prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

2009年03月27日 | 映画
死の床にあるヒロイン・デイジーの語りと、その娘に読ませるベンジャミンの手紙が、それぞれナレーションとなって場面を運んでいるのだが、仔細に見ていくと、その内容はそれぞれ互いの知らないはずの場面にまで踏み込んで、つまりいわゆる「信頼できない語り手」を複数からませ、語り手と語られる内容とを合わせ鏡のように反射しあうよう構成されていて、老人の姿で生まれて若くなっていくベンジャミンと、普通に生まれて年とっていくヒロインの、本来一瞬の「すれ違い」を生涯にわたってひきのばしている。
ちょうど二人が人生の折り返し点に来て、見かけの年齢が近くなったあたりでバックがバレエの練習場の鏡張りの部屋になる寓意。

また娘としては自分の知らない母の姿、そして自分自身の姿をベンジャミンや母の話の中で発見していくことになり、自分のことほど自分ではわからない運命の不思議を暗示している。
駅に飾られ続けていた逆方向に回転する時計が正しく動く時計にかえられた時、ニューオーリンズの街の人の多くの運命も尽きたように「あの」ハリケーンが襲来してくるが、その運命は登場人物の誰も知るよしもない。

脚本のエリック・ロスは「フォレスト・ガンプ」と共通するホラ話ニュアンスとアメリカ年代記と、すれ違いロマンスを交錯させた。荒唐無稽な設定を当たり前のように納得させてしまうものすごい映像技術の発揮も共通している。

ニューオーリンズから話を始めてろくすっぽジャズが響かないとは不思議と思っていたら、ヒロインがイサドラ・ダンカンばりに靴を脱いで踊るバックにルイ・アームストロングほかがかかり、音楽を単純に背景に合わせないで作中の別の環境に貼り付けている。

老人の姿で生まれて成長するに従って若くなる、ということはあらかじめ寿命が決まっている決定論的人生観で作られているのか、と思っているとひょっこりエドガー・ケイシーの発言がセリフで引用されたりする。催眠状態でアーカシック・レコードという宇宙のすべての出来事の記録にアクセスして予言を引き出した予言者らしい。ウィキペディアによると「未来のことは確定しているわけではなく、人の意思にかかっているときっぱり言い切っている」ということになっているが。
(☆☆☆★★)


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