大徳寺塔頭・芳春院の庭
(つづき)
書院で行われた濃茶席に続いて、香林庵で行われた薄茶席へ参席しました。
席主は宮下玄覇氏、2014年3月に開館された古田織部美術館館長で、
織部研究をライフワークにされている方です。
薄茶席の会記を忘備録として感想を交えて記します。
薄茶席 主 宮下玄覇(はるまさ)
待 合
床 織部所持
古田宗屋・春屋宗園 両筆勘弁状
(十一月五日付の織部消息。消息は苦手なので省略・・・
織部が規主座(きしゅざ:春屋の従者)に先日早々に帰ったのが
残念なこと、文箱を下さることなどが書かれている。
宗屋という署名があり、宗屋は師・春屋宗園に授けられた法緯を
称したもので、他に1通しかないそうです)
脇
織部家紋三引両前立 梅鉢文吹返 黒漆塗六十二間小星兜
金箔押 黒獅子香炉 長次郎作 仙叟宗室箱書付
織部茶書 古織伝 寛永三年版
大徳寺にて
本席 高林庵
本席へ席入りすると、そこは鎖の間の設えでした。
見た途端懐かしく、上田宗箇流・和風堂の鎖の間を思い出します。
運よく点前座がよく見える、床の前に陣取りました。
初めてお目にかかる宮下玄覇氏はお若く(1973年生まれ)、緊張気味でしたが、
古田織部に惹かれ、長年「古田織部の世界」を研究していたという気概が
快く感じられ、丁寧にお話してくださいました。
お正客は心得のある男性客でしたが、
「門外漢でよくわかりませんので、よしなにご説明をお願いします・・」
30名の席ですから席主にお任せした方がスムースに進行すると思い、
お正客の英断に拍手です。これも良いお勉強でした・・。
織部は書院のある座敷に年中、鎖または自在で釜を釣り、会席を振舞ったり、
袋棚を据えて薄茶を点じるなど、いろいろな試みをしていて
書院には文房具などを飾ったそうです。
この日の薄茶席はそんな織部のもてなしを彷彿する設えでした。
(参考) 上田宗箇流・和風堂の「建渓」(鎖の間)
花入 伊賀 鍔口(つばぐち) 釘ニ掛ケテ
花 笹百合5本
香合 織部好 梅鉢文黒塗
黒塗盆上に時代物ヲ中心トシテ三代・四代・五代・六代・七代宗哲作ヲ
周リニ配シテ梅鉢文トシ、六国五味ノ香ヲ入レル)
(歴代宗哲作の梅鉢文が微妙に違っているのに見惚れていると、
隣席のA氏から6個の香合の配置で二重に梅鉢になっていると指摘され、
素晴らしいご趣向と感激しました。
中にそれぞれ六国五味の香包が入っているのも嬉しいです)
釜 織部好 鋸歯文 大筒 辻与次郎作 中川寺弥勒院・東大寺清涼院伝来
炉縁 沢栗 半入作
(利休・織部時代の指物師で、久以・長以とともに著名)
自在 竹 六閑斎在判
釣 鉄木瓜 甲冑師 明珍作
鐶 半月相生 甲冑師 松村勝房作
風炉先 時代矢並網代
袋棚 木地
水指 高取耳付三足 内ヶ磯(うちがそ)窯 松葉銘
(古高取窯の一つ。1600年初頭に織部が指導して焼かせたもの。
歪み、デフォルメされた形、三足などに織部好の特徴がある。
内ヶ磯窯に興味があり、やや下よりの耳の位置が安定感を増している。
明るさと落ち着きを感じる水指が木地袋棚にお似合いでした)
薄茶器 織部好 溜竹寸切
織部伝ノ通リ紙ニシキテ
(これについては? 解説が欲しい)
替 織部好 黒中次 藤重作
茶碗 黒織部 六波文 沓形
替 黒楽 織部形 二代長次郎作
替 絵志野
(道具好きのA氏が拝見したさに、せっせと茶碗を運んできてくださって
しっかり見ることができました・・沓形黒織部より絵志野がヨカッタかな)
茶杓 織部作 筒 慶主座(けいしゅざ)
(慶主座は桃山時代の禅僧。利休の茶杓の下削りを行い、中節の茶杓を確立。
