鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

感激と悔し涙の高校野球

2006-07-30 | Weblog
 昨29日はかみさんと横浜スタジアムへ全国屈指の激戦区、神奈川県高校野球の決勝戦の応援に出かけた。3男が東海大相模高校の野球部に所属していて、かつて甲子園をめざしたことがあったので、その父兄として、母校が決勝戦に進出する際には横浜スタジアムに応援に行くことにしている。相手は宿敵、横浜高で、両校とも準決勝戦はコールドゲームで勝っている。横浜高は春の選抜大会で優勝しており、全国ナンバーワンの実力校。ただし、春の神奈川県野球大会では東海大相模高が勝っているので、現チームとしては1勝1敗で互角。勝てば、30何年ぶりの夏の甲子園大会出場となる。
 みなとみらい線元町中華街駅で降り、12時半頃に地図を片手に横浜スタジアムへ行くと、球場の周りは大勢の人でいっぱい。係員が「満員で、入場できなくなる恐れがあります」とマイクでがなり立てていて、いやがうえにも熱戦ムードが盛り上がる。中華街でのんびりランチを摂らずに中華饅頭を買ってきてよかった、と思って、入場券購入の列に並ぶ。ようやく、1枚500円也の入場券を買い、休場に入ると、内野席はもういっぱいで、仕方なく外野席へ行く。それでも前の方の席は満席で、すり鉢状の上の方の席に陣取り、買ってきた中華饅頭を昼飯代わりに頬張る。見渡すと、外野席もほぼ満員で、フランチャイズの横浜ベイスターズの試合でもこんなに入ることはないのに、と思う。翌日の新聞を見ると、試合開始の13時5分過ぎに満員札止めになった、という。
 試合開始前のシートノックが始まり、便りの東海大相模高校のシートノックを見ていると、7分間もあるのに何かあせって練習しているような感じがした。門馬敬治監督は決勝戦初めてではないのに、舞台慣れしていない感じがした。一方の横浜高校の渡辺元智監督は7分間のシートノックの時間いっぱいをたっぷり使って、余裕綽綽といった感じであった。この差が試合に出なければいいのに、と思った。
 横浜高先攻の1回表、先頭打者がいきなりのセンター前ヒット、バンドで送って、次打者を三振にとったものの4番に2塁打を浴び、あっさり先制されると、次も2塁打で2点計上、2回もいきなりの2塁打2本にエラーもからんで4点、3回は8番打者に片手でレフトホームランを打たれ、投手はまるでサンドバッグ状態。片や、東海大相模は3回までいずれも3者凡退。シートノックの時の予感が現実のものとなってしまった。4回にも安打を連打され、3点計上し、なんと10対0となってしまった。
 4回裏2死で、やっと初安打の2塁打が出たが、得点にならず、まさにコールドゲーム状態。雨も激しく降ってきたので、もう勝負あった、と見て、球場をあとにした。悔しいと思う前に実力の差の前に兜を脱いだ、という感じであった。ついでに久し振りの横浜・元町をぶらぶらして、家路についた。
 家に帰って、新聞で確認したら、横浜高の川角投手は準決勝でも完投しているのに対し、東海大」相模の高山投手は準決勝では投げていなくて、決勝戦のために温存していた。にもかかわらず、片やメッタ打ちされ、片や完璧の投球。この差は一体何なのか。
 同様に応援に行って、夜になって帰ってきた3男に結果を聞くと、15対7となったというが、エースが退いたあとで点を入れたもので、焼け石に水だ。3男が在学中から、春の大会につながる秋の大会で横浜に勝ったことはあるが、本番の夏の甲子園大会では横浜高校に一切勝てなかった。秋にはこれが横浜高校か、と思えるようなチームが夏になると、ガラッと姿を変えてくる。入学前からのスカウトで実力のある素材が集まってくるのだろうか、横浜高校の力は神奈川県ではずば抜けている。野球というのは選手の実力もあるが、やはり監督の指導によるところが大きい。東海大相模の門馬監督が「優勝できなかったのは自分の責任」と語ったが、まさに監督の差だろう。
 でも正直言って、悔しい。なんとか、横浜高を負かして甲子園に行ってもらいたかった。何年経ってもこの思いは変わらないだろう。3男が野球をして、父兄として3年間、ずっと応援してきたが、負けると我がことのように悔しかったのを覚えている。ことに夏の甲子園大会での敗戦は悲しいものだ。野球部の寮にいたが、3年の時の大会では負けたその日に寮を出ていくことになる。負けて、学校へ帰って、応援団とひと気のなくなった野球場前で最後の応援歌をがなり、夕暮れに荷物を車に積んで、寮をあとに家路についた。あの思いはいまだに忘れられない。
 今年も4000を上回る高校の野球部で同じ思いをする野球部員、および家族が同じ思いをすることだろう。毎年、甲子園大会が始まると、勝利の感激の裏で苦やし涙を流す人々に思いをはすることになる。
 だから、毎年、夏が来ると悲しみが思い出され、高校野球は悲しいものだとの記憶が蘇えってくる。
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