prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「風立ちぬ」

2013年08月28日 | 映画
天才というのは、「見えてしまう」ものらしい。
分野によらず、まず閃いて作るもの証明するものが見えてしまい、論理やデータ、努力といったものはそこに至るために必要だけれど、それ自体が本質ではないという意味のせりふがあるが、ある意味宮崎駿自身の「おそらく他人からするとそう見えるらしいが、当人にとっては当たり前なのでよくわからない」自画像でもあるだろう。

もちろん堀越二郎自身も、意識より先に直感がつんのめってしまう天才なのだろう。
オープニングの空を飛ぼうとして墜落するシーンから空を飛ぼうとする者はいずれ必ず失墜するといったイカロス以来のモチーフが出てくる。そしてここに出てくる飛行機は時代考証的にはまったくありえない先駆的な、多くは実現しなかったものであり、まず二郎に見えてしまった飛行機の姿ということになるだろう。

イタリアの飛行機設計者のジャンニ・カプローニとの夢の中の、それも二郎ひとりではなくふたりの夢が混ざり合ったという設定の対話がしばしば入るが、夢と現実といった二分法があるのではなく、心ここにあらず状態になっている時と我に返っている時との往復運動が便宜的にふたつの世界があるかのように思わせているだけともいえる。

結婚式の場面で上役の奥さんが提灯を掲げ黒紋付の羽織をつけて違う世界から境界を踏み越えてきていいか、という許しを得る台詞を呼ばわるあたり、奇妙に前近代的なムードで、黒澤明の「夢」の狐の嫁入りを連想したくらいだった。
菜緒子が山の上の療養所から里に降りてくるのは、地続きな異界から来た者といった民話的なムードを持っていたりする。

別荘で二郎に接近してくる奇妙な「ドイツ人」というのはイメージとしてはゾルゲなのだろうけれど、彼が「会議は踊る」の「今ひとたびの」を演奏するのが暗示的。ナポレオンがエルバ島に流された後のヨーロッパ各国が領土分譲を話し合ったウィーン会議を扱った物語だが、各国が勝手な要求を角つき合わせてばかりで一向に進展せず「会議は踊る、されど動かず」と言われた。第二次大戦前の世界情勢も似たようなもの、と見通している節がある。篠田正浩が「スパイ・ゾルゲ」で描こうとして眼高手低に終わったのと似た日本の姿を予見した男というイメージに近いように思える。

また堀越二郎をたとえるのにトーマス・マンの「魔の山」のハンス・カストルプの名前を挙げて、この山荘に来るとみんな元気になるとかいう意味のことを言うのだが、カストロプは見舞いに来た療養所で結核に感染してそのまま入所することになり、ラストでは第一次大戦の戦火に消えていく。正しい予言であるよりは、微妙にずれた、予感に近いものかもしれない。

「コクリコ坂から」でも描かれた旧制高校的教養主義が、ここでもあちこちに顔をのぞかせている。
(☆☆☆☆)

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