拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

茨田リツ子/高知なす

2024-06-27 08:43:21 | 音楽

民法の「直系血族及び同居の親族は互いに扶け合わなければならない」という条文は、もちろんかつて法律職の末席を汚していたから知ってはいたが、今日の朝ドラでウメ子が「こんな当たり前なことを条文に書いて、姑を嫁におしつけようとする」と言ったのには思わずうなってしまった。そうか、そういう見方もあるのか。ウメ子の発言は、直接的には、姑の面倒はあなたたち(ウメ子の子=姑の孫=直系血族)で見なさいね、あたしは知りません、って意味のようだが、私は、もう少しひねくれていて、「私(嫁)は姑の直系血族ではない。家を出れば同居の親族でもない。だから姑の面倒は見ません」と言ってると思った。いやいや、法律ものと聞いて当初冷ややかに見ていたが、なかなか奥の深いドラマである。前作の「茨田リツ子」が同役で引き続き登場したのも、大サーヴィスであった。

そんな朝ドラを見て、ながれでテレビをつけてる人なら、私が、昨日、スーパーに行って高知ナスを探した理由が分かるだろう。「スーパーに大概ある」と言っても、そりゃ綾瀬駅前のスーパーにはあるかもしれないが、そこから徒歩50分の「23区の奥地」のスーパーにあるとは限らない。だが、あった。

米ナスも、長ナスも、もちろん普通のナスも売っていた。しかも、高知なすは1袋99円、米なすは1個79円である。最近、野菜は見切り品コーナーでしか見てなかったので気付かなかったが、今、ナスは旬真っ盛りなのだな。

「あさイチ」を見てなかった人のために一応解説すると、ナスは、血圧を下げる成分が他の野菜の1000倍(!)入っているという。さらに、高知ナスは、その成分が普通のナスの3倍(=他の野菜の3000倍)入っているという。パックにも「高めの血圧(拡張期血圧)が気になる方へ」という表示がある。科学的裏付けがあるのでこういう表示が許されるそうだ。下がったとは言え、血圧の上が正常値の上限プラスαあたりでうろうろしている私だから、さっそくこれに飛びついた次第である。

売り場には「高知なす」の他に「高知産なす」もあった。後者は普通のなすである。

で、夜、早速、天ぷらにして食べた。

美味であった。普段は捨ててしまうガクの部分も食べられると聞いて、天ぷらなら尚更いけるだろうと思って使ってみた。いけた。

ナスは、これまで栄養価に乏しい食材とされていたというが、あの紫色からしてポリフェノールを含んでることは容易に想像できる。ナスが含むナスニンという成分はポリフェノールの一種だそうだ。

ナスは、これまで印象の薄い食材だったそうで、子どもの好きな野菜ランキングにも嫌いな野菜ランキングにも入ってこなかったそうだ。私はパスタに和えてときどき食べていた。美味だが、オリーブオイルを吸い過ぎて、茹で上がったパスタと和えるときにはオイルが無くなっていて足さなければいけないことがままあった。昨日の番組ではその対策としてナスに塩をまぶせばいい、と言っていたが、塩はダメじゃん、血圧に。


アジサイ(リトマス試験紙と逆)/ご近所付き合い

2024-06-26 15:36:25 | 園芸

アジサイは、酸性土壌だと青色に、アルカリ性土壌だと赤色になると言うが(リトマス試験紙と逆)、「猫の額」(奥地の家の庭)のアジサイは、

薄い赤(ピンク)と薄い青(水色)が混じり合ってるから土壌は中性なのかしらん。なお、(普通の)アジサイの花のように見える部分はホントの花ではなく装飾花で、5枚で1セットの装飾花の中央部に小さな真花がある。これがガクアジサイになると、装飾花の群れと真花の群れが水と油のように分離し、装飾花は額縁のように外側に集まり真花は内側に集まっている。さらに、ホンアジサイ(ガクアジサイの園芸品種)はもはや装飾花だけで真花がない。花がなければ種もつかないから、もっぱら挿し木や株分けで増えるそうだ。アジサイに関する以上の知識は、つい最近仕入れたばかりの園芸初等科1年D組のワタクシである。「猫の額」のアジサイはどうかというと、あれえ?装飾花1セットごとに小さな真花がある点はノーマルだが、1セットの装飾花の花弁数がどうみても4枚である。ググると、そういうのもあるそうである。なお、真花を拡大すると雌しべと雄しべが見える。真花は装飾花の色に関わらず水色である。

今後、粛正の嵐が吹き荒れるかもしれない「猫の額」だが、このアジサイは、サザンカや梅と共に「Aグループ」(抜かずに残す草木)に入れるつもりである。

園芸関係の話をもう一つ。ポチってから届くまでうーんと時間がかかったと書いたフルーツピッカーがこれ。

先端の歯で実をひっかけて網に落とすという代物。柄は2メートルまで伸びる(商品によっては4メートルまで伸びる)。間に合ってれば使えただろう。完熟梅をゲットできただろう。だが商品到着までの2週間で完熟梅はすべて落下してダメになってしまった。時既に遅し。仕方がないので来年のためにポチったと思っている。そう考えれば早すぎる到着である。因みに、梅干しを漬ける気まんまんで食品用アルコール(消毒用)まで買ってあったので、とりあえず今年はスーパーで完熟梅を買ってそれを漬けるか、と思ってスーパーに行ったら、こちらも時既に遅し。季節を過ぎたものと見え、もはや売ってなかった。今年は先に青梅で漬けた梅酒の健やかな生育を祈るのみである。

