暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

淡路島・初風炉の茶事-2

2014年05月14日 | 思い出の茶事  京都編
                  (庭の灯籠と井戸・・・貴重な1枚)
(つづき)
風炉になると、準備が大変!
灰を細かな篩でふるい、風炉に底土器を置き、灰を入れ、五徳を据えます。
釜を選び、釣り合いを見てから、心を正して初めての灰形をつくります
・・・そんなことを思いながら、初炭手前を拝見しました。

小振りの風炉は大樋焼五代・勘兵衛造、
釜は越前芦屋の霰真形釜、霰の先端が摩耗し、
文様(桔梗)の一部が抜けていて、時代を経た味わいに魅せられます。
越前芦屋釜は室町から桃山に盛んに造られたそうですが、
この釜の湯で御茶を頂くのですから、古釜好き血が騒ぐというものです

半年ぶりの風炉初炭手前が新鮮でした。
ご亭主はさらさらと点前を進め、炭を置いていきます。
香合を拝見すると、四方錫縁の漆器で江戸時代の作とか、
蓋表に迫力ある波頭と蛇籠の蒔絵がありました。
お香は白檀でしょうか・・・はつなつの爽やかな薫りです。

お菓子が運ばれました。
手付の菱形重の内にも波文様があり、うず潮で名高い鳴門海峡がすぐ近くです。
菓子銘は「落し文」、海峡を渡った徳島市の富士屋製です。
黒餡を白餡で包み、緑色の葉にくるまれて虫の卵らしきものが1つ・・・。
美味しく頂戴し、腰掛待合へ中立しました。

             
            (京都市・今熊野神社の大楠)

クスノキでしょうか、
隣りの神社に聳えたつ大木を背景に緑の庭が広がっています。
若葉から紅葉している楓があり、Sさまが「野村モミジ」と教えてくれました。
七つ打たれた銅鑼の響きに心を寄せ、後座の席入です。

床にシマアシと白の華鬘草(鯛釣り草とも)がすっきりと生けられ、
花入が魅力的でした。
形は扁古のようでもあり、ガラス、それとも陶器かしら?
あとでイギリスの女流陶芸家・ルーシーリーの作品と知りました。
暗い中に杢目が水面の輪のように現われて来る敷板も魔法のよう、
不思議なサプライズのある空間でした。

             
                  (御神木・・・今熊野神社大楠)

茶碗が運ばれ、濃茶点前が始まりました。
水指は瀬戸一重口、不識を思わせる、どっしりとゆるぎない佇まい、
初茶事の際に購入したという思い出の水指でした・・・。
茶杓が大きく、茶入の蓋に持たせかけて置かれました。
茶碗に茶杓を渡し、三杓掬いだし無しで、茶入をまわして茶が入ります。

十分に練られた濃茶を美味しく頂戴しましたが、
5名分には茶の量が少ないように思い、少々遠慮を・・・。
茶銘は奥西緑芳園「慶雲」です。

濃茶の茶碗は黒楽、
長次郎を思わせる茶碗でしたが、宗味窯とのこと。
お尋ねすると、長次郎の死後、工房を引き継ぎ、守っていた楽焼の
職人たち(田中宗味を含む)の作を総じて宗味窯というそうです。

             
                    (京都市・大田神社の杜若)

拝見をお願いし、もうびっくり!でした。    
茶入は古瀬戸肩衝、仕覆は金剛金襴です。

茶杓は、ほっそりした茶入と対照的で大きく、初めて見る形でした。
白竹でしょうか、舟の櫂を思わせる荒々しい形に削られています。
とてもインパクトがあり、超モダンにも見える茶杓でした。
これだけ大きいと、掬いだし無しもうなづけます。

茶杓銘は「幾千代」(ええっ!これが・・・)
光格天皇が削った茶杓「幾千代」を玄々斎が写しを何本か削ったそうで、
そのうちの一本、もちろん本歌です。
のちほど玄々斎自筆の筒(竹を二つに割って、中に墨書)も見せて頂きました。

4月のS先生の稽古で和巾があり、茶杓「幾千代」も話題に出ていたので、
とても嬉しい実物とのお出会いでした(ご亭主さま、アリガトウ!)。
幾千代にこの茶事を忘れることはないでしょう・・・。                 


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