暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

三宅八幡宮から圓通寺へ-2

2014年05月27日 | 京暮らし 日常編
                  比叡山を臨む  圓通寺にて
(つづき)
実相院から「岩倉具視幽棲旧居」を偶然見つけて寄りました。

            
            
                     岩倉具視幽棲旧居

旧居のガラス戸から庭を臨むと、○○貼り(?)の障子が美しくモダンです。
昭和3年に旧居の隣りに対岳文庫が建てられ、修理以前の旧居の写真や絵、
岩倉具視遺品や明治維新関連書類を展示収蔵しています。
対岳文庫の設計は、京都市庁舎本館を手掛けた武田五一氏です。

     
  田植えが終わったばかり            対岳文庫

            

そこから妙満寺(左京区岩倉幡枝町)を目指しました。
妙満寺には「雪月花」三名園の一つ、有名な「雪の庭」が現存しています。
この庭を見るのが今回の楽しみの一つでした。

庭に面した戸が開け放され、室内に座しながら「雪の庭」を眺めることができます。
雪も比叡山もありませんが、その昔、寺町二条に妙満寺があった頃の
比叡山を借景に雪積もる「雪の庭」を想像しました。


                    妙満寺 「雪の庭」

宝物館で妙満寺を創建した日什大正師(にちじゅうだいせいし)のことを知り、
その一生にびっくり仰天し、尊敬の念を抱きました。
日什上人は、もと天台宗の僧侶で、比叡山の学頭までなった人でしたが、
故郷の会津で日蓮上人の教えに触れ、惹かれながら学頭という立場もあり、
なかなか比叡山を離れることができませんでした。思いを貫き、
67歳という高齢にもかかわらず宗を改め、日蓮上人門下に入ったそうです。

68歳の時、日蓮上人の「帝都弘通」(都で教えを広める)の遺志を胸に
都へ上り、後円融天皇の「弘中弘法の綸旨」を賜わり、
康応元年(1389年)に妙満寺を建立、根本道場とします。
その後、兵火や移転を経て、昭和43年に現在の岩倉へ移転しました。
「雪の庭」は寺町二条にあった頃、松永貞徳(俳諧の祖)が妙満寺塔頭・成就院に
造営したもので、昭和43年の移転で、成就院より本坊の庭へ移築されました。

            
                      妙満寺門前の池にて

妙満寺から圓通寺へ徒歩15分位です。
20年以上前の夏、深泥池から山の中を通り、圓通寺へ来たことがありました。
だいぶ草木が伸びて、いつまで比叡山が見えることか・・・と、
感激と共に心配したことを覚えています。
もう一つ「白雲抱幽石」の軸が掛かっていて、雄大な比叡山の借景と
ぴったりはまって、今なお記憶に鮮明です。

            

雲一つない青空に比叡山が以前より見やすく、青々と聳えていました。
住職のご説明によると、
景観条例によりこの庭の景色が保護されることになったとか、ヨカッタ!
10名くらい見学者はいましたが、みんな思い思いの場所で静かに庭を山を
眺めています。私たちもゆっくり眺めていました。

            
                 (・・・ただ黙って座っていたい)

            

昔、登ってきた切り通しの道を下って深泥池(みぞろがいけ)へ出ました。
アオサギ、白鷺、菖蒲、ジュンサイ・・・
「昔はジュンサイを採って食べたりしたけれど、今はねぇ~。
 あそこの土手が切れている所へ行くと、採れるかも?」
と池の前に住んでいる方が教えてくれました。
行ってみると看板があり、深泥池では動植物を採ってはいけないそうです。
ジュンサイはともかく、景色が素晴らしく、鳥も花もいっぱいのパラダイスです。

            
                   (ジュンサイだと思う・・)

京都市内にこんなところがあったなんて・・・。      
                               

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