前回奥地に行ったときは、お向かいのご亭主の要請で垣根の剪定をした。その際、ご亭主の言われた「私道はみんなで管理する」という言葉が私に刺さった。そうだ、この道路は住民の共有なのだから、自分たちできれいにしなければいけないのだな、お役所がやってくれるわけではないのだな、と思い、今回は、誰に言われることもなく家の前の道路の雑草抜きに精を出してたら、件のお向かいのお宅のご夫婦が車(俥(人力車)ではない)でどこかから帰ってきて、ご亭主が「暑い中大変だね(この日は猛暑であった)。そう言えば、この間刈った草木はどうしたの?え?持って帰ってる?そこに置いといてくれればゴミの日に捨ててあげるよ」とご親切(同様のことは、お隣のご亭主からも言われた)。奥様からも「すっきりしましたね」とお声がかかる。周りがいい人ばかりでよかった(周りの方々も、いい人が来てよかった、と思ってるはずである(自分でよく言うよ(と読者に代わって言う)))。てなわけで、ご近所付き合いは好調である。思えば、こんな風にご近所としゃべくるってマンション住まいでは絶えてなかったことである。

それでも、4時間の庭仕事の後はかなりの疲労感である。別に長距離を歩いたわけでも、高い山を登ったわけでもないが、こういう作業も馬鹿にしてはいけない。結構な労働である。「結構」とは、「量が多い」のほか、文字通り「良い」の意味もある。より健康になった気のするワタクシである。ただし、熱中症に対しては油断は禁物。あの健康そうな所ジョージさんも罹ったと言うし。


こらぁ

2024-06-25 07:20:19 | 言葉

上野公園は台地の上にあり上野駅はその台地の下(谷)にある。この台地は、大きく言えば武蔵野台地で、細かく言えば上野台地である(武蔵野台地は川によっていくつかの小台地に分断されている。上野台地は武蔵野台地の東端で、西隣は本郷台地である)。上野台地を体感できるのは上野駅の不忍池口の改札を出た辺り。目の前に崖があってその崖に張り付くようにビルが建っていて、1階から入って上階に出ると公園で(まるで屋上階)、そこに西郷さんがおわすのだが、その崖こそが上野台地のヘリである。昔はそのビルに「じゅらく」というレストランがあって、そこでよく生ビールを飲んだものである。ふと思ったのだが、「台東区」は台地の東にある故のネーミングだろうか。「上野」は文字通り台地の「上」にある「野」ということだろう。

話はがらっと変わる(が、あとで奇跡的につながる)。ウチの猫は泥棒猫である。例えば、こんな具合である。

私の昼食を狙うケメ子である。爪立ちをしている。猫族はそのうち二足歩行になるのではないか。もう少し見ていれば、そのうち手が出てくるが、その手でご飯に触られちゃうと困るので、ここらで「こらぁ」と言って諦めさせる。この「こら」についてはチコちゃんで解説していたが、もとは薩摩弁で、「ねぇ」「ちょっと」と言う呼びかけだったのが、明治維新の際、全国に警官として派遣された薩摩隼人が不審者に呼びかけるとき「こら」と言っていたら、それが怖かったので、「こら」が叱責の言葉になったそうである(薩摩と言えば西郷さん。ここで上野台地と話がつながったのである)。

ってことは、警官として全国に派遣されたのが他の地域の人だったら、今、猫を追っ払うとき「こらぁ」とは言わなかったことになる。だが、呼びかけの言葉がすべて叱責の言葉に適当とは限らない。叱責の言葉になるためには「おっかなさ」を伴ってなければならない。特に「ねぇ」は、熊本では「Yes」の意味になるらしいから(漱石の「二百十一日」にそう思わせる記述があることは最近書いた)、熊本では叱責の言葉になりようがないだろう。ウチの猫達も、「ねぇ」では悪さをやめそうもない。


流浪の民

2024-06-24 09:17:05 | 音楽

まひるが家に戻ってみると、下女が男を作っていた(大河ドラマ)。下女曰くその男は「なんでも言うことを聞く」。そういう男が好きな女性は確実にいるし、女に「なんでも命令されたい」と思ってる男も確実にいる。天の配剤である。

新しい民法では相続分は妻が3分の1で残りを子どもが分け合うと言っていたが(朝ドラ)、それは古い新民法の話で、現在の民法では妻が2分の1で残りを子どもが分け合う。今朝の放送で、確実に間違った知識が広がるのを憂えるワタクシである。では、残りは横野好夫君に書いてもらいます。

横野です。シューマンの「流浪の民」についての想い出は高校のときに遡ります。私が所属していた吹奏楽部と、音楽部という名の合唱部はともに音楽室を拠点にしていました(東京ドームを巨人と日本ハムが共用していたごとし。因みに、この括弧内、初稿では「東京ドーム」は「後楽園球場」で、「日本ハム」は「東映フライヤーズ」でした)。で、昼休みにはどっちの部員も音楽室に集まってくるのだけど、棲み分けができていて、音楽部はピアノの周りに集まって歌を歌い、吹奏楽部はちょっと離れた場所に陣取ってその歌を聴いておりました。で、音楽部がよく歌っていたのが「流浪の民」。

特に、途中で、ソプラノ→アルト→テナー→バスと順繰りにソロを歌う場面があって、

ここが一番記憶に残っています。最後のバスのソロを歌った人が、これみよがしに太く張った声を出すと、音楽部員の中におおー!という仲間内自賛の歓声が湧き上がったものでございます。

その後、大学で私は合唱に転じたのだけど、そこが古楽専門だったから、とうとうこれまでこの歌を歌ったことはなく、聴いたのも高校の音楽部の歌が最後でした。

ところが。それからきっちり半世紀後の今、所属しているA合唱団がシューマンのミサ等を歌ってるので、ついでに「流浪の民」を歌うことになりました。半世紀前に毎昼聞かされていたあの曲をいよいよ自分で歌うことになるとは!と感無量のワタクシなのでございます。

