拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

続・マンション脱出計画

2024-06-05 07:00:25 | 日記

多くの人は都会での生活があるからそうやすやすと奥地に引っ込むわけにはいかないだろうが、私は諸活動から撤退に次ぐ撤退をして現在ほぼ仙人であるから奥地に行っても支障はない(つうか、仙人は奥地に住むものである)。にもかかわらず、なぜすぐに引越をしないか?理由の一つは猫である。

当初、15歳の猫に引越は負担だと思っていたが、猫の15歳は人間の75歳。今や75歳は青春真っ只中である。逆に、広くなった家の階段の上り降りは猫にとっても楽しいのではないか。走る際「ドドドド」と轟いても騒音の心配は無用である。

それでもためらわれるのは運搬のこと。運ぶなら二匹をいっぺんにしないといけない。一匹だけ先に、となると、残りの一匹を移すまでの間、私は毎日往復6時間かけて二箇所を行き来しなければならない(そこが、病院に連れて行くのと違うところである)。だが、どこかに移動するという気配は猫に分かるらしく、このように呑気にくつろいでいても、

キャリングケースを見た途端、一転超警戒モードになり、捕獲は至難の技となる。かろうじて一匹をだまくらかせたとしても、その瞬間、もう一匹は奥に隠れて当分は出てこない。するとその日のミッションは失敗となり、先にとっ捕まえた方はリリースせざるを得ない。こうして失敗が重なるたび、猫どもはいよいよ慎重になって、ますます捕獲が困難になるのである。

いったいなぜ二匹がこういう性格になったのか?逃げたペットの猫を専門業者が「保護」する様子をテレビで見たことがある。エサでおびき寄せて、やって来たところをセットしてあったネットをかぶせてとっ捕まえていた。ネットにからまった猫はまるで魚網にかかった魚のように暴れていた。ウチの二匹は保護猫である。だから、こういう体験をしてトラウマになっているのかもしれない。母猫と兄弟姉妹がいただろうにこの二匹だけ「保護」されたのは、とりわけ食い意地が張ってるからエサにつられたものだと容易に想像できる。

そう言えば、猛獣を動物園間で移すときは麻酔で眠らせる。猫にまたたびを与えて酔っ払っているうちに運搬というのはどうだろう。だが、急性またたび中毒になっては大変だ(そういう症状の有無は知らないが)。無理は禁物。そもそも大事なのは、猫2匹と人間1匹が一日一日をつつがなく過ごすことである。

考えてみれば、うちの2ニャンと私に血縁はない(考えなくてもわかる)。にもかかわらず、運命共同体になっている。これぞ「袖触れ合うも多生の縁」である(「多少」ではなく「多生」だということを今知った。意味は、「多くの生を経る間に結ばれた因縁」である(大辞林)。「多少」よりよほどありがたい。因みに、私が広辞苑ではなく大辞林を引くのは、20年前に買ったシャープの電子辞書がいまだ健在で、その中に入ってるのが大辞林だからである)。

引越に踏み切れない理由は、実はもう一つある。前回書いたように、奥地の家購買の理由の一つは荷物を置くことであった。だが、上から下までがら~んとしていて音が響き渡る現在の奥地の家が大層気に入っていて、そこを荷物で埋め尽くすことが憚られる。いっそのことマンションの方を荷物倉庫にしようか、そもそも荷物(ほとんどがCD,DVD)が必要なのか、と思うこともある。そこんとこの方針が決まらなければ引越はできない。

以上が、若きウェルテルでない私の悩みである(「でない」と否定するのは「ウェルテルであること」であり、「若い」を否定するものではない)。「独り」は、自分の意思を通せる点はプラスであり、自分一人の浅知恵でなんでも決めなければいけない点がマイナスである。