鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

初秋の天の橋立行その1

2009-09-11 | Weblog
 10日から近畿日本ツーリストのパック旅行「船で、列車で、歩いて感じる日本のふるさとぐるり丹後半島のんびり漫遊記」に乗って旅行に出かけた。天の橋立に行ったことがなかったのとゆったりとしたスケジュールに魅力を感じての参加だった。当初、8月のお盆前に行く計画を立てたが、急ぎの予定が入り、急遽この9月に変更した。新幹線新横浜から「こだま」に乗り込み、岐阜羽島駅で降りた。名古屋育ちでありながら、これまで岐阜羽島駅で降りたのは初めてのことで、駅頭に岐阜羽島駅を誘致した故大野伴睦夫妻の銅像がすっくと立っていた。駅周辺はいわれているほどの田畑ではなく結構ビルが立っていたのが意外で、それだけ時が過ぎたということなのだろう。
その銅像の前に丹海バスが待機していた。3日間行程をともにする、というこで、名神高速道から北陸道に向かった。まず、関ヶ原から長浜、姉川、賤ヶ岳とNHKの大河ドラマでお馴染みのところを通っていく。バスガイドが慣れた口調で次から次へと説明していくのを聞いて、これまで本やテレビで見てきた地名が親しみを持って心に迫ってきた。姉川の戦いで有名な姉川がこんなに小さい川であるとは思わなかった。姉川はじめ琵琶湖に注ぐ川はなんでも462もある、というから驚く。姉川は400年もの間に流域が変わったのかもしれない。
バスは敦賀から舞鶴に入り、舞鶴引揚記念館なる施設を見学した。第2次世界大戦終了時、海外にいた日本人は630万人いて舞鶴はじめ博多、など全国10 の港に引き揚げ、うち舞鶴には主にシベリアからの抑留者66万5千人が上陸した、という。バスガイドさんの説明によると、舞鶴に入港した470隻すべてを出迎えた地元の主婦タバタハナさんが最初に帰国した一団を国旗を振って出迎えた際、男とも女ともつかない真っ黒な顔で、しかも誰一人ニコッともせず、「ありがとう」との言葉もなかった、という。不思議に思って最後の人に聞いたら、突然泣き出した。事情を聞くと、なんと明日は上陸という前夜、女性を襲う集団が現れ、被害に遭った若い女性3人が甲板から身わ投げて死んだ、いう。それを聞いて一睡も出来なかった、とも語ったということたった。聞いているうちに涙が出てくるほどの悲しい話だった。
 舞鶴引揚記念館はシベリア抑留者の寒冷地での厳しい生活を思わせる展示がされており、説明員がその状況を詳しく説明してくれ、食料が確保できないうえ、南京虫、凍傷などに冒され、生死の境をさまよった、という。「岸壁の母」で有名な端野いせさんの紹介もあった。昔、かみさんの父親がシベリアに抑留されていたと聞いた記憶があるが、10年前くらいに亡くなっており、もっと話を聞いておくべきだったと思った。
で、ツアー初日は天の橋立の近くの宮津ロイヤルホテルへ泊まり、窓から天の橋立を眺めるだけで終わった。
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