差点に架かったこれまた大きな歩道橋のイメージだが、これが「飯田橋」というわけではあるまい。すると、駅の東口附近にあった!これが本家本元の飯田橋である。

この交差点のあたりで、ウルトラマンの最終回でウルトラマンとハヤタ隊員が分離するごとく、神田川と外堀は別々の水となり、神田川は直前で北に流れを変えるからこの橋は外堀のみに架かるのだな、この写真の様子からみると、

暗渠になってるのだな、と思ったのだが、後から調べてみたら、この辺りの外堀(飯田橋壕)は埋め立てられ(反対運動があったそうだ)、そこに○○プラザという施設が建ったそうだ。そう言えば、外堀の位置にたしかにそういう名の施設があった。すると、「飯田橋」は外堀の名残のような水面、言ってみれば掃きだめに架かっているのである。掃きだめにツル……ではなくサギがいた(上の写真の下部に小さく写っている)。まっこと、水辺にサギはつきものである。

外堀の水が復活するのは、少し先の牛込橋(飯田橋駅西口付近)の辺りである。総武線・中央線の飯田橋・市ヶ谷間に車窓から見える水面がそれである。

既に、線路&外堀は、皇居を囲むように南西にカーブしている。この水面も拝めるのは市ヶ谷駅を過ぎた辺りまで。四ッ谷に近づくと、水があったはずの谷は運動場になっている。

その後、四谷見附跡(見附(門)=役人が常駐する見張所。江戸時代には外堀のところどころ(牛込、四ッ谷、赤坂等々)に見附が設けられていた。四ッ谷見附の跡で一番幅をきかせていたのは公衆トイレだった。もちろん、もよおしたときはありがたい存在である)を経て上智大学脇のソフィア通りを歩き、紀尾井ホール横の急坂(紀尾井坂)を下りて清水谷公園に行く。台地の中にある窪地(谷)である。すると、そこに石碑があり、「右大臣」の文字が目に入った。おっ、「光る君に」を放送している最中だから、右大臣と言えば藤原の某?と思ったら、明治の元勲・大久保利通公だった。この地で暗殺されたそうで、公を偲んだ石碑だという。案内板を読んだら暗殺について「大久保公を知ってる人で、悲しまない人はありませんでした」と書いてある。
「先生!質問です」
「はい、拝島さん。なあに?」
「大久保利通を知ってる人がみんな悲しんだのなら暗殺者も悲しんだのですか?自分で暗殺しといて悲しむっておかしくないですか?」
「あなたね、そんな屁理屈を言ってるとろくな大人になれませんよ」
「『ろくな人』ってどういう人ですか?いい人のことですか?」
「あなた、もう学校に来なくていいから」(退学)

さらに歩を進めると赤坂見附に出る弁慶橋。ここら辺でまた外堀の水が復活している。

が、外堀の水はここまで。江戸時代には、この先に溜池、さらにその先には汐留川があって、それが外堀を兼ねていた。溜池から汐留川を経て浜離宮に至るルートは過日歩いたので、本日の外堀巡り歩きはここで終了。国会議事堂を拝んで帰ろう、と思って、日比谷高校に通じる新坂を上る。

これはかなりの傾斜である。ここを三年間上った日比谷高校の生徒さんはさぞや足腰が鍛えられることだろう。国会議事堂の周りにはおまわりさんがたくさんいた。

おまわりさんを見ると、なんとなく心がざわつく小市民のワタクシだけれど、臆することはない、国会議事堂は国会議員の仕事の場、国会議員はわれわれの代表者である。だから、国会議事堂はわれわれの庭である。

歩いた時間は、写真を撮りつつで3時間。残存している外堀は全部歩いた。江戸時代の外堀の全体から見れば半周くらいだろうか。あっと言う間に回った印象である。駅を過ぎるとすぐに次の駅が現れる感じである。東京の中心部の成り立ちが少し分かった気がする。

さて、地下鉄の国会議事堂前駅から地下鉄に乗って帰路についたのだが、いい機会だ、綾瀬で下りずにそのまま乗って、かの川を越えて禁断の地に足を踏み入れてご無沙汰している中華に行こう。で、実行。例によってムースーローの玉子の量は多いのだが、

小バエがたくさんいた。紹興酒を入れたグラスがいやな臭いがしたのは体調のせいだろうか、ドクダミの食べ過ぎだろうか、ドクダミの食べ過ぎで体調がおかしくなってるのだろうか。家でも洗い方が足りないと感じる臭いである。ここを密会の場にする案は白紙にした方が良さそうだ。