麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

むなしい話1

2023-10-29 08:17:37 | Weblog
「ごはんよ」という母の声に起こされ、ぼおっとしたしたまま台所へ行った。夢の中で食べているような気分で食事をし、「ごちそうさま」と言って、そのまま居間で寝そべった。数分間、うつらうつらしていると、お腹がぐるぐると鳴ったのでトイレに行った。出すものを出してお腹がすっきりすると、頭もすっきりした。居間へ戻って、テレビをつけ、また横になった。今日は何曜日だろうと考えて、指を三つ折る動作を二回繰り返した。土曜日だ。今何時だろう。壁の時計を見ると、一時五分前。「お笑い花月劇場」を見ようと考えて、立ち上がり、チャンネルを変えた。それからまた元の場所に横になった。この地方だけで流れているローカル版のコマーシャルを見ながら、パジャマの上からお腹をボリボリ掻いた。洗濯物を乾しに行っていたらしい母が戻ってきた。赤いプラスチックのカゴを手に、居間を横切って風呂場の方へ行った。一時になり、「お笑い花月劇場」が始まった。この番組はもう十年以上続いている。僕は、子どものころから、この番組が大好きだった。東京では放送していないので、今は、休みに家に帰った時にしか見ることができない。――僕は東京の或る私立大学に通っている。大学が夏休みに入ったので、三日前、故郷に帰ってきた。――いつものように、トボけたテーマ音楽がかかり、「平家物語」という今日の劇の題字が画面に出た。へいけものがたり、ではなく、ひらやものがたり、と読むのだ。コマーシャルの後、一幕目が始まった。大阪の、ありふれた下町といった感じの舞台背景、タコ焼き屋の屋台、その主人らしい頭のハゲた男が一人、舞台中央で、長椅子に腰掛け、煙草を吸っている。舞台の右手から、若い男が現われた。タコ焼き屋の主人を見つけ、右手を上げ、微笑みながら近づいてゆく。「やぁ、ひさしぶりやなぁ」と若い男。「ほんまにまぁ、ひさしぶり」タコ焼き屋の主人。と、すかさず若い男が、「あんただれや?」「どつくでぇ」ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、と僕は大声で笑った。関西特有の、こういう喜劇のやりとりが、ひさしぶりに見ると、新鮮で、おもしろかった。一時間、泣き笑いで、じゅうぶん楽しめるなと僕は思った。セリフを聞きもらすまいと、少し体をテレビの方へずらした時、母の声が聞こえた。
「ほんとうに。のん気じゃねぇ、おまえは」
 僕は、声のする方を見た。いつのまにか母は、となりの台所にいて、食器を洗っている。
「おもしろいよ、母さん。母さんも見たら?」
 僕は今の気分をくずしたくなかった。
「私には、そんなヒマはないよ」
 皮肉な口調だ。
「そりゃ、どうもすみませんでした」
 僕は言った。帰って三日目、そろそろ攻撃をしかけてくるころだとは思っていた。しかし、いまでなくてもいいではないか。
「ほんと、に。お前は、いったい何がしたいんだろうね」
 母は、自分の苛立ちを僕に知らせるために、わざとガチャガチャ音を立てて食器を洗っている。
「うーん」それはむずかしい問題ですね、と心の中で呟きながら、僕は、ため息をついた。
「ほんとうのほんとうにはね。僕は何もしたくない」
 そう答えてから、少し後悔する。もう少し、やる気があるような答えにすればよかったかな。
 画面にOという役者が出ている。僕は、この役者が好きだ。
「東京で、何しよるの?」
 いつもと同じことを、母は、また聞く。
 僕は、劇のストーリーを頭の中で追いながら、ぼんやり答える。
「朝起きて」
 これは、うそだ。僕は、毎日、午後三時頃起きるのだ。
「学校へ行く」
「うそばっかり」
 と、母が言う。へへへへへ、と白痴のような笑い声を立てる僕。僕は入学して四年目だが、まだ二年生である。学校に行ってないのは明白なのだ。
「ほんとに、この子は・・・・・・」
 そう言う母の声を聞くと、僕は不快になる。学校へ行かないことが気に入らないなら、もう仕送りを止めればいいのに、と親不孝を言いたい気持ちになる。
「新井くんね」
 また始まった。
「京大の大学院にうかったんと」
「ふーん」
 新井というのは、小学校から高校までの同級生だ。現役で京大に行ったことは浪人の時に人から聞いていたが、まさか大学院まで行くとは思わなかった。新井の顔が頭に浮かんだ。しかし、まぁ、どうでもいい野郎だ、と僕は心の中で言った。
「すごいね。エリートね」
 別に大学院へ進んだからといってエリートということもないだろうに。
「すごい、すごい」
 イライラしながら、僕は茶化す。
「すぐそんな言い方をする」
 母も不快そうだ。
「じゃあ、どう言えばいいの? すごいじゃない、アタマがいいんだろうねぇ」
「バカ」
「へいへい、わたしゃバカでござんすぅ」
 同級生の話だけは、やめてほしい。僕はどんなやつともくらべられるのはイヤだし、また、くらべられてもしょうのないような人間なのだから。
「みんなすごいね」
 母が言った。
「そりゃあね」
 僕は、少し主張してやろうかと思い、上体を起こした。頭を支えていた左腕が、しびれている。僕は右手で、テーブルの上のセブンスターを一本、箱から抜いた。すかさず母が、
「あんまり吸いんさんなよ」
 いつもこれだ。母の目の前で吸う煙草はまずい。モロに有害な味がする。
 僕は「ハーイ」と、いいかげんに答えて煙草に火をつけた。感覚のなくなった左腕をかばいながら、再び腹這いになる。
「そりゃあね・・・・・・なんかね」
 母の口調は、きびしい。
「そりゃあね、みんながガンバルのは、欲望があるからだろう? 車がほしいやつは、車を買えるようにガンバル。結婚したいやつは、結婚しようとガンバル。色々遊びたいやつは遊ぶためにガンバル。でも、僕は、ガンバルのがいやだから、何も欲しがらないようにしているだけで、別に非難されるおぼえはないね」
「へりくつばかりこねて」
「へりくつじゃないでしょー、みんなは『ちゃんとしなきゃ』とか、『金持ちにならなきゃ』とか思ってるわけでしょ。でも、それも大多数が、そうしているからってだけで、大多数なんてものを、小学生のころから気にしない僕にはカンケーないね」
 僕は、そう言ってから、勢いよく煙を吐いた。
 
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