ススキ(薄)は秋の七草の一つで、別名を尾花、茅(かや)とも言います。
10月11日にススキで有名な箱根・仙石原を訪ねました。
夏の暑さが異常だったせいで、ススキの穂が出るのが
例年より1週間から10日遅いそうです。
同窓会の頃に、銀の穂波が一番美しいといいなぁ~。
仙石原高原でススキの散歩道を往復2キロくらい歩きました。
緩やかな登りの一直線の道で、そこ以外は入れないように保護されています。
ススキを愛でる人たちの列が延々と続いていました。
ススキの穂はヒトでいうと十三歳くらいでしょうか。
一斉に穂を出した様子なので、1週間後が見ごろです。
十一月上旬には早や枯れ尾花になっているのでしょうか?
ススキの散歩道の途中で
「ここは黒澤明監督が姿三四郎の決闘シーンを撮影したところだ!
間違いない・・!」
と、主人が興奮気味に言い出しました。
「柔道の決闘中、敵に締め上げられて遠のく意識の中で
蓮の花が開くのを夢見て、突如意識が戻り、
一気に敵を投げ飛ばした」・・・シーンだそうです。
映画「姿三四郎」を見ていませんが、確かにロケに使いたくなる景色です。
風が少し出てきて、ススキが揺れ始めました。
もっともっと風が吹いて、薄ケ原が一斉に唸り出すような
風の強い日にまた来てみたい・・・そんなことを話し合いました。
仙石原近くの福風(ふくふう)という、好い風の名前の店で
昼食を食べました。
なんと、そこのメニューに埋蔵金のことが書かれていたのです。
仙石原に埋蔵金が隠されているという話は初めてなので、
お宝に興味をそそられ、調べてみました。
徳川家康配下の大久保長安は、佐渡、岩見、伊豆で
金山や銀山奉行を勤めました。
この間に莫大な財宝を着服したとして、
死後の慶長十八年に死骸が磔となり、
一族もことごとく切腹させられました。
長安磔刑の後に、家康は残った者たちを尋問し、
着服金の一部にあたる七十万両が家宅で発見されましたが、
残りの大部分は仙石原の箱根山中に埋まっている
・・・と言い伝えられています。
その場所は
「箱根仙石原から南に数町行った富士山のよく見える場所、
黒い花の咲くつつじの木の根元」・・だとか。
ススキよりもロマンを感じますよねぇ~。
「ち、血が騒ぐっ・・」
10月11日にススキで有名な箱根・仙石原を訪ねました。
夏の暑さが異常だったせいで、ススキの穂が出るのが
例年より1週間から10日遅いそうです。
同窓会の頃に、銀の穂波が一番美しいといいなぁ~。
仙石原高原でススキの散歩道を往復2キロくらい歩きました。
緩やかな登りの一直線の道で、そこ以外は入れないように保護されています。
ススキを愛でる人たちの列が延々と続いていました。
ススキの穂はヒトでいうと十三歳くらいでしょうか。
一斉に穂を出した様子なので、1週間後が見ごろです。
十一月上旬には早や枯れ尾花になっているのでしょうか?
ススキの散歩道の途中で
「ここは黒澤明監督が姿三四郎の決闘シーンを撮影したところだ!
間違いない・・!」
と、主人が興奮気味に言い出しました。
「柔道の決闘中、敵に締め上げられて遠のく意識の中で
蓮の花が開くのを夢見て、突如意識が戻り、
一気に敵を投げ飛ばした」・・・シーンだそうです。
映画「姿三四郎」を見ていませんが、確かにロケに使いたくなる景色です。
風が少し出てきて、ススキが揺れ始めました。
もっともっと風が吹いて、薄ケ原が一斉に唸り出すような
風の強い日にまた来てみたい・・・そんなことを話し合いました。
仙石原近くの福風(ふくふう)という、好い風の名前の店で
昼食を食べました。
なんと、そこのメニューに埋蔵金のことが書かれていたのです。
仙石原に埋蔵金が隠されているという話は初めてなので、
お宝に興味をそそられ、調べてみました。
徳川家康配下の大久保長安は、佐渡、岩見、伊豆で
金山や銀山奉行を勤めました。
この間に莫大な財宝を着服したとして、
死後の慶長十八年に死骸が磔となり、
一族もことごとく切腹させられました。
長安磔刑の後に、家康は残った者たちを尋問し、
着服金の一部にあたる七十万両が家宅で発見されましたが、
残りの大部分は仙石原の箱根山中に埋まっている
・・・と言い伝えられています。
その場所は
「箱根仙石原から南に数町行った富士山のよく見える場所、
黒い花の咲くつつじの木の根元」・・だとか。
ススキよりもロマンを感じますよねぇ~。
「ち、血が騒ぐっ・・」