梅の蕾はまだ固けれど・・(季節の花300提供)
2015年1月5日、乙羊(きのとひつじ)年の初釜へお招き頂きました。
有馬温泉・雅中庵で行われ、三度目の参席ですが、毎年とても楽しみに伺っています。
京都から新大阪へ、そこからバスで有馬温泉へ向かいました。
ホテルの喫茶室でTさん、Yさん、Wさんに逢い、ご一緒に雅中庵の点心席へ。
奥様のお接待にて愉しく談笑しながら遅めの昼食を頂きました。
点心席のガラス越しに冬枯れの庭が広がっています。
「あらっ! あれは梅かしら?」
節のある梅の古木が数本植えられていて、枝垂れ梅もありました。
冬の寒さにじっと耐え、春に先駆けて咲く梅・・1ヶ月もすれば蕾もほころぶことでしょう。
ガラスの向こうで一斉に開花している姿を想像し、また来れたら・・と思います。
雅中庵の庭
寒牡丹 (季節の花300提供)
薄茶席へ席入りすると、心地佳いお香の薫りに包まれました。
床には「和敬清寂」(又みょう斎筆 坐忘斎御家元箱)、
利休居士の茶の湯の真髄を示す四規、拝見するといつも背筋が伸びる思いがします。
春牡丹がインパクトのある飴釉・大鶴首(九代長左衛門作)に生けられ、
書院には羊の伏見人形が荘られ、乙羊の初釜を迎える歓びに溢れていました。
薄茶席は同門社中の方々が交代に担当していて、今年はS会です。
S会へはよく見学に伺ったので、Yさんのお点前で頂く薄茶は一入嬉しく、
S先生お心入れのお道具の話をNさんから伺え、これも良き思い出となりました。
青漆、青海波の彫文様が個性的な大棗(近左作)も印象に残っていますが、
特筆したいのは玄々斎手づくりの茶杓です。
茶杓は、生田神社「箙(えびら)の梅」の一枝を以て作られたそうで、十二の内の一つとか。
箙とは、矢を挿しいれて背中に背負う武具で、「箙の梅」には地元神戸の歴史を伝えるエピソードがありました。
生田神社の「箙(えびら)の梅」
源平盛衰記には、源平一の谷合戦の折、梶原景時・景季父子が生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を次のように記しています。
中にも景季は、心の剛も人に勝り、数寄にたる道も優なりけり
咲き乱れたる梅が枝を箙に副へてぞ挿したりける
かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん
吹く風を何いといけむ梅の花
散り来る時ぞ香はまさりけり
という古き言までも思い出でければ
平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける
また、謡曲「箙」は、梶原景季が箙に梅を挿して奮戦した様子を描いています。
「箙の梅」で作られた茶杓は、武家の出の玄々斎の一面を思わせる、荒々しさが魅力的な豪快な削りです。
櫂のような上部は茶事で拝見したことのある「幾千代」(玄々斎が写す)を思い出しました。
茶杓にまたご縁があったことが嬉しく、風流な銘「花箙(はなえびら)」に梅の香りが漂って来るようです。
2015年乙羊の初釜-2へつづく
2015年1月5日、乙羊(きのとひつじ)年の初釜へお招き頂きました。
有馬温泉・雅中庵で行われ、三度目の参席ですが、毎年とても楽しみに伺っています。
京都から新大阪へ、そこからバスで有馬温泉へ向かいました。
ホテルの喫茶室でTさん、Yさん、Wさんに逢い、ご一緒に雅中庵の点心席へ。
奥様のお接待にて愉しく談笑しながら遅めの昼食を頂きました。
点心席のガラス越しに冬枯れの庭が広がっています。
「あらっ! あれは梅かしら?」
節のある梅の古木が数本植えられていて、枝垂れ梅もありました。
冬の寒さにじっと耐え、春に先駆けて咲く梅・・1ヶ月もすれば蕾もほころぶことでしょう。
ガラスの向こうで一斉に開花している姿を想像し、また来れたら・・と思います。
雅中庵の庭
寒牡丹 (季節の花300提供)
薄茶席へ席入りすると、心地佳いお香の薫りに包まれました。
床には「和敬清寂」(又みょう斎筆 坐忘斎御家元箱)、
利休居士の茶の湯の真髄を示す四規、拝見するといつも背筋が伸びる思いがします。
春牡丹がインパクトのある飴釉・大鶴首(九代長左衛門作)に生けられ、
書院には羊の伏見人形が荘られ、乙羊の初釜を迎える歓びに溢れていました。
薄茶席は同門社中の方々が交代に担当していて、今年はS会です。
S会へはよく見学に伺ったので、Yさんのお点前で頂く薄茶は一入嬉しく、
S先生お心入れのお道具の話をNさんから伺え、これも良き思い出となりました。
青漆、青海波の彫文様が個性的な大棗(近左作)も印象に残っていますが、
特筆したいのは玄々斎手づくりの茶杓です。
茶杓は、生田神社「箙(えびら)の梅」の一枝を以て作られたそうで、十二の内の一つとか。
箙とは、矢を挿しいれて背中に背負う武具で、「箙の梅」には地元神戸の歴史を伝えるエピソードがありました。
生田神社の「箙(えびら)の梅」
源平盛衰記には、源平一の谷合戦の折、梶原景時・景季父子が生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を次のように記しています。
中にも景季は、心の剛も人に勝り、数寄にたる道も優なりけり
咲き乱れたる梅が枝を箙に副へてぞ挿したりける
かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん
吹く風を何いといけむ梅の花
散り来る時ぞ香はまさりけり
という古き言までも思い出でければ
平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける
また、謡曲「箙」は、梶原景季が箙に梅を挿して奮戦した様子を描いています。
「箙の梅」で作られた茶杓は、武家の出の玄々斎の一面を思わせる、荒々しさが魅力的な豪快な削りです。
櫂のような上部は茶事で拝見したことのある「幾千代」(玄々斎が写す)を思い出しました。
茶杓にまたご縁があったことが嬉しく、風流な銘「花箙(はなえびら)」に梅の香りが漂って来るようです。
2015年乙羊の初釜-2へつづく