拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「こころ」は物質名詞?(シュッツのIch danke)

2017-05-19 12:10:19 | 音楽
某会でシュッツの「Ich danke dem Herrn von ganzem Herzen」(主に心から感謝します)を歌っているのだが、この「von ganzem Herzen」(心から)を以前「vom ganzen Herzen」と言ってドイツ人に直されたことがある。「vom(von+dem)」なら「ganzen」で合ってるのだが、ここでは定冠詞(dem)は不要。だから「von」。だったら「ganzem」になる、というわけだ。さすがネイティヴ。一瞬の「n」と「m」の違いを聴き取る(こっちは結構早口でしゃべっているのだが)。いや、しかし、そもそもの疑問は、なぜ「dem」を付けちゃいけないかだ。物質名詞には冠詞を付けないという。すると「こころ」は物質名詞か?あらためて辞書を見る。まず、臓器の心臓は、これは数えられるから冠詞(ein,das)が付く。問題は「心」の意味で使う場合。ほら、やっぱり冠詞が付いてるぞ。「ein goldenes Herz」「Mir tut das Herz schwer」等々。でも「心から」は「von ganzem Herzen」なんだよな(ぶちぶち)。因んだ話その1。「Herz」と「schwer」といえば、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヘェン」の歌詞に「Mein Herz ist schwer」(心はずたずた)というくだりがある。この歌、フィッシャー・ディースカウはアメリングの歌がお奨めだそうだが、私はルチア・ポップの歌が好きだ。その2。「こころ」と言えば、再放送の朝ドラ。こちらは視聴を断念して久しい。で、こないだひょいと見たら、え?ユウサクさん(ヒロインの夫)は死んじゃったの?

ごっつぁんです(字幕の話。見事に下手に歌ったMストリープの話も)

2017-05-18 06:44:06 | 音楽
そんなわけで私は語学は大好きだがしょせんシロート。合唱団でご一緒の某さんは、アメリカの有名ドラマの字幕作成スタッフに名を連ねるプロだ。このくらいのプロになると、例えばメリル・ストリープがサッチャー首相を演じたときに役作りで話したイギリス英語も「あざとい」と感じられるそうだ(ものすごく上手であることは間違いないらしいが)。そういえば、Mストリープは「マディソン郡の橋」ではイタリア訛りの英語を話したというし、近年、マダム・フローレンス・ジェンキンズを演じたときは、見事に下手に歌って見せた(「見事」と「下手」。普通は二律背反)。これはまったくあざとくない。「本物」は相当なものだったから。逆に、ストリープの歌は、本当はとっても上手であることがそこかしこに透けて見えた(音がはずれるんでも、本物は下にはずれるところを上にはずれるとか。立派な高音を持ってなければできないはずし方)。身近にプロの方がいらっしゃるせいだけではないが、私は字幕にとっても興味がある。字数制限があるなかでの意訳が面白い。最近目に止まったものを挙げると。魚の「extremely small」な口=「おちょぼ口」。「Dad」=「パパ」(「お父さん」だと堅苦しいし、「ダッドゥ」は日本では一般的でないから「パパ」なのだろう。因みに、「大草原の小さな家」では「Pa」「Ma」を「父さん」「母さん」と訳していた。私は「おとう」「おかあ」もアリでは?と思った。「おかあ」と「おかん」と「おかか」(西田敏行さんが演じた秀吉は妻のねねをこう呼んだ)は意味は同じで音も似てるがニュアンスが全然違うのが面白い)。それから、ルメール騎手がある馬についての感想を聞かれて日本語で「ちゃんぴおん・うま、でーす」と言ったときの字幕が「チャンピオン・ホース」になっていた。フランス人騎手がせっかく一生懸命日本語で話してるのに英語に直すことはないのにと思った。そのルメール騎手、どこで覚えたか、最近、インタビューの最後に「ごっつぁんです」と言って勝った力士が懸賞金をいただくポーズをする。

