拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

糸を紡ぐグレートヒェン

2010-05-21 09:57:01 | インポート
国外ではユーロ危機に北朝鮮問題。国内では口蹄疫問題。どうして世の中はこう問題だらけなのでしょうか。いただいたコメントにSchubert(シューベルト)の話がありました。私は、オペラを除くロマン派音楽の中では、シューベルトとシューマンが好きです。もともと声フェチですので、シューベルトの歌曲は大好きです。ただ、私はずっと、もっぱら音のみにこだわっていて、詩の意味などはほとんど気にとめませんでした。それが変化したのは、15年くらい前でしょうか。NHKで声楽の神様であるディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが生徒に歌のレッスンを付ける番組を見たときです。そこで、詩と音の結合を初めて心で感じられて、それゆえにシューベルトがますます好きになりました。詩と音の結合という意味では、シューベルトやシューマンに匹敵するものは見あたりません(歴史上、最大の作曲家とも言えるかもしれないJ.S.バッハは、同じメロディーに、違う詩をあてはめていくつものカンタータを作ってます。ベートーヴェンも、詩的というより器楽的です。)。特に当時私の心を捉えて話さなかったのが、「糸を紡ぐグレートヒェン」です(ちょうど、通っていたドイツ語学校でこの詩がとりあげられ、また、上記のフィッシャー・ディースカウの番組でも取り上げていました。)。シューベルト17歳の時の小品ですが、その世界は、どこまでも内側に向かって深く沈み込み(ベートーヴェンやヘンデルの音楽が外側に拡散していくのとは逆のベクトルです。)、気がふれた(Verrueckt)少女の内面が恐ろしいほど表現されています。当時、多分にVerruecktだった私の心は見事に共振しました。(おまけ)村上春樹さんの「海辺のカフカ」の中で、シューベルトのニ長調のピアノ・ソナタを「天上的長さ」と評している部分がありますが、へー、と思いました。ハ長調の交響曲も、「天上的長さ」と評されてます。シューベルトの器楽曲は、その傾向があるんでしょうかね。リート(歌曲)は、簡潔無比です。