拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

白馬の王女様は来ず

2020-01-17 11:27:50 | 日記



フライブルクのドイツ語学校の休みの日に当てもなく黒い森をひたすら登っていったときのこと。いきなり視界が開けて広大な牧草地が目の前に広がった。遠くに見える町まで行くと、おとぎの国のよう。これがドイツ南西部のザンクト・ペーターである。もし昨晩のうちにザンクト・ペーターに一緒に行ってもいいよという人が現れたら、その人に身も心も捧げるつもりだった……が、白馬の王女様は現れず。オランダ人は再び彷徨うのである……ウソをついた。私はオランダ人ではない。こてこての浪花っ子である。またウソをついた。「こてこての」とくれば「浪花」だし、最近「浪速の恋の寅次郎」を見た影響もあって吐いた妄言である。「さまよえるオランダ人」(ヴァーグナー)と言えば、「パイレーツ・オブ・カリビアン」にも幽霊船が登場した。オランダ人船長的な役どころを演じたのはオーランド・ブルームだった。彼は「ロード・オブ・ザ・リング」でもかっこよかった。そのロード・オブ・ザ・リング」もやはりヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」を彷彿とさせる。それらのことは置いといて(自分で書いたくせに)、「浪速の恋の寅次郎」の話。今見るとなかなかいい台詞がある。松坂慶子演じるヒロインがわざわざ大阪から柴又に来ればこれは寅さんでなくても自分に気があると思うだろう。ところが、それは別の人との結婚の報告だった。がっかりする寅さん。まあ、このあたりの成り行きはいつもの事だが、今回は台詞がにくい。彼女のことも考えてあげてと寅さんをなだめるさくらに対して、「俺のことも考えてほしい」。寅さんの心情吐露。泣けますのー、おいおい(泣いてる風。アニマル浜口氏の真似ではない)。因みに、学生時代のガールフレンドは(40年前のことだから今書いてもなんの差し障りもない。人物も特定しないし)、「男がつらいよ」が嫌いだった。だから一緒に見に行ったことはない。「スターウォーズ」はと言うと、第2作(エピソードⅤ。帝国の逆襲)を一緒に見に行ったが「さっぱり分からなかった」と言うので、その後一緒に見に行ったことはない。私はなんでも好きですよー。肉も魚も好きだし、オペラも映画も好き。その内訳を言うと、ドイツオペラもイタリアオペラも好きだし、寅さんもスターウォーズもゴジラも大好きである。ただし、ホラーものは自ら好き好んで見に行こうとは思わないなぁ。

実は可憐じゃなかった上から2段目(フィデリオ)

2020-01-16 09:31:26 | 音楽
今回のミサソレ通唱会で至らなかったことばかりの主宰者の私だが(皆様の助けがあっていい会となりました)、一つ、自分を褒めてあげたいのはフィデリオの配役。何人かの方からどこを歌ったらいい?と聞かれたのでその方をイメージして割り振ったのがどんぴしゃ。レオノーレとマルツェリーネのB♭が重なった瞬間、私は世界一幸せだった。ところで、レオネーレは男装して牢獄に侵入し、無実の罪で投獄されていた夫の救出に成功する愛と力を兼ね備えた女性。まるで、ジェンティルドンナはたまたリスグラシューのよう。対して、マルツェリーネ(皆さんが「上から2段目」と言ってた役)は……私、可憐な役と書いたけど、たしかにベートーヴェンが与えた音符は可憐だけれど、その人物はどうだろう。彼女にはヤキーノという婚約者がいた。だが、男装したレオノーレを男だと信じてこちらを好きになる。その際のヤキーノに対する態度の冷たいことといったら。と、書くと、世のご婦人は「そんなの当たり前よ」「えー!?男は一途なんだよ」「馬鹿なだけよ」っておっしゃるかも知れない。まさにこういう会話がマルツェリーネとヤキーノの間で交わされるのである。でも、夫の救出に成功したレオノーレが女だったと分かるとケロッとしてヤキーノに戻る。最後の歓喜の合唱ではマルツェリーネはちゃっかりヤキーノと抱き合っている。なんだこれ?って感じである。ベートーヴェンの理想像はレオノーレのような女性だった。だから、モーツァルトのコシ・ファン・トゥッテ(二つのカップルがあって、男が変装して互いの彼女じゃない方にアタックして落ちるかどうか賭けをする。結局、二女性とも落ちる)の不道徳さに我慢ならなかった。レオノーレみたいな人がいるわけない(?)からベートーヴェンはずっと独身だった。そんな大先生はマルツェリーネのパートをどういう気持ちで書いたんだろう。待てよ。最初に私が「マルツェリーネは可憐」と書いたのは、この役を得意にしていたルチア・ポップのイメージだったのかもしれない。ルチア・ポップは可憐である。だが、男関係は相当派手だった(カルロス・クライバーも手玉にとられた)。おおっ、だからなおさらマルツェリーネが得意だったのか(ガッテン!)。そこへいくと、昨夜酔っ払いながら見た映像でマルツェリーネを歌ってたオリベラ・ミリャコヴィチなどはかなり歳がいった感じでイメージが随分違う。だが、ヤキーノも老けてたから、これはこれでシニアの男女の痴話げんかだと思えば現実感がある。とにかく、何事においてもすぐ影響を受ける私である。テレビで昆布がいいと聞くと昆布ばかり食べてる私である。今回の通唱会で夫婦愛賛歌にどっぷり浸ってパートナーが欲しくなった。フライブルク付近の山の上にあるザンクト・ペーターという農村に一緒に旅してもいいという人を期間限定(すぐ気が変わるから)の大募集!(冗談……だが、St.Peterにもう一度行きたいのは本当である)一つ言っとかないと。フィデリオの役をその方のイメージで割り振ったと書いたけれど、もちろん声のイメージで割り振ったのであって、決して、男を手玉にとりそうだとか、別れるときにけちょんけちょんに言いそうだとか、そういうことを考えたのではござりませぬ。そもそもそういうことは知らないし、私の知ってるお友達はみんな優しい方々ばかりだし(必死のフォロー)。