ドイツ語の勉強は日本でもできるという話

2017-05-17 08:39:47 | 言葉
今朝もいつも通り覚醒。賞味期限12年経過のレトルトパックもなんのその。10年で大丈夫なら100年でも大丈夫(?)。人体実験の結果、缶詰とレトルトパックの賞味期限切れは問題ないことが判明。あとは瓶詰めだ。で、無事「ひよっこ」も視聴。オーディションのシーンで、「革命エチュード」が終わって「ソ、ドーシドレー」と始まったからショパンつながりで「別れの曲」かと思ったらドラマの音楽だった。で、予定どおりのテーマでブログを書く。私は、ドイツ語の勉強は、ずーっと東京のゲーテ・インスティトゥート(以下「ゲーテ」という)でやっていて、で、そろそろ中級修了試験だって頃、ドイツのフライブルクのゲーテに4か月行って、そこで試験をパスし、その間発音クラスにも通って、声楽家の先生からお墨付きをもらった。だが「それでドイツ語ができるんだね」と言われると非常に不本意。ドイツのゲーテに行く前から試験に通る学力はついていた。発音は、それこそ大学んときに合唱団で鈴木仁先生に習ったまんまだ。ドイツのゲーテで得たもの=第一にスラング。第二に自信。第三に「ハク」。これだ。「ドイツのゲーテに行った」事実があるから合唱団でドイツ語のことを言った際みなが聴く耳をもってくれる。もしその事実がなければ「どっかの馬の骨が世迷い言を言ってる」で終わったろう。きわめて日本的であり、きわめて理不尽。ドイツに行かなくたってできる人はできるし、ドイツに行ってもできない人はできない。方言もある。ある指揮者は、ミュンヘンに留学したとき現地の人が「ig」を「イク」と言ってるもんだから(南部訛り)、「音楽はイクもの」(変な意味ではない)と思い込み、帰国後団員に「イク」を強要したものだ(どうも変な意味に聞こえる)。因みに、ドイツに行った当初、駅の人にトイレの場所を尋ねる際「Koennten Sie mir bitte sagen,wo die Toilette ist?」(トイレがどこにあるか教えて下さりませぬか?)なんて風に教科書どおりしゃべってにたーっとされた。このヤパーナーは妙に堅苦しいしゃべり方をするな、という感じだった。そのうち、「(Ent)schuldigung,wo ist die Toilette?」(すんません、トイレどこ?)になった。「Entschuldigung」の「Ent」がとれる感じは、柳楽優弥さんがJRAのCMで「ありがとうございます」を「あざっす」と言う感じ。さて、上記の「Koennten Sie……」を英語にしてみようと思ったのだが、「Could you tell me please,where……」ここで考えてしまった。where以下の動詞の位置はどこだっけ。ドイツ語だとwo以下(名詞節)では動詞が最後に来るのだが、それと英語が頭の中でごっちゃになっている(英語は遠の昔に忘れた)。それから、ドイツ語の節では動詞が最後と書いたが、バッハのカンタータの歌詞などでは多くの場合そうなっていない(語呂を優先するから)。カンタータのテキスト作家の歌詞は、ゲーテの試験では落第だ。

あくなき挑戦(賞味期限)

2017-05-16 21:57:02 | グルメ


久々のイカスミパスタ。イカスミはレトルトだが、タマネギとにんにくとトマトのみじん切りをオリーブオイルでじっくり炒めたものに和えて、白ワインで伸ばしたそれはなかなかの美味であった。ところで、今、わが家では、新しい食材は買わず、昔から貯め込んできた食材をひたすら消費する日々(例外:1パック99円の卵を買う条件を満たすための500円以上の買い物)。賞味期限から7年過ぎた味噌汁のパックも、8年過ぎたカロリーメイトもしっかりクリアーした。で、今晩使ったレトルトのイカスミパックは賞味期限から12年経過したもの。これが缶詰だったらまったく問題ないのだが(こないだの「ガッテン」で、30年過ぎたものも70年を過ぎたものも大丈夫だった。「理論上は」半永久的にもつのだそうだ)、レトルトなので若干の疑問符。でも試すなら今だ。仕事も歌も一段落。今死んでもほとんど人様に迷惑をかけない。ということで今夜実行。明日まで生きていればブログに「ドイツ語の勉強は日本でもできる」話を書く予定。

「涙をもって種まく人」歌い比べ(シュッツとシャイン)