ところで、高校のとき聴いていたのは日本語訳。今回はドイツ語の原詩。それ故に初めて知ったことが多数あって、まずタイトルの「流浪の民」。私、戦争等で家を失ったりして、不本意に放浪する人々をイメージしてたんだけど、「Zigeunerleben」と言ったら「ロマの生活」じゃないですか。ロマなら移動するのは当たり前。さらに、歌詞には「ナイル川」(Nil)や「Spaniengarten」(スペインの庭)が出てくるんだけど、ロマは、ヨーロッパ人の認識では、「エジプトで生まれてスペインを通ってヨーロッパに入ってきた人」だから符合してます。

因みに、「ロマ」は昔は「○○○ー」と言われていたが、今日では世界的に差別用語とされていて、日本では放送禁止用語にもなっているそうな。それでいて、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇の「○○○ー男爵」はそのままの表記がまかり通ってるってことは、前後になんかの言葉が付けばよいのだろうか。ドイツ語の「Zigeuner」も、やはり差別用語には違いないけど、どこまでダメなのかは明らかでない。ググってみると、ドイツ人も「Darf man "Zigeuner" sagen?」(「Zigeuner」って言っていいの?)なんて質問投稿をしてて、それに対する答えが「微妙」だったりしてなかなか微妙なようです。そう言えば、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」ってヴァイオリン曲があるけど、あれを「○○○ーの曲」って直訳してたら、今頃「言っていいの?」って疑問が起きるところだった。そのまま「チゴイネルワイゼン」で輸入したことが結果的によござんした。

因みに、「チゴイネルワイゼン」と言えば、私の大昔の宴会芸でございました。すなわち、この曲の冒頭をヴァイオリンで弾き始めるのだけど、

赤で囲った超速の部分を口三味線で歌って、その後からヴァイオリンに戻る、という芸です。なかなかウケたものでございます、はい。


ムシュロ(奥地日記Vol.?)/ゲットバックの「another man」

2024-06-23 13:59:54 | 言葉

奥地の家の生け垣を刈り込んだはいいが、刈り込んだ枝葉の量は膨大。これを、小分けしてビニール袋に詰め、それをリュックに入れて現住所に持って帰らなければならない。とりあえず、刈り込んだ当日は道に積もったヤツをかき集めて道具入れに詰め込み、次に行ったときから袋詰め作業を始めたのだが、これがなかなか大変。切り取ったままだと長い枝がビニール袋を突き破るから、園芸ばさみ又はノコギリで小さくし、それから袋に詰めるのだが、4時間やってこれだけ。

まだ同量以上が残っている。全部の袋詰めが終わるまで多分あと二日。その後、一袋ずつリュックに入れて持ち帰り、現住所で燃えるゴミに出す。多分、全部終わるまで半年はかかるだろう。車があれば運搬は一日でできる。あるいは、私がペーパードライバーでなければレンタカーを借りて、やはり一日でできる。なお、あればよいのは車であって俥ではない……ん、まてよ。リアカーでもあればやはり一日で終わるよな。いや、積載がいっぺんにできても一日では返ってこられない。どこかの「宿」(しゅく)で一泊か二泊しなければなるまい。

フルーツピッカーはようやく今日になって届いた。来年の収獲を基準とすれば、ものすごく「素早い対応」である。

ところで、奥地の駅前の中華にはこのところ行ってなかったのだが、今回、行き(昼頃)に店先で給仕担当の中国人女性(シェフの奥さんなのか店員さんなのかは不明。一応「マダム」と言っておく)とぱったり会って、私のことをちゃんと覚えていて、「おねーさん、お久しぶり」と声をかけられてしまったからには夕方行かないわけにはいくまいて。四時間の作業で喉がカラカラで一刻も早くビールを飲みたいところでもある。ということで、帰りに寄って、ムースーロー(キクラゲと豚肉の玉子炒め)と生ビールを注文。カラカラの喉はビールを瞬時に吸い込みいつもなら紹興酒となるところだが、今回は梅酒サワーを注文。

私がお店でサワーを注文するのは多分人生初である。サワーってアルコールを水で薄めているイメージがあって、味もアルコールも薄くて「損」な感じがして敬遠していたのだが、ここんとこ自宅ではサワーづいていたので試してみたのである。旨いし爽やかであった。

因みに、マダムに注文するとき「ムース↓ーロー」と言ったら、そこからマダムの中国語講座が始まった。
マダム「中国語ではムシュ↑ロって言う」
私「ムースーロー」
マダム「違う、ムシュ↑ロ」
私「ムシュ↑ロ」
マダム「そう!」ってな感じである。

後日、この話を他の人にしたら、中国は国土が広いからいろんな発音がある、と言っていた。そりゃそうだろう。国土の狭い日本だって発音はいろいろである。例えば、「あまちゃん」で流行語になった「じぇじぇ」は、ちょっと地域を違えると「じょじょ」になる。因みに、「じょじょ」で思い出すのはビートルズの「ゲットバック」。「JOJO」って人がああしたこうしたって歌である。因みの因みに、その「ゲットバック」で曲中、リコーダーの音が一瞬「ぴっ」って入る気がする。それから、歌詞の2番では「スイート・ロレッタ」の話になり、このロレッタは自分のことを「woman」だと思っていたが、ホントは「another man」だった、というのだが、要するに「おほほ」だってことだろうか。もしそうなら、横野好夫君は、歌においては「another man」である。