フィデリオ(ミサソレ通唱会のアンコール)

2020-01-15 11:06:24 | 音楽
通唱会は主宰者が自分がやりたい曲をやる会と言った人いる。私などはまさにそのクチ。そもそも昨年ミサソレ通唱会を初めてやった動機が利己的である。おととい指揮して下さったMさん主宰のA合唱団で一昨年ミサソレを練習しててその内輪の発表会(レパートリー会、略してレパ会と呼んでいる)で私はY先生とクラリネットを吹く予定だった。Y先生はA合唱団の団員ではないが、レパ会は外部の方の飛び入り参加大歓迎なのである(その意味で通唱会と似ている。そうそう、それで私が「通唱会もどきのミサソレがある」とブログに書いたら、それでたくさんの方々が反応して下さったのだった)。ところが、レパ会の会場(某Gの家(ゴジラの家でもコックローチの家でもない))が急に管楽器はダメ、と言い出した。Y先生も私もがっかり。某Gの家のGはコックローチのGでたくさんだと思った。絶対ここでは結婚式は開かないぞ、と思った(そもそも予定がない)。するとY先生が「イージマさん、ミサソレの通唱会をやりましょう!」。私も同じ気持ちである。ピアノのK子先生も賛同してくれて、こうして誕生したミサソレ通唱会。もし、コックローチの家でクラを吹けてたらミサソレ通唱会はなかった。通唱会になったんで、毎年楽しめるようになった。多くの方と楽しさを享有することができることとなった。と考えると、Gの家の管楽器NGのお陰様である。前言撤回。ここで結婚式やります(だから予定がないって)。そして、アンコール。去年はメサイア通唱会のアイディアを借用して第九の第四楽章。ここはK子先生とY先生の夢の共演(連弾)が実現した。が、せっかくの機会だ。通唱会は主宰者がやりたい曲をやる会である。フィデリオをやろう、と思ったのは全くの私の一存。音楽好きは世にあまたあろうとも、ミサソレのアンコールにフィデリオをやろうなどと思う輩は私以外にはいないだろう。K子先生に話すとフィデリオだったらやったことあるからいいよ、と快諾をいただく。これで決まり。このオペラは、当然のことだが私が大好きなオペラで、子供の頃二つ目に買ったオペラのレコードがこれだった(最初はリゴレット)。すぐにスタディスコアも買った……が、当時、この曲を自分が演奏する機会が来るなどとは夢にも思わなかった。が、皆様のおかげで実現した。半世紀かかっての夢の実現である。実は秘めたる自信がありました。あの崇高なゆっくりの三拍子で気分が高揚した後にくる爆発的な歓喜の歌。絶対盛り上がるだろうな、と。実際、盛り上がった。ゆっくりなところのオーボエはIさんがそれはそれは美しく吹いてくれたし、この部分の最後、レオノーレが音階を上がって行ってB♭で伸ばし、そのすぐ後にマルツェリーネが同じく上がっていてB♭を伸ばす。私の真後ろにいったレオノーレ(Kさん)とマルツェリーネ(妹(に昨日なった))のB♭を背中で感じ取った私は桃源郷にいた。その後、アレグロ(そしてプレスト)になってからも力強いレオノーレと可憐なマルツェリーネのからみは素晴らしかった。私の目論見はあたった、いや、皆々様のおかげです。ただ一つだけ。最後の最後のプレストは、私はもっと速くやりたかった。一人でしゃかりきになってテンポを上げようと務めてはみたが、所詮、クラ一本ではどうしようもない。が、初めての人が多かったから、やはりあのテンポで良かったかな、と思う。歌詞(歓喜の声を合わせよう)の通り、歓喜の声が合わさりました!ちょっと余計なことを言うと(感動的に終わらないのが私のブログ)、その歌詞ですけど、誰が歓喜の声を合わせるのかというと、「優しい妻を得た者」である。まあ、女性だったら「妻」を「夫」に置き換えればいいだろう。だが、一人者はどうしてくれるのさ。第九の歌詞だと「輪に入れない者は寂しく去れ」だが、さすがにそこまでは言ってない。そうだ、ベートーヴェン大先生(ご生誕250年!)だって、こんなオペラを書いときながら、ご自身はチョンガーだった!