2017-05-16 09:07:21 | 音楽
シュッツとシャインの「Die mit Traenen saeen」を歌い比べた(シュッツを歌う会で。テナー募集中)。仲良しだった二人のこの曲はほんとによく似てる。途中に出てくる三拍子がよく似てるし(歌詞は、シュッツが「werden mit Freuden ernten」、シャインが「kommen mit Freuden」と異なるが、「mit Freuden」(ミッtフロイデン。喜びをもって)は共通)、音が細かくなってタンタタタンタタと続くところもよく似ている(歌詞は、それぞれ相手方が三拍子にした部分。なんだか、うまい具合に音型と歌詞の組合せが入れ替ってる感じ)。そして「weinen」(泣く)で二度の不協和音が強調されるところも同じ(これは修辞学(感情を伝えるパターン)のなせるわざかもしれない。ここのところはシュッツの面目躍如。はるかに強烈)。シャインの曲は、1623年に発刊された「イスラエルの泉」という曲集に含まれており、シュッツの曲は、1648年に発刊された、おなじみ「宗教的合唱曲集」の一曲。「おなじみ」と書いた。シャインについてのWikiのドイツ語ページには、「イスラエルの泉」について、「宗教的合唱曲集」と類似性(Verwandtschaft)があり、「不当にもその影になっている」(zu Unrecht im Schatten)、とある。「宗教的合唱曲集」はライプチヒ市に寄贈された。ドレスデンの楽長のシュッツが100キロ離れたライプチヒ市にこの曲集を寄贈したわけは、ライプチヒのトーマス教会のカントルだったシャインへの追悼のためと言われる。特に「Die mit Traenen」は、シュッツの伝記を書いたロジェ・テラールに言わせると、「シャインが開発した宗教的マドリガーレへの回帰」なのだそうだ。

♪ありあけーのお、はーああばー

2017-05-15 12:12:29 | 音楽

中山(横浜市。わが郷里)の駅前の商店街を歩いてみた。20年前にはまだあった本屋さんがなくなっていた。時代だ。だがM勉強堂(文具店)は健在。プラモデルはこの店で買ったものだ。驚くべきは、その隣に「亀屋万年堂」(王選手の「ナボナは、お菓子のホームラン王です」で有名)のお店ができていたこと。亀屋万年堂は自由が丘に本店があったはず。亡き父が自由が丘の会社に勤めていた頃、たまにナボナをお土産に買ってきた。その亀屋万年堂の店が中山にあるなんて、中山もメジャーになったものだ……と思ったら、結構、このお菓子屋さんの直売店はあちらこちらにあるようだ。なじみのお菓子といえば、もう一つ、横浜人ならこれを忘れてはいけないのが「有明のハーバー」。私、学生時代の夏休みに有明製菓の工場でアルバイトをした。電車が鶴見駅の近くにくるとその看板が見えたものだ。懐かしい、と思ってググってみたら、な、なんと、有明製菓はバブル後に倒産していた。で、「ハーバー」もいったん市場から姿を消したそうだ。それを有志が復活させたのが今の「株式会社ありあけ」であり、「ハーバー」なのだという。へーえ。ちいとも知らなかった。じゃあ、バイトのときお世話になった社員(作曲家のシャインではない)のおじさんたちはどうしたんだろう。でも、年代からいって、倒産したときはもう定年になってらしたかも。そんなことを考えていたら、今朝、テレビから流れてきたのが「はあばー(ソミミー)、はあばー(ファレレー)、はあばー(ラソソー)、ありあけーのお(ミミファソードミ)、はーああばー(レーラソドー)」(ハーバーのCM)。ほんとに話がつながるものだ。とか言いながら、アップした写真は商店街を少しいったところにある銭湯。この銭湯も古い。子供の頃、家風呂がこわれたとき通ったお風呂屋さんだ。こぼれ話。王選手がナボナのCMに出たのは、同僚で仲のよかった国松選手が亀屋万年堂のお嬢さんと結婚してたから。なんと、その国松元選手は現在亀屋万年堂の会長さんであらっしゃる。

「西郷どん」=「せごどん」(フランス人か?)