肝臓と糖尿病の話

2024-06-22 06:46:51 | 健康

健康診断の結果を聞きに行った。明らかに高いのは尿酸値。痛風が出るかも、と言われた。もう何度か出てる(そういや、最近は出てない)。あと、血圧とコレステロールは高めだが薬を飲むほどではない。その他、心臓、肝臓、腎臓は正常。糖尿病の心配はないと。いっときむやみに高かった血圧が今は下がってることは自覚していた(既述)。

実は、今回、一番診てもらいたかったのは肝臓の数値。半世紀弱に及ぶ暴飲の果ての今、肝臓が無傷とは思えない。ときどきやらかすのは肝臓が悲鳴をあげてるから?だが正常。丈夫なレバーを与えてくれた親に感謝である。ときどきやらかしたのは、どうやら、ある一定のsituationに関係しているらしい。最近は、そのsituationに陥ることがないからやらかすこともなくなった。肝臓のせいでなかったことの証しである。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、悪くなることはないだろう。

もう一つ、確認したかったのは糖尿病についてである。話は10代の頃に遡る。高校で尿検査をした際、尿から糖が出て糖尿病検査に行った。最初に行ったときは、甘い水を大量に飲むのだが、それが生暖かくて往生した。次に検査に行ったときは(なにしろ毎年ひっかかるので)、炭酸水になっていてたいそう飲みやすくなっていた。そのいずれの検査においても、血糖は高くない、逆に低いくらい、だから糖尿病ではない、だが、糖尿病予備軍だと言われた。だから、自分は将来糖尿病になるものと決めていた。糖尿病は遺伝の要素がある、と言うが、父がまさにホントの糖尿病と診断されていたから余計にその感が強まった。

ところがでござる。年月を経て40代になって受けた人間ドックでは、尿酸とかについてはダメだしを喰らったが、糖尿病については今後心配はない、しかも「大したものだ」とのお墨付きまでいただいた。これまでのいきさつからわが耳を疑った私であった。

それから更に20年が経った。この間、健康診断を受けずにきた。20年の月日(つきひ)は長い。お墨付きをもらった糖尿病もこれだけ不摂生をしてれば発症しているかもしれない、いや、してるに違いないと思い、受診することにした(無料の受信券で。区様々である)。まず眼科検診。糖尿病からくる網膜症は「ない」。そして今回、糖尿病自体も「ない」。血糖値が正常値であるほか、尿糖すら「なし」であった。20年前の「大したものだ」は本当であった。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、発症することはないだろう。

因みに、「ホントの」糖尿病であった(はずの)父は、日本酒はダメと言われたので晩酌は糖分の少ないウィスキーに切り替えていた。すると、今の私くらいの歳の頃だったろうか、糖尿病がなくなっている、との診断を受けた。それこそ信じられない話だった。糖尿病は治らないと聞いていたから。だが、最近、糖尿病も治ることがあるって話をちょくちょく聞くようになり、すると、父もホントに治っていたのか、と思う今日この頃である。


杏疑惑(奥地日記Vol.?)

2024-06-21 09:28:51 | 園芸

奥地の家の梅のことだが、梅酒にしたのは青い実(青梅)。刈り取らずに残した枝の上の方のヤツらがこぞって黄色くなったから、これをゲットして梅干しにしようと思い、「フルーツピッカー」とやらをポチったが、まだ来ない。いい加減腐るぞと思い、「フルーツピッカー」なしで収獲しようと出かけてみると、な、なんと、「一粒残らず」落ちてダメになっている。

一週間の遅れは致命的であった。このあと、「フルーツピッカー」は届くのだろうか。まあ、(もし届いたのなら)来年用として受け取ろうとは思う。

ところで、この「梅」について、売主さんが「杏(あんず)だと思ってた」との情報が入る。えー?最初、早咲き桜だと思って、次に青い実を見て梅だと思ったのに、ここでまた杏に訂正しなきゃいけないの?だが、花は2月に咲いていた。2月に花が咲くのは梅で、杏は3月だという。なによりも、有力な反証はこれ。

葉っぱの先が尖ってる。これは梅である。だから、私の中では杏疑惑は否定された。このあいだブランデーに漬けたヤツは杏酒ではなく、当初の思惑通り梅酒である、と信じている(信じる者は救われる)。

ところで、落ちた梅を拾っていたら誰やら近寄って来た。多分、向かいのウチのご亭主である。頼みがあるという。ウチの生け垣が道路にはみ出てるので、刈ってくれ、ということである。来るべくして来た。たしかにはみ出ている。帝国大学の樹の葉っぱはキャンパスの外の歩道を飛び越して車道にまで大きくはみ出てるが(下の写真)、

それが許されるのは帝国大学だからである。庶民の生け垣がはみ出ていてはいけない。こういう場合に備えて、枝切りバサミもノコギリも用意してある。だからご亭主に「分かりました!今日、これから伐採します!」と言うと、ご亭主は「い、いや、今日じゃなくても。一人で大変なら市のシルバーなんとかがあるから」と言うが、どうせ、完熟梅をとる作業がぽしゃったところ。私にはDo it yourselfが相応しい。ということで、この日は垣根を刈り込むガーディナーに急遽変身である。で、こんなだったのが(うん、たしかに伸びすぎ。帝国大学ほどではないが)、

4時間の作業でこうなった。

私が床屋さんに行ったときのビフォー・アフターと似ている。刈った後のすっきり感も同じ。同じと言えば、父も生前垣根の苅込をやってたな、反発してたけど同じことをやってるなと感慨深めのワタクシである。刈ってる最中に、今度はお隣のご亭主がやってきて、いろいろアドバイスをくれる。亡き父のときもそうだったが、垣根作業は社交場である。