そんなにビールが飲みたいか(ミサソレ通唱会)

2020-01-14 18:07:18 | 音楽
昨日はミサ・ソレムニス(ベートーヴェン)の通唱会。自分が主宰する通唱会は、やはり単に楽しもうという気持ちのほかに、特に場所が初めてのところだったりすると、事がうまく運ぶだろうか、という心配の気持ちがあったりする。案の定、借りた部屋を開けてみると、ソファがたくさんあったり、大きなテーブルがでーんと鎮座ましましたりで事前の予想とかなり違う。が、そこは歴戦の強者ぞろいである(参加した皆さんの事)。設営時は手際よくぱぱーっと片付けて下さり、終了時はしゃきーっと復元して下さって、ぴったり時間内で終わって一息。鍵を戻して、料金を指定された箱に入れて外に出ると、あらま、誰もいない。主宰者をひとり置いてけぼりにしてとっとと打ち上げ会場に向かったようである。そんなにビールが飲みたいか?飲みたいっ。そうだよね(以上、冗談です(でも本当です))。今回、参加して下さった皆さんが口々に楽しかったと言って下さる。去年も大成功と言って喜んだ覚えがあるが、今年はさらに輪をかけて楽しかったと思う。公式なお礼等は公式の場(フェイスブックのイベント等)でしているから、ここには個人的なことを書くが、それでも、ピアノで全体をばしーっと支えてくださったSK子先生には大感謝である。そのK子先生は打ち上げに来られなかった。あの後、某男声合唱団(私も団員)の指導があったからだ。で、打ち上げ(一次会)が終わった後、私が直行したのはその団の練習後の飲み会。大変お世話になったK子先生に通唱会のあった日のうちにお礼を言いたかったからである。てなワケで、二箇所でたらふく飲んで、電車に乗って……気がついたら都心を遠く離れた某駅にいる。別に驚かない、いつものことである。時計の針を打ち上げ時に戻そう。この日、素晴らしいソロヴァイオリンを弾いて下さったWさんに、打ち上げんとき、これからもミサソレ通唱会でソロヴァイオリンを弾いて下さいとお願いしたら承諾して下さった。やった!ミサソレ通唱会をやるとなると、いつも頭を悩ませるのがソロヴァイオリン。これからは悩まずにすむ。すかさず、その場でみんなにそのことを報告。逃してなるものか、である。それからBお姉様への感謝も忘れてはならない。ご自身は歌わず、ひたすら受付業務をやって下さった。会費の計算等、完璧である。主宰のくせになるべく演奏で楽しみたい不届き者はBお姉様あってこそである。近くにいたソプラノの面々も、「受付やって下さって本当にありがたいわね」「イージマさんのお姉様なんですよね」の声。はい、その通り、優しい優しいお姉様です(血縁はないですけど)。

