24日夕方のことである。いつものようにパソコンに向かい、その日に来たメールをチェックしよう、としたら、すぐに「送受信完了」とのメッセージが出て、10個ばかりにメールのタイトルが並んだ。毎日朝にチェックした後は夕刻にその日のメールをチェックすることにしているが、50個くらいは到着している。理由は即座にわかった。2年前に退任した会社から転送されてくるメールが突如シャットアウトされたのだ。予告はされていたので「今日来たのか」と思ったが、改めてそうなると、何か縁を切られたような一抹の寂しさを感じさせられた。
退任後のメールの転送は辞めてもプライベートなメールもあるだろうからとの理由で続行され、当初1年くらいで終わる、とされていたが、1年を過ぎてもずっと転送されてきていた。ほとんどはかつての仕事のうえでの付き合いでのメールマガジンがほとんどで、あとは個人的な趣味に基づくもので、なくなってもいいものばかりだった。ウイークディには1日に7、80通くらいあり、中身を確かめることもなく、削除していた。
ところが、今年はじめにかつての秘書課の女性から「メールの転送は3月末をもって取りやめます」との通知が来ていた。会社の経営が創立以来初めての赤字決算となり、経費削減を強めているのに加え、OBに対して会社の情報を伝えないといういまの経営者の姿勢の路線が徹底されたということなのだろう。会社のOBといえども不要なことは行わない、と悲愴なまでの決意と見ることもできる。1年前から外部からは会社の掲示板を見られなくし、メール転送廃止はこの延長でもある。
別に厳しい会社の現況を知って、悪口をいうわけではなく、少しでも会社がよくなるように応援したい、と思っているOBがほとんどなのにそんな応援など要らない、と頑なな姿勢を取り続ける経営者に疑問を感じるが、これも経営哲学ということなら、表だって反論を述べるわけにはいかない。
だから、連絡をもらった時は別に驚くようなことはなく、そういうことか、と冷静に受け止めることができた。必要なメールマガジンなどについては発信元に自宅のメールアドレスを連絡して、しばらくは転送分と合わせて同じ2つのメールが届いていた。もちろん、退任して2年以上経つので、メールが転送されていたことを知る人はおらず、プライベートのメールが届くことはない。
メール転送取りやめの実害はないが、これでわずかに残っていた以前の会社との繋がりは全くなくなってしまった。時にかつての後輩とでもランチでも食べながら、状況を聞くしか、会社の現況を聞く手掛かりはなくなってしまったわけである。予想されてはいたとはいえ、いざ遮断されてみると感慨は格別なものがある。
会社が永遠なものではない以上、世の移ろいと同じように変わっていくものである、と思わざるを得ないのかもしれない。
退任後のメールの転送は辞めてもプライベートなメールもあるだろうからとの理由で続行され、当初1年くらいで終わる、とされていたが、1年を過ぎてもずっと転送されてきていた。ほとんどはかつての仕事のうえでの付き合いでのメールマガジンがほとんどで、あとは個人的な趣味に基づくもので、なくなってもいいものばかりだった。ウイークディには1日に7、80通くらいあり、中身を確かめることもなく、削除していた。
ところが、今年はじめにかつての秘書課の女性から「メールの転送は3月末をもって取りやめます」との通知が来ていた。会社の経営が創立以来初めての赤字決算となり、経費削減を強めているのに加え、OBに対して会社の情報を伝えないといういまの経営者の姿勢の路線が徹底されたということなのだろう。会社のOBといえども不要なことは行わない、と悲愴なまでの決意と見ることもできる。1年前から外部からは会社の掲示板を見られなくし、メール転送廃止はこの延長でもある。
別に厳しい会社の現況を知って、悪口をいうわけではなく、少しでも会社がよくなるように応援したい、と思っているOBがほとんどなのにそんな応援など要らない、と頑なな姿勢を取り続ける経営者に疑問を感じるが、これも経営哲学ということなら、表だって反論を述べるわけにはいかない。
だから、連絡をもらった時は別に驚くようなことはなく、そういうことか、と冷静に受け止めることができた。必要なメールマガジンなどについては発信元に自宅のメールアドレスを連絡して、しばらくは転送分と合わせて同じ2つのメールが届いていた。もちろん、退任して2年以上経つので、メールが転送されていたことを知る人はおらず、プライベートのメールが届くことはない。
メール転送取りやめの実害はないが、これでわずかに残っていた以前の会社との繋がりは全くなくなってしまった。時にかつての後輩とでもランチでも食べながら、状況を聞くしか、会社の現況を聞く手掛かりはなくなってしまったわけである。予想されてはいたとはいえ、いざ遮断されてみると感慨は格別なものがある。
会社が永遠なものではない以上、世の移ろいと同じように変わっていくものである、と思わざるを得ないのかもしれない。