ヤクザの一家というのは実際の家庭に恵まれなかったりする若者の居場所というか疑似家族的な性格もあったらしい。
少なくとも、そういう理屈でヤクザは自己正当化してきた。
ここでは舘ひろしと綾野剛の関係が擬似的な父子関係として一種理想化されてあるわけだが、他に父が不在の息子と娘がそれぞれいて、いたとしてもヤクザの父が姿を現すのは不幸にしかならない展開になる。
父親=規範を持たないというのはヤクザに限らず、今の社会一般でもあるのだろう。
理想的な親分とも見えた舘ひろしの末路などその象徴と思える。
はみ出し者の受け皿としてのヤクザ組織(「仁義なき戦い 代理戦争」の渡瀬恒彦はあまり素行が悪いのでヤクザにしつけてもらおうと母親に連れてこられるのだ)が衰退して、はみ出し者は半グレなど統制のとれないワルかワルに一方的に食いものにされるオレオレ詐欺の下っ端のような存在になったと言われるが、そのあたりはあまり書き込んでいない。
映像も時代をとばした三幕構成もスタイリッシュ。
フレームの縦横比を変えたり、三幕目はあからさまにデジタルカメラの画調にしたり、場面によっては実相寺昭雄かと思うようなグラフィックな映像を見せる。
先日公開された井筒和幸監督の「無頼」がヤクザから描いた昭和戦後史なら、こちらは21世紀のヤクザ衰退史。
オープニングとラストの対応は「サンセット大通り」ですね。
綾野、舘、尾野ほか役者がそれぞれいい。