天地創造の休憩時間に流れたミサ・ソレムニス

2020-01-12 14:50:17 | 音楽

昨日はハイドンの天地創造の通唱会。去年に続き2回目。今年は歌い手陣が少数精鋭で素晴らしい会となった。これも昨年があってのことだろう。私は、主にクラリネットで参加。その他、クラリネットのない曲で歌を歌ったり数曲ヴァイオリンをこっそり弾いたりした。子供時代、いろんな楽器をちょろちょろやり、合唱団にも入ったりしたのだが、もしどれか一つに集中していたら、今頃ひとかどのアマチュア音楽家になっていたかも、と考えると取り返しのつかない前半生であったが、そのおけげで今いろいろ楽しめてよかったじゃないですか、と言ってもらうとそれもそうだ、とも思う。かように私は素直な人間だから人の言うことをよく聞く。テレビの言うこともよく聞くからしょっちゅうマイブームの食材が変わる。写真は打ち上げでテーブルに持ち込まれた生ビールサーバー。例によってよく飲みました。ところで、天地創造の休憩時間の間にクラリネットを練習してて、偶然、「ファ」(記譜上)の音を吹いたところで一息ついたので、そのまま「ファーーーソレミーーーファ♯ドレーーソーー」と吹いたらとたんに「それは明後日でしょ」との声がとぶ。そう、これは昨日の明後日(つまり明日)私が主催する通唱会で演奏するミサ・ソレムニス(ベートーヴェン)のクラリネットのおいしい一節である。すごい。休憩時間でみんながわーわーしゃべっていたと思ったのに、ちゃーんと聞いてる(そして、つっこむ)。

カバリエとカレーラス

2020-01-09 22:50:05 | 音楽
火野正平の自転車旅の番組が一段落したと思ったら同じ時間帯でヨーロッパ自転車旅が始まった。初日はスペインのグラナダ。グラナダと言えば、カレーラスが「♪グラナーダー」と歌ってる姿が目に浮かぶ。もちろん有名曲だからドミンゴやパヴァロッティと言ったラテン系のテナーが皆歌っているが、とりわけカレーラスの歌いっぷりは情熱的というか、悲壮感が漂っているというか、印象が強かった。そう、カレーラスは体がドミンゴやパヴァロッティより小さかったから、「三大テナー」で両側の他の二人に挟まれて歌う風は、なんとなく有名な「(左右の腕を地球人につかまれた)宇宙人の写真」のようだった。そのグラナダにアルハンブラ宮殿があるんだそうで。へー。「アルハンブラの思い出」ってギター曲は悲しげで脳天気な「♪グラナーダー」とは真反対の印象。アルハンブラ宮殿はイスラム時代の建築物だそうで、この地はいろんな歴史が交錯した、それが音楽の多様性に現れているのかしらん。それが昨日の放送。今日は、同じスペインでもカタルーニャ地方。モンセラート修道院がある地域。へーえ。カタルーニャ地方ってフランスに近くて、言語はカタルーニャ語でスペイン語は外国語扱いなんだって。モンセラと言えば、かの名ソプラノのモンセラ・カバリエがカタルーニャ出身。あれま。カレーラスも「♪グラナーダー」とか歌ってるくせにやっぱカタルーニャの人ではないかい。そうか、それでカバリエに可愛がられたんだ。ドミンゴやパヴァロッティに囲まれたカレーラスも貧相だったが、カーテンコールでカバリエと手をつないで拍手に応えるカレーラスも巨樹にとまるセミのようだった。面白い話がある。カバリエとカレーラスが共演する舞台の直前、カレーラスが不調で降板を申し出た。しかしカバリエは許さない。「いーえ、あなたは歌えます」の一言でカレーラスも出ることになった。カレーラスはもうやけのやんぱちで開き直って歌ったらこれがなかなかの名唱だったんだってさ。でも、参考になる話ではある。あまり神経質になってあーだこーだ心配するよりも、思い切ってやった方がいい結果を生むのかもしれない。長くなった。カバリエとカレーラスそれぞれの思い出については次回以降に。

