7月13日(日)、法然院塔頭・金毛院の月釜へ出かけました。
文月の供茶「金毛院」とあり、ぜひ伺いたい・・・と思いました。
その日は朝から雨がぱらつき、金毛院の滑りやすい急坂を
「雨の日は雨の中を
風の日は風の中を」 (相田みつを)
の詩を思いだしながら上りました。
待合の掛物は、鈴木基一筆「葡萄に甲虫」。
濃紺地に金色で葡萄が描かれていますが、虫が何処にもいません。
すると、お声が掛かり
「光線の具合でこちらから甲虫がみえますよ」
夜桜棗みたいに光線の具合で鮮明に甲虫が現われ、面白い画でした。
もう一つ、表具の風袋が1本で珍しく、初めてです。
苔が露を含んでキラキラ輝いている露地を眺めると、
濡れた敷石の向こうに腰掛待合が手持無沙汰のようす。
いつもは露地草履を履いて露地を進み、蹲を使って席入りするのですが・・・。
若住職の娘さんでしょうか、赤い浴衣を着た可愛いい女の子の案内です。
「お席の準備ができましたので、どうぞお入りください」
席札を女の子が持っている籠へ入れ、廊下伝いに席入りしました。
四畳半の茶室は東側に台目床と台目の書院があり、
西側に大きな吉野窓があります。
窓の障子が開けられていて、雨に濡れた樹木の向こうに
少し明るくなった空が見え、気持ちの良い席でした。
11名が譲り合って座り、正客は顔なじみの男性で運よく次客です。
先ほどの女の子が菓子を運びだし、お点前が始まりました。
席主(若住職の母上?)からお話を伺いながら・・先ずはお菓子。
津軽籠に梶の葉を敷いて、ハマグリが3個のっていました。
菓子銘は「浜土産(はまづと)」、亀則克製の夏期限定だとか。
ハマグリを開けると、大徳寺納豆入りの琥珀色の寒天が美しく涼感たっぷり、
貝の蓋をスプーンにして食べるそうです(・・・ナルホド!)。
程よい甘さに塩味と大徳寺納豆が効いていて、絶品でした。
「浜土産(はまづと)」 亀則克製
団子が先になりましたが、花は白木槿、庭藤、撫子が蝉籠に入れられ、
香合は珍しい泰国産のマンゴスチンです。
風炉先は、淡々斎好み三組銀箔押、裕軒造。
真塗長板、丸っこい雲華の土風炉(半七造)に仙叟好みの夕顔釜、
水指は伊万里の染付、黒塗り蓋に霊子(キノコ)が赤で描かれ、直入画だそうです。
正客に続いて、丁寧に点てて頂いた薄茶をたっぷり美味しく喫みました。
主茶碗は、高麗青磁蓮華文、厚く深みのある青磁は珠光青磁を連想しました。
替茶碗は刷毛目、初代長楽造です。
初代長楽の茶碗で頂くのは初めて(?)なので調べてみました。
小川長楽
初代 1874~1939
1886年、11代楽吉左衛門(慶入)に弟子入
1904年、12代楽吉左衛門(弘入)の命を受独立
1906年 建仁寺4世竹田黙雷より「長楽」を、
裏千家13代圓能斎より「長友軒」の号を授かり、
京都・五条坂、若宮八幡宮近くに長楽窯を築窯
1911年、京都市左京区岡崎天王町に移窯 (今は三代目で移窯)
三客は丹波焼、黒の平茶碗で、見込みに土見せと黒丸があり、個性的です。
他にも相馬焼、明石焼、水戸偕楽園焼ありで、
もう一人の席主(若住職)が解説してくださり、お話が盛り上がりました。
薄器は、七宝草花蒔絵透胎棗。
豪華な平棗で、白蝶貝かギャマンがはめ込まれているように見えました。
でも、手に取ってみると軽く、アクリル樹脂で出来ているそうです。
三代・表朔の作だけあって、デザインが斬新で迫力があり、
緑の抹茶が草花蒔絵の間に透けて見え、これからの薄器かもしれませんね。
細身の茶杓(中節)は飴色になっていて、小堀左馬之助作です。
新時代の薄器に古い茶杓の取り合わせを一座でワイワイ楽しみました。
(小堀左馬之助正春(1595年-1672年)は小堀遠州の異母弟、小堀仁右衛門家の初代。小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々京都代官を務め主に禁裏の作事を担っていた。
慶安4年(1651)宗旦四男の玄室(仙叟)は、小堀左馬助正春の肝煎りで、
加賀小松家前田利常に召し抱えられた )
最後に(とっておいた?)、軸のお読み上げを若住職にお願いすると、
「雪似鵝毛飛」 宙宝宗宇筆
(雪 鵝毛(がもう)飛ぶに似たり)
鵝毛とはガチョウの毛で、とても軽いそうです。
昔、夏に禁中へ献上された氷室の氷とはいきませんが、
せめて雪の風情を心に描いて一時の涼を・・と掛けてくださったのです。
一同、お軸の話を最後に伺って大感激でした。
葉月はお休みですが、長月の金毛院月釜が楽しみです。
