マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

モーゼの人生(出エジプト記)・・完結編

2011-07-11 05:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

『モーセ』ホセ・デ・リベーラ作1638年 神が書かれた十戒の石板を持つモーセ  

先週の「モーゼの入門編」に続き・・今周は「モーゼの完結編」。大学院クラス。


『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その傷みを知った。
それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。』
                  (出エジプト記3章7~8節)

「出エジプト記(モーゼの人生)の結論は、一言で言えば、上記の聖書の箇所、に要約される。」 と先生。


神は、民(人類)の苦しみを見て、じっとしていられなくなった。
神は、上の方に鎮座する存在ではなく、上の方で人類を見つめている存在ではなく・・『我と汝』の関係、関係し合い連帯し合う両者になろうと決められた。
そのために・・
神は、『民のところに降りていこう。』と決められた。
降って・・
『強者とではなく、小なる者と連帯する。』(申命記7章7節)弱者の傍らに立つ。弱い者に味方する。弱い者の傍に、常に、寄り添う。と決められた。
  神のケノーシス=神の謙遜。

創世記で、万物を創る神として、ご自身が愛する対象として、自分の似姿の人間まで創られた神。
出エジプト記では、愛する対象の人間を、とことん愛するために、ご自身を低くして、人間と同一地平まで降りてこられた神。

モーゼは・・
神の謙遜(ケノーシス)を知り・・それに連鎖して・・神に似て・・エジプト王子の身を捨て・・自己を捨てた。
小さき弱き民と共にいることを決めた。弱者の傍らに立つ。同一地平の連帯のために働いた。ということでした。


『神のケノーシス』
・・旧約聖書に、こんこんと、流れている思想です。
『キリストのケノーシス』
・・新約聖書に、こんこんと、流れている思想です。
キリストは、人間の形をとることにより神性放棄=クノーシスし、人間と同一地平で、人間に寄り添いました。。

『モーぜの脱自』
・・モーゼも、神のクノーシスに連鎖し、隣人のために、謙遜を貫きました。
隣人に寄り添い・・『広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。』ことに成功しました。

『人間の脱自』
聖書を読む私達は、神のクノーシスに連鎖し、モーぜに倣い、どこまで、隣人のために謙遜になれるのか? どこまで、苦しむ隣人と寄り添えるのか? 問われています。


『神のクノーシス。そして人間の脱自。』聖書全体に、こんこんと、流れる思想です。

 
 モーゼは、一言でなら、こんな風にまとめられました。 先生の講義でした。



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友人宅・・隣の駅にあります。
先日・・友人宅に帽子を忘れた。翌朝の朝ランで友人宅に帽子を取りに行った。
昨日・・友人は私の家にスケジュール帳を忘れた。今朝の朝ランで友人宅にノートを届けた。

友人宅往復は、毎日のコースより、短い。10km。
今日(11日)のラン距離:10km  7月のラン距離合計:66km 

唐沢カール登山まで、残すところ5日間。少々焦る。 
登山訓練を加えた。5階建てSOGOビルの階段・・10往復。