2017-05-14 07:41:17 | 言葉
フランスの新しい大統領には注目ポイントがたくさんある。「史上最年少」「イケメン」「政財界のプリンス」「年上の奥さん(ブリジットさん)」等々。どれに注目するかはひとそれぞれ。私はブリジットさん。高校んときの先生だそうで、15歳の少年が40歳の先生に恋をしてプロポーズ。両親に転校させられてもめげず、後に見事初志貫徹。え?プロポーズ当時、ブリジットさんには夫がいた?ワイドショー的に言えば「年上略奪不倫愛」。フランスじゃ、こんなことでは騒がない。ところで、マクロン大統領(この名前、なかなか覚えられなかった。ブリジットさんの名前はすぐ覚えたのに)に敗れたルペン候補だが、「Le Pen」なのになぜ「ルパン」じゃなくて「ルペン」なんだ?と思ったら、「Le Pen」はブルターニュ出身の人の名前だからだ、と説明しているものがあった。ブルターニュは、大西洋につきでた部分で、ブリトン人が住んでいた地域。ブリトン人は、イギリスの土着民族。だから「Pen」は英語読みなのか。逆(フランスじゃないのにフランス語読みをする)が西郷隆盛。来年の大河ドラマの「西郷どん」は「せごどん」と読むんだと。「Sai-go」を「せご」と読むなんざ、まるでフランス人。すると「せごどん」「おいどん」の「ん」は鼻に抜けなきゃだめだね。さあ、試してみよう!セゴドー(ン)、オイドー(ン)

「鳥を見た」(源九郎義経を連想)

2017-05-13 11:27:32 | 音楽

(承前)鳥と言えば、「ウルトラQ」に「鳥を見た」という回があった。登場するのは「ラルゲユウス」という怪鳥。両親のいない少年と心を通わせる小鳥が巨大化して暴れるのだが、ラスト、少年に見送られながらいずことも知れず海上に飛び去って行く。その美しい画面の背景に流れるのがアコースティックギターの曲。このメロディー、50年以上経っても忘れない。こんなに詩情あふれる子供番組で育ったわれわれは幸せだと思う。因みに、劇中で少年は鳥を「クロウ」と呼んでいたが、私はそこからいつも「源九郎義経」を連想していた。

鳥が来た

2017-05-13 11:26:02 | 音楽

うちのベランダの物干しやFMアンテナにはよく鳥がとまりにくる。で、落とし物をされると厄介なのだが、その落とし物には植物の種がたくさん入っていて、あらためて鳥が植物の繁殖に一役買ってるんだな、と思う。で、今朝も小鳥(多分、スズメだろう)が来て、その鳴き声で目が覚める。カーテンを開ければもっと見やすいがそうすると逃げてしまうので、カーテン越しに撮影。

校風を変えた犯人

2017-05-12 06:45:43 | 音楽
昨日の解答の解説。「Alt」の意味は「高い」。でも女声の中で「低い」パートがアルト。だから高くて低いのはアルトというわけ。もともとは定旋律のテナーより高いということでアルト、ソプラノはそれよりも高い=最高(英語のsupreme)ということであった。さて、話を、おっかない指導者に素直に従う野球部員のところまで戻す。こういう素直な生徒ばかりとは限らない。私が高校の吹奏楽部員だったとき、指導に来ていたOBがなかなかの暴君で、気に入らないと指揮棒を投げる。で、ある日の練習前、T君(ともう一人)が、「今日こそはあの指揮者の前に楽器を投げつけてやめてやるっ」いきまいている。で、練習が始まり、私はいつ彼らが楽器を投げつけるのかはらはらどきどき(わくわく)しながら見守っていたのだが、結局、何の行動も起こさなかった(口だけ)。そのT君は、教師の息子で、「なによりも規律が大事」という奴だった(「楽器を投げる」とはちと矛盾するが)。さて、その母校の高校だが、私が通ってたときはほんとに自由な学校で、例えば、私は、学校の作る時間割とは別に自分用の時間割があって、それは1時間目から6時間目まで音楽で、一番後ろの席でひたすら楽譜を書いていた(オケの曲を吹奏楽用に編曲していた)。で、ある日、化学の授業中、はっと気がつくと、傍らに先生が立っていて私は凍り付いた。が、先生は何も見なかった顔をして去って行った。石橋山の戦いで梶原景時に見逃してもらった源頼朝の当時の気分はかくや?と思った。私の母校の校風はそういう自由なものだった。ああそれなのに。母校が最近新入生に配ったとされる「訓令」をみてあぜんとした。「本校には覚悟をもって入ってこい」「1日何時間勉強しろ」等々、目を疑うような文句が並んでいる。ところで、上記の「規律大好き」のT君は、その後母校の先生になっていた。つながった!「犯人」はT君に違いない。いや、多くの人は称賛している。母校の評判は最近とみに高いらしい。親御さんが寄せる信頼は絶大。しかし、私は気に入らない。因みに、T君が反抗しようとしてしなかった(指揮棒を投げた)暴君は、どっかの高校の校長先生になられたという。はたして黒板消しを投げたのだろうか。