刈ってて分かったのだが、生け垣の樹が古くて育ちすぎてしまってて、フェンスから出ている部分が葉っぱでなくて太い枝だから、チョキチョキ刈るでは足りず、ノコギリでギコギコやらないとダメ(髪の毛をハサミでチョキチョキでは足りず、毛根のあたりからバリカンでバリバリやらなければダメ……という感じ)。こうなったら、サザンカと梅だけ残して、後は全部「元から絶」って(引っこ抜いて)、床屋の例えで言えば坊主にして、空いたところにピザ窯を置こうか、と思う昨日今日である。

因みに「杏」は人の名前だと「あん」だが、果樹になると「あんず」と読むことを初めて知った今日この頃である。


地下鉄銀座線渋谷駅が地上にある件/外濠(まとめ)

2024-06-20 09:23:52 | 地理

昨年、ギャラクシー賞を受賞したタモリさんが受賞式で「渋谷の坂」について一言求められて仰ったのが地下鉄銀座線渋谷駅が「空中」にある件。学生で東京に出てきたとき「地下鉄銀座線に乗ろうと思ったら地下に地下鉄の乗り場がない。ふと見たら空中を地下鉄が走ってる。青山通りの地下を走ってたのが渋谷という谷にさしかかると空中になる。そんな起伏に富んだ東京が素晴らしいと思って坂道に興味を持った」とのこと。こういう場でいきなりふられても、ひょいと含蓄が飛び出すあたりはさすがである。因みに、地下鉄丸の内線が御茶ノ水の聖橋の下でいきなり顔を出すのも、本郷台地の下を走っていたのが神田川の谷に出ていきなり「天井」がなくなるからである。

今、渋谷は大改造中。いろいろ激変してるそうだが(まだ全く見てない)、銀座線の駅は相変わらず地上にあるそうだ(位置はちょっとずれたそうだが)。

タモリさんが東京の坂に興味をもたれたのは学生として東京に出てこられたときだったとしても、それ以前から地理・地学に興味をお持ちだったのだと思う。なぜなら、ブラタモリで仰ってたのだが、郷里にいらしたとき群馬の沼田の河岸段丘のことを知って、東京に出てきたとき真っ先に沼田に行かれたというからである。沼田は、私も尾瀬に行ったとき通ったが、河岸段丘はたしかにすさまじかった。

その受賞式で、仕事の上で最も記憶に残っていることを聞かれて、「いいとも」で作家の有吉佐和子さんの番組ジャック(最後までゲスト席に居座ってしゃべり続けた)を挙げていた。ただし、そこでちょっと気になる一言があった。その後、黒柳徹子さんも同じ事をした、と言うのである。はて(これは「さて」ではなく「はて」でよい)、私の記憶とは異なる。私の記憶では、最初に番組ジャックをしたのは黒柳さんである。有吉佐和子さんが、自らの番組ジャック中に、過去の黒柳さんの件を持ち出していて、「あ、意識してるんだなぁ」と思った記憶が傍証である(ただし、私の記憶の証拠能力は極めて低い)。だが、更に思い出してみると、黒柳さんはもう一度いいともに出て、一回目ほどでないにしろ、やはりかなり長時間ゲスト席におられた(それが期待されてもいた)。タモリさんがそっちを言ってるのなら、たしかに「その後」である。

さて(今度は「はて」でなく「さて」でよい)、ブラタモリ(と漱石)の影響で、随分東京を歩いた。まだまだ歩く場所は山ほどあるが、外濠についてはだいぶ勉強したので、ここいらで、お勉強の成果を図にして表してみた(先生から言われたわけでもないのに、こんなことをするのは大した物好きである。いや、言われないから喜んでやるのである)。

つまり、日本橋川の雉子橋から時計回りに、外濠川、汐留川、溜池、西側の外濠、神田川と「のの字」に描いたものが外濠である。このうちまだ歩いてないのは、御茶ノ水から浅草橋と、雉子橋から新橋のルートである。当然、歩くつもりである。


15年前のブラタモリ(本郷台地)

2024-06-19 12:01:58 | 地理

話を神田橋に戻す。そこから銭湯に行き、銭湯から大手町に戻るのは芸がないから御茶ノ水方面を目指して歩いてたら、目の前で中央線と総武線が交叉。

聖橋から遠くに見えた緑の鉄道橋が目の前。そこを総武線が走り、少し手前の低い鉄道橋を中央線が走る。御茶ノ水駅を出た辺り(この写真のちょっと左手)で両線は分岐し、総武線は秋葉原を、中央線は神田を目指すのである。因みに、鉄道橋の下は昌平橋。大谷翔平の「しょうへい」と字が違う。ファンの方にはお気の毒である。

はて、ではなく、さて、ちょっと目を左に転じるとかなりの勾配の坂がある。

この坂の上が本郷台地の突端である。私は今、突端の際(きわ)の下にいるのである。江戸幕府は、開幕後すぐに日比谷の入江(現在の日比谷公園)の埋立にかかった。その埋立に使ったのがこの台地から切り出した土砂である。

そう言えば、放送開始直後のブラタモリで本郷台地を扱った回があったと聞く。録画があるか?パソコンのリストを検索。あった!15年前の第8回である。早速視聴。番組に入る前にちらっと映っていたニュース映像に表示されたドル円相場が87円台!アシスタントが久保田アナウンサー。ナレーションが草彅剛でなく戸田恵子。エンディングの歌は井上陽水だけど曲が違う等々、すべてにおいて「今は昔」である。当時、タモリさんのお歳は現在の私とだいたい同じ。「にもかかわらず」と言うべきか、「だから」と言うべきか、とってもお若い。

