鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

夫婦の愛を高らかに謳い上げた日本映画「天地明察」

2012-09-24 | Weblog
 23日は川崎駅前の109CINEMASで、映画「天地明察」を鑑賞した。昨年の本屋大賞1位にランキングされた新進作家冲方丁の原作を映画化したもので、主演がv6の岡田准一、それに宮崎あおいとあって若い人を中心にかなりの入りであった。つい先日、天地明察の文庫本上下を購入したばかりで、まだ読み終わっていない段階での映画鑑賞であり、中ほどぐらいまではなるほどこういう筋であった、と読んだところを思い出しながら見ていたが、途中からはこういう展開となるのか、と面白くみることができた。武士でありながら碁打ちであり、地図作成から暦の作成を命じられた男の一生を描き切った名作で、久しぶりに見るいい日本映画であった。
 「天地明察」は会津藩江戸藩邸に務める安井算哲なる武士は囲碁打ちとして将軍の前で囲碁を展覧することを仕事としていたが、趣味として天文学をかじり、時には宮益坂の金王八幡神社へ行き、算術の謎解きを行っていた。そんな算哲を見出した藩主、保坂正之は日本地図の作成業務に携わることを命じる。北斗七星を観測することによって、地図を作成することができることは想像できたが、実際にその作業を行うことになろう、とは夢にも思わなかった算哲は自分なりにその作業をして、仲間の先人たちを驚かしてしまう。その先人からいまの暦が狂っていることを聞き、帰ってから、ふとそのことを水戸光圀に話してしまう。
 当時の日本の暦は京都朝廷の公家が800年以上にわたって占有していて、狂っているなどと言おうものなら、それこそ反逆者扱いされかねるくらい神聖視されていた。困った算哲は日食、月食が起きる日が狂っていることを知らせることによって、世論を味方につけることを思いつく。早速、当時の暦と算哲の予測した暦のどちらが当たっているかを世に問う勝負を大々的に宣伝して、一大行事と仕立てた。ところが、暗に相違して、朝廷の暦が間違っていない結果が出て、算哲は打ちのめされる。
 思い余って、最愛の妻えんにすがり数学者の関孝和に会い、話をすることによって、グローバルな視点が必要なことを悟り、地球儀なるものを作り、暦の間違いを中国の暦をそのまま取り入れた朝廷の暦は日本よ時差が1時間あることを知る。されで、再度切腹覚悟で、朝廷の暦との勝負に挑み、今度は勝って、新たに「大和暦」として採用されるに至る。
 当時はすでに欧米では地動説が認められていたが、算哲が地球も自転しながら太陽の周りを回っていたことに気付いていたか、映画では触れていなかった。そのことが暦の狂いと関係あったのかはわからないが、映画ではそこまで踏み込むことはない、と判断されたのだろう。原作を読むことで確かめてみることとしたい。
 映画では、宮崎あおい演じる妻のえんとの愛の交流や、市川猿之助演じる関孝和との交流、碁打ちの本因坊との触れ合いなどエピソードをちりばめながら、ストーリーは展開していく。妻えんが切腹覚悟で朝廷との勝負に旅立つ朝に「私より先に死なないでください」と懇願し、勝負に勝った京都の街に艶然と笑みを浮かべながら登場するシーンは見ている者の胸を熱くさせた。また、最後のエンドロールで、算哲とえんは同じ年の同じ日に同時に亡くなったと出ていたが、それも夫婦が最後の最後まで愛し合ったことを示すエピソードとして印象深く受け止めた。
 このほか、水戸光圀役の中井貴一、保坂正之役の松本幸四郎や市川染五郎、笹野高史、岸部一徳など演技達者な脇役陣もそろっていることも見ごたえある映画に貢献している、と思った。
 天地明察という言葉は原作者の冲方丁の造語なのだろうか。天地と明察という言葉をつなげたのだろうが、天文用語のようで、響きがいい。本、映画ともなかで水戸光圀が算哲の発する「天地明察」という言葉を聞いて、「いい言葉だ」と発する箇所があるが、タイトルに持ってきているところも含めていいセンスである。
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