鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

蜷川幸雄の一人芝居だった?美空ひばり主演の演劇「カルメン」

2010-03-22 | Weblog
 図書館で借りてきた「ベスト・エッセイ2005」を読んでいたら、演出家の蜷川幸雄が「幻の演劇」と題して、美空ひばりで演劇「カルメン」をやろう、との話があったとの思い出を書いていた。本人もやる気になっていたのだが、ガンで身体を冒されていた時期で、体力的に叶わなかったプロジェクトであったことが、あとになって判明した、という。実現していれば、蜷川幸雄にとっても、美空ひばりにとっても後世に残る傑作となったのは間違いのないことだったろう、と惜しまれる。
 演劇カルメンは清水邦夫が戯曲を書き、蜷川幸雄演出で、主演のカルメンに美空ひばりを起用することで、本人から承諾をもらっていた。劇場は音楽以外には貸し出さないことにしているサントリーホールを特別に借りることで了解を得、作者のメリメ役には宇野重吉をやり、スペインにまで取材に行き、新しい音楽劇をつくる意欲で取り組んでいた。
 ところが、ある日、美空ひばりが突然、体力に自信がなくなったので出演できなくなってきた、連絡してきた。芸能界の女王でほとんどのことを思いのままにしてきた美空ひばりだけにまたわがままを言い出したのか、それともおじけついたのか、わからなかったが、蜷川幸雄としては納得できない思いで一杯だった。
 それからしばらくして、帝劇の稽古場でブレヒトの演目の稽古をしている時に、突然、なんの前触れもなく、美空ひばりがやってきて、稽古をつけている蜷川幸雄の隣に座り、「ごめんネ」と言った、という。それから小一時間様子を見ていて、「じゃ」と言ってニコニコして帰って行った。何しにきたのだろう、と訝ってはみたが、よくわからなかった。
 あとで聞いたところによると、「私の歩く後姿を見たら、どれくらい身体が悪いのかわかってくれる、と思うわ」と語っていた、という。それから1年して、美空ひばりは帰らぬ人となり、実はドクターストップであることが判明した。
 歌手にしろ、演劇人にしろ、舞台に立てなくなったら、芸能人としての生命は終わりは告げることになる。たとえ、医者から出演を止められても舞台の上で死んでも務めたい、と思うのは本望だろう。だから、自ら出演できない、というのはよほどのことなのだろう。増して、美空ひばりは本格的な演劇なるものにはまず出演したことがなく、歌で培ってきた名声を損なう可能性すらある。息子のマネージャーや周囲が必死になって、止めさせたことは十分に考えられる。美空ひばりの周囲には蜷川幸雄の名前すら知らない人が大勢いたことは想像に難くない。こう考えてくると、仮に健康問題がなくても、美空ひばりが演劇に出演することは最初から無理な話だった、と思えてくる。蜷川幸雄サイドの一人芝居だったのかもしれない。
 随分前のことになるが、美空ひばりが黛敏郎司会の「題名のない音楽会」に出演したことがある。前以て抽選制となり、当然外れて行けなかった。日比谷公会堂に空前絶後の観客が押し寄せたと後から聞いた。いまだからこそ、美空ひばりの演劇「カルメン」があれば行って観たかった、と思うが、当時はゲテモノ演劇としかみなさず、食指は動かなかったことだろう。幻の演劇でよかった、ともいえる。
 
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