その本郷の回で、本郷台地の南端を深く削っている神田川の流れが自然の流れではなく、人工的に掘削されてできた流れだと言っていた。そうなのだ。元の川は南下して江戸城の近くを流れていたのを、江戸幕府が治水事業の一環として台地を掘削して向きを東向きに変えたのだった。で、元の川筋が(昨日ネタにした)現在の日本橋川になったのだった。「川の向きを東に変える」と言えば利根川もそう。あちらは東京湾に注いでいたものを銚子沖の太平洋に注ぐように付け替えたのだった。

びっくりしたのは、「弥生土器」のネーミング。が最初に発掘されたのが本郷台地上の文京区弥生という地であったからだという。縄文時代の次が弥生時代と呼ばれているのも、基をたどれば文京区弥生にたどり着くわけだ。なんでも、台地の際(きわ)は当時の一等地で人がたくさん(と言っても現在とは桁が違うが)住んでいたのだという。

「際」と言えば、タモリさんが、「(台地の)際を歩くのいい。なんでも際がいい。人間も服と肌の際がいい」と言ったのに対して久保田アナの「脱いじゃうとダメ?」などという切り返しはまったくNHKのアナウンサー離れしている。タモリさんはその後何人かのアナウンサーとコンビを組んだが、今見ると久保田アナとの掛け合いはなかなかのものである。そんな久保田アナはご幼少のみぎり、鈴木雅明指揮BCJの演奏会で、マタイ受難曲の子どもの合唱を歌った経験があるそうだ。横野君に言わせると、これはすごいことなのだそうだ。


日本橋の上空に青空が戻る日

2024-06-18 17:46:14 | 地理

ということで、再び聖橋でカメラ小僧になった話である(「小僧」は本来は男の子を指すが○○小僧と言った場合は、老若男女を問わない)。相変わらず、カメラ小僧がたくさんいる。私と同様に、中央線と総武線と丸の内線が同じ位置で交叉する様子を撮りたいのだろう。私が現地に着いたときが絶好のチャンスだったがカメラが間に合わなかった。その後、30分間くらいねばって一番惜しかったのがコレ。

総武線と丸の内線は上下で交叉している。だが、中央線は写ってはいるが、御茶ノ水駅に停車中で他の二線と交叉してない。もう少し早く出発してくれてれば目的を達成できたのに……残念である。

時計の針を少し戻そう。皇居を一周した後、大手町の近くの銭湯に向かう途中で神田橋とやらにぶちあたった。

その下を流れるのは日本橋川。私は、この「日本橋川」については、外堀のことを勉強してる途中でちらちらとその名が出てきたのにもかかわらず全く調査を怠ってきた。だが、こうやってその上を渡ることになったのも何かの縁。調べてみた。すると、この川の一部も外堀の役割を果たしていて、ご多分に漏れず、この神田橋にも門(見附)が設けられていた。いったいどこから流れてくるのかと思ったら、小石川橋のあたりで神田川から分岐してこっちに来てるのだという。そう言えば、前々回外堀沿いを半周した際、水道橋と飯田橋の間に小石川橋があった。そのとき撮った写真を見てみよう。

おお!ホントだ!分岐して線路の下をくぐってる。これが日本橋川だったのだ!この流れは、その名の通り、日本橋の下を流れて(神田川と同じく)隅田川に注ぐ。だが、ほとんど、その上に首都高が通っていて、空を眺めることができるのはわずか隅田川に注ぐ直前の500メートルに過ぎないそうだ。日本橋の上空も例外ではない。これが極めて景観を害するから、なんとか首都高をどかすことはできないのか?って話は昔からあったが、夢物語であった。都知事候補が「どかす」と言っても誰も本気にしなかった。ところが、なんとその夢物語が実現する運びになった。どっちみち首都高が老朽化したので作り直さなければならない、なら地下化しちゃおう、ということになったそうだ。地下化されるのは神田橋から江戸橋の間。その間に日本橋がある。地下が開通してから上部の撤去を始めて、完了するのが2040年とのこと。よし、それまで生きるぞ。がんばって、この目で見届けるぞ。


皇居一周ラン&ウォーク

2024-06-18 11:34:06 | 音楽

石川さゆりさんのお父上は、食卓についてもお箸が出てないとご飯に手をつけず、なぜかと聞かれると「箸がなくて食べられるかっ」と言ったそうな(徹子の部屋)。石川さゆりさんは、「そういう態度は今じゃ許されない。『お箸がないんだけど』と言えばすむこと」と言っていたが、私に言わせれば「自分でお箸をとりに行けばすむこと」である。

はて、ではなく、さて、こないだ内濠沿いを歩いたら、皇居を一周するランナー達とたくさんすれ違ったので、よし、私も皇居一周ランをしよう、と心に決めて実行したのだが、途中で脚が痛くなった。「自転車」「歩き」「走り」では使う筋肉が違うらしい。思えば、かつて炎天下に二時間自転車を漕ぐのもへっちゃらだった私がひらすら歩くようになってから久しぶりに自転車に乗ったら脚がすぐ疲れたときも、使う筋肉が違うんだなと実感した。走ることが部活動であった点は半世紀前の話だから筋肉はすっかり別物である(使う筋肉云々の話ではない)。そういうわけで、走っては歩き、歩いては走りの「ラン&ウォーク」で完走。もともと写真を撮るときは止まろうと思ってたから予定通りと言えば予定通り。徐々に慣らしていけばよい(つまり、今後もやるつもりである)。

