拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

階級闘争(BWV119)

2017-06-26 08:02:00 | 音楽
BWV119(バッハのカンタータ)には、「Obrigkeit(政府)」「Regiment」(統治)と言った言葉が出てくる。同じ言葉が出てくるのがBWV71。こちらはバッハが若い頃(ミュールハウゼン時代)、市の参事官交代の儀式のために書いた曲。はたしてBWV119も、時代こそ違え(こちらはライプチヒ時代)、同じ儀式のための曲。あれ?これって政治色ありありだよな。こういうのも「教会カンタータ」と言っていいのだろうか(一瞬湧いた疑問)。でも教会で演奏されているし、テキストはいつもと同様「主の恵み」を謳っているし(主のもとでよい政府があり、そのもとに民がいる、という図式)。「お父さん、コーヒーちょうだい。あっ、でも男の方がいい」(コーヒーカンタータ=世俗カンタータ)っていうのとはワケが違う。第3曲のテノールのアリアは甘美な名曲。さて。カンタータを歌う会では一つもめ事が勃発している。え?音楽の解釈をめぐる争い?合唱団はそれでよくつぶれるというが……のはずはない。あの「ゆる~~~~い」会で音楽のことでもめるわけがない。じゃあ何か?というと、それは階級闘争。プロレタリアートとブルジョワジーの戦い。具体的には、歌った後、ガ○トに行くか(そして、そこで一番安いものを頼むか)、それとも折角神楽坂なんだからおしゃれなレストランに行くか、その争い。今のところ、プロレタリアート派(首魁とみなされているのは某さんと私。ともに足立区在住)が優勢で、いつもガ○トに行っている。だが、ブルジョワジー派には不満が鬱積している模様で、こないだ私が飲み会をパスしたら待ってましたと言わんばかりに高い店に入っていった。でも、私が復活するとまたガ○ト。どうやら、あちら陣営は持久戦に持ち込む構えだ。つまり、プロレタリアートはますます貧し、ブルジョワジーはますます潤う。そして、足立区のわれわれはとうとうガ○トにも行けなくなる。そしたら、大手を振って高級店に行く心づもりと見た。こんなこと書いて大丈夫?って、大丈夫さ。ブルジョワジー派の首魁の某藤さんはシャレの分かる人だし(ダジャレばかり言ってるんだから、こういうときだけ真に受けるってナシ)。