麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第35回)

2006-10-01 18:52:50 | Weblog
10月1日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

12月11日(月曜日)からの、展覧会のタイトルは、「世界のしくみ」に決まりました。
私がいくつか考えて、宮島氏がセレクト、最終的に、これでいこうと2人で合意しました。

世界のしくみ

いったいどういう意味で、どういう内容なのか。それは、現場でのおたのしみ、です。

また、ギャラリーバー「26日の月」での宮島氏の写真展は、「架空のグラデーション」という氏の命名によるタイトルで11月16日から2週間行われます。こちらもよろしくお願いします。



昨日も、「世界のしくみ」の打ち合わせで動いていて、「友だち」の続きに手がつきませんでした。すみません。

天候のせいか、今日は気分が落ち込んでいます。

癒し、などというけれど、なぜ癒しが必要かというと、ふだんの生活が、癒しの気分とは対極の雰囲気の中で営まれているからですよね。ならば、わざわざ癒しなど必要としないですむ職場や社会に、現実に変えていけばいいですよね。でも、そうならないのは、いやな奴がいるから、ですよね。しかし、癒されたいと思っている人も、他人に対して「世の中は甘くないんだよ」とばかり、ふだんは意地悪もするわけですよね。つまり、みんながいやな奴なわけですよね。そんなことはやめて、みんなで「甘い世の中」を作ればいいんじゃないですかね。と、私は思うのですが。

まあ、それも、結局自分に「おまえは生きていてもいいよ。意味があるよ」とおとぎ話を聞かせるためには、まず「自分」をはっきりさせる必要があり、そのためには、誰かを見て「私はあいつ(ほどバカ、ほど最低)ではない」「私たちはあいつらではない」と、否定形で確認するほうが、「私は○○である」と肯定文で自分を確認するよりはるかに楽ですからね。
だから区別があったほうが楽なんでしょうね。敵と味方という感じで。ところが、実際はみんながいやな奴なので、心の底からは信じきれないでまた癒しが必要になる……。

馬鹿馬鹿しいですね。心の底から。ほんとうにこんな世界に子どもを残さなくてよかったなあ、とつくづく思います。

では、また来週。
コメント
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