婚姻の意思(トゥーランドット)

2017-05-11 09:20:54 | 音楽
(承前)報酬(吾を夫とする)が恐ろしかったためか、誰一人解答をくれた人がいないので正解発表。高くて低いものとはなんぞや?答えは「アルト」。実は、正解する人が現れる前に早めに正解発表をしようか、と焦った瞬間もあった。「蓼食う虫も好き好き」という言葉が頭をよぎったとき。万が一、「蓼食う虫」が現れちゃったら持参金などない。その場合は、別の解答を正解にすり替えようか?でも「アルト」以外思いつかない。因みに、トゥーランドットの出題に対する答は予め紙に書いてあって、後からすり替えることはできない(そのことは、実際に舞台を見ると分かる)。では、カラフが全問正解したとき、絶対嫁になりたくないトゥーランドットはどうしたかというと、ひたすら「いやじゃ、いやじゃ」とだだをこねた。まったく、これまで正解できなかったあまたの求婚者の首をはねておいて、往生際が悪い。ところが、ここでカラフが格好つけて「では、こちらから問題を出す。私は誰でしょう?答えられなかったら妻になれ」。で、トゥーランドットは北京中におふれを出して、「誰も寝てはならぬ、正解を考えろ」と言ってパヴァロッティお得意の名アリアとなるわけだが、しかし、忘れてはならないのは、カラフがこんな格好付けをしたものだから、リューは死ぬはめになった(カラフと一緒にいたティムールとリューが引き出され、答を言え、と迫られ、リューは絶対言うものか、と自ら命を絶つ)。リューの死を思えば、その後、トゥーランドットとカラフはのうのうと「Amor!」(長友選手かっ)と言って抱き合ったりできないはずだ。トゥーランドットはお姫様、カラフは王子様、えてしてこうした輩は他人への同情心に薄い。プッチーニが生前作曲できたのはリューが死ぬシーンまでで、初演時、トスカニーニは、聴衆にそのことを言って、ここでタクトを置いたという。因みに、プッチーニの奥さんは超焼き餅焼きで、ある若い女性を夫の愛人だと勘違いしてとことん攻撃して彼女を自殺に追いやった。遺族は、娘の遺体を調べてもらって処女であったことを証明した。プッチーニは、彼女を思ってリューを書いたとも言われている。さて、話が大きくそれたが、話を私の「貞操の危機(?)」に戻す。考えてみたら、「蓼食う虫」の心配することはなかった。「なになにしたら結婚する」といった「条件付婚姻」は法的に無効であった。婚姻は、届を出す時点で双方に婚姻意思がなければ無効なのだ。そう言えば、日本国憲法第24条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」の草案を書いた人の話をこないだNHKでしていた。お父さんが有名なピアニストの……っと、この話はまた別の機会に。

高くて低いものとはこれなんぞや?(正解者の許にいざ婿に行かむ)

