暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

上田宗箇流(和風堂)の初釜-1

2013年01月20日 | 献茶式&茶会  京都編
              和風堂 (手前が冠木門、向こうが長屋門)

1月15日、広島の上田宗箇流お家元の初釜へ伺いました。

京都から朝8時30分発の新幹線へ乗り、広島駅へ着くと、
上田宗箇流社中のSさまが笑顔で出迎えてくださいました。
西広島まで電車に乗り、そこからはタクシーでした。

ちょうど1年前、銀座松屋会場で開催された
「上田宗箇 武将茶人の世界展」を回覧して以来、
宗箇が茶の湯を極めたという広島の地・和風堂を訪ねてみたい・・・
と思い、Sさまに初釜相伴をお願いしました。

和風堂は、浅野家から1万7千石で召し抱えられた宗箇にふさわしい、
城郭を思わせる佇まいです。
冠木門をくぐり、ぞうりに履き替えて、受付の長屋門へ進みました。
11時の席入でした。
順次、脇の潜り戸から外腰掛のある露地へ入ると、
敷松葉が敷かれ、石組と織りなす見事な造形を愉しみながら
中潜り、内露地へと足を運ぶと、茅葺屋根の風流な茶室がありました。

              
               四畳大目の茶室「遠鐘」
 

丸い扁額に「遠鐘(えんしょう)」と書かれています。
三玄院の藤井誠堂和尚筆だそうです。
にじり口のある側の片屋根が大きく軒のようになって、風雨を凌げそう、
嬉しいことに風情のある突き上げ窓も見て取れました。
あの茶室で宗箇さまはどんな茶事をなさったのかしら?

「遠鐘」を見過ごして、奥の敬慎斎へ席入しました。
床の掛物は、
「遥題和風楼(遥ニ和風楼ニ題ス)
 西海蒼々処、翼・・・」と続き、九条尚実の書です。
九条家、藩主浅野家、上田家7代当主は縁戚関係にあったため・・・
と、あとでSさまが教えてくださいました。

点前座隅の柱には、柳と紅白の椿が竹花入に生けられています。
真塗の台子、呉須が鮮やかな染付の水指(明朝、芙蓉手)、
湯気が立ち上る釜は上田家伝来・野溝釜(浄味造)です。
温かく包み込むような存在感、手長猿が鋳込まれた胴、熨斗のカン、
古武士を思わせる蓋と掻き立て、思わず胸がときめきました・・・。

              
                     広間「敬慎斎」

足付縁高に入った主菓子「猩々」が運ばれ、
16代家元・上田宗冏 (そうけい )氏のお点前が始まりました。

武家流なので帛紗は右につけ、槍を立てるように柄杓を構える所作は、
槍の名手であった流祖・上田宗箇を彷彿させます。
点前を拝見するのは二度目ですが、右ひざ上の袱紗捌き、畳につく手など
独特の所作があり、惹きこまれるように拝見しました。
お家元は泰然自若、とてもおだやかな気を感じる濃茶席でした。

主茶碗は熊川、替は白鹿が描かれている赤膚焼、
茶入は織部肩衝、仕覆は江戸時代の裂地で仕立て直されたとか。
書院棚には蟻腰の高い宗箇作・茶杓「ほまれ」が荘られていました。

上田家伝来だけでなく新旧の茶道具も魅力的でしたが、
正客と次客は浅野家ゆかりの寺院の和尚様方というのも
和風堂らしい緊張と寛解が相和す初釜・濃茶席だったように思います。
そして何よりも、お家元自ら濃茶を練り、客は一碗をともにし、歓談する
・・・という光景が好ましく、うらやましく思いました。

次に、薄茶席の「建渓」(鎖の間)へ移動し、大福茶です。

                                     

        上田宗箇流(和風堂)の初釜-2 へ続く

       


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