のち
文月の供茶「金毛院」とあり、ぜひ伺いたい・・・と思いました。
その日は朝から雨がぱらつき、金毛院の滑りやすい急坂を
「雨の日は雨の中を
風の日は風の中を」 (相田みつを)
の詩を思いだしながら上りました。
待合の掛物は、鈴木基一筆「葡萄に甲虫」。
濃紺地に金色で葡萄が描かれていますが、虫が何処にもいません。
すると、お声が掛かり
「光線の具合でこちらから甲虫がみえますよ」
夜桜棗みたいに光線の具合で鮮明に甲虫が現われ、面白い画でした。
もう一つ、表具の風袋が1本で珍しく、初めてです。
苔が露を含んでキラキラ輝いている露地を眺めると、
濡れた敷石の向こうに腰掛待合が手持無沙汰のようす。
いつもは露地草履を履いて露地を進み、蹲を使って席入りするのですが・・・。
若住職の娘さんでしょうか、赤い浴衣を着た可愛いい女の子の案内です。
「お席の準備ができましたので、どうぞお入りください」
席札を女の子が持っている籠へ入れ、廊下伝いに席入りしました。
四畳半の茶室は東側に台目床と台目の書院があり、
西側に大きな吉野窓があります。
窓の障子が開けられていて、雨に濡れた樹木の向こうに
少し明るくなった空が見え、気持ちの良い席でした。
11名が譲り合って座り、正客は顔なじみの男性で運よく次客です。
先ほどの女の子が菓子を運びだし、お点前が始まりました。
席主(若住職の母上?)からお話を伺いながら・・先ずはお菓子。
津軽籠に梶の葉を敷いて、ハマグリが3個のっていました。
菓子銘は「浜土産(はまづと)」、亀則克製の夏期限定だとか。
ハマグリを開けると、大徳寺納豆入りの琥珀色の寒天が美しく涼感たっぷり、
貝の蓋をスプーンにして食べるそうです(・・・ナルホド!)。
程よい甘さに塩味と大徳寺納豆が効いていて、絶品でした。
「浜土産(はまづと)」 亀則克製
団子が先になりましたが、花は白木槿、庭藤、撫子が蝉籠に入れられ、
香合は珍しい泰国産のマンゴスチンです。
風炉先は、淡々斎好み三組銀箔押、裕軒造。
真塗長板、丸っこい雲華の土風炉(半七造)に仙叟好みの夕顔釜、
水指は伊万里の染付、黒塗り蓋に霊子(キノコ)が赤で描かれ、直入画だそうです。
正客に続いて、丁寧に点てて頂いた薄茶をたっぷり美味しく喫みました。
主茶碗は、高麗青磁蓮華文、厚く深みのある青磁は珠光青磁を連想しました。
替茶碗は刷毛目、初代長楽造です。
初代長楽の茶碗で頂くのは初めて(?)なので調べてみました。
小川長楽
初代 1874~1939
1886年、11代楽吉左衛門(慶入)に弟子入
1904年、12代楽吉左衛門(弘入)の命を受独立
1906年 建仁寺4世竹田黙雷より「長楽」を、
裏千家13代圓能斎より「長友軒」の号を授かり、
京都・五条坂、若宮八幡宮近くに長楽窯を築窯
1911年、京都市左京区岡崎天王町に移窯 (今は三代目で移窯)
三客は丹波焼、黒の平茶碗で、見込みに土見せと黒丸があり、個性的です。
他にも相馬焼、明石焼、水戸偕楽園焼ありで、
もう一人の席主(若住職)が解説してくださり、お話が盛り上がりました。
薄器は、七宝草花蒔絵透胎棗。
豪華な平棗で、白蝶貝かギャマンがはめ込まれているように見えました。
でも、手に取ってみると軽く、アクリル樹脂で出来ているそうです。
三代・表朔の作だけあって、デザインが斬新で迫力があり、
緑の抹茶が草花蒔絵の間に透けて見え、これからの薄器かもしれませんね。
細身の茶杓(中節)は飴色になっていて、小堀左馬之助作です。
新時代の薄器に古い茶杓の取り合わせを一座でワイワイ楽しみました。
(小堀左馬之助正春(1595年-1672年)は小堀遠州の異母弟、小堀仁右衛門家の初代。小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々京都代官を務め主に禁裏の作事を担っていた。
慶安4年(1651)宗旦四男の玄室(仙叟)は、小堀左馬助正春の肝煎りで、
加賀小松家前田利常に召し抱えられた )
最後に(とっておいた?)、軸のお読み上げを若住職にお願いすると、
「雪似鵝毛飛」 宙宝宗宇筆
(雪 鵝毛(がもう)飛ぶに似たり)
鵝毛とはガチョウの毛で、とても軽いそうです。
昔、夏に禁中へ献上された氷室の氷とはいきませんが、
せめて雪の風情を心に描いて一時の涼を・・と掛けてくださったのです。
一同、お軸の話を最後に伺って大感激でした。
葉月はお休みですが、長月の金毛院月釜が楽しみです。
のち