今回走った(歩いた)コースは、前回の「内堀~外堀」のコースとは若干異なるため、見た景色も異なる。例えば、

今回、内濠通り(橋からは少し距離がある)から正門鉄橋と正門石橋の二つが同時に見えた。

奥の黒いのが正門鉄橋であり、手前の茶色のが正門石橋である。前回は、正門石橋の手前からだと重なってしまって正門鉄橋が見えなかった(同時に二つの橋を見られなかった)。今回は、奥の正門鉄橋の方が高台にあることと、それを遠くから見たことによって両方同時に見えたのである。坂道は、二つの橋の間だけではない。外苑から二重橋までずーっとタモリさんの好きな坂道である。江戸城が台地のヘリに造られたことがここでもよく分かる。因みに、二つの橋があるから二重橋だと思われがちだが、二重橋は正式には奥の正門鉄橋のみを指す。昔、木橋だった頃、補強するために下に丸太を伸ばしていて、それで二重に見えたのだそうだ。

この二つの橋がかかってるのが二重橋濠。今回は、これより外側の日比谷濠と馬場先濠沿いを走った(歩いた)。「外側の堀」だが、外堀ではなくやはり内堀である。こっち方面の外堀の役目は外堀川(山手線他の線路の東側にあった。現在は埋め立てられている)が担っていた。その馬場先濠の様子がこう。

真っ黄色。人は、同じ黄色でも黄金(こがね)なら喜び藻なら「すん」と言う(植物学者は逆だろう)。隣の日比谷濠の水は普通の水の色。橋の両隣で堀の様子が全然違うってことは、水が通ってないのだろうか。

そんなこんなで、歩く時間が大半を占めたにせよ皇居一周を完了して、銭湯に向かう。そう、皇居の近くに銭湯があるのである。都会に銭湯があって、奥地に全然見当たらないのは不思議である。この後、御茶ノ水まで歩き、再び聖橋でカメラ小僧になったのであるが、その話は改めて。


専門家

2024-06-17 09:36:16 | グルメ

ってことで、予定通り夕食は回鍋肉。

久々のキャベツだからたっぷり使ったのだが、それよりも使ったのは豚肉。きょうび、近くのスーパーでもまとめ買いをしないと豚肉が100g99円にならない。だから在庫がたくさんある。勢いたくさん使う。写真にも現れてますねー、豚肉の多いことが。

こんな写真でもアップしてしまう恥知らずのワタクシでも、さすがにムースーロー(キクラゲと豚肉の玉子炒め)の写真はアップできない。なにせ、玉子を1個しか使わないと決めてるもんだから、視覚的に全く玉子炒めになってない。お店屋さんのことを言えた義理じゃない。例えば、こんな感じ(って、アップすんのかい!?)

あれ?思いのほか玉子が見える。それよりも目立つのはキクラゲですなー。キクラゲは腸内細菌のゴハンになるから身体によいそうだ。

はて、ではなく、さて本題。専門家の話三題。

その1。なんかの番組で、専門家が「30分の外出だったらエアコンは切らない方が経済的。2時間以上だったら切った方が経済的」と言っていた。じゃ、30分から2時間の間は?こうした疑問を普段なら絶対に言いそうなパネラーの面々が微妙な顔をして黙っていた。打合せで、そうした質問をするなと口封じされてるんだ、と思った。

その2。なんかの番組に経済の専門家が出てきて、「円安はよくない」と言ってる経済界の某重鎮の発言をつかまえて、「経済の教科書を読み直せ」と言っていた。当該専門家に言わせると、円安はマクロ経済(経済全体)的には良いことだそうだ。しかし、私は、別にけなされた重鎮が高校の同級生だから言うわけではなく、この専門家の意見に三つの理由から反対である。一つ目は、マクロのためにミクロ(個々の家計)が犠牲になっていいのか。国全体の経済が良ければ個々の食卓からステーキが姿を消してもよいのか。二つ目は、そのマクロですら、最近は指標が良くない。円安による物価高で消費が落ち込んでいるからだ。三つ目は、そもそも私は「経済の教科書を読み直せ」などという「上から目線」なことを言う人はきらいである。

その3。チコちゃんに、NHKの今井純子解説委員が出てきてNISAの説明をしていた。で、ご本人はNISAをやってるの?と聞かれてやってないと答えていた。おお!聞き所はここからである。なぜか、というと、株は長期的には儲かることが多いとしても、短期的には値下がりすることがある(よーく知ってます)、株価が回復するまで時間がかかることがある(よーくよーく知ってます)。すると、若けりゃいいけど、ある程度の年齢になると生きてる間に回復しないかもしれない、自分はそういう微妙な年齢だからやらないんだ、ということだった。素晴らしい説得力。絶対やらない、と心に決めた。因みに、私は今井純子解説委員のファンである。


独身オーラ

2024-06-16 16:26:56 | 日記

この半年、キャベツを買ってないからキャベツの料理を作ってない。餃子もタマネギで作った。理由はバカ高いから。この物価高の中でも異常な高値である。一個300円なんてキャベツの値段ではない。300円出せば、激安スーパーで弁当が買える。そうしたご時世の中、なんと、今朝、スーパーの朝市に行ったらキャベツの見切り品が一個50円!さっそく手を伸ばすと、近くにいたどこかのお姉様が私の袖を引っ張って「おねーさん、今日は新品が安いんだよ。だから傷がついてる見切り品なんか買わなくていいんだよ」と言う。え?そうなの?で、キャベツ売り場に目を転じると、おお!たしかに!一個99円だ。だが、待て。それでも見切り品の約2倍である。傷が付いてると言ったってちょっと黒いだけ。だから、お姉様に「こっちは50円だからねー。傷んとこなんてチャチャっと切ればいいんだし。それに、私、腐ったモノ食べても大丈夫だし」と言うと、大いに感心した様子で「そうか。そうだね。一人暮らしならそんなに量はいらないしね」と返ってきた。え?私が独り者だってなんで分かるの?独身オーラが漂ってるんだろうか。さらにお姉様のご親切(お節介)は続く。「おねーさん、ほら、同じ見切り品でもこっちの方がいいよ。傷がないよ」と言って別の球を私に差し出す。親切をむげにするわけにはいかないから「ありがとう!」と言って、その球を受け取ってさっきのヤツはコーナーに戻す。でも、さっきのヤツの方が大きい。黒いところを切ってもずっと食べごたえがある。ので、お姉様がどこぞへと引き揚げたのを確認してからコーナーに戻り、元のヤツもカゴに入れ、お姉様のご推奨品もカゴに入ったままでレジに向かった。結局、二個買うことになった。