オメガ3

2020-01-08 10:29:45 | グルメ
昨年のイタリア旅行はよかった。それまでドイツ語圏しか行ったことがなかったがあっという間にイタリア贔屓になった。南に憧れるドイツ人の気持ちが分かった気がした(去年はこの旅行と二つの通唱会(ミサソレと千人)を主宰したことが私にとっての重大事件であった)。考えてみれば、外国どころか日本の中だってほとんど行ってない。天橋立ってやつが京都府が日本海に面したあたりにあって、そのあたりを京丹後と言うことも最近知ったばかり。なぜ京丹後に興味が沸いたかというと、テレビの情報番組で知ったことなのだが、このあたりの住民がみな長寿だというのだ。その理由は、海藻をたくさん食べるから。海藻は水溶性食物繊維で、これが腸内の善玉菌のエサになるというのだ。なになにが体の栄養になるって話は山ほど聞くが、細菌のエサになり、まわりまわって体によいという話は新鮮である。すぐ影響される私はそれからしばらくワカメや海苔をせっせと食していたのだが、今朝のアサイチでオメガ3とかいう油が体にいいと言っている。初めて聞く名称だと思ったら、要はこれまでも体にいいといっていた青魚に含まれるている油のことらしい。しかし、新しいネタもあった。オメガ3は脳にはたらいてストレスを緩和する作用があるという。ホントかいな。じゃあ摂ろう(私のブログを読んでる方は、とっても楽しそうだね、とおっしゃって下さるが、これでも悩み多き人生である。「若くないウェルテルでもない人の悩み」である)。しかも、サバ缶やイワシ缶でもいいという。オリーブ油でニンニクを炒めてそこにサバ缶やイワシ缶の中身をぶちまけてパスタソースを作るというレシピは気に入った。なーんてことを書いていると、健康オタクのように思われるかもしれないが、そもそも酒の飲み過ぎだ。別の番組のチェックリストで、一つでもあてはまる項目があれば脂肪肝の疑いありと言っていて、その項目の中に「毎日酒を飲む」「酒が大好き」ってのがあった。これだけで二つあてはまってしまう。反則だ。毎日飲んじゃだめと言われたらこれはもう聞く耳をもてぬ。ぷいと後ろ向きにターンする猫の耳のごとしである。

積立金

2020-01-07 11:20:54 | 日記
最近の私のキャッチコピーは「なんでもあり」のようだ。主宰する歌いまくる会のソロ・コーナーもなんでもありだし、ミサソレ通唱会を宣伝して下さっているお友達が「主宰者(私)はなんでもありの人」と紹介して下さっている。もちろん、私がなんでもありでいられるのは、それこそなんでも弾いて下さるK子先生あればこそだ。なんでもあり、と言っても、例えば保釈中に逃亡した某被告人のような法も問わないなんでもありとは一線を画す。しかし、(ここからは私のことではなくて、一般論である)刑事ではなくて民事ならどうだろう。男女の関係はときとして慰謝料を発生させる。法律婚の離婚はもちろん、内縁関係の不当破棄だって慰謝料が発生する。まして、不倫となると、例えば、課長さんが部下のOLとできちゃった場合、奥さんはそのOLに対して慰謝料請求ができる(このあたりの登場人物は、私の講義の「課長さんシリーズ」の面々である。当然のことであるが、課長さんが女性でOLが若手男性社員でも同じである(シニアの男性社員でももちろん同じである)。以下、強固な倫理観をお持ちの方は閲読を控えていただきたい)。だから、OLさんとしたら、そういう場合に備えて、いざというときに支払う慰謝料の額を勘案して積立金を積み立てておくとよいだろう。一回密会をするたびに豚の貯金箱にいくら、とか。ただし、ばれるのが早すぎると積立金が十分たまってない可能性がある。じゃあ、不倫保険とかがあれば!と思うかもしれないが、そうした保険契約は不倫を助長するという理由で契約が公序良俗違反で無効になるから無理である。最近、注目すべき最高裁判所の裁判があった。先ほどの課長さんが不倫が昂じて奥さんと離婚したとする。その場合、奥さんは、亭主の相手のOLに対して不倫による慰謝料請求はできるが(上述)、離婚による慰謝料請求をすることはできない。この場合の慰謝料請求はあくまで夫に対してするものである。では、そうして奥さんに多額の慰謝料を支払った課長さんが、お相手のOLとの内部関係においては双方に責めがあるとして、支払った額のうちいくらかをOLに求償したとして、これが認められるだろうか。原則として認められない……が、不倫の原因の大半がOLにある場合は認められる余地がある……が、そんな求償をしたら最後、課長さんとOLとの関係も破局を迎えるのは明らか。すると課長さんは奥さんとも別れてOLとも切れて、猫とだけ暮らす寂しい余生が待っていることとなる。以上のことは、皆さんが知っているかもしれない猫とだけ暮らすある独居男性とはまったく関係のないフィクションである(念のため)。ずいぶん真面目な話(法律的には)をした。最後にまとめ。いざというときの慰謝料額を見繕って豚の貯金箱にお金を積み立てよう。備えが肝心、火の用心、マッチ一本火事の元(マッチって最近見ない)。以上である。

果報者(歌いまくる会で歌い初め)