2017-05-10 10:26:27 | 音楽
四季の森を歩いていて、そういえば母校の中学校はこのあたりに移転したんだよな、どこだろうと思ったらプォーンという金管の音。吹奏楽部の練習の音だ。音を頼りに進むと母校が出現。立派なグラウンドで野球部が練習をしている。昔はグラウンドが狭くて野球部もなかった。で、その練習に思わず見入る。ノックをしている指導者が一球ごとに怒鳴る。「そんなにぐずぐずしてちゃだめなんだようううう(怒)」って感じで。この「ようううう」がよく響く(声が通るのも指導者の資質?)。その怒号を浴びせられる中学生、これがまた素直で、怒鳴られるたんびに帽子をとって「はいーっ」。指導者といえば、いろんな合唱団でいろんな先生に教わっているのだが、おっしゃることが人によって正反対だったりすることも。例えば「ミ」。ロマン派命(いのち)の先生は「ミは高く」とおっしゃる。純正調でやりたい先生(古楽系に多い)は「ミは低く」とおっしゃる。しかも、それぞれの側に、ご自身がおっしゃることを唯一絶対無比、不変の大原則であるとお考えになっている方がいらして、逆はあり得ない、反する者はただちに火刑台行きの勢い。じゃあ、この両陣営が直接対話をすればどうかって絶対会わないんだよな。某国と某国の関係のよう、はたまた、三男(朝ドラのヒロインの幼なじみ)が務める米屋(某国のうちの一つとは「米」つながり)のよう(店主と娘は同じ部屋にいても三男を介して会話する)。でも、指導者とはそうでなければならないのだろう。指導者がゆらいだら子羊たちは路頭に迷う。因みに、指導者のいない某会(私が主宰している関係で、私が練習進行係をつとめている。テナー募集中)はこんな感じ。「ミはさぁ、高くしろっていう人と低くしろっていう人がいるんだけどさぁ、アカペラのシュッツだからとりあえず低くしてみっかぁ。でも、あんまり低くしちゃうと、どっかの合唱団みたいにミ♭と変わらなくなっちゃって、そしたら困るもんね(あははは)。っつぅかぁ、そもそも音がとれてないのに高いも低いもあったもんじゃないよね(あははははは)」(最後の部分は結構真理である気もする)。さて、高いと低いは正反対と言った。ここで、トゥーラン・マッシから出題。高くても低いものとはこれなんぞや?トゥーランドットは問題を三つ出したがここでは一問のみ。それでも褒美は同じ。正解者は吾を夫とすることが許される♥ 編集後記。文中の「どっかの合唱団」は、古楽ファンなら誰でも知ってる有名合唱団。どこだかは絶対言えない(言ったらこの世界で生きていけない)。

がきんちょと蛙の協奏曲(四季の森公園の不動の滝)

2017-05-09 09:19:09 | 日記

四季の森公園はどうやってできたんだろう?田んぼがなぜ池になったんだろう?耕作放棄?とか思って調べたら、なんと、もともと神奈川県がこのあたりを住宅地にするために買収したのだが、貴重な自然の宝庫であることが分かったので用途を変更して自然公園にしたというのだ。わが郷里が誇らしい。住宅を建てれば家賃が入ってくるだろうに、それをせずに、あえて維持費のかかる公園を選択したというのだから(因みに、この公園の入園料=ただ)。さて、遊歩道をどんどん進むと風景が狭まってきていよいよ山の中。すると、水たまりにでくわした。「不動の滝」とあるが、滝は流れてない。ここも覚えがある。昔、泉が湧いていたところだ(たしか)。で、小学校の課外授業はここでひきかえしたんだと思う。で、湧いてる水はきれいな飲める水だったが、ある日「○○君があの泉でおしっこをしたからもう飲めない」というニュースが聞こえてきた。そういう悪ガキが必ずいるものだ。で、現在、その水たまりにはおたまじゃくしがたくさんいてがきんちょが歓声を上げながらすくってた。と、そのがきんちょの歓声をかき消すかのように蛙の大きな声。実にバロック的な協奏曲であった。

まむし健在

2017-05-08 12:33:36 | 日記

予定どおり、中山(横浜市)にある(正確には寺山町)「四季の森公園」に行く。そう、この風景(写真1枚目)が少し前に書いたとおり、子供の頃見た風景なのだ。遊歩道が昔の山道。右側の林は昔のまま。左側の池は田んぼだった。もちろん、当時は鯉のぼりなどなかった。空気がおいしい。ヤマユリの匂いに満ちている。ところで、「まむし注意」の看板はどうした?見当たらないな。まさか、この20年の間に駆逐されてしまったか?いやいやありました(2枚目)。大分行った先に。それにしても起伏の大きい公園だ。崖と谷でできてる感じ。横浜っていうのはそういう地域なんだよね。