今夜は、久々の回鍋肉である!

見切り品コーナーでは他にニラとトマトも買ったのだが、そのトマトが買い物袋の中でおされたらしく汁が出ている。もともと見切り品だから傷むのが早い。早々に食べきろっと。

因みに、競馬評論家のスガダイのYoutube番組にときどき登場する女性馬券師が、雑談コーナーで「自分で作った料理をSNSにアップしても(人の心に)刺さらない」と言っていた。では、見切り品コーナーで買った野菜の写真はどうだろうか?なおさら刺さらないと言われそうである。でも、私の心に刺さるのは一流レストランの料理よりも自分で作った出来損ないの料理や見切り品コーナーで売られている破棄寸前の食材である。こうして、記事を書きながら、今日買った見切り品の写真を見て恍惚とするのがワタクシという人間であり、こうした人間であっても、憲法13条によって個人として尊重されるのである。


2番じゃだめでした

2024-06-16 08:46:54 | 日記

昨夜のプロジェクトXは、スーパーコンピュータの速度世界一を目指したエンジニアの物語。世界一?もしかして、今度の都知事選に立候補してる某R氏の有名台詞「2番じゃだめなんですか?」に関係あり?年代を見ると、エンジニアが奮闘してる時期の真っ只中に某R氏が仕切った「事業仕分け」がある。関係大ありのこんこんちきだった。まさに、某R氏は、スパコンの開発費に対してメスを入れようとしたのである。

果たして、番組ではそのあたりのことを詳しく言うのか?いや、都知事選の前だから下手に言ったりしたらそれこそ某R氏に舌鋒厳しく「偏向報道」と非難されそう。すると「事業仕分けの対象になったが続行が認められた」「お金がかかりすぎると言われたことがある」って感じでさらっと流していた。選挙があるからだろうか?某R氏が怖かったからだろうか?これなら某R氏及び某R氏を支持する政党は黙っているだろう。下手に騒いだら、知らない人の知るところになって「墓穴を掘る」ことになりかねない。

以上は、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」を否定的に解した場合の話である。否定的にとらえる人ばかりではないようで、某R氏の過去の「活躍」を紹介する際に、この発言が引用される場合がある。「かっこいい」ととらえる人もいるようである。

かくいうワタクシは、某R氏の支持では決してない(「支持ではない」は、「支持はしないが嫌いでもない」「嫌い」の二通りの意味があるが、そのどっちかであるかはここでは言わない。「内心の自由」は憲法19条で保障されている)。そして、このケースにおいては1番を目指すべきだったと思う(そしてそれを実現した方々には脱帽である)。だからと言って、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」がそれほどの暴言とは思わない。某R氏は「だめなんですか?」と聞いたのである。ダメだったら「ダメです」と言えばすむことである。あのとき、言われた方はその場では反論しなかった。反論を言ったのは、後で、別の場所で、である。まあ、某R氏の気迫に押されてその場では反論ができなかったのかもしれない。すると、某R氏に対する最も適切なダメだしは「おじさんたちを攻めるときは、もっと優しくしてあげなければダメです」である。

その某R氏も、都知事選で2位ではダメである。競馬は、単勝を買った人にとっては2位ではだめだが、馬連なら2位に入ってくれたら御の字だし、複勝なら3位までOKである。

音楽のコンクールに出てる横野君のお友達とかは、日頃から1位、2位を争う世界で切磋琢磨されていて偉いなと思う。その点、横野君や私の生息地は順位とは無縁の仙境である。


♪ドーはドークダミ茶のドー

2024-06-15 18:04:52 | 音楽

てなわけで(二つ前の記事の続き)、食材に使うのを断念し、世間の皆様を見習ってお茶にすべくベランダに吊しておいたドクダミが乾いてぱりんぱりんになった。これ以上吊しておいて雨が降るとせっかく乾いたのが台無しだから(過ぎたるは及ばざるがごとし)、このあたりでお茶にしよう。ブンブンチョッパーで細かくしたら芳香が漂った。生のときの臭みはない。やはり世間様は正しい(食材にすらしようと思ってたくらいだから、私のハードルが低いこともたしかだが)。せっかくだから茶筒でも用意しようかとも思ったが、結局タッパーに入れた。

そこまでカタチにこだわる必要もないだろう。で、普通のお茶のように急須に入れてお湯を注いで、

飲んでみた。いける。身体にいいなんて信じられない(どういう意味?)。いくらでも飲めそうだから、それこそ飲み過ぎに注意である。

因みに、この記事のジャンルだが、タイトルがドレミの歌なので「音楽」にしようか、飲食関係だから「グルメ」にしようか、身体にいいから「健康」にしようか、在りし日の日常の話だから「日記」にしようか悩んだが結論が出ない。そういうときはデフォルトの「音楽」になる。