2020-01-06 13:57:44 | 音楽
昨日の歌いまくる会が私の歌い初め(と言っても半分以上は楽器だったが)。初めて参加して下さった方を含めてたくさんの方に来ていただいて盛況。1週間後にせまったミサ・ソレムニス通唱会のアンコールで演奏する予定のフィデリオもやったりしていつもにまして楽しい会だった。ソロ・コーナーも充実。バロックから朝ドラまで芸達者な皆々が素敵な歌を聴かせてくださいました。終わった後のピアニストの先生を囲む会(つまり飲み会)も盛況。欠席者の穴を埋めるべく予定を変更して参加してくれたMさん、感謝してます。私は朝目が覚めたらコートを着たまま寝ていたから多分、wie immer(いつもの通り)多めに(?)飲んだのだろう。いや、道路で寝たわけではない。ちゃんと家のこたつの中で、である(「ちゃんと」じゃないか)。ソロ・コーナーで私がやったのは、バラの騎士のゾフィーとオクタヴィアンの二重唱。これをY先生にお願いしてクラリネットのデュオで演奏した。このオペラの二重唱と言えば、ほとんどの人は第2幕冒頭の「銀のバラの二重唱」(「銀の」と打ったらお利口なパソコンが「銀のベンザ」と予測変換した)又は第3幕幕切れの二重唱を思い浮かべるだろうが、昨日演奏したのは第2幕の真ん中あたりで歌われる「Mit Ihren Augen voll Tränen」(あなたの瞳は涙であふれ)で始まるやつ。私は、この曲の微妙な調の移ろいが大好きで一度演奏したいと思っていた。Y先生(本業はピアニスト)のおかげで実現できた。Y先生、ありがとうございました。この会でピアノを弾いてくれているK子先生とは昨年末、某団のパーティーの余興でヴァイオリンのデュオを弾けたし、偉い先生方とセッションをしていただいてる私はまっこと果報者である。実は、私が近年クラリネットとヴァイオリンを再開したのはこの二人の先生方に影響されたからであった。

ちから持ち

2020-01-05 13:02:56 | 日記
某A合唱団の練習場の設営で椅子を5脚持ったら驚かれた。「見かけによらず力が強いですね」だって。わたしゃ、そんなにひ弱に見えるかい?こう見えても力持ちなのだ……「こう見えても」と言っちゃったら自分でひ弱に見えることを肯定してしまってる。たしかに指などは細くて長くて白魚のようであるが(自分で言うな。そもそも白魚ってどんなだ)、おら、山形の小作の息子だから重いもの持つことくらいなんてことねー(正月早々ウソついた。私は神奈川のサラリーマンの息子であった。おしんの見過ぎでついついでまかせを言った)。話を戻そう。なんで「見かけによらず」かと言えば、それはカウンターテナーでアルトを歌ってるせいらしい。じゃあバスを歌えば力持ちに見える?それだけではだめだろう。ぶっとい声で「えいこーらぁ」と歌ってはじめて筋力をアピールできるかもしれない。因みに「えいこーらぁ」を「おいこーらぁ」と歌っちゃったら借金取りの追い込みである。「おいこーらぁ」も「えいこーらぁ」も歌うつもりはない。アルトを歌ってても私は力持ちである。箸より重いものをたくさん持てる。一家に一人置いとくと便利だよー(って、誰に何をアピールしてるのだろう?)

