鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

気になる美人の変貌

2007-06-01 | Weblog
 よく行く東京・目黒駅のパン屋さんの売り場の女の子がすっかり変貌してしまい、一体何があったのだろう、と気になっている。1週間に1度くらいで昼飯代わりに立ち寄るパン屋さんに珍しく見目麗しい美人の女の子がお目見えしたのは半年くらい前。注文を聞いて、コーヒーなどを淹れてくれるだけであるが、オーソドックスな顔立ちの正当派美人で、お客とのやり取りで時々見せる笑顔が可愛らしくて、とく足を運んで顔を見るのを楽しみにしていた。
 遠くから見ていて、こういう人が銀座あたりのクラブのスカウトから声をかけられて、夜の蝶へ転身するのだろうな、と勝手なことを考えてはひとり密かに楽しんでいた。もちろん、そんなお店ではないので、声をかけて会話するわけにもいかず、専ら目の保養をしていただけだった。
 ところが、1カ月くらい前から突然、その彼女の姿が見えなくなってしまった。結婚でもしたのだろうか、それとも本当に銀座あたりに鞍替えしたのかしら、と思っても、まさか同僚の女性に聞くわけにはいかず、密かな楽しみもこれまでか、とほぼあきらめかけていた。
 それが、つい最近、彼女が復活して、お店に戻ってきた。しかし、当の彼女はすっかり変わっていて、一見別人か、と思うほど面やつれしていた。女性というのは短期間にこんなに変わるものか、と驚くほどの変わりようであった。一体、彼女に何があったのだろうか。結婚したわけではないだろうし、精神、肉体的に大きなショックを与えるような出来事があったのだろう。
 そういえば、40年くらい前の学生時代に下宿の近くにあった銭湯に、「いらっしゃいませ」と周囲に愛敬をふりまく若くて明るくキュートな女の子が帳場にいた。パン屋の女の子と同じように見るのを楽しみに通っていた。ところが、しばらくいないな、と思っていて、戻ってきた時には別人か、と思うほどの沈んだ表情のただの女の子に様変わりしていた。
 今回も全く同じ感じで、角度によっては以前の顔がうかがえるような面もあるが、以前を知る人にとっては全くの別人としか思えないほどの変貌ぶりである。人間、特に思春期の女の子はなんらかのことがあると、そうなるということか。件のパン屋の経営者もよくわかってか、復帰してからのその女の子の持ち場は以前のレジではなく、サブの洗い場中心に代えられていた。ドライといえばドライであるが、それが世の中というものか。通り過ぎた青春のひとコマでもある。
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