利休の弟子道慶と同一人物とされ、後に南坊宗啓と名を改めて南方録」を
著したとも言われているが詳細は不明。弟子の甫竹も利休の茶杓師)
(竹茶杓は中節、蟻腰、中樋、色は飴色だったような・・)
蓋置 織部好 竹引切 (織部好は高さが少し高いそうです)
建水 備前三足 (織部は、建水は備前か名物を使ったそうです)
柄杓 織部形
御茶 好の白 上林春松詰 (織部と親交あり)
菓子 「青梅」 川端道喜製 (織部と親交あり)
器 時代黒塗織部盆
替 時代黒塗羽田盆 (黒塗りの最初の盆、縁が矢筈形)
莨盆 佐久間将監(しょうげん)形 溜掻合塗手付透 六代利斎作
(江戸時代前期の武将・茶人。名は実勝・直勝、号は寸松庵。
豊臣秀吉のちに徳川家に仕え、茶は古田織部に学んだ。
晩年は大徳寺・龍光院内に茶室寸松庵を建てて茶事三昧に過ごした。
秘蔵の伝紀貫之筆の色紙は寸松庵色紙として名高い)
火入 雲華 菊桐紋三足 天下一宗四郎作
煙管 青織部
以上
茶会後、総見院席へ向かうA氏と別れ、Oさんと瑞雲軒の点心席へ。
こちらにも展観席があり、見応えがあるものが並んでいましたが、
もはや頭の中は満杯で、花より団子とばかり、たん熊の点心に舌鼓を打ちました。
食後、マイクロバスで古田織部美術館(京都市北区大宮釈迦谷)へ行き、
織部好の茶道具を見学しました。
古田織部を偲び、織部好の茶道具にどっぷり浸かった一日でしたが、
日が経ってみると、新たな疑問やら興味やらが出てきました。
「実際の古田織部の茶会とは?」
「自分で古田織部をテーマにした茶会をするとしたら?」
「茶道・織部流は存在するのか?」
「宮下氏は古田織部を卒業できる(超えれる)のか?」などなど・・・。
古田織部四百年遠忌追善茶会 前へ
(つづき)
書院で行われた濃茶席に続いて、香林庵で行われた薄茶席へ参席しました。
席主は宮下玄覇氏、2014年3月に開館された古田織部美術館館長で、
織部研究をライフワークにされている方です。
薄茶席の会記を忘備録として感想を交えて記します。
薄茶席 主 宮下玄覇(はるまさ)
待 合
床 織部所持
古田宗屋・春屋宗園 両筆勘弁状
(十一月五日付の織部消息。消息は苦手なので省略・・・
織部が規主座(きしゅざ:春屋の従者)に先日早々に帰ったのが
残念なこと、文箱を下さることなどが書かれている。
宗屋という署名があり、宗屋は師・春屋宗園に授けられた法緯を
称したもので、他に1通しかないそうです)
脇
織部家紋三引両前立 梅鉢文吹返 黒漆塗六十二間小星兜
金箔押 黒獅子香炉 長次郎作 仙叟宗室箱書付
織部茶書 古織伝 寛永三年版
大徳寺にて
本席 高林庵
本席へ席入りすると、そこは鎖の間の設えでした。
見た途端懐かしく、上田宗箇流・和風堂の鎖の間を思い出します。
運よく点前座がよく見える、床の前に陣取りました。
初めてお目にかかる宮下玄覇氏はお若く(1973年生まれ)、緊張気味でしたが、
古田織部に惹かれ、長年「古田織部の世界」を研究していたという気概が
快く感じられ、丁寧にお話してくださいました。
お正客は心得のある男性客でしたが、
「門外漢でよくわかりませんので、よしなにご説明をお願いします・・」
30名の席ですから席主にお任せした方がスムースに進行すると思い、
お正客の英断に拍手です。これも良いお勉強でした・・。
織部は書院のある座敷に年中、鎖または自在で釜を釣り、会席を振舞ったり、
袋棚を据えて薄茶を点じるなど、いろいろな試みをしていて
書院には文房具などを飾ったそうです。
この日の薄茶席はそんな織部のもてなしを彷彿する設えでした。