凧揚げ

2020-01-04 10:47:38 | 日記
凧揚げの「タコ」は昔は「イカ」だったが江戸城に落ちたりして危なかったので禁止になった(ドローンのよう)。その禁止令をかいくぐるため、江戸の町民が名前を「イカ」から「タコ」に変えて揚げ続けたという(チコちゃん情報)。「うちわ」を「うちわ」でないと言い張った政治家先生がいたが、言い訳の手法は同じである。今、凧揚げをする子供っているのだろうか。私の子供時代はありましたとも。正月になると文房具店で凧を買ってきて新聞紙で作った足を貼って、で、近所の空き地で飛ばすのだがたいがい隣の凧と糸がからまって思うように揚がらなかったことを覚えている。当時、年末年始というと、大晦日のレコード大賞、紅白、行く年来る年、そして年が明けると芸能人の隠し芸大会ってあたりが定番であった。NHKのニューイヤーオペラは、今のように過剰な演出はなく、オケが舞台の上にいて、歌手が入れ替わり立ち替わり現れて歌っていた。ヨーロッパのガラ・コンサートは今でもこのタイプである。紅白もそうだが、(妙な)演出を付けたがるのは日本人特有だろうか。以前は、純粋に歌を楽しめた。伊藤京子さんが「よひょー、よひょー」と歌っていた様子が目に浮かぶ。その他、冬休みの特別番組も楽しみだった。「ゴジラの逆襲」「ガッパ」をテレビで観たのもこの時期である。もう少し年がいって中学生になると、正月の深夜に放送されるエロチックな映画をこっそり観る楽しみが加わった。パゾリーニ監督の「デカメロン」、それから、これは何度となく記事に書いたが、青年が年上の女性によって「男になる」話。その翌日、青年が目覚めると女性が青年になりきって買いた日記がある。そこには「今日僕は男になった」とあった。この映画の題名がいまだに分からない。何人かの方々から「思い出の夏」だろうという情報をいただき、DVDを買って確かめたが残念ながら違っていた。スターウォーズが完結した今、この作品の題名探しが私の残りの人生の旅のテーマである(大げさ)。「男になる」と言えば、まだ10代の頃、幼なじみの某嬢が「あたしがあんたを男にしてあげる」と言ってくれてたのを真に受けて、いつしてくれるのかなー、いつかないつかな、と心待ちにしているうちに半世紀が経ってしまった。

本物が歌う主題歌(男はつらいよ)

2020-01-03 11:56:47 | 音楽
あのスターウォーズだって最新作で現存の女優さんに故キャリー・フィッシャーの顔を貼り付けるような細工をしなかったんだから、男はつらいよの最新作は「おかえり、寅さん」という副題ではあるが、寅さんの登場シーンは回想シーンに使われた旧作の映像にて。しかも、その多くが元日にBSで放送された三作からだったから、なんだか直前に一夜漬けをして試験に挑んだ受験生の気分であった。新たに撮られた部分というのはあまり多くない。そんななかでも、「現在のリリーさん」が登場したのはうれしかった。寅さんとのことも語っていたなぁ。浅丘ルリ子さんは「やすらぎの刻~道」にも出てるから、最近、えらく親しみを感じる。前に観た映像が多いと言っても、やはり映画館で大勢で観ると違う。何度も観たシーンでも笑えるし泣ける。回想シーンと現在のシーンの織り交ぜもいろいろな意味で感慨深い。高校生だったゴクミが今はレディーだし、当時レディーだったさくらやリリーはもっともっとレディーである。さて、注目(耳)の主題歌。オープニングは桑田佳祐が寅さんの格好をして寅さんばりに歌っていたが、これも「奮闘努力」ものではあったが、エンドロールに流れた主題歌は本物、つまり渥美清さんの歌であった。これはもうずるいとしか言い様がない。天下の桑田佳祐も完全に渥美清さんの引き立て役である。そう言えば「イエスタデイ」でもエンドロールの曲だけは本物のビートルズの音源だったっけ。

寅のアリアで泣く

2020-01-02 11:26:51 | 音楽

一品くらい正月気分をと思ってクワイを買って素揚げにした。さて、大晦日に続いて元旦も映画館に行こう、寅さんの最新作を見ようと思ったらBSで寅さん映画3作品の放送が始まったんでそっちを見ることにして最新作は今日以降に持ち越し。その3作品の中には第15作(寅次郎相合い傘)があって、マドンナ役は寅さんにマドンナとして最多出場の浅丘ルリ子さん。計4回出たうちの第2作である。リリー(浅丘ルリ子)は他のマドンナとは違う。きっぷがいい。寅さんもリリーの前では素が出る。丁々発止のやりとりを聞ける。だから、寅さんはリリーと結婚すればいいのに、と思った。昨日の第15作でもリリーが寅さんと結婚してもいいとうちあけるが、寅さんが照れてしまっておじゃん。寅さん、振られてばかりというけれど、いざ、チャンスが巡ってきても自分で引っ込んじゃう。草食系?そう言えば、最終作では、マドンナ4回目の浅丘ルリ子さんが渥美清さんの具合がよくないんで山田監督に本作で結婚させてくれ、と何ども頼んだそうだ。実際、物語の最後に寅さんはリリーと同棲をしていた。でも夫婦になってないだよなぁ。内縁夫婦にはなっていたのだろうか。寅屋の面々も寅さんとリリーさんがどういう関係なのか気に病んでいた。あなたねー、いい歳の男女が同じ屋根の下で暮らしてるんだから何もない方が不思議だと思うのだが、そういう話にはならない。やはり寅さんは草食系なのか。それも究極の。第15作の話に戻る。本作には有名な「メロンのシーン」がある。寅屋のみんなが寅さんの分を残してやらないでメロンを食べてるところに寅さんが帰ってきて怒るってシーン。渥美清さんが唯一徹子の部屋に出たときに言っていた。渥美清さんは自分の映画をいろんな場所でお金を払って見るのだそうだ。場所によって異なる客の反応を見るためだそうだ。件のメロンのシーンは、山の手の映画館では爆笑。しかし、下町では客は笑わない。なんで寅さんの分を残し置いてやらないんだ、と寅さんに同情するのだそうだ。私は泣きましたよ、昨日、正月から。悲しい映画だなー、と思って。因みに、寅さんが寅屋の面々にマドンナのことを切々に話す長口上を「寅のアリア」と呼ぶのだそう。比類のない語り口である。そのアリアとは関係ないが、渥美清さんは歌も上手かった。劇中、口ずさんでは「……とくらぁー」を付ける。吉永小百合がマドンナのときは「いつでも夢を」を歌っていた。実は、黒柳徹子さんはプライベートでも渥美清さんと仲が良かった。渥美清さんが自分の映画を見に行くうちの一回は黒柳徹子さんと一緒に行ったそうだ。で、山田監督は、黒柳徹子さんを最後のマドンナとしてとっておいた、と徹子の部屋で言っていた。寅さんがリリーさんと添い遂げられなかったのはそういう事情があったから?三角関係じゃん!

