マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

モーゼの人生・・入門編

2011-07-02 05:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

映画『十戒』                 (ネットから拝借)

有名な1シーン 覚えていらしゃいますか? 海が割れて・・。
『エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。』
                                (出エジプト記14章27節)


『他者の甦り』 (宮本久雄 著)
「他者の甦り」を読んで(予習で完読)・・モーゼの人生を検証する。入門と完結の2回で。一昨日の大学院授業は入門編。


『モーゼの人生』・・一言でまとめてしまえば。
自同(自分の考えで生きる人生。自己中心。)荒野(文明文化的な顕示や解説がない無の天地。自己の力の及ばぬ世界。そこでこそ本来的な自己の究明が可能となる。)の経験脱自(神の御旨に従う選択。)人のために自分の人生(生命)を捧げる。没。

聖人として列福された人々の人生。と同じ。ということ。 
最近では・・マザーテレサ。アシジのフランシスコ。教皇ヨハネ・パウロ2世。・・・。等々。と同じ。
『神よ、わたしはすべてあなたのものーあなたの完全なしもべ』(←教皇ヨハネ・パウロ2世のモットー)の人生。ということです。


『モーゼの脱自』
『モーゼは王女の養子となった。」(出エジプト記2章10節
『モーゼはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いやをする者となった。』(使徒言行録7章22節)
『生長するとイスラエル人を助けようと思った。一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目にあっていた人のあだを打った。』(出エジプト記2章11~12章)
・・・王女の養子から奴隷に方向転換。モーゼは自同の突破口を持つ人物であった。ことをうかがわせる。

『モーゼの荒野の経験』
『エジプト王・ファラオはこの事を聞き、モーゼを殺そうと尋ね求めたが、モーゼはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどり着いた。』(出エジプト記2章15節)
・・・砂漠で(砂漠でのみとも言いえる。モーゼの場合は人殺しの後逃げ回る生活。)・・人は自己に出会える。自己に出会う人は、神との交流に成長する。神との出会いを果たす。簡単に言ってしまえば。


『モーゼの脱自』
『今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。』(出エジプト記3章10節)
『しゅうとエトロは言った。「無事に行きなさい。」』(出エジプト記4章18節)
・・・モーゼは、エジプト文化やイスラエルとの血縁(ミディアン地方での同属との結婚生活)にも自己同一性を見出せなかった。神の中に同一性を見つける。ようになる。


『モーゼ人のために自分の人生(生命)を捧げる』
『モーゼは、主が命じられたとおりに行なった。ファラオに語ったとき、モーゼは八十歳であった。』(出エジプト記7章6節)
・・・モーゼは、自分の恐れを捨てて、神の御旨に従う人生を受け入れ。全うする。


  とかなんとか・・・。 授業は、モーゼの人生を、詳しく、『出エジプト記』の中で読む。 チョイ深く深く。


今日の授業の結論
①:出エジプト記・・読む人一人ひとりに・・脱自性と他者連帯性を促す本、である。そうではないか。
②:奴隷からの脱出・・読む人一人ひとりは・・『脱自性』=『隣人との連帯=他者連帯性』、への促しとして読める。そうではないか。
③:出エジプト記を読んだ私達への問いかけ・・そこから何を読み取り・・何を身に付け・・どお変わるのか。 どう変わっていくべきか。どの人生を選ぶのか。どの人生を全うさせるのか。

  とかなんとか・・・。 クラスの一人ひとりに・・問いが出されました。



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  土曜日早朝ランニング・・いつもとちょっと様子が違う。

いつもは・・ママだけに連れられて散歩してるワンちゃん。 土曜日は・・仕事休みのパパも一緒です。
 ”今日は、パパとママと一緒なのね! 楽しいね!”なんて思ちゃう。

いつもはママとお散歩のワンちゃん。今日は、仕事日は朝食をかき込んで出かけてしまうパパ、とお散歩です。
 ”今日は、パパとお散歩なのね! ママは素敵な朝食作りかな?”なんてね。想像する。

若いパパとママは・・ワンちゃんをお散歩させる。
私は・・毎朝お散歩のワンちゃんを見て思う。 ”私は、私の体をお散歩させている!”と。 不思議な感覚だけど・・そう思う。


今日(2日)のラン距離:14km  7月のラン合計距離:28km