(参考) 上田宗箇流・和風堂の「建渓」(鎖の間)
花入 伊賀 鍔口(つばぐち) 釘ニ掛ケテ
花 笹百合5本
香合 織部好 梅鉢文黒塗
黒塗盆上に時代物ヲ中心トシテ三代・四代・五代・六代・七代宗哲作ヲ
周リニ配シテ梅鉢文トシ、六国五味ノ香ヲ入レル)
(歴代宗哲作の梅鉢文が微妙に違っているのに見惚れていると、
隣席のA氏から6個の香合の配置で二重に梅鉢になっていると指摘され、
素晴らしいご趣向と感激しました。
中にそれぞれ六国五味の香包が入っているのも嬉しいです)
釜 織部好 鋸歯文 大筒 辻与次郎作 中川寺弥勒院・東大寺清涼院伝来
炉縁 沢栗 半入作
(利休・織部時代の指物師で、久以・長以とともに著名)
自在 竹 六閑斎在判
釣 鉄木瓜 甲冑師 明珍作
鐶 半月相生 甲冑師 松村勝房作
風炉先 時代矢並網代
袋棚 木地
水指 高取耳付三足 内ヶ磯(うちがそ)窯 松葉銘
(古高取窯の一つ。1600年初頭に織部が指導して焼かせたもの。
歪み、デフォルメされた形、三足などに織部好の特徴がある。
内ヶ磯窯に興味があり、やや下よりの耳の位置が安定感を増している。
明るさと落ち着きを感じる水指が木地袋棚にお似合いでした)
薄茶器 織部好 溜竹寸切
織部伝ノ通リ紙ニシキテ
(これについては? 解説が欲しい)
替 織部好 黒中次 藤重作
茶碗 黒織部 六波文 沓形
替 黒楽 織部形 二代長次郎作
替 絵志野
(道具好きのA氏が拝見したさに、せっせと茶碗を運んできてくださって
しっかり見ることができました・・沓形黒織部より絵志野がヨカッタかな)
茶杓 織部作 筒 慶主座(けいしゅざ)
(慶主座は桃山時代の禅僧。利休の茶杓の下削りを行い、中節の茶杓を確立。
利休の弟子道慶と同一人物とされ、後に南坊宗啓と名を改めて南方録」を
著したとも言われているが詳細は不明。弟子の甫竹も利休の茶杓師)
(竹茶杓は中節、蟻腰、中樋、色は飴色だったような・・)
蓋置 織部好 竹引切 (織部好は高さが少し高いそうです)
建水 備前三足 (織部は、建水は備前か名物を使ったそうです)
柄杓 織部形
御茶 好の白 上林春松詰 (織部と親交あり)
菓子 「青梅」 川端道喜製 (織部と親交あり)
器 時代黒塗織部盆
替 時代黒塗羽田盆 (黒塗りの最初の盆、縁が矢筈形)
莨盆 佐久間将監(しょうげん)形 溜掻合塗手付透 六代利斎作
(江戸時代前期の武将・茶人。名は実勝・直勝、号は寸松庵。
豊臣秀吉のちに徳川家に仕え、茶は古田織部に学んだ。
晩年は大徳寺・龍光院内に茶室寸松庵を建てて茶事三昧に過ごした。
秘蔵の伝紀貫之筆の色紙は寸松庵色紙として名高い)
火入 雲華 菊桐紋三足 天下一宗四郎作
煙管 青織部
以上
茶会後、総見院席へ向かうA氏と別れ、Oさんと瑞雲軒の点心席へ。
こちらにも展観席があり、見応えがあるものが並んでいましたが、
もはや頭の中は満杯で、花より団子とばかり、たん熊の点心に舌鼓を打ちました。
食後、マイクロバスで古田織部美術館(京都市北区大宮釈迦谷)へ行き、
織部好の茶道具を見学しました。
古田織部を偲び、織部好の茶道具にどっぷり浸かった一日でしたが、
日が経ってみると、新たな疑問やら興味やらが出てきました。
「実際の古田織部の茶会とは?」
「自分で古田織部をテーマにした茶会をするとしたら?」
「茶道・織部流は存在するのか?」
「宮下氏は古田織部を卒業できる(超えれる)のか?」などなど・・・。
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