鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

怒りが生命のエネルギーとなることを語ってくれたKさん

2010-03-11 | Weblog
 東証1部上場会社の社外取締役を務めるKさんのことである。先日、おっかない顔をしていたので、どうしたのか、と聞くと、当の会社で某役員が辞めることになり、その後の体制を話し合う場で、監査役が「告発状がなんとかかんとか」なる発言をしたので、尋ねると、「あとでお渡しします」と言われ、会議終了後渡された資料を見ているうちに頭が熱くなってきたのだ、という。というのは辞める役員の不正を告発する匿名の手紙が来たのは3カ月以上も前で、その間監査役から辞める役員とKさんを除く取締役に対する報告会さえ行われたいたのである。つまり、Kさんは長らくつんぼ桟敷に置かれていたわけで、Kさんが怒るのも無理はない。
 Kさんが社外取締役に就任したのは3年前で、就任た年は大過なく過ぎたが、半年後にリーマン・ショックに見舞われ、業績は急降下で水面下に突入し、なんとか立て直しを図ろうと業務点検から始まって事業再構築など会社あげて対策に取り組んできた。Kさんもその都度、はせ参じて微力ながら努力してきた積もりだった。ところが、こと某役員の告発状に関しては一片の情報すら与えられず、無視されてきたわけで、社外取締役の位置付けはそんなものか、と思うと情けないやら、やる瀬ない気持ちになってきて、しばらくへこんでしまった、という。
 ただ、持ち前の正義感から「これはおかしい」と思い直し、件の監査役に事の経緯を含めて、どう案件を処理したのか、質しに行った。後から考えて、Kさんは無視されて心外だという気持ちからか、時には詰問調になって聞くこととなってしまったようだ。その監査役はそうした局面に立たされたことがなかったせいか、「社長が伝えておく、といっていたので、あなたに伝わっている、と思っていた。私に言われても困る」と逆に怒り出すようなことになってしまい、告発状を見せてもらおう、と思った当初のねらいは果たされなくなってしまった。その他にもなぜ不問に付したのか、と聞いたことが、その監査役の琴線に触れたのか、妙に気まずいものとなってしまった。
 それでもKさんはなぜ告発状そのもの見せてもらえないのか、が理解できず、そんな程度の社外取締役なら、その程度のお付き合いにしよう、と決めて事にあたることにしよう、思った、という。そうしたら、怒りを通り越して、醒めた感覚になってきた、という。
 Kさんはこの間、無視されてカッときて、久しぶりに怒りを感じ、妙に高揚感を感じた、という。会社務めをしている時は上司なり、周囲に憎悪を掻き立てるような人物なり、事象があって、カリカリすることが多かったが、引退後はそうした局面に置かれることがなく何事も平穏無事に過ぎ去ってきていたので、怒りを感じるようなことはなかったのだろう。この怒っている数日間は何をするにも気分が高まり、時には怒ることも必要だ、と思った、ともいう。
 その後、Kさんの会うことがあったので、後日談を聞くと、この件は監査役が社長に伝えたのか、社長からKさんに連絡があり、ことの経過の説明を受けた後に、「連絡をしなくて申し訳なかった」とお詫びの言葉があり、一件落着となった、という。その後、それから、すぐに怒りからきていた妙な高揚感はすっとなくなってしまった、という。そしていまは醒めた態度でなく、以前と同様、社外取締役として精勤している。
 Kさんの話をうかがって思った。怒りが思わぬ方向に発露されて人に危害を加えるようなことがあってはならないが、そうでなければ、人間、時には怒ったり、憎んだりすることも生命のエネルギーを保つうえで、必要なことなのかもしれない、と。
 
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