スクランブルエッグ(イエスタデイ)

2020-01-01 18:37:24 | 音楽
イブを過ぎて半額になるものも含めてクリスマスケーキとやらを昨年はまったく見かけなかった。紅白も見なかったし。年末年始を感じたことと言ったらクリオラの通唱会と、テレ東で放送した「カウントダウン」(クラシックの曲の生演奏をぴったり元旦の零時寸前に終わらせる)くらい。去年のカウントダウンは早く終わりすぎたのを指揮者が最後の音を無理矢理伸ばして「大成功」。今年は逆におしてしまったのを最後の小節のテンポを速めてこれも無理矢理の「大成功」。一度、指揮者に時間を知らせないでやったらいいのに。それで合ったらホントの大成功である。そんな感じの年またぎ。マグロの刺身を新しい包丁で切ろうと思ったが正月価格が馬鹿馬鹿しいからやめた。せめて、映画でも見に行こう、と思って、大晦日に「イエスタデイ」を見に行った。ずいぶん前に公開になったやつだからやってるだろうかと心配したが日本橋でやっていた。節々に流れる長ーい音のBGMはレットイットビーのコードだったね。その他、やはり万人が見る映画だからメロディーのきれいなポールの曲が多かった……くせに、重要な役どころだったのは歳を重ねたジョン・レノン(もちろんそっくりさん。ご本人は40歳で亡くなっている)。劇中のビートルズの歌はもちろん知ってる曲ばかり。いくつか感想を記そう。「When I'm Sixty-Four」を最初に聴いたときは、遠い将来じっさまになったときの歌だと思っていたのにあと3年に迫っていて愕然とした。なかなか結ばれなかった男女がようやく結ばれたエンディングで流れたのは「オブラディ・オブラダ」。この二人が素敵な家庭を築いていくことを暗示する曲として最高である。それから「抱きしめたい」。原題は「I Wanna Hold Your Hand」だから「手を握りたい」。でもタイトルとして語呂がいいので「抱きしめたい」になったのだろうが、いやいや若人にとっては(シニアも同じ?)好きな人と「手を握る」というのは一大イベントだと思う。だからこの曲に「お手々つないで」などというタイトルを付けたらだいなし(つうか、誰もそんなタイトルは思いつかぬだろう)。よく「手が早い」という言葉があるが、「手を握る」ことと関係があっての言葉なのだろうか。この映画で歌われた曲は、主役の俳優が吹き替えなしで歌ったものだが、唯一、ビートルズのオリジナルが使われたのはエンドロールでの「ヘイ・ジュード」。ただ、この曲が流れ始めたときにスクリーンに映画のタイトルの「YESTERDAY」が大写しになって違和感満載であった。800円出して買ったプログラムがやたらとちっちゃい。元をとろうと隅から隅まで読んだ中に書いてあったこと=映画のタイトルを「YESTERDAY」に決めたことをポール・マッカートニーに報告したら「スクランブル・エッグ」の方がいいと言ったとか。「スクランブル・エッグ」は、ポールの新曲が「YESTERDAY」に決まる前の仮の名前である。